インフィニット・ストラトス Re:Dead《完結》   作:ひわたり

40 / 64
それぞれの生き方

調理室に永時がいた。

小さなこの病院は元から入院を想定して作られていないので、この調理室も大きくはない。それでも、必要最低限の食料や調味料は確保出来るようになっていた。

永時が料理を作っていると、空いていたドアをコンコンとノックする音が聞こえた。

「……何してるの、貴方は」

いつものような半眼で、いつも通りに呆れた顔の空がそこに居た。

「やぁ、見ての通り料理だよ。そろそろお昼だしね」

「私が言いたいのはそういうことじゃないんだけどね……」

どうして医者が調理室でご飯を作っているんだとか、住んでても貴方の家じゃないだろうとか、言いたいことは色々あったが、まあ良いで流した。

「何でドア開けっ放しなのよ。匂いダダ漏れよ」

車椅子を動かして永時へと近付き、隣に並んだ。空の視線からは台の上が見えなかったが、鍋で何かを煮込んでいるのは分かる。

「ああ、そういえば、他の人が居たことがないから気にしてなかったよ。ごめん」

「別に良いけれど」

頭を下げる永時に、空は構わないと首を振る。長い髪が微かに後を追って揺れた。

「開けておくと、何かあった時に聞こえるからね」

小さな病院の為、大声を出せば響いて聞こえる。出掛ける時と地下へ行く時は永時とエリザで連絡を取り合っているので、それ以外であれば病院の何処かにいるのは確実である。ならば、呼ぶ時は大声が一番手っ取り早い手段なのだ。

もっとも、空が此処へ来てからは、その大声とやらは聞いたことがないのだが。

「味見するかい?」

そう言って、永時が小皿を差し出してきた。中に入ってるのは黒に近い液体。

「これ、ビーフシチュー?」

「匂いで分からなかったかい?」

香りで分かりそうなものだと首を傾げる永時。

「食べるの久し振り過ぎて忘れてたわ」

「そういえば、出前も野菜関係が多いよね。肉嫌いなの?」

「嫌いではないけど、油っこいのは苦手ね。気持ち悪くなるし、野菜の方が好き。温め直す必要ないし」

「そうか。可能なら、少し肉も食べた方が良いよ。ただでさえ細いのに」

熱いから気を付けてとの忠告を受け、空は恐る恐る小皿を口に運ぶ。

「…………!」

普段は細められている目が見開き、仏頂面が消えて、驚きの表情へと染まった。

「美味しい……」

「そいつは重畳」

ニコリと永時が笑顔を浮かべる。

ハッと我に返った空は、慌てて小皿を突っ返した。

「別に恥ずかしがらなくても」

「恥ずかしがってない」

ムスッとした顔つきに戻ってしまい、永時はやれやれと肩を竦めた。

「いつも眉間に皺寄せて疲れない?」

「貴方みたいにいつもヘラヘラしてるのもどうかと思う」

「それは確かにその通りだ」

反論せずに同意すらする永時に、空はますます眉を顰めた。永時は鍋をかき回しながら聞く。

「何で君の意見に同意して不機嫌になるんだい?」

「貴方のことが分からないからよ」

「分からないから不安になるのか?」

不安だから、人を遠ざけるのか。

不安になるから、誰とも触れ合おうとしないのか。

「そうじゃない」

「体が弱くて引き篭もり気味だった君は、知識の世界へ逃げた」

「何を……」

見上げた永時に笑顔はなく、淡々と言葉を紡いでいく。

「知識を積み上げることで自らの孤独を殺し続けた。いつしか、君の知識を求めて大人達が群がり始めた。金、名誉、知能、欲に塗れた人間達から身を守る為に、削れていく知識の壁を築き続けた」

そしていつしか周りが見えなくなる程に壁は築き上げられて。そこには自分しかいなくて。

ただ一人の城で、知識という籠城戦を行った。

「しかし、そこは孤独だ。だから君は知識を得続ける。その知識が人を呼び込む餌と知っているからだ。どんな人でも人は人。孤独を紛らわす為に孤独になり続けるという矛盾」

「勝手な妄想だわ」

空は永時を睨みつけた。

「私は私の夢を叶える為に生きてきた。これからもそうする。人が群がって来るのは向こうの勝手よ。私はそれを利用してるだけ」

「自分が削られていくのを我慢してまで、そうする価値があるのか?」

「……何が言いたいの」

空の言葉に、致命的な一言を告げる。

「何故逃げない?」

そいつらから。

この話をする永時から。

この病院から。

何故逃げないのか。

「…………っ」

キイッというタイヤの音を立てて、空は後退った。永時はそれを知ってか知らないでか、笑顔で評価を下した。

「臆病だね、君は」

「貴方のイメージで私を決めつけないで」

空は永時を一睨みすると、車輪を動かして背中を向けた。

「向かい合うことも、逃げることもしなかった貴方に言われたくない」

じゃあね、と空が動く。

「昼ご飯、ビーフシチュー食べるかい?」

「いらない」

出て行った彼女の背中を見送り、永時は黙ったまま料理を再開した。

「孤独って、そんなに嫌かな」

一人でそこに立つ永時は、誰に言うでもなく、一人ポツリと呟いた。

 

 

 

夜。

ぺたりと静かな足音が鳴る。

暗い廊下の中、非常灯のみが足元を照らしていた。昼間とは異なる暗い世界。人の気配がしない分、余計にその暗さを濃くしている。

その中を小さな足音が歩みを進めていた。

不意に、廊下の電灯が明かりを灯す。

「!」

急に明るくなったことで、足音の主は目を瞑って刺激を避けようとした。

「何してるの」

背後からの声。

永時の声に、彼女、空は振り返った。

普段と変わらぬ白衣の姿に、空は読まれていたかと内心で舌打ちする。

「何って……トイレよ」

「夜中に、私服で?」

永時は空との距離を詰めることなく、淡々と質問を繰り出していく。

「ええ。さっきまで本を読んでいたしね」

空も淡々とそれに応じた。

「車椅子は?」

「偶には歩かなくちゃ、筋肉は衰えていく一方だからね。練習を兼ねてだよ」

実際、空は歩けなくはない。ただ、長時間の運動は体が堪えるので、負担を掛けないように車椅子を多用しているだけだ。

「手伝おうか?」

「いらない」

空はそう言って、壁に手をつきながら歩いて行く。頼りない足取りは普通の人間の歩行よりも遅く、たどたどしい。

「…………」

永時はその背中を見送った。

 

進んで行った空は、そのままトイレには行かず、外へ出た。受付にエリザは居なかったので、出るのは簡単だった。

嘘を吐いたことは永時に見抜かれていただろうが、そんなことはどうでもいいと、空は歩き出す。

ヨタヨタと、一歩が非常に危険な中を、自分の足で歩いて行く。

山中とはいえ道路は舗装されている。獣道でない分まだマシだ。街灯はないものの、今夜は満月であり、月明かりだけで十分に周囲の確認は把握出来た。

「はっ……はっ……」

動機が激しい。

息切れがする。

我ながら貧弱な体に、空は苦しむ胸を抑えながら自身の身体を叱咤した。

だが、一歩進む毎に体力は目に見えて無くなり、スピードも感覚も落ちて行く。気持ちだけが早り、相反するように体は落ちて行った。

「…………っ」

やがて、空の足は完全に止まった。

足元を見て、今更自分が裸足だったことに気が付いた。靴下くらい履いておくべきだったと後悔する。

一度認識すると足の裏の痛みが響く。足を上げてみると、小石や礫が張り付き、全体が土で汚れている。じんわりと赤い皮膚が土の向こうから顔を見せていた。

「…………」

足を下ろし、一歩踏み出す。

そこが限界だった。

ガクンと膝が曲がり、躓くような形で両膝と手をついた。

それ以上歩けなかった。

これだけが彼女の距離だった。

「…………くっ」

空が手を振り上げる。

拳を握り、自分の足に叩きつけた。

それすら、大した威力を持たず、ペチリと柔らかく肉体がぶつかる小さな音ばかりが鳴った。

「うぅ…………!」

情けなくて。

どうしようもなくて。

天才だの何だのと持て囃されても、所詮自分はこの程度なのだと、自分がよく知っていた。

人は出来ない物を、他人の資質を羨むという。それが事実ならば、他人が空の頭脳を羨むのは当然であり、空が普通の人を羨むのもまた、当然であった。

普通の人と同じように走れない。

普通の人と同じように歩けない。

普通の人と同じように動けない。

自分は他の人間とは違うから。

それが良い意味でも、悪い意味でも、自分と他者は違う。そんなことは分かり切っている。そんなことはとうの昔から理解していた。

だからこそ

「私は…………!」

だから、どうしようもなく、やるせなくて。

視界が歪む。

握り締めた拳に頰から流れ落ちた水滴が当たって弾けた。

「…………」

暫くすると、背後から足音が近付いて来た。空の歩きとは違い、普通の人と同じ、しっかりとした足取り。

近寄ってきて、空の前まで迂回する。

顔を上げる気力もない空の視界に、古びた革靴が目に入った。

「……これが私よ」

俯いたまま空は零した。

「逃げたくても、逃げることさえ出来ないの。私は人形のように、誰かに操られ続けられるしかないの」

だから。

「だから私は!利用する側に回るの!近付いてくる人は皆、私が利用する!!」

それが精一杯の抵抗。

夢を叶える為に、利用されてでも相手を利用する。

そうすることしかできない。

それが、篠ノ之空という人間の生き方だから。

「…………」

カチッと、何かが弾かれる音と共に暖かい光りが灯る。

何かと自然と目で追えば、それはライターの火だった。

微かな空気の流れに、小さな火が不規則に揺れる。

「火の先端が揺れてるだろう。こういう不可思議な動きを見ていると、人は心が安らぐらしい」

その火の向こう、膝を曲げて空と向かい合う永時の顔があった。

いつものヘラヘラとした笑顔ではなく、真面目でもない自然な顔つき。

「…………」

永時は地面を気にすることなく、そのまま胡座をかいて完全に座った。

「君は、火が好きか?」

「……考えたことない」

永時の質問に、空は素直に答えた。

「そうか。僕は、あまり好きじゃないかな」

永時は火を付けたまま話を続ける。

「日本だと火葬が主流だから、この火と熱が亡くなった人を消していくのだと思うと、少し悲しい気持ちになる」

それは医者として、多くの人を看取ったからこその言葉なのか。永時本人が元々持っていた考え方なのか。

「でも、火は人の発展に大いに役立ってきたわ」

「そうだね。身近な物だと料理なんかでもそうだし、太陽みたいな大きな存在もある」

少しだけ強い風が吹き、ライターの火が消えそうなほどに揺れ動く。

「だけど、人の命はコレと同じだ。いつ消えてもおかしくない」

「だから、貴方は医者をしているの?その火を燃やし続ける為に」

空の言葉に、永時は首を振った。

「いいや。僕は言わば、このライターの燃料さ。火を灯すのでもなく、火を消すのでもない。ただの燃料。この火を点け続けるか、或いは消すかは、本人次第」

永時にとって、他人はどうでも良かった。それでも、他人を知り続けた。その上で、彼は一人で在り続ける。

彼は一人でも構わなかった。

孤独で良かった。

近くに寄って来た者を助けては手放してきて。それはある種の無責任で。

故意に孤独になりたいとも思わずに、自然と孤独で在り続けた。

それが織斑永時の生き方だった。

「僕は、それだけで良い。それだけで良かった」

永時と空は似ていた。

似ていて、決定的に違っていて。

だから二人は出会ってしまった。

「…………」

永時の指が離れ、小さく灯っていた輝きは失われた。

「……君は、何処へ行きたかったんだ?」

夜中に人目を盗んで抜け出して。

結果は見えていたくせに、途中で挫折して。

まるで子供のような。

そんな稚拙な行動をしてまで。

夢を叶える為に踠いて。

人を利用して。

泣き叫んで。

そうしてまで、何処へ行きたかったのか。

何処を目指していたのだろうか。

「さぁ、何処かな」

私は、何処へ行きたかったのだろう。

「ねぇ、貴方は、空を飛びたいと願ったことはある?」

「小さい子供の頃でなら」

「そう。私もね、鳥に憧れた時があったんだ」

何処までも飛べて、どこへでも行けて、自由に大空を駆け巡って。

憧れた。憧れていた。

憧れている。

空は、今も尚、そこにある。

「私だけ、だなんて言うつもりはない」

色んな人がいるし、もっと多くの物を抱えている人もいるのも知っている。

それでも。

でも、それでも。

思わずにはいられない。

「何で、私なのかな」

見上げた夜空は星が瞬いていて、その中を大きな月が浮かんでいる。

星は大きな月に憧れるのだろうか。

どうしようもなく、大きく目を引くそれは、数多の星々と本当は変わらない筈なのに。

星の名前全てを知る人などどれ位いるだろう。

ただ人は、その月だけを見る。

月の気持ちなど考えずに。

「私は、何なのかな」

恵まれた才能。全てを見透かす知識。唯一無二の頭脳。優秀な成績。誉れのある名誉。誰もが羨む名声。

全て下らない。

そんなものはどうでもいい。

そんなものはいらない、

欲しいのならくれてやる。

だから、代わりに頂戴。

「私は、普通に生きたかったのに」

こんな柵の中ではなく。

檻の中でもなく。

囲まれた壁を乗り越える翼が欲しかった。

「…………」

スッと永時と手を前に出す。

空の前に突き出された掌。

手を開いて、その隙間の鋭い視線に、空は一瞬魅入った。

「五年」

「へ?」

「君が今の状態でいられる期間。五年間は保障する。そこから先はどうなるか分からない」

医者からの宣告に、空は努めて冷静に問う。

「死ぬってこと?」

「五年を過ぎれば歩けなくなったり、寝た切りで過ごす可能性が高い、という話だ。無論、死ぬ可能性もある」

そこが境目。

そこが限界。

だから。

「だから、僕はその数年間に全てを注ごう。君を生かし、君を助ける糧となる。そして、君が生き続けられる方法を探そう」

篠ノ之空が生き続けられる道を探す為に。

織斑永時は全てを捧ぐと決意する。

「医者だから?」

「もちろん、それもある」

だが、一番のところは。

「一番の理由は、僕が君に興味が湧いたからだよ」

それは、とても単純な理由で。

「実験動物的な意味で?」

「どうにも、君は人の意見を悪意に変えるね」

「捻くれてるからね」

「自覚してるところが質が悪い」

「否定しないのは優しくない」

やれやれと永時は大袈裟に肩を竦め、膝を曲がめて空へ背を向ける。

「乗りなよ」

「病院へ行くのね」

「それ以外、帰る場所なんてないだろう」

君にも、僕にも。

言葉の裏で、そう呟いたようで。

空は目を閉じて頷いた。

「ええ、そうね。……まったくもって、その通り」

空は永時へと身を預け、彼の背中へ体を乗せた。広い背中だなと、ぼんやりとそう感じる。

永時が立ち上がり、歩き出す振動を一歩一歩感じ取った。トントンと優しく動く足並みは命の鼓動に似ている。

「やっぱり、貴方は背が高い」

「君が低いだけさ」

病院の明かりが見えた頃、永時は思い出したように、ああそうだと、呟いた。

「僕も君を見習って、夢を持ってみることにしたよ」

永時がそう話し掛けてみたが返事が無い。

首だけで振り返ると、視界に白い髪が入り、耳には静かな寝息が聞こえた。

「……おやすみ」

 

理由は、とても単純で、簡単なもので。

それは織斑永時には初めての感情で。

そして初めての夢。

 

空の笑顔を見たかった。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。