レポート課題マラソン疲れました……。
たくさん寄せられた感想や評価なんかを見て、心を癒してました。
*『政治批判が具体的過ぎる』や『柊の倫理観に矛盾がある』といった意見を頂いたので、その部分を改稿しました。
「ひゅわぁぁあああ……ひぃりゃぎぃぃいいい………♪」
「待て、それ以上はまずいから阿礼! ……おい! 阿京殿! 鶫殿! もう誰でもいいから早く来てくれ!」
酒気に顔を蕩けさせ、纏う衣を崩しながら近寄って来る阿礼に、俺は後退りながら助けを求める。
どうしてこうなった。
結局2泊することになった阿礼の屋敷にて、俺は阿礼と、阿礼の両親と共に食事の席に座った。
そして俺の隣に座る阿礼の、早く話せと言わんばかりの訴えの眼差しに負け、緋芽と仲良くなったあらましを話し始める。
けれど最初に、俺は阿礼に忠告を促した。
「言っとくが浮ついた様な話じゃない。かなり重たい話だぞ。それでも良いのか?」
「重たい……ですか?」
「緋芽には、彼女の家族内での立場についての相談を受けていたんだ」
それを聞いて、阿礼の両親の表情に影が宿った。
彼女の藤原家での立場や扱いを知っているのだろう。
阿礼もその内容に言い知れぬ暗い空気を感じた様で少し逡巡するも、それでもその瞳に意思の揺らぎはなかった。
「聞くからには最後まで聞いてくれ。生半可な、中途半端な興味で聞くつもりであれば、俺が許さない。いいな、阿礼」
「……はい」
俺の言葉に真剣味が帯びたのを感じ、少しの緊張した面持ちで阿礼は頷いた。
そして俺は、静かに俺と緋芽の間にあった出来事の内容を語り始めた。
「不比等様の気持ちに甘えて、庭園の中あった長椅子で一人休憩を取っていた時に、緋芽はやって来た。最初は、茶会の演奏の褒めの言葉を貰ったが、彼女は俺に尋ねたい事があって来たと言っていた」
「尋ねたい事?」
「俺があの茶会の中で余りに堂々としてたものだから、どうしてあんなに堂々としていられたのかと。緋芽はもし自分が俺の立場だったら無理だと、怖くて震え、とてもじゃないが自分では俺みたいな態度は取れないと言った」
「ああ、それは私だって無理だな。柊殿が少し異常だと私は思うぞ?」
阿京殿の言葉に同感する様に頷く阿礼と、阿礼の母親の鶫殿に俺は苦笑しながら、俺は話を続ける。
「で、そんな緋芽の様子で俺は、彼女が何か、自分の立場の事で悩みを抱えてるじゃないかと思い、そう聞いた。緋芽は頷いて自分の悩みを少しずつ、話始めたんだ」
彼女曰く、自分は望まれない子。
父の不比等だけには愛されるが、周りは私の存在を認めようとしない。
自分は要らない子。
生まれて来た事が業である、罪深き子ども。
誰にも、不比等殿にも相談できないその痛みと孤独を抱えながら、心の中でずっと不比等殿に生まれて来た事を謝り続け、赦しを乞い。
そして同時に、自分の存在を自問自答する日々。
答えなどないと知りながら、それでも探さずにはいられない日々。
何のために自分はいるのか。
何故自分は生まれて来たのか。
彼女が涙ながらに吐き出した、心の奥底からの憤怒と悲しみ。
彼女の俺に助けを乞うあの、今にも消えそうな手で縋り付いてきた姿を思い出しながら。
己の生に絶望と失意だけを残した彼女の慟哭を、俺は代弁した。
「そんな……!」
俺の言葉に、阿礼は批難する様に声を上げ、その瞳に涙を浮かべた。
鶫殿は既に涙を零しており、阿京殿は鶫殿の背を摩っている。
鶫殿も阿京殿も、とても良い親だ。
阿礼を見ていて、どれだけ愛情を注がれて生きて来たかが良く分かる。
鶫殿は特に、穏やかで優しい母親だ。
だからこそ、その優しさ故に緋芽の境遇を自分の娘に置き換えて考えてしまい、その悲しみに耐えられず泣いてしまったのだろう。
「……緋芽姫様の母親は、元は都に暮らす一介の庶民の娘だった。不比等様は若い頃、若気の至り故その娘と一夜を過ごし、緋芽姫様を身篭らせてしまったのだ。不比等様は彼女を娶り、屋敷に上げた。だが不比等様の囲っている女性達は皆、当然身分の高い貴族の娘。周りは彼女とその生まれた子を疎んだ。特に母親は周りからの有形無形の嫌がらせを受けその心労で病気になり、緋芽姫様が5歳の時に亡くなられた」
阿京殿が告げた緋芽の母親の詳細を聞き俺は、まるで『源氏物語』に出てくる帝の妻で光源氏の母、桐壺更衣に良く似ていると思った。
桐壺更衣もまた、身分の高くない出自でありながら帝の寵愛を一身に受けていたが故に周りからの嫌がらせを受け、心労から病弱となり、光源氏を生んだその3年後に病気で亡くなっている。
物語とはいえ、やはり身分故の不和は貴族の間ではとても根深いのだ。
そして、緋芽。
彼女はそんなにも幼い時から孤独だったのだと、彼女の心の悲しみの奥深さを改めて痛感する。
阿礼はもう顔を俯かせて、その震える腕を抱えて、その悲しみに必死に耐えていた。
阿礼もまた、一人で『古事記』の編纂に向き合い、その重責と不安、焦りを誰にも相談できず心を壊しかけ、そして死にかけた過去がある。
一人で悩みを抱えるその孤独の辛さを痛い程知っているからこそ、彼女は緋芽の悲しみを理解できるのだ。
俺は阿京殿みたく阿礼に触れる事はせず、代わりに彼女を労わる様に優しく問い掛けた。
「阿礼、大丈夫か……?」
「っ……大丈、夫です……続けて下さい……」
「……分かった」
阿礼は悲しみに耐えながらも、ちゃんと最後まで聞くようだ。
俺はまた、話を再開する。
俺が緋芽に冗談として語った、前世の死の間際に願った来世の生まれ変わりの話。
例え人以外に生まれる事を願おうと、また人として生まれてしまった俺の様に。
生きとし生ける全ての生物は、生まれて来る姿かたち、時代、親、そして生まれ落ちた先で共に寄り添って来る運命を選ぶ権利を持ち合わせていないと。
だから生まれて来た子に、その命に罪などはないと。
俺はそう、緋芽に言った事を語った。
そもそも、それを罪とするのなら。
その罪を背負うべきはその命を育んだ親であって、自分の意志で生まれて来る権利を持たない命がその罪に苛まれる必要は無い筈なんだ。
「そうでないと……」
「柊……?」
――そうでないと、そんな世界で生まれた
愛し愛される心を、生きる幸福を知らずに育った命は、一体誰から愛情を、命を育む素晴らしさや美しさを学べばいいのだろうか。
どれだけ人の文明が発達しようと、切り捨てられる命は存在する。
前世の病室で死を迎える前日まで、俺はいつも病室のテレビに映し出される社会ニュースを見ていた。
政治、経済、世界情勢。どれもこれも死を迎える俺にとっては他人事のような話にしか聞こえていなかったけれど。
『××県に住む4歳の男の子が両親による虐待で―――』
『今日未明、××公園で生後間もない赤ん坊の死体が―――』
『5日前に起きた、××県にある児童養護施設で起きた少女強姦未遂事件の容疑者が――、なお、被害にあったという少女は未だに行方不明で―――』
こんな、幼い命が虐げられ失われていくニュースだけは、いつも左胸に針が突き刺さるような痛みを憶えていた。
日本だけでなく、世界中で起きていたその悲劇に。
この事も、人になりたくないと思った理由の一つなのかもしれない。
今世の俺の住む村で、病気で死ぬ子はいてしまっても、食料が足りないから捨てられたという子を俺は未だ見ていない。
けれど他の村や町、そして都でも、きっとそういう行為は合法として仕方なく行われているのは確かなのだろう。
それを、何の現状も知らない者が表面上の実態を見ただけで悪だと判断するのは愚かしいことだ。
俺自身、その現場に居合わせたことがなく。
前世でも、今世でも、本当の実態をまだ、この眼で見た事がない。
だが、もしその時が来た時、俺は――
「……ぎ! ――柊!」
「……ん?」
突然の阿礼の呼び声に、俺は意識を引き戻され顔を上げた。
周りを見ると、阿礼たちが心配そうな目をして俺を見ていた。
「どうしたんですか? 急に。その……とても、心ここに在らずという眼をしていました」
「……ああ、悪い。緋芽の心情に俺も引きづられて、変な思考の泥沼に嵌っていた。もう大丈夫だ」
「そうですか……良かった」
胸に手を当てて、心の底から安堵する阿礼。
随分心配させてしまったらしい。
「柊殿。話の続きだが……」
「ああ、えっと、すみません……どこまで話したか……」
「緋芽姫様に罪はないって所までだな。それで、君は緋芽姫様に何を助言したんだ?」
「……自分の存在価値や意義を考えた所で、結論など出ない。だからそれよりも、答えのない問答で悩むくらいなら行動して己の価値を探せ。それには多大な勇気と覚悟がいるが、孤独と戦い続けて来た緋芽なら大丈夫だ。もし、また見失いそうになったなら、俺を頼れ。そのために俺は緋芽の友人になる……と」
……うわ、改めて思い出すと恥ずかしい。
特に後半。
「ほう……流石は柊殿だ。君が言うと、まるで説得力が違う。男の私でも惚れそうだ」
「やめて下さい。ちょっと今羞恥に悶えてる所です」
「そういうのは顔を赤くしながら言うものだぞ?」
「柊殿が恥じる事なんてないわ。とても立派な言葉ですよ? 私が緋芽姫様の立場なら、ころっと恋に落ちてしまいますわ」
「人を誑しみたいに言わないで下さい」
そこで、やけに阿礼が静かな事に気付く。
阿礼に目をやると、愁いを帯びた表情で手元に持っていたお椀を見つめていた。
「阿礼、どうした?」
「すみません、ちょっと……お水を貰いに行ってきます」
カタン、と音を立ててお椀を置いた阿礼は、そう言い残して静かに立ち上がり、部屋から出て行った。
部屋に沈黙が漂う。
「……やはり、食事時にする話ではなかったですね」
「ああ……だが柊殿はちゃんと忠告していたからな。仕方ないさ。……柊殿」
阿京殿が、俺の目を真っ直ぐ見据えて言った。
「私たちは、阿礼の婿はやはり、柊殿が相応しいと思っている」
「え……?」
――不意打ちだった。
何の心の構えもなく、それは告げられた。
「あの日、柊殿に阿礼の命を救ってもらった時から、阿礼は変わった。……いや、戻った。
それまで見せなくなっていた笑顔をみせるようになり、帝の命である歴史書の編纂も軌道に乗り出した。
――阿礼は本当に、毎日が楽しそうだ。そんな娘の日常を連れて来てくれたのは、間違いなく柊殿なんだよ」
俺の絶句した表情を余所に、そう穏やかに語る阿京殿の表情は、まさに娘を思う父の顔をしていた。
「勿論、君の抱える想いも理解している。緋芽姫様と同じように、君もまた、自分の立場について憂い悩んでいるのも分かっているんだ。だから緋芽姫様への悩みを痛感し、共感してやれた。
柊殿は、自分の身分が私たち一族の評判を落とし、稗田家に不幸を齎らしてしまうと思っているんだろ?」
「……はい」
「柊殿が阿礼を愛してくれるのであれば、私は気にしない。その責任は柊殿ではなく、私たちが背負う。君に全うしてもらいたいのは、ただ変わらず、阿礼の傍に寄り添い、阿礼を支える事だけだ」
――阿京殿の言葉の一つひとつに心が揺らぐ、揺蕩う。
受け入れたい、でも受け入れられない。
その間の中で、俺の心が綱引きされている。
「ですが……私には、村が……」
「ああ、そうだな。君が村の村長候補というのは初めて聞いたが、それも分かる。村を導き、正しい道へと手を引いてくれる期待を柊殿にはしたくなる。
だが、それでもいい。月に何度か逢いに来るだけでもいい。阿礼の夫は柊殿であるという、『証』が欲しいのだ」
「『証』……?」
「要は、阿礼と柊殿の子どもを私はこの手で抱いてみたいと思っているのだ。愛しい娘と、君の子を。
きっと、素晴らしい子が生まれると私は確信している」
「しかし……」
「柊殿……
――阿礼には、時間が……無いのだ」
その言葉に、俺はとどめとばかりにぶん殴られたような衝撃を受けた。
心臓を鷲掴みされたように、左胸が痛い。
「時間が……無い?」
俺は眼を見開き、絞り出すような声でその真意を問うた。
「ああ……阿礼は元々、体が弱く病弱がちだ。度々風邪をよく引く。恐らく……後10年近く程度生きられればいい方だと、私たちは思っている。私の母も、阿礼と同じ体質で30半ばで逝ってしまったからな……阿礼も多分、自分の寿命の短さに気付いている。
阿礼は人生を、帝様に命ぜられた歴史書の編纂に全てを費やすだろう。だから……それまでに、阿礼には子孫を残して欲しいのだ」
「そんな……」
「柊殿、後4年だ。その間に何とか、君の選択を決めて欲しい」
「………」
「君に辛く、重い選択を背負わせるのを私たちも心苦しく思う。だが、どうか、どうか……よろしく頼む、柊殿」
「柊殿……あの子の為にどうか……」
俺に深々と頭を下げる阿京殿と鶫殿の想いを強く肌に感じ、俺は……。
――口を開いた。
「……今すぐにその答えを、私には出すことができません。ですが、分かりました。後4年……その間、俺はずっと悩み続けます。悩んで、悩んで、悩んで……悩んだその先の答えをきっと、お二人に、阿礼に伝えると……俺は今ここに誓います」
「ありがとう、柊殿……」
俺はその想いを伝えると、立ち上がって言った。
「少し……夜風に当たりながら散歩に参ろうと思います。……阿礼を連れても、よろしいでしょうか」
「ああ、いいとも。行ってくるといい」
「いってらっしゃい」
「では……失礼します」
礼をして、俺は部屋を後にした。
感想、評価、誤字脱字などあればよろしくです。
後は変な矛盾なども見つけたら知らせてください。
*話の中に出てくる事件はフィクションです。実際に起きた事件を元にはしていません。