偽を演じて…   作:九朗十兵衛

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四ヶ月はいかないまでもここまでかかってしまい申し訳ない九朗十兵衛です。

一度詰まるとなかなか書けなくなってしまうのが困りものです。


では、読んでいただいた方の暇つぶしになれば幸いです。


第四話 お礼

「……え?」

 

 笑顔で告げられた雪ノ下の言葉に固まる由比ヶ浜。雪ノ下が告げたのは慰めの言葉ではなく、励ましの言葉でもないただ一言、終了の提案であった。

 固まる由比ヶ浜を気にせず身に着けているエプロンを外し始める雪ノ下。

 

「どうやら由比ヶ浜さんのやる気がなくなってしまったようだし、その状態で続けても身に付かないもの。それに……」

 

 エプロンをたたんで、調理台の上に乗せられた調理器具を片付け始めながら話していた雪ノ下は途中で言葉を切り、笑顔は変わらないながらもどこか寒気を感じるものを由比ヶ浜に向けて告げる。

 

「始めたばかりだというのに弱音を吐き、友人を言い訳に使うような半端な気持ちで作られた物を送られても、渡された人は喜ばないでしょうから。なら、形と味が保証されている市販品を渡したほうがまだましというものよ」

 

 由比ヶ浜は告げられた言葉に目を見開き俯いてしまった。そんな俯く由比ヶ浜を見ながら俺は内心、まあそうなるわなと思っていた。

 先ほどの由比ヶ浜は弱音を吐いて予防線を張り、できなくても仕方ないとハードルを下げた。ハードルを下げることは別にいい。したこともない料理で、いきなりプロ並みの結果を出すなど土台無理な話であり、積み重ねてこそそこに至れるのだから、最初などジャンプしなくとも超えられるぐらいの高さでいいのだ。

 しかし、ハードルを下げ過ぎてマイナスにして、やる意味自体を否定しにかかるのはアウトだ。それは自分自身の依頼の否定であり、懇切丁寧に教えている雪ノ下を馬鹿にしているようなものだ。

 

 などとつらつらと考えながら俯いた由比ヶ浜から雪ノ下に視線を向ける。雪ノ下はすでに寒気を感じる冷笑を消して、温かみの無い表情で由比ヶ浜を見つめていた。その顔は一見突き放しているように見えるが、由比ヶ浜の出方を伺っているようにも見える。

 

 

―スパァン!!

 

「ッ!?」

 

 

 そんな二人の様子を見て、介入するかどうか考えていると突然破裂音の様な甲高い音が家庭科室に響いた。

 驚いて音の発生源に視線を向けると、某闇医者の助手のアッチョンブリケスタイルの様に両手で頬を挟んだ由比ヶ浜がいた。どうやら先ほどの音は由比ヶ浜が自分の頬を張った音らしい。突然の由比ヶ浜の行動とその音に驚いて動きが固まった俺の前で、先ほどの弱さの宿った瞳ではなく、強い意思を宿した瞳を雪ノ下に向けた由比ヶ浜は― 

 

 

 

「…………ウゥッ! い、いったぁ~」

 

 痛みに頬を抑えて蹲ってしまった。何やってんだこいつと俺が呆れた視線を向けていると、頬を摩りながら体を起こした由比ヶ浜は、赤く染まった頬をそのままに雪ノ下に向かって勢いよく頭を下げた。

 

「雪ノ下さんごめんなさい! もう一回教えてください!」

 

 そう謝罪と依頼続行を願い出た。そんな由比ヶ浜の懇願に答えることなく笑みを消した雪ノ下が沈黙していると頭を上げた由比ヶ浜が言葉をつづけた。

 

「……あたし、みんなに合わせちゃうんだ。みんなの顔色伺って、自分の言葉で空気が変わっちゃうのが怖いから自分の意見が言えなくて……そんな自分が嫌で変えたくて、”次は頑張るんだって”心の中で励ましてた。……でも変われなかった」

 

 自分の気持ちを打ち明ける由比ヶ浜は、雪ノ下に向けていた視線を外し俺を見るが、それも一瞬でまた雪ノ下に戻した。

 

「勇気を出して一歩進めたと思っててもそこから進めなくて、進んだ一歩も意味がなかったって分かっちゃったから落ち込んで、あたしは駄目なんだって思った」

 

 噛みしめる様に目を瞑った由比ヶ浜は、自分の胸元の服の内側に隠れていたネックレスを取り出して見つめた。由比ヶ浜の手にあるそのネックレスは、派手な格好をしている由比ヶ浜がつけるには野暮ったい印象のある金色に輝く砂が入った小瓶を吊るしたものであった。それを見つめる由比ヶ浜の瞳は優し気でそれが大切なものだというのが分かる。

 

「雪ノ下さんの言葉は確かに怖かったし痛かったけど、そうやって自分を曲げないで隠さないでまっすぐぶつけてくるのを見て、忘れちゃいけなかったことを思い出させてくれた。……だから、もう一回お願いします!」

 

 ネックレスを元に戻した由比ヶ浜は、真剣な表情でもう一度雪ノ下に頭を下げて依頼の続行を願い出た。

 その由比ヶ浜に黙って話を聞いていた雪ノ下は、一度目を瞑り息を吐きだした後に消していた笑みを戻した。その笑みは先ほどの寒気が起きる冷たいものではなく、それ以前の慈愛に満ちたものであった。

 

「そう……なら、始めましょうか」

 

 そう一言呟いた雪ノ下は、外したエプロンを付け直すと片付けた調理道具を並べ始めた。準備を進める雪ノ下を見た由比ヶ浜は、顔に花が咲くという言葉を体現するような笑顔を浮かる。

 

「……うんっ!」

 

 嬉しそうにそう頷くと雪ノ下に近づき準備を手伝う由比ヶ浜。そして準備が整いクッキー作りを再開した二人を眩しいものを見るように眺めながら俺は思うのだ。

 

 

 

 

 

―俺、いらなくね? っと

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの後、何度か調理を繰り返して最初の炭から、ギリギリクッキーと飛べるものを作り上げた由比ヶ浜が、「あとは自分で頑張ってみる!」とやる気全開で気炎を吐いて調理講習は終了した。

 一応依頼は終わったのであろうが、正直俺必要なかったよね? と言いたくなるぐらい雪ノ下一人で解決した依頼であった。

 俺のやったことなど、木炭に対する感想とその後に制作されたクッキーの味見程度である。それのせいで調理の後、家に帰ってからも口の中の苦み取れなかった。

 

 もう残っていないはずの苦みが口の中に戻った様な感じがしてげんなりしながら、部室に向けて廊下を進む俺の脳裏には、昨日の雪ノ下が思い浮かんでいた。

 雪ノ下は優しいだけの優等生ではないようだ。相手に歩み寄り緊張で固まった心を解してフォローをするが、由比ヶ浜がやる気をなくした時はなあなあで済まさずはっきりと告げる。

 こういう学校の人気者って、八方美人タイプが多そうというイメージがあるため雪ノ下みたいなのは新鮮な気がする。いや、俺の勝手なイメージなんだけどね。

 

「……ん?」

 

 そんなことを考えながら部室の扉に手をかけて開けようとした時に、中から聞こえる元気溢れる声に気付いた。その声に誰が来ているか予想をつけながら、扉を開くとそこには予想の通りに雪ノ下に話しかけている由比ヶ浜がいた。

 

「……うす」

 

「こんにちは、比企谷君」

 

「あっ、ヒッキーやっはろー!」

 

 何そのバカっぽい挨拶。山彦?

 

「今日はどうしたんだ。お前、あとは自分で頑張るって言ってたよな?」

 

 二人の挨拶に答えながら、自分の定位置となった椅子に腰かけ由比ヶ浜に問いかける。……まさか一人でやったら、炭に戻ったとかじゃないだろうな?

 内心不安を覚えている俺の問いに、由比ヶ浜はあっと何かに気付いたように目を見開くと自分のカバンを漁りだした。

 

「いや~、ゆきのんと話すのが楽しくて、ここに来た目的すっかり忘れてたよ」

 

 などと言いながら照れた様子で、カバンから何かを取り出そうと鞄を探す由比ヶ浜。……雪ノ下もこいつの犠牲になったのかと、珍妙なあだ名をつけられた同士である雪ノ下に視線を向けるが、そこに嫌がるようなものは見えず微笑しかない。雪ノ下さんたらどれだけ度量が広いんですかね。

 

「あった~! はい、ゆきのん!」

 

 などと考えていると、目的のものを見つけたのか、鞄から取り出したものを雪ノ下に差し出した。由比ヶ浜が差し出したものは、ラッピングされたクッキーであった。

 

「昨日帰ってから何度か作って、その中でも良くできたやつ持ってきたんだ。昨日教えてくれてありがとね!」

 

「……こちらこそ、態々ありがとう由比ヶ浜さん」

 

 渡されたクッキーはお世辞にもよくできているとは言えないものであるが、クッキーを見つめる雪ノ下は笑顔を深めて由比ヶ浜にお礼を伝えた。笑顔で見つめ合う二人の周りには百合の花が舞っているように見える。……大変中がよろしいようで結構だが、俺はすごく居づらいです。

 部室を侵食する二人の世界に帰ってしまってもいいだろうかと思っていると、見つめ合っていた雪ノ下が立ち上がった。

 

「せっかくクッキーを頂いたのだから飲み物も欲しいところね。ちょっと自販機で買ってくるから待っててもらっていいかしら?」

 

 立ち上がった雪ノ下は由比ヶ浜に向けてそういうと、こちらに向けてちらりと視線を向けた。……何?

 

「あ……うんっ!」

 

 その視線を追って俺を見た由比ヶ浜が、何かに気付いたように目を見開くと雪ノ下に向けて大きく頷いく。だから何?

 俺の疑問の視線を無視して出ていく雪ノ下が扉の外に消えると、部室の中を沈黙が満たした。

 

「……あ、と。え~と、ね。……ヒッキー」

 

 静寂の中どうしたもんかと内心頭を捻らせていると、俺の視界の隅で視線を彷徨わせ言葉を探す様に、口を開いては閉じて閉じては開いてを繰り返していた由比ヶ浜が俺を見据えて静かに呼びかけてきた。

 

「お、おう」

 

 由比ヶ浜の様子に気圧されて身体を固くした俺は、思わず椅子の上で猫背気味だった姿勢を正し、それを見た由比ヶ浜も俺に正面を向ける形で椅子に座りなおして、握った拳を膝の上に置き俺を見つめゆっくりと口を開いた。

 

「……あ、ありがとう」

 

「…………は?」

 

 いったい何を告げられるのかと、身構えていた俺に投げかけた由比ヶ浜の言葉に意味が分からず疑問を表す単語が口からこぼれる。いや、言葉の意味は分かるが、それを何で俺に言うのかが分からない。

 

「だ、だから、ありがとうッ……!」

 

 俺の様子に俺が聞き取れなかったのかと誤解したのか、焦ったように身を乗り出しもう一度、今度は声を張り上げて告げる由比ヶ浜。

 それでも反応のない俺に余計焦ってあわあわと手で宙をかき回す由比ヶ浜に、止まってしまっていた思考を動かすために指でこめかみを叩き呼びかける。

 

「あーっと、ちょっと落ち着け由比ヶ浜。ちゃんと聞こえてたから」

 

「うぇ!? ……そ、そうなの?」

 

「おう」

 

「よ、よかったぁ。……って、じゃあちゃんと返事してよぉ。反応無いから焦ったじゃん」

 

 俺の呼びかけに驚き、おっかなびっくり問いかけてくるので肯定してやると、胸を抑えて安堵のため息を吐いたと思ったら口を尖らせて弱弱しく抗議してきた。えぇ?……悪いの俺? 違うよね。

 

「いきなり意味の分からん礼を言われたら誰だって固まるだろ。つーか本当に何の礼だよ。味見のことか?」

 

「……え? あっ! 違くて、そのお礼じゃなくてね。えっと……サブレのお礼!」

 

「サブレ? 昨日作ったのはビスケットじゃなくてクッキーだろ」

 

「だから違うってば! サブレっていうのは家の犬の事で……この子!」

 

 俺がますます怪訝になるのを見て携帯を取り出した由比ヶ浜は、何がしかの操作をした後に俺に画面を向ける。

 その画面にはどこかの室内で、ソファーに座った黒髪の女の子が胸元に一匹の犬を抱き上げている写真が映し出されていた。由比ヶ浜の言うサブレが何なのかは分かったが、この犬のお礼と言われても……ん? あれ? この犬ってまさか?

 

「……もしかして、入学式の時の犬?」

 

「ッ! うんっ!」

 

 もしかしてと思い由比ヶ浜に問いかけると力強く頷いて肯定された。 

 なるほど、と改めて写真を見てみるとどちらにも見覚えがある。犬はあの時抱えてたやつだし、この黒髪少女は回転しているときに見た大口開けて俺を見ていた飼い主だ。って、これ由比ヶ浜かよ。純朴そうな感じだったのがなぜこんな派手に……高校デビューっやつかね。スゲーな。

 

「これ!」

 

 別人と言ってもいいくらいの変身ぶりに純粋に驚いていると、目の前に何かを差し出された。

 見てみると、それは先ほど雪ノ下に渡していた物とはまた違う色のラッピングをされたクッキーであった。

 

「事故の後にお見舞いの行った時はヒッキー寝てて、その時は妹さんにお菓子渡して帰って後でもう一度行こうとしたんだけどね。……新しくできた友達からの誘いとか断れなくて、行かなきゃ行かなきゃって思ってるうちにヒッキー退院しちゃっててさ」

 

 うん、菓子に関しては一度小町と話し合わなくてはいかんらしいね。アイツ絶対一人で食ったろ。

 心のメモ帳にしっかりと書き込みながら、気を取り直して由比ヶ浜に視線を向けるとクッキーを差し出したまま話す由比ヶ浜は苦しいという感情が多分にのった苦笑を顔に浮かべて続ける。

 

「学校でヒッキーを見かけた時に、ありがとうってごめんなさいって声をかけたんだけど、挨拶を言ったその後が言えなくて……挨拶を返してくれたヒッキーの顔をみたら急に怖くなって……逃げ、ちゃったの」

 

 話していくうちに突き出していた腕は下がって、俺を見つめていた顔も俯いて見えなくなってしまった。しかし俯きながらも由比ヶ浜は話すことを止めず己の内を吐き出す様に続ける。

 

「でも、その日一日すごい後悔したんだ。それで諦めちゃ駄目だって、"次こそ頑張るんだ"って気持ちを奮い立たせてまたヒッキーに声をかけたの。……どうしても最後の一歩が踏めなくて結局挨拶だけになっちゃってたんだけどね」

 

 人間、何かしら行動を起こすとき一度躊躇してしまうと動き出せなくなってしまうというが話の中の由比ヶ浜がまさにそれだったのだろう。

 

「挨拶だけのまま一年たっちゃって、心のどこかでもういいんじゃないか? って、思っちゃった時に平塚先生にここの事を聞いたの。……『何か悩み事があるのならこういう部活から行ってみてはどうだね』って」

 

 平塚先生に言われただろう言葉を言いながら由比ヶ浜が顔をあげる。そこには先程見せていた苦笑は消え驚いた顔があった。

 

「それでさっそく行ってみたらヒッキーがいるんだもんビックリしちゃったよ。しかも、教室とは違ってめっちゃしゃべるし、ゆきのんと冗談だって言い合ってたじゃん?」

 

「おう、あれが気軽な冗談の言い合いに見えたんだったら眼科行ってくることをお勧めするぞ」

 

「ひどッ!?」

 

 何だったら俺が今最寄りの眼科を検索してやろうかね。……え、行くならお前だろうって? はは、面白い冗談だ。

 などと、心の中でセルフツッコミをしながら安堵する。思わず突っ込んでしまったが、どうやら今のやり取りで由比ヶ浜の気持ちが上向いたようだ。その証拠にほら、由比ヶ浜の顔にも笑顔が――

 

「……でも、まさかクラスメイトとしても認識されてなかったなんて思わなかったよ」

 

 ごめんねーッ!! それは全面的に俺が悪いかもしれないけど、蒸し返さないでほしかったよガハマさん!?

 また項垂れてしまった由比ヶ浜に慌てるが、その俺の慌てる様子を見た由比ヶ浜はクスリと口元に笑みを浮かべると、「なんてね」と舌を出しこちらを見る。デコピンしたいその笑顔。

 

「あはは、ごめんね。……でも、ここに来てよかった」

 

 クッキーの袋を持ったまま手を合わせて俺に謝った由比ヶ浜であるが、その手を解くと部室を見回してそんなことを呟いた。

 

「もしここに来ないで、依頼してなかったら踏み出せないまま、何もできないまま高校を卒業してたと思うし、……夢も諦めてた」

 

「夢?」

 

「そう、夢」

 

 俺の問いかけに由比ヶ浜は着崩している制服の胸元から昨日も見た小瓶を取り出した。由比ヶ浜の手の中にある金の砂が入っている小瓶は、改めて見てもやはりどこか野暮ったさがあって彼女の様なファッションには浮いてしまっている。

 だが、それを見つめる由比ヶ浜のまなざしは優しいものであり、小瓶を持つ彼女はまるで小さい女の子が宝物を持っている様で……? あれ、なんか昔にもこんなの見たことがあったような――

 

 

 

「ヒッキー」

 

「ッ、あ、あぁなんだ」

 

 何かを思い出しそうになって記憶を引っ張り出そうと思考の海に入りかけた俺であるが、由比ヶ浜の呼びかけに意識と視線を彼女に向ける。

 視線を向けた先の由比ヶ浜は真剣なまなざしで、しかし先ほどのように緊張で体をこわばらせることはなく、程よく力が抜けているようだった。そして口が開く。

 

「ヒッキ……比企谷君が助けてくれなかったらサブレは死んじゃってた。だから、あたしの家族を助けてくれてありがとうございました。……あと、あたしの不注意で入院するような大けがをさせてしまって、しかも一年もお礼と謝罪を言うのが遅れてしまってごめんなさいッ!」

 

 最後の言葉と共に頭を下げる由比ヶ浜。そして改めてその手に持ったクッキーを差し出した。

 

「こんなんじゃお礼にも謝罪にも足りないのは分かってるけど、受け取ってくれますか?」

 

「……」

 

 俺は無言で差し出した姿勢のまま動かない由比ヶ浜を見つめる。こちらに突き出されている手は、いくら余計な力が抜けたと言っても不安はあるのかかすかに震えていた。

 まあ、当たり前か。彼女的には自分のせいで怪我した人間に対して一年何もしていなかったのだ。

 しかも事故は入学式という新生活が始まる日だったのだ。それが事故で二週間も出遅れた。普通だったら怒るだろう。ふざけんなよって掴みかかる奴だっているかもしれない。――そう普通(・・)なら、だ。

 

「……ハァ」

 

「っ!」

 

 由比ヶ浜の行動に思わず出てしまったため息に由比ヶ浜がビクリと体を震わせてしまう。あぁ、今の溜息で何やら勘違いをさせてしまったかもしれない。だが、俺の心情的にはため息を吐きたくなるのはしょうがないのだ。だってそうだろう? 一昨日の雪ノ下に続いて由比ヶ浜まで勘違い(・・・)しているんだからな。

 震える彼女にもう一つを溜息を吐いて頭を乱雑に掻きまわすと、差し出された袋を受け取った。

 

「……え?」

 

 手から重みがなくなったことに驚いたのか、顔を上げた由比ヶ浜は涙の溜っている目を見開いてこちらを見つめてくるが、それを無視して袋の中のクッキーを眺める。……焦げはあるけど、まあ食えないことはないだろう。

 一通りクッキーを眺め終え固まったまま動かない由比ヶ浜に向かって口を開いた。

 

「礼は受け取る。けど、謝罪はいらん……つーか由比ヶ浜が俺に謝る必要はない」

 

「……え?」

 

 理解が追い付かないのか同じ言葉を繰り返すガハマさん。仕方ない。フリーズが治るまで俺は受け取ったばかりのクッキーを貪ることにしよう。ガサガサー!! ムッシャ、ムッシャ!苦い、もう一枚ッ!

 一枚目を咀嚼しながら二枚目に手を出そうとしたところで、由比ヶ浜の硬直が解けたのか勢いよく詰め寄ってきた。近いっす。あと涙拭こうね。

 

「何いきなり食べてんの!? って、違くてっ ……あぁもぅ! 食べるの中止ー!!」

 

「ッンク、ハア……飲み物ほしい」

 

「知らないし!!」

 

 いや、口の中パッサパサなんですもの。

 俺の態度に叫んだ由比ヶ浜は、ハアハアと息を吐いて気を取り直すと先ほどの俺の発言を問いただしてくる。

 

「謝罪はいらないっておかしいよ。だって、あたしがサブレをちゃんと見ていなかったからヒッキーが車に撥ねられちゃったんだよ? だから悪いのは私でっ!」

 

「いや、それ違うから」

 

「違うって、何が?」

 

 否定を訝しむ由比ヶ浜に俺は続ける。

 

「確かにあの事故の原因は由比ヶ浜だったかもしれないけどな。俺が飛び出して轢かれたのは俺が悪い。だって俺は別にお前に言われて飛び出したわけじゃないからな」

 

 そう言ってまた一枚クッキーを食べる。お、これは当たりだ。苦くない。……ん? 由比ヶ浜が真剣なのに何でそんなに緩いんだって? だってお前華麗に犬助けたわけでもなく、無様に吹っ飛んだ半ば黒歴史と言ってもいい話を一昨日に続けて話されてるんだぞ。シリアスにやってられるかって話ですよ。

 などとクッキーを食べながらつらつら考えていた俺の言い分に納得できないのか、「でも……それじゃ」と言って顔を歪める由比ヶ浜。あ、そう? ラッキー! ぐらいに考えてくれたらこっちも楽なんだが、そうもいかないようだ。……はぁ、しょうがない。

 

「……これ、お礼にも謝罪にも足りないってさっき言ってたよな? ……十分足りてるだろ。何だったらお釣り出さなきゃいけないまである」

 

「え、そ、そんなことない。だって」

「ある。昨日からどれだけ由比ヶ浜が頑張ってたのか、どんな気持ちでクッキー作ろうとしてたのか見てた。そんな思いの詰まったクッキーが足りないわけねえだろ」

 

「……ヒッキー」

 

 おーおー由比ヶ浜の顔が赤くなってるよ。まあ、こんなこっぱずかしい台詞真正面から言われれば誰だって止まるし、風の精霊が聞いたら思わず「ギップリャァー!!」って叫んで悶絶するだろうから仕方ないね。……だけど、今言った言葉に嘘はない。

 実際、由比ヶ浜はすごいと思う。実を結ばなかったとはいえ、負い目を感じてる相手に接触しようと一年間行動しようと頑張っていた。投げ出せばいいのに、逃げれば楽なのに、それじゃあ納得できないって足掻き続けた。

 そんな眩しいぐらいに足掻く由比ヶ浜にお礼を言われるなんて、投げ出した俺(・・・・・・)からしたらそれだけでもう―――

 

「だから、こっちこそありがとう由比ヶ浜」

 

「っ……な、なんでヒッキーがっ……お礼、言うの? ……訳わかんないよ」

 

 俺からのお礼を聞いた由比ヶ浜は目元を抑え溢れるものを遮り言葉をつかえさせる。そんな彼女に俺はあえて冗談めかせてやることにした。

 

「ハズレありとはいえ女子の手作りクッキー貰ったんだ。男子的にはひゃっほーいって感じだろうよ?」

 

「一言多いしっ! ……あぁ、これ絶対マスカラ落ちちゃってるよぉ」

 

「おう、パンダみてぇだわ」

 

「うっさいっ! 見んなし!」

 

 ちらりと見えた顔の感想を言ってやると由比ヶ浜は勢いよく後ろを向くとしゃがんでしまった。ふむ、やり過ぎたかね? 

 此方に向いた背中を眺めもう一枚クッキーを口に入れ咀嚼。ぬ、これもハズレか。

 

「う~っ! …………ヒッキー」

 

「ん?」

 

 口に広がる苦味に眉を顰めて、雪ノ下はまだ来ないのかと扉を確認していると蹲ったまま唸っていた由比ヶ浜の呼びかけに視線を戻す。

 

 

 

「……ありがと」

 

 

 

 

 背をこちらに向けたまま告げられたその言葉は鼻声で、少しだけ見える彼女の横顔はやはり汚れてしまっているけど――――

 

 

 

 

「……おう」

 

 

 

 

 

 その口元に浮かぶ笑みはとても綺麗だと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 





ここまでお読み下さりありがとうございます。


いやぁ、さらっと流すつもりが長くなってしまった(汗
まあこれでようやく話が進められる……はず。

あ、この話なのですが、そのうち前半部分を前の話に移すかもしれません。読み返していると切り方が中途半端な感じがしてしまってしょうがないので。 


では、次のお話でまたお会いできればと思います。


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