桃香ちゃんと愚連隊   作:ヘルシェイク三郎

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第九回 呉子遠、悔しがる

 夕焼けの照らす道なりに、ぽつりぽつりと影法師が広い間隔で伸びている。

 ぞろぞろと故郷への帰路についているのは、先だって黄巾賊であることを辞めた者たちであった。

 彼らの後ろ姿を見ることで、それがしの中にも「終わったのだなあ」という感慨が湧いてくる。

 何とか大きな戦を起こすこともなく、余計な血を流すこともなく、無用の悲しみを生み出すこともなく、我々愚連隊は黄巾賊の討伐という争乱の火種を消すことができたのだ。

 よくやったなあ、それがしたち。

 頑張ったなあ、それがしたち。

 でも、ふんどしをはかずに服を着ていると……、風でスースーするんだ……。

 この風、少し寒々しいの。

 しんみりとしながら川辺で料理の支度をしていると、ふと背中から声をかけられた。

 

「急転直下でいまいち理解しかねるのだが……、結局お前たちは何をやらかしたのだ?」

 元譲殿に、妙才殿であった。それに供回りが数人ほど控えている。

 うーん。身なりといい、武装といい、やはり孟徳殿の兵は強そうなのが多い。

 ちなみに愚連隊の連中は強そうというよりも、恐そうという感想を抱かせる。

 それがしは若干の羨望を抱きながらも、先刻彼女らを袖にしたことを思いだし、お二人に頭を下げた。

 

「先程はどうも失礼をば」

 ぺこりとやって彼女らを見上げたところで、お二人は口元をひきつらせた。

 それがしの顔に何か?

「……お前、そのぼこぼこに腫れ上がった顔はどうしたんだ?」

 言われて、今更気がついた。

 今のそれがしは、畑に埋まった芋のような顔をしていたのである。

 それがしは「ああ」と声を漏らして、彼女らに答えた。

 

「事が終わった後、黄巾の強者にこぞって殴られました」

「何故、そこで反撃しない」

「いや、それは。皆が皆、血の涙を流しておられたので」

 だってなあ。

 第六天魔王殿たちの浮かべた辛そうな表情からは、「ここで反撃するのは空気の読めていない所行なのではないか……?」と思わせる悲哀が容易に読みとれたんだもの。

 まあ、どちらにしても一人の上にふんどしをはいていないところを囲まれたから、どうしようもなかった。

 あれをぶらぶらさせながら戦えるほど、それがしは武術に精通しておらぬ。精通していれば、戦えるものなのか……?

 

「血涙……? 何でだ?」

「いや、それが良くは分かりませなんだ。ただ『茶釜持って爆発しろ』と」

「茶釜? 爆発? ううん、良く分からんなあ」

 本当何なんだろう……。

 ただ、爆発と言えば天の国の松永久秀なる武人を思い出す。

 もしかしたら、何か関係が……?

 あ、彼らもニッポンから来た"てんせいしゃ"なのではなかろうか。

 んー、んー。

 いや、仮に"てんせいしゃ"ならば黒幕と行動を共にしていてもおかしくはない。

 黄巾の解散をこうも容易に受け入れているということは、黒幕と無関係と考えるのが妥当であろう。

 となると……、これはまさし君による伝道が進んでいるという確固たる証拠なのかもしれぬ。

 すごいな、まさし君!

 それがしがそのような推測をつらつらと並べ立てると、お二人は「また始まった」とでも言いたげに肩を竦めて、「それより先程の質問に対する返答が欲しいのだが」と話を本筋に戻すよう促してきた。

 

「ああ、すいません。それで我々のやったことでしたな……」

 それがしは頭をぽりぽりと掻きながら、ことが起きた背景と我々の作り上げた策を彼女らに白状することにした。

 

「我々が黄巾に混じって何を目論んでいたのかというと、それは未然に反乱の芽を摘み取るためだったのです」

 それがしは身振り手振りを交えながら、当初は敵の懐に潜り込んで頭目を暗殺するつもりであったこと、黄巾賊の成り立ちを知り、三姉妹の人柄を知って、我が主たる玄徳殿が何を考え、何を目指したのかを事細かに語っていった。

 

 無駄に古典籍やまさし君名言緑を引用し、興が乗ったところでは誇張まで交えてしまうそれがしの説明に、妙才殿と元譲殿は「ほうほう」や「成る程」、それに「おい、話を盛るな」と相槌を打ちながら、的確な質問を投げかけてくる。

 迂遠な説明をものともせぬ、一を聞いて十を知る勢いであった。

「黒幕は結局捕らえられたのか?」

「いえ、取り逃がしてしまいました。三姉妹ならば顔も知っているのでしょうが、既に姿をくらませてしまっていて……」

「では、これから虱潰しに探していくということか」

「それも難しいかもしれません。何せ、母数が母数なので……」

 そもそもお二人は地の頭からして、凡百のそれとは作りが違う。特に物事の本質を掴む力は頭抜けていて、一通りの説明が終わった後に元譲殿の漏らした一言には、語り部であるそれがしをして、「あっ……(察し)」と腑に落ちるものを感じさせた。

 

「しかし、あれだな。おおむねニッポンから来た輩が悪いと言うことか」

 元譲殿の総括を受けて妙才殿へと目をやると、彼女のお顔がやたらに黄昏れておられた。

 

「ニッポン……。ニッポン……。ふふっ、内にも外にもニッポンか……」

「あの、妙才殿?」

 呼びかけても返事がない。ただただ、「ニッポン、ニッポン」と繰り返すばかりである。

 彼女はまさし君との繋がりが深かったそうであるから、色々と思うところがあるのかもしれない。

 

「おうい、秋蘭。しゅうらあん」

 元譲殿が妙才殿の肩をがっくんがっくん揺らす段になって、

「はっ」

 と彼女はようやく意識を取り戻し、魂が抜け出そうな長いため息を一度だけついた。

 

「少し思うところがあっただけだ。気にするな」

「アッハイ」

 瞳に宿る剣呑な光といい、一見して何かをやらかしそうにも見えるのだが、追求するのも怖いので深くは考えないで置こう。

 

「それにしても火種を元から消してしまうとはなあ」

「はい、無事に終わって玄徳殿も喜んでおられたと伺っています」

「ん、お前は玄徳とやらの腹心なのだろう。直接は聞いていないのか?」

 元譲殿の問いを呼び水に、それがしの内に悔しさが煮えたぎる。

 

「……玄徳殿と三姉妹の会談も、その後の解散宣言も、それがしは川でふんどしを洗っていたため、人づてにしか聞いていないのです」

 天和ちゃんと玄徳殿が並んでいるお姿を拝見できないとか、それがし一生の不覚だよ……。

 最近、愚連隊の幼年組の中で背比べが流行っているのだが、それがしとしては母性比べが見てみたい。

 

「ふんど、なんだって……?」

「はい、ふんどしですな」

 ことの子細までは知らないのだが、元々三姉妹も反乱なんぞに命を懸けるつもりはなく、現状の窮地を悟った瞬間、玄徳殿のお言葉を二つ返事で受け入れたらしい。

 

「いやいや。何故、そこで下着が出てくるのだ? 戦闘で返り血を浴びたわけでもあるまいに」

「汚してしまったからですな」

 それがしは川でふんどしを洗っていたため、ことの子細を聞いていないが、その後の黄巾連中説得もすこぶる順調に進んだそうだ。

 三姉妹の拡声妖術を用いて、まずは玄徳殿が現状を訴えかけ、それに対する三姉妹各人が意見を述べ、最後に揃って黄巾党の解散を宣言した。

 黄巾の連中も、この宣言を驚くほど素直に受け入れてくれたと聞いている。間接的に。いや、それがしは川でふんどしを洗っていたから……。

 

「汚したって、汗か何かか?」

「心の汗なのは間違いありませんな」

 何てったって、かくと爽快な気分になるし!

 それがしがちらりと物干し用に立てた木の棒を見やると、白いふんどしがひらひらとたなびいていた。

 

「ふうん」

 元譲殿は返事をするものの、いまいち合点の行っていない様子であった。妙才殿は若干の心当たりがあるようであったが、取り立てて追求するおつもりもないようだ。それがしとしても非常に助かる。

 そんな妙才殿が咳払いをした。心なしか頬を赤らめ、ふんどしから目をそらすようにして。

 恐らくは話題を変えようという合図である。当然、これ以上ふんどしネタを引っ張られても困るそれがしに否やはなく、全面的に乗っていく。

 

「っと、妙才殿申し訳ありません。話がそれてしまいましたな」

「いや、別に構わん。大体の事情は掴めたからな。お前の主は中々の大人物らしい」

「玄徳殿ですか」

 それがしが聞き返すと、妙才殿が首肯する。

 成る程、確かに彼女は大きい。

「うむ。弁が立つわけでもなく、腕っ節が強そうにも見えぬ。だが、何というかな。先の演説に立ち会って、まず感じたことは器の凄まじい大きさだ。あれならば、お前の巡り合わせを感じたという言もそれなりに納得がいく。無論、華琳様の方が優れていることは言うまでもないが……、それこそ出会った順、巡り合わせなのだろう」

「ん、あー」

 全面的に乗っていくと前のめりになったものの、まさかの話題に、それがしは声を詰まらせた。

 巡り合わせ。

 いや、確かに妙才殿の仰る通りなのだが、そうはっきりと先日勢いで吐いた言葉を反芻されると、なにやら気恥ずかしく感じられるのだ。

 

「しかし、何故彼女は"対魔忍こす"なんぞをしておったのだろう。全く、あのようにふしだらな……」

「それについてはそれがしも分かりかねまして……、何やら黄巾の者に是非着るようにと勧められたとかで」

「ふうん、不届き者もいるものなのだな」

 それがしは目を瞑り、彼女の姿を思い起こした。

 結果として大騒動になってしまったものの、幸か不幸かあの"対魔忍こす"を見た瞬間、確信したこともある。

 それは玄徳殿の母性こそ、いつまでも見ていたい母性なのだということであった。

 眼福とはまさにこのことで、天和ちゃん、天和ちゃんと舞い上がってはいたものの、やはり玄徳殿の母性は三国一と言っても過言ではないのかもしれぬ。

 ぷるんとしていて、ぽよんとしていて、つんとしていて、確かな重み……。その結果がそれがしのアレなのかと問われれば、ごめんなさいと言うより他にない。

 それがしが瞼に浮かぶ玄徳殿のお姿を舐め回すように堪能していると、妙才殿が訝しげな声を上げた。

 

「……まさか、あの見てくれに惚れて、ふしだらな巡り会わせを感じたのではあるまいな?」

「え、い、いいいや、そそそ、そそんなわけがっ?」

 いやいやいや! け、決してやましい気持ちだけではないし? 彼女の尊い志にも共感を覚えるし? 何よりも目を離すとすぐに何か事件に巻き込まれそうで怖いし?

 急な問いかけにそれがしが目を泳がせていると、妙才殿が笑い声を漏らす。

 

「冗談だ。第一、英傑に美貌は必要な要素なのだから、別に見てくれから惚れ込もうと全く問題はない」

「そんなものなのでありますか」

「ただし、当人がどう思うかは知らんがな。見られることを良しとしない女も、案外に多いのだぞ」

「ヒエッ!?」

 男のそれがしには想像もつかぬ、衝撃の事実であった。どうしよう……。玄徳殿から「いやらしい目で私を見ないで」とか言われたら……。いや、それはそれで気持ちが高ぶるような気がしないでも……。

 狼狽するそれがしを見て、妙才殿は腹を抱えた。

「冗談だ」

「何処から何処までが冗談なのですかっ?」

 どうにも手玉に取られている感があり、それがしは話題を本筋に戻そうと半眼で皮肉を口に出した。

 

「全く、討伐軍の皆様には悪いことをしてしまいましたな。我々が手柄を立てる機会を潰してしまったようなものですから……。その、孟徳殿にも」

 恐らくは此度の争乱を出世や立身の足がかりにしようと考えていた者は多いはずだ。特に孟徳殿は上昇志向の強い御仁という噂だから、殊更に悔しがっているに違いあるまい。

 

 あ、北郷殿にも悪いことをしてしまったなあ。いや、彼の場合は「余計な血を流さずに済んだ」と喜ぶかもしれない。むしろ、残念がるとしたら孔明殿たちかな? たった一度の出会いであったが、どうにも彼女らはほわほわとしているようで、抜け目のないところがあるように見受けられた。

 次会った時に恨まれていないと良いなあ……。復讐の落とし穴作戦くらいで済めばいいけど。落とし穴なら、上司殿で慣れているし……。

 そんなことを考えていると、妙才殿がきょとんとしたお顔で目をしぱしぱとさせて考え込まれ、すぐに合点のいった表情を浮かべられた。

 

「もしかして、お前は華琳様の出世にけちが付いたとでも思っておるのか?」

「違うのですか?」

 それがしが目を白黒させると、妙才殿は更に続けられる。

「何故、他の諸侯はともかく、我々が手柄が立てられないと考える?」

「いえ、だって戦は無くなってしまったではないですか」

 それがしの指摘を受け、妙才殿はにやりと口の端を持ち上げられた。

 ああ、これは――。

 

「勲功とは、何も戦に勝つことだけが全てではない」

「有事の武功が官職を得るには一番手っとり早いというのは確かだがなあ」

「そうだな。その通りだが、ちょっと黙っていてくれ姉者」

「うむ、分かった」

 前髪をいじりながら、妙才殿は「良いか?」と続けられる。

 

「まず有事に動けるという信頼を中央より得ることが一つ。この点については素早く派兵した時点で他の諸侯を出し抜けている。今回、誰よりも素早く黄巾に対応しようとした諸侯は河北の公孫家に江東の孫家……。そこに我々が入るだろうか。まあ、この三勢力は中央の期待に応えられたと見て良い」

「成る程」

 確かにいつ討伐軍が動き出すかひやひやしながら、周辺の情勢を探っていた時、まず最初に名前が挙がったのがその三勢力であった。

 特に孫文台殿などは討伐軍の召集に呼応して、地元の豪族たちを糾合して各地の賊を鎮圧しながら北上していたと聞く。

 はっきりいって、おっかない限りである。

 官軍やその他の諸侯の腰が重いことも相まって、それがしは日がな南に向かって「本気を出さなくていいのよ? 進軍遅れろ、遅れたまえ」と怨念を送っていたほどであった。

 

「次に後処理だ。争乱が表沙汰にならずとも、そこには確かに問題が存在する。問題がなければ争いは起きぬからだ。ならば、食い詰めた民草をいかんとする? うちの領内で働き口を紹介してやれば、我々の領地を栄えさせる原動力へと変えることができるのではないか? 領地が豊かになれば、自然と兵力も充実しよう。つまり、今後のことを考えれば、戦の後も疎かにはできんのだ」

「それは……」

 このお答えには流石に息を呑まざるを得なかった。

 元々黄巾賊の進路については、我々愚連隊の頭を悩ませる案件であったからだ。

 方々に散っていく者たちには一応、兵糧庫に残っていた物資や我々から当座をしのげる蓄えを支給してはいるものの、今後の生活を考えれば微々たる量に過ぎないであろう。恐らくは一週間も持たないかもしれない。

 

 我々は確かに戦を未然に防ぐことができた。

 ……だが、困窮した民を導くまでには手を回すことができなかったのだ。

 そんな我々にできなかったことを、彼女は軽く解決してみせると断言しておられる。

 

 先頃、玄徳殿とともに頭を悩ませた問題を思い出す。

 あの時は確か――、行政の本質的な腰の重さを、徳に満ちた役人か、徳王と有能な宰相が揃うことで改善できると結論づけたはずだ。

 恐らく、彼女らは失政に喘ぐ民を救う地盤を、既に領内で築き上げておられるのだろう。

 志では決して負けておらずとも、厳然たる地力の差が我々と彼女らの間にはあった。

 

「……羨ましいか?」

「は、え?」

 いきなり問われて、困惑する。

 それがしが、彼女らを羨ましく思っている?

 妙才殿は茶目っ気のある笑顔で更に続けられた。

 

「そんな顔をしていた。都では見なかった顔だ。右から左に仕事をこなすだけであったというのに、随分と理念を持つようになったのだな」

「はあ」

 よく分からない。

 だが、とりあえず孟徳殿の陣営が、この騒動の後に飛躍されることだけは容易に想像がついた。

 

「そこまでお考えとは……、妙才殿には感服しきりですなあ」

「いや、まだだ」

 もったいぶった顔つきで彼女はゆっくりとかぶりを振って、

「今までの話程度は、少し目端の利く諸侯ならば誰だって思いつくことだ。現に北郷軍が散っていく民草を招き入れるような動きを見せているとの知らせが届いている。だから、我々はもう一手先を行こうと思う。……伝手によってな」

「伝手、でありますか?」

 妙才殿が頷かれる。

 

「それがし、我々と協力関係を結ばんか? 当面、お前たちは我々に元黄巾賊の情報を寄越すだけでよい。誰が根っからの賊で、誰が善良な民草なのか……、我々の調査だけでは些か不安が残るのでな」

「ああ、はい」

 成る程、成る程。妙才殿の魂胆が読めた。

 確かに誰が賊で誰が無実なのかは頭を悩ませる問題だ。これを迅速に見分けることができれば、今後取れる選択肢が増えるだろう。

 例えば、賊を討伐すれば武功になるし、うまく事を運べれば、有望な将器の青田買いとてできるかもしれない。

 更に我々愚連隊にとってもこの提案は十分に利のある物であった。

 

「確かに……、このままだと我々は一銭の得も得られませんからな」

「ん、何故だ。お前たちは無血で乱を鎮圧したのだろう? このことが公になれば、戦手柄に匹敵する功になることくらい、私にも分かるぞ」

 元譲殿の疑問に、苦笑しながらそれがしは答える。

「我々が黄巾賊を鎮圧したと言い張るためには、公の場に三姉妹を引っ張り出さなければなりません」

「それは、そうだ」

「しかしながら、これができないのですぞ」

「んん? よく分からん。黒幕の存在をほのめかし、あの娘等に広く正義を説いて解散を宣言してもらえば良いだけではないのか」

 腕を組んで、元譲殿は首を傾げる。

 成る程。素直なお人柄だと、この辺りの七面倒くさい問題は理解しづらいのかもしれない。

 それがしは続けて言う。

 

「まだ団結して蜂起したわけではないとは言え、黄巾に合流した者の中には、いくつもの村落を焼いた根っからの賊も混じっております。衆目に晒された三姉妹は、恐らく朝廷から罪に問われることになるはずです」

「悪いのは村を焼いた賊なのだから、賊を選んで叩けば済む話ではないか」

 元譲殿のお言葉は全くの正論であったが、これについては妙才殿がそれがしを補足する形で差し出口をした。

 

「いや、姉者よ。賊を無警戒に身内として受け入れた時点で罪になることは違いあるまい。それに折角、朝廷が軍権を地方に委ねてまで、諸侯や義勇軍を募ったのだ。振り上げた拳を振り下ろす先は、できるだけ大きい方がよいのだ。表に出ていない黒幕を捜すよりも、目に見えて殴れる相手の方がよっぽど分かりやすいからな。分かりやすければ分かりやすいほど、『我々にはどうしようもない程の"強大な敵"が相手であったため、仕方がなかった』という言い訳を立ちやすくなるんだよ」

「あの三姉妹が"強大な敵"か?」

 眉をしかめる元譲殿。

 あくまでも納得がいかないという表情をされていた。

 妙才殿は彼女の態度に、目を細めて微笑まれる。

 

「この辺りの政治的な判断はなあ。分からないなら、分からないで良いと思う。姉者の虚飾を嫌う清廉もまた、美徳であるから」

「……ややこしいことは苦手だな」

「苦手でよいと思う。そういうことは、私の領分だよ」

 妙才殿のお言葉に、元譲殿は若干の不満顔になる。だが、それがしも全くの同感であった。

 元譲殿のようなお人柄は、手練手管を磨かせるよりもまっすぐに武人としての、将としての才を伸ばした方がよいように思えるのだ。

 それがしは胸に微笑ましいものを感じながら、説明を続けた。

 

「もし我々が三姉妹を朝廷に引き渡すという選択をとってしまえば、解散を受け入れた黄巾の連中を思惑を裏切ることになります。さらには三姉妹をも騙した形になってしまう……。それは玄徳殿の本意ではありません」

「あー、見るからに腹芸のできなさそうな娘であったものな」

 うんうんと元譲殿が頷く。

 それがしはといえば、「腹芸」という言葉によって生じたときめきをぐっとこらえるのに必死であった。玄徳殿の腹芸……、何故か大変エロく感じる。

 

「故に、黄巾連中から財貨を奪ったわけではなく、表だって戦手柄を立てたわけでもない我々は、真っ当に功を主張することができないのですぞ」

 元よりそこまで強く利を求めて動き出したわけではないといえ、ただ働きは流石に御免である。

 少なくとも領地くらいは……。いや、周辺諸侯とのやりとりや義務が増えるから面倒くさいな。義務が増えるということは仕事が増えるということだ。

 それはそれがしの本意ではない。

 ならばお飾りの官位や金銭あたりが、一番後腐れがなくて良いかもしれないなあ。

 今度の会議で提言しておこう。

 前提として、まず我々の働きが功として認められてからの話ではあるのだが。

 

「お前たちが今回の件で利を得るには、少し絡め手を用いる必要があるだろうな」

 妙才殿の補足に、元譲殿が「え?」と声を漏らした。

 

「三姉妹を表に出さず、利を得る方法があるのか」

「そりゃあ、あるさ。例えば、手っとり早く頭目を別にでっち上げる方法。幸い、頭目の素性は公に明らかにはされていないから、いかようにでもごまかせる。後は元黄巾連中が各地で噂を振りまいたりな。実際に今後大きな争乱が起きないのならば、何故鎮火したのかという理由を朝廷は求めなければならない」

「ふむふむ」

 元譲殿がしきりに相づちを打つのに気を良くしたのか、妙才殿の舌が更に滑らかになっていく。

 この妹君は本当に姉上が好きであらせられる。

 

「いずれにせよ、大前提として必要なのは協力者の存在だ。諸侯に"争乱が鎮圧されたこと"を認める者はほとんどいないだろうからな」

「待て。実際は争乱など起きていないのだぞ? 何故事実を事実と認めんのだ」

「それは、軍権の問題が絡んでいるからですぞ」

 それがしの太鼓持ちに、妙才殿は頷き答える。

 

「折角、朝廷が諸侯に公の言葉で軍権を割譲してくれたのだ。これを正直に手放す輩は少なかろう。野心を抱く者であれば、特にな」

 実際、彼女の語る反応をする諸侯は必ず現れるだろう。

 何せ、中央の失政で治安が悪化しているご時世である。

 どこもかしこも有力者は領内の治安維持のために部曲という私兵団を養っているのだが、それはあくまでも非公式のものなのだ。

 公が私兵を養う権利を自分たちに譲ってくれるのならば、それに越したことはない。

 

 軍権がないと兵をかき集めるのも調練を施すのも大変だからなあ。有事を有事と認める決裁を乞う書類がうず高く積もっていき……、説得する相手が増えていき、わいろとお酒の量も増えていき、うっぷ。気持ちが悪くなってきた。

 

「それがしは……。いや、お前のところの上司は協力者をどうするつもりだったのだ? ほら、確かお前の陣営には前職の上司が合流していたろう。玄徳と一緒になって踊っていたから、やけに目立ったぞ」

 そりゃあ、母性豊かな玄徳殿と並んで踊れば目立つよなあ、などという考えが自然に湧いて出たため、それがしは自分で自分を殴りつけた。

「ど、どうした?」

「いえ、鋸挽きにされないための自戒です」

「そ、そうか」

 賢明なる妙才殿は、それがしの返しにそれ以上追及してはこなかった。

 それにしても上司殿のお考えかあ。

 

「確か、伯桂殿と取引をして首謀者をでっち上げるようなことを仰っておりましたな。玄徳殿と伯桂殿は昔馴染みで関係も良好ですから、協力関係を結びやすいというお考えなのかもしれません」

 それがしがそう語った瞬間、妙才殿の瞳の奥がきらりと閃いた。

 

「その協力関係に我々も噛ませてもらおうか」

「我々を仲介して、伯桂殿とも協力関係を?」

「そうだ。華琳様はこの大陸で並ぶ者のいない先見性をお持ちだが、生憎今は小勢と言って良い。今後の大陸が更に乱れていくと予想すると、当面は"巨象"と相対するための同盟相手を見繕っておかねばならんのだ」

 妙才殿のお言葉にそれがしはすぐにピンときた。

 

「もしかして"巨象"とは汝南の袁本初殿ですか」

 袁本初殿は、三公を輩出した名門の出自で中央にも北方にも地方にも顔のきく御仁だ。

 とても煌びやかな髪の色と、豊満な体つきが特徴的で、それがしも都ですれ違った時には思わず二度見してしまうほどには威風堂々としたひととなりをしておられた。

 それがしの予想を聞き、妙才殿は笑顔をほころばせる。

 どうやら正解であったようだ。

 

「察しが良いな。本人の能力はさておいても、財力に兵力、いずれをとってもアレは無視できぬ地力を持っている。華琳様は本初の独走を防ぐために、対抗馬として従妹の袁公路をかつぎ上げて対立させることも考えておられたが、その際に公路側につく味方は多ければ多いほど良いだろう。無能でない限りはな」

「あー、成る程」

 つまり、妙才殿はもうすぐ軍権を委ねられた諸侯同士が相争う時代が到来すると考えておられるのだ。

 確かになあ。

 今、互いに矛を向けあってはいないのは、あくまでも匪賊という共通の敵がいるからこそなのだ。

 もし情勢が小康状態に落ち着けば、余剰兵力を持て余した諸侯たちの矛先は容易く周囲へと向き出すに違いあるまい。

 

 しかし、政治ではなく軍事によって全てを解決させる時代……。自衛と金策のために矛をとった我々が言って良い話ではないのだが、玄徳殿が悲しみそうでもある。

 複雑な気分であった。

 

「どうだ? それがし。一考の余地はあると思うが」

「確かに……」

 とりあえず、我々と孟徳殿の陣営が協力関係を結ぶ利ははっきりとしている。

 何せ伯桂殿と並んで、いち早く黄巾賊の鎮圧に動き出した一角なのだ。伯桂殿と孟徳殿、お二方の後押しさえ得られれば、朝廷にも我々の働きを訴えやすくなるだろう。

 

 問題点としては、下手をすると諸侯の対立に巻き込まれてしまうことくらいだろうか。

 妙才殿のお話から察するに、今後は本初殿と公路殿という二つの袁家に多くの諸侯が集う形で、自勢力の伸長を図っていく展開になるはずだ。

 となると小勢の我々は強者から捨て駒として遣い潰される危険性もあるわけで、二つ返事で受け入れられる話でもないと思う。

 ただ、別段戦に参陣しろと言われているわけではないからなあ。

 利害を比べてみても利が上回っているようだし、個人的には賛成したいけど……、結局のところは上の判断次第だろう。

 特に上司殿には早急に話を通しておかなければならない。 

 あまりそれがしだけで話を進めてしまうと、絶対に後で独断専行をつつかれる。もう投げ技と締め技を組み合わせた奥義を食らうのは御免なのだ。

 そこまで考えて、それがしはふとあることに気がついた。

 

「これは他勢力との外交にあたるのではありませんか? 孟徳殿に話を通さずに進めて良い問題であるようには思えませんが……」

 それがしが指摘すると、妙才殿は悪戯っ気のある笑みを浮かべて舌を出した。

 

「華琳様の大方針から外れていなければ、既に形のできあがった案ほど通りやすかろう。……それこそ新参の案よりも」

 そういえば、彼女は先日に一騎当千の新参衆への対抗意識を口にしていたのであった。

 この提案を手土産に彼ら(彼女ら?)を出し抜こうというおつもりだろうか。

 それがしは妙才殿が先日まで、目に隈をこさえていたことを思い出した。

 うう、孟徳殿の陣営は競争が激しそうだなあ。想像するだけで目眩がしてくる。それがしは競争などしとうない。それがしは貝になりたい。

 

「滅私奉公が美徳であることは分かっていても、私も手柄は欲しいんだよ」

 華琳様の寵愛を更に確かなものへとするためにも、と締めくくる彼女の表情はどきっとさせられるほどに魅力的に見えた。

 惜しむらくは彼女の愛情が、孟徳殿という女性に向けられていることであろうか。

 まさし君ならば「やっぱり、百合っぷるは最高やな」と喜びそうだが、生憎それがしに女色を眺める性癖はない。

 ううむ、妙才殿に愛情を捧げられる孟徳殿という御仁は、一体どんな素晴らしいお方なのだろうか……?

 母性が、母性がひたすらに気になる。

 それがしはまだ見ぬ孟徳殿の面影を想像しながらも、妙才殿の提案を持ち帰って、上司殿に知らせることにした。

 ……そういえば、伯桂殿と同盟する場合は自動的に北郷殿とも深い繋がりを得ることになるんだけれども、妙才殿は大丈夫であろうか?

 まあ、いいか。

 

 

 日も完全に落ちた頃、それがしは玄徳殿たちの休む本陣へと向かっていた。

 道中、元黄巾賊の一人が物陰に潜んで「あの寝取り野郎……、あの寝取り野郎……」とぶつぶつ繰り返していたのを見かけたのだが、あれは一体何だったのだろうか。

 それがし、丁度小便がしたくて茂みにがさごそ入っていたところで背中を見ただけなので、目と目が合ったわけではないのだが、あれは相手にするとやばい気がする。

 寄り道をして正解であったと、自分のわがままな膀胱を褒めてあげたい気分であった。

 

 そうして本陣の中、玄徳殿や上司殿の泊まっておられる天幕へとたどり着く。

 くんくんくん、もう臭っていないよな……?

 何せ、玄徳殿の演説を聞きたい一心で手早くふんどしを洗って舞い戻った時には、

『……まだ臭うじゃないの。もっと真面目に洗ってきなさい』

 と上司殿から手厳しいダメ出しを食らって、三往復もさせられたのだ。

 畜生……、演説見たかった……。

 とりあえず、自分で臭いを嗅いでみた限りでは問題はなさそうであったため、それがしは天幕の中へと声をかける。

 

「玄徳殿、上司殿。いらっしゃいますか?」

「おや、子遠殿」

 返ってきた答えは子龍殿のものであった。襟元を緩めた装束に、赤くなった頬とほんのりと香る酒気から察するに、これは一杯引っかけていたのだろうなあ。

 いや、もう事は済んだので別に良いのだけれども。

 ともかく夜分の失礼を踏まえ、それがしは慌てて頭を下げる。

 

「先刻はどうも。お二人はいらっしゃいますかな?」

「玄徳殿は三姉妹と話し込んでおられますゆえ、今は留守にしておりますよ。文若殿ならいらっしゃいますが……」

「それなら、相談したきことがあって子遠が来たとお取り次ぎ願えませんか?」

「ふむ」

 子龍殿はちらりとそれがしの顔を覗いた後、口元に手を当てて何かを考え始めた。

 

「……いえ、取り次ぎは必要ないでしょう。このまま天幕へあがってよろしい」

「大丈夫なのですか?」

 それがしが問うと、子龍殿は満面の笑みで「大丈夫」と答えられた。

 ……これ、本当に大丈夫なんだろうか?

 とはいえ、徒に時を費やすわけにもいかないため、天幕の中へとお邪魔することにする。

 天幕は防虫も兼ねて、二重の入り口にされていた。

 一つ目の入り口を持ち上げると、二つ目の隙間から中の明かりが漏れ出ているのが見える。

 

「子龍、何かあった?」

 上司殿の呼びかけに「子遠です。早急に御相談したいことがあり、参上いたしました」と答えて二つ目の入り口を持ち上げると、

 

「はぁ? 子っ……、ちょ、ちょっと待ちなさいっ――」

 何故か、玄徳殿の着ていた"対魔忍こす"を身に纏う上司殿のお姿が目に飛び込んできた。

 ……何で?

 というか、玄徳殿でちょうどぴっちりしていた衣装を上司殿が着たら、盛り上がるべき箇所に空白ができてしまう。

 実際、彼女の母性があるべき位置はひらひらと涼やかで――、

 

「あいででででででででででっ!!!?」

「な、ん、で、許可もなしに入ってきてんのよっ!」

 一瞬の内に間合いをつめられ、それがしは上司殿に組み伏せられた。

 頭脳労働が専門であった上司殿の組み手術が日に日に上達していっているように思うのだが、何故だ。解せぬ。

 

「おお、私が暇つぶしにと伝授した組み手術を見事に使いこなしておられますな」

 あー、子龍殿の仕業だったかあー。道理で武人顔負けの技の冴えだと思ったんだ。

 それどころではない。

「うぎぎぎぎぎぎっ!」

 痛みに耐えかねて、それがしは悶絶する。

 関節が変な方向に伸ばされているのだ。ちょっと、本当に、これはまずい。

 昼間は青春の香りが抜け出てしまったが、今は魂が抜け出てしまいそうだ。

 

「目をつぶって、私の質問に答えなさい!」

「は、はひっ」

 うつぶせに体位を組み替えられ、腕関節を極められながら息も絶え絶えにそれがしは答える。

「こんな夜分に一体、何の用だって言うのっ?」

「そ、曹孟徳殿の腹心の方々とお話しする機会がありま……、して、協力関係を結べないかと提案されたの、で……」

「え……、孟徳様ですって?」

 組み手の力が弱められ、ふと仰向けへと転がされる。まあ、圧し掛かられているのは変わらないのだけれども。

 上司殿は体重軽いのだなあ。

 彼女はしばしそれがしの上で何かをぶつぶつ唱えた後で、

 

「事情は理解したわ。話も後で聞いてあげる」

「あ、ありがとうございま――」

「た、だ、し!」

 胸を拳でごりごりと押しながら、上司殿が凄んだ声を出される。やめて、ごりごりして痛い。

 

「今から私が言うことを復唱し、理解しなさい!」

「は、はひ!」

 それから上司殿は息を吸い、声を押し殺して続けられた。

 

「今のは私の許可も取らずに入ってきたアンタが全面的に悪い」

「そ、それがしめが全面的に悪うございますぞ!」

「私の格好を含め、この天幕でアンタは何も見ていない」

「そ、それがしは天幕で何も見ておりませんぞ……っ」

 段々と興が乗ってきたのか、上司殿の声がすごく楽しげな色を帯びてきた。

 子龍殿が「おやおや」などと忍び笑いまで漏らす始末である。お二人は楽しいのかもしれないが、今のところそれがしは全然楽しくない。

 

「桂花ちゃんは三国一可愛らしい」

「け――、上司殿は三国一お可愛いらしい……っ!」

 チッと何故か舌打ちを叩かれる。何故だ。解せぬ。

 

「それじゃあ、次は――」

 と上司殿が言った所で、

「何やってるの、桂花ちゃん。子遠さん」

 と冷えた声が降り注いできた。

 我ら愚連隊の頭領にして、最近黄巾賊の愛天使にまで昇格なさった玄徳殿である。

 それがしは飛び起き、五体投地の姿勢をとった。

 この後、玄徳殿のご機嫌を直すのにおよそ一刻は費やすことになる。

 その間、子龍殿は笑いっぱなしであった。おのれー。

 


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