アルトとイングリドとヘルミーナのアトリエ(あとオマケが一人)   作:四季マコト

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 初めまして。
 四季マコトと申します。
 この作品はプレイステーション2専用ソフト『リリーのアトリエ』というゲームの二次創作作品です。
 原作プレイ済み推奨ですが、なるべく原作未プレイの方でも楽しめるように努めています。
 尚、原作のネタバレを含む恐れがあるので、ゲームをプレイ中の方はご注意下さい。


序章 旅の人へ
プロローグ


  錬金術という学問があった。

  鉄を黄金に変える力、永遠の命を吹き込む力、無から有を造り出すための力――

  人が神を越えようとする術であると言う者もいた。

  だが、それは見かけだけの判断に過ぎない。

  飽くなき探究心と斬新な発想が、それらを具現化させているだけなのだ。

  我々は、好奇心を持っていたからこそ、こうして進歩してきたのだから……。

 

 

 

 

 エル・バドール大陸の東の外れ、海岸線に面した大きな街がある。

 街の名前はケントニス。斜面に造られたせいもあって、坂道ばかりの街だ。

 今、俺が歩いている小道もその例に漏れず、緩やかな坂道となって頂上へと続いている。

 錬金術アカデミーの裏にある小高い丘。

 ひっそりと作られた道の終着点が、俺の目的地だ。

 俺の名前はアルトヴィッヒ・フォン・ファーゼルン。今年で十八歳……ということに表向きはなっている。少なくとも、戸籍ではそう記されている。

 しかし、俺個人の感覚では三十八歳となっている。

 どうしてそんな意味不明な事になっているのかといえば、俺には生まれる前の記憶――いわゆる一つの『前世の記憶』と称される二十年間が存在するからだ。

 ……自分でも、何を馬鹿なと言いたくなる。他人に説明したところで、理解してもらえるとは思っていない。俺だって、誰かから「俺には前世の記憶があるんだ!」なんて言われたら、ソイツの正気を疑うか、自分の聴力を疑うだろう。

 だがしかし、これが事実なのだからどうしようもない。

 前世といっても、特別珍しい生い立ちではない。英雄だの何だのといったものとは程遠い人生だ。自分で言ってて空しくなるが、俺はどこにでもいるような極々平凡な人間だった。

 日本の東京生まれ。享年二十歳。日本人の平均寿命からしてみたら短いかもしれないが、それだって珍しいというほどでもないだろう。

 記憶の中の二十年と、この世界に誕生してからの十八年。両方を足して合計三十八歳となる。

 身体は少年、中身はオッサン。……どこかで聞いたようなフレーズの出来上がりだ。

 まあ、そんなことはどうでもいい。

 現状、生きる上での問題は何も無いのだから。

 問題なのは――今生きているこの世界が、前世における『とあるゲーム』だという事実の方だろう。

 ……そう、ここには日本なんて国は名前すら存在しない。

 俺が今、生きているこの世界は――ゲームの中に存在した世界だ。

 

 

 前世の記憶、ゲームの中の世界。

 どちらか一つでも頭が痛くなりそうなのに、二つが同時とか目も当てられない。

 今でこそ、こうして違和感無く平然と生活していられるが、最初からそうだったわけではない。到底受け入れ難いそれら二つの事実を認めるまでには、それなりに長い年月を必要とした。

 当然だ。誰がそんな非常識な現実を容易く受け入れられるものか。

 前世の記憶は生まれた当初から持っていたが、この世界がゲームの中の世界だというのに気付くのには、少なからず時間を必要とした。

 俺が世界の真実に気付く切っ掛けとなったのは、幼少時の出会いが原因だ。

 当時、六歳になった俺は色々とあってストレスが限界に達していた。

 貴族という出自は生活において不自由しないメリットはあったが、自由が無いというデメリットもあった。

 ある日、何かと口喧しい使用人達の目を盗み、俺は一人こっそりと別荘の屋敷から抜け出した。たまには誰の目もない所で、気楽に寛ぎたいと思ったからだ。目的なんてない、ただの気分転換の散歩だった。

 ――とある一棟の建物を目にするまでは。

 そのゴシック調(?)建築物は、石材や木材が主の中世めいた街並みの中、一際異彩を放っていた。尖塔が天高く数本そびえ立ち、街で目にする機能美とは異なる、見るものを感嘆させる程の繊細な意匠が施された威容を誇っている。

 その絢爛豪華さから、宮殿か神殿か何かかと見当をつけた俺は……忍び込むことにした。その時の俺は、目新しいものを目にした高揚感でどうにかなっていたのだろう。そんな後先考えない馬鹿な行為をしでかすくらいには、浮き足立っていたのだと思う。

 ……もっとも、その愚かな行為のお陰で今の俺があるのだから、人生何が幸いとなるかは分からない。もしあそこで違う選択肢を選んでいたら、今頃は全く異なる人生を歩んでいただろう。

 人の目を盗んで建物の中に入り込んだ俺は、そこで驚愕の光景を目の当たりにした。

 ドアの隙間から中を盗み見ると、そこは試験管等の実験器材が多く並ぶ、研究室のような場所だった。

 冴えない髭面のオッサン(後に『ドルニエ』という名前だと発覚)が、大鍋に妙な色をした石を一つ入れる。いったい何をしているのかといぶかしむ俺をよそに、彼は次々と材料を入れ、ゆっくりと鍋の中身を道具でかき混ぜる。

 どれくらいの時間が経ったか……最後に彼が両手を鍋にかざした瞬間、それは起きた。

 光だ。

 光り輝く粒子のような眩しい何かが、大鍋を中心にして部屋中を踊るように乱舞している。

 やがて光が収束し、髭面のオッサンが大鍋に手を伸ばして持ち上げると――その手のひらには、銀色に光り輝く一個の物体が乗せられていた。

 銀の練成。

 銀色のその物体は、正真正銘の銀だった。

 そこで行われていたのは、錬金術士による錬金術そのものだったのだ。

 錬金術士。

 錬金術。

 前世の常識では眉唾物しか存在しなかった、ペテンともいえる技術。

 科学を探求する研究者ではなく、神秘を追究する求道者。

 俺の今までの常識を根底から覆す、きらきらと眩しく光り輝く奇跡の存在。

 次の瞬間には、自分が不法侵入者だという事すらすっかり忘れて、俺は髭面オッサンに突撃していた。その後に起こった騒動は語るまでもないだろう。

 

 

 錬金術との運命的な出会いから半年後。

 寝る間も惜しんだ猛勉強の甲斐もあり、俺は見事、アカデミーへの入学試験に合格した。六歳で合格なんていうのは、異例の事態だったらしい。……外見はともかく、中身はイイ年した人間なのだから、あまり騒がれても反応に困るのだが。

 大変だったのはむしろ、その後の家族の説得の方だったくらいだ。錬金術の勉強のためにと、資料やら家庭教師やらを頼んだ際には快く了承してくれた両親だが、入学のために家元を離れて寮で暮らすことになると態度は一変した。片手間に趣味としてやるならともかく、貴族としての生き方を放棄し、錬金術士として生きていくと宣言したも同然なので当たり前だ。

 最後には髭面のオッサンまで巻き込んで、一緒に両親への説得を行った結果――錬金術研究機関の総本山である錬金術アカデミーに入学することとなった。

 髭面のオッサン改め、ドルニエ先生に師事する立場として……。

 この時点での俺は、欧州辺りの中世時代によく似ているが、異なる点もある世界だと認識していた。あくまで、過去の自分が存在した世界を基本にしていると。

 だって、そうだろう?

 いったい誰が、ここは『ゲームの中の世界』だ、なんて思うんだ?

 それだったら、今までの常識と少しばかり変わっているだけだと思う方が、まだしも現実的だろう。……転生しているのに現実的も何もないだろ、とツッコんではいけない。そんなもの、俺が何度もしたからな。

 それに、俺が生まれたケントニスという地名にも要因がある。ここが俺の考えた通りの世界だとしたら、ザールブルグじゃないとおかしいと思っていたからだ。

 錬金術を学ぶうちに次々と類似点に気付いたが、それでも俺はそれらを努めて意識しないようにして、ただひたすらに錬金術を学び続けた。

 今思えば、それらは単純に現実を認めたくなかっただけなんだと理解出来る。前世だけでお腹一杯なのに、この上ゲームの世界とかもう勘弁してくれ、そういう意識が俺の中にあったのだろう。我ながら、幼稚な現実逃避だ。

 足掻き続けた挙句、ついに世界の真実を認めざるを得なくなったのは、一人の生徒が入学してきたからだ。

 その日、ドルニエ先生に紹介されたのは、俺と同い年かあるいは少し年下かと思われる年齢の少女だった。

 緊張しているのだろうか? やけに肩に力が入っている。

 彼女が身に付けているのはどこかの民族衣装のような服で――なぜか見覚えがあり――、茶色の頭巾をかぶって焦げ茶色の髪を耳の辺りで二つに束ね――やはり見たことがある――、金色の瞳でこちらを見つめるその視線――これもまた記憶にある――これは既視感? 否、違う。俺は彼女を見たことがある。けれど、それは実際にこうして対面したわけではなく。

 そうだ、彼女は――

 

『はじめまして、リリーです! よろしくお願いします!』

 

 嵐が吹き荒ぶ俺の心中なんてまるで露知らず、アホっぽい微笑みを浮かべて、その少女は元気良く挨拶してきた。

 リリー。彼女は自らの名前を、リリーと名乗った。

 その名前は、俺の前世の記憶の中に存在する名前だ。より厳密に言えば、ゲームの中の登場人物の名前だ。

 ……そう、アトリエシリーズ三作目の主人公。それがリリーという少女の名前だ。

 事ここに至って、ようやく俺は目を背けていた現実を受け入れた。……受け入れるしかなかった。

 ここが『リリーのアトリエ』の世界なのだ、と。

 そして、それを裏付けるように後年、『イングリド』と『ヘルミーナ』の二人が入学してくるのだった。最早、疑いようも無い。

 

 

 

「過ぎてしまえば、あっという間だったな」

 

 イングリドとヘルミーナに出会った人生最良の日は、まるで昨日の事のように鮮明に思い浮かべることが出来る。

 もう、あれから二年も経ったなんてな……月日が経つのは本当に早いものだ。

 ああそうそう、一応視界にはリリーもいたけど、彼女の事はどうでもいい。あいつはもう出会った時には、既に対象外だったしな。年増女には興味なんて皆無だ。有害ですらある。

 

「……っと、やっと着いたか」

 

 目的地に到着し、やれやれと一息つく。

 東の海を遠くに望める小高い丘の上には、彼の残した偉業に相応しからぬ質素な墓が建てられていた。

 墓碑銘にはただ一言、『旅の人』と刻まれるのみ。

 この地に眠る人こそ、今日におけるアカデミーの基礎を築いた偉大なる存在だ。

 明日、この大陸を旅立つ前に、どうしても一度ここへ訪れておきたかったのだ。

 それは、一つの決意として。

 こんな余人には理解不能な世迷言、誰に誓えばいいか、分からなかったしな。

 

「話に付き合わせる代価だ。安物だが受け取ってくれ」

 

 持参した花束を置くと、まるで故人が返答をするかのように強い風が一度吹いた。

 俺は風に乗せるようにして、訥々と彼に語り掛ける。

 

「――旅の人、これから物語が始まるよ。俺は本来、存在しない人間だ。俺がいるだけで、物語は大きく変わってしまうかもしれない」

 

 ここが『リリーのアトリエ』の世界なら、俺は異分子だ。いてはならない存在だ。

 俺がいることによってどんな影響が出るか、誰にも分からない。

 それどころか、既に登場人物に関わってしまっている以上、もしかしたら現時点で物語への影響は少なからず出ているのかもしれない。

 

「本当なら、俺は何もしない方が良いのかもしれない。俺の知る物語を変えてしまう事に抵抗が無いわけじゃない。不安が無いわけじゃない。恐れが無いわけじゃない」

 

 俺が関わる事で、とんでもない事態を引き起こしてしまうかもしれない。

 いや、大小に関わらず、たとえ僅かだとしても変えて良いのだろうかという迷いがある。

 世界の事を考えたら、俺の知る物語の事を考えたら、俺は今すぐ屋敷に引きこもるべきなのかもしれない。そして、それこそが唯一正しい選択なのかもしれない。

 

「もしかしたら、これは誰も望んでいない事なのかもしれない」

 

 世界はあるがまま、俺なんていない方が良かったのかもしれない。

 いや、いない方が良かったんだろう。

 だって、物語はあれで完成していたのだから。

 

「だけど」

 

 そう、だけど。

 

「俺はこの世界に生きているから。この世界で生きていくと決めたから。だから――」

 

 何一つ遠慮なんてせずに。

 

「物語を変えるよ」

 

 ここは、決められた物語の世界ではない。

 ここは、俺の生きている世界なんだ。

 だから、好き勝手にやらせてもらう。

 『リリーのアトリエの世界』ではなく、『リリーのアトリエを基にした世界』なんだ。

 多少、知らない事を知っているだけの、良く似た世界と解釈させてもらう。

 俺は俺のやりたいように、やらせてもらう。

 そう、決めた。

 

「旅の人、あなたが望んだ未来と違うかもしれないけど、それでも良ければ……応援してくれよな?」

 

 願わくは俺だけでなく、あなたにとっても幸福な物語であらん事を。

 最後の別れを告げ、俺は静かにその場を後にした……。

 

「アルトがまた何か怪しいこと言ってる……!」

「ちょっ、イングリド!? なんで、ここにいるのー!!」

 

 その後。

 アカデミーに戻る道すがら、俺は彼女を相手に必死になって弁解するのだった。

 ……物語の開始から、すでに不安になる俺だった。

 

 

 

 

 

 

  ◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 

「終わったぁ……!」

 

 綺麗に片付けられた自室を見渡し、あたしは快哉の声を上げた。

 このまま終わらなかったらどうしよう、と不安だったので、ホッと一安心。これで、例え明日から違う生徒がこの部屋に入居してきたとしても大丈夫だ。

 突然に海外行きの話が決まってから、急遽大慌てで取り掛かった荷物整理。イングリドとヘルミーナといった二人の子ども達の面倒を見ながら進めたせいもあり、結局出発前日の今日まで掛かってしまった。

 本来なら、もっと早く終わると思っていたんだけど……。

 あたしの予想よりも、遥かに多くの物があたしの部屋にはあったらしい。

 でも、それも当然か。

 あたしがこの錬金術アカデミーに入学して、同年代の生徒達と寮生活を送るようになってから、今年で早三年が経過する。入寮当初は背負い袋一つだった手荷物も、今では両手で抱え切れないほどに膨れ上がっていのだから。

 部屋を引き払うためには、持って行く荷物以外を全部処分しなければならない。いらない物や使わなくなった物、現地で購入出来そうな物などを、焼却炉に捨てたり、購買に売ったり、学院唯一の親友にあげたり、あちこちを駆け回って片付けた。これはあの時に使ったな、これはこんなことがあったな、なんて懐かしみながらの整理だ。

 最初はあれほど殺風景に感じていた自室にも、今やすっかり愛着感がわいてしまっていた。

 おそらく、もう二度とこの部屋に戻ってくることはないだろう。もしかしたらアカデミーにだって、戻ってくることはないかもしれない。

 そう思うと、ちょっとだけ物悲しい気持ちになってしまう。

 アカデミーで過ごした三年間、本当に色々な出来事があった。思い出はこの部屋だけでなく、アカデミー中に残っている。

 例えば、部屋から覗ける噴水のある広場。日の当たるベンチでは、親友と良くお昼を食べた。

 例えば、研究塔の実験室。何度も失敗しながら、成功するまで実験を繰り返した。

 例えば、南の訓練場。泥まみれになりながら、必死で魔法を身に付けた。

 数え上げれば、キリがない。

 良い思い出だけではなく、嫌な思い出だってたくさんある。

 でも、それだって大切な思い出だ。忘れられない過去だ。

 明日からは、ここを離れて遠い地での生活となる。

 元老院の偉い人達の決定で、あたし達は海の向こうへ行くこととなった。

 数年越しとなる壮大な計画だ。

 責任ある一員にあたしが入っているという事実に、最初はちょっと怖気づいたりもした。あたしなんかにそんな大役が勤まるのかな、と。

 でも、もうそんな不安は欠片もない。昨夜なんてわざわざお別れ会と称して、親友と夜通し語り合って元気付けてもらったしね。……いらん激励も、もらったりしたけど。

 彼女と手紙でやり取りする約束をしたけど、それでもどこか寂しいと感じてしまうのは、あたしの我が侭だろうか。今後は故郷へ里帰りしたいといっても、ほぼ不可能な環境になるし。

 ……って、そんな風に考えていてはダメよね。

 弱気になりそうな自分に活を入れ、新天地での生活を想像して己を奮い立たせる。

 アカデミーに入学した時も驚きの連続だったけれど、きっとそれ以上の物が向こうでは待っているに違いない。何せ、国そのものが違うのだから。

 

「これで足りてるかなぁ……。もうちょっと、服とか持っていった方がいいかも?」

 

 旅行用鞄を前に、むむむと唸り声を上げる。

 厳選に厳選を重ね、持って行く物を減らしはしたけど、それでも少なくない荷物となってしまった。けれど、異郷での生活を思うとこれでも足りないくらいだ。何があるか分からないし。

 でも、あまり多くの物を持って行くとなると、大嫌いな兄弟子から嫌味を言われかねない。

 持って行く物は厳選しろと言っただろ、と顔を歪めるあいつの姿が目に浮かぶ。

 これが口だけで自分は何もしていないやつだったら、あたしだって反撃してやる。

 でも、彼はあたし以上に大忙しなのだ。

 渡航するための船舶の手配と諸所への連絡、必要となる食べ物や道具の調達、掛かる日程の計算と調整、アカデミーでの後任への引き継ぎなどなど。あたしが考え付かないような細々とした面倒事を一手に引き受け、それらを全て完璧に解決してみせる彼の手腕は並大抵ではない。少なくとも、あたしだったら絶対無理。自分とあの子達の分だけでも、手一杯なのに。

 だけど、だ。

 だけど、あたしにはあいつを素直に賞賛することが出来なかった。

 

「あいつと出会ってから、三年も経つのよね」

 

 月日が経つのは早いものだ。本当に、そう思う。

 あたしが彼と出会ってから今までに過ごしてきた期間は、そのまま、あたしがアカデミーで過ごしてきた期間と同じになる。

 あたしの生まれ育った村は、ケントニスから遠く離れた片田舎にある。秋の季節になると、見事に実った麦穂が黄金色に光る景色が見られる、そんな場所だ。

 あたしは錬金術を学ぶために、故郷を離れて身一つでアカデミーへと入学した。

 入学初日。あたしは師となるドルニエ先生から、一人の男性を紹介された。

 慣れない環境に、早くも余裕を無くしつつあるあたし。せめて、挨拶だけでもしっかりしようと、笑顔で彼に自己紹介をした。

 

『はじめまして、リリー。僕の名前はアルト。こちらこそ、これからよろしく』

 

 そんなあたしの緊張を解きほぐすかのように、柔らかく微笑み掛ける優しい雰囲気の男性。

 まるで御伽噺に夢見た王子様のような印象を受ける人。

 それが彼、アルトだった。

 

 ――今思えば、詐欺以外の何物でもない。

 

 アルトは、アカデミー創設以来の尋常ならざる神童だった。

 まず、入学時点で他人とは違っていた。

 入学試験を受けたのは、彼がまだ六歳の時だ。受験者の平均年齢が十代半ばであることを考えれば、その異常性が際立つ。しかも、満点で通過するなんて偉業を達成したのだから、アカデミー中が大騒ぎになるのも当然だ。

 その後も、彼はその非凡な才能を遺憾なく発揮し続けた。

 入学するや否や、瞬く間に基礎過程を学び終え、僅か二年でアカデミーを卒業。マイスター・ランクに進学して上級過程を学び終えるのにも、二年しか必要としなかった。もちろん、本来必要となる時間を大幅に短縮した、異例の処置だ。一介の学生の時点で、既に新しい調合品をいくつも生み出していたというから、飛び級が行われるのも当然だった。

 そして彼は若干十歳という前代未聞の若さで、一人の錬金術士として大成したのだ。

 眉唾物の噂として、王様直々に依頼を賜ったとか、他国の戦争を終結に導いたとか、一夜にして巨万の富を築いたとか、様々な事が実しやかに囁かれている。実際にそれが真実だったとしても、彼だったらありえる、と納得してしまえる辺り、彼という存在を証明している。

 もっとも、当の本人は周囲とは違う考えらしく、「自分がやりたい事だけを学び続ければ、誰にでも出来る事だ」と言って憚らない。「自分が一流の錬金術士だと自負はしているが、決して天才なんかではない」と、呆れながら苦笑するのだ。

 その言葉の内容からも察せられるように、彼は自身の才能を全く自覚していない。周囲からは謙虚な人だと思われているが、実際には無自覚なだけだ。

 幼い頃に勉学のみを継続する事は無論、それを理解出切るかどうかは別問題だし、たった四年で錬金術士になる事も、新たな調合に成功する事も、普通の人間では成し遂げられないというのに。

 歴代最年少の錬金術士となった彼の進路は、誰もが耳を疑うものだった。アカデミーの講師として、あるいは宮廷魔術師として、他にも様々な有望な道があったというのに、それらの栄光をあっさり捨てて選んだのは――

 ドルニエ先生の片腕となる、ただの助手としての立場だった。

 彼の類稀なる才能を諦めきれない人達からは、今も尚、しつこく誘われているようで、以前に辟易とした表情で愚痴られたのを覚えている。才能をドブに捨てるようなものだ、と口さがないセリフを言った人とは、金輪際二度と会話するものか、と息巻いてもいた。

 当時、アルトは錬金術士の模範として、アカデミー中で称えられていた。自らの才能に驕る事無く、常に新しい知識を求め、真摯な態度で技術を研鑽する様を見習うようにと。

 錬金術士としてだけでなく、気になる異性としても、女生徒からは絶大な人気があった。

 優しくて、頭が良くて、カッコ良くて、実家は貴族のお金持ちで――性格、知性、容姿、家柄といった、年頃の女の子が気になる要素を全て兼ね備えているのだから、彼女達が夢中になるのも頷ける。……だからといって、彼に一番近しい立場で接していた(と周囲には見えていたらしい)あたしが、色々と陰湿なイジメを受けたりしたのは納得できないけど。

 右も左も分からない新入生だったあたしに、彼は随分と親身になって世話を焼いてくれた。それは、ドルニエ先生に師事する同じ立場としての義理や義務だけでは到底足りないくらいにだ。

 アカデミーでの勉学だけでなく、私生活における暮らしといった様々な面でも、数多くの事を彼に助けられた。どうしてこんなに優しくしてくれるのかといえば、やっぱり彼の人柄のせいなのだろう――そんな能天気な勘違いをしてしまうほどに、あたしは他の人達と同様に騙されてしまっていたのだ。

 実際、あたしも彼の本性を知らないままでいたら今頃どうなっていたか分からな……いやいや、それはない。ないわね。さすがにそれはなかったと思いたい。だって、あんなやつを好きになるとかありえない。うん、ありえないな。ないない。

 

 そう、誰もが憧れてやまない人物は――変態だったのだ。

 

 それも生半可なものではなく、年端もいかない女の子相手に興奮するような極めて異常な真性のド変態だ。

 遡る事二年前、その真実が発覚するに当たって大騒動があったのだけど、今や彼に対する評価はアカデミー中でもほぼ統一されている。

 天才だけど変人。あるいは変人だけど天才。

 そんな評価に落ち着いている。実績がある以上、天才なのは疑いようのない事実だからだ。それでも未だに女生徒から異性としての人気が高いというのは、納得がいかない。どうして、あんな変態相手にそういう感情を持てるのかと。

 まあでも、完璧な人間なんているわけないし、その性癖に目をつぶれば十分過ぎるほどの高物件だから、彼女達の考えも分からないでもない。実際、彼の性癖が明らかになる以前も以降も、彼は女生徒だけでなく全ての人達に対して優しいから。その人気に、陰りは無いのだ。

 ……けれど、優しさの理由が『自分にとってどうでもいい相手だから、人間関係を円滑に進めるために平等に優しく接している』からだと知っているあたしは、呆れて物も言えない。いったい何匹の猫を被れば、そこまで完璧に好人物を演じられるのかしら?

 皮肉な事に、彼の変人たる理由故にアカデミーで彼の被害にあった女生徒は誰もいない。唯一被害を受けそうな二人に関しては、あたしが責任を持って保護しているし、二人にもしっかりと言い聞かせているから問題ない。危ない時には、あたしが実力行使で止めることもあるしね。

 そのせいもあってか事件以降、あたしと彼の関係は正反対なものになった。

 今まで築き上げた関係なんて幻想だったとばかりに木っ端微塵に打ち砕き、毎日のように言い合いするような険悪な関係に一変した。

 変態という真実を知り、今までの態度が演技だと知った以上、あたしの彼に対する態度が豹変するのは当然だし、彼のあたしに対する態度も変わったのでお互い様だ。

 でも不思議な事に、ドルニエ先生は彼の性癖に対して何も苦言を呈さない。アルトが二人を害する行為に出ないと信頼しているようだ。それは、いくら御目付け役であるあたしがいるとはいえ、二人を彼の近くに置いてアカデミーで過ごしてきた日々からしてもそうだし、今回の海外行きからしてもそうだ。ドルニエ先生が認めている以上、あたしが文句を言っても仕方ないとは思うけど……でもあたしとしては、あの子達が行く以上、彼を一緒に連れて行くのは感情的にはあまり気乗りしない。何か間違いが起こってからでは遅いのだから。

 彼が無理矢理、彼女達相手にそういう行為に及ぶようなタイプの人間ではないとあたしも思っている。でも普段の言動を鑑みるに、とても信用なんて出来ない。あたしの前で隠そうともせずに、おかしな事ばかりしでかすのだから。何かの拍子に、間違いを犯してもおかしくはない。

 だって、彼の目下の研究対象である『不老薬』にしたところで、『小さい子が大きくなるなんてとんでもない』とか平気な顔でのたまっているのだ。そんな人間を相手に信用なんて出来るわけがない。信頼にしたって、その性癖が関知しない場合に限ってだ。あの変態は陰で何を企んでいるか分からないのだから。

 あたしが、あの子達をアルトの魔の手から守ってあげなくては!

 そう意気込み新たに決意する。

 ――と、ドアをノックする音が聞こえた。

 

「はーい、どうぞ」

「失礼します」

 

 訪問者はイングリドだった。あたしが守ると決意した二人の女の子、その一人だ。

 まだ二人とも十歳だというのにその才能は目を見張るもので、平凡なあたしとは比べようも無い。今はまだアカデミーで学んだ年数の差で、あたしの方が錬金術士としての技量は上だけど、数年後にどうなっているかは分からない。今でこそあたしが教える立場だけど、あっという間にあたしが教えられる側に回ってもおかしくはないのだ。

 彼女達に見損なわれないためにも、あたしは錬金術士として日々学び続けなければならない。アルトといい彼女達といい、周囲の才能に嫉妬する面が微塵も無いとは言い切れないけど、それ以前に、あたしを先生と慕ってくれるこの子達の前で、みっともない姿は見せたくないしね。

 

「リリー先生、アルトを呼んできました」

「ありがと」

 

 あたしがアルトのことに対して色々と彼女に言い含めたせいか、イングリドは彼の事を粗雑に呼び捨てにしている。

 それは彼の立場を思えば色々と問題のある行為なのかもしれないが、彼自身気にしていないし、あたしも気にしない事にしている。幸い、ドルニエ先生も特に何も言わないしね。

 イングリドにはさっき、荷運びを手伝わせようとアルトを呼びに行ってもらっていた。

 あたしとイングリドとヘルミーナ、三人分の荷物だ。男手がなければ運べないような重い物(調合に使うための大鍋とか、向こうで買えるかどうか分からないしね)もあるので、変態といえど労働力として使えるものは使うべきだろう。

 

「……で、そのアルトはどこに?」

 

 その肝心の彼の姿が見えないようだけど。

 そう思って尋ねると、イングリドはきょとんと目を丸くした。

 

「先に、ヘルミーナの部屋に荷物を受け取りに行きましたけど?」

「なっ!?」

 

 へ、ヘルミーナの部屋に男一人で行った!?

 予想外の返答に、唖然とする。

 アカデミーの寮は、男子寮と女子寮に分かれている。これは風紀の面から見ても当然といえる処置だ。

 その女子寮に堂々とあいつが入れる理由があり、しかもヘルミーナと密室で二人っきりになれる状況。

 そんな絶好の機会に、彼が大人しく荷物を受け取るだけで済ますとは思えない。

 急いで駆けつけなくては、と愛用の鉄製の杖を引っつかんで部屋を飛び出す。後ろから慌てた様子でついてくるイングリドを引きつれ、ヘルミーナの部屋目指して突っ走る。

 廊下は走ったらいけない? そんなの緊急事態に言ってられないわ!

 ヘルミーナの部屋がある方向から、かすかに二人の声が漏れてくる。

 

「ふぉぉおお……ご、ごくり。ここがヘルミーナの部屋か。このどこからともなく香る甘い匂いがヘルミーナの香りか……くんかくんかっ!」

「ふふっ、アルト先生ってばまた変な事言ってるー」

 

 すでに手遅れ!?

 ああもう、やっぱり二人には危機感という物が足りない! 変態と部屋で二人きりになるなんて、飢えた狼の前に生肉を置くようなものよ!

 特にヘルミーナはアルトの事をなぜだか気に入っているようで、警戒心がほとんどない。イングリドにしてみても、警戒はしても根本で甘い部分がある。女の子としての意識がまだまだ足りていないのだ。普通は彼女達くらいの年齢でそういう意識を持つ方がちょっと難しいから、それは仕方ない。彼女達にそういう警戒をさせなくてはいけないアルトが異常なのだ。

 これから先の事を考えると暗澹たる思いはあるものの、それをなんとかしてこそ年長者足り得るだろう。ただでさえ、才能という部分で二人の子供達には大きく後れを取っているのだから。こういう面でくらい、しっかりと二人を支えてあげなくては!

 

「ち、ちなみにヘルミーナ。この箱には何が入ってるのかな?」

「んー、たしか服とか? 着る物が入ってる箱かなぁ」

「つ、つつつつまりヘルミーナの下着もこの中に! 中に! ね、念のため開けて中身を確認した方が良くないかな? いっ、いや別におかしな事を考えてるわけじゃないよ! ちょっとほら、そう、調合材料が何かの間違いで入っていたりしたら、それが腐って下着が大変な事になったりするかもしれないからねっ! ねっ!」

「うーん、そんなの入ってないと思うけど……アルト先生がそう言うなら、確認した方がいいのかなぁ?」

 

 よくなーい!!

 やっぱり、この男は信頼なんて出来ない!

 あたしは息を整える時間も惜しんで、走る勢いのままドアを一気に開け放った。

 今まさに、箱の蓋を開けようとしていたアルトの姿が目に入る。

 

「ア~ル~トォ~ッ!?」

「リ、リリー!? ちょ、ちょっ、待てよ! 落ち着けって!」

「あんたはまた、何をしようとしてんのよッ!?」

 

 怯えるように後退る変態を逃がさないよう、ゆっくりと一歩ずつ壁際に追い詰めていく。右手に握り締めた杖がピシッという音を立てた気がするけど、きっと気のせい。鉄で作られた杖が、そんなに脆いわけがないわよね……?

 

「ご、誤解だ! 俺は何も怪しい事なんてしていない!」

「あ、リリー先生。アルト先生は、あたしの下着を確認しようとしてくれただけですよ?」

「ちょっ、ヘルミーナぁ!? フォローになってない!」

「……アルト、短い付き合いだったわね」

「なぜに過去形!? いや待て! 待ってくれ、未遂だ! まだ何もしてないぞ!?」

「まだって事は、そういう意図があったってわけよね?」

「しまった! つい本音がポロッとぉ!?」

 

 見っとも無く言い訳するアルトの鼻っ柱に、杖の切っ先を突きつける。

 訓練通りに精神を集中し、怒りの赴くままに力を貯めて魔力を操作する。

 杖の先端に力が集まっていくのを間近に見たアルトが、慌てふためいて顔を青ざめさせる。

 

「ま、待て! さすがに、この近距離でそれはちょっとシャレに――」

「問・答・無・用!!」

「ぎゃぁぁぁぁぁああああああああああああッッ!!」




 誤字脱字等は気付き次第、修正。
 頂いた感想には、全て目を通しています。一言だけでも十二分に執筆の励みとなりますので、読んで頂けた際に良ければお願いします。

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