さて、なぜ第一高校が例年前々日の午前中と言う早すぎる到着時間を予定していたのか。
それは、夕方に予定されているパーティーの為である。
第一から第九高校の選手及びスタッフのみが参加する、高校生のパーティーだからこそとうぜんアルコールは無し。これから勝敗を競う相手と一同に会する立食パーティーは、プレ開会式の性格が強く、例年の事ながら和やかさより緊張感の方が目につく。
「なんつーか、帰りてぇ」
会場の後方、端の端、隅の隅。そんな呟きが聞こえてこなかった。正確に言うなら、周囲には聞くことさえできない呟きだった。
その呟きの主は、当然のことながら比企谷八幡である。
本来、比企谷はこのパーティーに参加する事はできない。前述にもあるが、このパーティーは九校戦出場者のみが出席できるパーティーであるが故にだ。
例外として、いま比企谷の目の前で司波達也と話している千葉たちのようにホテル側のスタッフとして働いていれば入ることはできるが、比企谷がそんな事をする人間でないのは言うまでも無いことだろう。
なら、なぜ会場内にいるのかと言えば、まぁ、簡単な話しで魔法を使ったと言うだけのことだ。ミステリーの天敵であると言えるであろう魔法の仕業。
「……はぁ、あの野郎まだ諦めてねぇのかよ」
陰で司波深雪たちと一緒にいる雪ノ下と由比ヶ浜を見守っていた比企谷は、彼女たちに近づく集団が目に入り顔をしかめて言葉を吐き捨てた。それは、雪ノ下たちの近くにいた材木座、戸塚、川崎の三人も気がつき自然に近くへと移動を始める。
「やぁ、雪乃ちゃん。久しぶり」
雪ノ下たちに声をかけたのは、第三高校の制服を着た葉山隼人だった。
「……」
一瞬、葉山の方へ雪ノ下は目を向けたが、すぐに目線を戻して最初から何もなかったかのように、そこには何もないかのように司波深雪たちとの会話に戻っていった。
雪ノ下と同じように葉山の声に顔を向けた由比ヶ浜は少々渋い表情になっていたが、葉山の後ろにいた同じように渋い表情を浮かべて葉山の行動を見ていた三浦たちに気がつくとさっきまでの表情が嘘のように笑顔へと変わった。ただ、三浦たちの方は由比ヶ浜に気がつくとよりいっそう申し訳なさそうな表情を強くした。
葉山は最初から由比ヶ浜の態度には興味が無い様子を示しており、無視を決め込んでいる雪ノ下の様子を見ても気分を害した様子を見せなかった。
それどころか、
「第一高校はどうだい雪乃ちゃん。
第三高校はあの十師族である一条将輝がいるんだけど……」
空気が読めないかのように話を続け始めた。途中、三浦が葉山を連れて戻ろうと行動を起こそうとしたが、行動を察知した葉山んお方が上手だったのかその動きは事前に潰される事となった。
司波深雪たちは雪ノ下たちの知り合いだと最初は思っていたが、途中からおかしい事に気がつきはじめ怪訝な表情を浮かべ出した。由比ヶ浜の方へ顔を向けるも、由比ヶ浜はなんとも言い難い微妙な顔を返すだけで、光井と北山はどうしていいか測りかねていた。
ただ、司波深雪は違った。
「雪乃、この人って知り合いなの?」
声を潜めることなく聞こえるように、聞かせるように口にする。
「いいえ、しらな……」
「ああ、自己紹介が遅れたね。俺は葉山隼人。雪乃ちゃんとは小さい頃からの幼馴染で……」
雪ノ下が答えるのと同時に葉山が横から口を出すも、
「あなたには聞いていません!」
さっきまで出していた優しい声はなりを潜め、司波深雪の声は罪人を咎めるようなものへと変わった。
「さっきから聞いていたらなんですか、あなたは。一方的に話しかけてくるなんて。迷惑しているのが分からないんですか!」
司波深雪は一歩前に出て、雪ノ下を隠すように葉山の前に身を乗り出した。厳しい顔を葉山に向け、そんな司波深雪の態度に笑顔を崩さずにいたがその目の奥にある苛立ちが手に取るように分かった。
「すまな……」
「深雪、どうした?」
「お兄様!」
起死回生の手、というわけではなく、葉山はいつものようにいつものごとく、話をうやむやにしようとしていたのだろうが、それよりも前に騒ぎに気がついた司波達也が彼らの前に現れた。
司波達也はすぐに司波深雪の横に立つと、目の前にいる葉山に向かって射殺さんばかりの視線を向ける。
「君たちの会話にいきなり入ってすまなかった。俺たちはここで失礼するよ」
葉山はようやく分が悪いと感じたのか、それとも何か確認が終わったのかあっさりとその場を離れる。踵を返すとすぐ、その口元は醜く歪んで動いたように見えた。
そんな戻っていく葉山に付いて行かず、三浦たちはその場に残った。
「ごめん、結衣。それと、雪ノ下さん」
「ううん、大丈夫。それに、優美子の方が大変でしょ」
「ええ、由比ヶ浜さんの言う通りよ。三浦さん、あなたは悪くないわ」
そんな二人の言葉に一度顔を伏せ、再び決意したように俯いたまま頷くとバッと顔を上げた。
「うん、ありがとうだし。それに、決めたのはあーしだから」
三浦の上げた顔には笑顔が浮かび決意がにじみ出ていたが、ほんの少しの空元気が混じっていた。
三浦たちが去った後、事情を聞きたそうな表情を浮かべていた光井だったが持ち前の優しさも相まってかぐっとこらえ、さっきのことは気にしていないふりを装っていた。司波深雪、北山も空気を変えるためなのだろうホテルスタッフから飲み物貰って二人に渡してすぐ別の話題を口にした。
比企谷は全てを見ていた、聞いていた。
危険を冒し、壁際から雪ノ下たちの近くに移動し、葉山の一挙手一投足を見逃さないように注意を払っていた。それは、最初から、最後まで。だから、あの場を去る時に口にした言葉を『やっぱり、ヒキタニより俺の方が雪乃ちゃんに相応しいじゃないか』と、言う言葉を聞き逃していなかった。
葉山が離れたのと同時に比企谷もその場を離れ、再び壁際で周囲の警戒を始める。だが、双方その腹の中がどうなっているのかは、推し量る事はできないだろう。
『ご静粛に。
これより、来賓挨拶に移ります』
会場に設置してあるスピーカーからアナウンスが流れ、主役である高校生たちは食事の手を止め、談笑を中断して壇上へと目を向け始めた。壇上にかわるがわる現れるのは魔法界の名士たちで、その中に雪ノ下陽乃の顔もあった。といっても、軍へのCADの提供および技術協力者の中の一人としてだが。
そして、最後に現れるのが「老師」と呼ばれる、十師族の長老だった。
九島烈。
この二十一世紀の日本に十師族と言う序列を確立した人物であり、二十年ほど前までは世界最強の魔法師の一人と目されていた人物だ。
最強の名を維持したまま第一線を退き、以来、ほとんど人前に出てくることのないこの老人は、なぜかこの九校戦にだけは毎年顔を出すことで知られている。
順調に激励、訓示が消化されていき、いよいよ九島烈の順番となった。
司会者がその名を告げると、会場にいる全ての人間の目は壇上へと向けられ九島老人の登壇を待っていた。
そして現れた人物の姿に、会場全体が困惑の空気に包まれた。
眩しさを和らげたスポットライトの下に現れたのは、パーティドレスを身に纏い髪を金色に染めた、若く美しい女性だった。
ざわめきが広がる。
この光景に会場内は、衝撃を受けた。それは、あの司波達也をも巻き込んだ衝撃の波だった。
意外すぎる事態に、無数の囁きが交わされていく。
壇上に上るのは、九島老人ではなかったのか。
なぜ、こんな若い女性が代わりに姿を見せたのか。
「相変わらず悪戯が好きな爺さんだぜ」
精神干渉魔法。
会場すべてを覆う大規模な魔法が発動しており、ただ一つ目立つものを用意しそこへ注意を逸らすと言う「改変」は、事象改変と呼ぶまでもない些細なもの。ただそれを、この会場全ての人間に対して一斉に起こした大規模だが、微かで弱く、それ故に気がつくことさえ困難な繊細な魔法。
比企谷はそんな悪戯を起こし、女性の後ろでしてやったりとした表情を浮かべている老人にため息を吐いた。呆れつつも周りを見渡せば、どうやら数人はこの魔法に気がついている様子を見せていた。その中には司波達也の姿もあった。
九島老人は囁きかけると、ドレス姿の女性はスッと脇へとどいた。
ライトが老人を照らし、大きなどよめきが起こる。ほとんどの者には、九島老人が突如空間から現れたように見えただろう。
「まずは、悪ふざけに付き合わせたことを謝罪する」
その声はマイクを通したものであることを差し引いても、九十歳近いとは信じられぬほど若々しいものだった。
「今のはちょっとした余興だ。魔法と言うより手品のたぐいだ。だが、手品のネタに気がついた者は、私の見たところ五人だけだった。つまり」
五人、と言った瞬間、九島老人は何もない空間へと目線を向けたように見えた。まるで、本当は六人だ、と言いたげに。
だが、そんな事に気がつかずほとんどの高校生が続けてなにを言いだすのか興味津々の態で耳を傾ける。
「もし私が君たちの鏖殺を目論むテロリストで、来賓に紛れて毒ガスなり爆弾なりを仕掛けたとしても、それを阻むべく行動を起こす事ができたのは五人だけだ、ということだ」
老人の口調は、特に強いわけでなくむしろ優しいものだった。だが会場は、言いようのない静寂で覆われていた。
「魔法を学ぶ若人諸君。
魔法とは手段であって、それ自体が目的ではない。
そのことを思い出して欲しくて、私はこのような悪戯を仕掛けた。
私が今用いた魔法は、規模こそ大きいものの、強度は極めて低い。
魔法力の面から見れば、低ランクの魔法でしかない。
だが君たちはその弱い魔法に惑わされ、私がこの場に現れると分かっていたにも関わらず、私を認識できなかった。
魔法を磨くことはもちろん大切だ。
魔法力を向上させる為の努力は、決して怠ってはならない。
しかし、それだけでは不十分だと言うことを胆に銘じてほしい。
使い方を誤った大魔法は、使い方を工夫した小魔法に劣るのだ。
明後日からの九校戦は、魔法を競う場であり、それ以上に、魔法の使い方を競う場だと言うことを覚えておいてもらいたい。
魔法を学ぶ若人諸君。
私は諸君の工夫を楽しみにしている」
聴衆の全員が手を叩いた。
だが残念ながら、一斉に拍手、とはいかなかった。
戸惑いながら、理解できてないながらとりあえず手を叩いた様子の少年少女たちを、比企谷は面倒くさそうに眺めていた。
これが、未来のこの国を背負う人間たちの集まり。言葉の意味も、言葉の本質も、この時間の真意も、何もかも理解できていない選ばれた九校の精鋭たち。その状況を目の当たりにして吐き捨てても吐き捨てても無限に湧き出る失望感が、よりその両眼を濁らせる。
「……何のために俺は作られたんだよ」
今、吐き出る言葉はそれだけだった。