ダムローで狩りを始めて13日目の昼下がり、僕達のパーティは未曾有の危機に瀕している。
「ふもーぉぉぉぉぉぉお! ふもぉぉぉおおおおおおおお!」
モグゾーは無茶苦茶に剣を振り回しながら、襲い来るゴブリンを牽制し、走る。
走る走る走る。片足を前に突き出し、地面に押し付け、そのまた逆の片足を前に突き出し、地面に押し付ける。
目の前に障害が立ちふさがれば剣でなぎ倒し、また片足を前に出す。ただそれだけをひたすら繰り返す作業。
その大きな体から溢れるほどの汗と体温が蒸気となって立ち昇っている。
モグゾーは今、ひたすらに孤独を感じていた。目の前には敵しか居ない。すぐ後ろには仲間も居る筈だが、そんな事を気にするだけの余裕は無い。
だから孤独だった。もしかしたら盾役の見る世界とは本来的に孤独なのかも知れない。誰よりも前で敵と向かい合い、己が体でもって盾とする。敵と己のみの世界。
ただ、今まではマナトが指示を出し、後衛のシホルやユメが援護、偶にランタがヘルプに入ってくれるからそうとは感じて居なかっただけなのだ。
誰よりも前で、仲間の盾となる……。
そう思い至ったモグゾーは、今、本当に1人っきりで戦う彼……ランタの事を想った。
「おぉおおおお! ぉ、むぉ、ぉ、ぉ、お……」
ランタ君は今、ゴブリンを振り切って逃げているのだろうか? パッと見では数えられない……恐らく8匹程、のゴブリンを、ランタ君が引き付けて、撹乱して、そして僕が滅茶苦茶に剣を振り回してやっとあの
彼はすぐに後を追いかけると言っていたが、粘って、粘って、僕らとゴブリンの集団の距離がそれなりに離れたのに、彼はこっちへは向かってこなかった。
それから僕達はずっと走り続けて、目的の大橋を通り抜けた。
モグゾーは後ろを確認する。
「皆! 反撃だ! 弓矢には充分気をつけて!」
そこからはよく覚えていない。影魔法が後ろから時々飛んできたのは見えたけど、音は聞こえなかった。視界もどこか霞がかったようで、時間の感覚はなくなっていたから、ほんの数分しか戦ってなかったような、数時間戦っていたような不思議な気分だった。
とりあえず、橋の上での戦闘では小ぶりなゴブリンでも精々2匹しか並んで攻めてこれなかったので、剣をなぎ払い、時に押しつぶし、そうやって、いつか戦闘は終わっていた。
「よし! 追っ手のゴブリンはこれで全部みたいだ! もう大丈夫だ!」
そうマナト君が言った途端、僕は思わず膝をついてしまった。結構、限界だったみたい。
「モグゾー」マナトが苦しそうに喘ぐユメを背中から降ろし、言った。「俺は、今から戻ってランタを助けに行くから、モグゾーはユメを背負ってルミアリス神殿に! シホルも移動中無防備になるモグゾーの護衛について欲しい!」
「マナトくん、助けにって……1人で……?」シホルの顔からサッと血が引いていく。「そんなの、駄目だよ。きっと……」
行っても無駄。そんな風にシホルの口が動いた。
★
時間は少し遡って、昼下がり。
今日はいつもの場所ではゴブリンを見かける事が無かったので、ゴブリンを探すついでに地図を埋めるため、少し深い場所までやってきていた。
そうして俺達は3匹のゴブリンを見つけたんだ。いや、正確には2匹のゴブリンと、1匹のホブゴブリン。
彼等は
俺は、人を支配しようとする思考を抑えようとするあまり、本来注意すべき、危険度の高い違和感ですら見逃してしまっていたのだ。
「行こう、皆」
そして俺達は、ゴブリン3匹に仕掛けたんだ。
まず、ユメとシホルの遠距離攻撃が可能な組が先制攻撃を仕掛ける手筈になっていた。
ユメの矢は、明後日の方向へ飛んでいってしまったが、シホルの影魔法は板金で鎧ったゴブリンの1匹に当たって体を震わせた。
ここまではいつも通り。違ったのはここからだった。
俺達に気づいたゴブリン達のうち、影魔法に当たらなかった方のゴブリン……ここでは鎧ゴブリンAとする。は、他のゴブリン達とは趣の違うゴブリン袋の中から素早く弩を取り出し正確に標準。ユメに矢を放った。
弓とは矢速が段違いだ。次の装填が終わる前に注意を促さないと。
「皆! 見ての通り弩の矢速は弓とは段違いだ! 注意してくれ!」
俺は叫びながらユメに駆け寄る。
「んにゃぁっ……ぁ……ぅ」
うめき声を上げるユメの左肩に刺さった矢を一息の内に抜き、六芒を示す仕草をして脳裏に光を思い浮かべ、祝詞を唱えた。
「__光よ、ルミアリスの加護のもとに……
モグゾーがホブゴブリンを相手取り、ランタが鎧ゴブリンAとBを撹乱しているが、状況はあまり芳しくない。俺が前線に出て鎧ゴブリンをどちらか引き受けなければ……。
よし、傷は塞がったか。早くヘルプに行きたい。だが、治ったにしては……何か様子がおかしい。
呼吸が荒い。粘り気のある冷たい汗。これは……そうか、毒!
「毒矢だ! 相手の矢には毒が塗ってある! 場合によっては武器にも!」
思わず叫んだ。毒? 毒だって? 俺は解毒の光魔法、
そこまで考えて、俺はすぐに撤退を叫ぼうとした。でも遅かったんだ。俺達は本来、奴等が何か目的を持ってこの周辺を巡回していると気づいた時点で、撤退しているべきだったのだ。
「マナトォ! 後ろから、も、敵がやって着やがった……ぞ!」
ランタが声も切れ切れにそう伝える。どうやら新しく5匹のゴブリンが現れたようだ。しかもどうやら、奴等は
もしかして、ゴブリンにしか聞こえない音か何かで連絡を取り合ってるとでも言うのか?
つまり、こいつ等、組織立って行動している? 警備? いや奴等は何かを探しているようだった。そして趣の違うゴブリンの出現……。
なるほど、
大変な事になった。俺達は今、後ろと前を敵に挟まれて、容易に撤退を選択することも出来なくなってしまった。でも、この状況で継戦はありえない。しかし、どうする……!
俺はユメを背負い、覚悟を決めた。
一か八かの賭けに出る事にしたのだ。
「皆! 俺が3つ数える! そしたら橋の方向に逃げるんだ! いいか! 太陽の反対側だ! タイミングを合わせろ!」
橋まで辿り着く事が出来れば、数の優位は薄くなる。そこで、迎え撃つ……。だが、果たして橋まで辿り着けるかどうか……。
「3!」
シホルに飛び掛ってくるゴブリンをスタッフで打ち払うが、思ったように威力が出ない。毒にやられたユメが予想以上に重い……。恐らくユメの意識がもう殆どないせいだろう。正直キツイな。
「2!」
ランタとモグゾーが敵を引き付けているおかげで囲いに綻びができた! これなら……。
「1!」
だが、ゴブリンの増援の足音が聞こえてくる、クソ、やってくるのが早すぎる。
また新たに増えたゴブリンをどう突破する……「ふもぉぉぉぉぉおおおおお!!」モグゾーが矢鱈滅多に剣を振り回してゴブリンの集団に突撃しだした。モグゾーの気迫に推され、奴等の隊列が乱れる。
今しかない!
「行けっ! 走れ! モグゾーに続くんだ!」
そうして俺達はその綻びを縫うようにして、どうにか包囲を突破したんだが、1、2、3、4。俺と背中のユメを含めて4人しか居ない。
「ランタ!」
「来るんじゃねーぞマナトォ!」ランタが俺の呼びかけに、怒鳴り返す。「お前だってわかってるんだろ! 今の状況、誰かが敵を引き付けとかねーと、橋まで行って反転する前に捕まっちまう!」
ランタが軽快な動きで、敵を翻弄しつつ、ゴブリンを引き付け、
また、こちらを追おうとしてランタから距離を取ろうとするゴブリンには新しく覚えたばかりの暗黒騎士のスキル
「でも!」
「でももへちまもねぇよ! シホルは論外、お前はユメを背負ってる、モグゾーはのろいから駄目だ」ランタは歪に顔を歪める。「身軽で体力もあるランタ様が殿に適任なんだよ! なんせ俺はそのために暗黒騎士になったんだからなぁ!」
俺がユメを背負っていて上手く動けないのも、シホルが体力が無い事も、モグゾーが鎧や剣の重さで遅いのも、全部本当の事だ。
確かに、誰かが殿を勤めるとしたら、今の状況ではランタが適任かも知れない。それでも、
「10だ! 10数えたらこっちに来い! それだけあれば俺達も大分距離を稼げている筈だから……!」
結局ランタは、俺達が橋で反転、ゴブリンを殲滅してからも追いついてくる事はなかった。
ランタ、俺達、皆揃って良いパーティなんだ。だから、絶対無事で居ろよ……!
★
「皆! 俺が3つ数える! そしたら橋の方向に逃げるんだ! いいか! 太陽の反対側だ! タイミングを合わせろ!」
俺はマナトの野郎のその台詞を聞いて少し驚いた。
オイオイオイ? 殿を指名するなら今を置いて他にない筈だろ? 何故そうしない? 流石に今の状況が
「3!」
『ランタ! 敵を引き付けておいてくれ!』その一言、それだけで良いのだ。俺はお前らの事、それなりに気に入ってっからよ、その一言だけで、こんなゴブリンども、お前らが悠々逃げ切れるだけの間押し留めてやれるってのによ……。
「2!」
……ありゃぁ、笛か?
そういやあの5匹が来る前にもあの鎧ゴブリンが何か吹いてたな……。
あんまり早すぎるご到着に、何か
つまり、奴等はあの笛で連携を取ってるって事になる。もしそうだとしたら、不味いな。すぐに増援が来るぞ……。
ランタはよりゴブリン入り乱れる乱戦地帯へと足を進める。
「1!」
チッ、増援の足音がもう、すぐそこじゃねーか!
「おい、モグゾー!」
俺はモグゾーと丁度背中合わせになるような形で言葉を交わした。
「ふもっ?!」
「俺がお前の分の敵も引き付けっから、お前はあの角から来る新手を崩せ! 行け! モグゾー!」
「ふもぉぉぉぉぉおおおおお!!」
角から現れた新手のゴブリンを押しのけ、牽制し、モグゾーは進んでいく。
「行けっ! 走れ! モグゾーに続くんだ!」
……結局マナトの野郎は最後まで殿を言いつけなかったな。とんだ甘ちゃんだな。甘々だな。
まぁな、普通言えねーよな。このゴブリンの数だもんな。俺達のために死んでくれって頼むようなもんだもんな。
でも、誰かがやんねーと、全滅は目に見えてる。
そんな悪手をよぉ。マナト、お前が選ぶとはなぁ。俺はドスが付く程の黒さの腹してんじゃねーかって思ってたんだがよぉ。
「ランタ!」
おうおう、なんつー悲痛な顔してんだよ。いつもの胡散臭い笑顔はどうした? 今にもこっちに反転しそうじゃねーか。やめろよな。
どうせな、あれなんだろ? いくら俺がパーティの異分子だからって、簡単に見捨てちゃあいざって時に信用して貰えなくなるからなんだろ? いいぜ? 理由が欲しいんだろ。
「来るんじゃねーぞマナトォ! お前だってわかってるんだろ! 今の状況、誰かが敵を引き付けとかねーと、橋まで行って反転する前に捕まっちまう!」
「でも!」
まだ足りねーか? 理由が欲しいだけなんだろ?
俺を見捨てる、言い訳が欲しいだけなんだろ?
あの時はこうするしかなかったって。
「でももへちまもねぇよ! シホルは論外、お前はユメを背負ってる、モグゾーはのろいから駄目だ。身軽で体力もあるランタ様が殿に適任なんだよ! なんせ俺はそのために暗黒騎士になったんだからなぁ!」
俺みたいな異分子、さっさと見捨てて行っちまえよ。
「10だ! 10数えたらこっちに来い! それだけあれば俺達も大分距離を稼げている筈だから……!」
お前もしつけー奴だな。マナトォ。だが、なんだ? ワリー気はしねーよ。ありがとな。マナト……。
★
そろそろ10は数え終わってから少し経つが、あいつらは依然としてトロトロと走ってやがる。おっせーなぁ。おい。もっと走るのが早ければ、俺も素直に離脱できるってのによぉ……。
まぁな、今まで俺の予想通りに事が運んだ事なんてそんなになかったな。
ランタは、初めてオルタナに来た日を思い出す。
あの時、間抜けにも気絶してやがるハルヒロ……改めロリコン大王とハルヒロの側を離れようとしないチビちゃん、それからクズオカの野郎に連れて行かれたモグゾーを除いた4人で情報収集をした。
情報収集が終わった後、義勇兵団事務所を覗いてみたが、知らない内にロリコン大王とチビちゃんは居なくなっていた。まぁ、居ないもんはしゃーねーって事で、俺達はそれぞれに所属するギルドを決めた。
最初、俺はマナトの野郎に戦士になるように言われていたが、どうにもしっくり来なかった。
戦士と言うのは、重たい鎧でガチガチに固めて、でっかい剣をしょって、敵の注意を引き付け、敵と真正面から
そう思い至った時、俺は言い様のない不安を感じた。
俺には……、もっと俺が選ばなければいけない職業は別にある筈だ。そう思った。
そう思った俺はアイツ等と一緒に情報収集した時の事を必死に思い出しながら考えた。
最初は盗賊も良いかと思ったが、それじゃぁ流石にパーティで期待されている盾役はこなせない。真正面からの戦闘では火力も低そうだし、選ぶにしてもそれは違うと思った。
そうやって色々考えて、俺は、俺がなるとするなら暗黒騎士しか無いと思った。
防御力は戦士と比べて低いし、剣も軽めな物を装備するのが基本であるため火力もかなり劣るが、別に盾役が必ず敵と
移動スキルで撹乱し、敵を引き付けておくだけなら恐らく戦士よりも多くの敵の動きを制限する事が出来るだろう。つまり、火力で敵を殲滅する職業が狩人や魔法使いなどの遠距離職に偏重している家のパーティではこっちの方が有利な筈だ。
勿論、必要な場面では
成長すれば
それが蓋を開けてみれば火力の無い魔法使いに、弓矢の当たらない狩人と来た。
マジか。これじゃぁ、お前らが愚鈍過ぎて俺様の高尚な考えがひとっつたりとも伝わんねーじゃねーか! 俺様がただのわからず屋みたいになっちまったじゃねーか! マジで屑だな!
なんて思ったりもしたが、俺は別にパーティのためを思って暗黒騎士になったんじゃないのかも知れない。
今にして思えば、怖かったんじゃねーかと思う。
ある程度の防御力と、敵を正面から屠る事の出来るだけの攻撃力。暗黒騎士を補助する
暗黒騎士は1人で完結している。つまり、誰かの助けを必要としないで戦闘できると言う事だ。
そこが重要だった。遠距離火力が多いとか、戦士よりも多くの敵の動きを制限できるとか、そんなのは関係なく、ただ、暗黒騎士が1人で完結できると言う所だけが重要だった。
どうにも俺は捻くれた性格してる癖に、妙に人を見捨てれない所があるし、マナト見たいな
囮にされて1人取り残されちまうのかも知れないって。
俺は自分でもわかってるが決して愛されキャラじゃねーからなぁ。パーティからの反対意見だってきっとでないだろうし、そうなったら俺は1人だ。1人で窮地を切り抜けなきゃいけねぇ。
俺は、いつか心から俺を受け入れてくれる本当の仲間と出会うまで、死ぬ訳にはいかねーんだ。
だから、暗黒騎士になった。1人ぼっちでも生き残れるように、暗黒騎士に……。
つまりなぁ、今の状況は、ちょっと俺の予想と違うところもあったが、概ね予想は出来てたんだ。
あいつらは基本的に良い奴等だし、まぁ、俺の本当の価値って物を理解できる程には賢くなかったが、死なせる訳にはいかねーからな。
それに、もしもこのままこのゴブリンどもを蹴散らして戻ったら、最高にかっこいいんじゃねーか?
ユメもシホルも、俺の事を見直すんじゃねーか? モグゾーだって、きっと凄いって言ってくれる筈だし。マナトの野郎はあの嘘くさい笑顔じゃなく、心からの笑顔で出迎えてくれる筈なんだ。
ランタは気合を入れなおす。
突き、払い、新しく覚えた
目が冴え渡り、相手の隙が、陣形の緩みが、手に取るようにわかる。調子が良い。気合の篭った
はっ、今の俺、無敵じゃねーか。
でもって、俺って奴はほんっとーに、馬鹿だよなぁ。そんなの無理に決まってんじゃねぇか。
でもよぉ、今の俺は無敵だ。
帰ってきた俺を褒め称えるアイツ等の顔をどうしても拝まなきゃなんねーしな。
「……そのためにも、アイツ等が充分な距離を稼ぐまで、お前らを1匹たりとも通す訳にはいかねーんだよな。んでもってお前等ごときに倒される訳にもいかねぇ」
まぁな、実は何匹か逃しちまったが、あれくらいなら問題ないだろ。でも、こいつ等が追いかけていったら、流石に橋までもたねぇだろうな。
俺は額を伝う生ぬるい血を拭いながら、体中から急速に失われていく熱量に舌打ちして、どれぐらい持たせられるか考えて、やめた。
無敵っつったら、無敵なんだからよぉ。関係ねーよな。
剣を振るえて、足が動く。それだけわかってりゃぁ充分だ。
恐怖しろよゴブリンども、ランタ様はなんてったって無敵なんだからよぉ……。
ゴブリンを牽制するように右手で持ち上げた剣の切っ先が少し震えていたが、気づかないふりをした。