彼が率いた艦隊は演習でも実戦でも多くの勝利を掴み取ってくる。時に戦術的敗北をするが、それでもその圧倒的な勝率九割五分という結果からいつしかこう呼ばれるようになった。
常勝艦隊、と。
世界を夢幻のように感じていた男は、ようやく彼女たちと向き合わねばならないと考え始めた。そんなお話。
●艦娘たちの憂鬱 第二部 彼女と向き合うまでの憂鬱
1 憂鬱な新年
正月といえばなにを思い浮かべるだろうか。おせちや門松、あとはお笑い番組などを挙げる人が多いかもしれない。しかしながら、この提督という男は初詣というものが正月の大部分を占めていると考えている。
初詣は一大イベントだ。どこの神社も混み合い、普段の閑散とした雰囲気などどこかに行ってしまったように、多くの人々の声が響き合う。ついさっきもらったばかりのお年玉を握り屋台で買い物をする子供や、カップルで仲睦まじくデートをする若者。
提督もこの仕事に付く前までは毎年の正月はそういった混み合っていた神社にいたのだが、いまはそうではない。わざわざ神社に行くまでもなく、全国各地の神社に初詣できるからだ。
元旦の早朝、まだ薄暗い中に彼は探しびとを求めて鎮守府を探し回っていた。目当ての人物は毎朝規則正しく目覚めて鎮守府のどこかにいる。今日はなにをしているのだろうか、と考えながら足を進めていると綺麗な黒の長髪が揺れたのが見えた。
「長門!」
提督は可愛らしいエプロンを身に着けた長門を視界に入れた瞬間に彼女へ駆け寄って小銭を投擲した。いきなり小銭を投げられたのだが、それくらい長門にとっては不意打ちに入らない。彼の投げた小銭はすべて片手で掴み取られた。彼女が手を開くとそこには500円玉、50円玉、そして5円玉の計555円があった。
二礼二拍手一礼、きっかり90度まで腰を曲げた礼をした彼が顔をあげると長門は満更でもない顔をしていた。
「謹賀新年か、胸が熱いな」
さすがビッグセブン、提督の謎の奇行に動じていない。
彼女の小銭をとっさに受け止めたのとは反対の手には竹ぼうきが握られている。彼女は外で掃除をしていたようだ。正月というのに生真面目な女性だ。朝っぱらから女性に向けて小銭を投げつけるような男に爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。
謎のやりきったような表情をしている提督に彼女は頬を緩める。彼女は分かっていたのだ、提督の奇行には意味があるということを。長門型戦艦の一番艦「長門」の艦内神社にその理由がある。
「とりあえず長門に拝んでおこうと思ってね」
「住吉神社には住吉三神が祀られているからな」
彼女の艦内神社は住吉神社である。そこに祀られている神は住吉三神であり、航海の神なのだ。提督として一番初めに拝むのにこれほどふさわしい神はいないだろう。
あとは軍神であるタケミカヅチが祭神である鹿島神社にも参拝したいところではあるが、鹿島神社を艦内神社とする鹿島は今現在艦隊にいないために不可能。しかしながらこの提督、以前学校にいた頃の教官であった鹿島に小銭を渡して毎年正月には参拝していた。彼を真似て多くの学生が同じように鹿島を拝むようになり、彼の卒業後も伝統として残っている。
ちなみに多くの少年から小銭を渡され二礼二拍手一礼をされる当の鹿島は笑顔で応対している。やはり天使か。
「あとは伊勢を探さなきゃな」
「提督も大変だな」
「いや、半分趣味だし大変ではないかな」
「そうか」
伊勢は誰もが知っている伊勢神宮を艦内神社としている。
あとは高雄型の面々にも参パイしなきゃな、と考えていることをおくびにも出さず提督は趣味といい切った。彼は今すぐにでもビッグセブンの力で修正されるべきだろう。女性ばかりの職場のトップに立つ人間として最低である。
長門は提督から投げて寄越された小銭をぎゅっと握る。彼はこれらを握りしめながら自分のことを探していたのだろうと推測する。なぜなら小銭にはほのかに彼の暖かさを感じたからだ。
ちらちらと舞う雪に提督と長門の白い息。相当冷え込む朝ではあるが、艦娘である長門は普段の肌を露出した格好で海を平然と出られるため、この程度の寒さは大したことではない。ただ、提督は人間であるから相当の厚着をしている。
長門という艦娘はその勇ましさからか今のようにエプロンを身に付けている姿が似合わないように思えるのだが、実際はよく似合っている。
武闘派に思われがちだが、彼女の本質は箱入り娘だ。大切に大切に外に出されず育てられた女の子。少年たちの憧れ、力の象徴とされた過去からあまり表に出さないが、本当は可愛らしいものを好んでいると提督は知っている。女子力の塊の妹である陸奥の私物と思われている、二人の部屋のファンシーな小物の半数は長門のものであるということを提督は先日知った。
「それじゃまた後でな」
「あまり遅くなるなよ? 鳳翔たちが悲しむ、せっかく多くの料理を準備したのだからな」
「分かってる」
長門の忠告はもっともだ。元旦ということで普段に増して気合を入れた鳳翔や間宮、ついでに川内などのメシウマ勢が頑張っている。川内は普段の夜戦とばかり叫ぶ姿からは女子力の欠片も感じられないのだが、その実トップクラスの女子力だ。女子の中の女子といっても過言ではない。提督としては意外だったのは川内型の中で女子力が一番低いのは神通という事実。浴衣など綺麗に着こなすのだが、全て姉と妹の見立てであると神通から聞かされたのだ。
普段の彼女のイメージからしたら意外すぎると提督は考えるのだが、二水戦の艦からすれば神通さんらしい、という感想になるという。提督は三回ほど首を傾げた。
「ああそうだった、伊勢も調理場だ。会いに行くならあとにするといい」
歩きだしたところ背にかけられた長門の声に片手を上げて答た。まず正月にやろうと思っていたことは済ませたために多少暇になってしまった。とはいってもすぐに正月の宴会が始まるので長時間暇になるということはないだろうと考える。宴会では酒飲み勢から逃れなければならないな、と逃亡の算段を立てながら足を進めた。現代っ子らしくアルコールには弱いのだ。
アルコールで潰れた例のクリスマスの翌日、目が覚めると横には陸奥がいた。前日の夜の記憶が吹っ飛んでいたためになにかやらかしたのじゃないかと戦々恐々としているところへ彼女の「昨日は楽しかったわね」とのお言葉。提督は考えるのをやめた。それからしばらく顔を合わせるのが気恥ずかしいような気がして仕方がない。
お酒には注意しないとなあ、と少し憂鬱な気分になった。と同時に声をかけられる。
「どうかしました? 正月なのに元気がないですね司令官」
提督が声の方向へと顔を向けると、そこには特型24姉妹の一番上のお姉さんである吹雪型一番艦「吹雪」がいた。注意力が散漫だったせいか、彼女がいるのに気が付かなかった。誤魔化すように彼は頬を掻いて苦笑いを浮かべる。吹雪は心配そうな表情をして見上げていた。
「あ、いいや違うよ。たくさん年賀状が届いてどれから手を付けるか戸惑っているんだ」
「なぁんだ、良かったです。そうだ! あけましておめでとうございます!」
苦しい言い訳に突っ込むことなく吹雪は笑顔で応える。踏み入ってほしくない雰囲気を感じ取ったのだろう、こういうところが彼女のいいところだと提督は思っている。
元気よく挨拶する吹雪だが、ちなみに今日はパンツは見えていない。パンツは見えていない。大事なことである。
彼女と同じ別の「吹雪」が広報の資料に白い何かをチラ見せさせてしまったために、世間ではパンツの子と言われているとか言われていないとか。全国の吹雪はそれを不満に思うことも多く、名誉挽回の機会を虎視眈々と狙っている……らしい。
吹雪は提督の手を取る。少女のほの暖かい体温が心地いい。子どもと加賀はいつだって暖かいからこの季節はくっつきあっているのをたまに見かける。さすがにその中に混じっていく勇気はない。
すっかり冷えた提督の手を包み込んで吹雪は呟く。
「それにしても冷えますね」
「とか言いながら平気そうだよね君は」
「艦娘ですから!」
ふふん、と胸を張る吹雪。この季節は雪と名のつく駆逐艦にとっては馴染みの深い季節――ということはなく、実際北方に行くことはあまり無かったらしい。
冷えるだろうから離しなさい、という提督。それに対して吹雪は嫌だと駄々をこねてしばらく膠着状態に陥った。結局提督が折れて諦めて握られたままになった。
「ですけど、やっぱり暖かいほうが良いですよね~。炬燵とか気持ちいいですし」
「戦意高揚する?」
「しますよ~!」
炬燵の暖かさを思い出したのか、吹雪はえへへと笑みを浮かべた。可愛らしい少女が嬉しそうにしているとこちらも嬉しくなるものだ、と提督もほほ笑みを浮かべる。
「けど初雪とか炬燵から抜け出さなくなりそうだよな」
「え? ……そ、そんなことはないですよ?」
「おい」
彼女の妹の一人、初雪なんかは設置された途端に炬燵へしがみつく勢いだった。炬燵様と離れたくないと駄々をこねる彼女を、吹雪が深雪と共に引っ張り出すのは駆逐艦の中では冬の見慣れた光景になっている。また初雪と似た引きこもり体質な望月なんかも姉妹に引っ張られること多々あり。
何度か「炬燵様~!」とこの世の終わりのような声を上げながら引きずられていく彼女らの姿を提督は見かけた。わかるよわかる、けど仕事しようなと暖房の効いた部屋で寒空の下に艦娘を送り出しながら考えていた。酷いやつだ。
「ああそうだ、吹雪もあとで長門に参拝しておくといい」
「そうですね、みんなと一緒に行こうとおもいます!」
「長門も喜ぶ」
来年は長門を座らせてその前に賽銭箱でも置こうか、と思いついた。翌年、ずらっと並んだ艦娘の列に提督がビビることになるのだが別の話。
輸送の安全は生命線ですからね~、と語る吹雪は頼りになる娘さんだ。真面目で、多くの駆逐艦の姉ということもあり責任感も強い。提督が駆逐艦で電の次に頼りにしているのは吹雪だろうか。奇しくも末っ子と長女である。
「先日は大型艦の皆さんといらっしゃったので、今日は私達とご一緒しませんか?」
クリスマスのときの事を思い出しながら吹雪は誘う。
「それも良いなあ。……食べ物も好きに食べられそうだし」
「あはは、特に空母の皆さんとご一緒だとですね」
とは言いつつも10代前半やそれ以下に見える駆逐艦娘ですら成人男性並に食事を摂る。それに釣られて提督の一日の摂取カロリーも増加しつつあるが、運動量が増えてないためにいつかは太ってしまうのでは、と実は怯えている。神通にでも頼んで運動メニュー作ってもらおうかとも考えたが、執務に支障をきたしかねないので長良にでも頼むべきかと悩んでいる。
神通の海の上での姿を余り知らないが、うわさに聞く苛烈さが事実なら我が身がかわいいので頼むべきでないだろう。
ふと静かな周囲を吹雪は見回して呟いた。
「慣れはしましたけど、現代の正月というのは落ち着かないですね」
「落ち着かない?」
「のんびりしすぎていて――あ、いや。悪いってことじゃないですよ?」
吹雪が言うに、艦時代は人々が住まうこともあり大晦日の大掃除は大層な手間がかかっていたとのこと。それに元旦も一般市民のようにのんびりと生活できていたわけではない。また歴史的事情や他国の感情などを配慮してやらなくなった行事もある。
「俺らからすると陛下の写真を掲げて拝むというの全然わからないんだけどなあ」
「教育で『象徴』としか教えられないというのが私達からすれば全然わかりません」
「半世紀以上のジェネレーションギャップを感じる」
隣国の艦娘への国民感情は複雑だ。艦娘として現れるのは例の大戦時の艦であるのだが、当時の隣国は併合されていたためにこの国と同じ艦娘が現れることとなった。彼女らしかほとんど戦力がいないため、過去の出来事との事情もあって意見が対立しているという。今のところは艦娘容認派が優勢だが、いずれはどうなるか分からない。
「難しいよな」
「そうですね。でも、私達が必要なくなって否定されるのであれば、それはそれで素晴らしいことです。武器が要らない、平和な世界。そうなったら一日中ひなたぼっこ出来ますよね?」
未来に思いを馳せて楽しそうな表情をする吹雪に、提督も明るい未来を思い描く。
「あ、おーい睦月ちゃん!」
もしそういう未来がきたら自分は何をしているのかを想像していたら吹雪が声を上げて手を振っていた。彼女の視線の先には睦月がいる。声をかけられた睦月は提督と吹雪を見ると、同じように大きく手を振った。吹雪はそれを見ると、提督の腕を引っ張って駆け出す。
「司令官、行きましょう!」
「ちょ引っ張んないで!」
艦娘を引っ張っていく立場のはずなのに引っ張られてばかりだなあ、と思いながら彼も駆けた。
そして彼の、彼女らの一年が始まった。彼らにとっても、そして他の提督たちにとっても激動の一年が。しかし、彼はそんな未来のことなど一切知らずに、駆逐艦たちにお年玉を強請られたかられることになった。
全員に配ったら破産するから勘弁してくれと情けない声をあげるまで、あと十数秒――
第二部開始です。不定期ですので適当に待っておいてください。