コミュニティ”サウザントアイズ”の支店から帰路に着く頃、既に日は落ち辺りは私が支配する影と概念を同じくする闇に包まれていた。
一番心配していた白夜叉との反目もなく無事に謝罪を終えることができ、”ノーネーム”の本拠へと帰ってきた私はその足で耀と飛鳥が治療を受ける部屋へと向かう。
この箱庭の地で新たに出来た友を心配しない私ではないのだ。
春日部耀と久遠飛鳥。かの新生たちは先のゲームにおいてかつて私が率いた1人の女。愛情深き海の乙女。亡霊ローレライによって甘露な夢の中へと叩き落された。
手も足も、どころか声一つ上げられずに彼女たちはローラの前に敗北した。その敗北に傷つかない2人ではないと私は考えていた。
2人が抱える才能(ギフト)。その輝きが無類であるが故に彼女達2人はおそらくこれまでの生涯において凡人が経験する挫折を知らずに生きてきたのだろう。
今回の敗北が人生初めての挫折だとするのなら、その辛さを理解できない私ではない。
誰かを羨み生まれる私という影。何者にもなれぬこの私。その辛さを私は誰よりも理解しているつもりだ。
だから、慰めになるなどと思い上がる私ではないが、しかし、何か力に成れるならとドアノブに伸ばしかけた私の手を止めたのは扉の向こう側から聞こえた飛鳥のこんな言葉だった。
―――世界は私達を中心に回っているって思ったことはないかしら
扉の向こう側で飛鳥は耀にそう問う。おそらく互いに顔を合わせることもなく、ベッドに横たわり天井を見つめながら2人の会話は続く。
「この世界は私を中心に回っていて、世界という物語の中で私は主人公。周りの人々は皆、私を盛り上げるための役者に過ぎない。そう、感じたことはないかしら」
飛鳥の問いに耀は小さく苦笑しながら答えた。
「もちろんあるよ。この世界で私は特別な存在で、私だけが特別だって信じているよ。……信じて、いたよ」
「ええ、そうよね。世界は平凡で私達は特別で。生きることは簡単で運命は適当だった。日本の五分の一を支配していた大爺様ですら、私の前では“敵”にもならなかった」
飛鳥は元居た世界。全ての人々が自分に平伏する光景を思い出しながら、同じ言葉を―――接続詞だけが違う言葉を次は誰に問いかけるわけでもなく言った。
「私達の世界だけが私達を中心に回っている。結局私達は何も知らなかっただけね」
「笑えないね、飛鳥。私たちはお子様だった」
そう言いながらも小さな笑い声を漏らす耀に飛鳥もまた微笑みながら
「いいえ、違う。笑う他ないわ。とても滑稽よ。視野が狭かった。いえ、周りに目を向けていなかったのね、私は。私達は。井の中の蛙大海を知るか、蛙が嫌いな私からすれば本当に勘弁してほしかった文言ね」
「カエルさんは可愛いよ。けど、うん。その通りだと思う。なにも知らずに生きてきた。なにも知らずに生きてこられた。それは多分、とても幸せなことだったと思う」
「そうね。自分達が世界最強絶対無敵だなんて信じていられるのなら、それほど幸せなことなんてないわよ。自分の世界の中で自分を着飾り生きていける。それを幸福と言うのでしょうね」
「けれど、私たちは知っちゃったね」
「ええ、知ってしまったわ」
――そう、知ってしまった。だからもう、彼女たちは戻れない。
2人は謡う。交互に。祈るように。歌った。
「世界は厳格で私たちは平凡で」
「生きることは難しくて運命は残酷だった」
「私は弱いよ」
「私も弱いわ」
その歌に込められた意味を感じ取れない私ではなかった。ああ、そうか。そうなのか。ローラに敗北し彼女たちは挫折した。しかし、かつての私がそうであったように羨み影を見つめ俯く彼女達ではなかった。
私はドアノブに伸ばしかけた手を完全に引っ込める。
もはや2人の会話に私の言葉などはいらなかった。
「魔王の配下、その一人にも勝てない。戦えない。結局、私達は十六夜君の足を引っ張ることしかできなかった」
「ううん、違うよ。飛鳥。私たちは足を引っ張ることもできなかった」
「そうね、その通りよ。本当になにをやっているのかしら。“ギフトゲーム”が始まる前、真央さんにあんな大口をたたいて彼を不参加にしておきながら」
「真央、怒っているよね。黒ウサギが取られちゃって、ジンが……ううん、“ノーネーム”が泣いている。真央、“ノーネーム”のことたぶん大好きだったと思うもん」
「好き、と言う感情はどうなのでしょうね。真央さんがジン君や“ノーネーム”に向けていた感情は信愛でも友愛でもない、羨望だった気がするけれど。憧れて、焦れて、硝子の向こう側の玩具を眺める子供のような目で見ていた気がするけれど」
「そう、かも。うん、そんな気がする。ならやっぱり余計に怒るよ。おもちゃを盗られちゃった子供みたいに」
「そうね。はぁ、憂鬱だわ。私、子供は苦手なのよ」
「私も」
「あの純粋な目を見ていると嫌になるのよね。なんだか、自分が汚れてしまっているみたいで直視しにくいのよ」
「たぶん、眩しいからだと思うよ。夢とか希望とか、そういうものを純粋に信じることが今の私達にはできないから。箱庭に来たばかりの頃なら、まだ真っ直ぐ見られたと思う」
「そうね。黒ウサギに導かれたこの世界で、私たちはもう無垢じゃいられなくなってしまった。屋敷の外を夢に見ていたころが懐かしいわ」
「世界が変わって見える。敗北の前と後じゃ、全然違う。世界の色が変わった」
「懐かしいわね。けれど、昔に戻ることは出来ないわ。後歩きなんて、私出来ないもの」
「右に同じ」
「ねえ、春日部さん」
「なに、飛鳥」
「私、興味があるわ。真央さんが憧れたジン君がどこに行くのか。十六夜君が守った黒ウサギがなにをするのか。そんな2人が愛した“ノーネーム”が、果たして私達になにを見せてくれるのか」
「うん、そうだね。なにを見せてくれるのか。どこに連れて行ってくれるのか。考えるだけで、ワクワクしてウキウキしてドキドキ」
少女たちは歌う。そこに輝きや煌めき。
不確かだけれど必ずそこに有るものを込めて楽しげに歌う。
「世界は厳格で私たちは平凡で」
「生きることは難しくて運命は残酷で」
「日常は激動で戦いは刺激的で」
「安らぎは幸せで平凡は愛おしくて」
「当たり前は当たり前でなくて」
「当たり前が当たり前であってほしくて」
「そう思えるほどには」
「そう思えるくらいには」
「「人生は楽しい」」
そして、部屋には笑う声が響いた。
「ふふふ」
「あはは」
「ねえ、春日部さん。貴方は弱いわね」
「うん。飛鳥も弱いよ」
「けれど、二人なら、三本の矢には一人足りないけれど二人なら何とかなるのではないかしら」
「うん。気休めくらいにはなると思う。もし足りなかったら真央と十六夜を入れてあげよう」
「そうね。私達みたいな美少女に誘われれば、彼らは泣いて喜ぶでしょうね」
「かもしれない」
「当然よ。それじゃ、行きましょうか、春日部さん。私はもうこんなところに閉じ込められているのは飽きたわ」
「うん。もう俯くのは止める。だって、私たちはもう一人じゃないもんね」
私は後にする。扉の前を後にして廊下を歩き戻っていく。
「ふふ」
杞憂だった。無駄骨だった。そして嬉しかった。
そう。それでいい。君たちのような宝石が輝いていてくれるからこそ、私のような日陰者も生きていける。
時代の新生児。超越者の赤子。2人に付けた二つ名に稀代の新星を加えることに否などない。
その輝きは無類だ。
憧れよう。焦がれよう。羨もう。妬みもしよう。
輝け。光り輝き続けろ。永久の処女星であれ。その無垢な輝きが汚れることなんて許さない。
汚れ仕事は私が受け負う。
君たちのような存在がいてくれるからこそ、私は影であれる。
影として、影の責務を全うできる。
だから、嬉しい。ああ、純粋に嬉しいさ。君たちがそういう答えにたどり着いたことが、嬉しくってたまらない。
歓喜の鐘を鳴らし、君たちの名を歌おう。
「久遠飛鳥。春日部耀」
新時代の始まりを告げる女神たちよ。
「共に謳(うた)い上げよう。これより始まる、大いなる祝福を。“ノーネーム”、本当の新生を」
その舞台。一世一代の大舞台の歌姫に君たちほど相応しいものはいないこと、私がここに断言しよう。
「君もそう思うだろう」
そして―――私は声をかける。後を振りかえることもなく彼に声をかける。
そして言うまでもなく、彼は壁に背を預けたままヤハハと笑った。
楽しそうに可笑しそうに嬉しそうに、笑った。
背後から刺す魔王。そう揶揄されたこの私の後ろに逆廻十六夜は立っている。
あれだけの戦いを繰り広げ、生死の狭間を彷徨っていたというのにたった10日で回復して自分の足で立っていた。その身体の包帯がなければ今まで死に掛けていたことなど忘れてしまうほどの存在感を放ちながら、君臨する。
「彼女たちは美しい。否はあるまい?十六夜」
「ああ、お嬢様に春日部。確かにいい女だ。そこらの女とは格が違うぜ。けど、俺としてはもっと豊満な身体の方いい。黒ウサギみたいに、な」
「ふふ、それにもまた異を唱える私ではない。取り戻そう。黒ウサギも、レティシア=ドラクレアも。かつて、“ノーネーム”が失った全てのものも。私達2人なら、そこにあの輝き2人も加わってくれるというのならば、出来る筈だ。否、出来なければならない」
高揚した気分のまま、紅潮した頬を隠すこともなく振りかえる私に十六夜はヤハハと笑い、その笑みを獰猛なものへと変えて1つの確信を突く。
「流石の貪欲さだ。いや。これは褒め言葉だぜ。―――元魔王様」
「………ふくく」
その言葉に口角が歪むのを抑えられる私ではなかった。ああ、十六夜。やはり君は素晴らしい。恋い焦がれてしまいそうだ。ジンという輝きを知らなければ私は君に夢中になっていただろう。
君に成り代わりたいというブロッケン山の怪物の性(さが)を抑えられなかった筈だ。
「私の正体に気が付いたか―――流石だよ、十六夜」
私の言動。白夜叉の態度。そして、“フォレス・ガロ”との『ギフトゲーム』で見せた黒ウサギの反応。ヒントなら散りばめられていたが、それでもやはり私がかつて“ノーネーム”の前身を襲った魔王の1人であるという答えには十六夜でなければたどり着けなかっただろう。
故(ゆえ)に称えることに否などない。十六夜の言葉を借りるのならば―――君はやはり、格が違う。
「ヤハハ、褒めてくれて僭越至極だぜ。しかし、まったく御チビの奴も引きが良いのか悪いのか。まさか自分のコミュニティに“ノーネーム”を“ノーネーム”にした憎き魔王様を引き込むなんてなあ」
「否、それは違うよ、十六夜。運どうこうの問題じゃない。私が選んだ。背後から刺す魔王と言われた私がジン=ラッセルを選んだ」
偽りの写し鏡を砕き、私を破った、偉大だったコミュニティ『――――』。
名を、旗印を、仲間を失ってなおそのコミュニティを継ぐことを決めたその輝きに憧れた。あの涙の熱さに恋をした。他の誰でもない。ジンがいるからこそ私は此処に居る。
そう宣言した私の言葉に十六夜は獰猛な笑みを引っ込め一瞬、きょとんとした後に高らかに大笑する。
「くくっ、ああ、真央の気持ちはよくわかった。御チビに近づいてつまんねぇこと考えているならと思ったが、どうやらその心配もマジでなさそうだ。ていうか、その本音、黒ウサギが勘違いするのも無理もねぇ、むしろお前が自分の気持ちに気づいてねぇっていう可能性の方が納得だぜ」
黒ウサギの勘違い?私が自分の気持ちに気が付いていない?
十六夜はなにを言っているのだろう。そも、私がいったい幾星霜の時間私であったと思っているのか。私は私のことを私の性(さが)を熟知し尽しているに決まっているじゃないか。
困惑する私に十六夜は―――
「まあそれは置いておこうぜ、面白いから」
と、そう言って話を進める。むぅ、なんだか納得がいかないが子供ではない私だ。
ノーネームに時間が少ないことはわかっている。私の姦計、独断によりペルセウスは直ぐにでも次のギフトゲームを仕掛けてくるだろう。
「真央は今まで和装ロリの所に行ってたんだろ?なら、次のゲームの準備は出来てるって訳だ。それを早く御チビに知らせてこいよ。アイツ、お前が“ノーネーム”に嫌気がさして出て行ったんじゃないかって心配してたぞ」
「まさか!私がジンを嫌いになるはずがないだろう!」
「………いや、ギャグでやってるんじゃないとしたらお前マジでおもしろいわ」
「ん?何か言ったか十六夜?」
「ヤハハ、何も言ってねーよ。はやく行って来いって」
「ああ、行ってくる」
そうして私はジンの元へ向かう。
黒ウサギを失いながら私のことを案じてくれる優しさと窮地においてこれ以上の仲間(せんりょく)の流失を懸念することの出来る強さを持つか細くも確かに輝く小さな星の元に影たる私は吸い寄せられる。
扉を開き、名を呼べば、ジンは私が見たかった笑顔を浮かべて迎えてくれた。
「真央さん!帰って来てくれたんですね!」
「ああ、無論だよ、ジン。自らの言葉を違える私ではない。言っただろう。君が求める限り私は君のものだと。だから、ジン」
私はジンの手を取る。その手は私が再びこの箱庭に来た日、ガルド=ガスパーを前にコミュニティの復興を語ったあの時と同じように燃えるように熱かった。
ああ、やはり君はこの窮地に置いてなお諦めていない。この温もりを無くしたくないと切に願おう。願わくば、いずれ君の炎で包んでほしい。
18年前のあの時のように次は君の手で討たれることを私は望んでいる。その為に。
「次のゲームを始めよう。共に戦おう。ジン」
「っっ、はぃ。はい!」
いずれ私を討つことになるコミュニティ。“ノーネーム”。その新生に祝福を。