白夜叉との対話を終えた私は、“ノーネーム”が本拠を構える場所への帰路へとついた。
空間把握能力の高い私だ。
口頭で説明を受けただけだったが道に迷うことなどなかった。
しかし、“ノーネーム”が置かれている状況をありありと見せつけられた瞬間。
道に迷っていればと、間違っていればいいと、そう思わずにはいられなかった。
朽ち果てた木々。破損した家屋。忘れ去られた時間を刻む時計。手にするものの居なくなってしまったティーセット。
忘れ去られた過去の栄光。
美しく整備されていたはずの街路は砂に埋もれ、街路樹は石碑のように薄白く枯れている。
たった3年しかたっていないというのに、もう手の届かぬ場所にあると思い知らされる。
手にした枝が砂に還った瞬間、私は唇を噛まずにはいられなかった。
ありありと思い知らされる。
私を倒した彼らは敗れ、負けたのか。
私と同じ魔王の手にかかり、その旗と名と、仲間すらも失った。
多くを失った彼ら。
その原因の一端を担った私が愚かしくも嘆いているとき、彼らの忘れ形見がちょうど現れたのは何の偶然か。
「山田さん。お待ちしていました」
私を待っていたのだろう。ジンの姿が目に入る。
体型に合わないぶかぶかのローブ。
なぜだかそれが無性に悲しくて、
「黒ウサギが色々と聞きたいことがあるみたいなのですが、“サウザントアイズ”でなにか――」
「なぜ」
「――山田さん?どうかしましたか」
思わず漏れた本音を、止めることも忘れ膝をつく。
風すらないこの場所で不快に感じるものはない。
なにもない。
まるで私ではないか。
あらゆるものを失ってしまったこの場所は、私のような空っぽの化け物が相応しい。
断じて、彼らのような、ジンのような輝きが居るべき場所ではない。
だというのに、なぜ彼らが敗れ負けたのか。
原因はわかっている。私が悪い。
しかし、それでも私は、彼らに勝ってほしかった。
そんな感情は真実。
だが、同時に漏れ出す本音を確かに私は耳で聞いた。
「なぜ、私ではなかったのか」
彼らを倒すのがなぜ私ではないのか。
そんな身勝手な文句もまた、私の本音に他ならない。
私に勝っておきながら、私以外には負けることを許したのか。
「それはずるい」
私も彼らに勝ちたかった。
届かぬその輝きを手にしたいと願ったはずなのに。
私には許されず、私ではない誰かに許された。
ああ、なんだそれはふざけるな。
破壊の音が鳴る。私は立ち上がった。
砂が吹き飛び、埋もれていた街路が砕ける。
「わわっ、突然どうしたんですか。危ないじゃ――」
「“魔王”」
「―――え?」
名も知らぬ魔王。
「私はお前を許さない」
輝きを砕いたお前を私は許さない。
「山田さん。・・・ありがとうございます。そういってもらえるだけで僕は――」
ジンの唇に人差し指を当て、首を振る。
違う。そうじゃない。
「それは私のものであるはず。私が手にするもののはず」
後悔。懺悔。苦悶。それは私の原罪だ。
この砕けた街路のように敗者の末路は無残なものだ。
彼らが居なくなったこの場所で、私は唇をかみしめることしかできない。
だが、君は違う。
「ジンが手を伸ばすものは、他にある」
手を伸ばしたところで届かないかもしれない。
全てが無駄な努力になるかもしれない。
それでも、
「私は君に頑張ってほしい」
私は敗れ、負けた。
彼らも負け、失った。
「君は勝ち、取り戻せ」
そこまで言って、私は我に返る。
私は一体なにを言っていたのか。
彼らの敗北。
話には聞いていたが、自分の眼で見て確かなものだと受け入れて。
少し感傷的になり過ぎていた。
傷つく心のなどない。空っぽであるはずの怪物。
こんな私は私ではない。
「すまない。変なことを言った。―――ジン、君はどうして泣いている」
謝罪しながらジンの顔を見れば、そこから零れる涙。
どうして泣いている。私のせいでつらい記憶を思い出させてしまったのか。
その問いにジンは小さく首を振る。
「十六夜さんにも、似たようなことを言われました。これまで黒ウサギに頼っていた分、これからは僕が頑張らなきゃいけない。それなのに、どうして、僕は泣いているんですか」
それを聞いたのは私だ。君の涙の理由を私は知らない。
それがわからないこそ、私は―――。
影が蠢く。輝きに焦れあさましく蠢くその影を、私は必死に押しとどめる。
ジンになろうとする私をジンに力を貸すといった私が押さえつける。
影として光に焦れるのはわかる。自分を否定する私ではない。
だが、ブロッケン山の怪物。
いまは、眠っていてくれ。
“羨望”を押しとどめ、“希望”(ジン)を守りきる。
ああ、だというのに
「っっ、っぅ」
零れ落ちるその涙が、私には美しいものとしか映らなかった。
泣いているジンを慰めることもできず、立ち尽くすだけの私の姿をいつまでも夜に輝く星が見ていた。
まるで責めているように、その日の星は輝く。
―――――✠―――――
コミュニティには商業や娯楽施設を置く自由区画。寝食や菜園・飼育などをする居住区画の他に『ギフトゲーム』のためだけに用意された区画。舞台区画というものがある。
大規模な『ギフトゲーム』を行う際、白夜叉のように別次元にゲーム盤を用意できる者は極めて少ない。
そのためある程度の規模を誇るコミュニティはそれぞれ大規模な『ギフトゲーム』を行うための区画を保有している。
“ノーネーム”と“フォレス・ガロ”の誇りと存命を賭けた戦いは、“フォレス・ガロ”の保有する舞台区画で行われることとなる。
その通達を伝えてきた黒ウサギの耳は不安げに揺れていた。
「相手の決めた『ギフトゲーム』を相手のテリトリー内で行う。これほど危険なことはありません。しかも相手は、外道に落ちた“フォレス・ガロ”。黒ウサギは不安でいっぱいです。正直に言えば、今からでもゲームを中止してほしいくらいです」
しかし、と黒ウサギは続けた。
「皆様が黒ウサギの言うことを素直に聞いてくれないことくらいわかっています。ですので――」
黒ウサギはお腹のあたりで腕を組むと、
「皆様、お気をつけていってらっしゃいませ!黒ウサギは皆様のお帰りを心よりお待ちしております!」
見惚れるほどのお辞儀をした。
「「「「行ってきます」」」」
純粋な心配と信頼。
そして軽薄に笑う十六夜に見送られながら私たちは指定された舞台区画への門をくぐる。
「真央さん。この戦いが終わったら色々と聞きたいことがございます」
小さく零れるその声を、聞き逃す私ではなかった。
ゲームスタート。
――ギフトゲーム名『獣を狩るもの狩られるもの』
・プレイヤー一覧 久遠 飛鳥
春日部 耀
山田 真央
ジン=ラッセル
・クリア条件 ホスト側のリーダーの発見・討伐。
・クリア方法 舞台区画内に潜むホスト側リーダーを発見し殺害または無力化を行う。
全てのプレイヤーへの拷問・尋問は禁止。
・敗北条件 降参または参加者側プレイヤー全員の脱落。
宣誓 上記を尊重し、誇りと御旗の元“ノーネーム”はギフトゲームに参加します。
“フォレス・ガロ”印
―――――✠―――――
「山田さん危ない!」
ジンの叫びのすぐ後に、ガチンッと金属音が響き渡る。森林に潜んでいた鳥たちが、その音に驚き飛び去っていくのを眺めながら、私はまたかとため息が漏れるのを止めることはしなかった。
「怪我はないわよね」
「ああ、こんなトラップに引っかかる私ではない」
心配ではない。
当然だろうと聞いてきた久遠の問いに足元に設置された虎バサミ蹴り、道を開きながら私は答える。
「いくらトラップを解除するためとはいえ、あまり無茶はしないでください」
「無茶ではない。耀が様子見に言っている以上、私が先頭を歩くことに否はなかったはずだ。私が前を歩く限り、君達に被害はない」
森林に張り巡らされたトラップによる被害を防ぐため、隊列を組み歩く私達。
その先頭を私は歩く。
「けど、僕には山田さんが進んでトラップを発動させているようにみえます」
後ろを歩くジンが不満そうに言う。
「・・・」
トラップが発動する前に解除することはもちろん可能だが、あれは意外と面倒だ。
発動したトラップを解除する方が楽なのだ。
「別にいいじゃない。現に私たちは今まで被害を受けずに進んでこられた。トラップに関する知識が残念ながらない私たちは、今は山田さんの言うとおりに動くべきだわ」
最後尾の久遠にそういわれては、ジンは渋々わかりましたと頷くしかなかった。
それでいい。私を心配してくれるのは嬉しいが、その心配は無用だ。
この程度のトラップをもろともしないものこそ私だ。
こんなつまらない場所で久遠とジン。
二人の可能性を傷つけるわけにはいかない以上、この行軍の形態が最も適切。
「ありがとう、久遠。ジン、心配をかけてすまない。しかし、今は先を急ごう」
「はい」
「ええ」
ゲームが既に始まっている以上、時間を浪費することは得策ではないことが分からないジンではない。
久遠と共に返事をしながら、私の後に続き歩く。
森林の中、少し開けた場所で私たちは先に木々の枝を渡り偵察へと出ていた耀と合流した。
さまざまな動物の恩恵を受ける耀は相当に身軽い。
影である私以上に、彼女はこのフィールドに適している。
だからこそに選んだ斥候。その役目を耀は見事に果たしてみせた。
「この先も罠がたくさん仕掛けられている。その先に怪しい洞窟があった」
「ガルドの姿はあった?」
「うん。姿は見えなかったけど、影が見えた。動物にしては大きすぎたから、たぶんガルドだと思う」
怪しい洞窟。リーダーの発見。
私達はようやく『ギフトゲーム』の行程の半分を終えた。
此処まで来てしまえば、もはやクリアは時間の問題だろう。
と、油断し安心する私ではない。
「山田さんもそう思いますか?僕もやはりこの『ギフトゲーム』はどこかおかしい気がします」
頭に手を当て、不安を口にするジン。
それに文句をいうものは誰もいない。
ああ、そう。その通りだ、ジン。
耀や久遠もまた、違和感を感じているのだろうジンの言葉にうなずいた。
手応えがなさすぎる。
容易過ぎる勝利は得てして敵から掴まされる毒蛇であることが多い。
「自分たちの“コミュニティ”(すみか)を賭けた戦いで、一度も戦わないなんて流石におかしい。“フォレス・ガロ”のメンバーはなにをしているの?」
「それに森林に仕掛けられているトラップの数が異常です。これじゃあせっかく自分たちのテリトリーである森林をゲーム盤に選んだのに、“獣”のギフトを持つ彼らの動きも制限されてしまいます。奇襲を仕掛けることもできない」
「獣にそこまで考える知恵がなかった。という話なら楽なのだけれど、流石にそれはないでしょう。あの外道のことよ、何かとんでもなく卑劣な罠を仕掛けているのかもしれないわ」
「卑劣な罠。また、“人質”?」
「・・・考えられなくもありませんね。傘下に収めたコミュニティからまた無理やり子供を差し出させて、洞窟の奥で待ち構えているのかもしれません」
前例がある分、やりかねない暴挙。
ガルド。私は同じ過ちを繰り返す君を見たくはない。
出来ることならば、君には森の王者として勇ましく襲い掛かってきてほしい。
そうしてくれるというのなら、負け敗れた時この身を君に喰われることに否はない。
私は君を称賛しよう。
「どちらにせよ、私達に進む以外の道はない。行こう」
小さな不安を抱きながら、私たちは行軍していく。
そして、洞窟の前までたどり着いたところでようやくゲームの局面は変わる。
感想、質問などがありましたらお気軽にお聞かせください。