インフィニット・ストラトス Re:Dead《完結》 作:ひわたり
シャルロットが彼に出会ったのは月夜の時だった。
今日は母親の仕事が遅く、一人で家にいた時のことである。
地面を響かせる爆音と振動に、ソファーに座ってテレビを見ていたシャルロットは飛び上がった。
何が起きたのかと慌てて周りを見回すが、家の中に変化があるわけではない。外で何かあったという結論に辿り着くには時間が掛からず、夜遅い時間であったが、興味に負けて外へと出てみた。
周りの家から離れるように建てられたシャルロットの家。一本道はシャルロットの家で終わっている最後尾。周りには草花が生え見晴らしは良い。
普段は街灯ではなく月明かりが役立つこの場所で、赤い火が辺りを照らしていた。
「……何あれ」
山の中腹で何かが燃えている。
面はこちらに向いておらず、黒煙と赤い光だけが見えた。彼方に誰かの家が建っているという情報はないので、出火原因が何なのかと首を傾げた。
山とは反対の方角を見てみれば、街からチラホラと光が灯るのが見えた。皆、あの爆発が何なのか気になっているようである。
シャルロットは暫くの間、もくもくと立ち登る黒煙に魅入っていた。
「…………!」
木々の向こうからガサリと音が鳴る。
炎に怯えた獣が来たのかと、家に直ぐに入れるように警戒する。
そうして、向こうから姿を見せたのは、少年であった。
歳は十代半ば程。黒い髪に、ボロボロの服装。肌も煤によって黒ずんでいる。
「あっ……」
少年とシャルロットの目が合った。
少年は驚いたように目を見開き
「…………」
シャルロットに分からない言葉で何かを呟いた。
ただ、その顔がとても優しくて、悲しそうで。
「…………!」
少年の体が傾き、シャルロットは思わず彼に駆け寄った。幼いシャルロットにとって、力を無くした彼の体重を支えるのは非常に酷な作業であったが、何とか持ち堪えた。
再び彼が何かを呟くが、シャルロットにはそれが何なのか理解出来なかった。
すぐ横にある火傷の痕が印象的で。
月明かりの中で、シャルロットは少年を抱き締めた。
命の鼓動を感じた。
すぐ後に、帰宅したセリーヌが外に出ているシャルロットを発見し、抱き締めて支えている少年を見て驚いた。
セリーヌはすぐに救急車を呼ぼうとしたが、爆発が起きて動き始めていた消防車と救急車が町の方で動いており、その内の一台が此方へやってきた。
セリーヌも状況は分からないので説明は出来なかったし、シャルロットも勿論知らない。
だが、少年が爆発からの生き残りであるのは想像に難くない。
少年を乗せて行こうとした救急隊員に、シャルロットは一つ質問をした。
「何処の病院ですか?」
救急隊員は空きがあるからと、町の近くの病院名を言い残し、彼を運んで行った。
「…………」
シャルロットは手を見つめる。
先程まで崩れそうな命を支えていた両手を、ジッと見つめた。
「大丈夫?シャルロット」
心配そうな表情で覗き込んできたセリーヌに一度だけ頷いて返す。シャルロットは顔を上げてセリーヌの顔を見た。
「お母さん」
「何?」
「あの人、助かるかな?」
脆かった命は簡単に崩れそうで。
だから、単純に心配で。
「そうね、落ち着いたらお見舞いに行きましょう」
「うん」
支えた両手は、命の儚さを知った。
▽
シャルロットは詳しくは分からなかったが、事故現場は一月と経たずに綺麗に整備された。
セリーヌが早い対処ねと驚きと感心をしていたのを聞いていたくらいである。明確な基準を測る術が無い彼女は、そうなのかと思いつつ、家の庭から遠くにある現場を見つめるのだった。
シャルロットは学校では独りだった。
虐められているわけではないし、人と話すことに抵抗があるわけでもない。
自分から進んでそうしているのは、偏に自分の立場が特殊だからだ。
IS会社、大企業の社長、デュノアの娘。
ただの娘ではなく、愛人の娘という批難されるべき立場に彼女はいる。ISは最近更に世界中で事業を拡大させている。フランスの代表とも言える大企業で、社長のスキャンダルはマスコミの格好の餌となる。
矛先が自分や社長に向くのなら、シャルロットは別に構いはしなかった。顔もあまり見せない父親に愛情はないし、抱く筈もない。寧ろ、偶に会っても母親をぞんざいに扱う彼を嫌ってすらいた。
しかし、優しい母親が世間の敵意に晒されるのだけは避けたい。
その為、シャルロットは自ら人を避けた。
何処かでボロが出るのを恐れて、人から遠ざかっていった。
寂しくないわけではなかったが、母親さえいれば、彼女にとってそれだけで良かった。
「今日、病院に行きましょうか」
セリーヌの提案にシャルロットは頷いた。
田舎の町から近い病院であったが、大きい病院である。車も多く停まっていて、病院という施設から考えて喜ばしいことではないのだろうが、とても繁盛しているようであった。
専門病院ではなく、内科や外科、心臓内科など幅広い分野が備わっている。
シャルロット達が少年を助けた立場であるのは病院側に情報が与えられており、面会の許可を得ることができた。
「お母さんは先生と話してくるから、シャルロットはあの子と話してきなさい」
「お母さんは話さないの?」
「後から行くわ」
長い間、碌に人と話していなかったシャルロットはやや緊張してしまう。
だから、人と話す練習の為にも一人で行けと言ってるのかと、少しだけ邪心した。
「分かった」
シャルロットはセリーヌの言葉に頷き、少年へ会いに向かった。
緊張が残ったまま病室のドアをノックするが返事が返ってこない。寝ているのかとドアを開けてみると、そこには誰もいないベッドしかなかった。
肩透かしを食らった気分になりつつ、ならば何処へ行ったのかと頭を捻る。教えて貰った病室番号に違いはないので部屋を移動したわけではないだろう。
部屋に籠りきりになっていたらどういう行動を起こすかと考える。病室以外で出来る暇潰し。或いは、気分転換。
「……外かな」
庭か屋上だろうと当たりをつけて、先ずは屋上からと足を向けた。
階段を登りドアを開ける。
差し込んでくる日の光に目を細めて顔を出すと、柵の側に人影があるのが見えた。
そこに、自分が探している少年の後ろ姿があった。
目立つ黒髪にシャルロットは近付いて、やや緊張しながら話し掛ける。
「こんにちは」
「…………」
少年は振り返り、不思議そうな顔をした後に、シャルロットを見て思い至ったのか何かを言った。
異国の言葉をシャルロットは理解出来なかったが、自分を思い出してくれたのは反応を見て理解した。
「…………」
……こんな顔をしていたのかとマジマジと少年の顔を見る。
出会った時は煤まみれだったので彼の姿を正しく認識出来なかった。
綺麗な黒い髪と黒い瞳。整った顔立ちをしていて、左目付近にある火傷の跡が痛々しい。目立つ程酷い跡でもなかったが、それは事故に遭ったことを明確に表している。
「大丈夫?」
シャルロットは少年の火傷の跡に触れた。
痛むかと、そう聞いて。
『大丈夫』
不思議と、その言葉が分かった気がした。
少年の優しげな笑顔に、シャルロットは程良く体の力が抜けるのを実感した。
安心したのだと、そう自覚した。
それから、シャルロットと少年は単語を教え合った。
言葉が通じないのは分かったので、それぐらいしかやることがなかった。上手く発音出来た証として拍手を送る。
それだけのことだったが、シャルロットはそれがとても楽しかった。
そういえば名前を知らないと、シャルロットは自らを指差してシャルロットと名乗った。
少年もそれを理解してくれた様子であったが、彼は困り顔で名乗りを上げようとしなかった。
「…………」
……それとも、出来ないのかな?
シャルロットは出生の立場上、人の言動には敏感であった。その為、彼には名乗れない理由があると察し、少しだけ考える。
「シャルル」
シャルロットに似た男性名。
シャルロットは少年に、シャルルの名を与えた。
少なくとも、この場で名前がないのは不便だろうと深く考えずに名付けた名前であったが、それが長い期間続くとはこの時のシャルロットは知らない。
「シャルル」
そして少年はシャルルの名を受け入れた。
こうして、少年はシャルルの名を名乗ることとなった。
▽
シャルロットに友人が出来たのが嬉しかったのか、セリーヌはシャルロットをよく病院に連れて行くようになる。
シャルロットは自分の為とも思ったが、シャルルの為もあるのではと考えた。
シャルルが記憶喪失であり、家族がいないことは後から本人を通じて知った。
シャルロットにとって父親は居ないようなものだったが、シャルルには母親すら居ないのかと衝撃を受けたのは記憶に新しい。オマケに記憶を無くしている彼は、自分の全てを失った空っぽの状態である。
だからと言って憐れみを持って接してはいけないとセリーヌに諭された。シャルロットは頭が良く、その意味を素直に受け入れた。
友人になったのは勿論だが、シャルルにとって本当の意味で唯一話せる相手がシャルロットだけなのだ。そのことを、多分シャルル本人は全く気に掛けていないだろうが。
「やぁ、シャルル」
「やぁ、シャルロット」
そうしていく間に、シャルルは流暢にフランス語を話すようになった。
話すだけでなく、単語や知識も驚くべき勢いで吸収されていく。
文字が読めるようになったからと、シャルロットが彼の代わりに本を借りてくるが、それも日が増すことに難しい本へと発展していった。既にシャルロットでは読むことが不可能な本にまで手を出している。
「…………」
「あらシャルロット、何を読んでるの?」
「分からない」
シャルルに頼まれた本を読んでみるが、本当にわけが分からなかった。量子理論などタイトルからして理解不能だ。
言語や知識など、元々知っていたのだろうと結論付ける。そうでなければ説明がつかないし、そう思わないと悔しい部分があるのも確かであった。
逆にシャルロットは日本語を教えてもらったり、見向きもしなかった新しい分野に目が行くようになったので、勉学の面では非常に貢献されていた。
悪いことではないし、自然に覚えていくので辛いことでもないのだが、なんだかなぁと思わずにもいられないシャルロットである。
「難しい本読むんだね」
「知識が増えるのは楽しいよ」
勉強というよりも勉学。
自ら学んで取り入れていく様は凄まじいものだが、シャルルからすればそれは趣味の延長なのだろう。
シャルロットは今日も本を持って病院を訪れる。
いつもセリーヌは病院の入口まで付いてくるが、シャルロットとシャルルを二人きりにするように離れて行った。これもいつものことである。
「シャルル、いる?」
ドアをノックして開けてみるがベッドは空っぽだった。
また何処かへ行っているのだろうと、本だけを置いて彼を探しに他の場所へ足を向ける。
屋上や庭を回ってみるがシャルルの姿はない。
ならばあそこかと、受付近くのフロアへ足を向けた。
フロアの一角に新聞コーナーがある。予想通り、シャルルはそこに座って新聞を読んでいた。
「…………」
シャルロットは少し離れた所からその様子を確認する。
この光景も彼の日常だった。
シャルロットはシャルルが人と話しているのを見たことがない。言葉は既に完璧過ぎる程なのに、シャルルは自ら進んで話すことはしようとしなかった。
没頭するように本や新聞、テレビやネット、兎に角情報を取り入れていく。異常と呼べる程に。
それは無くした記憶を埋める行為なのか、はたまた元来の彼の行為なのかは判別出来ない。ただ、今彼がそうなのは覆せない事実だ。
果てに、シャルルは最近シャルロットにこう言う。僕の所へ来ないで友達と遊んでこい、と。
友達がいないシャルロットを揶揄っているわけでも、作ってこいと言っているわけでもない。本質は、一人にしてくれと願っている。
本人がそれを自覚しているかは分からないが、シャルロットは一人になりたがっている彼に、ある種の衝撃を受けた。
記憶を無くし、身内も知り合いもいない彼は、ある意味で自分よりも弱い存在なのだ。なのに、誰にも頼らずに一人で生きようとしている。
それがシャルロットには理解出来ない。
何故だと疑問の渦に巻き込まれる。
きっと、シャルルは一人で生き抜いてしまうだろう。
誰にも頼らずとも、シャルルは生きていけるのだと確信に似た思いがあった。
その思いを胸に疼かせたまま声を変える。
「シャルル」
シャルロットの声掛けに、シャルルは笑顔で振り返る。
「……ああ。やあ、シャルロット」
そして、もう一つ確信がある。
このまま疎遠になれば、きっと彼はずっと孤独になると。
そして同時に思うのだ。
彼を孤独にしてはいけないのだと。