アルトとイングリドとヘルミーナのアトリエ(あとオマケが一人)   作:四季マコト

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閑話 出会い

「では先生、留守番をお願いします」

「いってきます、ドルニエ先生」

「いってきまーす!」

「いってきます」

 

 シグザール王国の首都ザールブルグ。

 職人通りの一角にある赤い屋根の家屋の前に四人の人影があった。

 青年が一人に、彼と同い年程度の女性が一人、幼い女の子達が二人といった四人組だ。

 ドルニエと呼ばれた壮年の男性は玄関に立って彼らを見送ると、一人家の中へと戻った。

 

「さて、私は私で仕事をしなくては」

 

 階段を上り、二階へと向かう。

 主に寝室として使用する予定の二階には、ベッドや洋服箪笥といった家具だけでなく、隅には木製の文机と椅子が置かれている。

 ドルニエは椅子に腰掛けると、引き出しからインク壷と羽ペン、そして上質な紙の束と封筒を取り出した。昨夜は長旅による疲労から早く眠りについたため、必要な手紙を書き終えることが出来なかったので、その残りをしたためなければならない。

 羽ペンの先をインク壷につけ、丁寧に手紙へ文字を書いていく。

 アカデミーへ航海を無事に終えたことの連絡、急な航海を快く引き受けて下さった商人の主への感謝状、明日以降訪問する予定の方々への挨拶状等――事前に用意した分を含めても、まだまだ必要となる手紙は多い。

 ……手紙だけでなく、資料も作成しなくてはならないな。

 錬金術や建設予定のアカデミーについての詳細をまとめた書類の作成には時間が掛かる。しかし、絶対に必要となる以上、手は抜けない。

 自分の見通しが甘かったせいか、とドルニエは苦笑いした。

 錬金術アカデミーへの融資の件についてはけんもほろろに断られてしまったが、はいそうですかと諦めるわけにはいかない。仕事に対する責任感だけでなく、この国に錬金術を普及させたいという使命感もあるからだ。

 日を改めて再度、国王に拝謁を願うつもりだ。せめて、建設予定地の話だけでも許しを得なくてはならない。

 今度は資料だけでなく、実際に調合した品物も持参していく予定だ。最初から持っていっていればとは思うが、それは後になった今だから言えることなのだろう。錬金術という技術が存在して当然の生活をしていたドルニエは、錬金術を知らない相手に対しての考えが楽観的過ぎたのだ。

 ……アルトとリリーが錬金術士として表立って動くのが仕事ならば、私は人と会うのが仕事といっても良い。

 自分の弟子達のことを思う。二人とも、自分にはもったいないくらいの良い生徒達だ。彼らに世話を任せた二人も、将来が楽しみになる子ども達だ。

 彼らが錬金術士として動きやすいように全力を尽くそう。そうでなければ、子供たちの面倒を見てくれている彼らに申し訳が立たない。

 予定では今頃、金の麦亭へ到着した頃だろうか。

 アルトとリリーの目的は互いに異なる。アルトは冒険者へ護衛のお願いをするために、リリーはどのような依頼があるかを店主に確認するためにだ。今日だけでなく、今後も基本は別行動となるらしい。

 二人で相談し合った結果だというのなら、ドルニエからは特に何も言うことはなかった。到着早々に言い合いをする二人を見て若干不安にも思ったが、どうやら問題は無さそうだ。

 二人の仲はアカデミーにいた頃から何度も衝突を繰り返し、一見、険悪そうに思える。しかし、それは離れることなく何度も近付いているということに他ならない。

 ……不思議なものだな。

 仲が悪いのかと思いきや迷いなく手助けをし、かといって仲が良いのかと思いきや些細なことで口論を繰り返す。普通であれば、険悪に相争った後はお互いに喋ることすら気まずく思うものだが、彼らは平然とした顔で話し出す。けれど互いに仲直りしたわけではなく、面と向かって相手を大嫌いだと言い放つ。しかし、協力することに躊躇しない。なんとも、チグハグな印象を受ける関係だ。

 これが若さというものなのか、それともお互いに本心は別にあるのか、余人には窺い知れない複雑な関係のようだ。最初に二人を引き合わせた時には、彼らが今のような関係を築くことになるとは予想だにしなかった。

 ……最初は良好な間柄になれそうで良かったと素直に安堵したものだが。

 ドルニエはインク壷にインクを補充しながら、二人が出会った頃の事を思い浮かべる。

 二人の出会いは、ドルニエがリリーを弟子としてアカデミーに招待したことに端を発する。親元を離れ、単身寮生活をすることになった彼女の助けになればと、当時既に一人の錬金術士として自立していたアルトを紹介したのが出会いだ。

 第一印象は互いに悪くないように思えた。やや緊張しながら会話するリリーに、それを緩和させるように気を遣った話題を提供するアルト。彼らなら、うまくやっていけるだろう。ドルニエは、そう思った。

 実際、出会いから一年間、彼らは共に錬金術を極めんと切磋琢磨する存在として、親しい間柄のように見えた。ドルニエが思っていた以上に、アルトは先輩として公私共にリリーの面倒を良く見てくれたし、そんな彼をリリーも後輩として純粋に慕っているようだった。

 問題があるとすれば、リリーがアルトに若干頼り過ぎる傾向にあるということだろうか。また彼女とは逆に、アルトは仕事が関わるならば多少は融通が利くものの、私的なこととなると極力一人でこなそうとしてしまう点か。

 それらの問題箇所については今も尚、残っている。双方共に、今後の成長課題だろう。老婆心ながら、互いが互いに影響を与え合い、自らを高めあって欲しいものだと思う。

 ……今回の元老院からの提案が、良い切っ掛けになればいいのだが。

 どうだろうか、と思う。

 諦観と期待が半々。今のままでも十分だが、もう少し穏やかになれば平和なのだが。

 文章を書きつつ、今朝の騒動を思い出して嘆息する。

 二人が現在のような奇妙な関係になったのは、出会いから一年後。今から二年前のことだ。

 イングリドとヘルミーナの二人がアカデミーに入学し、アルトの困った性癖が全員に知られることとなったのが原因だ。当時、まだ幼い二人を入学させることに対して学院側からは色々と言われたが、アルトという前例があったために比較的容易に話は済んだ。孤児院の出ということで身元引受人となる必要はあったが、概ね何も問題はなく入学させることができたといって良い。

 だからこそ、ドルニエが変貌したアルトを目にした時には、青天の霹靂とばかりに目を疑ったものだ。入学以来、ずっと彼を見守ってきた自分でさえそうだったのだ。付き合いの浅い他の人達からしてみたら、それこそ冗談のように思えただろう。

 しかしそれでも、ドルニエはアルトの真意を疑う気にはなれなかった。

 あの日、語った彼の言葉に偽りはないと信じているし、彼がリリーや子ども達に向ける思い遣りには、そういった意図は含まれていないと判断しているからだ。彼女達を傷つけるようなことを、彼は決してしないだろう。それは子ども達がアルトから逃げたり恐れたりしないことからも察せられる。多感な子どもだからこそ、悪感情には敏感だったりするものなのだから。

 もちろん、それでも万が一ということはあるかもしれない。決して、そんな間違いがあってはならない。

 けれど、それもリリーがいれば問題はない。

 豹変した彼に対して、彼女もまた随分と変わった。

 それまでの和気藹々とした仲の良さが嘘のように消え去り、罵倒の言葉が挨拶代わりになった。ほんの少しでもアルトがおかしなことをしでかしたら実力行使すら厭わない。信頼していた相手のあまりにもあんまりな姿に、リリーがどう思ったのかは本人にしか分からない。しかし、その最初の一年間があるからこそ、今のような複雑な関係になったのだろう。

 度々、騒ぎを巻き起こす二人に対して色々と思うことはあるが、ドルニエ個人としては今のアルトの変わりようをそう悪くは無いと思っている。どこまで本気で言っているのかは分からないが、良い意味で今の彼の方が生き生きとして見えるからだ。それこそ入学したばかりの頃に比べれば、随分と人間味が出てきたと思う。

 

「あれからもう十年以上になるのか……」

 

 月日が経つのは早いものだ。あの小さかった子が、今やあんなにも大きく成長しているのだから。

 初めてドルニエがアルトと出会ったのは、まだ自分が元老院に入る前の頃だった。

 当時のドルニエは講師として最低限の仕事をこなしつつ、自らの研究を進める毎日を送っていた。

 その日、彼は翌日行う講義の準備を実験室で行なっていた。銀の調合を終えたドルニエが、不備が見当たらないかどうかを確認していた最中、一人の少年が飛び込んできたのだ。

 ――その少年こそが、アルトだった。

 近所の子どもが迷い込んできてしまったのか、とドルニエは溜め息を付いた。錬金術は子どもが触れては危険な代物も多々存在する。大事に至る前に見つけられて良かった。

 ドルニエは彼を叱い、警備の者に預けようとした。実際、普段通りの自分なら、そうしていただろう。

 しかし、

 

『すっげー! なに今の! 手品!? 魔法!? それ、銀だよな! なんで!? どうやったんだ!?』

 

 悪びれた様子もなく、目を輝かせて矢継ぎ早に質問してくる少年を見て、ドルニエは考えを改めることにした。そこまで興奮する程に求めるのなら、少し位は良いだろうと。最近は自分の研究が行き詰っていたせいもあり、気分転換をしたかったせいでもある。

 ドルニエは明日の準備を早々に切り上げ、急かす少年を落ち着かせてから、錬金術とはどういうものなのかを丁寧に説明した。まだ幼い子どもが相手なので、可能な限り難しい言葉を使わずに、けれどきちんとした内容が伝わるように苦労しながら話し掛ける。それでも、少年が理解するにはまだ難しいだろうな、とそう思っていた。

 

『様々な物質を調合によって掛け合わせ、魔力を加えることによって劇的な変化を与える技術、か……。一応は、誰にでも再現可能な技術っていう扱いなんですね』

 

 説明が終わると、ドルニエの話に聞き入っていた少年は、なるほどと頷いた。

 ドルニエは、ほうと感心した。分かりやすく噛み砕いたとはいえ、それでも簡単とはいえない錬金術について、少年はきちんと内容を理解してのけたのだ。

 子どもらしからぬ物言いといい、年齢以上に賢い子どものようだ、と評価を改める。

 

『もっと詳しい事を教えてくれませんか? 例えば、先程の調合に使用した石がありますよね。大きさが変わると完成した際の銀の大きさが変わるだけなのかとか。指先ほどの石や、もっと小さく砕いた石でも同様に銀になるのかとか。条件が同じなら、必ず同じ結果になるんですか?』

 

 良い質問だ、とドルニエは口元を緩めた。

 さすがに無理だろうかと思いつつ、それでももしかしたらとどこか期待しつつ、錬金術の基礎の触り部分を語る。

 説明を終えると、すぐさま反応が返ってきた。きちんと理解した上での返答と質問だ。

 まさかと思いつつ、再度幾つかの問題を投げ掛けるも、それら全てに少年は模範解答を示してみせる。

 ドルニエは手探りをするかのようにして、徐々に説明の内容を変えていった。既に頭の中に、話し相手が子どもだという考えは無かった。生徒の理解度を測るように話の難易度を、次第に段階を踏んで上げていく。

 いったい、どこまで話についてこられるのだろうかと、ドルニエ自身、少年に教えることが面白くなってきていた。少年の理解力もさることながら、その貪欲なまでの知識の吸収力と、錬金術に対する探究心に胸を打たれた。自分の言葉の一つ一つに対して反応があり、その返答によって気付かされることもあった。愉快だ、とドルニエは少年に説明しながら感じていた。

 すっかり忘れていた。アカデミーで生徒達に教えている時も、研究をしている時も。最近ではただ仕事としてこなすだけだったり、打ち込むだけだったりで、錬金術を楽しむことを忘れていたのだ。

 そのことに気付かされ、ドルニエの説明にも熱が入る。アカデミーの生徒達に講義する時と同じような内容を、大真面目な顔で少年相手に教える。

 ――だからだろう。ドルニエは普通であれば、少年に抱くであろう感情を一切感じなかった。良くも悪くも、彼は錬金術士だったのだ。

 二人で時を忘れて喋り続け、ふと気付いた時には子どもが外出するにはまずい時間帯となっていた。まだ聞き足りない、といった様子で渋る少年に、日が暮れては危険なので帰宅するようにと諭す。

 しかし、ドルニエもまた彼と同じように、まだ話したりないと心残りを感じていた。

 授けた知識を恐ろしい程の勢いで吸収し続ける少年を見て、その才能をここで手放すのは惜しいと思ったのだ。彼が錬金術士として成長すれば、今ある錬金術をさらに発展させられるかもしれないという打算も、少なからずあった。

 けれど何よりも、錬金術について質問をする際の、少年が浮かべる楽しそうな笑顔が印象的だったのだ。本人が知りたがっているのなら、その機会を上げるべきではないかと。

 だから、ドルニエはアカデミーへの入学を少年に薦めた。もし望むのなら私自ら教えようと、そう口にした。今までは研究を一番に考えて弟子は取らなかったが、彼ならば是非自分が教えたいと思ったのだ。

 少年の反応は良かった……いや、あまりにも良すぎた。

 嬉しそうな顔で頷いたかと思うと、彼は明日からでも通いたいと言い出したのだ。

 さすがに、その反応は予想しておらず、ドルニエは動揺した。もう少し大きくなったら、と考えていたのだ。

 少年はあまりにも幼い。その年齢で人生の生き方を決めるには早すぎる。同時に、今日話していた限りでは問題なさそうではあったが、やはり他の生徒達と一緒に講義について来られるのだろうかという心配も少なからずあった。金銭面に関しては、彼の着ている衣類が上等な物だったのでそこまで心配はしていなかったが。

 しかしドルニエが何を言おうとも、少年は頑として引き下がらなかった。

 錬金術を学びたいんです、の一点張り。どうしてそこまでこだわるのか、この時のドルニエにはまだ理解出来なかった。ほんの数年待つだけで良いのに、と。

 結局、そこまで決意が固いのならばと、ドルニエは二つの条件を彼に提示した。それに応えることが出来れば、入学を認めると。

 その条件とは、ご家族へ錬金術アカデミーに入ることの了承を得ること。

 そして、半年後に行われる入学試験へ合格すること。

 この二点だ。

 特に一番目の条件は必須だった。例え、大人顔負けの知能を持っているとしても、彼はまだ両親の庇護を必要とする年齢なのだから当然だ。

 お互いの情報を交換し合い、意気揚々と自宅へ帰っていた少年を見送ったドルニエは、すぐさまアカデミーでの根回しに移った。彼の側だけではなく、受け入れる側でも多数の問題があったからだ。

 少年の名は、アルトヴィッヒ・フォン・ファーゼルン。貴族の次男で、六歳になったばかりだという。当然ながら、貴族の子どもを受け入れるには少なからず対処が必要となる。また、若き才能を伸ばすために若い頃からアカデミーに入学させることがあるとはいっても、いくらなんでも彼は幼すぎた。

 アカデミーへの入学を認めると言ったのは、完全にドルニエの独断だ。たかが一講師にそんな権利はない。

 しかし約束をした以上、どうにかしてアカデミー側に認めさせなければならない。半年後の入学試験までに、少年を入学させるにあたっての諸所の問題を解決しておく必要があった。

 その日から半年間。

 色々と頭を悩ませ、足を棒のようにして駆け回り、ドルニエはやっとの思いで少年の受け入れ態勢を整えた。今思えば、我ながら無茶なことをしでかしたものだと苦笑いしてしまう。

 そして彼――アルトはドルニエの期待に見事に応え、無事にアカデミーへ入学することとなった。試験を満点で通過するという異例の事態を成し遂げるオマケつきで。

 アルトを預かる際、事前にドルニエは彼のご両親へ挨拶に伺った。今後はアカデミーで寮生活を送ることになるので、自分が責任を持って私生活でも面倒を見るという約束になっていたからだ。

 何度もお会いして話し合った結果、アルトはとてもご家族に愛されているようだと思った。錬金術について調べ上げ、錬金術士という職業について、まるで自分達がなるかのように理解していた。ひたすらに彼のことを案じ、大切に思い、その上で彼の意思を認めたのだ。自分達の手の届かない場所へ手放すことに、どれだけの葛藤があったことか計り知れない。

 だからこそ、その時に託された言葉が印象に残った。

 

『先生、どうかアルトを一人にしないであげて下さい』

 

 どこか悲しみを堪えるように微笑む御主人の表情を、今でもドルニエははっきりと覚えている。

 その時は、子どもだから寂しがらせないようにという意味なのかと安直に思っていた。

 自分が思い違いをしていることに気付いた時には、既に手遅れだった。知っていたとしても、どうにか出来る自信は無い。ドルニエに出来たのは、ただ彼に錬金術の知識を授けることだけだったのだから。

 ……そう。彼を繋ぎ止めたのは家族であり、開放したのは――

 

「ただいま戻りました、ドルニエ先生ー」

「ただいまー!」

 

 玄関のドアが開く音と共に、元気良く響き渡る声。どうやら、生徒達のお帰りのようだ。

 一瞬にして静寂が去り、賑やかな笑い声が家中に木霊する。

 ドルニエは羽ペンを握る手を止め、彼女達を迎えるために椅子から立ち上がった。

 階段を降り、一階へ向かうと笑顔のリリーとイングリドの姿。さっそく、素材を引っ張り出して作業をしようとしていることから察するのに、丁度良い依頼が見つかったのだろう。

 

「おかえり、リリー。イングリド」

 

 自分が彼女達に出来ることは、そう多くは無い。

 それこそ、錬金術に関してのことだけかもしれない。

 けれど、だからこそ今出来る全てで彼女達を支援してあげなくては。

 何より、自分に出来ないことに関しては、頼れる自慢の弟子達がいるのだから――

 

 

 

 

 

 

 彼は代わり映えのしない退屈な毎日が大嫌いだった。

 いっそ、唾棄していたと言ってもいい。

 来る日も来る日も畑仕事の繰り返し。

 うんざりするほどに見慣れた光景。

 閉塞された村での、変化の無い日常に嫌気が差していた。

 このまま漫然と生きていた所で、何も面白みが無い。

 ただ緩やかに終わっていくだけの平凡な人生。

 そう思ったら、居ても立ってもいられなくなった。

 気付けば、衝動に促されるがままに彼は村を飛び出していた。

 置手紙を自室に残し、十六年間を過ごした故郷を後にする。

 荷袋を肩から吊り下げ、お古の長剣を腰に差し、意気揚々と足を運ぶ。

 確かな事など何もない逃避行。若さに任せただけの無謀な旅路。

 家族に知られようものなら、何を馬鹿なことをと諌められること確実な出立。

 されど、地を踏みしめる足取りは軽い。

 若者特有の後先考えない浅はかな行動は、大人から見ればさぞ愚かな事に見えるだろう。

 しかし、その浅慮な道行には夢を見る人間の切なる思いが込められている事は確かなのだ。

 連綿と語り継がれる叙事詩に憧れ、眩く輝く未来を夢見ての彼の冒険は、そうして始まりを告げた。

 

 ――その結果。冒険者生活初日から、現実の厳しさを思い知らされる羽目になったのだが。

 

 辛うじて道としての機能を残した街道を、獣や魔物、盗賊に怯えながら先を急ぐ。

 勘違いされては困る。当然、村では少なからず狩猟の経験がある。

 しかしその際には、慣れがあったし、生息している獣も熟知していたし、何より頼りになる仲間達がいた。

 けれど、今はその全てが無かった。自分以外頼る者のいない孤独な生活。

 早くも挫けそうになったが、さすがにそれは情けなさ過ぎるだろ、と自らに発破を掛けて先へ進む。

 幸い、何も危険な目に遭遇することなく首都へと辿り着くことができた。

 安堵の余り、門の衛兵の前で尻餅をついてしまったのはご愛嬌。

 街で彼を待っていたのは、更に厄介な問題の数々だった。

 まず田舎者への洗礼とばかりに、物価の違いに唖然とさせられる。村での二倍の値段なんていうのはまだ良い方。酷いのになると、その十倍の値段。なけなしの資金は、このまま何もせずにいれば一週間とせずになくなってしまうだろう。

 その後も様々な問題が次々と浮かび上がり、その度に場当たり的に対処していく。

 

 ――こんな筈じゃ、なかった。

 

 そんな風に弱気になる自分を喉の奥に押し殺し、必死の形相で冒険者としての生活に食らい付く。

 諦めるものか、諦めてたまるものか。

 非情な現実に対抗し、夢を見続ける毎日。

 やがて、そんな日々にもあっさりと限界が訪れた。

 誰に言われるともなく、自然と理解していた。

 本当の所、最初から自分でも気付いていたことだ。

 

 自分には、冒険者としての力量が足りていないことなんて――

 

 彼の実家はケシ農家であり、農作業で体力には自信があった。木登りだって村一番だと自負していた。

 が、しかし。それと冒険者としての実力は何ら関係ない。

 冒険者の酒場で知り合った先輩冒険者達と語らいあう内に、自分が抱く根拠の無い自信が揺らいでいった。本当に、自分は冒険者としてやっていけるのだろうか?――と。

 悪のドラゴンを倒したり、囚われのお姫様を救ったりする英雄に憧れた。

 いつかは自分もそんな風になりたい、と思った。けれど、現実はそれ以前の問題だった。

 駆け出しの冒険者として、配達の依頼やら何やらのちょっとした便利屋の真似事のような依頼を受けて糊口を凌ぐ毎日。刺激のある生活を求めて村から出て来たはずなのに、やってることは以前と大して変わらない。

 

 ――こんな筈じゃ、なかった。

 

 現実を思い知らされる。夢は所詮夢なのだと事実を叩きつけられる。

 それでも、諦めることは出来なかった。諦められるほどに潔い性格ではなく、達観するには彼は幼すぎた。元々、楽観的な性格だったせいもある。

 いつかきっと、冒険者として成功してみせる。

 自らに言い聞かせるようにして、毎日を送っていたある日。

 彼は、とある人達に出会った。

 それは、彼の人生に影響を与えた運命的な出会い。

 見慣れぬ格好をした人達は――錬金術士という存在だった。

 

「アルトさん、良かったのかい? リリーさん……だっけ? 彼女達が一緒じゃなくて」

 

 テオは酒場の出入り口から出て行く二人の少女達を見送りながら、正面に腰掛けた男性に問い掛けた。

 痩せ型の長身で、性格は至って温厚。都会的な雰囲気を持つ異国人の優男だ。自分とそう大差ない年齢に見えるが、落ち着いた物腰のせいでやけに大人びて見える。彼は昨日、挨拶したばかりの錬金術士達の一人だ。

 今、酒場から小さな女の子の手を引いて一緒に出て行った女性がリリー。昨日聞いた話では、彼女も同じく錬金術士らしい。彼ら二人とは知己となったばかりの間柄だ。

 先程、テオが依頼を探していた時に彼らを見つけて声を掛けた時には、酒場の主人ハインツと四人で話していたのだが、リリーともう一人の女の子はそのまま帰ってしまった。

 後で話がある、とアルトに言われて待っていたのだが、彼女達が一緒でなくていいのだろうか?

 アルトは店員に、自分の分と隣に腰掛けた小さな女の子の分の注文を頼むと、こちらへメニューを差し出してきた。右手を振り、いらないと言う。自分は水で十分だ。節約しなければ、生活が立ち行かない。

 

「リリー達はハインツさんの所へ依頼の確認をしに来ただけだからね。今日は僕とこの娘、ヘルミーナの二人で話をしたいんだ。ヘルミーナ、彼に自己紹介を」

「こんにちは、はじめまして。ヘルミーナです。よろしくお願いします」

「オレはテオ。えっと、よろしく、ヘルミーナ」

 

 アルトに促され、少女がちょこんと頭を下げてくる。テオのいた田舎では、まず見かけないような、繊細で可憐な気品ある少女だ。まるで一級品の人形のようだ、とテオは思った。冗談抜きに触れたら壊れそうで怖い。大口開けてガハハと笑い、こちらの背中をバシーンと叩いてくる田舎の女達とは大違いだ。

 瞳の色が左右で異なるのが特徴的。アルトもそうだし、さっきリリーの隣にいた少女もそうだった。リリー以外の全員が同じ特徴だと考えると、もしかしたらお国柄なのかもしれない。そうだとしたら、リリーだけは出身国が違うのだろうか。

 

「今日はいてくれて良かったよ。先日の埋め合わせついでに昨夜飲みに来たのだけど、姿が見えなかったから気になっていたんだ」

「ごめん、そうだったのか。ちょうど夜の仕事があったんだ」

 

 簡単に言ってしまえば、納入の手伝いだ。冒険者らしい仕事とは言えない。カッコ悪く思えてしまい、テオはつい言葉を濁して誤魔化してしまった。

 

「いやいや、こちらこそ悪かったね。先日は僕が体調を崩したせいもあってあまり話せなかったから、あの時のお礼も兼ねて一杯奢ろうと思っていたんだ」

「そんな感謝してもらわなくてもいいってば。お礼ならハインツの親父さんに言ってくれよ」

「もちろん、したさ。いまさっきね」

 

 つい、とアルトの視線がハインツの方へと向く。釣られて視線を動かすと、カウンターの片隅に小瓶が一つ置かれていた。その中には飴のようなものが幾つか入っている。

 

「あれはお酒アメという錬金術の調合品だよ」

「お酒アメ?」

「簡単に言えば、お酒を飴状に固めた物だね。度数が低いからお酒を飲めない人にもオススメできる一品だよ」

「へー……そんなものも作れるのか、錬金術士っていう人達は」

「こっちへ航海する際に船員へ手渡した物の残りだけどね。これは内緒だけど、作業をしながらバレないようにお酒を楽しめるのがウリだね」

 

 アルトは人指し指を口の前に立て、悪戯めいた笑みを浮かべた。彼の雰囲気からもっとお堅い人物を想像していたけれど、意外に話しやすい人物なのかもしれない。

 

「錬金術士というのはリリーが説明した通り、物質と物質を組み合わせて新たな物を作り上げる存在だ。あの飴みたいな嗜好品から爆弾みたいな危険物まで、作れるものは本当に幅広い。それこそ、知識と技量と器材、それともう一つがあれば作れない物はないといっても良いかもしれない」

「それはすごいな! で、そのもう一つっていうのは?」

「当然、元となる素材さ。合成させる大元の物質がなければ何も作れやしない。材料の中にはサラマンダの尾とか、魔物を退治しなければ手に入らない物も少なくないのが難点だね。――そこで頼みがある。キミに僕達二人の護衛の依頼をお願いしたいんだ」

「護衛? そりゃ、出来るならやってみたい、けど」

 

 倉庫の整理だの何だのといったものより、よっぽど冒険者らしい仕事だ。自分にやれることならやってみたい。

 けれど……。

 

「でも、オレは……その」

 

 他の誰でもなく、アルトは縁があったとはいえ自分を頼ってきてくれた。そのこと自体は凄く嬉しいし、彼の期待に全力で応えたいと思う。

 けれど、一つの事実が返答を躊躇わせる。

 駆け出しだから、実力不足。

 宥めるように、諭すように、何度となく皆に言い聞かされた言葉が頭の中で繰り返される。

 自分でその事実を認めて相手に伝えるには、あまりにも情けなくてつい口ごもってしまう。

 そんなテオの内心を察してか、アルトは分かってるよとばかりに首肯した。

 

「駆け出しでも大丈夫。しばらくは護衛といっても、そう大げさなものではないんだ。近くの森とか、そこまで危なくない場所に出掛ける際に頼みたい。予定日はまだ決まっていないが、近いうちに二・三日ばかり。その後は時間が合う時に調整してになるかな」

「そのくらいなら平気……だと思う」

 

 自信を持って断言出来ないのが歯がゆい。

 

「不安に感じるかもしれないが、実はもう一人、ある程度腕の立つ冒険者も雇う予定なんだ。だから、危険性はほぼないよ。その時に良ければ、その人から冒険者として必要な事や現地での心構えを、キミに学んでもらいたい。護衛となると、また色々と勝手が変わるだろうしね。金額としては、日数契約でこのくらいでどうだろう?」

 

 アルトに提示された金額は、十分満足出来るものだった。うまくいけば、今持っているお金と合わせて新しい武器か防具を買えるかもしれない。そうすれば、今よりも強くなれる。

 すぐにでも飛びつきたいくらいの好条件。何から何まで、自分にとって破格といっていい程の待遇だ。

 しかし、だからこそ、テオは気が引けてしまった。

 

「なあ、アルトさん」

「ん、なんだい? どこか不満な点や、おかしな部分があったかな?」

「いや、そうじゃないんだけどさ。むしろ、オレにとって条件が良すぎないかい?」

「もちろん、裏が無いってわけじゃないさ」

 

 ニヤリとわざとらしく人の悪い笑みを浮かべるアルト。

 ……どうやら、何か他にもあるらしい。都会のうまい話には気をつけろ、と田舎では良く囁かれていたけど、まさかその類なのだろうか。

 ひそかに戦々恐々とビクついていると、アルトは運ばれてきた飲み物にゆっくりと口をつけた。

 

「さて、ここからが本題だ――といっても、難しいことじゃない。今後、リリーが護衛を探していたら声を掛けてやって欲しいんだ。こっちに来てまだ知り合いも少ないし、少しでも面識のある相手の方があいつもやりやすいだろうしね。色々と間の抜けた所があるやつだから、その辺はうまくフォローしてやってほしい。そのためにもキミに冒険者としての経験を少しでも多く積んでもらって、それを次回以降あいつの時に生かしてやって欲しいんだ」

「なるほ……ど?」

 

 ふむふむ、ともっともらしく聞いていたテオは、うん? と小首を傾げた。先程のアルトの言い様だと、悪巧みの誘いとかではなく、純粋に同僚を心配しての相談事のように思える。

 いや、同僚の面倒を見るにしたって、これはいささか過保護だろう。彼女が雇う相手を斡旋し、尚且つその冒険者の力量を育てる。いくらなんでも、ここまでフォローする必要はないだろう。

 ……それとも、他に何か特別な理由でもあるのか?

 テオは昨日の騒動を思い出し、その時の彼らの様子を考え、なるほどと改めて頷いた。

 

「ああ、そうか。アルトさんとリリーさんは恋人同士なのかい?」

「――あ!?」

 

 ギシリ、と空気が軋んだ。

 ……ヤバイ。なんか今、ドラゴンの逆鱗に触れたっぽい。

 ニコニコと自然な笑みを浮かべるアルトは、表面上何も変わっていない。上機嫌に見えるといってもいい。

 しかし、明らかに空気が変質していた。彼から放たれる怜悧で重厚なプレッシャーは、すぐさま泣いて慈悲を乞うか、回れ右して逃げ出したくなるほどだ。

 咄嗟に助け舟を求め、先程紹介された女の子――ヘルミーナに視線を向けて縋り付く。

 

「……?」

 

 小さな両手でカップを持ち、こくこく、と美味しそうに果実水を飲んでいるヘルミーナ。彼女はきょとんと目を瞬かせてこちらを見つめ返してきた。まるで状況が理解出来ていない。

 彼女には、ビュオオオオと効果音付きでアルトの背後から雪風が吹き付けてくるのが見えていないようだ。いや、それは錯覚。幻覚だ。落ち着け、落ち着くんだ。クケケケとどこからか不気味な笑い声が響いてくる気がするのもただの幻聴だ!

 ドッと滝のような冷や汗が、テオのこめかみを伝う。知れず、ガクガクと全身が震える。

 

「今、なんて言ったのかなぁ?」

「いっ、いやだってさぁ! リリーさんが雇う相手として俺を先に雇い、他の先輩冒険者雇ってまで手伝わせるとか。すげえ大事にしてるじゃん! 普通、いくら同僚だからって理由だけでそこまでしないって!」

「誰があんなやつのことを大事にしているものか。どこをどう見たら、そうなるんだ」

 

 いや、どこをどう見てもそう見えます――当然、そんな返答は口が裂けても言えないが。言った瞬間、どうなるかは分かりきっている。例え、十人中九人が同意するような事実であったとしてもだ。

 アルトは不貞腐れたような態度で言い捨ててそっぽを向き、「どいつもこいつも、なぜそんな勘違いをするんだ」と苛立たしそうに髪をかきむしった。そんなみっともない態度でさえ、どこか様になっているのだから神様は不公平だ。

 ともあれ、アルトの言うことを信じるならば、彼とリリーはそういう関係ではないらしい。むしろ、嫌っているように思える発言内容だ。

 言ってることとやってることが激しく矛盾している気がするが、とにかくそういうことらしい。

 そしてもし、アルトの言うことが事実なのだとしたら、リリーには今特定の相手はいないということになる。

 ……可愛い子だったし、喋ってて面白そうな相手だったし、仲良くなれるといいなぁ……。

 そんな思春期真っ只中な少年に相応しいことをテオが考えていると、いつになく真面目な顔をしたアルトが「断っておくが」と向き直ってきた。

 

「もし、あいつに手を出すつもりなら……必ず、僕に言うんだ。これは絶対にだ」

「え?」

「これはキミのためでもある。分かるね?」

 

 それはもしかして、『娘をお前みたいな馬の骨になんぞやれるか! どうしてもと言うなら、俺を倒してみろ!』みたいなノリなんでしょうか。あるいはやっぱり彼女に気があるんでしょうか。ていうか、どっちにしても目がマジすぎて怖いですヤバイです半端ないです。

 

「分かったか、分からないか、返事!」

「は、はいっ!」

「それは重畳」

 

 アルトは満足そうに頷き、一息に果実水を飲み干した。

 彼の豹変振りはいったいどういうことかとヘルミーナに視線を向けても、彼女は相変わらずニコニコと笑みを浮かべるだけで何も気にした様子は無い。いや、そもそもだ。大の男がこんな小さな女の子に答えを求める時点で間違っている。

 テオは一連の話の流れを鑑みた後、やがて晴れやかな笑みを浮かべた。

 ……うん、無理!

 いやいやいやいや無理だ、これ無理。こんな過保護且つ恐ろしい相手がバックにいたら、怖くてそういう対象には見れないって。しかも、アルトが本当のところどう思っているのか怪しいもんだし。

 良いお友達で、と自らの想像に結論付ける。

 さらば、可愛い女の子との出会い。現実はそう甘くないってことか。

 

「ああ、それと。分かっているとは思うが、今まで話したことは他言無用だ。特に、リリーには絶対に教えないように。変な勘違いをされると始末に困るからね」

「…………」

 

 変な勘違いも何も、どう考えたって答えは一つしか思い浮かばないのだが。

 

「もし、あいつに知られるようなことがあったら……」

「そ、そうしたら……?」

「キミには責任を取ってもらおうかな?」

「ア、アハハ……」

 

 やっだー。冗談めかして言っても、目が全然笑ってないじゃないですかー!

 ……この人、第一印象は紳士的な好青年だったけど、本質は絶対違うな。

 テオは出会って二日目にして、アルトの印象を改めた。基本良い人っぽいけど、結構腹黒な部分がある人だと。

 

「わ、分かった。気をつけるよ」

「うんうん、素直でよろしい。とまあ、脅かすのはこのくらいにしておこうか。信頼関係は大事だしね」

 

 ……やっぱり、脅しなんじゃないかよ!!

 そんなに心配なら自分以外のもっと信用出来る相手でも良かったんじゃないか。そんなちっぽけな反論を、口には出さずに内心で呟く。抵抗するには、先程抱いた恐怖心が大きすぎた。

 それでも、どこか面白くなくてブスッとむくれた表情をしてしまう自分がいる。

 

「そう怒らないでくれ、僕が悪かったよ。果実水を一杯どうだい? 奢るよ」

「お礼ならいらないって、さっき……」

「これはお詫びだよ。もしくは、口止め料ってことで」

 

 すっかり元通りの好印象を与えるような笑みを浮かべたアルトに言い包められ、言われるがままに注文する。そうして好青年の如き態度を取られると、先程見たものが夢幻であったかのように錯覚してしまいそうだ。

 運ばれてきた久しぶりとなる果実水を味わいながら飲む。田舎にいた頃は何気なく飲んでいたものだが、こうして飲んでみると実に美味しく感じるから不思議だ。

 

「キミを雇う一番の理由をまだ言ってなかったね」

「え? なんだい、それ?」

「それは、キミが信頼出来る人間だと思ったからだよ。これでも人を見る目はあるつもりだ」

「ええ!?」

「冒険者を信用していないわけじゃないが、中にはそういう人間がいてもおかしくないからね。天使と見紛うほどに可愛らしい女の子を相手に血迷うのも無理はない。あの子はあらゆる意味で素晴らしい少女だからね。けれど、いくら優れているといっても、小さな女の子だということには変わりない。何か問題が起きた場合、自分で対処出来るかは難しい所だろう」

 

 ……やっぱり、リリーさんのこと好きなんじゃないのか?

 饒舌に語るアルトを、テオは半目でじとーっと見つめた。嫌いな相手を可愛らしいだの、素晴らしい少女だのと言う人間はいない。いるとしたら、余程屈折した人間だけだろう。

 同年代の女の子を小さなと表現するのは疑問に思えるが、アルトからしてみたらいつまでたっても手が掛かる後輩には変わりないのかもしれない。子離れできない親、という言葉がふと頭に思い浮かんだ。

 

「だから、キミなんだ。信頼出来る相手でなければ、彼女を任せることは出来ない」

「俺なら信頼出来る、と?」

「少し違うな。――テオだから信頼するんだ」

 

 アルトが、笑みを作って言う。昨日出会ったばかりの相手に向けるには過分すぎるほどの温かい笑いだ。

 ……ズルイなぁ。

 先程、自分を相手に冷ややかな態度を取った癖に。落として持ち上げるとか、本当、この人は腹黒いな、とテオは思う。同時に、そうと分かりつつも嬉しくなってしまう自分がいる。

 冒険者として信頼されるには、まだまだ未熟だ。応えることは出来ないだろう。

 けれど、人間として信頼してくれる相手に応えるのは簡単だ。全力で向かい合えばいいだけのことなのだから。

 燻り続けた自分の中の何かが、熱を持って動き出すのを感じる。

 テオは素直に、頷いた。

 

「分かった。期待に沿えるように頑張るよ」

「頼んだよ。キミなら彼女を守ってくれると信じている」

「もし仲良くなって彼女と付き合うことになったら、きちんとアルトさんに言うよ」

「ふざけるなっ! 誰が彼女をお前に渡すものか! ぶん殴るぞ、てめぇ!!」

 

 一瞬にしてキャラが崩壊していた。

 ……ついさっき自分で言った台詞、全否定じゃないか!

 いったい何がしたいんだ、この人は。

 殺意が込められた眼差しで今にも殴りかからんとするアルトに、テオは土下座せんばかりに謝り倒し、絶対にそんな間違いは犯しませんと神に誓った。理不尽だ、と心の中で涙を流しながら。

 必死の説得の甲斐あって、どうにか憤懣を抑えてもらい、ほっと胸を撫で下ろす。

 アルトは苛立ちを抑えるように長々と溜め息をついた後に、そういえばと言った。

 

「まだ名前を教えていなかったな。リリーと一緒にいたあの子の名前は、イングリドだ。俺とリリーだけでなく、イングリドとヘルミーナも錬金術士だよ」

 

 と、アルトが隣に座るヘルミーナへ片手を伸ばしながら言う。

 話題に出された少女は、アルトに頭を撫でられて気持ち良さそうに微笑んだ。

 

「えっ、でもまだこんな小さいのにかい?」

「彼女たちは天才だよ。それこそ、知識だけならリリーより優秀かもしれないな」

「そ、そうなのか」

 

 テオは、信じられない、といった思いを隠しきれなかった。錬金術という技術については知らないが、少なくともそれはまだ幼い子どもが学ぶには難しい物だろうと予想が付いたからだ。

 少なくとも、子どもだからといって見かけだけで侮っていい相手ではない。

 まるで相手が自分の知らない未知の生き物であるかのように思え、反射的に警戒心を抱く。途端に、今までの子ども然とした態度ですら疑わしく思えてきた。

 

「……だけどさ」

 

 そんなテオに気付かない様子で、アルトはヘルミーナの髪の毛を指先で梳く。

 

「天才だけど、一人の華奢な女の子であることに変わりは無い。彼女達が傷つくことのないように、しっかりと守ってあげないとな」

 

 事実は事実として認めた上で、それに拘泥せずに一人の人間として真摯に相対する。

 最初から色眼鏡で見ずに、きちんと相手を評価する。簡単なことのようで、難しいことだ。

 アルトは色々と問題のある性格をしているけど、その考え方は良いものだとテオは思った。同時に、先程の自分が愚かだと。ごめん、と胸中でヘルミーナに詫びる。

 

「そのためにも、腕の立つ冒険者が必要だ。可能なら女性がいいんだが、心当たりはあるかな?」

「女性?」

「ああ。女性の方が、何かと心配事がなくなるからね」

 

と、アルトはくすぐったそうにして頬を染めているヘルミーナを見て微笑みながら言った。


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