インフィニット・ストラトス Re:Dead《完結》   作:ひわたり

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壊れていくもの

永時と空が結婚してから数ヶ月が経った。

結婚したからと、彼等は特別なにをするわけでもなく、今まで通りに過ごしている。形式上とは言っていたが、正に言葉通りだとエリザは呆れた。二人の仲が良いのならそれで良いとは柳韻の言葉であり、好きにしてくれと投げやりなのは十蔵である。

「僕達は何を期待されてるんだ」

「結婚式とか?」

「やるかい?」

「面倒」

色々とずれたことを言っている本人達が一番呑気であった。

 

 

雨が降っていた。

雨粒が窓のガラスを叩きつける音が部屋に奏でる。カリカリと空が紙に書く音と、永時が本のページをめくる音が雨音の中に混じっていた。

「……ふぅー」

空はペンを置くと、目頭を抑えて長い溜息を吐いた。

空がそうした弱い部分を見せることは非常に珍しく、大分詰まってるらしいと察する。

「手詰まりかい?」

永時が本を閉じて聞くと、そうねと掠れた声で返事が返ってきた。

「どうしてもエネルギーの問題が解決しないの。どう計算しても補い切れない」

空が作ろうとしているのは可能な限り人に近付けたパワードスーツ。力強いのは勿論、空も飛べ、宇宙さえも到達出来る夢のようなスーツ。

理論までは完成にこじ付けられた。

後は、それをどうやって動かすのかという問題。

スーツの機動性と能力、加えて、身に付けた人の安全性を考慮すると、どうやってもエネルギーの問題にぶつかってしまう。

「…………」

どこかで妥協する考えはない。

これは文字通り空の夢なのだ。

体の弱い自分を未知の世界まで運んでくれる物。

「……永時の方もキツそうね」

「……まあね」

隠そうとせず、素直に頷く。

空が追い詰められた一方で、永時も壁にぶつかっていた。

永時は既にやれる手は尽くした。尽くした上でもまだ足りない。空の寿命は着実に迫って来ている。死の宣告はすぐそこにあった。

「少し、地下に潜ってくる」

「無理はしないで」

「まさか君から心配される日が来るとは」

「永時」

本気で心配をしているのだと空が唇を尖らせると、永時は微笑を浮かべた。

「分かってる、大丈夫だよ」

永時はそれだけ言って病室から出て行った。

病室から一歩出ると、永時の目が鋭くなる。空と出会った日から永時の思考が止まることはない。

「…………」

だが、これ以上考えても答えは出てこない。正確に言えば、死ぬという答え以外が見つからない。

これ以上の施しようはない。

空の体はもう限界だった。

「……体」

そう、体だけが問題だ。

肉体から内臓、骨や脳みそに至るまで、その限界がある。

「…………なら」

人道を踏み外せば、そこに道はあるのだろうか。

道があれば、彼女を救えるのだろうか。

地下の研究所へ着いた永時は巨大な資料の山の前に立つ。

「試す価値は、あるかな」

そうして永時は、空のように数式を書き始めた。ぼんやりと浮かんだ理論を構築する為に。

例え、その先に待つものが地獄であろうとも。

 

 

壁に行き詰まってから更に月日を要したが、エネルギーの問題は一向に解決しなかった。

最近は空の集中力を削がない為に、永時も病室にいる時間は少なくなっている。永時も永時で研究をしているであろうことは簡単に予想がついた。

「…………はぁ」

空は気分転換の為に病院を出た。

今日も雨が降っているので外には出れない。どうせなら歩くかと、壁伝いに足を進めていく。

「……疲れる」

短い廊下ですら体が疲れた。

微妙ではあるが、日に日に体力が落ちて行く自覚はあった。夢を叶えられたとしても、先にこの肉体が保たないかもしれない。少しばかり未来を悲観したが、それが諦める理由にはならない。だが、抗いようもなく死期は迫り来る。

「……ん?」

廊下の向こうから声が聞こえる。

「……だから、私は嫌だって言っているでしょう」

エリザが電話をしていて、向こうの相手に文句を言っていた。

「私が尊重するのはあくまで永時さんの意思よ。それは変わらない。だから、永時さんが頷かない限りは拒否するわ」

じゃあねと、割と乱暴に電話を切り、肩を下げて溜息を吐く。一連の流れを見ていた空は、壁に寄りかかったままエリザに話し掛けた。

「穏やかじゃないわね」

空がいることに気づかなかったらしく、エリザは目を見開いて驚きの表情で振り返った。見られたかと気不味そうに目を逸らす。

「ええ、まあ、少し……」

「大方、永時が未公開にしている研究や情報を教えろって話でしょう」

図星を突かれたエリザは更に驚くが、空も永時と似たようなものだったと思い出し、苦い表情で首肯した。

「……そうです。昔からなんですけどね、色んな研究分野の人だけでなく、昔の仲間からも来るので面倒で」

「教えないの?」

「永時さんは公開したくないと言ってるので、私がそれに反するワケにはいかないでしょう」

研究者が新しい発見を開示しないのも不思議な話だ。エリザも納得してるワケでもないだろうが、永時の意思を否定をすることはない。

永時はクジ引きで決めたと言っていたが、良い人物に恵まれたと空は思った。

「多分、倫理感に反する研究があるんでしょ。一つ間違えば人間の価値を失うもの」

例えば、クローン人間。例えば、若返り。例えば、全ての病気を治す万能薬。

異常で巨大で、飛び抜けたモノは人間社会にどれほどの影響を与えるか分からない。善意ではなく、悪意に走ることだってあるのだ。

「そうですね……」

エリザは長い息を吐いた。

そうであろうとは思っていても、やはり気持ちは沈んでしまう。一つでもまた新しい発見を公開すれば、彼はまた表舞台へ帰れるのに。堂々と大きな研究を行えるのに、彼はそれをしない。

こんな山中の小さな病院で、誰に従うでもなく自分のペースで過ごしている。

何故その才能を生かそうとしないのか。

他者から見て歯痒い思いをするのも、また致し方ないことであった。

「永時はアレで良いのよ」

ケホッと、空が咳き込んだ。

軽い咳かと思ったそれは、酷く激しい咳へと変わる。

「空さん!?」

抑えた口元から血がボタボタと流れ落ちた。

エリザは空へ駆けつけながら、地下にいる永時を携帯で呼び出した。

「空さん、しっかり!……永時さん、空さんが!」

 

その日、空に緊急手術が行われた。

 

 

 

 

『……それで、空くんは大丈夫だったのか?』

「ええ」

手術を終えた永時は椅子に深く座ったまま答えた。

「最初に言ったでしょう。五年は保障すると。それまでの期間なら、何が起きても対処出来ます」

『……それ以降は細胞が駄目になるということか』

「難しいでしょうね。本人にもそれは伝えています。もちろん、柳韻さんにも」

『一番堪えているのは、お前じゃないのか』

「さあ、どうでしょう」

永時は机の上にあった紙を見る。書くスペースが無いと見るや、それを乱暴に投げ捨てた。彼の周囲だけでなく、地下の研究室を埋め尽くすように、数式の羅列が海を作っている。積み重なる紙の山が幾つも連なっていた。

「空とは自然と近くなりましたから、あまり意識はしてませんでしたけどね。一緒にいるのも当然で、結婚もするのが当たり前のような感覚でしたし」

『…………』

「ただ、まあ、恐らく」

恐らく、今の僕は。

「とても酷い顔をしているとは、思いますよ」

空を救えるのなら、悪魔に命を売り渡すくらいに。

『永時』

「十蔵さん」

十蔵の声を遮り、永時は告げた。

「いつか、お願いすることがあるかもしれません。その時は宜しくお願いします」

『……何をする気だ』

「さあ、出来るかも分かりませんし。その時にお話しします」

それではと、永時は連絡を終えて、深く息を吸って吐いた。

「出来るかも分からない……」

最後の一ページを途中まで書き込み、そこでペンを置いた。最後に刻まれた『//』の記号。証明終了の印。

「……なら、出来たならどうするべきかな」

人が踏み込んではいけない領域が、そこにはあった。

紙の海を掻き集め、袋に詰めて焼却炉へと運んで行く。

雨が上がり、独特の匂いと土の濡れた香りが辺りを漂う。静かだった山の中も、虫の鳴く声が木霊していた。

「…………」

永時はポケットからライターを取り出すと、自分が書いた数式の袋に火をつける。それを焼却炉へと投げ込んだ。充分に火が燃え移ったのを確認してから、次の袋を投入する。それが終われば次を投げ、地下室から持ち上げてきては次々と投げ込んでいった。

最後の一つを投げ終えると、それらが燃え尽きるまでジッと見つめていた。顔に揺れ動く火の光が当たり、その表情を浮かび上がらせる。

「…………」

火を見つめる彼には何の表情も浮かんではいなかった。

数式は灰となって消えて行くが、彼の頭の中には理論が完成されている。その理論に穴がないのは自覚していた。

だからこそ、迷うのだ。

火が完全に消えるまで、彼は火を眺め続けた。

 

 

 

「気分はどう?」

「まあまあ、かな」

ベッドに横たわったまま空は答えた。いつも通りに返事をしているが、見るからに怠そうである。

「まさか、こんな事になるなんて思わなかった。いや、考えはしてたけど、こんな唐突なんてビックリ」

「君はもっと自分の体に興味を持つべきだね。研究だけじゃなくて」

「それ、永時にだけは言われたくない」

「なら、倒れないこと」

「無茶言うね」

「まあ、無茶だろうね」

倒れるなという方が無理な事は医者である永時が一番理解している。理解した上で行っているのだから、滅茶苦茶だということは本人も分かっていた。

「それにしても、やっぱり永時は冷静だったね」

エリザから連絡を受けた後、直ぐに状態を確認した上で手術が必要と判断。エリザを助手につけて手術を行っていった。

酷く脆い細胞を前に、永時は淡々と素早く処置を施していく。エリザは彼のサポートに徹しながらも、その正確さと素早さに感嘆していた。

手術は久し振りだが、恐らくは練習は欠かさずに続けていたのだろう。その手に迷いはなく、妻となった人間の体を切り、縫い合わせていった。

「エリザが感心してたよ。寧ろ軽く興奮してたかな」

「冷静に見えたなら、冷静に動けたんだろうね」

「自覚はなかった?」

「私情と感情に囚われないようには努めたさ。でなきゃ、手が震えて使い物にならない」

それが自分の役割だと永時は自分に語るように告げた。

「……そうしなきゃいけないくらい、動揺してたんだ」

心の内は空に見透かされていて、永時は小さく頷いた。

「……そうだね、そうなんだろう」

「ふふふ」

「なに笑ってるの」

「別に」

空は布団の中から手を出した。その意図を読んだ永時が手を握り返す。

「思えば、手を繋いだこともなかったね」

「確かに」

お互いに自然過ぎて、そんなことさえ気付かなくて。

二人でいたことが全てで。

「ねぇ、永時」

だからか、そんな素直な言葉が出る。

「貴方との子供が欲しい」

「……それは」

空の体を考慮すれば、それは危険だ。赤子を宿した後の母体も非常に労力を与えることとなる。

それが出来るかと言われると、医者としては首を振るべきだろう。

だが、永時としては。

一人の人間としては。

それは

「お願い」

私が完全に駄目になってしまう前に、どうか。

 

その頼みを、永時は断れなかった。

 


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