島の全体はそれほど巨大ではない。
精々が数十人生活出来る程で、一人で生きるだけならば広過ぎるくらいな丁度いい島だ。
周辺の海面には多数の深海棲艦が控え、深海には潜水艦の姿。数少ないフラグシップが集まった精鋭とも言えるこの艦隊群は、しかして今という状況下では心もとないのが実情だ。
島の中央には無数の資源が並ぶ。数字に換算しようにも多過ぎて時間が掛かるそれは、今までの努力の成果がよく解るからこそ誰もが欲するだろう。
一度に大量にあれだけの資源を獲得出来たのなら、少ない資源でやりくりしている者には大助かりだ。
尤も、それを許さぬのが島の前面で待ち構える一体の姫であるのは言うまでもない。
黄色のたこ焼きにも見えるそれを浮かせて構え、目前に迫ろうとする艦隊を上空の雲に隠れる形で監視しているが故に今現在誰にも発見されていないが、さりとて少しすればそんな余裕も無くなるだろう。
姫の頭に浮かぶのは、予想通りと単純なもの。
誰かが到達するのは解っていた。もっと多いとは思っていたが、とにかく到達を許してしまうのは予定の内の一つだ。その艦隊が海軍のものではないのも想像していた事であるし、引き寄せられる形で出現した異常個体であるというのも、低いながらに可能性には含まれていた。
全てが全て予定の中の出来事。であるからこそ、そこに焦燥は無い。
フラグシップは全滅するだろう。自身も無傷で済むなどとは考えてはいない。そもそも嘗て戦った個体達ともう一度戦うのだから、まともな終わりが見えるとは思えなかった。
作戦など無い。いや、あるにはあるもののそんな小細工が通用する相手ではないというのが正しいか。
生半可なものなど破られるのがオチだ。そうなるならば、最初から正面衝突をした方がいっそ潔いというもの。
異常個体と認識出来たのは二体のみ。
気を付けるべきはその二体だと見定め、始まる激戦を想起して身を震わせる。
それが武者震いなのか、恐怖によるものなのか、最早この段階では詮無きものだ。あまりにも愚かしい思考はここで終わりにし、高速で出現した彼女達を持った。
「――来タナ」
僅か十分。
その短時間で突撃を命令したフラグシップが諸共に粉砕され、易々と接近を許してしまう。
艦隊には殆ど傷は無い。精々が布の端が焼けた程度であり、その程度であれば装甲の傷にもならないだろう。
支援部隊も無しにここまで無傷を通すなど並の者達ではない。殆どは駆逐艦一人が囮役や殲滅をしていた所為なのだろうが、彼女が守っている以外の方向からも当然敵は来ていた。
その全てを屠ったのは間違いなく駆逐艦を除いた艦娘達であり、練度に関しては最早言うまでもあるまい。
全員が睨む中、集積地棲姫はゆっくりと前に歩く。
彼女は陸の姫。当然海には立たず、立ったにしても性能差では他の姫には勝てない。
それに元々彼女は戦闘タイプではないのだ。集積地の名の通り、彼女の役目は物資を集積する事なのだから。
単純な勝負では普通の艦娘にも負ける。それが彼女であり、それが彼女にとって当然の認識だ。
向こうは警戒しているが、そんな警戒など無駄でしかない。
「マズハ、ヨク来タト褒メヨウ。層ハ薄カッタガナ」
「まぁ確かに。本気だったらもっとえげつないのが来るだろ」
姫の挑発が混じった言葉に返すのは駆逐艦。
赤毛の少女は女らしさを欠片も伴わない粗暴な口調で答え、されど瞳には油断の二文字が存在していないのが見て取れる。解り易いと言うべきか、それとも敢えてそういう風に見せているのか。
前者であれば中々どうして正直者だと嗤うところだが、後者の事を考え赤っ恥をかくような真似だけはすまいと不敵に笑うに留めておいた。
それに、江風の発言は正しい。これが本気の勝負であるならば、彼女達が率いる部隊はもっと精強だ。
他にも姫は来ていただろうし、殆どの雑魚はフラグシップにまで格上げを果たしている。
それが無い時点で手抜きも手抜き。言わば児戯にも等しいのは当然だろう――――どうして本気ではなかったのかと気付いたのかまでは不明だが。
現在に至るまで、姫側は手加減をしていた。その理由は慢心や兵士の練度を上げるなどといった凡そ死線を潜り抜けるには相応しくないものばかりであり、されど艦娘側には一定以上の被害を齎していたのは確かだ。
姫にも無論被害は出た。
沈んだ者を含めて数体程度。それは深海側からすれば、然程手痛いものとは言えない。
時間自体は必要だ。長い時間を掛けて負の感情を艦娘に覆わせ、変生しなければ完成にはならない。
そして完成したとしても完熟訓練は必要で、それについても相応の時間が必要とされた。だがしかし、言ってしまえばそれだけで済んでしまう話だ。
短期決戦を挑まれれば話は別だが、艦娘側も艦娘側で様々な問題を抱えている。
なにより、資源地の殆どは此方が手にしているのだ。無駄な消費を避けようとし、彼等が攻めてこれないのも目論み通りであった。
「今回ハ、マァ頼マレツイデノ侵攻ダ。日本ヲ落トス際に近イ集積地ガ欲シクテナ」
「頼まれってことは――格で考えるなら相手は戦艦棲姫か?」
「アア。ソレ以外ニモ居ルガ、ソノ話ヲ今此処デスルツモリハナイ」
実に自然な会話だった。
まるで人間同士が世間話をするが如く、敵対していた両者の間に波は無い。
これが日本に存在しない艦娘と深海の会話なのだろうかとも考えられるが、けれど響達の顔には敵意が溢れていた。
比叡に関しては更に強烈だ。江風の身体に傷が入るのはまったく気にしないが、それで提督の身に何かが起きれば出現を待つ姉が発狂しかねない。
それで自殺でもされては、全てに意味が無くなってしまう。
最大最速。全主砲は全て相手のみに向けられ、中身は陸上型に対する特攻効果を持つ物。
友好的であるとはとてもではないが言えない。それが当然であるし、そうなるのが必然なので気にするべきではないが、さりとて異分子が如く目の前で何の負の感情も向けてこない江風の場違い感は凄まじい。
警戒すべき相手の内の一体だからこそ、その不自然さは目立った。
自然と意識はそちらに向きそうになる。集積地棲姫としても、彼女のようにどんな相手であれ話から始めようとする者は基本好印象だ。
馬鹿正直な吶喊厨など死んでしまえというのが彼女の自論である。
「んじゃあ一個質問良いか?」
「ナンダ」
話して話して話し合って、互いに平行線である事を認識する。
そうして初めて争いは起きるべきだ。無駄な消費など断じて避けるべきであり、勝てると確信が持てるまでは順当に自身の力を蓄えるのが正道というものだろう。
その点からすれば、今回の戦いは十分な用意が出来なかった満足出来ないものだ。
兵の質は高くなく、遊びを抜いてもそれで被害が零になる訳ではない。最初から全ていなくなると解っていなければ、彼女は髪を掻き毟って帰るとしたのは間違いなかった。
江風の口から息が漏れ、正確に伝えたい情報が耳に入る。
即ちそれは、他で江風のような異常個体と面識があるかどうかという確認に他ならない。
それに対する答えは勿論YES。それ以外言う筈が無いと断言すれば、彼女は誰と遭遇したのかを問うた。
「私ガ遭遇シタノハ、ツインテールノ女ダ」
「ツインテールの女……成程」
現状、幻影の情報通りであるならばツインテールのオリジンなど陽炎のみだ。
であれば、少なくとも彼女が戦闘活動を行える程には問題が起きていないのも確認出来た。駆逐艦でも相当な強さを発揮するその身体であれば、恐らくは今現在においても生きているだろう。
聞くべき話題は他にもある。しかし根掘り葉掘りと聞いている時間が無いのも確か。
余計な発言は控えなければ、この江風のチームに不和が生じるのも必然である。故に当然、これで聞ける時間は全て使い切った。
制限時間などというものは無くとも、その場の空気が時間を定める。
膨張を続けた先に破裂の未来があるように、如何なる事にも時間の制限は起きるのだ。
切っ掛けは酷く短く、そして小さい。
江風を除いた一つの部隊が到着し、そのまま敵姫に向かい己の持てる全ての砲を動かす。妖精達が正確に敵をロックし、そのままの状態で三式弾を相手へと放った。
その三式弾の範囲内には、江風のチームも含まれている。
接近警報が艤装内でけたたましく鳴り響き、それを合図として江風チームも瞬時の離脱を開始した。
唯一動かないのは姫のみ。
このままでは身体を焼かれ、現在保有している装備も破壊されるだろう。各地に散っていた深海棲艦は姫が襲われた事実を本能レベルで察知し、我先へと三式弾を放った相手に群がり始めた。
――――それでも、もう遅い。
口から血を吐き、艤装が完全に崩壊し、されど放った乾坤一擲の攻撃。陸上型にはこれが最も効くと解っていたからこそ死ぬ物狂いで放った一撃に、足柄は歯を砕いて取ったと壮絶に嗤った。
艤装が壊れた以上味方の助けが無ければ死亡は免れない。部隊全員が生き残っている足柄はこのままで十分生き残れるが、さりとて仲間達の被害も甚大だ。
中破大破は当たり前。既に持ち得た弾も燃料も底が見え、元の場所にさえ戻れるか解らない。
仲間の助けがあってもこれでは不味い。明らかに足柄が足枷となって全滅する未来が見える。
ならば最初から絶対に助けられないようにすれば良い。
乾坤一擲の攻撃には第二の目的として、あらゆる深海棲艦のヘイトを稼ぐ事も含まれていた。
大事な火力要員であるが、こと逃走であるならば足柄は足手纏いだ。その意図を部隊の仲間達は察し、一回の敬礼をするだけで離れた。
されど離れただけで逃げた訳ではない。そもそも、逃げた所で意味など無いのだ。
まともな戦果が無ければ待っているのは解体。故に生き残るには此処であの陸上型姫を打倒する他無い。
三式弾の雨が振る。
姫だけを狙った攻撃は、しかし全力であるからこそそこに優しさは微塵も含まれず周辺を焼き続けて止まらない。轟音を響かせ、派手派手しい輝きを見せる攻撃を前に姫は何もせずに不動を貫くだけ。
弾の直撃は確実。晴れた後には負傷した姫が待っているだろうと願いつつ、静かに煙は消えていく。
此度の死傷者も決して並に収まる範疇ではない。実に百数十名の娘がその海に消え、願いを託した。
一撃一撃に憎悪を込めて、或いは消えていった者達に感謝を込め、大規模作戦は常に多大な被害を被りながらも達成されてきたのである。
今回もそうなる筈だ。そうなってくれなければならない。
それが必然。それが道理。世界は何時も、
「――――フム」
故に絶望は呆気なく訪れるのだ。
誰に対しても平等に、さながら隣人と挨拶をするように、何時の間にかソレは隣に居る。
忘れてはならない、艦娘は常に劣勢である事を。その傍では、常に大小の差こそあれど死神が待っているのだと。命を刈り取る鎌は目前にあって、それを薄皮一枚で躱しているだけなのだということを。
今日もソイツは挨拶をするだろう。
やぁ、何時も何時も元気なようで何よりだ。
「陸上特攻、カ。確カニ一般的ニハ私達ニ通用スルモノダガ……」
空はこんなにも晴れている。
波も荒れてはいないし、今日も絶好の運動日和じゃないか。こんな日こそ、何時も以上の大盤振る舞いを見せるべきではないかね?
足柄の耳元で聞こえた幻聴は、どうしようもない程に近い。
実際には誰も発していないにも関わらず、柔らかな声にはおよそ生物らしい暖かさが含まれていなかった。
煙が晴れた先で、集積地棲姫はまったくの無傷の状態で立つ。
腕を大きく広げ、空を仰ぎ、徐に彼女は二度手を叩いた。それが一体どんな意味を持つのかは誰も知らず、そして決して認識される事も無かっただろう――――二人の例外を除けば。
瞬間、江風と比叡の姿が陽炎の如く揺らめく。
煙で消える寸前のような彼女達に山城が無事の声を掛けようとするが、続く爆発音に意識を完全に引っ張られた。
爆発、爆発、只管爆発。
山城や武蔵達の居る部分だけが爆発せず、台風の目のような安全地帯が構築されている。
その意味を察したのは何人居ただろうか。先ず確実に山城は急激な事態の変化に戸惑い、武蔵は周囲の状況を未だ確認していた。
しかし響は、古鷹は違う。江風という反則が起こした事象を実際に見てきたからこそ、事態を明確に認識している。今己達は一瞬の内に全方位からの砲撃を受け、その全てを比叡と江風に落としてもらったのだと。
故にすべきは撃った相手の場所を探す事。弾道から解ればそれも簡単だが、しかし弾が見えない時点で軌跡を追うのは不可能。
砲音は鳴らなかった。いや、耳を澄ませば遠くの空から聞こえてくるものがある。
その方向は無人島の奥。およそ艦娘が持つ砲の射程を超えた位置にて、無数の小型生物が全て彼女達へと唯一頭の部分に搭載されている主砲を向けている。
知っている者であれば誰であれ把握しているその小型生物は――――砲台小鬼。
五十は存在していると思われる軍勢に、江風チームの響は冷や汗を背に流す。
しかし絶望は更に深度を深める。島からの攻撃がアレであれば、他の方角から来た弾は一体何なのか。
「チィ、艦載機か……ッ!」
武蔵が秒単位で流れたエンジン音に気付き、眉を顰めた。
つまり、今この戦場において江風チーム及び到達した艦隊群は砲台小鬼と黄色の球体状の艦載機に襲われている。これこそが集積地棲姫が単騎で居る理由であり、仲間が死んでも焦燥を覚えない理由だ。
布陣は既に整っている。此処は敵地であるからこそ、彼女達の現状はどこまでも不利に傾いているのだった。