インフィニット・ストラトス Re:Dead《完結》 作:ひわたり
炎の海が広がっていた。
直前で女性の持っていたISを自身に展開した束は瓦礫を力任せに退かす。
死体が散乱し、機械と瓦礫が散り散りとなっていた。木々は衝撃でヘシ折れ、葉や草木が燃え盛る。
熱をISで防いで、束は辺りを見回した。
「あっ……」
自分の荷物の中身が出てしまっていた。
永時を生き長らえようと持って来た新しい肉体。
数少ない、残された永時の遺伝子情報から作り上げた。
束は永時ほど肉体関連が上手くない。人造人間を作るのと、自分が求めている肉体を作るのでは、また勝手も違った。誰かの手を借りることも出来ず、研究資料は手に入っても、やはり異なる分野には手を焼いた。
普通の人間の成長スピードより早く育ってしまい、途中の調整で何とか成長速度は戻したものの、弱い体で歳も自分や千冬と同じくらいになってしまった。
だが、それでも良いと束は思った。
魂の移し替えをした後、また永時が作ってくれるからと、そう思った。
「永時の……新しい体が……」
肉体に触れて壊れていないか確認する。
煤や泥に塗れてしまったが、大きな外傷はない。左目側に火傷が出来てしまったのが、少しばかり心残りであったが。
束は永時の魂の移し替えを行おうと身を起こす。移し替えは時間がかかる。移し替えながら移動すれば良いと、振り返って。
「…………え」
永時を纏ったISが駆動している。魂の移し替えが既に行われていた。
あの程度の衝撃で壊れるようなISではない。また、簡単に動くような機能でもない。だが、ISは動いていた。
「何で……」
慌てて肉体を持ってISへ駆け寄り、データの確認をする。確かに魂の移し替えが始まっていた。
そして、すぐに終わった。
「え、ちょっと、待ってよ」
焦る束。予想外の事態に混乱する。
こんなに早く終わる筈がない。自分の時も、千冬の時も、長時間掛かったのだから。いくら個人差はあるとはいえ、異常過ぎる速さだ。
慌てて数式を確認する。
しかし、魂は個人個人で違う為、それが間違っているのか正しいのか分からない。永時ならば理解出来たかもしれないが、束では無理だった。
確実に分かったことは、一人分の魂があること。
そして、肉体は既に空っぽとなったことだ。
「…………」
震える手でISを解除する。
ISが解除された。永時の、永時だった体が浮かび上がった。
もう、この体は、ただの肉体だ。
死体にすらなれなかった、ただの肉塊。
「あぁ…………」
束は自身のISを解いて、それを抱き締めた。
そっと永時だった体を横にして、ISを新しい肉体へと装着する。魂の移し替えを行ってみれば、やはり数分の短時間の作業で終わってしまった。
「……どうして」
ISの故障か。
肉体が殆ど壊れていたからなのか。
魂の場所が違ったのか。
魂が壊れていたのか。
既に死んでしまっていたからなのか。
束にはそれが分からない。
分かるのは、確かに魂が吹き込まれたこと。
そして、それが、生を持ったことだけだ。
「…………」
手を伸ばし、その体に触れようとした。
「…………っ」
直前で手が止まった。
もしこれが、永時でなかったなら。
別の何かであったのなら。
別の誰かだったなら。
それを、自分は受け入れられるのだろうか。
別の何かを生んでしまった事実に。
永時が死んでしまった現実に。
永時が生き返らないという真実を、受け入れなけれならないのだろうか。
『貴方は誰?』
もしそう問われたら。
どうなる。
どうすればいい。
自分で自分を保てるのだろうか。
何の罪もない無垢な存在を殺してしまうような、そんな気がして。
この存在を殺してしまいそうで。
「…………ぁ」
怖くなった。
怖かった。
怖くて、離れた。
自分自身が怖くて。
それが怖くて。
彼が怖くて。
束は逃げ出した。
永時だった物を抱いて、彼から逃げ出した。
少しの時間の後に『彼』が動き出す。
少年は歩く。
彼は歩く。
彼の肉体年齢は十代半ばか後半程。ある程度は成長した肉体とは言え、産まれたばかりの肉体に、この状態は過酷である。
生い茂る山の中、衝撃で痛む体を引き摺りながら、草木を掻き分けて進んで行く。
どうしてこんな中にいるのか、少年には分からない。
分かる筈もない。
何も知らない彼は、自分すら知らない。
何処へ行けば良いのかも分からず、未知の土地を少年は歩く。暗い山の中は何も見えない。雲は月を隠し、その闇を深めていた。
「げほっげほっ」
痰を吐けば、黒い塊の液体が零れ落ちた。ヒリヒリと喉の痛みが増し、水分を寄越せと体が訴える。疲労が溜まった足からは休ませてくれと悲鳴が上がる。
その全てを無視して、少年は進む。
少年は死から逃げていた。
心の何処かで死を渇望した。
生の道へと逃げ出した。
頭の中で死への道へ引き返そうとしていた。
何故生きようとしているのか。
それが何の意思かは分からない。
死に方が嫌だったのか。
それとも生物としての本能か。
それとも、魂か。
それは少年自身にも分からない。
「……僕は」
追い求めていた物は、既に無く。
広い場所に出る。
山を抜けたわけではない。
それでも、手入れされた野原へと出ることができた。
そして、彼は一人の少女に救われた。
束はそれをジッと眺めていた。
遠くから、一つの肉塊を抱えたまま、その光景を見ていた。
一人の少女は彼の手を取った。
束は彼を見捨てた。
見捨ててしまった。
もう、その人は二度と手に入らない。
二度と手は伸ばせない。
「……ごめんなさい」
ごめんなさい。
束は贖罪のように、慈悲を乞うように、懺悔のように、謝り続けた。
ずっと謝り続けた。
それが誰に対してなのかは、自分自身にも分からなかった。
彼が呟いた言葉。
永時が引鉄を引いた時。
彼が少女に救われた時。
『彼』は確かに、何かを呟いていて。
それが束には届かなかった。
彼が小さく呟いた言葉は、誰かへと届くことはなく、何処かへと消えて行った。
▽
束から連絡を受け取ったエリザは救急車で彼を拾い上げた。
自分の身内だからと、エリザは無茶を頼んで自分が主治医になると告げた。
彼に記憶がないこと。
永時の名前を呼んでも反応がないこと。
そして、彼の動向を見て、確信を得た。
エリザはこの時点で、永時は本当に死んだのだと理解してしまって。
人知れず、静かに涙を流した。
少ししてフランスへ訪れた十蔵は、彼と面会した。
「……これが、家族の写真だ」
十蔵は大使館の人間だと嘘を吐いて彼に向かい合う。
初めましての言葉に少し動揺したが、まだ分からないと、彼にエリザが作成した写真を見せた。
そこには永時の夢があった。
永時の大切な物があった。
永時が愛した人がいた。
「何か思い出せるかい?」
十蔵の質問に、彼は首を振った。
「思い出せません」
人は死んだら生き返らない。
それが当たり前。
それが普通。
だから、これも当然のことで。
死んだ人間は生き返らないのだと不思議な安堵をし、永時は死んだのだと悲しみが込み上げ、十蔵はどんな表情をすれば良いのか分からなかった。
ただ、永時が死んだという事実だけが、深く胸に突き刺さっていた。
病院の屋上はシーツが干され、バタバタと風で煽られている。
十蔵は物陰に隠れるように煙草を一本咥え、火を付けて深く吸った。
「十蔵さん」
横目で見ればエリザがそこにいた。
「すまん、一本だけ許してくれ」
エリザは構いませんよと言ってから手を差し出した。
「私にも、一本だけ良いですか?」
「吸ったことあるのか?」
「ないですけどね。そういう気分なんですよ」
十蔵は箱から一本突き出して、エリザがそれを受け取る。十蔵が火を付けてやると、礼を言って煙草に火を点けた。
「げほっ!」
思い切り噎せた。
何度も咳き込む彼女の背中を軽く叩いてやる。
「辛いですね」
「ああ」
「苦しいですね」
「ああ」
「……本当に」
「……ああ」
「…………私は」
隣で静かに体を震わすエリザに、十蔵は何も言わずに煙草の煙を吐いた。彼女の涙を見ないよう、ずっと空を見上げていた。
どうしようもない。
そう言うのは簡単で。
それを受け入れるのは、何よりも難しいことだった。
気分を落ち着けたエリザは十蔵に問う。
「……亡国機業に動きはありましたか?」
「今の所は、それらしいのは何も。束に警戒しているのか、或いは脳を奪ったから肉体は不要だったのか。少なくとも『彼』の存在を気付いてることは無さそうだ」
亡国機業も魂の存在など信じてはいないだろう。それを考えれば、存在自体がバレたとしても、永時の魂などと結び付ける筈もない。
「束さんの様子はどうです?」
「何とも言えん。後は頼む、とだけしか言われてないからな」
彼の情報は束へ伝えている。記憶がないことも、行動が永時と重なる所もあれば、異なる所もあるとも聞いている。
その心中を察することは容易いが、その心情は非常に感情の渦で巻かれているだろう。
いっそ、彼が全くの別人であったなら、まだ救いようがあったのに。
「詳しくないからどう考えたものか分からんが、君の意見はどうだ?」
「私だって詳しくないですよ。そもそも、魂なんて永時さん以外に証明不能でしょうし」
エリザはそう前置きしてから答える。
「魂の移し替えの時間が短時間だったのは記憶が引き継がれなかったからでしょうね。脳が無かったなら当然とも思えますが、魂がどこまで記憶に関連してるかも分りません。少なくとも、彼に永時さんの記憶はないし、思い出せもしなかった」
ならば、魂は永時自身なのか。
「見てれば分かりますが、永時さんと似てる部分もありますが、異なる点も多い。確かに研究の多い人でしたけど、外で昼寝したり掃除したりと、暇な時や隙を見てはアクティブな活動をしていました」
だが、彼には健康体でも活動をするような傾向はない。
逆に引きこもりがちになり、本ばかり読んで知識を集めようとしている。それは、永時ではなく、まるで。
「……永時さんではなく、空さんみたいに」
「まさか、魂が混ざってるというのか?」
驚く十蔵に、エリザはあくまで予想だと首を振る。
同じISで魂を移し替えてはいるが、時期も離れているし、そもそもそんなことになるのかも不明である。
「元々の『彼』の性格とも考えられます。本当に分からないんですよ。予測を立てても、証明して確定する人はいないのですから」
彼は永時に似た部分もあれば、空に似た部分もあった。もしかしたら、千冬と似た部分もあるのかもしれない。
壊れて欠けたモノを補うように、寄せ集めのように。
どこまでも歪で。
結局、全ては予測の域は出ない。
結論は、今は亡き永時にしか出せないのだから。
「確実なのは『彼』は永時ではないということだ」
十蔵は長く息と煙を吐いた。
永時は死に、彼が生まれた。
それだけが確かな事実。
「だが、まだ終わっていない」
「そうですね。永時さんの脳は、知識は、取られたままです」
まだ終わっていない。
亡国機業との決着も。
永時の脳も。
まだ何も解決していない。
そして『彼』がこの運命の歯車に巻き込まれることも、また必然であった。
「これが、真実」
彼女は笑う。
空だった人が笑う。
束が笑う。
「でも、私はまだ諦めていない」
束は手を広げて、唄うように。
「仮に肉体の魂が欠けた状態であったなら。残りは永時の脳にある可能性がある。奴等は知識を得る為に、脳を生かし続けているでしょう」
だから、必ず取り返す。
取り返して、永時を生き返らせる。
そうなれば、永時の肉体の魂を持つ彼は邪魔だ。
その時には魂を奪い取る。
それが、彼を、シャルルを殺すことになろうとも。
「これが私」
貴方は何者か。
その質問に、束は答えた。
「じゃあ、今度は私からの質問だね」
束は笑う。
一歩踏み出して、顔がぶつかりそうなほどに、彼に近寄った。
「貴方は何者?」
その質問に、シャルルは答えられなかった。