インフィニット・ストラトス Re:Dead《完結》 作:ひわたり
空を見た。
彼女を見た。
彼女と共に大空を見た。
小さな手が伸びる。
その手は何かを掴めるだろうか。
何かを掴めただろうか。
そこに君はいるのだろうか。
僕は湯船に浸かっていた。
流石温泉、良い湯である。
旅館は貸切なので、前までなら男風呂でも女性が使っても良かったそうだが、今年は僕と一夏くんがいる。つまり、男風呂は二人だけで使い放題である。一夏くんがいなければ一人で広い温泉を独り占め出来るのだ。
ああ、何故そのことにもっと早く気付かなかったのか。泳げない僕にとっては海よりこっちの方が最高なのに。
気付くのが遅かったが、夕方に入れたから良しとしよう。夜にもう一回入って堪能しよう。
「あんまり入るとのぼせちゃうよ?」
そう忠告してきたのは、当たり前のように隣で温泉に浸かってるシャルロットだ。
いや、本当にここまで自然な流れで来たけど、何でいるのさ。
海歩いて、浜辺で遊んで、疲れたと思ってから温泉を思い出して、旅館へと戻って、一緒に背中を流して、湯船に浸かってた。
一通りの流れが自然過ぎて気付かなかったよ。吃驚だよ。
「何で男湯にいるの?」
「え?」
いや、不思議そうな顔されても困るんだけど。
「貸切だし、シャルルしかいないから別に良いでしょ?」
「一夏くんがいるじゃん」
「大丈夫だよ、一夏には許可あるまで入んないでってメールしたし、他の皆にも捕まえておいてって連絡したから」
思った以上に計画的な犯行だった。やだ、シャルロットがどんどん狡猾になっていってる!誰の所為だ!僕だな!
「用意周到なことで」
「シャルル以外に裸見られたくないもの」
ますます押されっ放しだった。
「照れてる?」
「照れてない」
シャルロットが頬をツンツンしてくる。
「照れてるー?」
「照れてない」
だからツンツンやめなさい。
温泉から出て部屋へと戻ると、一夏くんが座敷に座っていた。
「あ、シャルルさん」
「やあ、戻ってたのか。空いたから温泉でも入って来たらどうだい?海に入った後だからサッパリするよ」
僕はそう進言したが、何故か気不味そうに視線を彷徨わせていた。何だろう、何かあったのだろうか。
「あの、さっきの事ですけど、実はですね……」
……ああ、僕を騙したことを気にしてるのか。
「別に気にしなくて良いよ。シャルロット本人から聞いたし」
「そうなんですか?いや、それでもすみませんでした」
律儀だね、一夏くん。
僕は座椅子を借りて座った。
「ああでもしないと本音を吐露しないのは僕自身も理解してるしね。ま、シャルロットは僕の扱い方をよく知ってるよ」
お茶でも飲もうと準備しようとすると一夏くんが手伝ってくれた。気を遣わせたかな。
「だから、一夏くんが謝る必要はないよ。寧ろ、真面目なのは良いけど、一夏くんはシャルロットくらいの狡猾さとか警戒を持ってても良いくらいだ」
性格上、狡猾さは無理かもしれないけれど、警戒くらいは持っていて欲しい。
「警戒ですか?」
「何度も言われてるだろうけど、君は男性操縦者だからさ。その分、悪意も向けられるわけだ。味方も多くいる。だけど、最終的に君を救うのは君自身だ」
例えばと、手で銃の形を作り、一夏くんに標準を構える。
「僕が今ここで君を殺すとすれば、どうする?」
一夏くんは僅かに目を見開いた後、少しだけ視線を鋭くさせた。その表情は千冬さんにそっくりだった。
「どうもしません。シャルルさんは俺を殺しはしないでしょう?」
僕は淡々と語りかける。
「記憶のない僕を信用出来るか?記憶が戻れば、僕は君の敵かもしれない。過去に僕は、人に向けて引鉄を引いたことがある」
そして、殺した。
「それでも、貴方はシャルルさんだ」
「そうだとしても。例えば、シャルロットが人質に取られたら、僕は躊躇いなく引鉄を引くよ」
そう、間違いなく、引鉄を引ける。
「……その引鉄を引く時、その照準は、誰に向けられていますかね」
ああ、織斑一夏。君は本当に、こういう時は察しが良い。それが普段からも発揮されていれば文句もないのだが。
「さぁ、どこかな」
一夏くんか。
敵か。
或いは、僕自身か。
「……現実問題、ISの絶対防御がある限り、殺せないけどね」
一般人の力しかない僕には無理な話だ。
「なら、何でそんな話を……」
「分からないかい?僕の選択は、下手をすれば君にも当て嵌る」
大切な人がいれば。
大事な人がいれば。
それは強さにもなり、弱点にもなる。
「一夏くんは誰かを人質に取られたら、剣を握る事は出来るかな?」
「それは……」
無理だろう。心優しい彼には無理な話だ。だからこそ、その前提、事前に敵を見分ける行動が大切になる。
奪われてしまえば、優しい人ほど雁字搦めになってしまうのだから。
「一夏くん、更識簪って女の子は知ってる?」
「いいえ……」
「日本の代表候補生で、自力でISを作ろうと頑張ってる娘さ。じゃあ、何故自力で作ろうと試みているか」
それは男性操縦者の所為。
織斑一夏の所為。
「君のISを作る為、データを得る為に、彼女の専用ISが放置されたから」
「…………!そんな、俺は何も」
「聞されていないかい?当たり前じゃないか。そんなどうでもいい事を話す筈がないし、言う必要もない。シャルロットと同じで、男性操縦者という存在により被害を被った娘だ。だけど、別に彼女に対して何をしろというワケじゃない」
そんなことは問題じゃない。
「大人の動き、金の動き、人の動き、世界の動きを知れ。君の歳ではまだ早いが、既に男性操縦者という肩書きが足を踏み入れてしまっている」
それはもう引き返せない。
「自分が行う言動にどのような影響が在るのかを考えろ。誰も傷つかないなんてのは夢物語だ」
だから。
「君は君の大切な人を守れ」
そうでなければ、守れない。
「……シャルルさん?」
守れなかった。
悲鳴が聞こえる。
爆発が響く。
銃声が鳴る。
「シャルルさん!」
グラリと、視界が歪んだ。
「…………!」
何を言ってるのか分からないよ、いっくん。
ああ、そういえば、いつの間にそんなに大きくなったんだ、君は。
まだほんの赤ん坊だったのに。
ねぇ、そう思わないか……。
少女が手を伸ばしていた。
『私は、必ず、空を飛ぶ』
車椅子に乗った少女が宣言する。
体が弱く、碌に走れもしないくせに、健康体でも不可能なことを宣っている。
『笑う?』
『笑って欲しいかい?』
『笑ってみなよ』
『あはははははははは!!』
笑ってやった。
大笑いしてやった。指をさして腹を抱えて笑ってやる。
『ふん!』
『痛い!』
脛を蹴られた。理不尽である。
『人体の急所を的確に狙ったね……』
『金的じゃないだけ有難く思えば』
女の子が何てことを言うのだ。
『もう女の子っていう歳じゃないってば』
『貧相な体でよく言うよ』
今度は金的を狙ってきた。やだこの子怖い。
『グラマーになって見返してやる!』
はっはっはっ、それこそ無茶な。
マジ笑える。
あ、やめて。車椅子アタックはやめて洒落にならない。やめてくださいお願いします僕はまだ生きていたいの。
『死ね』
目の前に車椅子が高速で迫ってきて。
「うおあっ!」
「わぁっ!」
跳ね起きた。
何故か隣にいたちーちゃんが僕の声に吃驚していた。
「ど、どうした。大丈夫か?」
「く、車椅子アタックが。車椅子が迫ってきた」
「……ダメそうだな」
可哀想な子を見るような目で目が覚めた。
旅館だ。僕はいっくんと話していて倒れたのか?
「あれ、ここって旅館だよね?僕どうしたのちーちゃ……」
「ふんっ!」
「痛い!」
バシーンと甲高い音が部屋に響いた。
何故か頬を叩かれた。結構な衝撃だ。痛い。
「な、何するの千冬さん」
痛む頬を抑えてプルプルと震える。
「いや、まだ目が覚めてないようだったからな」
「今ので完全に覚めたよ……」
「それは何よりだ」
ふしゅーと息を吐く千冬さんが怖い。
「あの、何か凄く痛いんだけど……」
「ISを壊す勢いでやったからな」
冗談でも怖いですよ、千冬様。
「それで一夏くんは?」
「飯を食べに行かせた。いくら用事でも、集団行動は必須だからな」
そうか。もうそんな時間なのか。
……あれ、僕のご飯は?
「特別に遅らせて貰ってる。後で食いに行け。別に今でも構わんが」
「千冬さんは?」
「食べた。その間、シャルロットにお前を任せてたから、今頃飯を食ってる頃だろう」
一夏くんの集団行動は見逃さないのに、シャルロットは良いんですか。
しかし、そうなのか。色んな人に迷惑かけたようだ。
「お前を膝枕してずっと撫で撫でしてたぞ」
やべえ、何してんですかシャルロットさん。
千冬さんの顔を恐る恐る見てみると、何故だか神妙な顔で、少しだけ顔を伏せていた。
「なぁ、シャルル。お前、シャルロットを愛しているか?」
そんな台詞を、千冬さんは聞いてきた。
揶揄っているのかと一瞬訝しんだが、その表情は真面目だ。恥ずかしがらず、真剣に問いてきている。それはそれで、何故そんなことをと思わなくもなかったが、それを聞ける雰囲気でもない。
だから、僕も真面目に答える。
「愛してるよ」
その答えを聞いて、千冬さんは少しの間だけ瞑目した。
教師と生徒がとか、家族だとか、多分そんなことではなくて。
千冬さんの思考は、別な想いが巡らされているような、そんな気がした。
「シャルル」
目を見開いて、彼女は僕を見る。
瞳の中にいる僕が、僕を見た。
「シャルロットを愛しているのは、間違いなくシャルルの意思であり、想いであり、魂だ」
それを決して忘れるな。
「その心を捨ててはならない」
多分、それが最後の楔となるのだから。
「お前がお前である為に」
決してそれを失うな、シャルル。
▽
食事の広間へと足を運ぶと、話し声が聞こえた。
シャルロット以外に誰かいるのかと覗いてみれば、一夏といつものメンバーが固まっている。ご飯を食べているのはシャルロットだけのようだが、一夏と彼女達は何をしているのだろうか。
「あ、シャルル。大丈夫?」
僕に気付いたシャルロットが声を掛けてきた。
「うん。一夏くんも心配掛けたね」
「いえ、大丈夫なら良いんですけど」
旅館の人が近寄ってきてくれたので、料理を持ってくるようにお願いする。一夏くん達が場所を開けてくれたので、そのままシャルロットの隣へと座った。畳だったので正座で身を整える。
「あれ?セシリアさんだけ椅子に座ってどうしたの?」
皆が畳に座る中で、セシリアさんだけが椅子に座っていた。
「ああ、いえ、これは……」
「痺れたのか」
「答える前に当てないでくださいまし」
ごめん。聞いてから察してしまった。
正座というのはキツイからな。北欧などの外国の人なら特にそうだろう。
「軍で体は鍛えていたが、正座は慣れんな」
「日本人でもキツイからなぁ」
「私は平気だぞ」
「そりゃあ、箒は武道やってるからでしょうよ」
話が盛り上がる中、料理が運ばれてくる。もう殆ど食べ終わっているシャルロットが覗き込むように此方を見てきた。
「あーんしてあげようか?」
「結構です」
流石に知人の前でそれはやめて欲しい。
「しかし、何で皆ここで話してるんだ?部屋に戻れば良いのに」
「簡単に言えば、シャルルと一夏の為だよ」
何故に、と首を傾げたが、少し考えて合点が行く。
僕は部屋で寝ていたから、一夏くんも少し遠慮したのだろう。その上で、一夏くんが他の場所へ行けば、具体的には千冬さんの目の届かない所に行っては危険だと察知した彼女達が、シャルロットが食事をしているのを理由に、一夏を巻き込んでここでそのまま雑談してたわけである。
「それは悪いことをしたね」
「本人は気にしてなさそうだけど」
……それでもだよ。
「一夏くん、温泉に入れば?ゆっくりできるよ」
僕の提案に、一夏くんは時計を見て頷いた。
「ん、そうですね。時間もいい時間ですし、そうします」
「私達も入ろうか。流石に空いただろう」
「同性が多いとこういう時に不便よね」
「シャルロットはどうする?」
箒さんの質問に、丁度食べ終えたシャルロットが口を拭いてから答えた。
「帰って来た時に一度入ってるし、今は良いかな。シャルルと一緒にいるよ」
「相変わらずねぇ」
鈴さんは呆れた様子で溜息を吐いた。それを合図に、ゾロゾロと皆が出て行く。その背中を何となく見送っていると、ポンと肩を叩かれた。
振り返るとシャルロットが凄い良い笑顔で笑っていた。
「流石だね、シャルル」
「え?何が?」
キョトンとする僕に、惚けちゃってとシャルロットが密着してくる。
「これで二人きりだから、堂々とアーン出来るね」
「そんなこと考えてなかったよ」
いや、本当に。
あと二人きりじゃないから。旅館の人見てるから。何か微笑ましく見てるから。勘弁してください。
結局、流されてしまう僕なのだった。