東と北の境界壁の向こう側。四000000外門・三九九九九九九外門の上空から見下ろす北街の姿は東とは全く違う趣を持ったものだった。
東と北を区切る、天を衝くかというほど巨大な赤壁から掘り起こされた鉱石で彫像されたモニュメントに、ゴシック調の尖塔群のアーチ、聳える巨大な凱旋門。
はるか上空から見下ろせば尚更鮮やかに写る色彩鮮やかなカットガラスで飾られた歩廊には私も『魔王』として活動していた頃に何度も心奪われた。
故、簒奪しようとこの区域を仕切るコミュニティ”サラマンドラ”の当時の頭首に何度も『ギフトゲーム』を挑んだのは良い思い出だ。彼ら”火龍”の持つ影を根こそぎ照らす業火や影を屈服させ蒼空を舞う羽を思い出すたびに気分が高揚する。
偉大であり強大であった彼らに羨望の念を抱くことに否はない。
惚れっぽい私だ。その高嶺の花の影を真似て戦ったことも幾度もある。
そう言えば、”---”、彼らとの戦いにおいてもまた、私は純血の龍種の影を写し取り戦っていた。
それほどまでに当時のわたしは龍種(かれら)に対して恋い焦がれていたのだろう。
再び『箱庭』の世界にやってきて初めて訪れた北側の情景にそんな昔のことを思い出す。回顧に意味がないなどと面白みのないことを言う私ではない。この感傷もまた私が尊ぶ物の一つに他ならない。
しかし、そんな回想は”飛ぶ”空より遥か下の大地に立つ5人を見つけたことで終わる。それは正面の遥か遠くにある時計塔から全力で跳躍してくる黒ウサギも同じだろう。
---思考はしめやかに切り替わる。
―――――✠―――――
「追ィついた---ジィイイイイいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいン!]
「見ィつけた---のですよおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!」
ドップラー効果の利いた絶叫からバゴォン!!と爆撃の様な着地。その音に跳ね上がる十六夜達、問題児三人。隣に立つ我が同志、黒ウサギは緋色の髪を戦慄かせ怒りのオーラを振りまきながら仁王立ちしている。
ふふ、黒ウサギよ。君の怒りが理解できない私ではない。誰よりも”コミュニティ”を大切にする君は十六夜達が手紙に書いた”脱退”という言葉が許せないのだろう。けれど、それがやり過ぎているとはいえ、十六夜達の悪戯と分からない君でもあるまい。
だから、こうして彼らに追いついた今、その噴火の様な怒りを少し沈めて、私の様に年長者の余裕で笑顔の一つでも浮かべてみてはどうだろうか。
「ようぉぉぉやく見つけたのですよ、問題児様方………!」
「ふくく。まあまあ、黒ウサギ。そう怒るのはよそう。追いついてよかったじゃないか」
私達二人の登場のショックから覚めた十六夜達はジンを巻き込み四人で円陣を組んで何やらボソボソと内緒話を始めた。
「…黒ウサギ、怒ってるね」(ボソ)
「…当然です!”脱退”なんてそんな…いくら温厚な黒ウサギでも怒りますよ」
「…いえ、それよりも怖いのは真央さんよ。笑顔に浮かんだ影がとてつもなく怖いわ。私達の冗談が通じなかったのかしら?」(ボソ)
「…ヤハハ、違げーよ。真央の奴が怒ってるのはジンを連れてアイツを置いていったからだ。だから、こうしてジンを捧げれば真央の怒りは治まる」
「…へ?捧げって、なにを--って、うわぁ!」
どういう訳か円陣から弾き出されたジンが私達の方へと飛んできた。黒ウサギが反応するよりも早く、私は飛んできたジンを向かい合う形で抱き留めた。
「ジン、大丈夫か?」
「は、はい。ありがとうございます。真央さん。………ちょあ!?」
ジンに怪我がなくて良かったと安堵していると突然ジンが奇声を上げて顔を紅潮させた。
「ジン、どうかしたのか?」
「あ…あの…あ…あ…あせ…汗が…」
「汗?ああ、君たちを追って急いできたから、流石の私も少し汗を掻いてしまった。すまない。不快だったな」
「い、いえ!そんなとありません!…むしろ、いい匂いですし…て!?じゃなくて!!」
私を気遣い声を荒げるジン。その様子を嬉しく思わない私ではない。
しかし、ジン、相変わらず君は地面に這いずる影である私に対して聊(いささ)か優しすぎる。影である私を、かつて君の愛した輝きを砕こうとした私を、傍に置いていてくれるだけで、もう十分だというのに。これ以上、優しくされても、もう私には君に返せるだけの価値のあるものがない。私はもう身も心も屑星(きみ)に魅入られている。
私は顔を赤くして慌てるジンの頭を撫でる。
「ジン、どうした?落ち着いて話してほしい」
「ま、真央さん。いえ、その、えっと」
ジンが落ち着きを取り戻したのは自分の御蔭だなどと驕り高ぶる私ではない。
しかし、ジンは深呼吸をした後でゆっくりと話し始めてくれた。
「…真央さんの服が…汗で、少し、その、透けています。…真央さんは、その、その服の下に…し、下着などは…き、着ていないんですか?」
「服が透けている?」
はてと私は自分の姿を客観的に見る。私が着ている服は再び『箱庭』の世界に来た時と同じもの。つまり、所謂学ランと呼ばれるごく普通の男子用の学生服。私はその服装を影であり移ろい往くものである”ドッペルゲンガー(わたし)”が”山田真央(わたし)”であることを自己認識できる道具の一つとして常日頃から愛用していた。
まあ、今は十六夜達を追う為に全力で動くと思い上着を着てはいないが、それでも黒ズボンに白いワイシャツ。どこに出してもおかしくはない男子学生の正装である。
「そうか、ワイシャツが透けているか。しかし、ジン。別にこれは良いんだ」
「いいんですか!?」
「ああ、確かにワイシャツの下に下着を着る者もいるが、着ない派に属する私だ。だから、別に下着を着けていなくても問題な--「--何ナチュラルに露出狂発言してやがりますですかこのお馬鹿様は--っっ!」--ぎゃふぅ!?」
『箱庭』の世界で生きるジンには学生服というものに馴染みが無いのだろうと、私が前に居た世界での常識を話していると突然黒ウサギに後頭部をハリセンで強打された。
「く、黒ウサギ、君はいきなり何をっ!」
「何をじゃあられませんですよ!常時裸ワイシャツ!?変態色情ペドフィリアの上に露出狂とか貴方様はどれだけハイスペックな変態様でありやがるのですかーー!?」
「ろ、露出狂!?何を言っている!!確かに女性で下着を付けないのは聊か拙いが、ワイシャツの下に何も着ないの普通だろう!!私はおと---「のう。盛り上がっているところ悪いんじゃが」---どうした?白夜叉」
「何でしょうか!白夜叉様」
高ぶる私達を止めたのは今まで静かに二転三転する状況を見守っていた白夜叉だった。白夜叉は扇子で展望台から望む光景に広がる街並み、自由区画の商業区の方向を指しながら言う。
「おんしらが揉めておる間に彼奴ら三人が何処かへ逃げていったが、良いのか?」
「「なっ---!?」」
私と黒ウサギは同時に先ほどまで十六夜たちがいた場所を見るが、そこにはもう彼らの影一つ無かった。
「ふ、ふふ。フフフ」
その現実に遂に黒ウサギが壊れた。今まではかつての仇敵である私がいる手前、何とかギリギリ冷静さを保っていたのだろうが、その堤防は前代未聞の問題児たる十六夜達の再びの逃亡という暴挙によって崩壊する。
「真央サン、白夜叉様。ジン坊チャンノコトヲ御願イ致シマス!黒ウサギハ問題児様ヲ捕マエニ参リマスノデ!」
どこかぶっ壊れ気味で笑う黒ウサギ。
私と白夜叉は共に若干怯えながら頷くしかなかった。
「ぬっ………そ、そうか。良く分からんが頑張れ黒ウサギ」
「あ、ああ。ジンのことをは任せてくれ。後は頼んだ、黒ウサギ」
「はい!」
展望台からジャンプする黒ウサギ。跳び去っていく後姿を二人で見送った後で白夜叉は私に問いかけてきた。
「うむ。行ったか。しかし、黒ウサギにはああ言われたが、おんしは本当に彼奴ら三人を追わなくてよかったのか?」
「私が追う必要はないよ。幾ら十六夜達とはいえ、相手は”箱庭の貴族”であり、帝釈天の眷属である”月の兎”。恐らく直ぐに捕まることになるだろう。無論、十六夜に耀に飛鳥。時代の新生児にして無謬の恒星たる三人の輝き(チカラ)を侮っている私ではない。しかし、今回は相手が悪かった」
黒ウサギの普段の十六夜達の悪戯に四苦八苦する姿からは窺い知れないが、その秘めた身体能力と戦闘能力は恐らく私以上。現に私が『背後から差す魔王』であった頃のあの戦い、”---”との長らくの戦いの中で、私は黒ウサギと正面からぶつかった際、幾度も敗走している。
「黒ウサギが”任せろ”といった。そして、私にジンを”任せる”と言った。ならば、私も”任せ””任されよう”」
「ふむ。なるほどのぅ。黒ウサギからすればおんしは決して許せる存在ではない。実はコミュニティ内でおんし達は上手くやれてないのではと、心配していたのだが、要らぬ心配であったな。信頼関係は築けておるのか」
「そうだとも………と胸を張れる私ではない。不甲斐ない限りだが、私が黒ウサギやレティシアの厚意に甘えているだけだ」
「それもまた信頼の形だろう?胸を張れよ。少なくとも私の眼には黒ウサギはおんしを信頼しているように映った。黒ウサギはおんしを信頼しておるよ。でなければ、ジンを頼んだなどという言葉は言わんだろう」
「…本当に、そうだろうか」
愛を愛し、希望を尊び、勇気を称えた『背後から差す魔王』。
「憧れたモノの一つに信頼(それ)は確かに存在した。しかし、かつての私はそれを心の底からそれを信じられず、持っていなかったからこそ憧れた。それは今の私もそう変わらない。…なにより、私自身が私自身を信じられない。こうして腕に抱くジンを私は裏切りたくなどない。しかし、私の怪物しての性が”裏切り”という言葉を忘れることはない。それにより得る甘美を、私は知ってしまっている」
「………よいのか、真央。おんしはジンにはその正体を隠していた筈。おんしの胸に居る小僧は年相応以上に頭が切れる奴であろう」
囁くように、労わるようにそういう白夜叉の優しさが身に染みる。彼女は私のことを想ってくれていて、私がジンに対して自分の正体を隠していることを察してくれていた。
思わず吊り上がる口角を私は止めることはしなかった。
私と白夜叉の会話は勿論、私の腕の中にいるジンの耳にも届いている。
白夜叉はそのことを心配してくれた。聡明なジンは私達の会話の中で私がジンに隠してきた影の正体に気がつくだろう。それでいい。私にはもうジンに正体を隠す気はなかった。
全てを悟ったであろうジン。声どころか身動ぎ一つしないジンの中でどれほどの葛藤が渦巻いているのだろうか。私はジンの身体を強く抱きしめる。君のその苦闘すら、美しく愛しいと感じてしまう私はやはりどうしようもなく怪物だ。
「……ジン、私はずっと悩んでいた。何時、君に打ち明ければいいのかと。そして、悩み続けることも出来ない弱い私だ。こうして勢いのまま君に真実を悟って貰おうなどと、私は本当にどうしようもなく弱い。---しかし、」
私は抱きしめていたジンの肩を持ち引き離す。ジンの眼を見る為に。ジンの判断を知る為に。ジンの肩に触れている手が震えていることを隠す私ではない。
『背後から差す魔王』と呼ばれた私が、箱庭最凶と呼ばれたコミュニティ”ワルプルギス”を率いた私が、小さな人間族の少年に心の底から怯えている。
ああ、なんと滑稽で、なんと現実だ。
「---ジン、私は、私は、君が求めてくれるなら!」
私は恐れながらも、私の腕から解放されたジンをみた。
ジン。君は、私の過去(しんじつ)を知って、なんと言ってくれるのか。
ジンは顔を上げる。ジンは---
「………きゅぅ」
---顔を林檎のように赤くさせ、湯気を上げながら気絶していた。たらりと、鼻から少し血が流れる。
「………な、じ、ジン!?」
ジンの尋常じゃない様子に私は混乱に落ちる。
「ジン!?どうした!?”黒ウサギに後頭部を強打されて以降、君を守る為に私が君を私の胸部に当たる形でしっかりと抱きしめている間に何があった!?”」
ジンからの反応はない。ジンは幸せそうな顔をして気絶していた。
「白夜叉!?これはどういうことだ!?」
混乱する私を諭すように白夜叉は言う。
「どうもこうもなかろう。はぁ、どうやらジンはおんしの告白を聞いてはおらんかったようだ。それが良かったのか悪かったのか、私としても何ともいえぬ微妙なラインじゃが、まあ、今はまだおんしの正体を明かす時では無いという事だろうよ。取りあえず”サウザントアイズ”の支店にジンを運ぶぞ。その内に目を覚ますじゃろう」
「あ、ああ。わかった」
私はジンを抱え、白夜叉の案内の元で”サウザントアイズ”の支店へと向かっていた。
―――――✠―――――
かつて私がまだ二つ名を持たずに、ただの魔王として黒猫一匹を連れて『箱庭』の世界を流離っていた時代。影である私の背後を追いかけてきた”少年”が一人いた。
齢10歳くらいの容姿をしたその”少年”は一冊の”絵本”を抱えながら泣き腫らし、嗚咽の混じった声で私に声をかけ続けていた。
--助けてください--
--助けてください--
--どうか助けてください--
”少年”は呪詛に飲まれていた。その身を呪いによって侵され、半身は既に異形のものへと変わり果てていた。身を魔に喰われる苦痛に苛まれながら懇願し続ける”少年”を私は黒猫を愛玩しながら足蹴にした。
若気の至りなどという言葉で、その凶行を有耶無耶にする私ではないが、しかし、私は文字通りに身を平伏する”少年”を蹴り飛ばし無視した。
当時の私は”少年”のことを無様だと思った。くだらないと烙印を押して通り過ぎた。
”少年”がどんな理由で呪われたのかはわからない。
けれど、その手に抱えていた”絵本”がどういった類のものかは察せられた。
呪いはその”絵本”から発せられている。
欲望と呼ぶにはあまりに増大過ぎるその意思。それが差し示す意思は東洋における蠱毒や狗神にも劣らぬ邪法の類で、愚法でしかなかった。
あるいはその”絵本”さえ手放してしまえば”少年”の身を異形のものへと変えている呪いは解けるのではないかとすら思った。
だから、私は蹴り飛ばした少年が握る”絵本”を踏みつけようとした。
それを止めたのは---”少年”だった。
未だ若輩のみであったあの頃の私は、今思えば恥ずかしさのあまりに顔を覆ってしまうことだが、愚かにも”少年”に問いかけたのだ。
『お前は一体、なぜその本を手放さないのか』と。
『そう迄(まで)して得たい栄華があるのか』と。
『その身に余る奇跡を望むのか』と。
『可能性を封じ込めたる弱者よ。お前は何を望むのか』と。
そう問う私に”少年”はただ繰り返すだけだった。
--助けてください--
--助けてください--
--どうか、助けてください--
--どうか、助けてください--
繰り返される言葉にいい加減に飽き飽きしていた私は、そんなに苦痛から解放されたいのなら私の影に取り込んでやろうとした。
そんな私の愚行を止めた黒猫の忠義には、今でも頭が下がる思いだ。
私が”少年”に伸ばした影を止めた黒猫は、にぁあと鳴いてニヤリと笑った。
少年は繰り返す。
--助けてください--と。
身体の半分以上を異形のものへと変化させた”少年”は、もはや呂律など回らぬのだろう、段々と抑揚の無くなっていく間の抜けた声でただ--助けてください--と繰り返した。黒猫に止められた私は、なぜ黒猫がそんな真似をしたのかを理解する為にその声をただずっと聞き続け、そして六百六十六日ほどが過ぎ”少年”の発する言葉が--助けてください--から--助けてあげてください--に変わったとき、私は”彼”に心打たれた。
--助けてください--
--助けてください--
--どうか助けてください--
--どうか助けてください--
--どうか、助けて、あげてください--
--僕の妹を--
私は感涙し嗚咽しながら彼を抱きしめた。危うく手放しそうになった彼を、今にも崩れ落ちてしまいそうな彼を外圧から守る為に抱きしめた。
その瞬間に私はなぜ黒猫が彼を庇ったのか理解した。
得難いものを見た私は黒猫に感謝しながら、彼に影を伸ばす。
もう私は彼を私の影の中に溶かそうなどとはしなかった。
放浪の旅の中で以前であったあの金色に輝く海の乙女と同じように私が率いる影の世界の一員として迎え入れようとした。
黒猫もまたそれを望んでいたのだう嬉しそうに尻尾を立てた。
それを止めたのは--彼だった。
彼はただ--妹を助けてあげてください--と繰り返す。
私は苦笑を浮かべながら彼の握る絵本へと手を伸ばす。
そして私は得難い眷属(もの)を得た。
「---これより得るべき教訓は、誰にでも失敗はあるということだ。かつての私の様に、一時の気の迷いによって宝石を砕こうとしてしまうことは、誰にでもある」
―――――✠―――――
気を失ったジンを”サウザントアイズ”へと送り届けた私はジンを一時的に白夜叉へと預け街と繰り出していた。
理由は勿論、逃げ出した十六夜達三人を捕まえる為に奮闘する黒ウサギを手伝う為である。
無論、箱庭の貴族である黒ウサギなら、先ほど白夜叉に説明した通り直ぐに十六夜達三人を捕まえることが出来るだろう。しかし、大切なジンを私が今の『箱庭』の世界で最も信頼する1人である白夜叉に預けた以上、だからといって動かないほど薄情な私ではない。
私程度の助力など黒ウサギには必要ないと理解しながらも十六夜達三人の捜索の為に街へと向かった私は、そこで露店のショーケースをジッと見つめる耀を見つけた。
どうやら黒ウサギから逃げる最中、耀は十六夜達と逸れてしまったらしい。
そんな理由で耀は1人で露店を見て回っていた。”火龍生誕祭”の祭囃子に浮かれながら歩き回っていた耀。
しかし、そんな彼女には一つだけ問題があった。
それは――所持金が少なかった。
お金を持っていない祭りほど空しいものはない。それを知らない私ではない。
遊ぶお金のない耀は「きゅぅ」と可愛らしいお腹の音を鳴らしながら露店のショーケースをジッと見つめていた。
悪魔に魂を売った虎を片手一本で捻り上げる”問題児”ではあるが、見た目は可愛らしい少女である耀をまさか無理やり店の前から退かすわけにも行かず困り顔で耀を見る露店の店主。
その様子を少し離れた場所から伺っていた私。
耀を観察する私を見つけた露店の店主。
露店の店主の視線を追い私を見つけた耀。
ジッと私を見つめる耀。
それが十分ほど前の出来事。
今、私と耀は賑わう歩廊に設置されたベンチに横並びで腰かけていた。
耀の手には勿論、露店で買ったクレープが握られている。私達はクレープを食べながら、事の経緯を歓談していた。
「君たちの冗談が通じない私ではない。けれど、流石に”脱退”は穏やかじゃない。黒ウサギが怒るのも、無理はない。それが解らない君じゃないだろう。どうしてこんな真似を?」
「それは………うん。少しだけ私も思った。だ、だけど、黒ウサギや真央だって悪い。こんな面白そうなこと、私達に隠してた」
「それは、そうだが。しかし、”ペルセウス”とのギフトゲームで多少の余力は出来たといえ、未だ”ノーネーム”は金銭的な問題を抱えている。白夜叉の配慮で君たちはこうして北側まで来れたが、本来外門同士を繋ぐ”境界門”の起動にどれほどの金額が必要になるのか、ジンから聞いていない君ではあるまい」
「それは………そ、そうだけど。それも、説明してくれたなかったのは黒ウサギ達。お金がないならそう言ってくれれば、私達もこんな強硬手段に出たりしないもの。それも含めて私達を信用してない証拠。少し焦ればいい」
珍しく拗ねたようにそう言う耀の言葉に、同意できない私ではない。
”火龍生誕祭”という北側の外門を上げての催し物があることを隠されていた、それを耀は怒っている。参加不参加は別として、耀は教えて欲しかったのだろう。
知らないということは、あまりに辛い。
耀が『箱庭』にやってきたその日に見せてくれた笑顔。自分以外にも三毛猫の言葉が解る者がいるという事に対する驚きと喜びに満ちたその表情を私は覚えている。
知るということは喜びだ。
その歓喜を味わい尽くそうとかつて私は影を広げ続け、『箱庭』の世界での影響力を高めもした。
故に知らされないという事。それも、仲間から教えてもらえなかったというのなら、激怒しても良いことだと私は思う。
「それについてはすまないと頭を下げることに異などない私だ。どうか、許してほしい」
「………真央はクレープを買ってくれたから、許してあげる」
「ありがとう。そして、なら私はもう一度、耀の優しさに甘えたいと思う。どうか、黒ウサギのことも許してやって欲しい。黒ウサギにも黒ウサギなりの考えがあって、君たちには”火龍生誕祭”のことを伏せていた筈だ」
「………それは、うん。それも、わかってる。私も”脱退”は少しやり過ぎたと思ってるし…御相子(おあいこ)」
「ありがとう、耀」
「うん」
私はほっと胸をなでおろす。黒ウサギも耀も今の私にとって掛け替えのない者。二人が仲違いする様など見たくない。
黒ウサギと耀の和解に安心する私だったが、耀は何故だか不安げな顔をしていた。
「どうかしたのか、耀?」
「………ね、真央。私はもう黒ウサギのこと怒ってないけど、黒ウサギは私のこと怒ってるかな?」
黒ウサギが怒っているかどうか。私が思いうかべるのは帝釈天の眷属というよりも仁王の化身と化しながら十六夜達を追っていた黒ウサギ。
「………怒っては、いるだろう。しかし、耀が何故あんな冗談を手紙に書いたのか、ちゃんと説明すればきっとわかって---」
そこまで言いかけて、私はそう言えばとズボンの後ろポケットに手を伸ばす。
そこには此処に来る前に白夜叉から受け取ったチラシが入っていた。
「---耀、よかったら、このギフトゲームに出てみないか?」
「ギフトゲーム?」
「ああ、白夜叉が祭りを盛り上げる為に”階層支配者”の火竜と共同で開催するらしい。優勝すれば強力な”恩恵”が貰えるそうだ」
「それと、黒ウサギが怒ってることと、何の関係があるの?」
「私が前の世界で学んだことの一つだ。謝罪する時には菓子折りを持って行くと良いらしい。父と母。そう呼んでいた矮小…いや、二人からそう教えてもらった」
「物で釣るの?」
「いや、その気持ちが大事らしい」
「そっか。ね、真央」
「なんだ?」
「その恩恵で………黒ウサギと仲直り出来るかな?」
幼くも端正な顔で、小動物の様に小首を傾げる耀。
それを見て私は表には出さないように気を付けながら、ああと、感嘆の声を漏らした。
ただ愛らしいという理由なら、私は此処まで耀に焦がれはしなかっただろう。
容姿などドッペルゲンガーの私からすれば、どうにでもなるもの。
だからこそ、愛しいと思ったのは耀の瞳に宿った小さくも暖かな温もりだ。
おそらく『箱庭』の世界に来る前には動物以外の友達があまり居らず、外界への興味も薄かった少女が、今、『箱庭』の世界で出会った黒ウサギと仲直りする為に瞳を私へと向けている。
思わず蠢く影を止めながら、私は極めて優しく微笑んだ。
「ああ、勿論だとも。君がそうしたいなら、きっと万事は上手くいく」
私がそうさせてみせる。
「そっか。それなら、出場してみる」
コクリと頷いて、クレープを食べ終えた耀はベンチから立ち上がる。
日は登り切り、昼は廻り、もう直に夜がやってくる。
私は夕焼けに照らされ伸びる影を確固たる意志で押しとどめながら、この優しい少女の力になろうと誓った。
『ギフトゲーム名”造物主達の決闘”
・参加資格、及び概要
・参加者は創作系のギフトを所持。
・サポートとして、一名までの同伴を許可。
・決闘内容はその都度変化。
・ギフト保持者は創作系のギフト以外の使用を一部禁ず。
・授与される恩恵に関して
・”階層支配者”の火龍にプレイヤーが希望する恩恵を進言できる。
宣誓 上記を尊重し、誇りと御旗の下、両コミュニティはギフトゲームを開催します。
”サウザンドアイズ”印 ”サラマンドラ”印 』
しかし、このルールだと私が使える恩恵(ギフト)は限られ、一つしかない。
”フォレスガロ”や”ペルセウス”とのギフトゲームでは使っていない恩恵(ギフト)を思いながら、練習しておこうと私は一人奮起した