インフィニット・ストラトス Re:Dead《完結》 作:ひわたり
エリザは出来上がった写真に満足気に頷いた。
「さっきから何してるの?」
一夏を抱いた束の質問に、エリザは振り返って一枚の写真を見せた。
「合成写真ですけどね、これで出来ましたよ」
そこには永時と空、そして千冬と一夏の集合写真があった。
「おお、良く出来てるね」
「永時さんも空さんも写真嫌いだから資料少なくて困りましたけどね。でも、やっぱり空さんだった時にも一夏くんを抱いて欲しくて」
合成であっても、これが唯一の家族の写真。
「エリザ」
束は笑顔で受け取った。
「貴方が永時の助手で良かった」
「そんな、私なんて永時さんの研究の半分も理解出来なくて、ダメダメなお手伝いさんですよ」
「そんなことないよ」
こうして、素敵な思い出を作ってくれたのだから。
「いつか、皆で写真を撮ろうか」
そう言って、束は笑った。
千冬の体が地面へぶつかった。
「あっ……かっ……」
痛い。
激痛だけが脳内を支配する。目から勝手に涙が溢れた。悲鳴さえ上げられず、呼吸もままならない状態で、千冬は小さく痙攣を繰り返した。
「千冬!」
撃たれた足を引き摺り、倒れた千冬を抱き上げる。穴は内臓を貫き、出血量も多い。ショック死しなかったのは幸いだが、このままでは死に至る。
「織斑永時さん。我々に協力して頂きたい」
男の一人が前に出て語り掛ける。
「協力して頂けるのであれば、その子の手術時間くらい儲けましょう」
さあどうしますかと、男は手を差し出した。
その手を掴むかどうかの選択。
いきなりやってきての理不尽に、しかし永時は、冷静に脳を働かせた。
故に迷わずに答えた。
「断る」
ポケットに忍ばせていた装置を起動させる。起動スイッチを一定時間押し続けると、電子音が鳴った。
「何を……!」
瞬間、天井から白い煙が噴き出した。煙幕代わりのそれは目の前の光景すら見えなくなる。
男達は動けなくなったが、永時は長年この場所に住んでいる。視界が効かなくとも、何処に何があるのかは把握していた。
「ちーちゃん、少しだけ我慢しててくれ」
永時は千冬を抱え、足を引き摺りながら前に進んだ。一歩進む度に耐え難い激痛が走る。だが、痛みは全て無視した。
エレベーターへ乗り込み、ドアを閉める。エレベーターの内部にある緊急ボタンを作動させると、扉の入口や階段などが全て封鎖された。地下室にも警報が鳴り響く。
永時は自分の研究が危険を招く可能性もあると知っていた。その為、こういった装置も事前に組み込んでいたのだ。使わないことを願ってはいたが、それは無残にも崩れ去った。
地下へと辿り着くと、エリザと一夏を抱いた束が駆け足でよってきた。
「永時!?ちーちゃん!?」
彼等の惨状を見て束が悲鳴を上げる。
永時はエリザに千冬を預け、足を引き摺りながら巨大コンピューターのコンソール前へ進んだ。
「永時さん、いったい何が」
「僕達の情報を盗もうと働く奴等が来た。いつかは来るとは思っていたけど、まさか日本で普通に拳銃を所持しているとはね」
「永時!そんなことより、ちーちゃんと貴方の傷を……!」
束の言葉を無視して永時がエリザへ命令する。淡々と、冷静に、冷淡に告げる。
「エリザさん。ISを起動させて、皆を連れて逃げてくれ。僕の怪我では足手纏いだ」
「何故、永時さんも一緒に……」
「足の怪我人一人、子供三人、その内の一人が重症で一人が赤子だ」
永時の操作で機械が動く。
物々しい音で降りてきたのは培養液に浸かった、予備の肉体。
「ちーちゃんは一刻を争う。手術の暇もない。だから、魂を移し替えるしかない」
アレだけ悩み抜いて行っていた魂の移し替え。それを永時はやれと、簡単に言った。このままだと死ぬから、予備の体を使って生きさせろと。数年の悩みが嘘のように、アッサリと。
そのことに、エリザはぞくりと体が冷えた。
緊急事態に見境がなくなっているのか。或いは、生死の観念が既に崩壊してしまったのか。
少なくとも、今の永時には普通の生死感はなくなっている。
「これを含めれば、更に子供一人だ。ISは力を増幅できるが、腕の数が増えるわけじゃない。エリザさんがISで安全に一夏と千冬を運び、束は予備の肉体を運ぶんだ」
淡々と語る永時は、いつも通り冷静で、そして冷酷な思考だ。それを理解したからこそ、エリザは何も言わず、その通りに動き始めた。
束はそんな状況について行けず、一人喚く。
「待ってよ、エリザ!嫌だよ!永時も一緒に逃げよう!」
束の言葉に、永時は首を振る。
「言っただろう。この足では満足に動けない」
「なら、ISを使ってあいつらを……!」
「それは駄目だ」
束の声を遮って、力強い言葉で拒絶した。
「ISは戦う為の道具じゃない。君が夢を見た翼だ。君を空へ羽ばたかせる、僕達の夢の結晶だ」
どちらにせよ、男達を追い払っている間に千冬も危ない。魂の移し替えはISが必要不可欠な上に時間も掛かる。
男達を追い払っても、それまでに千冬が死んでしまえばどうしようもない。
「奴らの目的はデータだ。そして、僕自身だ。だから、僕が捕まっても殺されることはない」
「でも……!」
「だから今は逃げてくれ。逃げて、そして、千冬を助けてくれ」
永時は譲らない。
感情に支配されている束よりも、永時の発言は正しい。正しいからこそ、理解出来ない。
「準備出来ました」
エリザはISを身に纏い、予備の肉体を培養液から取り出した。腕の中には血を流し続ける千冬がいる。一滴一滴の血の雫が、命の終わりのカウントダウンを告げていた。
後は、束がエリザと一夏と肉体を交換して脱出するだけ。
「束、僕は言わば囮なんだ。奴等は君が生きていることは知らないし、エリザが今いることも知らない。無事に逃げ切れば安全だ」
「永時……」
永時はエリザから予備の肉体を持ち上げ、束へと差し出した。束の手は迷いを見せるが、時間がないことが束の背中を無理矢理押す。一夏を差し出した代わりに肉体を預かり、永時はそれをエリザへと手渡した。
そして、苦しんでいる千冬の頭を優しく撫でる。
「ちーちゃん、もう少しの我慢だ。頑張って」
「とーさん……」
千冬は小さな手を、血に濡れた手で、永時の手を握った。
「離れちゃ……嫌だ……」
「大丈夫。また会えるから」
「とーさん……」
それでも手を離さない千冬に、永時は柔らかい声で言った。
「なら、約束だ。もう一度会う約束。指きりをしよう」
「指きり……」
力のない、弱々しい指。
二人の指が絡み合い、契約が交わされる。
ゆびきりげんまん、うそついたらはりせんぼんのます。
「指切った」
そうして、指は離れた。
温もりが離れた。
「約束……とーさん……」
「うん、またね。ちーちゃん」
永時はエリザに視線を合わせ、微笑んで告げる。
「ごめん。後は、頼む」
「はい」
永時の短いお願いに、エリザは短く返した。
「束」
「永時」
「これを忘れちゃ駄目だよ」
そう言って、永時はウサギ耳を束に付けた。千冬からの誕生日プレゼント。大切なもの。
「笑っていてよ、束」
折角、生きたのだから。
強い体を手に入れたから。
運動だって、走り回ることだって、そして空を飛ぶことだって、叶えられたのだから。
今度こそ、普通の人生を歩めるのだから。
「僕は君の笑う顔が好きだから」
だから、どうか。
「さぁ、急いで」
非常出口が開く。
この先は全く別の場所へと続いており、出口が気付かれることはまずない。
エリザは二人を持って先行する。束は予備の肉体を背負って走り出した。
永時はその背中を見送る。
「永時!」
束は途中で振り返り、大声で叫んだ。通路中に束の声が反響する。
「迎えに行くから!」
今にも泣きそうな顔で、一番の感情を込めて叫んだ。
「必ず、迎えに行くから!!」
約束だと。
違えはしないと、心に誓う。
その想いと感情を受け取り、永時は手を挙げてそれに答えた。
そして束達の姿が見えなくなり、永時は扉から離れて、二度と開かないようにロックを掛けた。
そうやって、彼は一人になった。
「……ふぅ」
一人になるのは何年ぶりだろうか。
何だかんだで、自分の周りには多くの人がいた。
友人がいて、仲間がいて、家族がいた。
「意外と恵まれていたんだな、僕は」
そう、自嘲気味に笑う。
そのことに今更気付いた自分に笑う。
小さな溜息を吐いて、コンソールに寄り掛かった。ポケットからライターを取り出すと、前に十蔵が忘れて行った煙草に火を付けた。
人生初の煙草である。
「ぐふっ!ごほっ!」
煙を吸い込むと思い切り噎せた。
「……あー、不味い。口の中が毒々しい」
思わず独り言で文句を言ってしまう程に、悪い意味で衝撃的だった。これの何が美味いのだか分からないと眉を寄せる。
同時に、爆発音と衝撃が地下にまで響いてきた。
「…………」
それを気にせずに永時は煙草を咥えたままポケットに手を突っ込んだ。
階段の方から激しい足音と共に、武装した男達が乗り込んでくる。
永時を囲んで銃を構えた。
「……日本らしかぬ光景だ」
煙草の煙を吐いて感想を述べる。
「大人しく付いてきてくれますか、織斑永時さん」
「ここまで暴力的にされたら反発するかもよ?」
「ええ、ですが、貴方にはこれくらいしなければならないでしょう」
代表者らしき男が一歩踏み出した。
「我々が欲しいのは貴方の、そして亡くなった奥様の知識です」
「へぇ、何に使うんだ?」
「それを決めるのは世界の人々です」
てっきり自分達だと答えると思っていただけに、その返答は予想外であった。
少しだけ興味を持つ。
「貴方は巨大な知識を保有し、尚且つ革新的な研究も数多く持っている」
だが、永時はそれを世間に公表せず、自分の中だけに収めてきた。
「その知能と知識があれば多くの技術が跳ね上がり、助かる命も多くある。なのに、貴方はそれをしようとしない!」
「だから、こうして強制的にそれを吐き出させようというわけだ」
下らないなぁ、と永時は笑った。
巨大なスクリーンにデリートの文字が浮かび上がる。先程の操作でデータの消去命令を出していた。そして今、完全に消去された。
しかし、永時がそれに反応することもなければ、男達が動揺することもない。彼らは永時を一度逃してしまった時点で、物理としてのデータは既に諦めていた。どちらにせよ、本命は永時だ。
「大人しく協力してくれれば良いんです、織斑永時さん。貴方がいれば、人類は飛躍的に進化するのです」
「もう一度言おう。下らない」
永時は笑った。
「僕はそこまで人類に期待していない。平和交渉をするのも、駆け引きをするのも、戦争をするのも人間だ」
「かつてエジソンは電気を開発し、世界に広めた。そして今の世の中はこれ程飛躍した。貴方も同じ様になれるのですよ」
「そして同時に人を殺すかもしれない」
「何故そこまで悲観するのですか……!何故そこまで、情報を渡したくないのですか!」
彼等は研究を独占したいわけでも、利益を得たいわけでもない。文字通り、永時に協力して欲しかった。
今の世の中は多くの問題を抱えている。
人口の増加、食糧問題、戦争、エネルギー、地球。数を上げていけばキリがない。
永時の研究と、そして引き継いだであろう空の研究。それがあれば解決の糸口が見えるかも知れない。
ここまでしたのも、数多くの人類を救える可能性を信じたからだ。
「簡単な話だよ」
永時は煙草を捨てた。
「僕の物は僕の物だからだ」
だから、誰にも渡さない。
永時がコンソールのスイッチを押した。
瞬間、地下室を巨大な爆発が包んだ。
「…………!」
ズズンと振動が伝わってきた。
エリザは空の次に永時のことをよく知っていた。
空が来る前からエリザは永時と共に仕事をし、理解出来ないまでも、彼を間近で見続けていた。
だから、この振動が何を示しているのか。
それが、彼女には分かってしまった。
「…………っ」
エリザは歯を食い縛り、震える声を押し殺して、出口の前へと立った。
「……束さん、此処が出口です」
ここを出たら、緊急コードを入力する。そうすればここの通路は爆破して潰れて無くなる。
そうしたら、千冬にISを装着させようと、そう提案して。
「……束さん?」
返事がない。
まさかと思い振り返れば、予備の肉体だけが横たわっていた。
束の姿はそこにない。
「……束さん!」
エリザの叫び声を、その反響音を束は聞いた。聞いて、それを無視して、走る足は止められない。
エリザが永時をよく知っているように、束は永時のことを一番よく知っていた。
「永時……!」
彼から家族を託された。
子供達を託された。
生きろと言われた。
でも、駄目だった。
自然と体は永時を助けに行こうと動いていた。この体で何が出来るなどと考えてはいない。ただ、永時の所へ行かなければと必死に足を動かす。
「永時……!」
彼のことは、最初は別に何とも思わなかった。
周囲にいる人間達と何も変わらなくて。
その中で、少しだけ興味を持って。
逃げ出して、一緒にいて。
自然と、二人でいることが当たり前になっていて。
だから、結婚だって深く考えることはなかった。それが当たり前だったから。
子供を欲しいと思ったのも、永時に愛して欲しいと思ったから。
自然だった。
だからここまできた。
きてしまった。
そして、今更気付いたのだ。
篠ノ之束は、織斑空は、心の底から織斑永時を愛していたことに。
「いかないで……!」
私はまだ、貴方に愛していると伝えていない。
▽
火花が散る。
人だったものが肉塊へと変わり果てている。
機械だった物が粉々に散乱していた。
火の海。
全てを焼き尽くすような熱と炎。
地獄のような光景がそこに広がっている。
火の海が広がる中、むくりと一つの体が起き上がった。
「…………っ」
永時は潰れた左目を抑えながら、吹き飛んだ左腕を見た。ドクンドクンと、鼓動に合わせて血の塊が吐き出されている。不思議と痛みはなく、巨大な熱だけがそこにあった。
下手に生き残ったようだと、自分の悪運に笑う。笑って、散乱する死体を見た。
「……ははっ」
人を殺した。
人を死なせてしまったことは、医者であればよくあることだった。
だが、自分の意思で殺したのは初めての経験で。
初めて、人を殺した。
殺意を持って人を殺した。
データを完全に消去する為に。
束達が逃げる時間を稼ぐ為に。
人を、殺した。
「……ははは」
体が震える。
どす黒い感情が胸に渦巻く。
吐きそうな胸糞悪さが込み上げてくる。
だが、吐きはしない。
感情も全て飲み込んだ。
飲み込んで、溜める。
心の中に抑え込む。
永時は忘れないと誓った。
この光景を。
この火の海を。
この熱を。
人を殺した罪を。
どんなことがあろうとも、絶対に忘れはしないと。
「……何を、笑ってるんですか」
代表者の男が起き上がる。立ち上がり、座っている永時を見た。
こんな時でも敬語なのかと関心すら覚える。こんなことをして尚、彼は永時に対する尊敬を忘れていない。
「永時さん、もっと人間を信用してくれて良いではありませんか」
「言ったでしょう、僕の物は僕の物だと」
永時は一人で生きてきた。
自身が行ってきたことはそれが出来たからに過ぎない。人の為だとか、誰かの為とかは、一切考えてこなかった。だから、公開したい情報だけを公開して、人類には早過ぎると思った情報は秘匿してきた。
そうやって生きて、自分の好きなように過ごしてきて。
そして、彼女と出会った。
出会ってきた人間の中の一人。
それと一緒だと、最初は思っていた。
だが、空だけは。
彼女だけは特別だった。
空にだけは、自分の全てを与えても良かった。
愛していたから。
空を愛したから。
だから、禁忌に触れても、助けたかった。
そう、それだけ。
「それだけの話ですよ」
束は走る。
走って、向こうに光を見た。
入ってきた扉が僅かに歪んで開いている。その向こうから熱と風が漏れていた。
束は手を伸ばすようにそこへ駆けつけて扉を引いた。しかし、扉は開かない。ただ歪んだだけで、頑丈な扉はビクともしない。
「永時……!」
そして、扉の隙間から彼を見た。
永時は近くに落ちていた拳銃を拾いあげて、安全装置を外した。
男はそれを見ても、無手のまま永時と向かい合う。
「私を殺すつもりですか。残念ですが、他の仲間がまだ外にいます。この爆発音ですぐにやってくるでしょう」
永時は銃など撃ったことはない。素人の腕でこの距離で簡単に当たるはずもない。
そんなことは、男も永時も分かっていた。
だから、永時は笑った。
「この肉体も、この知能も、この知識も、全て僕の物だ。どう使うかは全部自分で決める」
そして、永時は狙いを定めた。
「僕の命も、僕の物だ」
自らの額に銃口を押し付けた。
「生死の選択も」
角度を調整し、脳へと向ける。
「誰にも奪わせはしない」
そして、永時の瞳は向こうを見た。爆発の衝撃で少しだけ歪んだ扉を見た。
その隙間に、彼女がいた。
愛しい人が、そこにいた。
「…………」
永時は笑った。
笑って、一言だけを呟いた。
彼女へ、一言だけを伝えた。
その言葉が届くことはなく。
引鉄が引かれ、赤い花が咲いた。
笑って。
笑っていて、空。
僕は君の笑顔が好きだから。
だから、笑っていてくれ。
ねぇ、空。
……。
永時の体は糸が切れた人形のように倒れた。
男は痛む体に鞭を打ち、永時へと駆け寄った。
「永時さん!本当に撃つなんて!畜生!何で、こんな馬鹿な真似を!」
それは、永時だったものは、頭から血を流し、目は瞳孔が開いている。
階段から足音が鳴り、多くの人が突入してくる。火の海の中を掻い潜り、男の下までやってきた。
「こ、これは……!」
永時の死体を見て驚愕する。
「運べ!早く彼を運べ!」
「し、しかし……もう、彼は死んで……」
ガッと男は胸倉を掴んだ。その形相は鬼気迫る威圧感がある。
「彼を、この頭脳を、人類の希望をこのまま死なせるわけにはいかん!穴が開いていようと、まだ完全に死んでいない!即急に現状維持で保存しろ!まだ生かす道はある!その道具も運んで来てるだろう!早くするんだ!!」
男の命令で、永時の体は運ばれて行った。
その後に溢れた血の跡は涙のように光り、炎の熱で燃えていく。
永時が引鉄を引いた瞬間。
束は彼の告げた言葉は理解出来なくて。
永時が死んだことは理解出来てしまって。
でも、目の前の現実は理解出来なくて。
「あぁ……!」
自分の中で何かが壊れていく。
「あああああああああ」
男達が永時の体を運んでいく。
待てと、心の中で叫ぶ。
その人は私のだと。
返せと、手を伸ばして。
「…………っ」
叫ぼうとした口が塞がれた。
強い力は振りほどけない。
それがエリザの手だと気付いた時には、ISに運ばれて速いスピードで出口へと戻された。
「エリザ!!」
外に出たエリザはすぐにコードを入力し、通路を塞いだ。天井が崩れ、瓦礫で道は完全に塞がってしまう。
「ああ!何で、道が!」
束は瓦礫に手を掛けるが動くわけもない。必死で動かそうにも手が傷付くだけである。エリザはISを解除し、長い息を吐いた。
「エリザ!何てことを!!早く、永時を」
パァンと甲高い音が鳴る。
エリザは束の頬を叩き、そのまま両手で彼女の頬を掴んで、顔を真っ直ぐに合わせた。
「永時さんは死にました」
ボロボロと、エリザの目から涙が溢れ落ちていた。激昂していた束は、その涙によって冷やされていく。
「……永時は、永時は、まだ死んでない」
それでも、受け入れられなくて。
「永時は、まだ……今、追いかければ……」
「なら、選択して下さい」
エリザは手を離し、地面に横たえた子供達を指差した。白衣の上に寝かされていた千冬の体は白く染まり、白衣を血で染めていっている。
「今彼らをISで追い掛けて、永時さんを連れ戻す代わりに千冬ちゃんを殺すのか。それとも、永時さんを捨てて、千冬ちゃんにISを使って魂を移し替えるのか」
「そ、れは」
永時はまだ生きている。
生きていると、信じたい。
そんな幻想に縋りたい。
でも、それをすれば、現実と向き合わなければ、千冬を殺すことになる。
悩むことではないのだ。
「わ……私は……」
何故なら、永時は既に。
「かーさん……」
千冬からか細い声が漏れた。
既に死に近い状態の千冬が、小さな声で呟く。
「私は、このまま、死ぬ」
「な……」
何を馬鹿な。
束がそう叫ぶ前に、千冬が言葉を重ねた。
「ズルをしてまで、生きるつもりは……ない」
死ぬのなら、そのまま死ぬ。
それが正しい在り方だと思うから。
「生きるか、死ぬか……。私の命だから……その選択は、私がする……」
永時のように。
父親のように、自分で選ぶと、そう語った。
だから、千冬は死を選択した。
魂を移し替えるという手段を良しとはせずに。
死ぬのが怖くないわけではない。まだやりたいことだって沢山ある。大人になって、夢だって沢山ある。まだ人生に満足なんてしていない。ここで死ぬのなんて嫌だとハッキリと断言できる。
でも、それでも。
卑怯に生きるくらいなら、潔い死を選ぶと。
千冬は、そう決断した。
「…………っ」
束は顔を歪めた。
どうしようもなく、感情が混ざって。
心の中が狂い。
何もかもが分からなくなって。
でも、このままでは。
家族が。
一夏も。
永時も。
千冬も。
自分すら。
「…………」
束はISを掴んだ。
そして、千冬の側へと寄る。
「……かーさん……!」
束がやろうとしていることに気付いて、千冬は目を見開いた。
「やめて……!私は、そんなこと……!」
千冬の体にISを触れさせる。
力のない千冬はそれに抗うことが出来ない。
「……魂を移し替えたら、私は許さない……!かーさんを絶対に、絶対に、許さない……!私を生かしたら、私は、二度とかーさんを母親とは思わない………!!」
悲壮に満ちた決意と願い。
それを受け取って。
それを受け入れて、束は笑った。
「……それでも、良いよ」
壊れた笑顔で笑った。
「…………それでも、ちーちゃんには、生きていて欲しい」
恨んでくれても構わない。
怒ってくれて構わない。
許してくれなくて構わない。
だけど、家族をこれ以上失うのは、もう耐えられない。
「ごめんね、ちーちゃん」
「かーさん……!」
そして、束は千冬にISを装着させた。
魂を、ISに移してしまった。
「あぁ……」
束は空を見上げた。
何処までも広がる空は、雲に覆われていて、何も見えなかった。
雨が一つ落ちて、頬を濡らした。