原作とは色々改変をする予定ですので、よろしくお願いします。
あと、赫者を始めとする狂人達の語りには、今までにない構文表現をしてみたいと思っていますので、悪しからず。
家族の葬儀をした日を、今でも覚えている。
父と母と、妹の遺影を取り囲む白い花々。
線香の香り。
式場に現れた奴らの不景気な顔。
鼓膜にへばりつくような、お経の音。
悲哀と絶望。孤独感と虚無感。
それらの記憶の全てが、十年近く時を経た今も、俺の頭の中に太く細かい根を下ろし、我が物顔で居座り続けているのだ。
──まぁ、当時は肝心の弔うべき死体が、僅かな肉片を残して殆ど残されていなかったからな。うっかり妹の棺の中を覗いてしまった比企谷少年が、その時何を思い、何を誓ったのか。きっと想像に難くないだろう。
そんなこともあってか、つまるところ。
現在に至るまでの俺は、葬式という行事に対して、一種トラウマ的な感慨を覚えるようになっていたのであった。
「どうした比企谷、顔色が悪いぞ」
クインケの新調から数日後、真戸呉緒上等捜査官の告別式。
広い式場の隅で壁にもたれかかり、せっかく安浦特等から頂いた黒のスーツをじっとりとした脂汗で濡らしていた俺は、見知った顔に声をかけられた。
「……平塚先生」
女性の中では目を引く長身。モデルのように凹凸が激しく、且つ健康的な肉付きをした肢体。すらりと整った鼻立ちに、黒の長髪を腰まで伸ばしている。
──平塚静香さんは、冠婚葬祭用に用意してるのであろう、普段のものより一層黒いスーツを着込んで、同じく黒のヒールをかつかつと鳴らして近付いてきた。
「先生じゃあない、平塚特等と呼べ」
平塚先生はきゅっと眉を潜め、大人らしい凛とした声で俺を俄かに諌めた。
もはや、何回同じやりとりを繰り返したか分からない。俺と雪ノ下からしたら特等としての彼女より、元アカデミー候補生だった頃の指導官の印象の方が強いからなぁ。そう何度も言われたところで簡単に直せないし、正直直す気もありません。
「……で、質問に答えろ。体調が優れないのか?」
いつも通りの、どこか男らしい口調で尚も深く聞いてくる平塚先生。お節介焼きなとこも変わらないな。もう何年も前に一年だけクラスを持っていただけなのに、いつまでも俺のことを生徒として気にかけているのだろうか。頭が下がるわ。
「問題ないです。そんなことより先生こそいいんですか、普通告別式って和装するべきでしょ」
「持っていないものは仕方あるまい」
肩を竦めて、平塚先生はどこか皮肉めいた笑みを浮かべた。
いや、和服持ってないってソレ。いい歳した成人女性としてヤバいんじゃないすか。
「ゲン担ぎみたいなものだよ……着ないに越したことはないだろう、葬儀用の服など」
ああ、そういうことか。
やはりこの人からは、凛然と佇む武人のような姿でありながら、どこか優しさや慈しみ──甘さを感じる。
俺たち捜査官は仕事柄、身の回りの人々が突然の死を迎えるなんて、そう珍しいことではないのに。それを平塚静という人は、日々の血生臭い喧騒の中に忘れようとも、明日は我が身だと、さらなる恐怖で塗り替えようともしないのだ。
ただ、死に絶えた絆を正面から見据え、きっと誰にも見られない場所で静かに涙を流すことだろう。
俺はそんな平塚先生の横顔を、遠くの棺を見つめる彼女の瞳を。
美しいと、そう思った。
「……勿体無い。スーツがそんなに似合ってるんだから、和服も相当に見栄えすると思うんですけど」
「……む、」
俺が特に深い考えもなく──本当は照れ隠しもあったが──ぽろっと溢したその言葉に、平塚先生は艶めいた唇をきゅっと引き絞って、正負の感情が入り混じったような、なんだかよくわからない表情を浮かべる。
──え、なに、何かやらかしたか。
しばらく、居心地の悪い沈黙が俺たちの間に横たわったが、何やら持ち直したらしい平塚先生が大きく咳払いをしてから、悩ましげに眉を歪めた。
「比企谷……まさか君、普段からそうやって周囲の女性に声をかけてはいまいな」
「はい?」
「君の場合、日頃の態度が余りにもふてぶてしい。偶に放つ今みたいな言葉は、相手に要らん心労を与えることもあるのだよ」
思わずくらっときてしまった、なんて呟きながら、平塚先生はこめかみに手を当てる。
──なんだかよく分からないが、俺の言動が彼女に良からぬ影響を与えてしまったらしい。
「……はぁ、なんて言うか、すいませんでした」
いまいち釈然としないまま、取り敢えず謝ってみる。
「分ったならばよろしい」
平塚先生はふわりと優しく微笑んで、そう答えた。
──やはり美人はそれだけで得だな。よくわからないが、その笑顔を見るだけで、コッチは思わず心が満たされてしまう。普段雪ノ下を見ていて、何度も再確認するわ。
「……真戸上等とは、どれくらいの付き合いだった?」
平塚先生はシャツの襟に指をかけ、首元を少し緩めながらそう問いかけてきた。確かに、行事の進行としての告別式は先ほど終えているので、多少気を緩めるのも分かる。
正直、俺も早く部屋着に着替えたい。
「……そうですね」
ふと、平塚先生の問いかけに、俺は少し考え込んでしまった。
初めて真戸さんと出会ったのは一年前。有馬さんと精鋭班に追従して、雪ノ下と一緒に初の第二十四区潜入へ向かうことになった時だ。
『モグラ叩き』経験済みの捜査官にレクチャーを受けるということで、講師役の真戸さんから色々なことを教えてもらった。
二十四区の構造、東京地下の大迷宮。
そこに巣食う大勢の喰種。
真戸さんも比較的若い頃作戦に参加したこと。
その時、『隻眼の喰種』に妻を殺されたこと。
当時、いやに親身な態度を取る真戸さんに、何故そんなに俺たちを構うのか、と聞いたことがある。
『君達を見ていると、私とかつての妻を思い出すんだよ。……特に比企谷君の目付きは、とても他人とは思えなくてね』
思わずほっとけや、とツッコミそうになった。雪ノ下も苦々しい表情を浮かべて、なぜか俺を睨んできたし。
だけど、俺たちを見つめる真戸さんの顔が本当に、余りにも穏やかだったので、そんな事も言えなかった。
ぎょろりとした三白眼と、引きつった頬。
完全な悪役顔だった彼が、あんな顔も出来たのかと。彼がどれだけ妻を愛しているのか、痛々しいほど伝わってきた。
それからも何度か、俺は個人的に真戸さんから呼び出されて、晩御飯を奢ってもらったりもした。俺より少し年上の娘がいる、と言っては、彼は口元を引きつらせて笑った。
──そうだな。
きっと、俺は。
「そんなに長い付き合いでは無いですけど……きっと、息子のように思ってくれていたんだと、思います」
そう口に出した時、視界がじわりと滲み出した。それは眼から溢れるほどのモノでは無かったが、確かに俺が感じた悲しみの象徴だった。
「……そうか」
決してソレを落としてしまわぬように、天井の光を強く睨め付けると、平塚先生の柔らかな声が聞こえる。
「泣けばいい。人が死んでしまった時ぐらいは、それが普通だ。……君は、強がるのが得意だからな」
「……そんなことないっすよ」
「そんなことあるんだよ。私が言うんだ、間違いない」
──煩わしい。世話焼きにも程度があるっつの。
だけど、そうだな。
「……今度から、色々お話しさせてくれませんか」
喉を焼くような嗚咽の燻りを堪えるあまり、俺の声は変に嗄れてしまっていた。
恥ずかしさのあまり、続く言葉が出ない。
平塚先生も、最初は目を丸くして呆けていたが、やがてくすくすと笑いだして、にっこりと破顔した。
「あい分かった。しっかり引き継ぎさせてもらうよ」
バシッと、先生の腕が俺の肩を強く叩いた。
──いってえな、どんな馬鹿力だよ。
俺は横目で先生を睨みながらも、ジンジンと体の内側に残る熱と対照的に、熱くなった目頭が段々と冷めていくのを感じていた。
全く、これだから頼れる年上美人は嫌なんだよ。
惚れてまうやろ。
所用があるといって平塚先生が先に帰った後、俺は会場を出て帰路につこうとしていた。えーっと、ここ何区だっけ。俺たちの家は三区だから──。
「近くのバス停から一本で帰れるわよ」
「うおっ⁉︎」
突如背後から投げつけられた言葉に、俺は思わず変な声を上げて飛び退いた。
そこにいたのは雪ノ下雪乃。
俺と同じく告別式に参加していたので、その装いは黒い着物姿に、後ろで大きく一つにまとめた黒髪と、全体的に真っ黒な印象だった。ただ、それ故に彼女の抜けるように白い肌が、普段に増してかなり強調されている気がする。
綺麗だと、純粋にそう思った。
「……何? 車に轢かれたカエルみたいな声を出したかと思えば、今度は突然硬直して。新種の珍獣かしら」
やかましいわ。俺の感心返せ。
せっかくの顔立ちに、嗜虐的で邪悪な笑みを浮かべる氷の女王。
つーかわざわざ気配を消して近づいてくるなよ、確信犯だろ。
「ほっとけ。それよかお前、こんなところで何してんだよ」
「仕方ないじゃない、帰る家が一緒なのだし。当然帰り道も同一のモノになるわ」
「……そうだけどよ」
どこ見ても見当たらないから、てっきり先に帰ったもんだと思ってたんだが──珍しい事もあったもんだ、コイツが俺のことを待っているなんて。
「……何かしら」
自分でも知らないうちに、雪ノ下のことをじっと見つめてしまっていたのだろう。雪ノ下は俺に、何かを恥じらうような、糾弾するような視線をぶつけてきた。
「別に、あなたを待っていたとかではないわ。ただ、早急に耳に入れておきたい話があるだけ」
「いや、まだ何も聞いてねぇじゃねぇかよ……」
相変わらず、勘違いを許さないスタイルですね。誤解を生む前にしっかり潰しておくのが、雪ノ下雪乃の流儀なのであった。
「まぁいいわ。それで、耳に入れておきたい話ってのは、なんだよ」
「そうね、何から話した方がいいかしら。私もついさっき、亜門さんや丸手さんから聞いたばかりのことだから……」
二人で横に並んでから、会話もそこそこに俺たちは歩き始めた。近く、と言っていたから、バス停はここから五分ほどだろうか。雪ノ下がまた方向音痴を炸裂させないように願いながら、ちらちらと横目で様子を見る。
しかしそんな俺の思惑を知ってか知らずか、雪ノ下は報告を始めた。
「まず、真戸さんを殺した喰種……これは恐らく、『ラビット』と呼ばれている若い個体ね。被害も多数報告されているわ」
そう語る雪ノ下は、虚な表情をしていた。まるで、それ以上の激情を表に出さないように、何かをぐっとこらえているみたいだ。
それもそうか。真戸さんとの付き合いで言えば、雪ノ下もそれなりになる。彼女には彼女の思うところがあるのだろう。
「ラビットは活動区域からして、私達に担当が回ることはないでしょう。……もっとも、今の私達には本格的に仕事を任された区域自体存在しないのだけれど」
「……まぁ仕方ないわな。どの業界でも、新入社員ってのはまともな仕事与えられない上に、色んな所で雑用任されんだよ」
「まさに、他班の尻拭いばかりやらされている現在の私達そのものね。言い得て妙だわ」
こめかみを押さえて、忌々しげに眉をひそめる雪ノ下。俺としても、現状に不満が無いわけではない。
しかしだからと言って、自分達に現状を打開することが出来るとも思っていなかった。
こんなことを言ったら雪ノ下は怒るだろうが。上が俺たちの活躍を歓迎しないのには、勿論若造が能力に任せて出世コースを驀進していくのが気に食わない──なんてことが理由ではないことも分かっているのだ。
いや、もしかしたらそう思っている輩もいるかも知れないけど。
重要なのはやはり、俺たちが未成年であることだろう。
それは法律的な面でも、倫理的な面でも、社会に公にされた時多方面からバッシングを喰らう可能性が高い。高校も卒業していない年頃の子供を、日々殺し合いの場に送り続けている国家機関の話なんぞ、世の大層公明な教育評論家共が聞けば、きっと卒倒してしまう。
故にCCGは、俺たちを社会から隠そうとする。しかしだからと言って、将来有望な戦力を腐らせたくもない。
そんな中途半端な状況が、現在の俺たちの足場になっている。
喰種を殺すことで、一定の報酬と評価は得ることが出来るだろう。かといってそれが、俺たちの独立に繋がるかと言えば、微妙なところなのだ。
「だけどね、比企谷君。そんな私達に朗報よ」
「……あ?」
ふふん、とやけに上機嫌になった雪ノ下は、にこりと微笑んで、横から俺を見つめてきた。やめろやめろ、心臓に悪い。
「近々、多分年末くらいかしら。丸手さんが言うにはかなりの高確率で、『アオギリの樹』の根城を叩く大規模作戦が決行される……らしいわ」
──ほう。
そりゃあいいな。
「根城ってのは、もう場所が割れてるのか?」
俺がそう聞くと、雪ノ下は難しい顔をして小さく溜息をついた。
「そこが問題ではあるのよ。大まかな予測地は何箇所かあるのだけれど、特定には至っていないわ。……そこに辿り着くまでで、調査員はみんな死んでしまうから」
雪ノ下は、俺も全く知らない情報をつらつらと並べていく。コイツ、告別式が終わった途端どっかに消えたと思ったら、ずっと丸手さん達と話していたのか。
仕事熱心なことで──いや、今回は『仇討ち』か。
「ともかく、急激に大きくなっていくアオギリをCCGは見逃さない。これから捜査の手も広くなって、恐らく年末には彼等の居場所を特定できる……と言っていたわ」
「……そうか」
ふと俺は空を見上げた。日が傾き始めた秋の空は、薄い雲が方々を覆って、イマイチすっきりしない。文学作品はよく登場人物の心情を雲行きで表現すると言うが──もし俺が、何かの作品の主人公だったのなら、と俄かに空想した。
「……戦いましょう、真戸さんの分まで」
強い決意の篭った声が聞こえた。
そんなことは言うまでもないと、俺もまた強く気持ちを固める。
「『隻眼の喰種』、か……」
アオギリの頭領。
捜査官の間でまことしやかに語られる存在、『半喰種』。曰く、雑種強勢によって純喰種より遥かに強いとか。赫眼が片目にだけ発現するとか。生物学上、喰種と人間の間には子供を成すことが出来ないとされているが、果たして本当に存在するかも怪しい所だ。
しかし、アオギリを率いる『王』こそが隻眼であり。
そして、真戸さんの妻を殺したのも、隻眼の喰種だ。
まだ俺たちが、アオギリ壊滅の大規模作戦に選抜されるかは定かではない。それでも、牙を磨くに越したことはないだろう。
そして必ず──
「うわっ!」
「おっ……と!」
じっと考え込んでいると、どうやら前方の注意がおろそかになっていたらしい。俺は肩から思い切り、向こうから歩いてきた青年とぶつかってしまった。
辺りを見回してみると、かなり人通りの多い歩道だ。話に夢中で気がつかなかった。
俺はなんとか踏み止まったものの、正面をみると、青年は腰から思い切り尻餅をついて転んでいる。
「すいませんでした、ウチの駄犬が……お怪我はありませんか?」
「おい、駄犬ってなんだよ」
咄嗟に謝ろうとしたが、雪ノ下に先を越された。おまけに謝るよりも前に反射的に突っ込みを入れてしまった。全く、芸人根性が染み付いとるでェワシは。
つーか良い笑顔だったなー俺を駄犬呼ばわりした瞬間の雪ノ下さん。バッチリ見えてるんだからね。
「え……と、マジですいませんでした。怪我とかは……」
「あ、い、いえ! 大丈夫です」
土埃を払って起き上がったのは、黒髪に穏やかな顔付きをした、ごく普通の青年。パーカーの上からでも線が細いと分かるため、インドア派な印象が強い。
しかし、全体的に個性の薄いその中で特に目を引いたのは、左目に付けた市販の眼帯だった。
「ぼ、僕の方こそすいません、身長ほとんど変わらないのに、貧弱だから当たり負けちゃって」
へこへこと低姿勢で、見た目通りの穏やかな口調の青年が言う。
「あー……いえ、全体的に前方不注意だった俺が悪いですよ、ホントすいませんでした」
互いに謝罪を連発する俺たちを見て、雪ノ下は僅かに眉をひくつかせている。イライラすんなよもう、分からんでもないけどさ。
「あのっ……僕、ここの近くの喫茶店で働いていて、今日は本当にすいませんでした! 機会があったら是非うちに来て下さい、サービスするので」
青年も雪ノ下の負のオーラに気付いたのか、早口にそう言うと脱兎のごとく走り出してしまった。眼帯で視界が狭いだろうに、事故に遭っちゃうよ?
「……なんだったのかしら、あの明らかなコミュニケーション障害者は」
「そんなこと言うんじゃありません」
思ったことをすぐ口に出さないの、めっ!
世界はあなたが思うほど、メンタル強い人間ばかりではないのよ。
「まぁいいでしょう。行くわよ比企谷君」
「……おう」
俺は、人混みに消えていく青年の背中を、じっと見ていた。
何故か目を離せない。
あの背中を、覚えておかなければいけない、そんな気がしていた。最近は勘が鋭いなぁ俺。
しかし後にこの出会いが、俺たち二人──『有馬の猟犬』と『奴』との、奇妙な縁の始まりだったと知ることになる。
今はまだ、俺も、雪ノ下も、奴も、誰もがそんなことになるなんて想像もしていなかったことだろう。
そう遠くない未来、俺たちは再開することになる。
──間違いだらけの、この歪んだ世界で。
「……ねぇ比企谷君、バス停の場所のことなんだけれど」
「もう言うな……大体察した」
良くも悪くも期待を裏切らないな、お前は。
思わずげんなりとしながら。
どうにか帰路に着くために、俺はまず現在地を確認するところから始めた。
カーネーキー君との初顔合わせ。
早くヒッキーとの対戦カードを実現させたいものです。