インフィニット・ストラトス Re:Dead《完結》 作:ひわたり
天才と天才
山の中に小さな病院が建っていた。
静かな中にあるこの病院は清潔さが保たれていたが、中は非常に静かである。
平日の昼間でも受付には患者は一人の姿も見えず、受付は書類を整理しながら暇そうに欠伸をしていた。
その病院の中庭のベンチに白衣を着た一人の青年が座っていた。
整った顔立ちだが、やる気のなさそうな顔。ボサリとした髪に落ち葉がふわりと乗る。それに反応することなく、青年は目を瞑ったまま動かない。
「……じ。……えいじ」
暗い瞼の向こう、誰かの声が響く。
「織斑永時!起きろ!」
永時と呼ばれた青年がゆっくりと目を見開いた。目を擦り、大きな欠伸を一つする。反動で頭に乗っていた葉が落ちた。
身に付けた白衣から汚れを叩き取り、声を掛けてきた男性へと顔を向ける。
「……あぁ、どうも、十蔵さん」
永時の名を呼んだ男、体の大きい強面の男が目の前に立っていた。
永時は彼を十蔵と呼び、呆れ顔の彼にヘラヘラとした笑顔で対応した。
「どうもじゃない。何してるんだお前」
「何も。敢えて言うなら昼寝ですかね」
此処は誰も来なくて暇なんですよと、永時は笑った。
「……そうじゃない。どうしてこの病院にいるんだ」
「そりゃあ、アレですよ。所謂左遷て奴ですね。僕の存在は厄介だったらしくて」
ヘラヘラとした笑いは変わらない。
これが外国で様々な医療分野で活躍し、国内でも功績を挙げてきた男だとは誰も信じないだろう。
オマケに20代と若い歳だ。その若さと功績から、確かに反感も多く買う立場ではあったが、活躍も多かった筈だ。
なのに、彼は今こうして僻地へと追いやられている。
「何をやらかしたんだ」
「さぁ、どれが癪に障ったのやら。まだ開示してない情報も研究も腐る程あるんですが……。ま、それについては良いでしょう」
自分の身に起きたことを、永時はどうでも良いことだと片付けた。
「それで、政府のお役人が何をしにこんな辺境へ?お暇なんですか?」
「暇なわけなかろう。ただ、お前にお願いがあってきたんだ」
医療界で天才と呼ばれた男。それがこの織斑永時。
十蔵はかつて彼に治療を受けた事があり、数々の実績からも腕を信頼している。医者という立場でありながら研究員としての側面もあり、彼の見つけた発見は多大な貢献をしている。
今回の案件で彼を頼りに十蔵は病院に訪れたのだが、彼の居場所がこの小さな病院と聞き、直接彼と相対するまで半信半疑のままだった。
そんな彼はヘラヘラとしたままで、才能を持て余して本当に何をやっているのかと怒鳴りつけたくなる程である。
「仕事ですか?」
「そんな所だ」
十蔵が手を上げて遠くにいた部下を呼ぶ。
部下は車椅子を押して、一人の少女を運んできた。
「…………」
白い髪の綺麗な少女。
人形のような綺麗さを持つ少女は、その美貌を台無しにするように憮然とした表情で車椅子に座っている。白いワンピースから覗く手足は細く華奢で、彼女が運動もしていないことを告げていた。
「病気ですか?」
「所謂、不治の病という奴だ」
永時は少女へ近付くと、目の前にしゃがんで目線を合わせ、挨拶をした。
「こんにちは。僕は織斑永時」
そう言って手を出す彼に、少女は憮然としたまま返答した。
「私は篠ノ之空。宜しくしなくていいよ」
少女、空の対応に永時は十蔵へと視線を向けた。
十蔵は肩を竦めて見せる。どうやら平和に過ごしてきたこの病院生活に刺激とやらがやってきたらしいと、永時は漠然と思うのだった。
空の病室を手配し、荷物を整理している間、永時は十蔵から空の情報を聞いていた。
「彼女は、所謂天才という存在だ。特に機械、データ分野などに関しては世代一つ分抜き出ている」
「しかし、原因不明の病により体は病弱。運動一つ出来ず、組織も脆い。一応健康体であるにも関わらず衰弱が激しく、このまま生きても、あと十年は保たない……と」
「あの見た目だが、歳は20歳。家族は両親は既に事故で他界している」
「一人っ子?」
「いや、兄がいる。名前は篠ノ之柳韻。道場の師範だが、彼女の入院費や手術費用を継続して払う経済力はない」
「それで、彼女の頭脳を少なからず借りている政府が金を出すと。オマケに彼女の研究費用も政府が負担していると。何て税金の使い方だ。一国民として非難したいですね」
空の資料を持ちながら唇を尖らせる永時に、十蔵は言うなと大きく溜息を吐いた。
「彼女の資質はそれだけ大きいということだ。国に影響を与える程にな。それに、君は病人を治すのが仕事だろう?」
「医者は万能じゃない。救える者は救えるし、救えない者は救えない」
また同時に、と続ける。
「生きる奴は生きるし、死ぬ奴は死ぬ。それだけの話ですよ」
永時は医者の割にとても冷めた考えを持っていた。
必死で生きたいと願う者にも普段通りに手術を行い、死にたいと宣う輩には手軽で迷惑を掛けない自殺方法を説明したりしている。植物状態で永遠に目覚める可能性がない患者の家族が生かしたいと願えば生かした。無論、助からない命も多く経験してきた。
生かす方法も殺す方法も熟知していて、その数に勝る程人を救い、死なせてきた。
その全てに感情も私情も向けることはない。生死を相手の願う通りに行い、ただ実行してきた。
永時は自らの才能を自覚していた。才能を自覚し、これしか食べて行く方法がないと見極め、それだけに特化した。
天才と周りは持て囃したが、永時からすれば、これしか自分になかったのだと思っている。一つの才能でもあれば良いと羨む者には、そんな物かと思いもした。
「そもそも、彼女はこのまま生き永らえても、政府の玩具にされるだけでしょう?命尽きるまで研究だけをさせられる」
永時は冷たく笑った。
「いっそ、死んだ方が彼女には幸せかもしれませんね」
何てことを言うのだと十蔵が非難しようとした瞬間、一つの声が降りた。
「良い考えね」
彼の意見に賛同したのは空だった。開いていたドアから車椅子で入ってきた彼女は、椅子に座っていた永時の前まで進む。
「患者の個人情報を話しているのに、不用心じゃない?」
「この病院に他に患者はいないよ。受付も動かないし、聞く人なんて誰もいないさ」
車椅子がキィッと音を立てて永時の前で止まった。
空と永時の目が合う。
「他の医者は必ず治すとか、生きていれば幸せを掴めるとか、定型文ばかり述べてつまらなかったんだよ」
「医者としてはそれで正しいと思うよ」
過去の医者達を鼻で笑う空に、永時はヘラリと笑って答えた。見えない威圧感に、十蔵が背中で冷や汗を流す。
「それで、天才さんは死を望むのかい?」
「良いアイディアだけど、今は止めておく。まだやりたいことがあるの」
「成程、夢を叶える為に生きたいと。良いね、非常に健全で平凡で素晴らしい、人としての基本の考えだ」
「馬鹿にしてる?コケにしてる?」
「もちろん、賞賛しているのさ。素晴らしいと言っただろう?君は捻くれているね」
「その言葉は鏡に向かって言うことをお勧めするよ」
「良いアイディアだ。今後の参考にしよう」
あははうふふと永時と空が笑い合う。何故だか龍と虎が背景に見えた気がした。
「貴方は私を生かしてくれるのかしら?」
「さぁ、保障は出来ない。唯一の保障は君の邪魔をしないことさ」
「それはとても素晴らしいね」
良いよと、空は言った。
「この病院で、貴方を主治医として認めてあげる」
「御厚意に感謝する」
永時はヘラヘラと笑って、彼女の決定に従った。
空が部屋へ戻ったのを見計らい、永時は十蔵を連れて屋上へ向かった。ここなら車椅子が単身でやって来れることはない。
「どうにも、性格に難がある子ですね。ま、政府とか利権とかに揉まれてたら仕方ないかもしれませんが」
「お前が挑発するからだろ。嫌な汗流れっ放しだ」
「アレは態とです。合わせただけですよ」
柵に体を預けて背を反らす。
グッと伸びをした視線の先、広い青空が広がっていた。
「ま、よくあることですね」
「よくある?」
「ええ、よくありますよ、こんなことは。人類なんて地球規模で腐る程いますから」
視線を戻して永時が笑う。
「体が弱い、或いは異常がある人が、何かしら一つに特化した才能を発揮する。特段珍しい事例ではないですね」
それがどんな分野であれ、そういう人間がどの時代にも一人は存在する。
「僕も仕事だから断る理由はない。彼女は生きることを選択した。なら、僕はそれを手伝うだけです」
「お前が引き受けてくれるなら心強い」
「さっきも言いましたけど、期待されても困りますよ。僕は所詮一介の医者です。確かに色んな賞を取ったりとか、新発見の研究とかもしましたけどね。それだけですよ。不治の病の治療法なんて即日発見出来るわけもない」
「それでも、お前だけが頼りだ」
「こんな若造を頼るなんて、世も末ですね」
「そう言うな。最大限のバックアップはする」
十蔵はタバコを取り出し、吸って良いかと尋ねた。永時は構いませんと頷いて返し、十蔵がタバコを加えた所でライターを出し火を付けた。
「お、すまんな」
「いえいえ」
十蔵が吐いた煙を二人で見上げる。
「お前、タバコ吸ってたか?」
「いいえ、酒は飲みますけどね」
「なら、何でライターなんか常備してるんだ?」
「これ、親の形見なんです」
地雷を踏んだかと顔を引き攣らせた十蔵に、永時はニヤリと悪戯っ子の笑みを浮かべた。
「嘘ですよ。貴方がタバコを吸うのを思い出したので、部屋に戻った時にライターをポケットに忍ばせてただけです」
「…………お前な」
食えない男だと、十蔵は深い溜息を吐いた。
「ま、取り敢えず頑張りますよ。幸か不幸か、ここの患者は彼女だけだ。医者としての義務は果たしますよ」
永時はいつものように、ただ笑みを浮かべるのだった。
何かあれば連絡をくれと、十蔵の帰りを見送った後、空の身体検査を行った。
身長、体重、脈拍などの基本的なことを一通り行い、細胞の摂取と血液も取る。他にもデータを取ると、色々な機械を空の体に繋いでは試していた。
「そんなの、前の病院のデータ見れば良いのに」
面倒そうにしている空に、永時は肩を竦めてみせる。
「実際にやった方が確実だし、体の組織は変化することもあるしね。特に、君の場合は原因不明ときてるから尚更だ」
あっそうと、空は嘆息して辺りを見回した。
エレベーターで地下まで運ばれてきたが、小さい病院でありながら最新の設備が整っていたことには流石に驚いた。
「何でこんな病院に、こんな設備が?」
「ん?まあ、譲り物だったり、最新機器の実験として貰った物だったり、僕が買った物だったり、色々あるけど」
サラリととんでもないことを言ってのけたが、同じくらい優遇されていたり、金銭感覚が狂っている空には、そうなのかとそれだけで納得出来ることだったらしい。
ツッコミが来るかと思っていた永時にとっては若干肩透かしだった。
「じゃあ、エリザさん。彼女を連れ帰っててくれ。僕は少し調べておくよ」
「はい」
受付にいた女性、エリザと呼ばれた外国人の風貌の女性は、空の車椅子を押してエレベーターの中へ消えていった。
「…………」
永時は椅子に深く腰掛けると、軽く頭を抑えた。指の隙間から覗く相貌は、人前でいた時の笑顔は一切なく、冷たいとさえ思える瞳に変わっていた。
「寿命……」
険しい顔つきのまま、小さく呟く。
「あと十年……保つのか……?」
調べたデータを前に、一人思考を巡らすのだった。
深夜を過ぎても、彼はデータを睨み続け、ただ冷静に考える事だけをしていた。
彼女を、一人の女性を救う事だけを考えて。