東方今昔鬼物語   作:PureMellow

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大変お待たせして申し訳ない……


冬の夜 上:月下の散歩にて 

 

 

 冬の夜は空気が澄んでいて、夜空に浮かぶ月がとても綺麗だ。

 

 新月が来れば、今度は月の光に塗り潰されてしまった星たちも顔を出し、満天の星の光が美しく瞬くだろう。

 

 前世の日本(未来)では失われた夜空。

 この時代に、生まれて来て良かったと思えた事の一つ。

 

 この夜空を見る度に、この夜空が段々と見せている筈の光を失っていくのかと思うと、文明の発展や人類の繁栄というものを憂いたくなってしまう。

 そんな思いから大きな白い息を虚空に零し、俺は隣を歩く阿礼へと声を掛けた。

 

「阿礼、寒くないか?」

「そうですね……今日は一段と冷えます。はぁ……」

 

 そう吐息を両手に吹き掛け、手をさする阿礼。

 俺は羽織を脱いで、阿礼の肩へと掛けた。

 

「腕を通しておけ。隠れるだろ?」

「あ……ありがとうございます。ふふ、温かい……柊は寒くないのですか?」

「俺は寒いの得意だからな。冬の夜は、特によく散歩するし」

「そうですか……」

 

 静かな会話も、2つの足音も、静寂に包まれた都にはよく響く。

 阿礼がくれた俺の羽織は、背が150cmぐらいしかない阿礼には大きく、羽織に足下まですっぽりと覆われたその姿は、少し幼気なその顔立ちを助長されて可愛らしいさが増している。

 

 ……って言ったら、肘鉄が来るんだろうな。

 

 そんな俺の考えも露知らず、阿礼は俺を見上げて言った。

 

「あの……柊。どうして私を誘って、散歩なんかに……?」

「阿礼の中に移入した感情が、少し重そうだったからな。俺もそうだが、少し気分転換するべきだと思ったんだ」

「……やっぱり柊には敵いませんね。隠し事もできません」

「お前は分かりやすいからな」

 

 

 阿礼は優しい。

 だから人の痛みも、自分の事の様に感じて胸を痛めてしまう。

 

 阿礼を散歩に誘うため台所へと向かい、水瓶の前に立っていた阿礼に声を掛けようとした時。

 俺はその様子に気付き、声を掛けようとして寸での所で止めた。

 

 阿礼は泣いていた。

 あの場では必死に我慢し、目蓋に溜めながらも止めていた涙を人知れずに流していた。

 

 その抱えた心境を完全に当てる事が出来なくても、伝わってくるその悲しみは確かに、緋芽を想って泣いていた。

 

 俺は阿礼の涙が治まる頃まで、じっとその小さな背を見守り、頃合いを見て阿礼に話し掛け、こうして散歩に連れ出したのだ。

 

 

 俺に分かりやすいと言われて、複雑そうにそっぽを向いた阿礼はポツリと呟く。

 

「私には……緋芽姫様の身の上を知った上で、何が出来るのでしょうか」

「………」

「確かに柊が言ったように、無闇に踏み込んで聞いて良い話ではありませんでした。

 ――私は、家族に、周りに恵まれています。なのに、柊に助けられるまで、抱えていた悩みをちゃんと打ち明けられず、危うく命を失いかけるまでして、父様と母様を、そして仕えている者たちを深く悲しませてしまいました。あの時の自分を今でも愚かに思っています。緋芽姫様の事を聞いて、尚更……緋芽姫様は、相談出来る相手すらいなかったというのに」

 

 やはり、阿礼には重過ぎる話だったか……。

 そもそもこんな話を、普段なら誰にも話すことはない。俺だって口が軽い訳じゃない。

 

 それでも阿礼や、阿礼の両親に話したのにはそれなりの考えがあったんだ。

 阿礼の肩に手を置き、労わるように優しく語りかける。

 

「阿礼が気に病む事じゃない。年頃の子どもは皆そんなもんだぞ。大人へと成熟し始める子どもの心には、自尊心や自立心、親に対しての反抗心が生まれて、精神が不安定になるし、意固地になる。そういった感情に苦悩する経験をして初めて、子は大人へと成るんだ」

「……柊もそうだったんですか?」

 

 阿礼の問い掛けに、俺は笑って頷く。

 

「勿論。親とくだらないことで売り言葉に買い言葉で口喧嘩したり、意固地になって人に助けを求めずやろうとして失敗したり、阿礼と同じように今になって愚かだと思う事はいくらでも思い出す。でもそういう経験が、後にきっと役に立つんだよ」

 

 今世では既に精神が成熟しきっているために、反抗期のない出来過ぎた子のようになっていたが、前世では色々とやらかした頃が確かにあった。

 親の心子知らず……。大人になって、今になって親の想いに気付き後悔することは数知れず。

 

「……柊は本当に私と4つしか違わないのですか? 歳を偽ってたりしてませんよね?」

 

 その阿礼の訝しげな目に俺は苦笑いを浮かべた。

 阿礼は時に鋭くて困る……まあ今世(・・)は本当にまだ20年しか生きていないから、嘘ではない。

 嘘は言っていない。

 

「偽ったりしてないさ。ただ……俺も日々、悩む事が多いからな。自然と、達観した様な考え方になるんだ」

「悩む事……それが、あの眼とあの言葉(・・・・)なのですか?」

「あの言葉……?」

 

 何を言っているんだ?

 

「『そうでないと、そんな世界で生まれた緋芽は、一体誰にその理不尽を糾弾すればいいのだろうか。

 愛し愛される心を、生きる幸福を知らずに育った命は、一体誰から愛情を、命を育む素晴らしさや美しさを学べばいいのだろうか』」

「え……」

 

 俺は言葉を失って、立ち止まる。

 阿礼は振り返って、俺を見据える。

 

「夕食で、柊がどこか一歩引いた場所からここではないどこか遠い場所を見ているような眼をしていた時、隣にいた私だけが聞き取れるような小さな声で、そう言っていました。私は、その言葉を一言一句覚えています。私は、見聞きしたことは忘れませんから」

 

 阿礼はその特技故に、膨大な量の国史や古文書を記憶し、それを元に争いで失われた歴史書、つまり後に言う『古事記』を編纂する命を帝から受けている。

 まさか声に漏れていたのか……。

 

「柊のこの言葉……まるで緋芽姫様に向けて言っているようで、それだけではないようにも聞き取れます。

 

 ――ねぇ柊、貴方は一体どこから何を、誰を想い憂い、悩んでいるのでしょう。

 そしてこの言葉に、貴方は一体どれだけの想いを積み重ねているのですか?」

 

 真っ直ぐ、何の汚れもないそのつぶらな瞳が、その言葉の内に宿る真意を問う。

 

 けれど……俺はそれに答えられない。

 阿礼のその言葉に答えるには、俺の今世の人生を語るだけでは決して解答にはなり得ないから。

 

 前世における、『生死』を意識したあの幼少の頃の話から、俺があの病室で死に至るまでに人生の中で経験し思考し続けた『死生観』をも語らなければ、あの言葉の生まれを言葉として、声としてこの口から吐き出す事は出来ない。

 

 何より、俺が前世から今世に生まれ変わり、尚且つ記憶、思想、自我が前世のまま引き継がれているというこの説明はどうするというのか。

 

 ……いっそ、阿礼には話した方がいいだろうか。

 阿礼ならきっと、そんな馬鹿みたいな話も信じてくれるかもしれない。

 

 だが……これは簡単に話せる事ではない。

 

 そもそも俺自身、俺のその言葉に対しての解答が見つけられていないのに。

 いや、そもそも、解答が存在するのかすら分からないのに。

 

 そんな状態で阿礼の言葉に答えて、もしそれで阿礼が私も一緒に探すと言いだしたらどうすると言う?

 

 それに俺が了承するということは……つまりそういう事(・・・・・)だろう?

 

 だとしたら、俺はまだ答えるべきではない。

 

 

 悩み抜いた先に答えを出すと――俺は誓ったんだ。

 

 

 ……この長い葛藤は、一体どれだけの沈黙だったのか。

 阿礼と俺はずっと、お互いの瞳に映る自身の顔を覗いている。

 

 ……何て情け無い顔してるんだ、俺は。

 俺は心の中で自身を嘲けながら、そして阿礼に俺は漸く否を告げた。

 

「……阿礼。今の俺は、その問いに答える事が出来ない」

「……」

「時間が欲しい。俺には今、思考する時間が必要なんだ」

「……またそうやって、一人で悩みを積み重ねていくんですか? 私では……力になれませんか?」

 

 阿礼のその寂しげな声が俺の胸を締め付ける。

 けれど、俺はそれでもなお突き離す。

 

「ああ……これは俺が出さないとならない答えだから。頼る頼らないではなく、阿礼に言う言わないの選択なんだ。だけど、ちゃんと答える。俺は阿礼に伝える。だから……今は待っていてくれ」

「……分かり、ました。今は……聞かないでおきます。でも絶対、話してくださいね……?」

「ありがとう……阿礼」

「柊、一つだけお願いがあります」

「何だ?」

 

「この約束を……ちゃんと目に見える『形』にしてください」

 

 少し顔を赤くさせ、口元を袖で覆いながらそうねだる阿礼。

 

 その仕草、表情の全てが余りにいじらしく、愛らし過ぎたから。

 

 

 

 ――愛おしい。

 

 

 

 ドクン、と。

 その想いが心臓を大きく、波を打たせた。

 

「――っ、」

 

 阿礼へのその愛おしさが、この左胸の正常な鼓動を狂わせる。

 

 俺の抑えていた理性が、己の身を焦がす様に熱くさせ。

 前世でも感じた事のない、自分の面の皮を被った知らない誰かの声が、その沸き上がる欲求を。

 

 叫ぶ。

 囁く。

 惑わす。

 

『心ノママニ抱キ締メロ』

『本能ノママニ唇ヲ奪エ』

『「オ前ハ俺ノモノダ」ト愛ヲ叫ベ』

 

 煩い。黙れ。

 頼むから……静かにしろ。

 

 耐え、抑えつける様に、俺はその衝動を否定する。

 人格に、思考すらも奪われそうで、必死に抵抗する。

 

 血の気の引く拳。

 食い縛る歯。

 燃えるように熱い目蓋の裏。

 

 そして畳み掛ける様にまたやってきた、俺の左側頭部に走るあの煩わしい感覚。

 

 ここでそれを許せば、従えば。

 今まで抑えて来た意味がなくなる。

 

 阿礼の両親の信頼を……裏切る事になる。

 

 強張り、我慢に震える体を落ち着かせるため。

 深く、深く息を吸い、肺を限界まで萎ませる様に月に向かって大きく息を吐いた。

 

「……柊? どうかしましたか?」

「いや、何でもない……心配するな」

 

 衝動の波が引き、俺の中がようやく落ち着きを取り戻す。

 

 本当に、危なかった……。

 

 突然様子がおかしくなった俺を心配気な阿礼に笑いかけ、俺は右手の小指を阿礼へと差し出した。

 阿礼は俺の小指を見て、小首を傾げる。

 

「柊、何ですかこれは?」

「この小指に、お前の小指を絡めろ。俺の村の、約束の風習だ」

 

 風習というか、広めたのは俺なのだが。

 幼い頃に姉たちと何か約束をする時に、何気なく俺がそれを提案した所、いつの間にか村に広がっていたのだ。

 

 この時代に指切りなんてものはない。これの発祥は、確か江戸時代の遊女だったと思う。

 俺の行動が、どこから時代に影響を与えるのか、既に与えているのかも分からない。

 迂闊に前世の知識をそのまま使うわけにはいかないと思ったのだ。

 

 阿礼の小さく細い右手の小指が、俺の小指に絡んだ。

 冷たく悴んだ、柔らかい小さなその指の感触。

 

 今まで、極力触れない様にしていた阿礼の肌が直接触れる。

 俺の手が少し、熱を帯びた気がした。

 

「柊の手は暖かいですね……」

「そのまま、強く俺の小指を握りしめろ」

「え?」

「跡が残るくらいにな。その跡が、約束の形だ」

「……分かりました。んっ!」

 

 阿礼なりに、強く握っているのは彼女の顔を見れば分かる。

 が、しかし。非力故にその力はとても弱かった。

 

 それがおかしく、可愛らしく。

 俺は笑い、彼女を茶化す。

 

「そんなんじゃ、跡が付かないぞ?」

「これでも精一杯なんですっ!!」

 

 終いには左手も使って持てる力で俺の小指を握る。

 疲れて力を抜いた彼女の手が離れると、なんとか俺の小指には彼女の小指の跡が付いていた。

 というか、俺の手の甲には彼女の手の跡までがくっきりと残っていた。俺はまた笑う。

 

 きっと、この跡が目に見えていられるのは今夜だけだろう。

 明日には、消えてしまっているかもしれない。

 

 それでも―――忘れない。

 

 この誓いと共に、俺の一生の記憶に刻み込もう。

 

 肩を上下させて、熱を帯びた赤い顔を冷まそうとする阿礼を眺めながら、俺はそう心に決めた。

 

 

 

 指切りをし終えて、再度歩き始めた俺と阿礼。

 暫く歩いて道角を曲がろうとしたところで飛び出して来た小さな影に鉢合わせた俺は、その影とぶつかった。

 

「ひゃっ!」

「おっと、済まない……って、あれ?」

「えっ? あっ……!? 柊!?」

「緋芽? こんな時間に、こんな場所で何してるんだ……?」

 

 俺とぶつかり、尻餅をついた影の主は、緋芽だった。

 俺に手を取られて立ち上がる緋芽は目を真ん丸く、きょとんとした表情で俺と阿礼を見ていた。

 

「柊こそ……稗田の姫様を連れて何してるの?」

「俺は都に来ている間は稗田家に泊まってるからな。月を見がてら、二人で少し散歩をしてたんだ。それで、緋芽は? こんな夜更けに少女が一人で出歩くのは危ないだろ?」

「私は……何だか胸の内が熱くて眠れなくて……気を紛らわす為に歩きたかったんだ……きっと、初めての友人が出来たからかな……」

 

 左胸に両手を当て、顔を紅に染めてとても嬉しそうな表情を、緋芽は俺に見せた。

 彼女の抱く気持ちの切っ掛けを作ったのは俺であるため、彼女の夜歩きを強く責めることはできなかった。

 

「……家の者には止められなかったのか? 不比等様とか……」

「お父様は茶会の後、知り合いの陰陽師の家に行くって言ってそのまま帰って来てないよ。それに……それ以外の家の人たちは皆、私に何の興味も、心配も抱かないから。抜け出すのは楽だもの」

 

 自虐的に笑いながらそう話す緋芽に対し、今まで静かだった阿礼は俯いたかと思うと――

 

「うえっ!? な、何っ!? 稗田の姫様!? どうされたのですか!?」

 

 阿礼は緋芽へと駆け出し、そのまま彼女を抱き締めた。

 突然のことに、緋芽は吃驚して狼狽える。

 

「……私は、阿礼と申します。どうか、阿礼とお呼び下さい……」

「阿礼様……柊、阿礼様はどうしたの?」

 

 自身の呼び名を示し、そのまま自分を抱き締めている阿礼のその行動の意味が分からないと、緋芽は代わりに俺へ尋ねた。

 

「……阿礼と、阿礼の両親には今日の茶会の時に緋芽と話した内容を話している。緋芽の現状も含めてな……」

「っ!? な、何で勝手に――」

「私が話せと申したのです。緋芽姫様」

 

 誰だって、自分の身の上を勝手に他人に話されたら怒るだろう。

 だが激昂し、俺を咎めようとする緋芽を遮ったのは阿礼だった。

 

「緋芽姫様、勝手な私の行動をお許し下さい。柊に話せと申したのは、最初は何故柊が姫様と仲良くなってるのかという只の興味本位ではありました。しかし……姫様の置かれた立場や境遇の何てあんまりな理不尽を知り、私はそれが……酷く、悲しかったのです」

「っ……同情なんて、私には必要ありません……」

「同情……ええ、それもあるかもしれません。しかし――

 

 誰にも相談できないというその孤独の辛さや苦しみ、そしてその痛みを、私は知っているのです」

「……え?」

 

 思ってもいなかったという、緋芽の表情。

 

「緋芽姫様、寂しかったでしょう? 辛かったでしょう? 心苦しかったでしょう? 胸に秘めた悩みを、不安を誰にも打ち明けられないというのは。私もそうでした。帝様から命ぜられたその仕事の重責に不安や焦りを覚え、でも心配かけたくないと言う想いで周りを頼らないなんていう愚かな選択をし、果ては命まで落としかけました。でも、私も柊に助けられて、今があります。私の最初の友人も柊なのです。ですから、緋芽姫様。私は同じ孤独の中にいて、同じく柊に助けられた貴方が他人事に思えないのです」

「ぁ……ぅぅ……」

 

 阿礼を受け止め、俯いてその言葉を聞く緋芽の体が、腕が、声が震え始める。

 

「緋芽姫様、お願いです。私にも、その悩みをお聞かせ下さいませんか? 何かに悩んだ時、私を頼って貰えませんか?

 

 私と……友人になりませんか……? 」

 

 その言葉が決定的だった。

 緋芽は目を大きく見開いた後、その瞳から二つの線を止めどなく頬に走らせた。

 

 緋芽は震える声で阿礼を抱き締め、そして嗚咽混じりに乞う。

 

「ぅん……阿礼様……私の方からも…お願いです………友人になって……くれませ、んか……?」

「はい……! 私たちは友人です……!」

「阿礼、様……ありが……っ、ぅぁああぁああああ……」

 

 静謐な空間に、緋芽は滂沱しその声が木霊する。

 

 俺だから与えられる光と、阿礼だから与えられる光。

 その光は似て非なるもの。

 

 阿礼に緋芽の事を話したのは、この為だった。

 

 俺はこの都にいる事が少ない。前よりは来る事にはなるだろうが、それでもその時間は短い。

 せめて近い距離に気軽に話せて、相談できる相手がいればと思い、同じ貴族である阿礼がそれになれればと思った。

 

 けれどそれを、俺から頼むのはまた違うと考えていた。

 無論、友人になってやってくれと俺が頼めば、優しい阿礼がそれを拒むことはないだろう。

 

 しかし、緋芽の背負う立場というのは特殊だし、微妙だ。

 名家の稗田家としても、友人関係といえどそう簡単に決めていい選択ではない筈。

 

 だから直接頼む事はせず、阿礼を悩ませる事になると分かっていながら俺は緋芽の身の上を話す事にした。

 緋芽の抱える身の上を理解した上で、阿礼自身が緋芽に歩み寄るかの選択をするべきだと俺は思った。

 

 今こうして阿礼と緋芽が抱き合い、友を誓い合ってくれた事を心の底から安堵している。

 

 少しずつでも。

 焦らずに。

 

 緋芽に光を与える確かな存在が増えていくことを、俺は切に願う――。

 

 

 

 

 

「大丈夫かな……」

「そうですよ柊、見つかったらどうするんですか?」

「少しの間なら大丈夫だろ。見つかったら二人を抱えてさっさと逃げるさ」

 

 そう言って軽い屈伸をしていた俺は、まず最初に緋芽を右腕で抱き上げる。

 

「しっかり掴まれよ」

「……」

「どうした?」

「うぇっ!? な、何でもないっ!」

 

 何故か顔を赤くしている緋芽に疑問を抱きつつ、誰かの屋敷の築地の屋根瓦目掛けて左腕を伸ばし跳ぶ。

 屋根瓦に手が掛かると、持ち前の力で懸垂の要領で屋根へと上がり、緋芽を降ろす。

 そして俺は屋根から飛び降り、次に阿礼を抱えた。

 

「……」

「……お前も何だ、阿礼」

「いえ……こうして抱えてもらうのはあの日以来だと思ったので……」

「ああ……そうだな。あの日に比べれば、阿礼は少し――」

「少し……何ですか?」

 

 その後に言葉を紡ぐ事は許さないと、瞳が笑ってない阿礼に俺は戦慄する。

 ……危ねぇ。地雷踏む所だった。

 

 緋芽の時と同様に築地の屋根に上がって阿礼を降ろすと、俺はその場に腰を下ろして夜空を見上げた。

 それにつられて、阿礼と緋芽は二人並んで俺の隣に寄り、二人で俺の羽織を纏って一緒に夜空を見上げた。

 

 緋芽が泣き止んでからその後、緋芽と会うまで暫く歩いていた事もあって少し腰を落ち着けたいと俺は思い。

 近くにあった築地に上がって月でも眺めようと二人に提案し、今の状況に至る。

 

 昼間にこんな事をすれば、この築地を囲いに持つ家の貴族に捕まりそうな行為だが、今は夜だし、もし見つかっても俺の脚力なら小柄な二人を抱えて逃げられる自信があった。

 

 偶には、こんな愚行も愉快なものだ。

 

「綺麗な月ですね」

「ああ。後数日で満月だろうな」

「どうして月って、あんなに形が変わったり見えなくなったりするんだろ……?」

 

 月の満ち欠けの現象は、小学生の頃に習ったなとふと思い出した。

 教える事は出来るが、天文学すら乏しいこの時代で俺が何故そんな事を知っているのかという話に飛び火しそうで怖い。

 こうも気軽に会話ができないというのも、中々面倒な事だ。

 適当に当たり障りのない様に、緋芽と阿礼の疑問や呟きに応えておく。

 

 

 

「――ふーん。

 貴方、随分月を知っているのね」

 

 

 




本当は一話でこの夜は完結させたかったのですが、後半部分が纏めきれなかったので二話に分けました。
下はもう少しお待ちください。
誤字脱字などあればよろしくお願いします。

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