インフィニット・ストラトス Re:Dead《完結》   作:ひわたり

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想いの果て

 

それから、二人は研究と子育てに明け暮れた。

永時は肉体の生成と魂の解読を進めている。柳韻夫妻から貰い受けて作った肉体と、自分達から取って作った肉体。念の為に二つの肉体を調整しながら仕上げていった。

空はパワードスーツに魂を利用させる方式を作り、それを安定させるよう努めた。魂に関しては永時から助言を求め、徐々に、しかし確実に詰めていく。完成への道は既に見えていた。

千冬は危ないからと地下には下げさせはしなかった。エリザも子育てに協力し、柳韻夫妻も偶に病院へ訪れては千冬に構っていた。

十蔵も様子を見に来ては永時と話たり、千冬と短い時間でも遊んだりした。

そうして皆に囲まれながら、千冬は愛情に囲まれて育って行った。

「ちーちゃん、欲しい物とかある?」

千冬をちーちゃんの愛称で永時と空は呼んでいた。

千冬はすくすくと育ったが、山の中での生活の所為か、かなり活発な子供として育っている。また、特に我儘も言わず、アレこれ欲しいということも言わなかった。

誕生日くらい何かあげたいと思った永時が何か欲しいかと聞いてみる。

幼い千冬は小さい腕を組んでうんうんと唸った後に、ポンと手をついて答えた。

「しない!」

竹刀。

明らかに柳韻の影響だと丸わかりな上に、自分達に似ず活発な千冬に永時は苦笑いを浮かべたのだった。

「いやぁ、千冬ちゃんは筋が良くて教えるのが楽しいんだ」

豪快に笑う柳韻に、空も同じく苦笑いを浮かべるのだった。

 

研究は着実に進んでいったが、そのスピードは遅い。

それでも残酷に時は過ぎていく。

時計の針が一秒刻まれる毎に、空の肉体は限界へと近付いていた。

そして、永時の指定した五年の月日が経とうとしていた。

 

 

空は病室で数式を書いていた。

「…………」

その手が微かに震え、記号に歪みが発生する。

一度ペンを置いて自分の手を眺めた。その手の震えが治ることはなく、片方の手で握り締めて、無理矢理震えを止める。

「…………」

空は微かに目を細めて、その手をジッと見つめた。

そこへ、ドアを開けて千冬が中へと入ってくる。

「かーさん、かーさん」

「どうしたのちーちゃん」

空はサッと手を後ろに回して千冬に振り返った。千冬はニコニコと笑いながら後ろに回していた手を前に出した。

「誕生日おめでとう!」

その手に握られていたのはウサギ耳だった。

思わぬ行動と予想外のプレゼントに空の思考が停止する。ありがとうと素直に受け取るべきか、何でウサギ耳なのか聞くべきか。

子供の行動は、考えが深い研究者でも掴み切れない。

「ああ、ちーちゃん。もう渡しちゃったか」

遅れて永時が姿を見せた。

何コレと固まってる空に苦笑しつつ、取り敢えず受け取ってあげてとジェスチャーする。

「あ、ありがとう。ちーちゃん」

「どういたしまして!」

しかし、何故ウサギ耳なのか。

「……えーと、永時?」

判断を迷った末に、永時へと聞くことにした。

「今日、空の誕生日だろう。だから何かプレゼントでもあげればと話したんだけどね。……ちーちゃん、何でウサギの耳が良かったんだっけ?」

「かーさんは可愛くて白いから。兎さんみたいだから」

千冬の理由を聞き、成る程と納得する。酷く単純で子供らしい理由だ。

「まあ、それだけだと何だと思って、装着したら色々と体に良い機能をつけてみたけどね」

「ああ、だから地味に機械っぽいんだね」

実際に無理してつけなくても良いと千冬の後ろで気付かれないようにしながら伝えた。

空の協力をしていることもあり、永時でもこのくらいの機械系は出来るようになっていた。空もまた同じで、医療分野にも詳しくなっている。互いが互いの知識を吸収し合っているが、やはり専門ではないからと、それぞれの分野には深く手が及ばない。

「…………」

千冬がキラキラとした目で見てくる。その目力に抗えず、一度くらいならと頭へ装着した。

「……どう?」

「可愛い!似合ってる!」

「あ、ありがとうね、ちーちゃん」

無邪気さが怖いと思った空であった。

 

ある程度成長した千冬は空の車椅子を押したり、自分から何かしらの行動をするようになった。

永時が気分転換に行っていた料理や掃除を見て、私もやると息巻いていたので、試しに一緒にやってみることにする。

「あう……」

結果、下手くそだった。

子供だから致し方ないとはいえ、センスを感じないことから、多分この先も家事は不得手になるなと永時は確信した。

「とーさん」

「何だい?」

「今度、ちゃんと料理教えて」

「良いよ」

次こそは次こそはと、千冬は何度も挑戦した。永時は危険がないように見守りながら、それを微笑ましく思っていた。

何度もお願いしてくる千冬に、その度に、永時は良いよと笑顔で頷いた。

 

幸せだった。

幸福な時間だった。

皆で笑っていられた。

 

だから、きっとそれは油断で。

少しの緩みで。

切り裂くように、それはやってきた。

 

空が倒れた。

 

 

緊急手術。

前回の時とは比べ物にならない程、細胞は脆くなっていた。永時が必死に繋ぎ止めようとする糸が簡単に切れていく。必死に肉を縫い合わせても、糸の力に負けて肉が簡単にぷっつりと切れた。

「…………っ」

常に冷静であり続けた永時。

どんな患者であろうとも、冷静に命を繋ぎ止めてきた。そして時には冷酷に命を見捨ててきた。

生死の判断を違えることはなかった。

しかし、この時、本気で恐怖した。

人を失うことに心底震えた。

怖かった。

空を失うことが、怖かった。

 

連絡を受けた柳韻夫妻が病院へ駆け付け、千冬の相手をする。

柳韻の妻が千冬の面倒を見て、柳韻は手術室の前でその結果を待った。

千冬が寝静まった頃、手術中のランプが消えて永時が姿を見せた。立ち上がった柳韻を前に、短く一言だけを告げる。

「……成功です」

そう言って、長椅子にドサリと身を落とした。掌で顔を覆い深く溜息を吐く。震える体を隠そうともせず、深い深呼吸を繰り返した。

「ありがとう、永時くん」

柳韻は彼の前に跪き、肩に手を置く。

「……大丈夫か?」

「すみません、医者の癖に情けない姿で」

「自分が愛した人を失うと思えば誰だってそうさ。ましてや、命の行末が自分の手の中にあるなら尚更だ」

柳韻だって空を失うのは怖かった。だが、こうして目の前で震える永時を見ていると、本当に空を愛してくれていたのだと、何処か温かい気持ちにもなれた。

「……危険でした。次はないでしょう」

「なら、例の計画を実行するのか?」

「いえ、まだ完全ではありません」

だから、急がなければ。

そう語る永時の目は真剣で、そして、そこには躊躇いがない。彼にあるのは空を救いたいという気持ちだけ。

倫理だの、成果だの、摂理など、そんなことはどうでも良かった。

もう後戻りは出来ない。

後戻りはしない。

その先が断崖絶壁であろうとも、彼は突き進む。

決意に満ちていて、壊れたような漆黒の瞳。

「……永時くん」

そんな永時を前に、柳韻は何も言うことは出来なかった。

 

 

 

 

永時は研究の時間が増えた。

空の研究で、パワードスーツを身に付けると同時に、使用者自身の魂をエネルギーとして使用出来るようにすることまでは可能としている。

後は、その出力の調整。

魂を無闇に解放すればパワードスーツの方が先にイカれてしまう。もちろん使用者も危険だ。

だが、そこさえ解決出来れば空の夢は叶うのだ。

「後は……」

後は、魂の移し替えのみ。

魂を引き出して、それを別の体へ移し替える。記憶の保持に加え、その安全性を証明出来れば良い。そこが最大の問題点でもある。

永時は机へ向かい続けた。

それは正に魂を削る行為であったと言えよう。

 

地下室で永時は今日も研究を続けていた。

頭には数式と公式が海のように広がっている。それでも足りない。まだ足りない。

空を救うには、まだ足りない。

「……とーさん」

ハッと声に我に返り、後ろを振り向く。

地下室に来るなと言ってあったのに、千冬がそこにいた。

「とーさん、ご飯食べなきゃ、倒れちゃうよ」

千冬が手に持っていたのは一枚のお皿。その上には形が悪くも、サンドイッチが乗せられていた。

「……ああ」

永時は頷いて、椅子から離れる。

「ごめん、ありがとう。ちーちゃん」

永時は千冬の前でしゃがみ込んで娘の頭を撫でた。お皿を受け取り、サンドイッチを頬張る。

「美味しい?」

「美味しいよ」

決して味が良いとは言えなかったけれど、それでも、それは永時が生きてきた中で最高に美味いサンドイッチであった。

「おとーさんは、おかーさんを助ける為に頑張ってるんだよね」

「うん」

「おかーさんは助かるの?」

肉体を丸ごと入れ替えての生の続き。

自身であったものは不可視の魂のみ。

それは、果たして助けたと言えるのだろうか。

生きていると言えるのだろうか。

永時は空の体を諦めたわけではなく、治療法も同時に模索していた。しかし、そこには全て絶望しかない。彼は既に山の頂点に立ってしまっていた。周りには登る場所もなく、下り行く道しかない。

だから、未踏の地へと足を伸ばした。そこが地獄であっても構わなかった。

だから、彼は魂などという不確かな希望に縋り付いた。縋り付いた上で、それを証明してしまった。

「ちーちゃん」

「うん」

「出来るだけ分かり易く説明するから、しっかりと聞きなさい」

どちらにせよ、何処れ千冬にも話さなければならないことだ。

永時は小さい千冬でも分かるように、可能な限り分かり易く説明をした。

空の状況。

体の状態。

そして、これから行おうとすること。

その全てを話した。

「……それは」

千冬が目を真っ直ぐ見て言った。

「それは、ズルだよ」

子供は素直だ。

ああそうだろうと、永時は素直に受け入れた。

そう、これはズルなのだと。

それは分かっていた。理解していた。

ズル以上に、踏み入れてはならない場所だと知っていた。

「だって、鳥さんは死んだら、そこで終わりだよ。怪我を治すことは出来ても、死んだら、治らないでしょ?それが死ぬってことじゃないの?」

計らずも、山という環境は千冬に大きな影響と教育を与えていた。

植物の息吹。虫という生命。他の命を食らい活動する動物達。

食物連鎖を産まれた時から目にし、その成り立ちを感じてきた。

言葉に出来ないが、千冬はそれが自然の理から外れたことだと理解している。

永時は態と意地悪な質問をした。

「お母さんに、死んで欲しいかい?」

「それは、嫌だけど……」

いけないことだけど、死んで欲しくもない。

「だけど……だけど……」

それはとても単純で、そして難しい問題で。

「意地悪を言ってごめんね」

永時は千冬を抱き締めて、ポンポンと優しく背中を叩いた。

「ちーちゃんが感じてることは、きっと正しいことだから。だから、それを忘れちゃいけない」

「……うん」

「でも僕はお母さんを、空を生かしたいんだ。だから、これは僕の我儘だ」

永時は体を離し、千冬の肩に手を置いて真っ直ぐ見つめた。

「だけど、多分僕は同じ目に合ったら死を選ぶと思う」

多くの人の命を救って、同じ数だけの人を見捨ててきた。

それでも一人の命を、空の命を、理を外れてまで生かしたいと願った。傲慢な欲望の果てを掴み取ってしまった。憖、手に入れてしまったからこそ、質が悪い。それを証明するだけの力があったことが、恐らくは何よりも不幸なのだ。

それは空を生かしたいという願いがあったからこそ得たもので、それを自分自身に適応しようなどとは思わない。

多分とは言ったが、仮に命を失う場面となったら、永時は間違いなく死を選ぶだろう。

それもまた、傲慢な考えであろうが。

「この世界には色んな人がいて、色んな考えを持ってる。皆がバラバラな思いを持ってる。それぞれに正しさがあって、間違いがあるんだ」

「……うん」

「だけど、ちーちゃんは、千冬は正しい道を選べる力がある」

永時に正面からズルだと切り込んだ。迷いなく、母親を失うと知っていても、それはやってはいけないことなのだと理解していた。

「千冬は自分の信じた道を生きなさい。自分で生きられる力を、自分で死を選べる生き方をしなさい。僕はそれを全力で応援する」

幼い千冬に、それが何処まで伝わっているかは分からない。例え意味が分からずとも、その想いさえ伝われば良い。

「うん」

想いを受け取ったと。

千冬はしっかりと頷いた。

 

 

 

 

今度は死ぬ。

永時の言葉に、空は分かっていると頷いた。

寧ろ、今回で死ななかった方が奇跡に近い。よく生き延びたと、心の底から思う。

「完成まであと一歩だ。それさえ出来れば……」

「ねぇ、永時」

永時の言葉を遮り、空は語る。

「もう一人、子供を産みたい」

馬鹿を言うなと、叫びそうになった。

どうしてと言葉を吐き出しそうになった。

調べるまでもなく、耐え切れぬことは分かり切っている。出産など以ての外で、帝王切開すら既に危険だ。

「…………っ」

それでも言葉を飲み込んだのは、空の瞳が永時を映し出していたからだ。

透明な瞳が自分を見ていた。

情けない顔の自分が自分を見ていた。

「この体が長くないのは自分が一番分かってる。多分、後一年は耐えられない」

「だったら……」

「だから、それまでに完成はさせる」

だけどと、言葉は続く。

「この体である私。本当の私自身を、最後に愛して欲しい。その証が欲しい」

大丈夫と、空は微笑んだ。

「ちゃんと完成させて、生き延びるから」

ああ、と永時は気が付いた。

空は本当に、体を入れ替えてまで生きたいと願っているのだろうか。永時が死んで欲しくないから、彼の願いの為に、彼女自身の生を捧げようとしているのではないか。

 

でも、何もかもが遅かった。

 

もう永時も空も止まれない。

 

生を願った故に、その想いは止められない。

 


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