再び異世界から問題児がくるそうですよ?   作:白白明け

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新たな戦いが始まるそうですよ?

箱庭二一〇五三八〇外門居住区画・“ノーネーム”農園跡地。強大であったノーネームの前身、“―――”。一都市に匹敵する人員を賄っていた筈の広大なその農地は最早見る影もなく見渡す限りの荒廃した白地の土地と化していた。

踏み出すたびに聞こえる砂を踏みしめる音を不快に感じながら私は奥歯を噛みしめる。

 

「………酷いな」

 

メイド服に身を包み、美麗な金髪を特注の水色のリボンで結った美少女。レティシアはしゃがみ込み、石と砂利しかない土壌をすくい呟いた。

 

「ここがあの農園区とは、にわかには信じ難い」

 

レティシアの隣で黒ウサギは沈鬱そうに顔を伏せる。

そして、それは私も同じだった。

 

「目を瞑れば思い出す。豊潤なる地に根付く数多の実り。それを糧に生きた者たち。私が焦れた、矮小な可能性、もはや見る影はない」

 

踏みしめる大地。かつては焦れたこの場所はなぜこうも今の私の心を苛立たせるのか。全てを壊してしまおうかと蠢く私の影を止めてくれたのは、レティシアの刺すような声だった。

 

「それを、それをお前が言うのか。“ブロッケン山の怪物”。お前もまた、この惨状を作った要因だろう」

 

その言葉は私の空っぽである筈の心をどこかを確かに抉った。

 

「………謝ることに否は無く、顔を伏せ、許しを乞うことしかできない私だ。だが、しかし、これだけは信じてほしい」

 

山田真央―私―の正体。目的。その真実を私は既にレティシアに晒している。故に君にとって『私を信じてほしい』などという言葉がどれほど滑稽に聞こえるかは理解している。謀略と背徳を司る、背後から刺す魔王。その咽からもれる『本当』という言葉の、なんと安っぽい響きか。

ああ、それでも、それでもと私はレティシアの瞳をみる。

 

「私は真実、悔いている。“―――”を、君達を、壊そうとしたことを自壊してしまいそうなほど、悔いている」

 

私が焦れた可能性。愛したかったあの輝きは他ならない私の手によって地に落ちた。私の虚ろな目に広がる荒廃したこの土地のように熱を失い乾いて果てた。

 

「それを信じろと?確かにお前は私がいない間、“―――”、“ノーネーム”に大きく貢献した。ジンを支えてくれたことも、黒ウサギから聞いている。しかし、三年前のあの戦いでお前が我が同士にしでかしてくれたことを忘れた訳ではない!」

 

黒ウサギやジン、十六夜達に向けられていた温厚な表情は一変して険しいものになり、レティシアは金と黒で装飾されたギフトカードから長柄の槍を取出し私に向けた。

止めようとする黒ウサギを私は手で制す。それを見たレティシアは目を細める。

 

「どういうつもりだ?まさか、神格を失った今の私ではお前を倒せないと思っているのか」

 

私は否と首を振る。

 

「“純潔の吸血姫(ロード・オブ・ヴァンパイア)”。たとえどれほど『格』を落とそうと、君が影を持たない夜の怪物であるだけで、君は私に届きうる可能性を持っている」

 

影たる私は影を持たぬモノには滅法弱い。影を踏めないどころか真似ることさえできはしない。

 

「ならば、なぜ抵抗しない?」

 

「さっきの言葉に異は無く、謝ることしかできない私だ。すまなかった」

 

ただただ頭を垂れて許しを乞うのみの私の情けなさ過ぎる姿にレティシアは困惑した様子で黒ウサギに助けを求めた。黒ウサギは小さく首を振ると曖昧な、何とも言えない表情でレティシアに語りかける。

 

「レティシア様。今の“背後から刺す魔王”、いえ、真央さんの言葉は真実であると黒ウサギは愚考いたします。少なくとも今のこの人には“ノーネーム”を裏切る気はありません。黒ウサギとて、かつてのこの人の蛮行を忘れた訳ではありません。けれど、“ノーネーム”の発展と未来の為にどうか矛を収めてはいただけませんでしょうか」

 

黒ウサギの言葉に私は少なくない感動を覚えた。空っぽの心が揺れ動く。黒ウサギ、君は今、私のことを信じると言ってくれたのか。何故だか、視界が少し滲んだ。

 

黒ウサギの言葉と私の様子、レティシアは数秒の沈黙の後に長柄の槍を収め私に問うた。

 

「“ブロッケン山の怪物”。かつての“―――”ならいざ知らず、今のこの現状の“ノーネーム”のどこにお前の無い筈の心が揺れ動いたか、それを知らなければ私はお前を信用する気にはなれない」

 

―――なぜお前はそこまで“ノーネーム”を救おうとする?

 

かけられた問いに対する答えは、きっと再び箱庭の地に来た日から決まっていた。

 

「コミュニティ“―――”。愛したかったあの輝きは、他ならない私の手によって地に落ちた。私の虚ろな目に広がる荒廃したこの土地のように、熱を失い、乾いて果てた」

 

「っっ、それは、お前が、何度同じことを言わせるつもりだ!やはり、お前は――」

 

「その乾きを癒そうとする涙があった」

 

「―――、なみだ?」

 

「自分の無力を知りながら、それでもと伸ばしたその手は熱かった」

 

あの瞬間を思い出すのは何度目だろうか。ジン、君のことを思うのは果たして何度目だ。

 

「彼の涙に憧れた。その手の熱さに恋い焦がれた。ジン、私は彼に心を揺さぶられた。空虚なこの身が打ち震えた。守りたいと、そう思った」

 

吹けば消えてしまいそうな小さな光。けれど、自ら輝かんとする矮小な可能性。無限の可能性を内包する私だからこそ、その在り方に憧れた。その生き様に恋をした。

なんと雄々しく、なんと儚い。私もかく在りたいと心の底からそう思った。思えたのだ。

 

「再び訪れたこの世界で私はジンに出会えた。ただ、それだけが私が“ノーネーム”の為に戦う理由になりうること、君ならわかるだろう」

 

かつて私と同じ魔王であった君なら、この私の気持ちがわかるはずだ。君は、『同族殺しの魔王』は箱庭の秩序と己の殉教の為に剣を取った。私は、『背後から刺す魔王』は己の本懐と本望のままに影を広げた。互いに求めたモノも守りたかったモノも違う私達だけれど、ただ一つの共通点は存在する。

それはきっと人間族の言葉で『心』と称される曖昧なもの。

君はその高貴な心を持って魔王となり私は空っぽの心を埋める為に魔王となった。

 

レティシア・ドラクレア。純潔の吸血姫よ。君は私を“ブロッケン山の怪物”と呼んだ。その言葉に異は無く、まさしくその通りだ。だからこそ、わかるはずだ。

私が言った『守る』という言葉に否などないということが。

ブロッケン山に座する怪物は何時の世も求められる声に応え番人として生きてきた。そして、ジンはそんな怪物である筈の私の手を躊躇もなく握ってくれた。求めてくれた。

 

 

『けれど、それでも僕は山田さんにノーネームに来て欲しい!僕は、僕は、取り戻したいんです。僕たちの旗を、僕たちの誇りを!僕の仲間たちを!』

 

『山田さん!お願いがあってきました!僕に、力を貸してください!』

 

 

「私はジンを守ると決めた。彼に身を捧げると誓った。今の私は、山田真央は髪の毛一本、血の一滴にいたるまで全てジンの物だ。ジンが、そう望んでくれている限りは」

 

この言葉に偽りないこと、私の誇りなどではなく、ブロッケン山の怪物としての性(さが)に誓おう。

 

そう言い切り、私は今持つ誠意、心根の全てを晒しレティシアに誠実に訴えたつもりだった。そして、それはきっと彼女の優しい心に届いたのだろう。箱庭の騎士として生きる彼女は元来とても優しいということを私は以前の戦いでよく知っていた。

 

レティシアはその大きな瞳を更に大きくし、黒ウサギへと視線を向けた。きっと私の言葉の真偽を黒ウサギにも確かめる為だろう。そこに二人の確かな絆を感じない私ではなかった。レティシアの頬が少し赤らんでいたのかは、謎だったけれども。

 

「黒ウサギ、これはどういうことだ?」(ボソ)

 

「残念ながら、黒ウサギとしては絶っっっ対に認められることではありませんが、言葉通りの意味かと」(ボソ)

 

「では、本当にこの女はジンのことを想っていると?そして話を聞くにジンも彼女を憎からず思っていると?」(ボソ)

 

「そんな筈はありません!ジン坊ちゃんはこんな!こんな!」

 

私には聞き取れない声で何かを、おそらく私の真偽について、話していたレティシアと黒ウサギ。推察される話の事柄から聞き耳を立てる訳にもいかない私は少し距離取って二人の決断を待っていたが、突然の黒ウサギの叫びに身を震わせた。

びっくりした。

 

そんな私の様子を何故だか苦々しく思ったらしい黒ウサギは声を荒げたままに言葉を続ける。

 

「こんな、色白で華奢で綺麗な顔立ちで、自分を立ててくれてけれど芯の確りとした価値観を持っていて、一途に自分のことを想ってくれている女性(ひと)なんかに靡く男の子ではありません!」

 

なにを言われるのかとビクビクしていると突然、黒ウサギに褒めちぎられた。

なので、お礼を言った。

 

「あ、ありがとう」

 

「っっ、貴女はなにを嬉しそうにしてやがりますですか!」

 

すると怒られた。意味が解らなかった。

 

 

「く、黒ウサギのお姉ちゃぁぁぁぁん!た、大変――――!」

 

割烹着を着た狐耳と二尾の少女、リリが飛鳥の直筆であろう悪魔の手紙を持ってきたのは丁度そんな時だった。

 

『黒ウサギへ。北側の四〇〇〇〇〇〇外門と東側の三九九九九九九外門で開催する祭典に参加してきます。貴女も後から必ず来ること。あ、あとレティシアと真央さんもね。私達に祭のことを意図的に黙っていた罰として、今日中に私達を捕まえられなかった場合“三人ともコミュニティを脱退します。”死ぬ気で探してね。応援しているわ。P/S ジン君は道案内に連れて行きます』

 

「………」

 

「………?」

 

「―――!!」

 

「―――!?」

 

文面を読んだだけでは何があったのかはわからなかった。しかし、私が憧れた問題児たちが何をしでかしたのかは、わかった。まったく、“脱退”とは穏やかじゃない。冗談にしても性質が悪い。その上、ジンを私に黙って連れまわすなど、流石の私もカチンと来るところがある。

 

「………行くか、黒ウサギ」

 

「………ええ、これは流石に黒ウサギのことを舐めすぎなのですよ」

 

「お、おい。落ち着け二人とも、なにやら出してはならない瘴気(オーラ)が出ているぞ」

 

「………黒ウサギはリリ達とコミュニティの領地内に三人が残っていないかを確認してくれ、可能性は低いと思うが………。レティシアは“サウザンドアイズ”の支店を頼みたい。差出人が白夜叉なら北の境界線まで送り届けているかもしれない。私は先回りして東と北の境界壁まで向かってみる」

 

「………了解しました。黒ウサギも領地内の捜索が終了し次第、向かいます」

 

「お、おい。瘴気(オーラ)がさらに禍々しくなっているぞ。それに、“真央”。“箱庭の貴族”である黒ウサギならばまだしも、お前どうやって境界壁まで向かう気だ。ここから980000㎞はあるのだぞ」

 

「安心してほしい。その程度の距離、一時間と掛かる私ではない」

 

もはや話すことは無いと私と黒ウサギはレティシアをその場に残し行動を開始する。互いに思いの丈を叫びながら―――

 

「脱退なんて―――な―――………何を言っちゃてるんですかあの問題児様方ああああ――――!!!」

 

「ジンを連れて―――私を置いて行くなどと………戯けた真似をしてくれるなあああ――――!!!」

 

全身全霊を持って三人を追い駆けた。

 

その場に一人残されたレティシアは暫しの間、ポカンと二人の去った後を見たのちに何故だか言わなければならない気がして呟いた。

 

「主殿達………逃げて、超逃げて」

 

 

 

 

―――――✠―――――

 

 

 

 

東側第三九九九九九九外門にある市街地の一角に四人の男女の姿があった。

一人は露出が多く、布の少ない白装束を纏う女。年の頃は二十代半ばに見える白髪の女は二の腕ほどの長さのフルートを右手で握りながら膝をついていた。

その女の隣で同じように膝をつく男。黒い軍服の短髪黒髪の男の手には楽器としての常軌を逸した大きさの笛、長身の男と同等の大きさの笛がこれだけは離さないと懸命に握られていた。

その二人に挟まれる形で立つのは白黒の斑模様のワンピースを着た少女。少女は他の二人とは違い、膝を屈することなく立っていたがその表情は愕然としていて信じられないモノを見るような目でただ茫然と前を見ているだけだった。

 

四人の内の最後の一人、三人と対峙する形で立つ男は不敵で不快な笑みを浮かべながら紅白色の砂糖菓子のようなステッキで膝を屈する男女二人を指した。

 

「情けないですねぇ。自分の主の前でその様とは、同郷の友である私でもそう無様を晒されては庇えませんねぇ。ラッテン。ヴェーザー」

 

白髪の女、ラッテン。黒髪短髪の男、ヴェーザー。そう呼ばれた二人の反応は対照的なものだった。ラッテンは何も言わず忌々しげに男を睨みつけ、ヴェーザーは獰猛に笑いながら男に言葉を返す。

 

「同郷の友?はっ、思ってもねぇこと言うんじゃねーよ。ゼル。お前の頭の中にあるのは妹だけだろうが。他の奴なんざ、お前にとって路傍の石ころでしかないだろう」

 

「ふふ、否定はしませんが、しかし、そう悲しいことは言わないでください。あの読書馬鹿の魔王が箱庭を去って以来、“白雪”や“灰かぶり姫”とも連絡が取れなくなっていましたからねぇ。私の正体を知る者も、“ワルプルギス”のメンバーを除けば、もはやあなた達二人位でしょう」

 

「なるほどねぇ、だから遠路遥々第五層から態々俺達を消しに来たのかよ。はっ、お前のその友情には泣けてくるぜ」

 

そう言うヴェーザーは言葉とは裏腹に安堵した。目の前の悪魔の目的が自分達だと思ったからだ。

とある目的の為にワンピースを着た少女の元に集ったヴェーザーとラッテン。ようやく謀の準備も終わり、さあこれから繰り出そうという矢先に突如来訪した旧知の悪魔。

音も気配もなく突然現れた彼を前に主である少女が反応する前にヴェーザーとラッテンの身体は動いていた。それほどまでにヴェーザーがゼルと呼んだ男は危険だった。

 

箱庭に住まうものなら誰もが一度は聞いたことがあるほどの影響力を持っていたコミュニティ“ワルプルギス”。『背後から刺す魔王』と呼ばれ恐れられた存在が率いたそのコミュニティはたった五人で群雄割拠の箱庭の世界に覇を唱え、かつては箱庭最恐の名を冠するに至っている。

勿論、ヴェーザーは“ワルプルギス”がとあるコミュニティとのギフトゲームに敗れリーダーであった『背後から刺す魔王』を失ったのを知っていた。それに伴い“ワルプルギス”はかつてほどの求心力を失っていることも。

しかし、それでも彼らが落ちぶれたとはヴェーザーは欠片も思ってはいなかった。

『背後から刺す魔王』は確かに敗れ、箱庭を去った。

しかし、彼が残した“ワルプルギス”の遺産は強大に過ぎた。

 

破滅を歌う海の魔性。

存在すら疑われる驚異。

終わりと称された黒い猫。

そして、自分達二人に数秒で膝を屈させた目の前の悪魔。

冗談にしても性質が悪いとヴェーザーは笑う。“ワルプルギス”の個々の戦力は第五層までのコミュニティの総力をゆうに超えている。

 

だからこそヴェーザーは安堵する。敵いはしなかったが、幼い今の主の身の安全だけは守れたとそう、思ったから。

しかし、次の瞬間、彼とラッテンの心は恐怖で塗り替えられる。

 

「消しに来た?私があなたたちを?」

 

安堵するヴェーザーとラッテンにゼルは笑みを浮かべたまま首振る。

 

「いえいえ、そんなことはしませんよ。私はローラと違い、あの御方の、徹底して自分の正体を隠すという感性に心酔している訳ではありません。その証拠に私は自分の恩恵(ギフト)を偽ってなどいないでしょう?」

 

さぁとヴェーザーとラッテンの顔から血の気が引いた。

 

「なら、お前の目的は」

 

「ええ、取材です。私の趣味は、あなた達も知っているでしょう」

 

そういってゼルの視線が主である少女に向けられた瞬間、ヴェーザーとラッテンは立ち上がった。その身体は既に満身創痍、立つどころか指先一つ動かせないほどの敗北を身に刻まれながら二人は立ち上がり互いに笛を構えてゼルを睨みつける。

 

「俺達のマスターに指一本触れるんじゃねぇ」

 

「私達のマスターに指一本触れるんじゃないわよ」

 

ラッテンとフェザー。魔笛を吹く二人の悪魔は主を守るために立ち上がる。

そんな二人を前にしてゼルと呼ばれた大悪魔は微笑みながら奇妙な帽子を深く被り直すと、ああ、と感嘆の声を漏らした。

 

「かつて、あなた達の如き者たちに焦がれた魔王がいました。愛を愛し、勇気を信じ、友情を尊んだ魔王。13番目の烙印と謀略と背徳を背負いながら、それでも光に焦がれた愚かな魔王」

 

「ゼル!」

 

「ゼル!」

 

自分の名を叫び向かってくるラッテンとフェザーなどには目もくれず、お菓子な悪魔は二人に守られるように立つ幼い魔王に問いかけた。

 

「あなたもまたあの方と同じ魔王を名乗るというのなら、どうか私に見せてください。愛と、勇気と、友情を。さあ、魔王よ。あなたの強さ(レベル)を、教えてください」

 

 

 

―――――✠―――――

 

 

 

東側第三九九九九九九外門にある市街地で起きたお菓子な悪魔と幼き魔王の戦いは、悪魔が微笑を持って退くことで幕を閉じた。

そして、お菓子な悪魔はと幼き魔王のレベルをAと見定めて羊皮紙に羽ペンで書き記し思案顔で先ほどまで戦っていた三人に問いかける。

 

「ふむ、悪くはないですねぇ。旗揚げしたばかりだということも加味すれば、合格点と言っていい。ラッテン、ヴェーザー、あなた達が新しい主としたその少女は中々の逸材ですよ。えぇ、私の”調査”に耐えられる程には素晴らしい。実を言うと、最近の”魔王”は骨がない者も多いのです。私の”調査”に耐えきれず、没するものも少なくない」

 

「…」

 

「そう、睨まないでください。調査は終わりました。私にはもう、あなた達と戦う気はありませんよ。さて、次号の『魔王通信』の締め切りまでに原稿を書き上げなくては。私はこれで失礼します」

 

唐突に表れたお菓子な悪魔はそう言い残して去っていく。嵐の様な男だったと、幼き魔王は唇を噛んだ。

自分たちが対峙した男の実力があまりにも圧倒的であったから、悔しみのあまり伏せそうになる目を必死に我慢して、去っていく男を睨みつけた。

幼き主のその様子を隣で見ていたヴェーザーは舌打ちを鳴らし、去っていく悪魔に怒声をぶつける。

 

「”最近の魔王は温い?”けっ、よく言うぜ!お前が似合いもしねぇのに熱くなってるだけだろうがよ!ゼル!」

 

ヴェーザーの声にお菓子な悪魔は足を止めた。

 

「どういう意味です?ヴェーザー」

 

「お前の噂は”幻想魔導書群(グリムグリモワール)”が消えた後でもよく耳に届いてだぜ。昔っからやってた馬鹿な趣味が、三年前程から苛烈になったってな。かの魔王の喪失は、はっは!幾らお前でも堪えた?妹好き(シスコン)の癖に浮気か?”お兄ちゃん”」

 

「喪失、とは、浮気とは、どういう意味ですか?」

 

「お前が妹以外にただ一人、信じた魔王が敗れて箱庭を去ってからもう三年だ。馬鹿な奴らは忘れ始めてるぜ。宴の夜も、その篝火もだ!」

 

「ウフフ、何を馬鹿な」

 

「上から目線で余裕ぶっこくのも大概にしろ!同じなんだよ!お前も俺も!主を守れず!主が築いた”コミュニティ”を守れず負けた!ただの敗残兵だ!」

 

「………口が過ぎますよ。ヴェーザー」

 

「っ!」

 

常に浮かべられていた余裕のある悪魔の微笑が消えた。

お菓子な悪魔。ゼルの手に先ほど羊皮紙に文字を書いていたものとは別の羽ペン。血を思わせる真っ赤な装飾が施された羽ペンが握られる。

そのペン先をヴェーザーに向けながらゼルは口角を上げ歌う。

 

「幼き主の為、その忠節、忠義、大いに結構。それこそあの方が愛した輝きそのもの。しかし、しかしですねぇ、ヴェーザー。忘れましたか、私は元々、愛らしい妹の為に親すら殺した男ですよ。そんな私が、何時までもあなたに優しさを向けると思っているのですかねぇ。あまり私を怒らせないで頂きたい。笛吹き男(ハーメルン)などという偶像に頼らなければ顕現もできない様な、弱者が、この私と同じなどと囀るなど、許されることではないと、何故解らないのですかねぇえ」

 

「けっ、んだよ。ようやく本性を現しやがったな悪魔。気取った言葉遣いも芝居がかった振る舞いも似合ってねぇんだよ」

 

「………殺されたいのですか?」

 

「まさか、こんな所でまだ何も始まってない所で死ねるかよ」

 

「ならなぜ、私を怒らせようとするのです?」

 

「お前には関係無いことだが、俺のマスターはこれからデカいことをする。それを始めようって時にお前は突然現れた。いうなりゃ、ゼキ、お前との戦なんてその前哨戦に過ぎねぇんだよ。だってのに、今、マスターはこんな顔してやがる」

 

ヴェーザーは顔を伏せそうになっていた幼き魔王を見る。

幼き魔王は眼を見開き、ヴェーザーの顔を見た。その顔はこの瞬間こそを狙っていたのだろう、口元に笑みを浮かべた不敵なものだった。

 

「ヴェーザー、貴方」

 

「そんな顔じゃあ、マスターの願いも俺の願いも叶わない。だから、お前に一泡吹かせてやりたかっただけだ」

 

「………ウフフ、力じゃ無理なら、別のやり方でも、ですか」

 

「ああ、お蔭でマスターの良い表情(かお)が見れたぜ」

 

「っ!ヴェーザー!」

 

ウェーザーの言葉にゼキとの戦いの中ですらあまり表情を表に出さなかった幼い魔王はその頬に朱を差し口調を強めた。

飄々と笑うウェーザーに幼い魔王は次第に本気の殺気をぶつけ初め、様子を見守っていたラッテンは何が羨ましいのかハンカチを噛みながらウェーザーを蹴り始めた。

その様子、先ほどまでの戦いの空気が霧散した光景はゼキはしばらく呆然と立ち尽くした後、小さく笑い朱色の羽ペンを収めた。

ゼキは家の形を象ったシルクハットを眼を隠すように被り直すと苦笑した。

 

「ウフフ、この私がしてやられたという訳ですか。なるほど、確かにヴェーザー、貴方の言う通り私は変わってしまっていたのかもしれませ---」

 

「ちょっとヴェーザー!マスターのレア顔まじかで見るなんてずるいわ!」

 

「ああ?黙れよ、ラッテン。お前こそ前にマスターの寝室に忍び込んで寝顔をこっそり見てやがったろうが!見張にシュトロムまで立てやがって!どうして写真に残さなかった!」

 

「シャッターの音でマスターが起きちゃったら至福の時間が終わっちゃうじゃない!」

 

「なら俺も誘って忍び込めよ!」

 

「ウ、ウフフ、ラッテン、ヴェーザー。流石は旧友。私の言葉を遮るものなどそうそういません。にしても、あなた達、そんなキャ---」

 

「ちょっと待って………貴方たち、私が知らない間に私に何をしているのかしら?」

 

「あ、あれ?ま、マスター、珍しく怒ってます?」

 

「怒ってないわ」

 

「け、けど、黒い瘴気が………マスターのそれは本気で洒落にならな」

 

「怒・っ・て・な・い・わ!」

 

「「あっーーー!!」」

 

馬鹿二人、もとい部下を黒い風を纏いながら追い回す幼き魔王を見て、ゼキは再び呆然と立ち尽くした後、大笑した。腹を抱えて、目尻に涙さえ浮かべるほどの大笑だった。

お菓子な悪魔は久々に笑った。そして、笑い終えた後、口元の何時もの余裕の笑みを携え部下二人を小さな足で踏んづけている幼き魔王に声をかける。

 

「幼き魔王、いえ、”黒斑死の魔王(ブラックパーチャー)”。どうやら私はあなたを見誤っていたようですねぇ。ラッテンやヴェーザーがあなたにそこまで肩入れするのも納得です。あなたにはあの読書馬鹿の魔王、そして、あの方の面影がある」

 

「…何が言いたいのかしら?」

 

「どうです、黒斑死の魔王(ブラックパーチャー)。私を雇ってみませんか?もしあなたが此れからもその在り方を失わず、私の最愛の妹に笑顔を送れる可能性を秘めた被写体で有り続けるのなら、私はあなたの部下として動いてもいい」

 

「…」

 

「おや、悩むところでは無いと思うのですがねぇ。ヴェーザーの言っていた、あなた達が此れから行う”デカいこと”が何なのかは知りませんが、私の力は見せつけたでしょう。その力が、きっと必要なのではないですかねぇ」

 

「…貴方は、信用できないわ」

 

この子たちとは違うと、足元で踏みつけている部下二人を見ながら幼い魔王はゼキにそう言った。

ゼキはその返答に目をパチクリとさせながら反応する

 

「おや?私を信用できませんか?…ああ、そう言えば、ラッテンやヴェーザーとは違い、私の正体を貴方は知らなかったのですねぇ。ウフフ、黒斑死の魔王(ブラックパーチャー)。私は嘘を付きませんし、貴方の仲間になったなら決して貴方を裏切ったりなどしませんよ。何しろ私は---」

 

ゼキはそう言うとシルクハットを脱いで右手に持ち、脇に抱えていたステッキを左手に持ち替え、両腕を大仰に開くと跳躍して月を背景に浮かび上がる。

 

「妹好き(シスコン)で、最恐と呼ばれた魔王の参謀であった男ですが、神の子以上に世界中の少年少女達に愛されたという”功績”を持つ主人公(ヒーロー)なのですからねぇ」

 

「神の子以上の…功績?…っ!まさか!貴方の正体は!」

 

「ええ、そうです。世界中の少年少女に愛された存在でありながら、妹を魔導の道に引きずり込んだ”功績”をもって悪魔へと堕ちた私をあの方、『背後から差す魔王』は『世界最強の妹好き(シスコン)』などと笑いました。ウフフ、悪くない二つ名でしょう?少なくとも外野が付けた『魔女喰らいのお菓子』よりは気に入っています」

 

「『魔女喰らいのお菓子』。良い名じゃない。貴方にお似合いよ。”ハンス”」

 

「ウフフ、いいえ、仮のマスター、私のことは”ヘンゼル”と呼んでください。たとえ、この身体が成長しても私はその名で名乗っています。そちらの方が、有名ですのでねぇ」

 

悪魔は地上に降りて幼き魔王に手を差し出す、悪魔に黒斑死の魔王(ブラックパーチャー)と名付けらた幼き魔王は今までの不機嫌な顔を一転させ、にっこりと笑った。悪魔も魔王も二人とも、華の咲いたような笑顔を浮かべていた。

 

十四世紀から十七世紀にかけて吹き荒れた黒い風--”八000万もの死の功績”を持つ魔王と聖書よりも多くの人々に読まれた書物に描かれ物語『ヘンゼルとグレーテル』の主人公にして”世界中の少年少女達に愛された功績”を持つ悪魔の邂逅がどんな結末を齎すのかはまだ誰にも分らない。

ただ解っているのは、終わりはきっと、悪魔の妹が微笑むような結末で終わるということだけだった。

 

 

 

 

 

 

「ところでラッテンにヴェーザー、先ほども聞こうとしたのですが、あなた達が仮のマスターへと向ける、あの好意と行為。あなた達、そんなキャラでしたか?」

 

「そりゃなあ、ラッテン」

 

「そうよね、フェザー」

 

「「お前(あんた)みたいな妹好き(シスコン)に小人好き(ロリコン)な白雪姫や被虐趣味(マゾヒスト)な灰被り(シンデレラ)に囲まれてたら、指向の一つや二つは歪むさ(わよ)」」

 

「なるほど」

 


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