比企谷&雪ノ下の喰種捜査官事件簿   作:愚者の憂鬱

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はてさて、八幡と雪乃の過去をもっと掘り下げたいが、そうすると物語が先に進まない……。
仕方ないから、メインストーリーの合間にちょいちょい挟むか、エピソード0的なものも書くか、ですね。
飽きないうちに限界まで書き上げますか。


散花

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 十年前の記憶。

 平凡な両親。

 飼い猫。

 そして、他の誰よりも大事に思っていた妹。

 前日の夜、いつも通り自室のベッドで眠りに就いたはずの俺は、気がつくと開けた野外に立っていたが、それが夢だと理解するのに、然程の時間は必要無かった。

 ただ、よりにもよって、なんという夢を見てしまったのか。

 何故、よりにもよって、この夢なのか。

 俺は、特に何の責任もないはずの、就寝前の呑気だった自分を呪った。

 

「───、───────」

 

「──────────!」

 

 視線の先。

 真っ青に澄み渡った空の下に、一面の花々が無数の色彩をもって咲き乱れる中、まだ幼かった俺と家族が、笑い合いながら何かを話していた。

 しかし、記憶を美化しているにもほどがあるだろう。この幻想的だがどこか既視感のある風景は、かつて俺達が家族で遠出した先で見た自然公園のモノ、だったはず。

 勿論、現実でこんな絵に描いた幸せ家族みたいにキャッキャウフフしていた覚えは毛ほども無い。花畑に突っ込んでいった妹は、あたりを飛び回る羽虫の多さに辟易して速攻Uターンしてきたし。家で作ってきた弁当を食べるはずだったのに、父か母だったかは忘れたが、どちらかがレジャーシートを家に置いてきてしまったため、昼食はまともに食べれずに両親も責任のなすり付け合いで修羅場に突入した。そんな散々な日、だったはずだ。

 それでも、俺はそんななんでもない一日を、ここまで美しい記憶としていつまで経っても覚えている。それはきっと俺自身、その『何でもない日々』こそが、とても尊いモノであったと、心の何処かで考えていた──気付いていたからなのだろう。

 最初の内は遠巻きに、在りし日の自分を眺めていた俺だったが、胸を刺す鋭い疼痛に耐えかねて、ついにいてもたってもいられなくなり、思わず家族の元へ駆け寄ろうと試みる。

 しかしその時──あることに気付いた。

 どうやら俺の体は、金縛りにあっているようで。頭からつま先までピクリともうごかせなかった。

 ──ああ。

 ダメだ。ダメだ。ダメだ。

 知っている。

 俺はこの夢の続きを知っている。

 ずっと知っていたのだ。

 

 もうすぐ奴が現れる。

 

 奴が現れて、俺たちをぐちゃぐちゃに壊してから、また何処かへと消える。

 ──本当に楽しげな家族の喧騒が、花園に吹く風に乗って、遠く空へと流れていく。

 

 もうすぐ奴が現れる。

 

 ボロボロの外套をたなびかせて、むせ返る血の匂いを染みつかせた奴が。

 俺から全てを、奪って笑う。

 どれだけ手を伸ばして踠いても。

 父も。

 母も。

 妹も。

 今の俺には、届かなかった。

 

 もうすぐ奴が現れる。

 

 もうすぐ奴が現れる。

 

 もうすぐ奴が────────────────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──最悪の寝心地だった。

 ベッドと大きめの本棚、それから小さなちゃぶ台くらいしか置いていない簡素な部屋で、俺は寝汗にびっしょりと全身を濡らして目を覚ました。

 ベッドからゆっくり起き上がり、頭の中で響く謎の疼痛に思わず額を押さえながら、深呼吸で乱れた呼吸を整える。

 ──どんな夢だったかはもう忘れてしまったが、それがロクでもない記憶にまつわるものだったことだけは、絶対に分かる。

 

「……………………くそ」

 

 どれだけ強くなったつもりでも。

 どれだけ前へ進んだつもりでも。

 逃げられないモノが、きっとどんな人だってあると思う。

 こうしたら良かった。ああしたらきっと違っていた。そういった『後悔』の小さな残滓は日々生まれる中で、時々こうして、人の心に消えない傷跡を残すこともあるのだ。

 

「………………トラウマ、か……」

 

 それはきっと、どこかから俺を見ている神様のような存在が、「忘れるな」と言っているからに違いない。

 俺は一生、この悪夢にうなされなくてはならないし、家族との記憶が戒めとして、鎖のように俺の肌に食い込む感覚を覚え続けるのであろう。

 未だぐらつく視界で枕元の時計を見ると、普段より少しだけ寝坊していたことに気付いた。そろそろ起きなければ、また雪ノ下に煩わしい小言を言われてしまう。

 ──ふと、正式に二人一組を組んだ日に、雪ノ下から聞かれた質問のことを思い出した。

 金も。

 名誉も。

 人望も。

 俺にとって全ては二の次でしか無い。

 

『あなたは、何のために捜査官を志すの?』

 

「…………分かんねえよ、もう……」

 

 俺は、ゆっくりと体をベッドから下ろして、両目をぐりぐりと擦りながら、部屋のドアを開け放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お久しぶりです、地行博士」

 

「……どうも、」

 

 CCG本局。

 東京都第一区に置かれた、日本の喰種対策の要とも言える高層ビルは、周囲の大企業が所有するビル群の中においても、一際異彩を放つほど巨大だ。

 そんな本局の地下に広がる、広大なフロア。

 俺たち喰種捜査官が日々の仕事で欠かすことのできないモノ──クインケの製造研究施設で俺と雪ノ下はある人物と待ち合わせをしていた。

 

「やぁお二人さん。元気だったかな」

 

 中肉中背に白衣の中年。

 目元をすっぽりと隠すボブカットが、否応にもキノコを連想させる。

 地行甲乙博士は、いつかと同じく飄々とした笑顔を浮かべて、研究室の玄関口で俺たちを待ち受けていた。

 

「日々職務に励んでおります」

 

「まぁ、ぼちぼちです」

 

 雪ノ下がいつも通り、仕事モードのハキハキとした口調で返答するのに続いて、俺もテキトーなことを言っておく。地行さん本来は相当偉いはずだから、たかが三等捜査官の俺がこんな態度とってることが分かったら、実はそれなりに問題になるんだよね。

 まぁ、本人が結構軽い人だし、一度も諌められたことも無いし、今朝は俺も寝起き最悪だしで、多少の不敬は許してほしいものである。

 ──隣りから絶対零度の視線を感じるが、ここは敢えてガン無視を決め込む。

 

「…よ、よし。今日はクインケを新調する予定だったね」

 

 険悪なムードを機敏に感じ取った地行博士が、不必要に声のトーンを上げてフォローを入れてくれた。──やっぱええ人や。

 

「実は一月前に、上からようやく許可が下りてね。君達が今まで仕留めてきた凶悪喰種の赫包を、そのまま君達の専用クインケに使用することが出来るようになったんだ」

 

「! それは本当ですか」

 

 雪ノ下は珍しく目を見開いて、地行博士の言葉に少しばかりの驚愕の意を表していた。かく言う俺にとっても、コレは思わぬ朗報である。

 ゆっくりと踵を返し、研究室の奥へと歩き出した博士を見て、俺たちもその後ろをついて歩く。どうやらこれから、件の『新作』を実際に見せてくれるようだ。

 

「君達は、様々な特例に基づいて動いているからね。本来、捜査官が仕留めた喰種──その赫包の所有権は、仕留めた本人が例外なく獲得できるはずのトコロを、今までは細々とした制約が邪魔していたんだろう」

 

 ──それは、俺たち二人が、捜査官として未熟だから、とでも言いたいのだろうか。

 だとしたら上の連中も甚だ見る目がない。俺たちは既に、そこらの捜査官ではとても及ばない力量を保持しているはずだ。

 コレは慢心でも虚勢でもなく、あくまで実感としての事実。数多のSレートを超える喰種共を駆逐したという経験に基づいて、それはきっと雪ノ下も同じことを思っているだろう。

 ──人間は、生まれながらに不平等だ。

 どんな奴だって、自分が持たない他人の才能を見た時、それを妬む気持ちを覚えたことがあるだろう。

 俺たちは──いや。

 俺は偶々、恵まれていた、というだけの話。

 偶々現在のような境遇に置かれ。

 偶々そんな中で有効に活用できる才能を持っていた。

 他に大したモノを持たされなかった俺が、唯一他人より少々優れているかも知れないコト。それを、下らない社会的体裁なんざのために押さえつけられたなら──当然良い気はしない。

 まぁ勿論、そんな不満を直訴するような度胸は持ち合わせていないんですけどね。

 

「今まで済まなかったね。大したクインケを渡してあげられなくて」

 

 そう言う地行博士の背中が、少し小さくなった気がした。

 何を気負っているのやら。別に、アンタが謝ることでもないだろうに。

 

「地行博士が謝ることではありません。それに、クインケの方は問題無く稼働していましたし、特別派手なギミックが仕込まれていなくとも、私たちなら十分な成果を出せますから」

 

 雪ノ下の横顔は、神妙に眉をひそめて、何か言いやれぬ不満を感じているようだった。

 

「……そッスよ。むしろ、大した素材も無いのにあの程度の性能を引き出せていた、今までの方が凄いことだったんだと思います」

 

 俺も一応のフォローを入れる。

 ま、ここでいくら文句言ったって、地行博士に悪いだけだし。これからはそんな制限が無くなるってんだから、さっさと手打ちにしておこう。

 

「そう言ってもらえると、こちらとしても気が楽になるね」

 

 そうこう言っているうちに、分厚いガラスの自動ドアを潜って、俺たちはようやく目的の部屋に辿り着いた。いや本当に広いわココ、地下なのに。

 遠近感が狂いそうなほど広大なフロアには、白一単に塗られた床、天井、壁。煌々と光る蛍光灯が眩しく、点々と配置された作業机──金属製、縦横5メートルはある重厚なモノの上には、未だ開発途中らしきクインケの端材が無造作に置かれていた。

 

「さ、これが君達の新しい相棒達だよ!」

 

 俺と雪ノ下は出入り口から最も近くの作業机に案内され、その上に乗せられた──大きさもフォルムもそれぞれが全く違う、四つのクインケを見た。

 

「例の許可が出た直後、有馬さんがここに顔を出してね。君達日頃から、クインケについて彼に色々愚痴っていたそうじゃあないか」

 

 作業机の前でぼーっと突っ立っていた俺の背後に、にやにやと人の悪い笑みを浮かべた地行博士が回り込んできた。──なんだかんだで、やっぱ気にしてたのかこの人。

 

「……いや、愚痴とかそんなんじゃないッスけど……」

 

 有馬さんの名前が出て一瞬身構えたが、どうやらそれほど悪い話でもなさそうだ。俺はしどろもどろになりながら、なんとかその場を誤魔化そうとしつつ、横目で雪ノ下にも救援を求める。

 しかし彼女は既に、作業机の上に置かれた新しいクインケ達に釘付けになっているようだった。流石真戸さんに次ぐクインケ狂(俺調べ)だ、完全に俺のことが見えなくなっておられる。

 

「いやいや、さっきも言った通り、僕にも責任があることだったんだよ。有馬さんが来たのは、新しい君達のクインケに、日頃聞いていた要望を反映させるためだったらしい」

 

 ──あぁ、なるほど。

 俺の脳裏に、能面のように無表情な白髪の男が顔を出した。冷たく冴え渡った、レンズ越しの瞳がじっとこちらを見つめている。

 いやはや、あの人には頭が上がらないわ。理想の上司かよ。

 今度絶対にお礼をしておかないとな。

 

「愛されてるねぇ、二人とも」

 

「……どうでしょうか」

 

 クインケから視線を話さずに、微笑みながら答える雪ノ下。つーか聞いてたのかよ。

 

「イマイチ何考えてるか分からんからな、あの人は」

 

 かく言う俺も、思わず口角を吊り上げながらそんなことを言ってみたりする。

 ──本当は結構嬉しかったりするが。

 親のいない俺からしたら、目上から何かを貰えるということ自体、かなり珍しいことなのだ。

 ──ふと、有馬さんは俺たちのことをどう思っているのだろうか、そんな疑問が浮かんだ。

 恥ずかしくて、こんなこと本人にはとても聞けないだろうから、俺たちは俺たちでそれを想像するしかない。

 恐ろしく強く、恐ろしく冷酷な男。

『CCGの死神』──有馬貴将。

 彼にとって俺と雪ノ下は、ただの飼い犬か、それとも多少なりの親愛は感じてくれているのか。せめて、前者ではないことを願うばかりだ。

 ──もっと言えば、本当の兄弟か、息子のようにでも思っていてくれたのなら。

 そんな関係の在り方も、偶にはいいな、とか。

 思ったりもする、かも知れない。

 でも勘違いしないでよね。そう簡単に俺は飼いならされたりしないんだかね。

 

「さぁ、一つずつ説明していこう。有馬さんが言うには、君達は二人とも『同時に二つのクインケを使用する』ことが得意なんだろう。だからココに置いてある四つは、雪ノ下さんに二つ、比企谷君に二つずつ用意したものだ」

 

 そう。

 その技術は、俺と雪ノ下が有馬さんに師事するにあたって、一番始めに仕込まれたことだ。

 有馬さんが死神と称される所以でもある、『クインケの二種類同時操作』。

 両腕をフリーにした状態で更に赫子を使える喰種達に対し、俺達人間は手でクインケを使用する限り、必ず手数で劣る。

 故に、当時弱冠十六歳で捜査官になった有馬さんが取ったスタイルこそ、右手と左手で別のクインケを持つ、という単純だが強力な一手だった。まぁ全員にそれが可能なら、今頃CCGアカデミーではクインケ同時操作の訓練が義務化されていただろうが、──実際にはそんなことがないってことからも察せられる通り、二刀流はそう簡単な技ではないのだ。

 有馬さんはその圧倒的強さから、多くの捜査官に戦闘技術を叩き込んできたはずだが、その中に完全に二刀流をモノにした輩は、ついぞいなかったという──俺と、雪ノ下が現れるまではな。

 

「まずは雪ノ下さんのからだ」

 

「はい」

 

 地行博士が、机の上に置かれたクインケを一つ取って、ひょいと雪ノ下へ放り投げる。それを雪ノ下も軽々と受け取り、じっとその全貌を眺め始めた。──今の受け渡しの感じからすると、あまり重量があるタイプではなさそうだな。

 

「……コレは、日本刀……ですか?」

 

 燻んだ黒の鞘に収められた、まさに日本刀の形をした金属塊。

 訝しげに質問する雪ノ下は、右手で掲げたそのクインケを天井の光に翳し、一息に鞘から刀身を抜き出した。

 しゃりん、と無機質で冷えた金属音がして──仄かな紅色に輝く刃が、姿をあらわす。

 

「『雪乃は攻撃力に特化した近接武器を好みがちで、若干持久力に欠ける』、有馬さんのこの言葉から、軽量ながら斬れ味の高い日本刀が適している、と勝手に判断させてもらった」

 

 お気に召してくれたかな、と地行博士はにっこり笑った。それを見た雪ノ下も、思わずその美貌を僅かに歪めて、少々獰猛な笑みを浮かべた。

 ──どうやら、相当気に入ってらっしゃる。

 こんな笑顔を見せるのは、俺をお得意の毒舌でボロクソにしてる時以外に見たことがない──あれ、なんか涙が出てきたゾ。

 

「……上出来です。それで、内蔵ギミックの方は……──」

 

 ひとしきり刀身を眺めてから、雪ノ下は慣れた手つきで刀を鞘に戻した。チン、と軽快な音がして、しっかりと留め口が噛み合ったのだとわかる。

 それを見た地行博士も、満足げな表情で何度も頷く。

 

「ギミックには、雪ノ下さんがかつて仕留めたSレート喰種──『僧正』の赫包を使った」

 

 ──げぇ。

 なんかそいつ覚えてるぞ。確か妙な霧状の赫子を使ってきて、クインケの挙動が突然おかしなことになった、なんてことがあったはずだ。あの時はめちゃめちゃ面倒だったなぁ、俺も雪ノ下もバテちゃって、後半の方はただの戦略的ゴリ押しだったまである。

 

「奴の羽赫は、生体の外に放出された状態のRc細胞を無効化し、結晶化させる。喰種に対しては非常に凶悪なクインケに仕上がったね」

 

 なるほど、そんな仕組みだったわけか。そりゃあ赫子とほぼ同じ構造のクインケも、同等の機能阻害を受けるわけだ。

 つまりあの刀と敵の赫子が触れ合っただけで、すぐさま敵の赫子はカッチカチに固まって動かなくなるってことな。まさに氷の女王らしいクインケじゃねぇか。

 でもなぁ、しかしそれだと──

 

「しかしそれだと、遠距離からの羽赫に対策ができないのでは?」

 

 言うまでもなく、雪ノ下もそこに気付いていたようだ。確かに聴いた感じだと、雪ノ下のクインケは、飛び道具に対してなんの対抗策も持っていないことになりそうだが。

 

「……ふっふっふ、そうくると思ったよ」

 

 雪ノ下の言葉を受けた地行博士は、わざとらしく不敵な笑みを浮かべると、続いて二つ目の雪ノ下専用クインケを取って見せた。

 それは、雪ノ下が今持っている一つ目のモノよりも、半分ほど短小な刀──脇差、だろうか。

 

「こっちの刀は、本当に特殊でね。元々赫子ってモノは、時たま現代の物理学でも理解しがたい現象を見せることも珍しくないんだけど──コレはギミックを起動すると、Rc細胞で構成された物体に対して特殊な電磁フィールドを形成して……早い話が、飛来する赫子の軌道を、『Rc細胞同士でのみ作用する斥力』のようなもので逸らすことができるのさ」

 

 ──よくワカリマセーン。

 僕文学少年なんで理系は完全に専門外デース。ただ、最後に分かりやすく説明してくれたおかげで、大体は理解できた。

 ようはあのちっさい刀を出したら、勝手に飛んでくる赫子の方から雪ノ下サンを避けてくれるってことか。ナニソレチートですか。

 

「……お前、相当引きが強いな」

 

 俺がぼそりと雪ノ下に声をかけると。

 

「あら、当然よ。それだけ私が評価されているということでしょう」

 

 瞬時に雪ノ下も返してきた。

 ──当然って割には、ニヤケ面とドヤ顔が前面に押し出されてますけど。

 そんな俺たちのやりとりを見ていた地行博士は、苦笑いを浮かべながら、若干申し訳なさげに後ろ頭を掻く。

 

「確かにはたから見れば、三等捜査官にはかなり過ぎたクインケだよ。特等の方々でも、ここまでのモノはそうそう持っていない……だからコレは、今までのお詫びも込めて、ってことで。あんまり他の捜査官達には、見せないほうがいいかもね」

 

 やれやれ、本当に律儀な人だ。

 ここまで贔屓にされてしまうと、こちらとしても期待に答えざるを得ないじゃないか。

 

「名前はどうする? 二つとも、雪ノ下さんが決めるといい」

 

「……そうですね」

 

 雪ノ下は真剣に悩み始める。

 こういう時、雪ノ下雪乃は手抜きを一切しない。ゲームの主人公に名前を付けるにしても、俺なら速攻で自分の名前のカタカナ表記とかにするが、コイツは恐らくめちゃめちゃ考え込んで、どっかの国の言語とか使って凝ったネーミングをするのだろう。

 ──さぁ、お手並み拝見といこうか雪ノ下。

 果たして俺の厨二センスに訴えかける傑作を作り出せるかな。

 

「──では、長刀の方を『ニルヴァーナ』、脇差の方を『マクスウェル』、と」

 

 ──クソッかっこいい!

 なんだよチクショウ全然かっこいいじゃねぇか!

『ニルヴァーナ』──『涅槃』は、『僧正』から連想する仏教用語だろうが、正直『マクスウェル』の方はよくわからん。何かの物理法則の名前だろうか。

 ともかく、俺の厳しい検閲を乗り越えたお前のセンスは確かなモノだ。もう教えることは何もない。

 そうやって一人で勝手に感心していると、雪ノ下は突然地行博士に向き直った。

 

「──お心遣い、感謝します。このご恩は、私達の活躍を通して、必ず返させて頂きますので」

 

 脇差を右手に、刀を左手に持った雪ノ下は、そのまま完全に直角に体を折り曲げ、深々としたお辞儀を地行博士に披露した。普段彼女の高飛車な姿ばかり見ているせいか、そのお辞儀は、どんな人間がするモノよりも、深く強い誠意が込められているように感じる。

 ──彼女と知り合って、もう十年近くになるが、こんなに深いお辞儀は数えるほどしか見たことがない。

 

「そんなかたっくるしいのはナシでいいよ。何か分からないことがあったら、いつでも聞きに来てね」

 

「ありがとうございます」

 

 やがで雪ノ下が頭を上げた時、そこには花も綻ぶような笑顔があった。

 ──あざとい。多分天然だろうけど。

 こんな笑顔の直撃に遭っちゃあ、流石の地行博士もキュンと来ちゃうでしょうが。あ、ほらやっぱり、博士少し顔赤いし。

 

「……さ、さぁ! 次は比企谷君だね!」

 

 そんでもってちょっと元気になってんじゃねーよアンタも。十歳以上も年下の女相手に情けないんじゃないの。

 しかし。

 白衣の裾を翻して、地行博士が意気揚々と俺のクインケの説明を始めようとしたその時──部屋の自動ドアが勢い良く開いて、けたたましいヒール靴の音が入室してきた。

 途端に、俺たち三人の視線が一斉にその音源の方へと集中する。

 そこに居たのは、黒いスーツに身を包み、長い黒髪を頭の上で丸く纏めた、妙齢の美女。

 俺と雪ノ下にとって顔馴染みの女性──安浦清子特等だった。

 彼女には、俺たちがCCGの児童施設に居た頃から面識がある。女性の身でありながら、現役のまま特等捜査官にまで上り詰めた凄まじい人だ。

 

「──八幡君、雪乃ちゃん……本局に来ていたのね、ちょうど良かった」

 

 かなりの速度で走ってきたのか、安浦さんは大きく肩で息をしていた。頰から首筋に張り付いた汗が、彼女の大人っぽい落ち着いた美貌を、より艶かしく見せている。

 ──おっと、本題はそこじゃあ無かった。

 

「……あの、安浦さん。何か、あったんすか?」

 

 明らかにただならぬ雰囲気を感じ取って、俺は恐る恐る安浦さんに尋ねる。雪ノ下も地行博士も、険しい顔付きでじっと俺と安浦さんを見つめたまま黙りこくっている。

 

「……呉緒、君が……」

 

 ゆっくりと息を整えながら、途切れ途切れの声で安浦さんが何かを言っているが、しっかり聞き取れない。それでも焦らず、ただ安浦さんの言葉をじっと待つ。

 

「……呉緒君が」

 

 そして、俺たちが聞いたのは。

 とても予想できなかった、予想だにしていなかった話。

 俺たち捜査官は仕事の都合上、『ソレ』とは切っても切れない縁がある。

 しかし、誰しもが思うはずだ。

 まさか、自分には関係ない。

 自分には、それこそ縁のない話だ、と。

 

「……真戸上等が、殉職されたわ」

 

 けどまぁ。

 どうせそんなもんだ。

 死はいつだって、忘れた頃にやって来る。

 俺はそれを、身に染みて知っているはずだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




そろそろ趣味の落書きを載せようかしら。
石田スイ先生の色彩センスってパないすよね。

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