仄明るい店内にはちょっと数え切れないほどの客が居る。
情報収集に来るたびに思っていたけど本当に大きい店だ。
大雑把に数えてみたが、1階部分だけでも客の数は100を優に超えるだろう。半分ほど吹き抜けになっている2階部分や目視出来ない部分も合わせるとなると2、300人は居そうな気がする。それほどだ。
しかもその大半が義勇兵とくれば、ハルヒロが義勇兵関連の情報収集をする時まずここを訪れるのも納得が行くと言うものだろう。
ハルヒロは1階部分の隅の方に空きテーブルを見つける事に成功した。この時間、日が完全に落ちて少しした位だが、になると必然的に義勇兵も多くなるので空いているテーブルを探すのも一苦労だ。
まぁ、2、300人相当もの客を入れてまだ空きテーブルがある事自体が凄いんだけど。
しかもそれだけの客をパッと見10人に満たない従業員で回しているってちょっと常識的じゃない感じがする。見た感じ今だと給仕女が下に3人、上に2人くらい居て、忙しなく動き回っている。
厨房で料理や飲み物を用意している人達もチラッと見える感じだと精々3人くらいだろうか。まぁ、実際には給仕女も厨房で料理を作っている人ももう少し居るだろうし、それ以外の雑用も入れたらやっぱり10人は超えるのだろう。
それでもやはり凄いとしか言い様がない。
卓に着くなりハルヒロは尋ねる。
「レモネードだっけ?」
「今日は、ミルク……」
ハルヒロは相槌を打ちつつも首を振り、給仕女を捜す。
「じゃぁ、今日は俺もミルクにしようかな」ハルヒロは近くを通りかかった給仕女に指を2本立てて言った。「ミルク2つで」
給仕女がすぐに持ってきたミルク2つ分の代金を支払い、カエデといつも通り控えめな乾杯を済ました辺りで声がかかった。
「ハルヒロ、カエデちゃん」白地に青いラインが入った神官服の男がハルヒロたちに近づいてくる。マナトだ。「やあ、調子はどう?」
「今日はかなり運がよかったよ」
ダムローの旧市街で今日は日が落ちるまでにゴブリンを合計19匹も狩ったのだが、銀貨をそのままで何枚も持っているゴブリンに連続で遭遇したので稼ぎは93シルバーと30カパー。ほとんど1ゴールドだ。
カエデと2人で分けても46シルバーと65カパー。ナイフが1本駄目になったので、市場で良さげなナイフを10シルバーで買ったのだが、それでも36シルバーと65カパー。正式な義勇兵として文句なしの稼ぎである。ちなみに今日の稼ぎでハルヒロの総資産は目標の2ゴールドを超えて、2ゴールド8シルバーと39カパーになった。パーティの稼働時間はまだ10日だが、もう2ゴールド……。恐らく6人のフルパーティだとこうは行かない。
2人きりのパーティはリスキーだがリターンも大きいと言う事を身をもって知った気分だ。
「マナトの所はどう?」
「まだレンジやハルヒロ達みたいに団章を買うほどの余裕は無いんだけどね」と、さらさらの髪をクスクスと揺らしながら「いいパーティになってきたよ」と言った。その顔は随分と晴れやかで、マナトのパーティがどんな経験をして、どれ位の成長をしたのかまるで知らないハルヒロだったが、きっとそうなんだろう。レンジのパーティにも負けないような凄いパーティにきっとなれるだろうとなんとなく思った。
そう思える位にマナトは凄い奴だと思うし。いい奴なのだ。
ハルヒロはずっと他の同期の見習い義勇兵達はハルヒロとカエデを足手まといと判断して義勇兵団事務所に置いていったのだと思っていたが、どうにもマナトはそんな事をする風に見えない。
風の噂では先輩義勇兵に騙されて一文無しになってしまった同期を1人パーティに加えたと言うし、そこから鑑みてもそうだ。
大方ハルヒロは、マナトや他の同期が情報収集やらで出払っている時に運悪く目覚めてしまったのだろう。
そう思い至ってからもう何日かは経つが、どうにもマナトに聞く気にはなれない。と言うかどう聞けばいいのだろうか? あの時は気絶しちゃってて、とか? いや、なんの話だよ? いや、いいや、別に。聞かないでも。
それよりも、マナト達も旧市街では安定して狩りが出来るようになってきたみたいだし、合同での狩りを提案してみようかな? マナト率いるパーティには盗賊も居ないみたいだし、索敵や、奇襲なんかはハルヒロが入るだけで大幅に楽になる筈だ。
それでもって、お互い慣れてきたら今度は旧市街を出て、新しい狩場だ。
ハルヒロとカエデの2人っきりのパーティだと、安全マージンをしっかり取るためにはスキルや装備を充実させてからでないと、中々新しい狩場を試してみると言う事も難しいが、マナト達5人が加わるなら、適正と思われるレベルに達した時点で狩場を試しに移してみると言う事も簡単に出来る。そうすれば次は何処の狩場だろうか? サイリン鉱山? それとも、これを倒してようやく1人前の義勇兵と言われるオークの常駐しているデッドヘッド監視砦、は流石にちょっと早そうだよな。
そんな取らぬ狸の皮算用とも言えないような妄想をしながら、必死にカエデの声を聴き、相槌を打っているマナトをぼんやりと眺める。
どうやらマナトはカエデの声を聴き取るのに相当の集中を要すようだ。まあ、シェリーの酒場は他と比べて比較的お淑やかな雰囲気であるとは思うが、やはり酒場だ。がなり声だってするし、基本的にがやがやとうるさい。
しかし、最近になって気づいたがカエデの声、と言うか声質と言うのか。とりあえずカエデの声は結構通りがいい。慣れてきたら他の人の声よりカエデの声の方が聴き取りやすいと感じるくらいだ。
ただ、慣れてないと声の大きさなんかの関係で聴き取りにくいらしく、特に酒場なんかだと今のマナトの様に意識を傾けないと中々難しいらしい。
ハルヒロがカエデの声を言葉で表現するとしたら静寂とかになるだろうか? 多分そんな感じ。
静かで、耳に優しいのに、存在感がある。我ながらピッタリだと思う。
「ハルヒロ、カエデちゃん、またね」
そんな事を考えていると、いつの間にかカエデとの会話を終えていたマナトは義勇兵らしき男と別のテーブルに連れ立って行ってしまった。
合同の話はまた今度でいいか。
「カエデ、マナトと何話してたの?」
「ハルヒロの事……話してた」
え? 俺? そこはかとなく気になる。どんな話してたんだろう。
「へぇー、どんな話?」
「……内緒」
なんで? いや、別に、いいけど。どんな話してても関係ないけどさ?
★
「甘い」
ぐぐっと、バルバラ先生の腕がハルヒロの首に食い込む。これ、ヤバいって、血が、血が止まってる……! 意識が……。
「蜂蜜たーっぷりのレモネードを煮詰めてもこんなに甘くはならないって位甘いわね」
更に腕が食い込む。もうこれ、死ぬ。あれ、ヤバい、急に苦しくなくなった。まどろんでるみたいで凄く気持ちいい。ねぇ。これ。ヤバイ。
「
ハルヒロが白目を向いて気絶するまでその拘束は解かれなかった。
この惨状に至るまでの経緯はこうだ。
★
ミルクを空にするまでに幾人かの義勇兵と情報交換してみて、ハルヒロの決意はより一層強固になった。
曰く、それを習得した盗賊がパーティに居るとまず索敵に困る事が無い。戦闘中もむしろ何処に行ったかわからなくなる。とか、捉え所の無い動きでフラフラと敵を後ろから襲うとか。あまりにも戦闘中に見かけないから本当はサボってるだけかも知れないとかなんとか……。
「カエデ、団章も買ったし、お金にも余裕が出来てきたし、そろそろスキルを覚えようと思うんだ」ハルヒロはかねてからの目標だった2ゴールドを遂に集めることに成功した。そして、その2ゴールド、実はたった1つのスキル習得にかかる代金なのである。「俺は7日間かけて
★
実に短い経緯だと思うが、重要な部分は基本そこだけだと思う。そんな事をハルヒロはバルバラ先生に腕を極められながら思った。
その後はカエデと一緒に宿に戻ってから、ハルヒロの部屋でカエデが何を習えばいいのかを軽く話した位だ。
カエデはハルヒロ単体をより強化するために
カエデは今頃打ち合わせ通りルミアリス神殿で
「
バルバラ先生は呆れ顔だった。
「確かに、あんた達コンビは上手く行ってる。たった2人きりの新米パーティが半月かからず2ゴールドを貯めるなんて普通じゃありえないよ。あんた達の同期のチームレンジ程じゃないけど充分新米としては規格外、凄い事さ」
でも、とバルバラ先生は声をいかにも厳しくして言った。
「手習い終えて初めて習おうってスキルが
さっきまではほとんど形だけだった絞め技に力が加わる。痛い、痛い痛い痛いって!
「とりあえず今回は1ゴールドで
バルバラ先生はそう言って固めていた腕を開放し、ハルヒロが最初に渡した2ゴールドの内1ゴールドを投げ返してきた。こんなのあんまりだ。こっちはちゃんと定められたお金を貯めてきたのに……。
「さぁ、7日間で4つのスキル、ちょっと厳しい授業になるかも知れないけど、
それでも気合入れないと死ぬかもね。バルバラ先生はボソッと言った。