アーシア・アルジェントは一人考えていた。
リアスお姉さまに無理を言ってお仕事を休ませてもらった。
理由としては、明日の決断のために考える時間が欲しかったこともあるが、
それ以上にアーリィの過去が言葉がアーシアの心に刺さったのだ。
アーリィは言った。
彼女の町は悪魔に襲われたと。
鮮血に染まった道を歩き、死体の山と燃え盛る町を彷徨い、
目の前で母親が死に、友人が死に、妹が悪魔となって殺されそうになり、
その手で大切な妹を殺したと。
その過去を聞いて、アーシアはアーリィの心の内を覗いた気がした。
彼女は悪魔によって何もかもを奪われたのだ。
ならば悪魔を許せないと思うのは当然のことだと思う。
『同盟を結ばれない人間は、ただ管理されるだけの存在なのですか?』
『人間を管理するなんて、まるで家畜を扱うようですね!』
『三大勢力だけが幸せで、人間が苦しんでいる和平なんて無意味です』
リアスお姉さまと対談した時の言葉を思い出せば思い出すほどに、
アーシアの心は痛みを感じる。
それは紛れもないアーリィの本心。
大けがをして治療をした際にもアーリィは言った。
『目の前で泣いている人を守れないルールなんて、従う気はありません』
『私は、私の意志で悪魔を殺します』
あの時の彼女の目は、鈍感なアーシアでも解ってしまうほどに濁っていた。
だが、アーシアが感じたのは、恐怖よりも悲しみだった。
教会にいた頃のアーリィは、自分に対してそのような素振りをみせたことが無かった。
常にぼーっとしていて、迷子になっている、うっかりなお姉さんだった。
自分にとって、アーリィは大切なお姉さんだ。
たとえ血のつながりはなくとも、それはアーシアにとって確かなものだ。
泣いてしまう自分を抱きしめてくれて、悲しんでいる自分の傍にいてくれて、
おっちょこちょいな自分を引っ張ってくれていた、うっかりのお姉さん。
それがアーシアにとってのアーリィだ。
それがアーシアの中に根付いたアーリィの真実だ。
そしてアーリィの語った現状についても、アーシアは苦しむ。
和平という約束が成就されたというのに、
その裏で罪のない人間が襲われ、殺され、奪われ、犯され、苦しんでいるという事実。
それは、優しいアーシアにとって知らない話だった。
優しいリアスお姉さまやイッセーさん等と学校生活を楽しんでいる裏で、
何もかもを奪われている人間がいるという真実。
それは、優しすぎるアーシアの心を揺れ動かす話だ。
リアスお姉さまは心配ないと言った、被害は少ないと言った。
だがそれでも苦しんでいる人がいる、アーリィ姉さまと同じ目に遭う人がいる。
リアスお姉さまを信じられない訳ではない。
ただ、疑心を持ってしまったのだ。
自分たちだけが幸せで、周りの人が苦しみ、嘆き、悲しんでいる世界が、
本当に正しいのか?ということに。
屍の命を吸って咲いた花を、美しい、綺麗と言えるというのか?
アーシアは優しい子だ。それは彼女の美徳である。
だが、優しさは時に自分自身を苦しめる猛毒となる。
それ故にアーシアは自分の優しさに苦しむ。
どっちを選んだとしても、その選択は必ずアーシアを苦しめるだろう。
苦痛の無い選択肢など存在せず、
生きる全ての者に与えられた権利は、選択することしかないのだから。
「主よ、私はどうすればいいのですか・・・?」
もはや存在しない神にアーシアは心を吐露した。
ゼノヴィア・クァルタは考えていた。自分は一体何なのだろうか、と。
教会の戦士として神を信仰し、奉仕し、そして神のために魔物を屠ってきた。
それが正しいと信じていたからだ。それが神のためになると思っていたからだ。
自分は人を守る盾であり、魔物を打ち倒す剣であった。
エクスカリバー奪還の命を受けた時もそうだった。
教会に保管されているエクスカリバーを奪い、世界に混乱を招く堕天使を追ってきた。
エクスカリバーを奪還し、人に災禍をもたらす存在を切り捨てるために。
その際に、部長やイッセーやアーシア、木場と一悶着あったが、
それでも最後は協力して任務をこなした。
だが、その際に神の死を知ってしまい、それによって教会から追放された。
信仰のために、教会のために奉仕してきた自分を、教会は保身のために捨てたのだ。
それは、自分にとって酷い裏切りだった。
ゆえに自棄を起こして悪魔になった。
今に思えば、酷く滑稽だと思う。味方に裏切られて敵に寝返ったのだから。
そんな私を、アーシアは、部長は、そしてイッセーや皆は快く受け入れてくれた。
それには感謝をしても感謝しきれない。
今を思えば、あの時の私はそれにしか縋ることしか出来なかったのかもしれない。
なぜなら、私には何も残っていなかったらだ。私は命令されるだけの兵士だったからだ。
意志の無い兵士は流されるしかない。
だが、ふと思い至る。
本当に私には何も残っていなかったのか?
教会を裏切られた時、私は何もかも失ったと思った。だからこそ自分から人間を捨てたのだ。
だが、偶然にも再会したアーリィに触れて思う。
私には、まだ大切なモノがあったのではないか?と。
確かに教会には裏切られた。
だが、友であるイリナは私を裏切ったか?戦友であるアーリィは私を見捨てたか?
違う。私が勝手に捨てたのだ。
ゼノヴィアはそのことに気付いて身体が震えだす。
私が勝手に絶望し、勝手に捨てていったのだ。
棄てるべきではなかった大切なモノを。
「あははは・・・」
ゼノヴィアの口から、渇いた笑い声が漏れる。
勝手に絶望し、勝手に何もかもを捨てて、勝手に人を棄てた憐れな自分。
それが自分だったのだ。
「私は・・・馬鹿だ・・・」
そう思うと、何かスッキリした気がした。
まだ自分には捨ててはいけないものがあったのだと。
ならば、もう無理かもしれないが、もう一度拾えばいいのではないだろうか。
無理かもしれない、手遅れかもしれない、でもやるだけの価値はあるだろう。
「アーリィ・・・私は・・・」
ふと、アーリィの語った言葉を思い出す。
彼女は悪魔によって何もかもを失った。そして彼女は教会にすら裏切られた。
だが、それでも彼女は自分であろうとしている。
たとえそれが三大勢力の決めたルールだとしても、
人を苦しめている悪魔を、自分の意志で殺すことを決意している。
その目は確かに濁っていた。恐ろしいと思うほどに。
だが、その目から一際輝く光も見えた。それが彼女の人としての強さかもしれない。
ならば私はどうすればいい?ゼノヴィアは迷う。
悪魔になってしまった自分が、いまさら人のために剣をとってもいいのだろうか?
ゼノヴィアは葛藤する。
部長の剣として戦う誓いをした。
だが、アーリィの言葉を察すると、その剣先は人を斬るかもしれないのだ。
人を守るために悪魔を斬りすてた剣が、
悪魔を守るために人を斬る剣に変わるかもしれないのだ。
「私の剣は、いったい何を守るためにあるのだ?」
ゼノヴィアはデュランダルに問いかけるが、デュランダルは答えない。
ホテルの一室で、修道女が祈りを捧げていた。
黒い修道服を纏っているが、顔には黒いヴェールは覆われていない。
そして彼女のテーブルに置かれているのは、
魚料理と一切れのパン、小皿にもられたいくつかの料理と柑橘系の果物、
朱い液体が注がれたワイングラスといったものだ。
彼女は、それを前に祈りを捧げていたのだ。
「主よ、あなたの慈悲に感謝を、
そしてアーシアとゼノヴィアに光ある道を示してあげてください」
そう言うと、修道女は料理を食す。まるで一口一口を噛みしめるように。
最後に、一切れのパンを口に運び、グラスの液体を飲み干す。
「さて、明日の準備に取り掛かりましょう」
食器を片づけると、彼女はテーブルに置かれた物を確認する。
バツ印の書かれた駒王町の地図、
針、釘、杭、糸、銀の輝きを放つ剣、聖書、液体の入った小瓶、十字架などなど、
あまりにもおかしなものが置かれていた。
修道女は、それらの数を、劣化を、効力を、確認する。
「ああ、明日が本当に楽しみですね」
修道女、アーリィは明日のことを、まるで幼子のような表情で待ちわびた。