インフィニット・ストラトス Re:Dead《完結》 作:ひわたり
赤い世界。
炎の世界。
僕はそこにいる。
僕はここにいる。
手には一丁の銃。
僕は手を掛けた。
目標へと狙いを定める。
その命を奪う為に。
引鉄に指を掛けて。
もう止まらない。
目に見えたのは、一人の少女。
『 』
僕は何かを言った。
そして全て塗り潰された。
夜遅くになってもシャルルが帰ってこない。
「……遅いな」
深夜の時間というわけでもなく、まだ夜にもなったばかりの時間ではあるが、変な胸騒ぎが心の中に渦巻いた。
玄関を開けて左右を見る。人の気配が多くあり、活動している雰囲気もある寮内。シャルロットはそこを抜け出し、校内の方へと足を向けた。
数ある教室の一つ。
日中は騒がしい校舎の中でも、静けさの広がる空間の中。
その教室の中で、見慣れた後ろ姿を見た。
「シャルル?」
違う、シャルルではない。
シャルルではない誰かが、そこにいる。
「…………」
シャルロットが一歩教室に足を踏み入れると、ガサリと何かを踏んだ。
紙だ。
大量のコピー用紙のような紙。
床を埋め尽くし、隙間さえ見えない。
その紙に書かれたのは無数の数式。
「……これは?」
まるで理解出来ない数字と記号の流れ。
それを今も尚、彼は書き続けている。これを書き進めている。
果てを見る為に。
解を見る為に。
それに手を届けようと。
そこへ行こうとして。
「…………っ」
もう二度と戻ってこないような、そんな予感がして。
「シャルル」
シャルロットはその手を握った。握って、止めた。書き進めていた手が止まる。
目が動く。
彼の目が動き、何も映さない瞳に、彼女を見た。
「…………」
貴方は誰だ。
その台詞は、シャルロットのものだったのか。
それとも、彼の言葉だったのか。
「帰ろう」
シャルロットは、それでも微笑んだ。
「一緒に帰ろう、シャルル」
自分達に帰る場所などないことは、シャルロットだって理解している。そんなことはとっくの昔に解り切っている。
だからこそ、帰ろうと言った。自分が帰れる場所であるように。帰る場所を探す為に、一緒に探そうと、そう言って。
「…………」
手から離れたペンが乾いた音を立てて倒れた。
「……シャルロット」
瞳に光が戻る。
彼は、シャルルは、シャルロットを見た。
静かに周りを見渡した。一面に散らばる数式の山を見る。ゆっくりと辺りを見回した後、たった今書いていた式を見た。
「……ごめん、シャルロット。これ、集めてくれないかな」
シャルロットは黙って頷いて、ばらけていた紙を拾い集める。シャルルも集め、一枚も残さずに掻き集めた。
「これ、どうするの?」
「燃やす」
当たり前のように言うシャルルに、シャルロットは反論をすることはなかった。
火を怖がっていた筈のシャルル。いや、もしかしたら『彼』には恐怖でもなんでもないのかも知れない。
焼却炉まで歩いて行く途中、会話は一切ない。静かな廊下に2人分の足音が小さく響いた。
「ねぇ、シャルロット」
「なに、シャルル」
シャルルの口が小さく動く。
「僕を…………」
「シャルロット!」
名前を呼ばれて意識を戻す。
横を見ると、一夏がシャルロットの方を見て不思議そうに首を傾げていた。
「どうかしたか?」
バスの中、もうすぐ海が近いということもあり、生徒達のテンションはより一層高くなっている。
これから何をするか、何を食べたいかなど、各々が好き勝手想像し、予定を立てて楽しんでいた。
「いや、ちょっとボーッとしてただけ」
シャルロットは笑って誤魔化した。
「車酔いですか?」
「薬持ってるぞ。使うか?」
後ろから顔を出してきた箒とセシリアに、シャルロットは大丈夫だと手を振ってみせる。
「無理はするなよ」
そう言って、前からもラウラが顔を出してきた。
「ありがとう。考え事してただけだから、心配しないで」
「そうか?まあ、もしいるなら言ってくれ」
シャルロットの笑顔に何となく違和感を持ったが、それに対して何か言えることもなかった。
「海が見えたよ!」
他の生徒の声に、皆の視線が窓の外へ向けられた。広がる青い海と蒼い空。境界線の向こうまで広がる景色に、皆が感嘆の声を上げる。
「…………」
シャルロットだけは、その果てしない景色に終わりが見えない世界に、何処か不安を覚えた。
バスが旅館に到着する。
いつもは女性だけのIS学園であるが、今回は一夏とシャルルがいる。一夏とシャルルが同室になることは誰しもが予想できた事なので、一夏の場所も当然、教員のエリアとなるのも想像に難くない。
「忍び込むのは無理かなぁ」
「なんか織斑先生も同室みたいだよ」
「ますます入れないわね」
これを機に一夏を狙おうと思っていた女性とも多くいたが、千冬の名前が出てきた事で諦めを見せたのだった。
「え、私行くけど?」
割り当てられた部屋へ着いたシャルロットは、箒とセシリアの質問に平然と答えた。
何故かラウラは一足先に水着を抱えて海へと行っている。追いかけてくるなと言っていたが、まさか恥ずかしいのかと皆が首を傾げた。
シャルロットの目的は当然シャルルの方だが、千冬が居ても臆さずに行くと断言する彼女に、箒とセシリアはある種の尊敬の意を持った。
「で、ですが、織斑先生がいらっしゃるのに、良いのですか?」
「別に変な事するわけじゃないし。シャルルだけだと何かと不便だろうから」
一夏は一夏で千冬さんの方を世話するだろうしと、シャルロットは内心で呟いた。
千冬が身内の中では怠け癖があるのは一夏から聞いていた。千冬の様子からシャルルの過去を知っていて、恐らくは他人よりも近しい存在である認知だと思っている。
故に、千冬は色々と怠けているだろうし、シャルルもシャルルで色々出来ないだろう。
「というわけで、行ってくるね」
シャルロットがシュタッと手を上げて部屋を出る。
「え!?今から行くんですの!?」
「荷解きとかの手伝いを軽くしてくるだけだよ。後で海で会おうね」
バイバイと手を振って去って行くシャルロット。正当な理由があり、シャルルの為とはいえ、あっさりと行動出来るシャルロットに二人は唖然と見送った。
「……強いな、シャルロットって」
「……ですわね」
シャルロットと自分達の差に深い溜息を吐いた。
「うわ。何よ辛気臭いわね」
丁度前を通りかかった鈴が、暗い二人を見てビクッと身を引いた。
▽
「というわけで来ました」
そんな宣言をして、シャルロットが部屋へ訪れた。
何がというわけなのかはさっぱり分からなかったが、僕の手伝いをしに来たであろうことは予想に容易い。
「ようこそ」
千冬さんが机に肘をついた状態で答えた。優雅かどうかは置いておいて、リラックスした状態で緑茶を啜っている。
「こいつの世話か?」
「そうです」
「何か動物みたいな扱いやめてくれませんかね」
いつの間にか目の前にあった緑茶を僕も啜る。一夏くんが用意してくれたらしい。主夫だね。
「着替えも手伝おうか?」
「そこまで不便してないよ。普段から着替えてるじゃないか」
まるで僕が普段から着替えを手伝って貰ってるような言い方はやめてくれませんかね。誤解されちゃうよ。
「海に行く?」
「少し休んだらね。……今日は一日自由行動だったよね?」
生徒の行動もそうだが、教師もそうだった筈と千冬さんに聞く。
「そうだ。明日は朝に予定の確認後、授業に移る。取り敢えず今日はゆっくりしてて大丈夫だよ」
会話してる内にシャルロットが僕の荷物鞄から歯ブラシやらタオルやら取り出して、僕が使い易いように配置してくれている。そこまでやらなくても良いのだが、昨日の夜の件で少し心配を掛けてしまったから、多分何か言っても聞きはしないだろう。
「弱みでも握られたか?」
「違うけど、そんな所」
千冬さんの質問に、僕は若干渋い顔をしながら答えた。
「そういえば、一夏くんは?トイレ?」
少し目を離した隙に一夏くんが居なくなっている。シャルロットが来たのでそちらに意識が行ってしまって、気付くのが遅れたけれど。
「もう海に行ったぞ。というか行かせた」
ズズーッと茶を飲んで平然としている千冬さん。
強制的ですか。
「ああでもせんと泳ぎに行かないからな」
「そうなの?」
「女子が多いからな。大勢の水着の女子に囲まれたら、思春期の男には色々と辛いだろうよ」
「それを分かってて敢えて行かせるんだね」
「色恋をしろとは言わんが、少しは聡くなって貰わないといかんからな」
ああ、千冬さんも一夏くんの鈍感さに気付いてたんだね。明らかに好意寄せてきてる子に対して、何のリアクションも起こさないからね。
「お前はどうなんだ?」
そう問われ、僕はシャルロットを見た。
「…………」
どう?
僕が?
僕は?
………………。
「…………」
僕の視線から何を読み取ったのかは知らないが、千冬さんは僕から目を逸らして、小さく呟いた。
「シャルル。自分を手放すなよ」
それは僕に必要な言葉で。
手遅れに近い言葉で。
まだ、僕には、大切な……。
「あー、やっぱり織斑先生、まだここにいましたね!」
何事かと思いきや、ドアを開けて乗り込んできたのは山田先生だ。
対して、千冬さんはしまったとの顔だ。何だ、なにかやらかしたのかな?
騒ぎを聞きつけてシャルロットもひょっこり顔を出す。
「山田先生、どうかしましたか?」
「あ、こんにちはシャルロットさん。いえ、織斑先生を海へ連れて行こうと思いまして」
「ちっ、逃げ遅れた……。面倒なのに……」
ああ、成程。流石姉弟と言うべきか。理由は違えど、海を避けようとしてたのは同じらしい。
「行きますよ、織斑先生。鍵はお願いしますね、シャルル先生」
「承りました」
切なそうな表情で連れて行かれる彼女を笑顔で見送った。こういう時、山田先生は強く出ることが出来るようだ。普段の授業もアレくらいなら頼もしいのだが。
「お茶のおかわりいる?」
「シャルロットは海に行かないの?」
取り敢えず貰っておくだけ貰うと緑茶を差し出す。急須からお茶を注ぐと、湯気と共にお茶の香りが広がった。
「シャルルと一緒に行くよ」
だから、とシャルロットは小さく微笑んだ。
「もう少しだけ、二人だけでゆっくりしよう」
「そうだね」
波の音を聞きながらゆっくりするのも悪くない。開いた窓からは潮風の香りが運ばれてくる。
「こうやって、のんびりするのも悪くないね」
「思えば、臨海学校とは言っても、シャルルと旅行に来たのは初めてだね」
確かに。何とも珍しい機会だ。
「落ち着いたら、今度はちゃんと旅行で、二人で来ようか。ここじゃなくても、何処かにさ」
シャルロットが僕の肩に頭を乗せてきた。少しだけ寄り添って、彼女の髪の擽ったさを頰に感じる。
「良いねー。それまでお金貯めなきゃね。夏休みにアルバイトでもしようかな」
「やりたいこととかあるの?」
「お嫁さんー」
「そうじゃなくてー」
「冗談だよ。冗談じゃないけど、冗談だよ」
クスクスと彼女が笑い、その振動を直に感じる。
「でも、ずっと、シャルルと一緒に居るよ」
「うん」
僕は素直に口にした。
「ありがとう」
これが多分、今の僕の精一杯。
僕はここにいる。
まだここにいる。
シャルルの僕は、ここにいる。
だから、シャルロット。
ねぇ、シャルロット。
僕を、捕まえておいてくれないか。
シャルルである僕が、消えてしまわないように。