東方今昔鬼物語   作:PureMellow

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未だに続話を待ってくれている方々がいて、本当に嬉しいです。



妖しい、女

「……くぁ……」

 

 台車の車輪が立てるガラガラという音をBGMに、俺は朝早いがために出た呑気な欠伸を一つしながら、まだ薄暗い冬の空を仰いだ。

 

 

 ――悠久のような刻のあの一夜が明けた朝。

 

 昨夜の自身がした事を何も憶えておらず二日酔いの頭痛に苛まれていた阿礼と、阿礼の両親や使用人達に見送られながら、俺は阿礼達からの餞別の品や不比等様から頂いた茶会での褒美の品を山積みにした台車を引いて都を発った。

 

 都から東へ、見晴らしの良い平原を裂くように伸びる道を俺はひたすら歩いている最中だった。

 

 朝一で都を出たため、天候や事故などが問題なく順調であれば、日が沈む前には村に着くだろう。

 

 今日は俺の誕生日。俺の村では村民の誕生日は村全体で祝う宴を行うので、主賓がいないんじゃ話にならない。

 遅れないようこの先何も無いことを願うばかりである。

 

「村に戻ったら、これからの事を話し合わなくちゃなぁ……」

 

 稗田家に婿入りするのか、それとも村長を担い村に骨を埋めるか。

 

「どちらも簡単に切り捨てられないから、迷ってるんだよな……」

 

 阿礼も、村も。

 俺にとっては比べられない程に大切なものだ。

 せめて、悔いが残らない選択をしたい。

 

 憂鬱な気持ちになっていると、不意に瞳に刺さった眩い光。

 山の向こうから空が燃え始め、暁の終わりを告げる。

 

 霞のごとく、定まって見えない己の未来に、様々な思いは巡るが。

今はただ只管に、歩き続けるしかなかった。

 

 

 

 

 

「あれ……この木、だったよな?」

 

 暫く歩いて、3日前に俺が地蔵に笠と蓑を貸した地点へと来た……筈なのだが。

俺は足を止めた。

 

 どこを見渡しても、その地蔵の姿はなかった。

 

 どこまでも続く平原の中の道の傍に生えた、ポツリと在る大きな枯れ木の下に確かにいた地蔵。

 しかし、いない。俺が着けてやった笠と蓑もない。

 俺は首を傾げた。

 

「狐か狸に化かされたのか……? まあいいか」

 

 とはいえ、別に笠と蓑を回収するつもりはさらさらなかったので然程気にしてない。

 運が悪かった。それだけの事にして、村で笑い話にしよう。

 

「丁度いい。腹減ったし、朝飯にするか」

 

 台車を道の端に寄せて停め、荷物の中から布の包みを取り出し、枯れ木の太い根に腰掛ける。

 

「おぉ……」

 

 布を開くと、中には御握りが5個も入っていた。

 朝出発する時、稗田家の使用人たちが渡してくれたのだ。

 

 全て純粋な白米で握られたお握りが、5個もある。

 ……本当に、稗田家の人達には頭が上がらない。

 

「いただきます」

 

 心の底から稗田家に感謝を込め、俺は御握りにかぶりつく。

 一口齧ると、少し強めの塩気が体に染み渡る。

 

 ああ……やっぱ米は美味いなぁ……。

 

 水筒の蓋を開けて、咀嚼した米を水で流し込む。

 

「――っ、はぁ……」

 

 体にエネルギーが補給され漲ってくる感覚。

 体が、養分を得て喜び、熱を発する。

 

 この時代に生まれて、食事の有り難みとその大切さを強く感じるようになった。

 飽食の時代と呼ばれた未来では薄れていたこの感覚。これがどれ程素晴らしいものか。

 ただの米でも、ただの水でも。

 この時代を生きている俺にとっては最上級のエネルギーだ。

 

 御握りを3つ食べて、残りはまた後で食べようと布を閉じ。

 俺は腹ごなしがてらに笛を取り出し、一曲奏でた。

 

 演奏に浸って暫く、笛から口を離すと、後ろから手を叩く音が聞こえてきた。

 振り返ると、草原の中に揺らめく一人の女性がいた。

 

「素晴らしい演奏ね。感動したわ」

 

 庶民的だが余り汚く見えない菫色の着物を着た、長い金髪の中々に美人な女。

 その女は、俺ににこりと笑いかけてこちらに寄りながら、そう褒めてきた。

 

「賞賛の言葉をどうも。こんな所に女性が一人でいるとは思いもしなかったな。俺は柊というが、あんたは?」

「私は紫。ただの美人な旅人よ」

「ふーん……? 旅人ね……」

 

 (ゆかり)と名乗る、見た目は若く確かに美しい女が一人で旅とは。

 それに旅人と名乗るにしても、その女は特に旅の荷物を持っている様にも見えない。余りにも身軽過ぎる。

 その笑みは男を惚けさせてしまうには十分に美しいが、俺にはどこか胡散臭さも感じられた。

 

 正直、彼女の第一印象は怪しい尽きる。

 

 そんな俺の警戒心を感じ取ったのか、俺の目の前まで来て苦笑しながら首を振る紫。

 

「そんなに怪しまないで欲しいわ。ほら、この通り幽霊でも化生でも何でもないわよ」

 

 そう言って座っている俺の眼の前でしゃがみ、俺の頬に手を添えた紫の手は確かに、仄かな(・・・)暖かさを感じた。

 頬から離れ、下がる紫の手を目で追いながら少し静まった俺の警戒心。

 とりあえず(・・・・・)は、人間であると思っておく。

 

 紫は俺の隣に座ると、俺の服装をまじまじと見て尋ねた。

 

「ねぇ、柊は見たところ上質な着物を着ているけれど、貴族に仕える奏者といったところなのかしら?」

「いや、俺はこの道を東にずっと歩いた先にある農村の者だよ。今は都から帰る途中だ」

「……農民?」

 

 そう教えたのに、紫はキョトンとした目を向けて首を傾げた。

 

「そんな、そこらの下級貴族よりも良い服を着て、農民なの?」

「都に俺の友人の貴族がいるんだ。そいつからの、20回目の誕生祝いの贈り物なんだよ。自分で言うのも何だが、結構気に入ってんだ」

「ふーん……さては、女ね? 玉の輿ね?」

「……すんなりとそうなれたら、どんなに幸せだろうな」

 

 皮肉たっぷりに茶化して言う紫に、俺は色のない声で、ただ淡くそう返す。

 そんな俺に紫は何か察したのか茶化す空気を消して、吊り上げていた口角を戻した。

 

「……まあ、色々とあるのは分かったわ。失礼な事言ったわね」

「気にするな……それで、俺に何か用でもあったか?」

「いえ、貴方の笛の音が素敵だったからつい話しかけただけなんだけど……でも、そうね。貴方について行けば今夜の寝床にありつけそうだわ。ご一緒してもいいかしら?」

「……俺の村はここから東に、大体日没まで歩く距離にあるが、大丈夫か?」

「ええ。目的(・・)はあっても、目的地なんて無いもの。構わないわ」

「ふぅん……ま、いいか。ここで会ったのも何かの縁だしな」

 

『目的はあれど目指す場所は無い』という紫を不思議に思いつつも、大分警戒心の薄れていた俺にはそれ程気にかかる事ではなかった。

 

 じゃあ行くか、と立ち上がろうと俺が脚に力を込めた瞬間。

 

 くぅぅー、

 

 という、気の抜けた音が鳴り響き、その為力が抜けた俺は立ち上がるのに失敗した。

 その音の発生源に目を向ける。

 

「……っ、…ぁ…ぅ……」

 

 お腹を抑え、顔を赤くして羞恥に震える紫。

 堪らず吹き出し、俺は隠す素振りもなく声に出して笑う。

 

「ははは、 随分可愛い腹の音だなぁ」

「う、煩いわね!? ここの所何も食べてないんだから仕方ないじゃない!」

「何だ、そうなのか。じゃあこれ食えよ」

 

 そう言って、俺は包みを開いて残っていた御握りを差し出す。

 その白いツヤツヤの米に、紫はゴクリと喉を鳴らした。

 

「い、いいの? それ……白米でしょ?」

「俺はついさっき3つ食ったしな。いいぞ、食え」

 

 御握りを持った手で促し、紫は恐る恐ると手を伸ばして御握りを手に取り、口に運んだ。

 

「~~~っ!!」

 

 声にならない歓喜をその緩んだ頬で表現する紫は、二口、三口と忙しなく一つ目を食べ終えて、二つ目の御握りを今度は大事そうにゆっくりと食べ進めていく。

 

 若干頬を膨らませて食べている紫の横顔が、なんだかリスみたいだと微笑ましく思って笑いつつ。

 

 静かで平和な朝の一時の中、紫の食事が終わるのを待っていた。

 

 

 

 

 ―――最初に柊を見た時、私はてっきり彼を同族(・・)だと思った。

 

 木の根に腰掛けて、つい聴き惚れてしまう程素敵な笛の音を奏でていた彼が纏う空気感の中に、私と同じモノ(・・)の気配を感じて私は声を掛けた。

 

 だが、演奏が終わって柊が私の方を見た時、私は彼の匂いがまさしく人間である事に気が付き、笑顔を演じていた内心ではとても驚いていた。

 

 整った顔立ちに、少し長めで野暮ったさのある黒い髪。そして貴族のような美しい着物を着て笛を吹く柊。

 見た目であれば、どこかちぐはぐではあるものの只の良いところの貴族の人間にしか見えない。本人曰く農民らしいが。

 

 私に警戒心を持つ彼と会話をして、彼の頬に触れてみたりしても、逆に人間であるという確信の方が強くなっていく。

 

 なのに、何故か初対面であるのに、柊からはどこか安心感のようなものを覚える。

 

 彼は、不思議な人間。

 無性に惹かれる何かを持った、興味深い人間。

 

 それに彼は、とても優しい。

 

 貴族しか食す事のできない混じりっ気のない米だけのお握りを、お腹を空かせた見ず知らずの旅人に惜しげも無く差し出してしまうのだから。

 私はそれを食べて、思わず我を忘れて喜んでしまった。

だって、米だけのお握りを食べられるなんて思いもしなくて、久しぶりに食べる穀物も、悪くないと思った。

 それどころか、食事している私の格好を寒く思ったのか彼は、彼の髪と同じ上品な道行まで羽織らせてくれた。

 

 妖しい歳上の女性を演じていたのに、ものの見事にそれを剥がされた。

 それが悔しくて、落ち着きを取り戻して二つ目の御握りを食べている間、ちょっと着物を着崩して胸元を少し見せてみた。

 その崩さない澄ました顔を赤くしたり目を泳がせる彼を見たかったのだけど。

 興味も無さげに「風邪を引くぞ」とだけ言って、また笛を吹き始めてしまった。

 

 意中の女性がいるという余裕かしら?

 まったく見向きもされなくて、少し腹が立ったわ。

 

 彼が纏う着物は、それはそれは見事だ。

 きっと彼の為に仕立てられたものなのだろう。彼は常人よりは背がかなり高いし、着物に施された意匠はとても丁寧で手が込んでいる。

 

 それに彼の着物からは、(まじない)の力を感じる。

 決して悪意のない、祈りと願いの篭った咒。

 

 彼は気付いてないようだけど……相当想われているのね。

 

 もしかしたら……彼は私の目的(・・)を一歩近付ける存在になるのかもしれない。

 

 そんなことを思いながら、私は彼の演奏を聴いていた。

 




もう社会人になってしまったけれど、また少しずつ書いていきます。

前話に『月下の夜会』も投稿していますので、そちらもお読み下さい。

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