いうまでもなくドッペルゲンガーとして生まれた私にも人間だった時代があった。それがどの時系列でどの立体交差世界だったかは覚えていないが、そういう時代があったことだけは忘れないよう私の魂に刻まれている。
人間だった頃の私は当たり前のように負け犬で、当然のごとく敗者の末路を辿り、だからこそ必然的に強くなりたかった。
私は弱かった。心も体も魂すらも。蚤(ノミ)の心臓どころではない。小さく、矮小で、儚(はかな)すぎた。
なぜ?なぜ?なぜ?
答えなど探すまでもなく、鏡を見れば自明のものとして目の前に映し出された。私が弱いのは私の身体の脆弱さ故(ゆえ)に。
人はもって生まれた力によって、救い取れる命と掴むことの出来る勝利が決まっている。私の力では救えるものがあまりに少なく、勝てる戦も局地的なものに過ぎなかった。外圧によって簡単に崩れ去る。
ならどうすればいい?
救えなかったものを、敗北してしまった結果を、自分の弱さを理由に見捨てて逃げるのか?
それだけは、違うと思った。弱く弱弱しかったあの頃の私でもそれだけは違うと思った。たとえそれが弱肉強食、この世界に布かれた不変の理(ルール)だったとしてもそれは違うだろうとそう思えた。
ようはあの頃の私は物分りの悪いガキだったのだ。
認めない。許さない。“俺”はそんなものは認めない。
そう、駄々をこねた。
強くなりたい。大きく、ただ強く。救いたいものが救えて、勝ちたい時に勝てる。そんな力が欲しい。それがあれば何度でも何度でも何度でも救える。勝てる。誰も見捨てなくていい。誰も泣かせなくていい。誰だって救える。
世界だって幸せに出来る筈だ。
それが私の強くなりえる願いだった。私の願いだ。
死して割れて砕けて溶けて影になっても願い続け祈り続けた永久、永遠に続く呪詛(いのり)。
救い続けていくために。生涯、勝つために。
私と言う存在が弱いのならば、強いあなたになりたい。私が知りうる唯一絶対にして永遠なるものになりたい。
私はあなたになる。
こうして私はドッペルゲンガーになった。輪廻転生を行い闇より出でて影として生まれるものとしての生を歩み始めた。
人間から別の存在、それも次元の違う存在になるということは生命の目録から見てもなかなかにできることではないのだが、それを成しえたのは紛れもなく私の執念あってこそだと思う。
無論、過去の自慢を鼻高らかにする私ではない。それはただの事実としての確認だ。現状を打破し、変えていくための確認。
逃げてはならない。私が逃げれば終わってしまう。
もし、失敗してしまったらと考えなくはないが、失敗しなかったところでやらなければ終わるというのならやるべきだろう。やらずに後悔するより、やって後悔した方がいいとそう前向きに思える私ではないが、やって後悔するよりは後悔しながらやった方がいいだろうと思える。
現在の“ノーネーム”で満足に活動できるプレイヤーは私しかいない。飛鳥と耀は幻術系のギフトによる後遺症を直すための治療中であり、十六夜にいたっては“ノーネーム”の宝物庫にあった伝説級の治療系ギフトを使い何とか一命を取り留めている状態だ。
なぜ、“ノーネーム”がこうもボロボロになってしまったのか。
全てはもちろん、10日前。“ペルセウス”との『ギフトゲーム』に原因はある。
―――――✠―――――
私達“ノーネーム”は敗北した。“ペルセウス”との戦いに完膚なきまでに敗退した。
自分は何もしていないのに(捕虜であった私は文字通り何もしていない)敗北の原因を探し、恥ずかしげもなく人の失敗を非難して後悔と自責の念を憤慨(ふんがい)と恨みに変える私ではもちろんないが、今後のことを考え復習として原因を上げるのならば、ジンと飛鳥そして耀が無防備に彼女に近づいたことが原因だろう。
愛情深き海の乙女。鋼鉄の処女。悪霊ローレライ。
ローラと名乗る私の愛すべき友の能力(ギフト)をかつて私が率いていた彼女と戦ったことのあるジンは万物操作(コントローラー)だと思っていたようだった。
人心操作(マインドコントロール)、物体操作(サイコキネシス)の両方の特性を持ち凌駕する万物を操作するギフト。万物操作(コントローラー)。
しかし、実は違う。ローラの本当のギフトは操作系のギフトですらない。
ジンが勘違いしていたのも仕方がないこと。ローラは私に倣(なら)い自分のギフトを偽っていたのだから。ローラのギフト、それは万物を操作するどころじゃない。比喩ではなく世界を支配しかねないほどのギフトを彼女はもっている。
そのギフトの名はローレライの歌。能力は完全催眠。
ローラのギフトは伝承に倣う。伝承に倣い、ローラの歌を聞いた者は何者であれ生き物である以上、その歌に捕らわれる。視覚。聴覚。嗅覚。味覚。触覚。五感全てを狂わされて、いもしない敵と戦い、ありもしない攻撃に怯え、えられない勝利を手にする。
ここで重要なのはローラの歌を聞いた者は幻覚のなかで勝利するという点。
いや、勝利だけと言うわけではない。
それは成功だったり、安寧だったり、完成だったり、ともかく楽しく愉快な覚めたくない夢をみせられる。悪夢であれば終わってしまう。しかし、幸せよ終われと願うものはいない。私ですらそうそう願うことではない。だからこそ、ローラの歌に捕らわれたら終わり。ローラがギフトを解かない限り敵は永遠に夢の中をさまよい続ける。おそらくジン達3人も夢の中で心地のいい夢を見ていたに違いない。たとえばそう、ローラを相手に勇ましく戦う。そんな夢を。
ローラのギフトは世界すらも騙せるのだから。
ジン達3人ではローラと戦いにもならなかった。いや、戦いすら始まらなかった。そうなってしまえば十六夜の敗北の原因も自明のことだろう。
ジン達3人を打破したローラはレティシアとルイオスの部下に連絡を取り呼び寄せた。攻めて側の人間3人を無力化した以上、もはや守る意味はない。3人は仲良く並んでルイオスへの加勢へと向かった。
そして、十六夜は相手にすることとなる。たった1人で4人の敵を。
英雄の末裔。私が見初めた友。元魔王。“ペルセウス”の№2。
そうそうたる彼らを相手に十六夜は互角の攻防をしたという。そう、逆廻十六夜と言う男はただ1人で4人に匹敵するだけの戦力を有していた。
ルイオスは長年の不真面目がたたり実力を発揮できなかったかもしれない。
ローラはギフトの性質上、自分に都合のいい夢を見ない敵との正面きっての戦いは不得意だったかもしれない。
レティシアは制約(ギアス)によりギフトの大半を失いかつてほどの力はなかったかもしれない。 それでも、常人ならば勝ち得ない。凡人ではまず無理。4対1と言う戦いが心を折るには十分。それでもなお戦うというのならば、天才でなければならない。それも並みの天才では駄目だ。人知を超えた感性、他を圧する能力を持ち、かつ狂っていなければならない。理性が消し飛んでいなければならない。人間的に壊れていなければならない。
かつての私がそうであったように。
十六夜は笑っていたそうだ。窮地に立たされてなお、ヤハハと笑っていたそうだ。
ああ、十六夜。私が見誤っていた。過小評価していたことを君が目覚めた時にまず謝らなければならない。黒ウサギを背に激闘を繰り広げた君はもはや赤子などではなかった。超越者そのものだろう。
だからこそ私は許せない。その戦い。神話として語り継がれてもおかしくもない聖戦に横槍を入れた存在を許すことなど出来そうもない。
互角の戦い。均衡を破ったのはただの一矢だった。
燃える1本の矢。それが狙ったものは十六夜、ではなかった。
身動きひとつとれない。抵抗など不可能な黒ウサギ目がけてその矢は放たれた。そうして均衡は崩れ、戦いは終わる。
十六夜はその矢から黒ウサギを庇った。そしてなおも笑っていたという。口元を歪ませ本当に楽しげな笑顔で笑い。
前のめりに倒れたらしい。
「十六夜。君は…まったく、馬鹿な男だよ」
世界を誰よりも皮肉りながら、他人をどこまでも馬鹿にしながら、馬鹿馬鹿しいまでに優しい。言葉にしてしまえば本当に陳腐だ。
「本当は優しい男。逆廻十六夜」
こうして私達“ノーネーム”は敗北した。
その代償は大きすぎた。私達は黒ウサギを、失った。
―――――✠―――――
私にはやらなければならないことがある。できるのが私だけというのなら尚更。
やらなければならないことをするために私は二人の女神が向かい合う旗を掲げるコミュニティ“サウザンドアイズ”の支店。手土産に水羊羹を持参して白夜叉の私室へと来ていた。目の前にいるのは無論、白夜叉だ。
水羊羹を食べながら白夜叉は言う。
「そうか、“ノーネーム”は負け黒ウサギは“ペルセウス”の手に渡ったか。“ノーネーム”の金欠をネタに黒ウサギの美脚を愛でられなくなってしまったというのは…悲しいことだ」
悲しみを滲ませる白夜叉。その姿は長年の付き合いの私から見ても珍しいもので、頭を下げずにはいられない。
「すまないと謝罪することに否などない。私は何もできなかった」
私は何もしなかった。
「いや、おんしが謝ることではないよ。同意の上で黒ウサギとレティシアを賭けたのだろう?そして挑み、戦い、負け、奪われた。箱庭においては取り立てることもない、実によくある悲劇だろう」
「だとしても、私は君に謝ろう。私は君の信頼を裏切った。格上である“ペルセウス”に“ノーネーム”が挑むと知った時、君がなにも言ってこなかったのは私がいたからだろう」
白夜叉が“ノーネーム”を、黒ウサギを気にかけていたことは知っていた。
その黒ウサギを賭けるゲームに何の関与もしてこないなんてことは、普段の白夜叉ではありえない。止めないにせよ。判断は任せるにせよ。何か一言あってもよかった。
忠告にせよ。勧告にせよ。それがなかったというのは、
「私を信じていてくれたからだろう」
「…」
何も言わない白夜叉に私はもう一度頭を下げた。
すまない。
だが、いつまでも頭を下げてばかりいる訳にはいかない。
私は顔を上げた。話を変える。それを悟った白夜叉は一度目を閉じ小さく息を吐くと、私のよく知る尊大な笑みを浮かべた。
「それで、おんしは一体なにをしに来た?まさか、謝ることだけが目的ではあるまい。私の知っているおんしはそんなつまらぬ男ではないぞ」
「謝りに来た。一番の目的はそれだよ。私としても君を悲しませることになった結果には、膝を折り頭を垂れる他に―――」
「嘘をつくな嘘を」
「―――すまない」
嘘を付いたら怒られた。当たり前だった。
「仲間たちの前ならともかく私を前に隠すことはあるまい?その仮面の下に隠れたおんしの本性など666年の間に何度もみてきた。私を前に演技など不要だと何度言えばわかるのだ。…だいたいおんしはいつもそうだ。素か演技か解らぬからたちが悪い。おんしがそんなだから私も苦労をする羽目に」
「なにか言ったか?すまないが聞こえなかった。もう一度頼む」
「なんでもないわ、馬鹿者!」
白夜叉は両腕を大きく振り上げ机を叩く。その反動で私の前に置かれていた羊羹が跳ね上がり、私の顔面に直撃した。
べたべた。
「ともかくだ!奪い尽し、汚し尽し、黒く染めぬく影の王。魔女を守る山の番人。ブロッケン山の怪物―――おんしは一体、なんのために負けたのだ?」
「…ふくく」
流石は白夜叉。太陽を冠するだけのことはある。浅はかな私の考えなど、お見通しと言うわけだ。敵わないと認めることに否などない。負けを認めぬ私でもない。
だが、ルイオス相手に負けを認めるほど弱い私ではない。
「先の問いに答えよう、白夜叉。私がここに来た理由は、君に確認したいことがあったから。これを確かめないことには私は枕を高くして寝られない。だから、夜分遅くにこうしてやってきた」
礼儀を知らない私ではない。営業時間外に店を訪れることは、白夜叉はともかく女性店員に迷惑をかけてしまうことになるとわかってはいた。
わかってはいたが、やらなければならないことだった。
「確認したいこととはなんだ?」
急く白夜叉を私は指を3本立てて焦らす。
「今の私には敵に回したくない者が3人いる」
指を1本おる。
「1人はジン。これは当然だ。彼を敵に回したくない。彼と戦いたくなどない。私は彼のために生きると誓った。仲違いなど、死んでも嫌だ」
指を1本おる。
「2人目は黒猫。これもまた、当然だろう。アレと戦いたいものなどいるものか。魔王が天災であるなら、アレは厄災。友と言う形以外で、私はアレと関わりたくなどない」
そして、最後の指で白夜叉を指さした。
「最後は、君だよ白夜叉。666年戦って、666年争って、殺しもしたし殺されもしたが私はもう君と戦いたくはない。君にとっての私が鬼門であるように、私にとって君は天敵であるから、これもまた当然のこと。太陽に焼かれることは影にとっては本望だが、死ぬのは嫌だ」
そこまで言えばもはや理解できない白夜叉ではない。
白夜叉はなるほどなと頷くと、困ったように眉を寄せながら
「おんし、私を敵に回すようなことをする気か?」
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