インフィニット・ストラトス Re:Dead《完結》 作:ひわたり
千冬は静かに目を見開いた。
「一夏。これがお前の聞きたかった真実だ」
長い話を聞き終えた一夏とシャルロット。その胸の内は様々な感情が入り乱れ、未だ整理はつかない。
「そして、お前の言葉で一つの仮説が有力を持った」
「え?」
「雪羅の中で見たという女性二人。白い少女とは織斑空で、もう一人は私で間違いないだろう」
魂の欠片か。
或いは残滓か。
それとも、ただの残ったデータか。
雪羅の中にあるコアに、永時と空が作ったコアに、彼女達が居たことに間違いはない。
「シャルルはとーさんの魂をベースとしたが、それは欠けていたのか、壊れていたのか、死んでいたのか。どれにせよ不完全で、私達の残ったモノと混ざり合い、彼が生まれた」
結果、それは永時ではなく、全く別の人間が生まれた。
シャルルという、一人の少年が生まれたのだ。
「じゃあ、シャルルさんは、俺達の父親で……でも、そうじゃなくて……」
「シャルルが記憶を見たのは、魂に残った欠片のようなものだろう。移し替えに失敗しているのだから、シャルルにとーさんの記憶がある筈もない」
「シャルルが生まれた理由は分かりました」
それまで黙っていたシャルロットが静かに口を開く。
「貴方達の理由も、篠ノ之束の理由も、亡国機業のことも、理解しました。その上で聞きます」
シャルロットは膝の上で拳を握り締めた。強い力で握り締められた手は、赤を通り越して白く染まる。
「貴方達はシャルルをどうするおつもりですか」
シャルロットの鋭い瞳を、千冬と十蔵は真正面から受け取った。シャルロットの反応に困惑したのは一夏の方だ。
「シャルロット?何でそんな……」
まるで、攻撃するかのような。
シャルロットは千冬達を睨みつけたまま淡々と言った。
「一夏。私はシャルルの家族だ。シャルルを好きだし、愛している」
だからこそ、可能性を見逃せない。
「貴方達はシャルルを殺すつもりですか」
返答によっては。
例え、今ここで戦うことになろうとも。
「束はそうだろうな。だが、私達は違う。正確に言えば、私は違う」
対して、千冬はアッサリと返した。
「とーさんはあの時、死を選択した。仮に脳に欠けた魂があり、シャルルの中にある魂と組み合わせて生き長らえるとしても、私はその選択を選ばない」
永時は確かに死の選択をした。
生きる選択は捨てた。
死ぬ時には死を。
その当然の帰結を彼は求めた。
「だから、脳を見つけたら」
脳を。
永時を。
まだ死に切れていない彼を見つけたら。
「私がとーさんを殺す」
彼に死を返す為に。
それが、あの時から生きてしまった贖罪。
その為に、織斑千冬は動いている。
娘として、父親を殺す為に。
「殺すって……!」
焦る一夏を千冬は静かに見据えた。
「とーさんは元々死んでいる。死んでいなければならない状態だ。死んでる者が死ぬだけだ」
シャルルを生かし。
永時を死なす。
「シャルルに何かするつもりはない。だが、脳を探し出し回収するまでは束とは同じ目的だ。何より、束の方が見つけられる可能性が高い」
見つけ出し回収後は、束との戦争になるだろう。
「だから、私と手を組め、シャルロット・デュノア」
シャルルを救う為に、死なせない為に、この手を取れ。
「織斑永時を殺すことに協力しろ」
▽
「織斑永時を生きさせることが私の目的」
それが目的。
それが唯一の目標。
全てを犠牲にしても選んだ道。
「さて、君はどうする?」
束は再びシャルルから身を離した。
踊る彼女に、シャルルは答える。
「……貴方の話を聞いても、僕には他人の話にしか思えませんでした」
記憶が蘇ることはなかった。
何も思い出せない。
あの日から、ずっと同じだ。
振り返っても其処には散り散りになった欠片があるだけ。
「……僕は織斑永時ではないのでしょう。永時さんであっては、ならないのでしょう」
誰にとっても、それは許されないこと。
「千冬さんも、一夏くんも、貴方も、永時さんの家族だ」
だからこそ、一つだけ聞きたい。
「貴方は千冬さんを、一夏くんを。そして箒さんの家族すら、利用することを躊躇わなかったのですか」
「躊躇ったら、永時は取り返せるのかな?」
使える手段は全て使う。
知人でも家族でも。
政府も国も。
己の夢も、その全てを。
「永時を返してくれるならいくらでも躊躇うよ。でも、それは無理でしょう」
「死んだ人間に縋り付き、生きてる人間を犠牲にしてでも」
シャルルがそう聞いた瞬間、彼の体が吹き飛んでいた。木の幹に衝突し、衝撃で葉が落ちる。
肺から空気が強制的に吐き出され、シャルルは激しく咳き込んだ。
「言葉に気をつけてよ。君が永時の魂を持っているからどうとはしないけど、君を殺すことに躊躇いはないんだから」
永時は死んでいないと、束は呟く。
「破壊された脳は何処まで生きてるかも分からない。それでも、まだ活動を続けているのなら、彼はまだ生きている」
脳が活動しているかも分からない。
脳に魂があるのかも分からない。
魂があったとして、シャルルの中の魂と組み合わせられるのかも分からない。
そして生きるのが、永時本人なのかも分からない。
「…………」
可能性があるのなら。
可能性があるからこそ、束はそれに縋る。
縋り付き、それを乞う。
永時を必ず生き返らす。
それが贖罪であるかのように。
「……人は死ぬ。それが現実ですよ」
「でも生き続ける事が出来る。私には、永時にはそれが出来る」
「人の理を壊してまで?」
「理なんか知らない。自然の摂理もどうでも良い。永時が生きてくれれば、それで良い」
永時は死に切っていない。だから、彼女は救われない。
全てを捨てた彼女は追い求めるしかないのだ。それは誰にも止められないし、止まる事ができない。
仮に永時が死なせてくれと言っても、最早聞きはしないだろう。
「…………少し前までなら、僕は別にそれでも良かった」
死んでも良かった。
それで誰かの役に立てるのなら、喜んで命を差し出した。
シャルルが死に走ろうとするのも、自分を顧みないのも、一度『死』んでしまったが為に、死に引き込まれようとしているからだろう。
だから、束が望むのなら、永時の為にこの魂を差し出しても良かった。
「でも、もう駄目なんですよ」
シャルルは立ち上がる。
己の足で大地を踏み、自分の力だけで立ち上がった。
失った左手の拳を握り締め、残された右目で束を射抜く。
「僕はシャルルだ」
シャルロットの家族であり。
シャルロットを愛した。
一人の男。
「僕には家族がいる。愛した人がいる」
死ぬには遅過ぎた。
シャルルにはもう、生が存在していたのだから。
「だから僕は、死ぬわけにはいかない」
そう答えてから、シャルルは理解した。
永時は死を選択した。
家族を守る為に。
家族を逃がす為に。
そして世界へ知識を渡さない為に、自分の頭を撃ち抜いた。
「…………」
そうか、と納得した。
束は選んで欲しかったのだ。
死ではなく、生きる方に。
それが彼の選択だったとしても、生死の権利だったとしても。生きて、一緒にいて欲しかった。
多分、それだけだったのに。
「……貴方は」
「君は永時じゃない。そんなことは、分かってる」
束は笑った。
とても苦しそうに、泣きそうで、歪んだ顔で笑った。
「だってあの人は、その選択をしなかったもの」
永時は全てを守った。
その代わりに大切なモノを失わせた。
たった一つの、大切なモノを。
「止めはしませんよ。でも、僕の命は奪わせない」
「君に何が出来るのかな」
シャルルは右手だけで拳を構えた。
「それなりに、抵抗ぐらいする」
魂のエネルギーが漏れ出す福作用は、一応シャルルにも適応される。シャルル自身、その使い方を知っているわけでもなければ、強さを調整出来るわけでもない。
何も出来ないに等しいけれど、ここで諦めるわけにもいかなかった。
「抵抗、ね」
「無駄だと言いたげですね」
「事実、無駄だもの」
束が手を上げる。
同時に、空から何かが飛来した。
それは着地と共に地面を割り、岩を砕く。その中で冷静に立ち続ける束に対し、再びシャルルは吹き飛ばされた。
地面を無様に転がり、口の中に砂利が入る。文字通り苦い思いをしながら立ち上がろうとすれば、ガクリと右足の力が抜けた。
「…………っ」
見れば、折れた太い枝が右足に刺さっていた。深くはなさそうだが、鋭い痛みが走る。
「戦い方も、力を使うことも、逃げることすら出来ない君が、抵抗など出来るわけないよ」
土煙りが晴れた向こう。何かが落ちた地点に、長い銀髪が見えた。
一瞬ラウラと見間違えたが、その容姿は彼女とは違う。黒く染まった眼球と金色の異質な目がシャルルを捉えていた。
「……人造人間?」
「そう。彼女はクロエ・クロニクル」
束の紹介で、クロエは恭しく礼をした。
「お初にお目に掛かります」
「当然、君よりも断然強いよ。ま、此の手の分野が苦手なのには変わらないから、少し不満な出来だけどね」
永時の知識から作り出された人造人間達の方が優秀であるのは束も認める所だ。ラウラとクロエを比べれば、ラウラの方が完成度が高い。
「……生命を作り出すことに抵抗はなかったのですか?」
「その問答は必要かな?」
要らないなと、シャルルは冷汗をかきながら笑い、束も静かな笑みを浮かべた。
「君を今すぐ拘束するとか、そんなつもりはないよ。ただ、立場を知って、それ相応の身で過ごすと良い」
束はシャルルから背を向けた。
「何れ来るその時まで、その生を謳歌しておくと良いよ」
クロエは束と共に空へと舞い上がって、遠い雲の向こうへと消えて行った。
後に残されたのは酷く抉られた山の惨状と、血を流すシャルルだけ。
「…………」
シャルルは長い息を吐いた。
倒木に体を預け、深く呼吸をする。
「……救えないな」
救えない。自分では彼女を救うことは出来ない。
「ねぇ、永時さん」
貴方は最後に、あの月の日に、何て言ったんですか。
彼女に、何を伝えたかったんですか。
シャルルは騒ぎを聞きつけたシャルロット達が来るまで、ずっとそうして空を仰いでいた。
水平線の向こうから日が昇る。
朝焼けに満ちた藍色の空は、どこか悲しみに満ちていた。