鷲巣が独特の空気が立ち込める対局室に戻ると既に加治木ゆみ、池田華菜の両名が卓についていた。
ゆみはともかく華菜はあれだけ落ち込んでいたのにどういう訳か立ち直って抜けかけていた魂が戻ってきている。休憩時間に何かあったのは明白だろう。
それからしばらくして原村和に連れられ、最後の1人である宮永咲が時間ギリギリに姿を見せる。トイレに行くと言っていたはずだがどこか迷ってでもいたのだろうか。ちなみにここから1番近いトイレは往復して10分もかからない。
そして鷲巣はすぐに咲の変化に気づく。
(ほう…そうでなくては面白くない…)
前半戦終了後真っ先に出ていった時は目に涙を浮かべていたものの、今となってはその面影はなく顔を引き締めており、むしろ時折笑っているようにも見える。部員たちに発破をかけられたのか自信を取り戻したようだ。
鷲巣もこのまま手応えなく終わってしまうことなど望んではいない。勝負は相手に張り合いがないとつまらないものだ。
(上等上等っ…完膚なきまでに叩きのめすまでのこと…)
起家である咲の手が雀卓の中央に伸びる。最後の半荘の開始を告げるサイコロが回り始めた。
大将戦後半戦東一局 親・清澄 ドラ・{七}
東家 清澄 110300
南家 龍門渕 190400
西家 風越女子 45200
北家 鶴賀学園 54100
『さあ泣いても笑ってもこれが最後の半荘です!全国に駒を進める事が出来るのはたった1校のみ!ここまでは龍門渕の圧倒的なリードとなっていますが…どうでしょうか?』
『2位につけている清澄でも8万点差か…私もまくりの女王だなんだと呼ばれてはいるが…
まして1半荘でひっくり返す必要があるならなおさらだ…と藤田は呟く。
藤田の言うとおり8万点というのは簡単に詰められる点差ではない。なにせ一気に逆転しようと思うのなら親の役満直撃しかなく、それも早々あるものではない。
ならばコツコツ…といきたいところだがここであと1半荘という時間制限が効いてくる。なんにせよ他3校は連荘できる親番を大切にしなければならない。
前半戦は鷲巣が完全に掌握しきっていた。休憩を挟んで後半戦となったことで情勢が変わるのかが重点となるだろう。
(うむ…絶好…)
五巡目
鷲巣手牌
{二三四234②③④④七七八} ツモ {七}
しかし後半戦真っ先にテンパったのはやはり鷲巣。受け入れの広いイーシャンテンからドラ…七萬を引いてくる。4筒切りでドラ3枚を抱えた3面待ちの高めタンピン三色テンパイ。
ダマでも十分な打点だが鷲巣は基本的にダマで待つことは少ない。自らの豪運に絶対の自信を持っているからだ。供託の千点棒を取り出し、卓に放りこむ。河に切られた4筒が曲げられた。
「リーチだ…」 打 {④}
鷲巣捨牌
{東北8四横④}
『トップ目の龍門渕鷲巣選手からリーチがかかりましたー!畳み掛けにかかります!』
『早いリーチで安牌が少ない上に打点も申し分ないし待ちもいい。これが決定打になるかもな…』
(リーチか…キャプテンの言う通りなら…)
一方で現在最下位の華菜は先程の休憩時間でのキャプテンこと福路美穂子の助言…アドバイスを思い返していた。
***
休憩時間に入り、1人しか残っていない対局室。風越女子大将池田華菜は目に見えて落ち込んでいた。大将戦前の威勢もすっかり消え去っている。余りにも不甲斐ない結果に終わり、控え室に戻ってメンバーと顔向けする勇気が出ない。それもその筈…この半荘、龍門渕、清澄の1年生にやられたい放題で一切和了れず焼き鳥状態。
龍門渕に振り込んだ清老頭も鶴賀が頭ハネしてくれなかったら
大きく点を失ってしまいトップの龍門渕との差は絶望的なほど広がってしまった。もうどうすればいいのか分からない。1年前と同じ状況に陥っている彼女は自分の無力さを呪っていた。
(どうして自分はいつもこうなんだ…何がいけないんだ…)
いくら考えても答えは出てこないし、教えてくれる人もいない。そんな華菜の背中から近づく人影が一つ。
「華菜…ごめんなさい…来てしまって」
「キャプテン…」
華菜が振り返った先にいたのは福路美穂子。実は華菜から会いに来ないように言われていたのだが、約束を破り思わず控え室を飛び出してしまった。目にはこらえきれなかったのだろうかうっすらと涙を浮かんでいる。
「謝るのは私の方です、キャプテン…みんなの点棒が…」
「大丈夫…あと伝えたいことがあって…龍門渕の子の事で…」
「龍門渕ですか…?」
ああ…またこの人を心配させてしまった…そう悔やむも今はキャプテンの優しさに身を委ねて楽になりたい。
…それにしても龍門渕の事とはなんなのだろうか。自分が見たところ途轍もない打ち手としか感じなかったが、なにかつけいる隙を見つけてくれたのだろうか。
「あの子にちょっと気になる打牌があって…これ…」
「え…」
美穂子は制服のポケットから手帳を取り出して華奈に差し出す。そこには簡単に書かれた手牌が書かれていた。
{三四五13赤567888③④⑤} 打 {赤5} リーチ
「これって…」
華菜には見覚えがあった。確か前半戦で槍槓のダブロンで鷲巣が和了った手であったはず。しかしこの手のどこが…
そう思った華奈であったがすぐに美穂子の言いたいことが分かった。
あの時は槍槓のダブロンなどというありえぬ出来事にそこまで思考が回らなかったが、改めて見ると少しおかしい。
(あれ…なんで赤5索切りリーチ…?)
リーチをかけるなら定石は8索切りだろう。わざわざ1翻落ちる赤ドラを切る必要がない。
結局この手は裏ドラが8索となり3枚乗って跳満…結果論だが赤5索切りでも8索切りでも結局打点は変わらなかった。まるで裏ドラが何か把握しているかのような打牌である。…そういえば鷲巣の手にドラが乗ることが多かったような…
「まさか…」
「ええ…だからあの子のリーチには気をつけて。他家に差し込んででも蹴った方がいいかもしれないわ…」
***
(全く…卑怯にも程があるし!)
新ドラ裏ドラが把握できる…乗りやすい…言葉にすれば簡単だがそれは凶悪の一言に尽きる。
例えばリーチのみの手でも裏ドラが暗刻に乗れば満貫にまで化ける。もし今の鷲巣の手に暗刻があれば、跳満か倍満…もしくはそれ以上もあり得る…考えただけでも鳥肌が立つ。
華菜手牌
{一三四赤568①①②④⑥⑥西} ツモ {北}
鷲巣のリーチ直後、華菜が引いてきたのは鷲巣の数少ない現物である北。華菜の手はテンパイには程遠く、普通なら北をツモ切りして一旦様子を見る場面である。
最も理想的なのは親である清澄に差し込み、連荘してもらうことだが肝心要の咲の表情は浮かない。どうやら自分と同じくまだまだ手牌が出来上がっていないようだ。
じゃあどうするか…と、場況を確認していた華菜は脳内に一つの考えが浮かんだ。
ゆみ捨牌
{北⑧26}
華菜が注目したのはゆみの捨牌。字牌処理もそこそこに早々に中張牌を切り出しており、手が早そうだ。しかしまだ張ってはいないだろう。この点差で親番でもないのにダマにするはずがない。
悩んだ挙句華菜は北をツモ切りせず、赤5索を中抜きして河に切った。鷲巣からの発声は…ない。
ゆみ手牌
{二二二赤五六八八67③赤⑤⑥⑦}
(赤5索切り!?)
鷲巣にとっての片筋とはいえ、ど真ん中の赤ドラ切り。鳴けばテンパイだがゆみは一旦考え込む。回し打ちするにせよ、オリるにせよリーチ一発目に切られる牌ではないだろう。
余りにも異質な打牌…何かしらの意図があるのではないか…と思わず華菜に視線を移す。その華菜の目は何かを訴えるようだった。その目を見た瞬間、華菜の思惑を理解した。
出来れば面前で進めたい手だったが鷲巣からのリーチが入ってしまった以上致し方ないだろう。
(なるほど…そういうことか…)
「チー!」
ゆみ手牌
{二二二赤五六八八③赤⑤⑥⑦} 副露 {横赤567} 打 {③}
ゆみは華菜の切った赤5索を鳴き、3筒を打つ。この3筒もリーチ宣言牌のまたぎ筋だったがなんとか通る。
そしてこの鳴きでゆみも高め跳満のテンパイに漕ぎ着けると同時にツモ番がズレた。このズレが直後重大な意味を持つことになった。
咲は無難に字牌を切っていき、迎えた鷲巣のツモ。
(ぐ…よりにもよって…)
六巡目
鷲巣手牌
{二三四234②③④七七七八} ツモ {七}
鷲巣が引いてきたのは4枚目の
これが鷲巣麻雀であったなら、ツモ番をずらされようがどうとでも出来た。しかしこれは普通の麻雀。ツモ番がずれたら引く牌も必然的に変わる。これは流石の鷲巣もどうしようもない。
七萬をツモ切りしたと同時にゆみが発声と同時に手牌を倒す。
「ロン…タンヤオ三色ドラ4で12000」
ゆみ手牌
{二二二赤五六八八赤⑤⑥⑦} 副露 {横赤567} ロン {七}
『トップから跳満直撃ー!これは大きい!』
『風越池田のアシストがあってこその和了りだ。本来ならまた鷲巣が和了っていたはずだがセオリーを無視することで強引に捻じ曲げた。ツモが良すぎるというのも考えものだな』
(よし!うまくいった…)
(すまないな…風越)
始めて龍門渕に直撃らしい直撃を食らわせた。露骨な協力はタブーとされているので会話せず、目線のみで意思疎通する2人。これで少しは追い風になってくれるだろうという確かな手応えがあった。
東家 清澄 110300
南家 龍門渕 177400(ー13000)
西家 風越女子 45200
北家 鶴賀学園 67100(+13000)
大将戦後半戦東二局 親・龍門渕 ドラ・{発}
華菜手牌
{一三九①268東東南北発中} ツモ {9} 打 {2}
(これは…いける!)
鷲巣のリーチはなんとか蹴った直後の配牌は九種十牌。当然流したりはしない。何よりこれなら役満…国士無双を狙えそうだ。一番の懸念は捨牌から見破りやすい国士無双が鷲巣に察知されて流されることだが…
この時の鷲巣は現状最下位でここまで焼き鳥の華菜から警戒を怠っていた。加えてゆみから直撃を食らった直後でゆみに強い敵対心を向けており、華菜を一瞥もしておらず注意さえ向けていない。
この手が成就することを信じて2索を切り出していった。
(ふん…龍門渕め…吠え面かかせてやるし!)
二巡目
ツモ {⑥} 打 {⑥}
三巡目
ツモ {1} 打 {三}
四巡目
ツモ {③} 打 {③}
五巡目
ツモ {西} 打 {8}
六巡目
ツモ {⑨} 打 {6}
(きたきたー!)
華菜手牌
{一九①⑨19東東南西北発中}
『風越の池田、国士無双をテンパイ!当たり牌の白はまだ2枚山に残っています』
『絵に描いたような国士の捨牌だからな。他家に流れたらまず切られないだろう』
華菜は次々と要所牌を引き瞬く間にテンパイ。白は咲の捨牌に1枚、ドラ表示牌に1枚見えている。まだまだツモにも期待できるだろう。
六巡目
華菜捨牌
{2⑥三③86}
(風越の捨牌…国士か?)
(国士無双…)
六巡目ともなると流石に萬子、索子、筒子の中張牌が満遍なく切られた違和感が目立つ捨牌となり、ゆみ、咲共に手牌の中のヤオチュウ牌を絞り出す。
その中で鷲巣だけは手牌の孤立しているであろう牌を切っているのだが。…しかしそれは華奈も百も承知だ。もとより鶴賀、清澄から直撃を取るつもりはない。
…特に大きな動きもなく、巡目は進んで九巡目、華菜がツモ牌に手を伸ばして盲牌…なにも刻まれていない感触を確認して卓に叩きつけた。
「ふっ…きたし、ぬるりと…ツモ!」
華菜手牌
{一九19①⑨東東南西北発中} ツモ {白}
「国士無双…8000・16000!」
(国士無双…役満の和了りを許すとは…)
鷲巣にとっては正に死角からの
点棒を若干乱暴に渡しつつ、鷲巣は華菜に照準を合わせる事を決めた。
『持ってきたー!風越池田選手の今日始めての和了は役満、国士無双!正に息を吹き返す和了りです!』
『これで風越が3位浮上…この流れで親番を迎えるんだ…ひょっとしたらひょっとするぞ』
北家 清澄 102300(ー8000)
東家 龍門渕 161400(ー16000)
南家 風越女子 77200(+32000)
西家 鶴賀学園 59100(ー8000)
大将戦後半戦東三局 親・風越女子 ドラ・{7}
華菜配牌
{二二三五777②③③東北北} ツモ {西}
(ドラ暗刻!好配牌だし!)
今の華菜の流れを象徴するかのような配牌。三暗刻やトイトイ…ツモがよければ四暗刻まで伸びるかもしれない。
第一ツモは残念ながら無駄ヅモだったがこの好配牌に期待に胸を膨らます。この手を物に出来れば大きく差が縮まることになるだろう。
(さあ…和了るぞ親倍満!そして…華菜ちゃん奇跡の逆転優勝だし!)
西をツモ切りした華菜の髪が猫の耳のように持ち上がる。その目はいつも以上に活気に満ち、輝いていた。
寝違えて首が回らない状態でしたがなんとか書ききりました。お盆休みが皆無だった分、代休にて遅い夏休みを堪能中です。