アルトとイングリドとヘルミーナのアトリエ(あとオマケが一人)   作:四季マコト

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一章 ザールブルグ
海の向こうへ


「ふむ……。大変なことになったな」

 

 大変なこと、とは先程の部屋の中でのことだろうか。

 話の内容が予想出来ていた俺からすれば、ついに来たかという感じなのだが。

 学院の広間に面した廊下で顔を付き合わせるのは、俺を含めた三人の錬金術士。俺達は先程、元老院の御偉方から直々に『お願い』されたばかりだった。

 

「異国でのアカデミーの建設、か」

 

 顎に手を当て厳格そうな顔付きで唸るのは、俺の師であるドルニエ先生だ。深緑の重厚な法衣をまとった、四十絡みのオッサン。モミアゲと髭がつながっているのがトレード・マークだ。

 彼の左右の瞳の色は異なっているが、前世ならともかく今の世界の常識では珍しくもなんとも無い。なぜなら、これはエル・バドール大陸の人間特有の特徴だからだ。当然、俺も左が蒼色で右が金色の瞳といったオッド・アイだ。

 それにしてもこのオッサン、いつも何かしら考え込んでいる節がある。彼に師事して約十年になるが、彼が悩んでいないのを見た記憶が無い。ここまで来るともはや習性なのかもしれない。

 

「そうですね」

 

 ドルニエ先生に追従して、俺とほぼ同年代の少女がコクリと頷く。茶色の頭巾をかぶり、青と白の遊牧民めいた民族衣装に身を包んでいる。その服装といい、焦げ茶という髪の色といい、両方とも金色という瞳といい、いかにも地方から出てきた田舎娘といった感じだ。

 彼女の名前はリリー。俺と同じく、ドルニエ先生の徒弟の中の一人だ。

 前世の『リリーのアトリエ』という原作では主人公という立場だったが、今の俺にとっては、俺と二人の愛し子との仲睦まじい関係の邪魔さえしなければ心底どうでもいい存在だ。つまり現状、邪魔しまくりなので不倶戴天の敵。許すまじ年増女め。

 

「私とアルトはともかく、リリー、キミはどうするかね?」

「えっ、ちょっ! なんで俺はともかくなんですか。先生、扱い違いすぎません?」

「あたし、行きます! 実は話を聞いたときから、もうワクワクしちゃってて」

「選択は君の自由だが……しかし、本当にいいのかね?」

「いや無視しないで! 俺にも聞いて! 先生、あなたの可愛い教え子が尋ねてますよ!?」

「…………。キミはあの子達が行く時点で一緒に行くだろう?」

「当たり前です! あの二人を、俺の目が届かない所に行かすなんてありえないッ!」

 

 ググッと拳を握り締め、熱く語りかける。あの子達と離れ離れになるなんて、そんな事態は天地が引っ繰り返ったとしてもありえないのだ。

 イングリドとヘルミーナ。

 現世に舞い降りた、穢れ無き純白の天使達。

 何かと俺に厳しいこの世界での、生きる希望。

 無垢で可憐で触れることすら躊躇われる、ああっ、でも触りたい、けど我慢、いいや限界だ触るね!――っていう存在。

 後年激しくガッカリな事になる二人だが、今は神に愛される至高の存在と言っていい。

 まずは、イングリドについて語ろう。

 

 十月二十六日生まれ(蠍座)の十歳。身長百三十八センチ体重三十三キロ。好きな物は実験、嫌いな物はヘルミーナ(いわゆるツンデレだ可愛いッ!)。夢は錬金術の先生になる事。八歳の時からアカデミーに所属しており、まだ年端もゆかぬ少女でありながら錬金術の知識、技能等かなりの素質を持った神童だ。勝気でちょっぴり短気で自信家なのが玉に瑕だが、それがいいっ! 素晴らしく良い! 似たような立場のヘルミーナと度々いがみあっているが、その姿がまた可愛いらしいっ! 出会ってからもう二年になるというのに一向に俺に懐いてくれないが、そこもまた良しっ! 緩やかに波打つエメラルド色のセミロングの髪に、ブラウンのヘアバンドをアクセントにつけている。ベージュのフレアスカートに、小さなリボンがあしらわれたジャケットを髪と同じ色で揃えているのが、最近のお気に入りの格好だ。凛と立つその様は、整った顔立ちといい、大人顔負けな言動といい、貴族の品の良いお嬢様を思わせる。リリーの馬鹿を真似ているとしたら腹立たしいが(もちろんリリーの事が)、言動も外見も共に少しずつ大人びてきていて、可愛いというよりも美しいという言葉が似合うようになってきた。……ちなみにこれは秘中の秘だが、日々、彼女を見守っている俺の見立てでは、少しずつ胸も膨らみつつあるようだ。少女と女性の狭間、今しかない一瞬の美、未成熟な膨らみがそこには存在した。素晴らしい……素晴らしすぎる! 服の上から見て愛でる事しか出来ないのが心底歯がゆい。が、しかし! これ以上、育ってしまうと恐ろしい大惨事を招く事になる。原作での成長した姿のイングリドは、可愛らしさの欠片もないおぞましい姿になってしまうのだから。あれはもうただの醜いナニカだ。無駄に膨らんだデカイ脂肪の塊といい、慎ましさのない身長といい、横柄な態度といい……あれはもう存在する価値すら無い! 時の流れの残酷さを思い知らされる存在だ。だからイングリド、君はそんなに焦って成長しないでいいんだ。今のままでいてくれ。俺は可能な限りの努力を重ねているが、まだそれらの成果が実を結ぶには時間が掛かりそうなんだ。だから、どうかお願いします神様。二人がこれ以上、間違った成長をする事のないように。今のままの姿で正しく成長してくれますように!

 

 ……ふう、お祈りも済んだので、もう一人の愛しい娘を紹介しよう。

 次は、ヘルミーナだ。

 

 一月十四日生まれ(山羊座)の十歳。身長百四十センチ体重三十四キロ。好きな物はちょっと危険な実験、嫌いな物はイングリド(こちらもツンデレだ可愛すぎるッ!)。夢はイングリドよりデキる錬金術の先生になる事。彼女もイングリドと同じく、八歳の頃よりアカデミーに所属している神童だ。けれど、何もかもが同じというわけではない。例えば、健康優良児で外での運動を好むイングリドと違い、ヘルミーナは身体が少々弱くて室内での読書を好んでいる。元気一杯、天真爛漫な明るい少女のイングリドと異なり、大人しめの性格で……ちょっっっとだけ陰湿だ。いやいや、もちろん、そういった部分もまた子どもらしくて可愛いのだ。ていうか、二人に可愛くない箇所なんて無いけどね! ……けれど、一年前の事を今でも時々思い出したかのように、ねちっこく責めてくるのはちょっとアレかもしれな――いやいや、そんな事ないな甘えていると思えば可愛いものだ! 中身だけでなく、外見も当然異なっている。ヘルミーナはまだまだ子どもといった幼い感じ。綺麗よりも可憐といった言葉が似合う少女だ。紫色がかった銀髪のボブカットの前髪を、眉の上で綺麗に一直線に整えている。最近の彼女は、袖の膨らんだ純白のブラウスの上に、背中で大きなリボンを結ぶ形の青色のジャンパースカートを着ている姿を見かけることが多い。スカートと同じ色のスカーフを、頭の上でドーナツ状にして巻いているのが、彼女なりの他人と異なるこだわりらしい。もしこの時代にティーンモデル誌があれば、表紙を飾れるほどに整った顔立ちをしていて、これがもう微笑んだ日にはアンタ、俺はご飯三杯は軽くいけますよ? その証拠に、俺の脳内には彼女の笑顔が多数保存されている。イングリドよりもヘルミーナの方が枚数が多いのには理由がある。俺とヘルミーナは読書好きという同じ趣味を持った同士で、本の貸し借りをしたり感想を述べあったりするうちに、多くの時間を共有して仲良くなったからだ。どれくらい仲が良いかというと、俺が突然抱きしめても許されるくらいにだ。むしろ、向こうからして欲しがる時もある。……まあ、大抵どこかの空気読めない年増女に妨害されるんだけどな! マジあいつは邪魔者すぎる。しかも、あいつはヘルミーナだけでなくイングリドまで自由に抱きしめているのだから怒り心頭に発する。俺はなぜかやたらとイングリドに警戒されているというのに。いつも愛を持って真摯に接しているのに、なぜ避けられるのか? 解せぬ。俺も例え一度でもいいから、彼女が終末を招く容姿になってしまう前に、思う存分抱きしめたいものだ。イングリドもヘルミーナも、どこをどう間違えればあんな恐ろしい怪物に変貌してしまうのか。謎である。だが大丈夫、彼女達には俺がついている。俺が決して彼女達をあんな姿にさせはしない。俺には、彼女達が見るに耐えない姿にならないように防ぐ義務がある。持てる力全てを使い、今の彼女達のまま――そう、生命の神秘を司る素晴らしき姿のままで成長させて上げなくてはならないのだ!

 

 イングリド、ヘルミーナ。

 彼女達二人のために、俺が出来る事。やらなければならない事。世界に託された事。

 この世界に俺が生まれた理由、その一つが彼女達の待つ悲劇的な運命を救う事だろう。

 そのための手段も無論、考えている。

 ――俺の錬金術士としての悲願は『不老薬』だ。

 美しさをそのままに保つ、かつて何人もの錬金術士が挑んだであろう偉大なる命題だ。おそらく、先人達も俺と同じような純粋な想いでそれを願ったに違いない。彼らの情熱を思うと胸が震える。同志達よ、汝らの情熱、この俺がしかと受け取った。必ずや、実現させてみせる!

 イングリドとヘルミーナのためだけではなく。

 不老薬の完成を待つ、世界中の少女達のためにも!

 全ての少女達が、あるがままの姿で成長するためにッ!!

 ……しかしなぜか現状、アカデミーでの評判は極々一部を除いて芳しくない。不老薬と聞いて目を輝かせる連中も、俺がその素晴らしい目的や効能についてあますことなく克明に語りだすと、皆一様に目を逸らして口を閉ざすのだ。なぜだろう。不思議だ。やはり、その完成に至るまでの道程の至難さに、無理だと最初から諦めてしまうのだろうか?

 無理も無い。悲しい事ではあるが、確かにそれは非常に困難な事なのだから。イングリドとヘルミーナに出会う以前から似たような研究を続けて、今年で早四年。未だ望む結果は、何一つとして得られていない。一朝一夕には叶わない、何人もの先人が夢見て挫折した途方も無い願い。

 だが俺は、決して諦める気は無い。

 彼の偉大な『旅の人』だって、最初は孤独だったのだ。無理だと他人が諦めるような絵空事の錬金術を、自らの身体を犠牲にしてまで会得したのだ。

 高く険しい壁だからこそ、身命を賭す価値がある。

 それに、もしかしたら今回、異国で俺の研究に必要な何かが見つかるかもしれないし。そう考えると、今から期待に胸が膨らむというものだ。

 

「それに、イングリドとヘルミーナも行くんですよね? だったら……」

「あの二人は元々身寄りが無くてアカデミーが引き取っているから、私などから見ると、言わば親子のようなものだと思っている。連れて行くのは止むを得ない」

「いや親は俺ですよ? 俺が父親兼兄貴兼旦那兼恋人兼親友兼ペットですよ。いくら先生といえど、そこは譲りません」

 

 話の内容はさっぱり聞いていなかったが、聞き逃せない部分があったので、すかさず訂正しておく。父親代わりという立場は、俺のものだ。

 ていうか、まだ終わってなかったのかよ話し合い。何を長々と喋っているのやら。

 

「だが、リリー。キミは違う。親もいれば、帰るべき家もある」

「俺の発言がまた流された……」

「海の向こうに行くのは命がけだ。それこそ、二度と戻って来られないかもしれない。元老院の提案とはいえ、こんな大掛かりな計画にキミを巻き込むのは、私としては少々気が引けるのだよ」

「俺を巻き込むのは気が引けないんですね、分かります」

「キミの家族だって、我が子をそんな危険な度に出すのには反対するだろう」

 

 俺の一言にも、全く動揺する様子すら見せずにリリーを見つめるドルニエ先生。

 ……いや違うこれはスルーされているのではない。きっと信頼しているから、俺に対して何も言わないのだ。

 そ、そうですよね、ドルニエ先生? 信じてますよ……?

 

「で、でも! 海外と言っても、すでに行ったことのある人がいっぱいいるわけだし、大丈夫ですよ! それにあたし、ずーっと錬金術にのめり込んでいたから、もう両親に完全に呆れられちゃってるし。ははは……」

「わはははははっ! そりゃ、呆れられるわ!」

「アルト、あんたが笑うなッ!」

「ぐはっ!」

 

 くそっ、この暴力女め。お前がそうやってポンポン俺の頭を殴るから、イングリドが真似をするんだろうが。

 いや、イングリドに叩かれるのはむしろ御褒美だけどな!

 それにきっと、あの娘が俺を叩くのはツンデレのツン部分だ。好きな相手に素直になれないお年頃だからなぁ……。

 

「たぶん、何か新しい事を考えたり、造り出す事があたしは好きなんです。あの『旅の人』の調合を知って自分もやってみたい、って思ったんです。あたしの家はそこのバカの家と違ってそんなにお金持ちじゃないし、自分一人で錬金術を研究する事なんて出来ないし、こんなあたしに色々と教えてくれたドルニエ先生にも恩返しをしたいし……」

 

 リリーの言う通り、俺の生家はかなり裕福な家庭だ。何せ、爵位持ちの貴族の生まれだ。俺が望んだら望んだだけ、書物も器材も家庭教師もつけてもらえた。そのお陰でアカデミーに入学する際も成績面では問題なく、あっさり入れた。俺が望めば、金銭面だけで言うなら、きっと工房を構えて一人で錬金術を研究する事も可能だろう。

 けれどその逆に、海外渡航に関しては物凄く苦労しそうだ。錬金術士になると告げた際にも大反対されたが、次男とはいえ一応貴族だしな。立場を考慮しないにしても、感情面は別だろうし。何よりも、ある意味では両親より手強いのがいるしな……。

 

「だから、行きたいんです! 錬金術が好きで好きで仕方がないんです! ……なんて、本当は面白そうだなーってくらいしか考えてないんですけどね」

「何恥ずかしがってるんだ? そういう仕種は年増女がしてもキモイだけだぞ」

「うるさい! ちょっともう、あんたは黙ってなさいよ!」

「先生ー、最近あなたの生徒が僕をイジメるんですよー。どうにかしてくださいー」

「……分かった。同行してくれるならばありがたい、とは最初から思っていた。そこまで言ってくれるならば、是非私からもお願いするよ」

「あ、あれ……? もしかして俺、先生からもイジメられてないか?」

 

 おかしいな……目から汗が出てきたよ。

 

「アルト、いつまでもふざけていないで。キミも、異論は無いね?」

「はい、俺が行くのは決定事項なので。……まあ、そこの世界的に恥ずかしい年増女を置いて行ければ言うことないんですけど」

「それはあたしの台詞! なんで、あんたみたいなのが選ばれるんだか……」

「そりゃ、俺が優秀な錬金術士だからだろーよ」

「どうして、あんたみたいなのが頭良いのよ!? 信じられない!」

「俺からしたら、どうしてあの程度の理論も理解できないのかが信じられないな。脳の容量が足りないのなら、その無駄に膨らんだ胸にでも詰め込んでみたらどうだ?」

「なっ!? し、信じられない! 何考えてるのよ、エッチ!」

「はあッ!? 冗談じゃない! どうして、俺がそんな脂肪の塊に欲情しなければならないんだ? 俺が心より愛してるのは、イングリドやヘルミーナのような愛らしい少女達だけだ!!」

「それが一番、許せないんでしょうが! この変態! ド変態!」

「ハッ、売れ残りからいくら言われようと痛くも痒くも何ともないね。これだから、熟しすぎて腐るだけの年増女は」

「誰が年増よ!? あたしはまだ、十七歳だっつーの!」

「十二歳より上は、見る価値すらない。そんな常識も知らないのか?」

「あんたの特殊な性癖なんて聞いてないわッ!」

 

 俺とリリーが互いに次の言葉を放とうと、肩を上下して息を大きく吸い込むと同時。

 

「いい加減にしなさい」

 

 怒鳴るでもなく、静かな、けれど頭に上った血を落ち着かせるだけの力が込められたドルニエ先生の一喝に、俺とリリーは渋々口を閉じた。

 

「これから私達は、一緒に、海の向こうへ行くのだよ? 仲良くとまではいかずとも、喧嘩をしないように努力して欲しい。いいね、リリー?」

「……はい、すみません」

「アルトも。いいね?」

「俺はそもそもこんな年増女と喋りたくなんてないですし」

「アルト」

「……はい。以後、気をつけます」

 

 ちくしょー、なんで俺まで叱られなければならないんだ。これでも三十八歳なのに。まるで聞き分けの悪い子どもみたいじゃないか。

 とはいっても実際、そこまで年を取った感覚はないんだけどな。今の俺が、前世と比べて精神的に成長したという感覚は全然無い。近頃、やっと精神に身体が追いついてきたといった程度だ。

 精神が身体に引っ張られているのか、環境に左右されているのか、それとも別の何かのせいなのか。単純に月日を重ねれば、精神年齢が高くなるというほど簡単じゃないのは分かってるけどな。大人になるっていうのは、思ったよりも難しい。特に俺の場合、中身はどうあれ、外見は子どもとして過ごしてきたしな。

 精神年齢による違いといったら……幼い頃から恋愛感情を知っていたので、そのままそれが対象への年齢に固定されてしまったという事だろうか。そう、だから俺は六歳以上且つ十二歳以下にしか興味が……うん、ごめん、ちょっと我ながら無理のある言い訳だったな。

 正しく言い訳するならば、前世で女性と全く縁の無い生活を送っていた俺が、この世界にこうして二度目の生を受けた時点で、こういう性癖になるのは運命だったのだ。

 ――そう、運命! 嗚呼、運命だったのだッ!

 運命。なんて素晴らしい言葉だ。取りあえず運命と言っておけば、どんな言葉でもなんとなくそれっぽく聞こえてくる気がするから不思議だ。

 

「アルト、リリー、一緒に行こう。あの子達二人も連れて、皆で、海の向こうへ」

「行きましょう、海の向こうへ! ……でも、海の向こうのどこへ行くんですか? ドルニエ先生」

「お前、そんな事も知らずに盛り上がってたのかよ? おめでたいや――」

「アルト」

「……つだな、とは思いません。気付く俺の方がおかしいですよね、ドルニエ先生」

「アルトはもう分かっているようだが……、東の大陸にあるシグザールという王国の中心都市だよ、リリー」

「シグザール?」

 

 

「ザールブルグ。それが、私達が錬金術を広める街の名前だよ」

 

 

 

 

 

 

 見渡す限りの大草原。

 荒れるがままに任せられた土地は、まだ何も使用用途が決まっていないのか放置されているようだ。立て看板すら見当たらない。

 街の中心部から少し離れているとはいえ、これだけの土地を遊ばせたままなんてもったいないなぁ、なんて思ってしまう辺り、あたしも結構都会的な考え方になってきたんじゃないかと思う。故郷じゃ、土地が勿体無いなんて考えたことすらなかったしね。ましてや、値段を付けて考えるなんて想像すらしなかった。

 ここにアカデミーを立てたいとドルニエ先生が言っていたし、うまく話がまとまればいいなぁ。

 

「わーい! こっち、こっちー!」

「イングリド、待ってってばー!」

 

 ドルニエ先生達と別れた場所で彼らの帰りを待ち続けるあたしをよそに、イングリドとヘルミーナは元気に草原を駆け回っている。ちょっと目を離すとすぐに何かをしでかすのは、神童と言われようと年相応の子どもに変わりない。故郷で良く見かけた光景と重なり、自然と笑みが浮かんでしまう。

 旅立った当初こそ初めての船旅に目を輝かせていた二人だったけど、さすがに数日も経つと水上での生活に退屈していたようだ。久しぶりに自由に駆け回れる環境が嬉しいのか、広大な敷地内を止まる時間すら惜しいとばかりに動き回っている。

 元気にはしゃいで回る二人の様子を見ていると、思わずそのまま静かに見守っていてあげたくなる。

 ……でも、二人とも? 今は遊ぶ時間ではなく、ドルニエ先生を待つ時間よ?

 

「ほらー! 二人とも、大人しくしてなさーい!」

 

 二人を捕まえるべく駆け寄ると、歓声を上げた二人が、そうはさせじとばかりに走る速度を上げる。

 こらこら、追いかけっこじゃないってば。懐かれるのは嬉しいけど、威厳がない先生っていうのもそれはそれで困りものね。

 二手に分かれて散開したり障害物を利用したりと、その頭の良さを無駄に発揮して逃げ回る二人をなんとか捕まえた頃には、すっかり息が上がってしまっていた。故郷じゃ同年代の男の子にも駆けっこでほぼ負け無しの体力が自慢だったけど、さすがに現役の子ども達には勝てない。アカデミーでの勉強生活で鈍った体も、折を見て元に戻さないと。錬金術士には体力も必要だ、とアルトも言ってたしね。こと錬金術に関しては、あいつの言うことは間違ってないから。

 

「ずいぶん賑やかだね、リリー」

「ドルニエ先生!」

 

 弾む息を整えながら二人の手を引いて戻ると、舗装された道にはドルニエ先生が苦笑しながら待っていた。期せずして追いかけっこをする様を目撃されてしまい、気恥ずかしさを覚える。十七歳にもなって子ども達に混ざって走り回る女……ドルニエ先生になんて思われているのかが気になる所だ。

 アルトが一緒じゃないのだけは幸い。もし、あいつに見られていたら散々馬鹿にされていた事だろう。

 

「先生、お城の方はどうでしたか?」

 

 アカデミー建設に必要となる資金の融資をお願いしに、ドルニエ先生はお城を訪れていた。

 国王様にお目通りするという事なので、その間、あたし達は迷惑を掛けないように別行動をしていたのだけど……先生の曇り顔から察するに、どうやら結果は芳しくないようだ。

 

「それが……残念ながらダメだった。錬金術などという、聞いた事もないような技術に融資できるお金はないと言われてしまったよ」

「そう、ですか……」

 

 予想していたとはいえ、改めて言葉にされると気落ちしてしまう。

 まさか、本当にアルトの言った通りになるなんて信じられない思いだ。

 

『――知らないモノに大金を融資するとは到底思えない。十中八九、今回の件は断られるだろうな。良くて妥協案って所か。じゃあ二人とも、俺はさっき先生と相談したように住居を探してくるから、大人しく待ってるんだぞ?』

 

 淡々と言うアルトに、何を馬鹿な事を言ってるんだ、とあの時は内心で相当憤ったけど……。

 あたしとドルニエ先生は錬金術の素晴らしさを知っているから、それを広められる機会があるのなら融資も難しくはないと考えていた。

 けれど、現実は違っていた。アルトの予想の正しさを証明している。

 本当、平常時の彼は憎たらしいほどに優秀だ。

 いつもいつもあたしを小馬鹿にしてくるし、イングリドとヘルミーナに対して変態的な行動ばっかりしてるから忘れがちだけど、実際、アルトは並外れて優秀な人間なのだ。錬金術の腕だけでなく、何においても人並み以上にこなす事が出来るほどには。

 例えば、炊事。貴族といえば自分でする必要がない事は使用人に任せっきりという人間が多いのに、彼は下手したら同じ年頃の女性よりも上手に料理が作れる。どうしてそんな事を知っているのかといえば、アカデミーに入学した当時、歓迎会と称して彼の部屋にお呼ばれした事があるからだ。綺麗に整頓された彼の部屋で振舞われた料理の数々は、味だけでなく見た目にも素晴らしいもので、『錬金術ってこんな美味しい物まで作れるんですね』とあたしは赤面物の勘違い台詞を言ってしまったのだった。

 それだけでなく、わざわざあたしの部屋に彼自ら材料を持ち込んで調理してくれた事もある。

 アカデミーでの難解な試験勉強や日々増えていく実験、運動場での魔力を操る訓練に、体力を養うための適度な運動。錬金術士としての基礎が皆よりも劣っていたあたしは、毎日を死に物狂いで過ごしていた。積み重なるストレスに追い詰められ、次第に食生活が疎かになっていたあたしを労わってくれた彼の優しさに、つい故郷のお母さんを思い出して食べながら泣き出してしまったものだ。

 当時は恥ずかしさのあまり、二、三日顔をまともに見られなくなるという事態に陥ったけど、今のあたしからしたら一生の不覚。人生の消えない汚点だ。

 幸いにも彼は、あたしが彼の本性を知る前の出来事には一切触れて来ないので、あたしも色々となかった事にしている。そうでなければ今頃、会話もロクに交わせなくなっていただろう。故郷を離れての一人暮らし。あたしが弱っている時に、気づけばいつも傍にいてくれたあいつには、色々と弱みを握られてしまっているのだ。今となっては到底信じられないような出来事ばかりだけど。いっそ本当に全部夢であってくれたら、どれだけありがたいことやら。

 

「そう、がっかりすることはないよ、リリー。かつてケントニスに現れた錬金術の祖『旅の人』も最初は同じだった。始めは、誰も信じてくれないものだよ」

 

 あたしが過去を思い出して暗澹たる気分に陥っていると、それを何やら勘違いしたのか先生が慰めてくれた。その慈愛に満ちた眼差しが、今だけはとても胸に突き刺さります。

 えーと……ごめんなさい先生、今あたし全然関係ない事で落ち込んでいました。錬金術と勘違いするなんてあたしは馬鹿かとか、泣くだけならまだしも慰められるなんてとか、彼から誕生日に貰った物を未だに捨てられないでいるとか、故郷の家族には未だに妙な誤解をされているとか、そんなあれこれで。

 

「先生ー?」

「先生……」

「だ、大丈夫! なんでもない、なんでもない!」

 

 イングリドとヘルミーナの二人までが心配そうな顔をしてこちらを見つめてきたので、慌てて表情を取り繕う。笑顔、笑顔っと。二人の頭を優しく撫でてあげながら、大丈夫よ、と重ねて言って笑い掛ける。守るべき対象の二人にまで心配させてしまうなんて先生失格だ。これというのも全部、あの馬鹿男のせいよ!

 

「こうなる覚悟は最初から出来ていたよ。まずは自力で力を示して、そして国王に認めてもらうしかないだろう。慌てず、じっくりいこう。そしていつの日か、この場所に錬金術のアカデミーを建てようじゃないか」

「はいッ!」

 

 気を取り直し、先生の言葉に力強く頷きを返す。

 そう、まずは錬金術というものを周囲に知ってもらうことから始めないと。

 あたし達が一生懸命頑張れば、きっと『旅の人』のように錬金術の素晴らしさを皆に認めてもらえるようになるはずだ。

 だって錬金術は、皆を幸せに出来る技術なのだから。

 それに――

 王様に錬金術の素晴らしさ認めてもらってアカデミーを建てられれば、あいつからのあたしに対する評価も変わるかもしれない。一緒に頑張って結果を出せば、一人前の錬金術士として対等な存在に見てもらえるはずだ。

 そうすればあたしにだって、もうちょっとこう――いや、まあ別に、あいつにどう思われようと構わないんだけど? うん、気にならないけど……でも、あたしの方が立場が低いみたいなのは嫌なのだ。他はともかく、あたしの生き甲斐である錬金術という分野だけでは負けたくない。現状、物凄い差があるのは分かっている。だけど、最後まで負けを認めて諦めたくなんて無い。いつの日かきっと必ず、あいつに並び立つ存在になってやる。

 だから今は、やれる事をただひたすらに頑張るしかない。

 

「でも、先生。これからあたし達、どうすればいいんでしょうか……?」

 

 やる事は決まったけど、何から手をつければいいのやら。

 それに錬金術を知ってもらうためとはいえ、まさか『旅の人』に倣って広場でいきなり金の調合を始めるわけにもいくまい。そんな事をしたら、見回りの衛兵さんに捕まっちゃうのがオチだろう。

 それ以前の問題として、あたしは金の調合なんて高度な物は出来ない。

 というか、金の調合に成功したという錬金術士は『旅の人』以外、聞いた事すらない。その『旅の人』も、生涯その調合方法を誰一人にも伝えなかったといわれている。もし調合に成功すれば、噂くらいにはなりそうなものだけど……。

 さすがにあのアルトだって、こればかりは作れないみたい。以前に尋ねてみたら、『どうして金の調合方法を旅の人が伝えなかったか良く考えてみろ』と煙に巻かれてしまったし。

 

「うむ、実は王城へ向かう途中に良い空き家を見つけてね。アルトに交渉を頼んできたから、今から行ってみるとしよう」

「……アルトが選んだんじゃなくて、先生が選んだんですよね?」

「ん? そうだが……それが、どうかしたかい?」

「良かったー! それなら安心ですね!」

 

 もし、あの変態が選んだ場合どうなっていたことやら。

 いや、まだ安心するには早いかもしれない。あいつのことだから、先に行って何かしら仕掛けている可能性もある。

 そう例えば……いやいや、まさかそこまではしないでしょ、いくらあいつだからって。でも変態だしなぁ……うん、やっぱりそのくらいはありそうよね……となると、他には……そうね、そのくらいはしてもおかしくないわ。あとは……うーん……。

 

「リリー?」

「……覗き穴くらいは平然と仕掛けそうよね。それに階段の下に変な空間とか……って、先生?」

 

 これからどう対処するかを考えていたら、いつの間にか三人に置いて行かれていた。

 慌てて早足で三人に追いつくと、イングリドとヘルミーナが左右それぞれの手を握ってきた。

 

「リリー先生、早く行きましょう!」

「新しい家、どんな家かなぁ?」

 

 二人は期待に、あたしは不安に、という違いはあるけど、これから住むことになる家が気になるのは同じようだ。

 不安点に関しては後できちんと確認するとして、今は二人と一緒に期待に胸を膨らませるとしよう。

 これから目標達成までにどれだけの期間が掛かるか分からないけど、おそらく数年間は過ごす事になるに違いない場所。どんな家なのか、気にならないわけがない。

 先生に聞けばすぐにでも分かる事だけど、それは無粋というものだ。

 だって聞いてしまったら、家に向かうまでの楽しみがなくなってしまうじゃない。

 ああいう家かな。

 それとも、こういう家かもしれない。

 うん、きっとそういう家だよ。

 あたし達はまだ見ぬ我が家へ思いを馳せて、意見を交わし続ける。

 最終的に『小さな庭付き犬一匹、三階建てで使用人のいるお城さながらの内装の屋敷』という話にまで至って、ドルニエ先生がやや引きつった笑みを浮かべるのだった。

 ……ま、まあ、夢を見るのは自由だしね!


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