艦娘の朝は早い。
午前四時に起床し、朝食担当の者は全員分の飯を用意。
それ以外は仕事内容の確認や装備の点検。新人がチーム内にいる場合はちょっとしたアドバイスなどをしつつ、本業が開始されるのを待っていた。
一方で上側である俺達の仕事は基本的にはその日によってよく変わる。
突発的に何かが変わるという訳ではないが、同じ仕事を連続で熟し続ける日というのは教官組や曙ぐらいなもの。
それ以外である俺なんかは、やはり過剰戦力になってしまうが故に単艦任務が多かった。
偵察機を持つ子達が教えてくれる、敵が作り始めた拠点を潰すなどがそうだ。時たまドロップもするので、その子については説明を交えつつ一旦帰還を心掛けている。
そういえば曙の居る集積地だが、最近は艦娘が多くなったが故により多くの妖精が集まっていた。
どうやら工廠を建てる計画を練っているそうで、それを知った晩には曙と響に愚痴られ続けたのは記憶に新しい。
装備の生産、艦娘の建造、そして高速修復材を活用した艦娘用の風呂。
改修が出来れば、もうそこは立派な工廠だ。
此処を新たな鎮守府にでもする気かと笑っていたが、最近ではそれも笑えない状況になってきている。
急速拡大が故の対処策は、やはり過去の情報を利用して作られていくのだなと一人感慨に耽けていた。
「あ、江風さん。お早うございます」
「おう」
早朝の飯を食べ終え、新たに加わった島風と共に言葉を交わす。
周りが避けていく中でも、俺の戦闘を実際に見ていない者はまだ話し掛けてくれるのは僥倖だろう。
その割合の殆どが新人であり、更に言うのであれば彼女が一番俺に話し掛けていると言っても過言ではない。
懐かれる要素は皆無だった筈なんだけどな、と思いつつも悪い気はしないが故に最近は彼女と談笑する事も多かった。
内容なんて本当に些細なものだ。
何時もより速く動けた、味方の危機を酸素魚雷で回避してみせた、教官に誰よりも食らいついてみせた。
九割が自慢話みたいなものになっているも、そこに不快な感情はありもしない。
彼女の顔は純粋無垢さに染まっていて、微笑ましさしか浮かぶものなどないのである。
「ところで島風。お前は鎮守府組と野良艦娘組とどっちに入るつもりだ」
「江風さんは残るんだよね?なら、私も残るよ!」
「おいおい」
ただ、少しだけ問題もあった。
邪気の無い顔をしているが為に無視してしまいそうだが、彼女は他とは違い俺の選択を優先する部分が強い。
俺がこうしろと言えばそうして、ひたすらに俺の近くに張り付こうとしているのだ。
まるで俺を親か何かと勘違いしているかのように、彼女の行動方針が変わる事は現時点では無い。
俺が何かをしたのだというのは解る。だが、何をしてそうなったのかまでが辿り着かない。
いっそ彼女に直接尋ねてみるかと思うも、それで何か不調を訴えてしまえば戦力外になるのは確定。
高水準な駆逐艦が何もしないというのは不味い。遊び呆けるような事でなくとも、しないだけで反感を買うのである。
レトルトカレーが入っていた皿を朝食担当の大鯨に渡し、さて本日はどうなるのかと内心呟いた。
島風に関しては自分から変わってくれればと願うだけに留め、後は距離を開けるようにする。
いきなり説教をするのもどうかと思う訳であり、この島の仲間達が改善してくれると信じて、本日の業務の為にと島風と別れて響達の元へと向かった。
道中は何時もながらの一人歩き。
時々木曾と会うが、会話が出来る時間はかなり減った。
最初は一日中話していられたのに、今では一時間とて用意するのに骨が折れる程。まだまだ三桁には程遠いものの、それでも数人だけでは辛くなってしまうくらいには集まっていた。
あの子達も何れは姫と対峙する事になるだろう。
そしてそれは即ち、俺達が本格的に深海棲艦と戦えるという事実に直結している。
人に頼らず、海軍に頼らず、群れとしてでしか認識されなかった皆が一つの組織として周囲に認知されるのだ。
当然そうなれば海軍にも狙われる。依然として何も変わらなければ、三つ巴は避けられない。
第三次世界大戦。
過ぎった言葉に、僅かながらにせよ冷汗が流れた。
今までの小規模なものとは違う、文字通り大規模を超えた戦いだって有り得るかもしれない。
死傷者だって出るだろう。当たり前の話だが、こっちだって決して無傷では済まない。
誰かが死んで、復讐して、復讐されて、そんな連鎖がずっと続くような戦場が広がっていくのだ。
それを良しと認める事は出来ない。俺が、いや世の艦娘好きであれば轟沈なんて見たくなど無いのだから。
「おはよう。……どうしたんだい?」
「え、何が?」
「随分と酷い形相だよ。まるで鬼だ。しかもかなり悪質なね」
辿り着いたその場所で、響は指を差して俺に告げる。
そんなに変な顔をしていただろうかと頬を動かすが、やはり鏡の無いこんな場所じゃあ正確には解らない。
とにかく彼女に心配を掛けるべきではないだろうと言い訳じみた言葉を並べ、一先ずは終了させた。
そうしている間に他の木曾を除いた初期メンバーが集まり、大きめの切株を囲むように木製の椅子に座る。
所謂円卓だ。自然とそうなったので理由は定かではない。
一人響だけは立ち上がり、懐からA4用紙程度の紙を複数取り出して切株の上に置いた。
「鳳翔が出してくれる部隊の詳細情報と更新された敵性情報だよ。どうやら随分と厄介な事になっているようだね」
言われ、読む。
姫級と戦うだけあって戦いに参加する者達は皆改二や改だ。戦艦や空母が多いのは予想していたが、軽巡や駆逐艦の層とて決して薄い訳ではない。
阿武隈改二や朝潮改二という先制攻撃を仕掛ける事が可能な者達も居て、西側の本気度合いがよく解った。
大和姉妹も早速参戦するそうで、今から後の消費資源を想像してそっと胃の辺りを擦る。
次いで敵側の情報だが、これは海軍と深海棲艦で別々にされているようだ。
先ずは深海棲艦側。
敵のボスは以前と変わらず、確認されているのは戦艦棲姫と集積地棲姫のみ。
中間棲姫や駆逐棲姫といった道中で出現しそうな敵の影は無く、残るは通常の敵ばかりだ。
しかも出現する敵の強さも殆どがエリートで、稀にフラグシップが居る程度。正直に言えば、これをイベントと仮定した場合の難易度は丙ぐらいなものだろう。
選りすぐりのメンバーで挑めば打倒は容易。
そう思えるが、しかし追加で出てきた情報には眉を顰める他ない。
「戦艦棲姫が速い?……戦闘記録だけでもかなり広範囲を高速で進んでいるな」
「そうだね。それによって当初の予定が崩された海軍側の艦娘は揃って大破か轟沈。生き残りが出たのは単純に殺す価値が無いと書かれている」
「集積地棲姫の情報が無いのは痛いぞ。戦艦棲姫と似た素養を持っているとすれば、我輩達でも討伐は難しい」
通常の深海棲艦は問題にならない。
しかし、戦艦棲姫及び集積地棲姫が不穏な気配を漂わせている。
俺の知らない情報だ。そして、彼女が速いとなると先ず通常の枠に収まっているとも思えない。
オリジン――――流れたワードに、俺は否定したい気持ちを必死に抑えて整理した。
俺達側の世界に存在する姫が此方に流れて来たとすれば、その異常性は納得出来るものだ。
ゲームのシステムなど捨て置き生の艦娘達を見れば思うだろうが、遊びの範疇を捨てれば可能性など幾らでも広がってしまう。
俺の保有していた艦娘達がそうであるように、深海棲艦もオリジンのようなシステムが適応されているとすれば、今後の戦いが楽勝で終わる事など二度と無い。
「江風。恐らく正面から戦えるのはこの島で君だけだ。後は鳳翔の所の比叡くらいだと考えている」
「その点については納得済みだ。化物を倒すなら同じ化物をぶつけた方が良い」
彼女の言葉に頷きと共に返す。
最終的な敵は二体の姫。想定される強さをオリジンの比叡と仮定した時、一体どれだけ勝ちの目を拾えるだろうか。
駆逐艦の中では無敗を狙えても、戦艦という明らかにスペックの差が大きい相手には無敗など狙えない。
三割いければ良い方か。可能性が低い部類であるが、まだまだいけそうである分安心出来る。
それにこれは俺個人で戦った場合だ。他にもオリジンである比叡も出るのだから、更に可能性はある。
休憩込みで二体討伐だな。空母による爆撃や駆逐艦や軽巡などによる雷撃もフルに活用して、それで漸くだろう。
「この紙に書かれた戦いで少しでも戦艦棲姫が負傷してくれると助かったんですけどね」
「無理無理。ボク達に勝てないようなら負傷させるなんて不可能だよ。果敢に挑んで無駄死にさ」
「皐月ちゃん」
「なんだい那珂さん。ボクは現実的な意見を言ったまでだよ」
相手の強さは己の倍以上。
故にか空気が重くなるのも当然。皐月と那珂が笑顔で睨み合っているのを横目で捉え、その流れを打ち消すべく川内が両手を叩いて紙を指差した。
「取り敢えず、案としてはエリートを落とす海軍達の様子を見つつこっそり襲う感じが良いんじゃない?どうせ正面からじゃまともにダメージを蓄積させられないんだから」
「無理だな。何処から砲弾が飛んでくるとも知らない戦場の真っ只中で無傷なんだ。相当な感知能力も有していると見るのが妥当で、それを踏まえるにやはり俺と比叡が前に出た方が結果的に被害を減らせる」
「やっぱり、そうなるか……」
川内の意見は奇襲戦法。
忍者装束に近い姿の彼女らしい内容であるが、そもそもにして相手の装甲を貫けないのであれば得策ではない。
それで勘付かれ、集積地棲姫からの攻撃も貰って誰かが中破状態にまでなるのが容易に想像出来る。
ならば最初から全力で勝負を挑むべきだ。
露払いは彼女達が行い、本命はオリジンが叩く。これが一番皆が生き残り易い方法である。
後はこの話をもう間もなく到着する鳳翔達に伝え、修正などをしながら決めていく。
頭の痛くなるような会議になるだろうが、往々にして準備というものは考えると頭痛がするものだ。
『最悪の場合、一時的にでも他の奴を降ろして戦力にする』
相変わらずあすなろ抱きをしている江風から緊急時の対策を囁かれ、よしと内心呟いた。
どうであれ、俺がピンチになればオリジンが増える。
それは有難いし知っている彼女達に出会える嬉しさもあるが、しかし一株の不安があるのも事実。
出来れば戦闘になど出さずにゆっくりしていてもらいたい。
傷付く事を、俺は許容なんてしたくないのだから。
自己犠牲精神ではないが、どちらが傷付くべきかを考えれば俺の方が万倍マシというものだろう。
今は江風の身体であるので実際にする気はないものの、元の身体であれば突撃だって行う覚悟だ。
一つ息を吐き、次の話題へ。
尤も、海軍側についての資料は少ない。精々が何処の鎮守府から来ているのかとどうして姫と対峙するべきでない練度で戦っているのかの予測くらいなものだ。
出てきた鎮守府の中には横須賀や呉といった最も有名と言える場所の名前が入っていない。
大体が泊地や警備府、柱島だ。
鳳翔達の予測ではこれは露払いの為の部隊であるとしており、功を急いで負けたと考えているそうな。
全体的に練度は三十後半。中には五十や六十と思われる艦娘も確認され、弱小ではないのは確か。
それだけ読んで、負ける筈だと確信する。
雪風や時雨のような幸運を持っていなければ突破は不可能だ。
戦艦のように動きが遅ければ蜂の巣にされるのは簡単に解ってしまう。
これが今の海軍か。こんなのが、今の海軍なのか。
『練度三十後半で弱小じゃない?――――ハッ』
江風の軽蔑を多分に含めた笑いは、艦これを知っている俺がしたかった事だった。
雑魚も雑魚。三日もあれば容易く達成させられる程度の強さなど、押して倒れる細木と何も変わらない。
現実とゲームの差異は発生するにしても、今回の大規模作戦に参加する提督は資料を見る限り決して新人の部類ではない。であるならば、相応の期間はあった筈だ。
にも関わらずその程度。呆れてものも言えない。
俺が提督としてそこに立っていれば、改善しようとしたのは間違いないだろう。
遊んでいるのか。それとも本気で取り組んでその程度なのか。
「大規模作戦での艦娘の練度って皆これくらいなのか」
「まさか。もっと上がっているよ、今回はきっと提督側の中でも要らない艦娘を処分しようと考えた者が出た結果に違いない。その証拠に」
彼女が更に懐から二枚の紙を取り出して切株に叩き付けた。
そこに書かれているのは、まだまだ練度不足が否めない艦娘達の名前と崩れた陣形の写真である。
所属先は舞鶴と柱島。基本的な練度は三十丁度と予想され、持たされた装備群も初期の主砲に電探といった最低限大規模作戦に参加出来る程度の質となっている。
陣形が崩れているのは、やはり練習をしていないからだろう。更に言うのであれば二部隊分の艦娘が居るというのに援護をしようとする子達の姿が写真からだと誰一人として存在していなかった。
つまるところ、彼女達は肉壁として見捨てられたという事だ。これで他の提督達は被害を多少なりとて抑えられ、柱島と呉の提督も要らない艦娘を処分出来て万々歳。
反吐が出るような使い方だが、成程合理的ではあった。コラテラルダメージと言うには悪質だが。
正しく道具の使い方だ。
各部隊の隊長は鳥海と北上。それ以外には重巡・軽巡や駆逐艦が殆どで、戦艦や空母は含まれてはいない。
「助けに行くべき――――と言っても遅いね」
「そうだね、那珂。今から急いだとしても到底間に合う筈が無い。……が、同時に面白い情報もある」
「ふーん。逃げ切れたのか、あの子達」
「見逃されたの間違いじゃろ」
二枚目の部分には敵を倒しながら無人島に進む彼女達の姿。
そこだけは戦艦棲姫は向かわず、そして出現する深海棲艦の質もノーマルと非常に低い。
十中八九必要無しと見逃されたのだ。肉壁としても機能しなくなれば、流石に他の鎮守府の艦娘達も離れて戦闘をしている事だろう。
処分をしている暇は無い。敵の海域である限り、海軍は彼女達を追う事は出来なかった。
それは要するに、生きている可能性も僅かながらに存在しているという事だ。しかもこうして鳳翔が紙面として出したのあれば、俺達に彼女達の保護を任せたいのだろう。
受けるか受けないかで今後の連携に支障が生じる。大事の前の小事と受け止め、此処は素直に受け入れるとするべきだ。
響も同様の意見か、更に一部隊を増やす案を挙げている。
此方も比較的実力が高い者を選出し、戦闘に参加させるのではなく即時の撤退を優先とするように定め、後は防衛をしながら迅速に海域からの脱出をすれば解決は容易だ。
敵が追い掛けてくるのであれば俺達が潰せば良い。そう考えれば、島の位置も解っている以上悪くはない話である。
「皆が集まったら最速で保護して離脱させて、それで漸く本番ですかね」
「海軍の本隊も動くだろうからそっちが気付く前に全て終わらせたいな。江風が見逃した子達も来るだろうね」
「あれの対処は無くて良いだろ。迂闊に手を出せばどうなるか、先日の一件で嫌という程理解した筈だ」
西方のあの提督は間違いなく来る。
しかし、手を出す真似はしないと確信していた。彼女達が何の嫌悪感も無い顔で撤退を即座にしていた時点で、あの提督は決して只の無能ではないと解るのだから。
となれば、上手く誘導すれば共闘もいけるか?――――いや、相手が相手なだけに周辺の敵を蹴散らしてもらう方が上手く事が運べるな。
そうそう自分の想定通りに周りが動く事は無いだろうとも解っているが、情報が揃えば揃う程にやはり立てられる策も多い。これが本当の意味で漁夫の利を狙うのであれば、艦娘もしくは深海棲艦が全滅してから出てくればいいだけだ。
オリジン以外は疲弊しているだろうから、殺害するのは楽になる。
それをしない時点で向こう側も何か目的があるとは感じるだろうから、海軍側と話す機会があればそこからが本番なのかもしれない。
話を纏め、響達全員が納得する形で会議を終了させる。
資料作成や武器弾薬の準備といった細々とした業務が残っているが、それを除けば後はやってくる鳳翔達を出迎える準備をするだけ。
この世界で初めて会う彼女は、一体どちらなのか。
皆が去って行く中、俺は一人別の可能性に神経を研ぎらせる。今回の派閥が鳳翔でなければ、ある意味特定は簡単だっただろう。
時津風がリーダーだったら間違いなくオリジンだと思うし、吹雪であったとしてもやはりオリジンだと考えてしまう。
お艦という称号を持つ彼女だからこそ、不明さというものが出てきているのだ。
どうか、彼女が話の解るオリジンである事を願う。仲良く過ごせればそれに越したことは無いのだからと、誰とも知らぬ者に対して俺は願うのだった。