インフィニット・ストラトス Re:Dead《完結》   作:ひわたり

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シャルロットは頭を抑えながら立ち上がった。
「此処は……?」
そこは山の中だった。
太陽の光が降り注ぎ、緑を明るく照らし出す。風が吹けば葉の擦れる音が辺りを奏でる。
「いったい……?」
見知らぬ土地に困惑するシャルロットに、後ろから一つの影が歩み寄った。
「シャルロットか」
「マドカ……?」
「此処に見覚えは?」
「ないよ」
ならば巻き込まれただけかと、マドカは呟いた。
「此処が精神世界という所だろう。見ろ」
マドカが木に手で触れようとしたが、その手は幹に触れることなくすり抜けた。
「匂いも暑さもない。向こうも何もない空間が広がっていた」
「誰かの記憶ってこと?」
「というよりは、織斑家の記憶だろうな」
あの直前、一夏と千冬、そして束が居た。既に此処にはシャルルであり、織斑永時という存在だった魂がある。
一番強い記憶の場所が此処を表したのだと推測出来た。
「私達が巻き込まれたのは?」
「束に操られない為にISの式を書き換えた。恐らく、その時にシャルル自身の魂の式を加えていたんだろう」
「そのISを使用していた私達も此処にきた、ということね」
視線を上げる。
木々の向こうにある、ひとつの建物。
「病院……」
かつて、永時と空が暮らしていた病院が、そこにあった。





愛しい人

束は固まっていた。

固まって、動けない。

先程までの気迫も、殺意も、覚悟も、その全てを無くして、呆然とそこに立っていた。

精神世界に入ることは何ともないと思っていた。実際、通常の精神世界なら、別に何も問題はなかったのだろう。

だが、これはただの空間ではない。

複数の人間が集まったことで発生した異空間。

かつてあった現実での記憶。

大切だった場所。

暮らしていた、その病院が、目の前にある。

「ぁ…………」

束は一歩下がった。

下がろうとして、誰かに掴まれた。

「何処へ行く」

千冬が彼女の腕を掴んでいた。彼女が逃げられないようにしっかり掴む。千冬の後ろにいた一夏は混乱しながら尋ねた。

「千冬姉、ここって、精神世界だよな?なのに、何でこんな……」

「そんなの私にも分からんさ。ただ、此処は……」

千冬は病院を見上げた。

眩しそうに、懐かしそうに、目を細める。

「お前が産まれ、私が産まれた場所。そして」

織斑千冬は篠ノ之束を見た。

「織斑永時と織斑空が暮らしていた場所だ」

束はゆるゆると首を振った。

「……ちーちゃん、手を離して」

「何故だ。此処から脱出するには、どの道、この世界を作り上げている『彼』に会う必要がある。逃げる意味はない」

「嫌だ」

束は千冬から離れようとした。だが、千冬の掴む力は強く、束の逃げようとする力はあまりにも弱々しい。

「彼に会うことに抵抗はない。嫌われても良い。恨まれても良いよ。でも、駄目だ」

此処だけは。

この場所だけは。

「永時が死んだ場所に行くことだけは…………!」

死んだ。

死んでしまった。

永時が。

認めたくない。

受け入れられない。

その事実を、今、自分で、口にして。

「嫌だ……!嫌だ!!」

子供のようにその場に蹲り、頭を振る。震える声で、泣き叫びそうな悲痛な声で否定する。

篠ノ之束としてあった物が崩れて行く。

篠ノ之束という創り上げた虚像が崩壊して行く。

必死で保っていたものが音を立てて壊れていった。

「嫌だ、嫌だ、嫌だ……!」

「お前は、そうやって……!」

千冬は怒りの表情を見せながら、彼女を掴んで逃がさない。

状況について行けない一夏は、どうするべきかと悩んで

「…………っ」

ふと、視線を感じた。

病院の入口に誰かいる。

「…………」

そこにいるのは誰なのか、一夏は完全に見えない。白衣を着た誰かというのだけは分かって。

それは現れた時のように、瞬きと同時に、既にそこに居なかったように消えた。

「あ…………」

何だと思った時、車の音が聞こえた。

車。こんな所に、精神世界に車など走るはずもない。ならば、この音は何なのか。

「何だ?」

山道の向こう、黒塗りの車が数台登ってくる。病院の前に止まったかと思うと、スーツの男達が中から出てきた。

一夏達をすり抜けて病院の中へ入っていく。

黒光りする銃を抱えて入っていく。

「あ……!ああ……!」

束が震え、千冬が目を見開く。

「まさか、これは……」

あの時の、永時が死んだ時の。

「嫌ッ!!」

束は千冬を突き飛ばし、散々拒んでいた病院内へ駆け込んだ。突き飛ばされた千冬は直ぐに立ち上がり、小さく舌打ちをする。

「……ちっ!束!」

千冬も病院へ走って行った。

一夏は立ったまま、足を動かさない。足を動かさずに、集まっていく靄のような物を見ていた。

「……父、さん?」

朧気なそれは、少しだけ笑っていた。

それは喋ることなく、一夏の胸に向かって、小さく小指を立てた。

家族を頼んだ。

そう、言われた気がして。

「…………ッ」

彼はもう助けられないのだと、理解してしまった。

死者らしく、話す事も出来なければ、触れる事もできない。どうしようもない事実だけが、目の前にある。

「……ああ、父さん」

一夏は触れられない小指に自らの小指を絡めた。

「後は、任せてくれ」

 

 

 

病院へ進んで行ったシャルロットとマドカは庭の方へ出た。

「入口はあっちかな?」

「どうせ触れないんだから律儀にドアから入る必要もないだろう」

話しながら歩いていると、庭のベンチに誰か座っているのが見えた。

「……シャルル?」

彼がそこに座っていた。

「シャルル、お前……」

マドカが何か言おうとした時、シャルロットが手で制した。

「……貴方は、誰ですか?」

シャルロットの質問に『彼』は顔を上げた。

「やぁ、シャルロット」

暢気に挨拶をして、ゆっくりと立ち上がる。

「僕は『僕』だ。彼であり『彼』でない」

シャルルであり、織斑永時であったモノ。

「……既に、シャルルと織斑永時は同じ存在になってしまったのですか?」

もう、シャルルは戻らないのだろうかと、そう尋ねて。

「さあ、どうかな」

そう言って『彼』は少しだけ笑った。どこか寂しそうで、悲しそうな笑みだった。

「少なくとも『彼』は空を愛している」

そして

「『僕』は君を愛している」

同じ存在でありながら、全く別の存在を愛していた。愛して、それが唯一のモノで。

それだけが、決定的に異なっていた。

だからこそ『彼』と『彼』はまだ別の存在で在り続けられている。

『シャルル』で居られることが出来た。

「シャルル……」

「君を想う気持ちが『シャルル』という存在を確立させている」

だが、長くは保たない。

「行こうか。全ての結末を見る為に」

彼女達の選択を見る為に。

「見守ることが『僕達』の使命だ」

歩き出す『彼』の後をシャルロットとマドカは付いて行く。

「シャルル」

マドカがその背中へ話し掛ける。

「この世界が終わった後に、永時が死ぬと仮定しての話だ」

「…………」

「その時、お前は、お前でいられるのか?」

もう二度と目覚めないのではないか。

永時でもなく、シャルルでもない、別人となってしまうのではないか。

マドカはそう問い掛けて、その質問に『彼』は素直に答えた。

「どうなるかは分からない」

足を止めて振り返る。

「もう手遅れかもしれないし、まだ希望はあるかもしれない」

誰も、それは分からない。

「ねぇ、シャルル」

シャルロットは顔を上げて『彼』の顔を真っ直ぐに見た。

「もし、貴方がシャルルであれたのなら」

もう一度。

「さっきの言葉を、聞かせて欲しい」

本当のシャルルとして。

その言葉を。

「うん、良いよ。シャルロット」

約束だと、小指を立てる。

シャルロットも指を立て、二人は指切りをした。

 

 

 

束は走った。

走って走って走って。

どうしたいかなど考えていない。聡明な彼女はその思考を止めている。だが、頭の隅で理性が囁いていた。

これは単なる記録だと。

止められるモノでもないし、見る必要もない。

サッサと現実世界へ戻って、魂の移し替えをやるべきだと。

「永時……!」

それでも彼女の足は止まらない。

例え記録であろうとも。過去を変えられないと分かっていても。

彼の死だけは、止めたかった。

それだけ。

ただ、それだけで、今までやってきた。

やってきてしまった。

止まれなかった。

止まれず、此処まで来てしまった。

来てしまったのに。

「私は……!」

階段を降り切った。

そこは火の海が広がっていた。

機材が溶け、炎の渦が巻き起こり、人だったモノが燃えている。

そして、その向こうに、彼が居た。

左目を失い、左腕を喪失し、ボロボロの体で機材に体を預けて座っている。

 

織斑永時が、そこにいる。

 

彼女の足が止まった。

篠ノ之束の、織斑空の足が止まった。

そこから進めない。一歩も進めない。

まだ、彼女はそこから一歩も進めていない。

「…………」

千冬も階段を降りた。

降りて、何も言えず、静かに彼女の後ろに立った。

「……そうか」

小さく言葉を紡いだ。

「とーさんは、こんな風に死んだのか」

「死んでない」

それを否定する。

「まだ、死んでない」

まだ助けられる。

まだ生き返らせられる。

そう信じて此処まで来た。

「まだ……」

彼女の肩に、誰かが手を乗せた。

振り向けば、そこには一夏がいた。

「もう、良いだろう……」

一夏が静かに言葉を投げ掛ける。

「いっくん……」

「俺は、今生きてる人達を助けたかった。全てを救う理想は、多分無理だと分かってるけど、そこに少しでも近付けられればと思ってた」

そうやって戦ってきた。

「でも、父さんは、死んだんだ」

その体も、魂も。

死んだらそれまでで。

それは酷く当たり前のことで。

「俺逹は……それを受け入れなきゃいけないんだ」

「私は……」

一夏は彼女の両肩を掴んだ。

「母さん」

一夏の言葉にビクリと肩が跳ねた。それに構わず、一夏は話す。己の母親に語り掛ける。

「俺逹を見てくれ。家族を見てくれ。生きてる人を見てくれ」

今は亡き死者ではなく、今この世界を生きる者を。

「貴方は、まだ、生きてるんだ」

死者に縋りつくのでは、誰も報われはしない。

生きている人も。

ましてや死んだ人さえ。

ずっと、それに縛られ続けてしまうから。

「…………私、は」

彼女は後ろへと下がった。下がって、一夏の手から離れて。揺れる瞳は一夏と千冬を見ている。自分の子供逹を見ていた。

「………………」

カチリと、音が聞こえた。

永時が動き出した。

銃を構えて、自分の額へ押し付ける。

「……駄目!永時!!」

彼女は駆け出した。炎を突っ切り、倒れる様に永時に滑り込む。ドレスの様な服が破け、膝が擦り剥けた。

そんなことは一切気に掛けず、永時の腕を掴んだ。

掴もうとして、すり抜ける。

無様に地面へぶつかったが、すぐに起き上がり、銃を取ろうと必死でもがいた。

何度も何度も掴もうと必死になった。

しかし、それは無意味な行為でしかなく、銃口は永時の脳へ向かった。

「死なないで!死んじゃ駄目!!」

永時は静かな目をしていた。

何も写さずに、何も感じずに、何の反応も示さずに、そこに居る。

「死なないで……」

彼女は永時の側で、地面に頭を押し付けた。

「死なないでよ…………」

お願いだから。

それが叶わぬ願いと知っていても。

それを願わずにはいられない。

「生きてる……生き返らせる……」

魂がまだあるのなら。それが可能なら。

織斑空は、篠ノ之束は、何度でもその道を選ぶだろう。何を犠牲にしてもその方法を取るだろう。

「貴方のいない世界なんていらない」

貴方さえいればそれで良かった。

永時がいれば、それで幸せだった。

「永時が生きていれば良い」

その為に生き続けたから。

魂の移し替えも、その為に受け入れた。

永時と暮らしていく為に。

生きていく為に。

それだけの為に。

「私は……貴方を生き返らせる!」

顔を上げて、彼女は吠えた。

「怒られても、理解されなくても、蔑まれても構わない!怨まれても良い!殺されても良い!だから!!」

涙を必死で耐えて、自らの決断を。

願いを。

想いを。

伝えて。

「だから、私は……!!」

永時は顔を上げた。

引鉄を指に掛けて、笑う。

あの日と同じ様に。

愛しい人に、微笑んだ。

 

『許すよ』

 

引鉄が引かれ、世界が壊れた。

砕けた破片が雪の様に舞い散って行く。

彼女は呆然とその光景を見ていた。

消えて行った永時の姿を幻視していた。

「なに……それ……」

無意識に言葉が落ちる。

最後に、永時は許すと、そう言って。

空は永時の事を深く知っていた。

そして、それ以上に、永時は空の事を良く知っていた。

自分が死ねば彼女がどう動いてしまうのか、その全てを理解していた。

自分を生き返らす為に必死になってしまうことも。

自分を偽ってしまうことも。

夢を穢してしまうことも。

家族すら利用してしまうことも。

全て犠牲にしてしまうことも。

ごめんなさい。

ごめんなさい。

ごめんなさい。

人知れず何度謝ったことだろう。

壊れそうな心を誤魔化し続けて、偽り続けた。

嘆きを飲み込み、悲しみを切り裂いて、怒りを殺して。

自分の中にある全てを壊して。

 

許されないことだと知っていた。

 

そんなことはずっと前から知っていた。

 

許されなくて良かった。

 

それが彼女にとっての救いだった。

 

誰よりも、何よりも、自分を許さなかったのは自分自身なのだから。

 

そう、だから。

 

『許すよ』

 

罪も。

 

謝罪も。

 

生き方も。

 

君の全てを、僕だけは許そう。

 

過去の過ちも、未来の出来事も、僕は全てを受け入れよう。

 

それが君の罪の証。

 

ねぇ、空。

 

君は救われたかな。

 

これで君は救われるのかな。

 

ねぇ、空。笑ってくれ。

 

僕は君の笑顔が好きだから。

 

だから、笑ってくれ。

 

笑って生きてくれ。

 

君の側にいる大切な人達と共に。

 

ねぇ、空。

 

笑って。

 

 

 

世界は戻る。

開いた視界に、髪の長い少女が居た。

「姉さん……!」

箒に膝枕され、束は寝かされていた。

寝かされたまま視界を動かす。クロエは楯無に捕らえられているのが確認出来て、動けない事をもどかしそうにしていた。永時の肉体も無事なようだ。

一夏と千冬はセシリアとラウラが様子を見ており、同時に二人が起き上がるのを視界で確認した。

シャルルとシャルロット、そしてマドカには、簪と鈴が側についていた。

「…………」

シャルルの横に、永時の脳がある。

「姉さん……?」

束は箒を押し退けて、静かに立ち上がった。フラフラとした足取りで脳のある場所へ歩いて行く。

「……っ」

千冬が頭を抑えながら目を開くと、束が横切っていくのが見えた。

声を掛けようとして、彼女の顔を見て、口は止まった。

一夏は歩いて行く束の背中を見た。今にも崩れ落ちそうな、頼りない背中を見る。

「…………」

シャルロットとマドカが起き上がる。シャルロットは大丈夫かと尋ねてくる簪に、平気だと答えて、シャルルを抱いた。

微かな鼓動が聞こえる。

その事に、少しだけ安堵した。

「…………」

ふと、影が落ちる。

篠ノ之束がそこにいた。

「…………」

マドカは構えたが、シャルロットは静かに束を見つめ返した。

束はシャルルを、二人をジッと見つめた後、脳へと足を向ける。

織斑永時の脳。

長年追い求めた物を、束は手にした。

「永時」

束は兎耳を外し、カプセルへ押し当てた。

兎耳の中の機械が解析を始める。

そのカプセルのシステムを完全に解明し。

「私は……」

そして、彼女は。

 

織斑空は、カプセルに一つの亀裂を入れた。

 

脳を生かす為に必要な培養液が流れ落ちて行く。

織斑永時の脳が死んで行く。

「ねぇ、永時」

空はそれを抱き締めた。

強く強く抱きしめて。

震える手で、大切に、抱き締めた。

「私は、笑えてるかな……?」

泣きながら、空は笑った。

笑って、泣いた。

涙が零れ落ちる。

カプセルを濡らし、培養液と混じって地面へと落ちて行く。

「ねぇ…………」

膝をついて泣き続けた。

零れ落ちる涙を拭こうともせずに、死に行く彼を抱き続けた。

最後のその時まで、愛おしそうに抱いた。

「好きだよ、永時」

誰よりも。

何よりも。

この世の全てより。

「……大好き」

だから、死なせたくなかった。

貴方と一緒に死んでも良かった。

生きていて欲しかった。

一緒にいて欲しかった。

それだけで良かった。

それだけで良かったのに。

 

それだけだったのに。

 

ねぇ、永時。

 

 

「愛してる」

 

 

私の最も愛しい人。

 

 

そして、織斑空は。

 

 

織斑永時を死なせた。

 

 




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