星を喰らいし魔王がいた。
光に憧れた魔王がいた。
影を支配した魔王がいた。
万物を映した魔王がいた。
黄金を目指した魔王がいた。
全てを愛した魔王がいた。
箱庭時代、暗黒期。
同族殺しの魔王が大地を駆け、白き夜の魔王が天の君主たる太陽を完全に支配し、黄金の魔王が輝いていたその時代。
突如として同時期に現れた6人の新たなる魔王たち。
彼ら一人一人が古強者の魔王たちと同等に戦うだけの力を秘めていた。
停滞していた魔王たちの戦力図は彼らの登場と共に塗り替えられた。
魔王新時代の到来である。
新第六天魔王と揶揄された彼らが、まさか同一人物であったと誰が予想したものか。
彼はすべてを裏切った。星を、光を、影を、万物を、黄金を、愛を。
すべてを裏切り忘れ去り。なかったことにしてしまった。
誰にでも成れるかの魔王は同時に誰でもなかったから。
部下が捧げた忠誠も。
女が捧げた愛情も。
民が捧げた黄金も。
すべてが無意味なものとなる。
かの魔王が悪いわけではない。彼は元々そういうものだった。
誰もが見誤っていた。
ただそれだった。
箱庭の誰一人として彼の正体に気付けなかった。
敵に裏切りをもたらす前に箱庭の全てを裏切った魔王。
魔王レベルSSS(トリプルエス)
通称・『背後から刺す魔王』
―――――✠―――――
「身内贔屓にすぎる」
私は手に持った『魔王通信』を閉じる。
時間ができたので白夜叉から受け取ったこの本を読んでいたのだが、あのお菓子の悪魔は相変わらずであるらしい。
戦闘力においては劣る私が白夜叉と同じSSSレベルだなどと、なぜそんなことをとそう思ったが、彼の性癖を思い出して納得した。
そうだ。彼はシスコンだ。大方、こうした作風の方が妹も喜ぶとでも思って書いたに違いない。
『魔王通信』。読んでいる分には面白いが、情報誌としては三流だった。
「彼の情報収集能力を評価することに否などないが、使い方がずさんだろう」
もう少し有意義な使い方があるだろうに、とため息をついたその時、私の部屋のドアが控えめにノックされた。
「開いている」
扉を開き入ってきたのはキツネ耳に二尾が特徴の小さな少女だった。
昨日、ジンから紹介を受けていたはずだ。
名は確か・・・リリ。
「どうした。私に何かようか?」
「えっと、はい。大浴場の方が空きましたのでお知らせに来ました」
「風呂か、」
時計を見ればもういい時間だ。
どうやら本を読んでいる間に時間が過ぎていたらしい。
「他の方々はもう入浴されました。山田様はどうされますか。入浴されないようでしたら、その、もう水を抜いてしまいますが」
「いや、入ろう。手間を取らせてすまない。すぐに行く」
私が軽く頭を下げるとリリは
「い、いえ、こちらこそです」
などとよくわからないことを言って慌てて頭を下げた。
迷惑をかけたのは私だというのに、随分と献身的な子だ。
いくらコミュニティを支えるギフトプレイヤーを支えることが『ギフトゲーム』に参加することができないリリのような女子供の役目だとはいえ、好意を抱くことに否はないな。
「終わったら君に伝えればいいのか―――それはなんだ?」
私の視界にリリが抱えていたモノが入る。
いや、それはなんだと聞いておきながらなんだが、それは桶だ。
タオルや石鹸までは言っている以上、風呂桶以外のなにものでもない。
「なるほど、そうか」
なぜそんなモノを持っているのか、それがわからない私ではない。
既に日も落ちて長い時間。
リリ達もそろそろ入浴を終えて就寝していてもおかしくない時間帯だ。
だというのに彼女がこうしてここに居るのは、私がいつまでも入浴しなかったから。
ギアスプレイヤーを差し置き入浴することなど彼女たちにはできない。
すまないことをしたと思う。
リリとしてはもし私が今日は入浴しないと言えばこのまま大浴場に向かっていたのだろう。
時間も時間だ。早く入浴して疲れを癒し、就寝したいに違いない。
どうするか、私が風呂に入らず彼女たちを入浴させてしまうのが一番いいが、気の利かない私は既に入浴すると言ってしまった。
「あの、山田さん?」
思い悩む私に首を傾げたリリが問いかける。
「君たちの中で入浴していないものはどれくらいいる?」
「え、えっと、ジン達は十六夜さんと入りましたから、あと残っているのは年長組の私達だけです」
子供に夜更かしをさせるのはよくない。
しかたがない、
「一緒に入るか」
「え?」
そのほうが後の掃除も楽だろう。
「もちろん、君たちが嫌じゃなければだが」
子供とはいえ、あって間もない私のような男と一緒に入浴するのは嫌だと思ったが、そうでもなかったらしくリリは逆に「いいんですか!」と飛び跳ねながら喜んだ。
その子供らしい反応を私は微笑ましく思う。
子供たちの年長としての責務もあるだろうが、たまには息抜きも必要だろう。
―――――✠―――――
リンを含めて、結果として一緒に入浴することになったのは年長組の少女たち12人だった。
それだけの人数が同時に入浴するとなれば狭苦しいと思うかもしれないが、そこは栄華を誇った彼らのコミュニティの大浴場。
12人の少女と1人の男など簡単に飲み込んで見せた。
大浴場の浴槽に私は腰にタオルを巻いたまま入浴する。
タオルをお湯につけるのはマナー違反だが、流石に子供とはいえ女性に見せない方がいいものもある。
私達が入浴を終えたらお湯を抜くそうだし、そこは大目に見てもらおう。
「ほぉぅ」
お湯の温度が心地いい。
気を抜けば影が溶け出してしまいそうだ。気を付けなくては。
蕩ける私は自重して、どうでもいいことを考えて意識をはっきりさせることにする。
目の前にはジンと同年代の少女たち。キャッキャ、キャッキャと楽しそうに体の洗いっこなどをしている。
男の私を前にすこし慎みが足りないが、そこは子供だ。
仕方がない。
それにしても、ここに居るのが私でよかった。
あのシスコンのお菓子の悪魔だったら大変なことになっていただろう。
ああ、いや、彼はシスコンなのであってロリコンと言うわけではなかったな。
彼が愛したのはあくまで妹であり未成熟な身体が好きと言うわけでは、なかったか。
昔の仲間のことをのぼせてきた頭で考えていると、いつのまにかリリが隣に居た。
「はふぅ、気持ちいいですね~。山田様」
リリも蕩けているのか、口調が崩れ子供らしいものになっていた。
「ああ、誰かが風呂は魂の洗濯だと言ったらしいが。その通りだ。黒くよどんだこの私が白くなっていく」
比喩ではない。気を抜けば本当に影が溶け出す。
「黒いなんて、嫌味です~。山田様のお肌は真っ白じゃないですか、とってもお綺麗ですよ~」
「綺麗か・・・一応、褒め言葉として受け取っておこう」
「それに比べて、私は―――」
「ん?どうしたリリ。私の身体に何かついているか?」
リリはなぜか私の胸部をまじまじと見つめると
「―――あの、やっぱり男の人って黒ウサギのお姉ちゃんみたいに胸が大きい人がいいんでしょうか」
「・・・リリはマセているな」
男の私にそれを聞くとは。
「ち、違いますよぉっ!!私が気になっているんじゃなくて、あの、あの、他のみんながそう言っているのを聞いて、その、ちょっと聞いてみようかなって」
リリは真っ赤になりながらそう言って、
「・・・山田様。他の方たちより話しやすそうでしたら」
俯いてしまった。
悪いことを言ってしまったか
女は男より早熟だと、前の世界で幼馴染と呼ぶべき存在に聞いたことがある。
なら、ジンと同じ年代で異性に対して興味を持つのも普通のことなのかもしれない。
ならば私は、正直に答えることにしよう。
「リリ」
私の言葉に俯いていたリリが顔を上げた。
「確かにそういう男もいるだろう」
前の世界で人間族の男と友となり、なぜか見せられた成人向け雑誌に載っていた女のほとんどは豊満な体つきをしていた。
「しかし、外見で判断するような男は駄目だ」
外見が美しいことが好意を抱く一因であることに異を唱える私ではない。
しかし、それだけではないはずだ。
どんな外見にでも成れる私はそう思わずにはいられない。
「中身があるから外見に意味がある。リリの身体はまだ成長途中だ。今は外見よりも中身を磨くことにするといい。なに、黒ウサギのようにはなれずともそのままのリリを好きになってくれる男がいる筈だ」
そういうと、リリはなぜか私の胸部を凝視してから、満面の笑みを浮かべた。
「はい!山田様が言うと説得力があります!」
男の私が言うのだから説得力があるのは当然だろう。
そんな雑談をしながら入浴は続いた。
”ノーネーム“の子供たちとの距離が少しだけ近づいた気がしたのは、私の勘違いではないだろう。
―――――✠―――――
入浴を終えた私は私室で読書をしていた。読んでいる書物は『魔王通信』ではない。
前の世界の書店でも売っていた、珍しくもないヨーロッパ地方の童話が載った一冊。
コーヒーを片手に『グリム童話』を読みふける。
暇つぶしにしかならないが、潰れるものは潰しておいた方が気持ちいい。
「で、だ」
私は書物から目を離すことなくベッドの上に座る少女に問いかけた。
「リリ。君はどうしてまだここにいる。明日も早いのだろう。早く寝た方が良い」
君に夜更かしをさせないために、子供とはいえ私は女と入浴するなどと言う背徳的な行為に及んだのだ。
「・・・ごめんなさい。でも、私、どうしても聞きたいことがあって」
そんなことはリリの様子を見ていればわかる。
「知っているよ。だからさっきから言っている。君が聞きたいこととはなんだ?」
私に答えられる限りなら、答えることに否はない。
「“ペルセウス”のことです」
昨日の夜、行われた商談を思い出す。
かの乙女に魅入られた騎士のような青年。
そして、持ちかけられた“対等な取引”。
「・・・それは君の気にすることではないよ。なに、悪いようにはしないさ。安心してもう寝なさい」
「気にします。だって、だって、黒ウサギのお姉ちゃんは私の、お姉ちゃんなんです」
リリの言葉には愛がある。これは親愛か。
しかし、それに答える言葉を残念ながら私は持たない。
「気にするなというのは訂正しよう」
出会って日の浅い私は、冷たく突き放す以外にできることはない。
「今回の件で君にできることは何もない。これは私達『ギフトプレイヤー』とリーダーであるジンの問題だ」
「っっ」
リリは小さな身体をさらに小さくして、黙り込む。
ルイウスより持ちかけられた“取引”には利があり、同時に損もする。
これまで“ノーネーム”が曲がりなりにも存続してこられたのは、言うまでもなく黒ウサギのおかげだ。
その黒ウサギを手放すという選択は、愚かしいと思う。
しかし、手放せばレティシアと言う名のあの純潔の吸血鬼が手に入るとなれば、話は変わってくるだろう。
黒ウサギは優秀だ。
しかし、さまざまな制約により彼女は箱庭の中核でもある『ギフトゲーム』への参加が難しいという欠点がある。
復興をめざし多種多様な『ギフトゲーム』に参加していかなければならない”ノーネーム”にとってその欠点はあまりにも致命的だ。
対し、レティシアは同族殺しの魔王とまで呼ばれ恐れられた実力者。
彼女は黒ウサギと違い『ギアスゲーム』への何の制約を持たない。
“ノーネーム”の今後を考えるならば、果たして両者のどちらが有益なのか。
その答えを出すのは『ギフトプレイヤー』である私達と、リーダーであるジン。
そして、黒ウサギ自身に他ならない。
「でも、でも、私っ」
リリは気丈だ。
小さな身体を震わせながらも涙を零すことはない。
泣いてしまえば楽だろう。甘えてしまえば楽だろう。
まだ子供であるリリにはそれが許される。
けれどリリは泣かない。泣くことはない。
歯を食いしばり、唇を噛んで、それだけはしないと耐え忍んでいる。
いったい彼女の何がそうさせるのか、出会って間もない私には分からない。
しかし、その頑張りを称えることに否などない。
ジンの涙を美しいと思った。
リリの苦悶もまた、美しい。
「大丈夫だ。リリ」
リリの頭に手を置き、撫でる。
出来る限り優しく、細やかに。
私が少しでも力加減を誤ればこの小さな存在はかくも容易く砕け散ってしまうだろう。
それだけは、してはならない。
「私は言っただろう。悪いようにはしない。悪いようにはならないと」
「ぐすっ、どういう、意味ですか?」
「私たちのリーダーを、“ノーネーム”のリーダーをいったい誰だと思っている。付き合いの長いリリは私よりよく知っているはずだ」
あの小さくも可能性を秘めた少年が、仲間を売るはずがない。
そして、仲間を諦めるはずもない。
タイミングよく、私の部屋の扉が開く。
飛び込んできたのはもちろん―――
「山田さん!お願いがあってきました!僕に、力を貸してください!」
「ああ、その言葉をずっと待っていたよ。随分と長く待たせてくれた」
駆けられた言葉に一も二もなく答えて、私はリリの頭においていた手を離す。
もうこれは必要ない。リリの顔には年相応の笑顔が戻った。
さあ、それでは再びの開戦といこう。
“ノーネーム”の仲間と誇りを賭けた『ギフトゲーム』の、始まりだ。
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