インフィニット・ストラトス Re:Dead《完結》 作:ひわたり
「ようこそ、我が家へ」
僕はシャルロットとセリーヌさんの家へ招かれた。
田舎と言える程自然の多い場所であり、草原と山の間にポツポツと家が点在している。振り返れば、僕が落ちたと思われる山がそこにある。
成程と、僕は納得した。
シャルロットの年齢の子供が一人で遠出するわけはないと思っていたが、シャルロット自身家から離れていたわけではなかったのだ。外に出て炎の上がっている場所を見ていた所に、木々の向こうから僕が姿を見せたというわけだ。
「これからお世話になります」
僕の発言にシャルロットが首を振る。
「違うよ、シャルル」
「もう家族なんだから、ただいまで良いのよ」
そう言って笑う親子は、とても似ていた。
「……ただいま」
そうして、僕の新たな一歩が始まった。
家は白塗りの小さな家だ。
一見、別荘にも見えるが、愛人という立場を考えると、別荘でも間違いないのかもしれない。
中は生活感に溢れているが清潔感がある。掃除や手入れをしっかりやっている証拠だろう。当然、僕の衣服などはなく、此処に来る前にある程度は揃えてきた。
「シャルロットは僕が来て本当に良かったの?」
「悪かったら提案なんてしないよ」
一緒に部屋の整理をしてくれている彼女に尋ねると、何を今更と言った顔で返された。
思春期前だからまだ良いが、後数年経ったらどうなるかなと、内心不安に思っていたりする。そんな僕の悩みを他所に、男物の下着や服が珍しいシャルロットは、しげしげと一枚一枚見ながらしまっていた。
女の子がそんな見るものじゃないと注意すべきだろうか。
「シャルロットー、ご飯作るの手伝ってー」
「はーい」
セリーヌさんの声にシャルロットが返事をする。
「料理出来るんだ」
「まだ少しだけどね」
シャルロットはそう言うが、その顔は少しだけ誇らしげだった。パタパタと軽い足取りで台所へ走って行く。
僕はそれを見送った後、自分の部屋作りへと戻った。
「……僕って料理出来るのかな」
火を使う使わないは置いておいて、そんな疑問が頭に浮かぶ。
畳んだ服はお世辞にも綺麗とは言えない。悲しいことに、過去の僕が家事をしたことがあるかは、それで凡その検討はつくのだった。
その日の料理はフランス料理が食卓に並んだ。フランスだから当たり前なのだが、僕にはそれがどんな料理名なのかは分からない。
セリーヌさんは日本料理も作ろうとしてくれたようなのだが、流石に勝手が分からないのを記念日に出して失敗するのは怖いと止めたようだ。
「いつか日本料理を作ってあげるわね」
「いえ、お気遣いなく」
「その言葉遣いも直さなきゃね」
「善処します」
「あと……テーブルマナーもね」
「……善処します」
食べ方は自分から見ても汚いと分かっている。
病院での食事の時は体が上手く動かないだけかもと思っていたが、どうもそれは現実逃避だったようだ。
「汚いなー、シャルルは」
「うるさいよ」
笑うシャルロットを軽く小突いた。
夜にセリーヌさんが一緒に寝るかと提案してきたが、丁重にお断りしておいた。
記憶もないし、病院暮らしだったが、別に人恋しいわけでもない。
この歳で誰かと寝るなど小っ恥ずかしいものがある。
「…………」
夜中。
外に出て、バルコニーから山を見る。僕が落ちたのは大体あの辺りかと当たりをつけてみたが、実際の細かい場所までは分からなかった。
そうやって事故の跡も消えて、何もかもが消えて無くなっていく。それが自然の摂理とも思えるし、儚さとも思えた。
椅子へ腰掛け、そのまま空を見上げた。何処までも広く深い空が広がっている。
宝石を散りばめたような、というのは使い古された表現であろうが、宝石では収まりきらないほどに、夜空の星々は光り輝いている。
眩しいくらいに、そこにある。
「………………」
こうなったことを不満には思っていない。不安がないわけでもないが、それも些細なことだろう。
「どうしたの?」
ふと、後ろから声を掛けられる。
鈴の音のような声に振り返ると、案の定シャルロットがそこにいた。
「目が冴えてるだけだよ。初めての場所だからね」
「そう」
「シャルロットは?」
「私は、少し目が覚めただけ」
シャルロットは僕の横の椅子に腰掛けると、同じように空を見上げた。
「記憶は思い出した?」
「いや、さっぱり」
「思い出したい?」
「いや、特には」
強がりでもなんでもなく、これは本音である。
記憶がない現時点であまり困った事はない上に、異国の地にいるのだから、思い出した所であまり役に立ちはしないだろう。
僕が割と長い期間無視していた問題ではあるが、どっちでも良いというのが本音だ。
「出会った時から思ってたけど、変わってるね」
「病院の屋上?」
「ううん、そこで出会った時」
シャルロットは目の前の野原を指差して答えた。
「真っ黒で煤だらけでやってきたからね。ゾンビかと思ったよ」
「ゾンビか」
死に掛けであったし、それはそれで間違ってないかもしれない。
「あの時、何て言ったの?」
「忘れた」
多分、ありがとうだか、申し訳ないとか、そんなありがちな言葉だったとは思うけれど。
シャルロットを見て天使だと思ったことは覚えている。その後、僕自身が何を言ったのかは、記憶の彼方へと消えていた。
僕はあの時、誰に、何と言ったのだろう。
「ねぇ、シャルル」
僕は目線をシャルロットへ向けた。
シャルロットも、僕へと視線を向けていた。
「ありがとう、お願いを聞いてくれて」
家族になったことだろうか。
「礼を言うのなら、僕の方じゃない?」
「ううん、これは私の我儘でもあったから」
セリーヌさんは人との関係に飢えていた。そして、シャルロットも、もしかしたら同じだったのかもしれない。
誰でも良かったというのは語弊があるだろうけれど、記憶を無くして身寄りもない僕は、ある種の運命的な出会いをした僕は、非常に都合が良かったのだ。
僕自身ではなく、彼女達にとって。
「私は、多分、安心したかった」
「安心?」
「うん。……私よりも、不幸な人を見ることで、安心したかったんだと思う」
シャルロットの境遇は端的に言ってしまえば恵まれていない。
愛人の子供というだけで、それを知る周囲の目は軽蔑の物に変わる。秘密を隠す為に友人も作らないように過ごしてきた。彼女の歳ならば、遊びたくて仕方のない年頃なのに。
「貴方は私よりも、辛い立場にいるから」
記憶をなくし。
家族もいない。
異国の地に落とされ、言葉も知らなかった。
右も左も分からない、孤独な存在。
成程、辛い境遇だ。
他人事のように、そう思う。
「こうして本音を話すことも、私の自己満足なんだろうけど……。嫌な人間だね、私」
顔を俯かせた彼女に、僕は何でもないように語り掛ける。
「シャルロット」
彼女だけに、語り掛ける。
嫌味でも言われると思ったのか、その顔は不安そうだ。そんな表情をするくらいなら言わなければ良いのに。
「君は素直過ぎるね」
「……素直?」
意外な言葉だったのか、シャルロットは目を瞬かせて不思議そうに首を傾げた。
「負の環境に慣れてしまった君は、それを受け入れることにも慣れてしまった。大人や子供の立場も理解してしまった」
聡明であるが故に、それは不幸なことだ。
「反抗という意思をなくして、流されてるだけだ。だから、僕なんかを見て安心するんだ」
私はまだ大丈夫だと、そう思い込む為に。
我慢して、溜め込んで、耐える為に、下を見て安心する。
そこまで堕ちてはいけないのだと知りながら、抵抗をしない。
「そのままだと、いつか壊れてしまうよ」
シャルロットは僕を見た。
何も写していない瞳に、僕を写した。
「…………私は」
シャルロットの言葉が続く事はなく、彼女は再び俯いてしまう。
「無理にしろとは言わないよ。性格がそんな簡単に変わるわけもないしね。ただ、他人であって、状況を知らず、記憶のない、家族になった僕がいる」
そうして、敢えて酷い言葉で伝えた。
「僕を利用すれば良い」
その時初めて、シャルロットは自己を持って動けるのだから。
シャルロットを置いて、僕は先に部屋へと戻った。
廊下へと出ると、陰に隠れるようにセリーヌさんが立っていた。
「……ありがとう、シャルロットの事を見てくれて」
「いえ、思った事を言っただけで……だけだよ」
言葉を直す僕に、セリーヌさんは小さく微笑む。しかし、その目は悲しみに揺らいでいた。
「私の所為で、あの子には辛い思いをさせてしまってる……」
「…………」
どうしようもないこと、と言うのは簡単だ。
それは事実で、今出来ることはシャルロットの心のケアくらいしかない。
ただ、セリーヌさんは罪悪感を拭うことを望んでいる。それの答えを僕は持たない。
「貴方がしたのは、社会的に見れば非難されて当然のことだけど」
だからこそ、この場所に家があって、ここにシャルロットがいた。
「だから僕は助かった」
単なる事実として、それは確かなことだ。
「大人な考えね。貴方、本当は大人じゃない?」
「さあ、どうだろう」
本や新聞、ネットなどで知識を集めていたつもりだったが、覚えるというよりも、芋づる式に多くのことを思い出したという感じだ。
体が小さいだけの大人とも思えたが、教えてもらった年齢は高校生ぐらいのものであったのは事実である。
「ねぇ、セリーヌさん」
貴方は何故、僕を家族にしたの?
その問い掛けに、彼女は微笑むだけだった。
静かに、悲しそうに……。