江風になった男、現在逃走中   作:クリ@提督

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 一番怖いのは、背後に居る人です。


絶対強者

 その場の雰囲気は静寂の二文字だけだった。

 放たれる覇気に皆が気圧され、視線一つで己が殺意を殺される。武器を構えようとしても、それをする前に指が一瞬動くだけで上げ始めた武器を降ろした。

 現状勝っているのは深海棲艦側だ。

 江風が完全に脱落すれば次は木曾が落ち、最終的には古鷹も響も殺されていただろう。救援が来る可能性もあるにはあったが、僅かな時間で決まる戦いでは間に合わないと思う方が自然だ。

 故にこそ、この土壇場での変化に響は何も言えない。

 都合が良いだとか、準備をしていたのではないかとか、考えていても決して言ってはならないのだ。

 本能で理解させられる。あれに逆らったら、殺されるのは己であると。

 そしてそれは、全員の総意である。皆が一人を対象に過去最高のレベルにまで意識を高め、動く瞬間を待っているのだ。

 この現象は艦娘側にとっては喜ばしいものではない。

 変化とは場合によっては気味悪がられるものであり、艦娘という存在は元から気味悪がられていたのだ。変質によっては肌の色も艤装の基準も従来とは大きく異なり、それは単純な強化だけで済ませて良い問題ではなくしていた。

 もしも艦娘達が明確な敵意を海軍に持った時、彼女達の力は厄介どころの騒ぎではなくなる。

 であるからこそ、悪意を持つ前に壊したのだ。海軍という存在を守る為に、己達が健常であり続ける為に。

 そしてそれを艦娘側も理解していて、だからこそ変わる事を恐れている。ああなってしまえば、最早己達は何の躊躇も無く終わらせられてしまうのだと。

 勝手な話だ。故に彼女達は生活の場を海にある無人の島に定めた。

 未だ深海棲艦との戦いをする者や、海軍に復讐しようと企む者、果てには何もかもを捨てての怠惰な生活を求める者達が今世界には無数に存在している。

 だが、彼女達はある一点おいて共通点を持っていた。

 それは変化を嫌悪しているということだ。これがあったからこそ、海軍は冷たい場所であれど資源を気にする必要など無かった。

 笑顔が無いのである。表面上は笑っていても、その実内面は無表情。――――だからこそ、目前の彼女の心からの笑みが理解出来ない。

 

「笑ってやがる……」

 

 木曾が呟く。

 江風は心底笑っていた。他の変化した者達とは違い、純粋に心から変わった己を祝福していた。

 理解不能。意味不明。されど、その顔は羨望すら感じてしまう程に清々しさを感じさせる。

 何もかもから解き放たれた顔と表現すべきか。兎にも角にも、戦場には似つかわしくない顔で立つ彼女に誰も彼もが挑むような真似をしなかった。

 直感が訴えるのだ。本能が叫ぶのだ。

 アレに勝とうなどと最初から考えるなと。生き残る為に、今は我武者羅に逃げるべきだと。

 それは木曾にも、響にも、古鷹にも既に理解しきっている情報だ。

 変わった姿は恐ろしく強いが、それでもこれほどまでに異質な雰囲気は抱かない。潰そうと思えば現在の戦力でも十分可能で、今更脅威になど誰も感じないのである。

 にも関わらず、全員の足は震えていた。

 敵味方関係無く彼女の覇気に当てられ、見事なまでにその様を情けなくさせていたのだ。

 されどそのまま時間が過ぎる訳ではない。変化は何時でも起きるもので、此処は戦場。変化が日常であるその場所で、立ち止まるのが如何に愚かであるのかは誰であれ解っている筈だ。

 一瞬、江風の身体がブレる。

 それを認識出来たのは響と古鷹だけ。木曾にはそのブレを認識出来ず、故にこそ次に起きた出来事には驚く他無い。

 

 最初の変化は、戦艦の首がいきなり崩れ落ちた事だ。

 彼女の最も近い順に数秒の時間差で頭部のみが崩れ落ち、海に落ちた。無事なのは空母及び軽空母のみであり、それでさえもまったく彼女の動きを捉えられない以上は回避も迎撃も行う事は出来ない。

 そして当の本人の姿は先程のままではあるが、その右手には黒い血が付着している。

 手は剣のように鋭く、それだけで何が起きたのかを推測する事は可能だ。可能であるからこそ、まさかといった想像に響は目を見開く。

 手刀による純粋な切断。物理攻撃を極めたような方法に最早艦娘としての性能といったものはまったくの度外視であり、反則の領域に届いているのは言うまでもあるまい。

 他者に認識される前に接近して腕の一振りで殺す。言葉にすれば出来そうではあるが、実際に考えれば反応速度の問題や鋭くもない物体でどうやって綺麗に切断したのかといった疑問ばかりが溢れる。

 これが彼女の変化。他の追随を許さない極限の速度。

 されどそれが江風の特徴ではない。響達にとってはそうとしか認識出来なかっただけで、実際に起きている異常は更に酷いものとなっている。

 それは江風本人にも把握しきれてはいなかった。

 先程は驚異的な速度を叩き出して見せたが、それでも全力とは程遠い。

 意識が戻った瞬間に姿が変わり、己の力が非常に上がっているのは認識していたが、その後のちょっと走ってみるか程度の移動で危うくフラグシップの戦艦と正面衝突を起こしかけていた。

 その際に腕が首に当たり、飛んで行ったのを確認して試したのである。現在のこの速度で全員分の首を飛ばし切れるのかと。

 結果は可能。あっさりと敵の首は飛び、辺りには黒い血を流す結末へとなった。

 

「純粋な強化……ていうにはちと強くなり過ぎだな。こりゃ後で苦労するぜ」

 

『だから言っただろ、最初は慣らし運転で動けって。じゃないと自分がどっかに衝突する羽目になるよ』

 

 江風が呟き、背後で赤い幻影となっている同じ姿の少女が耳元で囁く。

 背後から抱き締めている体勢なのは甚だ問題となるだろうが、身体が透明であるが故に江風本人には影響を受けない。

 同時に周囲にも視認されていないので、好きな事をし放題でもある。その姿勢に文句を言うべきかと少しばかり悩むが、役得かと納得して周辺の空母系の敵に目を向ける。

 その動作一つだけで誰もが怯えた。江風としては当たり前の行動であるというのに、その露骨なまでの変化に頬を引き攣らせてしまう。

 強化の結果として弱者を黙らせる力を得た。それは便利そうでいて、けれど彼女本人としてはあまり喜ぶべきものではない。それを日常茶飯事的に出していては、艦娘達にも引かれてしまうだろうから。

 どうにか抑え込めないものかと悩むも、まだまだなったばかりでは制御は効き辛い。こればかりは今後訓練していく他に無いだろうと決め、先ずは掃討を開始するかと一番近い敵を目指した。

 空母系の敵は総じて距離を取る。その為に駆逐艦達は被弾する割合が多く、大破状態となる事も常だ。

 艦攻や艦爆、艦戦の弾幕を潜り抜けるというのは初心者に出来る事ではない。ましてや相手はフラグシップも居る。制空権の確保だけでも正規空母は二名か三名必要になるだろう。

 

「……っと、こんなもんか」

 

 ――――その距離的優位性が簡単に失わされた。

 何かをする準備も、視認もさせず、江風は一体の空母の前に高速で出現し、手に持っている12.7cm連装砲B型改二を眼前に突き付けた。

 指を引く力も殆ど無く、あっさりと押されたソレに合わせて弾丸が発射される。

 回避は不可能だ。距離をほぼ零にまで詰められ、迎撃を行う前に砲弾は外に出ている。ならばどうなるのかなど想像に難くなく、爆発し炎上した軽空母をバックに彼女は振り返った。

 正しく悪夢。艦娘が求めた理想形であり、艦娘が最も戦いたくない相手の誕生だ。

 今までこのような艦娘が出現した例は存在しない。もしも存在すれば、これだけの戦闘力だ。

 流石に鎮守府に所属していた者達であれば知っている筈であり、こうして知られていない以上彼女の変化はこれまでの全ての例に当て嵌まらないものとなる。

 であれば、特別だ。彼女が江風であるというのは判明しているし、実際会った事がある者も居る。

 変化した姿自体に響は驚いた訳ではない。その異質さに驚いている訳である。 

 ならばこの機会に繋ぎを作れれば、確かな力になるだろう。川内達の一件が故にこうなってはしまったが、それならそれで彼女達にもっと重い罪を乗せれば、合理的な視点を持つ江風の事だ。

 彼女一人ならばこの海域からの離脱は可能になるだろうけれども、木曾が居る事によって此処に留まらなければならなくなる。

 今後数が増えるのは確実だ。放置すれば放置する程に敵が湧くのだから周辺の討伐は必要となり、結果的に見れば江風は此処に釘付けも同然。

 時間はあると響は結論を下した。もっとも彼女の考えている事は、数時間後には全て無駄になってしまうことだったが。

 

「――木曾、無事か」

 

「…………え?」

 

 またも一瞬。今度は撃沈した軽空母からかなり距離のある木曾の隣に出現。

 いきなりな現れ方に彼女は唖然とした答えしか出ず、横を向いた先に居る江風はその反応に苦笑した。

 その笑い方が今までの彼女と被る。木曾の目には、変化する前の彼女の姿が幻影となって見えていた。

 変わってなどいない。姿形は変化してしまったが、内面はどうにも前のままだ。それが木曾にとってどれだけ嬉しいのかを江風は知らないまま、彼女の意思を無視してそのまま横抱きにした。

 

「取り敢えずは一旦島に戻すぞ。今のお前じゃ運悪くって可能性も否めないからな」

 

「だからっていきなりコレはどうよ。正直少し気恥ずかしいんだが?」

 

 そうか?と微笑む江風は、少しばかり男らしさが増していた。 

 女性に対して男らしいと言っても褒め言葉にはならないので口を噤むが、咄嗟の行動に彼女の頬は少し赤い。されど江風の腕の中は安心出来るのか、無意識の内にその身体を奥深い位置にまで移動させていた。

 移動には十秒も要らない。瞬き一回をする頃には島は目の前まで迫り、次の瞬きではもう地面に到着している。

 片腕の損傷が酷い彼女をそのまま座らせるように降ろし、またなという一言と共にその姿を戦場に戻した。

 これにより木曾の無事は確保。江風にとっての今回の目標の一部が達成されたので、残るは敵の殲滅だけだ。

 響の隣に出現し、ようと彼女は片手を上げる。

 まだ空母系が居るというのに呑気な発言であるが、圧倒的優位であるからこそこんな真似が出来るのだ。

 大胆と言うべきか、それとも馬鹿やろうと罵るべきか。

 いや、解ってやっているのだろう。急に大物感を出し始めた彼女に、若干の冷や汗を流しながら響は口を開いた。

 

「呑気だね。まだ敵は居るよ」

 

「解ってる、だから直ぐ終わらせるよ。……響、これが終わったら話がある。今後についてだ」

 

「良いよ、私も色々話したい事が増えたからね」

 

 互いに思う事は一つ。

 どうやって相手を仲間に引き入れるかだ。響は純粋な戦力を欲しているが故に、江風は自身の嫁に頼まれたが故に、双方の行き先は今だけは共通している。

 最終的には道は逸れてしまうかもしれないし、そうはならないかもしれない。

 思っている事を吐き出して、妥協し合えば良い道を開ける時もある。尤もそうなった場合の一番の障害となるのは川内と皐月になるが、この姿の江風を見て手を出そうとは流石に考えられないだろう。

 空母達が艦載機を次々と発艦させていく。これで全てを終わらせると言わんばかりに残っていた艦載機が空へ飛び始め、さながら群れで行動する虫が如く黒に染めていた。

 その全てを突破するのは、響には少し難しい。最高級の装備を持っていたとしても、それでも限界はあるのだ。

 駆逐艦一人で戦況を変えるというのは反則でもなければ絶対に行えない。

 ならば起こせば良い。それだけの戦力は今此処に出現しているのだから。

 咄嗟の判断であるが、響は江風に己の高角砲を投げ渡した。海に浸ればそれだけで貴重な装備が痛むというのに、彼女は何も言わずに投げたのである。

 されど江風は自然に片手で一つずつ手にし、代わりに己の唯一の主砲を投げ渡す。

 装備の交換は済んだ。故に残るは――――蹂躙のみである。

 

 艦載機が全速力でもって彼女に殺到。

 残った全ての火力を集中させての飽和攻撃をしようと言うのか、爆弾を抱えた艦載機は戦艦を五隻は沈められる程である。それを冷静に見て、彼女は初めての装備を何の違和感も無く使用した。

 最初は一体。次に二体。三、四、五、六、七、八、九、十。

 当てるのが難しいとされる艦載機を難なく当て、その驚異的な命中精度によって次々と黒い塊は海に落ちた。

 江風の動きは加速していき、最終的には残像を残すようになり、最早そうなってしまえば通常の手段で捉える事など不可能でしかない。

 四十、と江風は呟く。高角砲は無茶な動作に悲鳴を上げ、江風の艤装内に居る妖精達は高角砲に祈りを捧げていた。

 速度を極め過ぎているからこそ、武器の方が追い付かない。

 規格が合っていないのだ。今の江風に、この秋月砲は遅過ぎる(・・・・)

 だからこそその遅さを補う為に江風が狙うのは爆弾部分。撃ち抜き、爆散させれば周囲の艦載機も纏めて落とせる。

 弾の節約を考えていないが、本体は貴重だ。

 江風自身それは重々承知の上で、気にして扱っている。そして限界を見極めるのは妖精の仕事だ。

 妖精が無理と白旗を内部で上げる。それだけで江風は使用を止め、今度は艦載機を踏みつぶしながら上空から空母に襲い掛かった。

 気付かれる前に空母の頭部に踵落としを行い頭部を破壊し、近くの別の空母に肉薄して心臓部分を拳で殴る。

 風穴の開いた身体を空母は一瞬認識出来なかったが、その数秒後に血を吐き出し断末魔の雄叫びを上げて息絶えていった。

 そうなれば最早艦載機などあってないようなもの。残る空母一隻と軽空母二隻を討ち取らんと彼女は駆け出し、敵戦艦はほぼ完全な予測だけで全ての味方空母の近くに砲撃を放っている。

 見えないからこその砲撃だが、その判断は悪手だ。

 彼女は飛び上がった水飛沫を片手で払い、そのまま軽空母の頭部をアッパーで強引に千切った。

 更に彼女本人の動きが周囲に露見される前に変化後に持っていた魚雷を戦艦側に放つ。水飛沫が多いが故に酸素魚雷というのは発見され辛く、一隻の大破状態の戦艦はそれに諸に当たり爆発した。

 

 落ちる、墜ちる、次々と落ちていく。

 艦載機では止められない。主砲でも止められない。黒い悪魔となった彼女に敵う相手は存在せず、技術も何も無い力技だけで沈められていく。

 恐ろしい光景だった。まるで此処だけ物理法則が適応されないような、そんな異次元世界だ。

 いっそこれが夢であればまだ安心が出来た。世の中は何も狂っていないのだと思え、皆にとっての日常が続いていくものだと信じられたのだ。

 けれど、今日この日から全ては崩壊する。既存の枠は容易に破壊され、残るは新たな法則のみ。

 書き換えられた現実に、さて艦娘達はどう足掻くのか。

 新たな脅威に深海棲艦と海軍はどう立ち向かうのか。

 それはまだ誰も知らない。未来を見通す事など出来はしないのだから。

 

『――――』

 

 唯一解るのは江風の背後に立つ瓜二つの赤い影。

 戦闘を行う彼女の背中を狂気を孕んだ目で見つめ、身体は時折震え、尋常とは思えぬ姿を晒している。

 それを誰も見なかったのは運が良かったのか、それとも果たして運が悪かったのか。

 木曾が見れば即座に砲撃を行っただろう。響や古鷹が見れば嫌悪し、残りの四人もおよそ良い反応は示さなかったに違いない。

 そう、全ては狂っている。最早元通りにはならないのだ。

 




 朝潮育成間に合わなかった。江風優先にしてると他が疎かになるね、仕方ないね。

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