インフィニット・ストラトス Re:Dead《完結》   作:ひわたり

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痛みと共に

暫くの間、シャルロットは何もせず呆然と空を見ることが多くなった。

 

学校も休んだ。学校側も母子家庭であった事情は把握しているので、割とすんなりと許可を得ることは出来た。しかし、やはり早い復帰が望ましいとも言われた。

セリーヌさんが亡くなってから一週間。

シャルロットは未だに上の空だ。流石に風呂とか歯磨きは自分で出来るまでは復活しているが、寝る時は彼女が寝付くまで手を握っていてやらないと不安に駆られるらしい。

僕も強要させはしなかったが、そろそろ何とかしなければ不味いとも思っている。

仕事を休んで、家事やシャルロットの世話に集中することにしていたので、今は僕が家を切り盛りしていた。

セリーヌさんの部屋は手を付けなかったが、銀行の手続きや市役所への通達、保険の話など、思った以上にやることが多くあった。各々の仕事とは言え、人が死んだ後の手続きが多過ぎて目眩がする。

これに加え、買い物なども僕がして来なければならないのだ。

そう、今この状況では僕しか色々とやれない。苦手だの何だの言ってる場合じゃない。

 

さて、いつまでも買ってきたばかりの物では味気ないだろう。僕が料理を振るうことにする。

本を見ながら料理を作れば間違いはない。台所へ行き、必要な物を全て取り出して準備にかかる。

そうして汗水垂らして数十分後。

「はい、シャルロット!」

「……真っ黒焦げ」

炭みたいな何かがそこにあった。

ダークマターの完成である。

料理は駄目だと諦めて、今度は洗濯物をする。

「はい、シャルロット!」

「……畳み方が雑」

皺だらけに出来上がってしまった。

ならば今度は掃除をするしかない。

「はい、シャルロット!」

「……隅っこに埃残ってるよ」

……ごめんなさい。

ああ、何だろう。悉く駄目だ。

僕は肩を落としてソファーに座り込んだ。偉そうなことを言って駄目駄目である。自分の生活力のなさを呪ってしまった。

こんな筈じゃなかったのに……。

「……はぁー」

深い深い溜息が聞こえる。

僕がしたわけではない。

後ろからトンと、何かが乗ってくる。ふわりと花のような香りが感じられた。

振り返ると、シャルロットが僕を背凭れにして寄りかかっていた。お互いに背中を合わせて座っている状態となる。

「……シャルルは駄目駄目だね」

「……面目無い」

シャルロットの顔は見えない。

僕は視線を正面に戻して素直に謝罪した。

「……本当に」

コツンと後頭部がぶつけられた。髪と髪が絡み合う。

「……シャルルは、私が居ないと駄目だね」

「……そうだね」

「……シャルルには、私が必要かな」

「……そうだね」

僕は小さく答えた。

「僕には君が必要だ」

それが本音なのか、それともこの場限りの嘘なのかは、僕自身にも分からないけれど。

だけど、その言葉は無意識の内に出ていた。

「……うん、そっか」

「……うん」

そうか、とシャルロットは何度も繰り返した。

「ありがとう、シャルル」

嘘でも必要としてくれてありがとう。

小さく紡がれた言葉は僕の耳へと届く。

状況に流されるだけにならないでくれれば、それで良かった。このまま無気力で生きていても、誰かの操り人形のように生きていても、それは本当に生きているとは言えない。

シャルロットが駄目になったままでは、シャルルも駄目になる。

僕自身を言い訳として使う形となるが、彼女には目標や行動の理由が必要であった。

僕が出来るのは、僕がして良いのはそこまでだ。セリーヌさんの死を、母親の死を、その悲しみを僕は知らない。故に、それに関する言葉は薄っぺらい戯言と何も変わらない。

だから、立ち上がるのは、シャルロット自身の力。

「……うん」

唐突に甲高い音が鳴る。

驚いて振り返れば、シャルロットが自らの両頬に手を当てていた。どうやら自分の頬を叩いたらしい。

「痛くない?」

僕の問い掛けに彼女はハッキリとした声で返して来た。

「痛いよ、凄く痛い」

「…………」

「きっと、ずっと痛いんだ。これが無くなることはないだろうし、無くしてもいけないものなんだと思う」

「……ああ」

そうだろう。

その痛みは、その苦しさは、生き残った人達が背負って行くべきものだから。背負っていかなければならないものだから。

人は生きて、誰かと繋がり、そして失っていく。

自分の意思とは関係なく、人の繋がりは巡って行く。

「だからシャルル。きっと、君も思い出さなくちゃいけないんだよ」

それが辛いことだとしても。

苦しいことだとしても。

人はそれを土台として生きていかなければならないから。

「……そうかもね」

僕の記憶は闇の中に溶けたままだ。

まだ破片すら見つけてもいない。

「シャルル、君の記憶が戻るのを私は手伝うよ」

「……無理はしなくて良いよ」

「シャルルが逃げているのは、善意?人間?私?」

……それとも、君自身?

僕はそれに応えられなかった。

でも、少なくとも

「シャルロットからは逃げないよ」

それだけは、保証する。

何があろうと君からは遠ざからないと。

「本当かなぁ?」

「あのねぇ」

シャルロットは訝しがり僕が呆れる。冗談だよと、彼女は笑った。小さな笑いだったが、その顔を見ることは出来なかったけれど、背中越しにシャルロットが笑ったのは伝わってきた。

やっと笑ってくれたかと、僕は安堵した。それを悟られないようにはして、僕は言葉を続ける。

「嘘は吐かないよ。なんなら、約束に指切りをしよう」

「指切り?指を切り落とすの?ニンキョーっていうの?」

「……シャルロット、君、古い日本の映画でも見たのかい?」

何処からそんな変な知識を得たんだ。

「渋いオジ様はあんまり好みじゃなかったかなぁ」

「君の好みは聞いていないけれど」

そうじゃないと、僕は背中を離して、座った体勢のまま振り返る。今更床に座ってしまったと思うが、それは手遅れなので置いておく。

シャルロットが首だけを回して僕の方を見てきた。その顔に小指を立てて見せる。

「小指と小指を絡めて、嘘を吐かない約束をするんだよ。お呪いみたいなものかな」

「日本の風習?」

「うん」

「約束を破ったらどうなるの?」

「針千本呑まされる。……要は、罰が与えられる」

「痛みを与えるのは嫌だね」

シャルロットは体を僕の方へ向けた。

「なら、いつか私のお願いを一つ聞いて」

「良いよ」

シャルロットが差し出した指に、僕は小指を絡めた。

ゆびきりげんまん、嘘吐いたら針千本呑ます。指切った。

この歌はシャルロットは知らないので、僕だけが口にして、指を切った。

「……そういえば、モンドグロッソに行く前にも、お願い事一つ聞いてって約束したよね?」

「……そんなことあったっけ?」

顔を背けてすっとぼけてみる。

シャルロットが顔を近づけて来て、耳元で小さく囁いた。

「覚えてるくせに」

妙に艶かしい声と吐息に背筋がゾクッとした。やめてくれ、心臓に悪い。

「分かった分かった。なら、一つのお願いを今聞こうじゃないか」

「えー?有効期限あるの?」

「一度に二度のお願いを聞くのは嫌だからね」

身勝手だなぁ、とボヤいてくるが受け流す。そのくらいの決定権くらいあっても良いだろう。

「で、どうする?」

「んー……」

正面からシャルロットがぐでっと体重を乗せてくる。肩に頭を乗せてきた為、頰に触る髪の毛がやけにくすぐったい。当たり前だが、小学生の頃と比べて体重も増えている。重いとは思わないが、シャルロットも段々と大人になっているのだと感じた。

「じゃあ、今日だけで良いから、一緒に寝て」

「そんなんで良いの?」

別にシャルロットの甘えの範囲であるならば、お願いという誓約でなくとも叶えても良いのに。

「良いの、これだけで」

シャルロットが体を離す。

その表情には、悲しそうでありながらも、綺麗な微笑みがあった。

「…………」

久し振りに彼女の笑顔を見たような気がした。

「……まあ、その前に料理の練習でもしようね」

「え、シャルロットが作ってくれるんじゃないの?」

復活したのなら、後はシャルロットがやってくれるものだとばかり思っていたのに。

僕の反応に、シャルロットは呆れた溜息を吐いた。

「そりゃあ作るけど、シャルルだって作れるようになっておくに越したことはないでしょう」

「…………。ほら、僕は火が怖いからさ」

「コンロの火ぐらいなら平気でしょ。早速やろう」

「えぇー……」

やれやれと、僕はシャルロットに手を引かれて立ち上がった。

 

いつかこの手が離れる時まで、僕はこの天使と一緒にいるのだろう。

 

 

私の心の中は空っぽであった。

それでもなお動いていたのは、生存本能とシャルルの世話があったからであろうと、後に思う。

デュノア家に引き取られていたらどうなっていたのかは、自分でも簡単に想像出来るくらいであった。

「…………」

呆然としていた時間はハッキリと覚えていない。

覚えているのは色が移ろいゆく空の風景と、音が変化していく緑と山の光景。

そして、黒い髪の少年の後ろ姿。

いつも彼はすぐ側に居た。

側にいて、色々としてくれたけれど、何もかもが下手くそだった。

料理が出来ず、掃除が出来ず、家事が出来ず。知識ばかりで、体力もなく、そして優しい。

「ああ……」

私はシャルルに寄り掛かった。

「シャルルは駄目駄目だね」

……違う、本当に駄目なのは私の方だ。

こうして、シャルルに寄り添っていないと倒れてしまいそうなのだから。

ねぇ、シャルル。

「シャルルには、私が必要かな?」

この質問がズルいのは分かっている。

彼の優しさに甘え、答えが分かっている質問をしているのだから。

「僕には、君が必要だ」

それが本音か嘘かは知らない。それでも、それだけで、満たされた。

存在意義を明確にしてくれた。

私を必要としてくれて、私を支えてくれて、私に意味を宿してくれた。

ありがとう、シャルル。

私は両手を広げて、自分の両頬を思い切り叩いた。想像よりも高い音が部屋に木霊し、ジンとした痛みと熱が広がっていく。

「痛くない?」

「痛いよ、凄く痛い」

心は深く、重く、とても痛い。

「きっと、ずっと痛いんだ」

いつの日か死を受け入れられる時が来るんだろう。悲しみも和らいでいくんだろう。

だけどきっと、完全に癒えることなんてない。

「これが無くなることはないだろうし、無くしてもいけないものなんだと思う」

痛いから。痛むから、そこには確かに幸せがあったのだから。

思い出があって、幸せで、大切で。何よりも手放したくなかった。

だから、痛いのは当然なんだ。

この痛みが、幸せだった証なんだ。

だから、この痛みを抱えていくんだ。

それが私からお母さんへの感謝の印。

「だからシャルル。きっと、君も思い出さなくちゃいけないんだよ」

世の中には不幸な事も沢山ある。

家族に暴力を振るう人、子供を生む事を拒否する人、家族に甘えて堕落していく人。無理矢理道連れにする人。

色んな人が生きている。

そこには善人も悪人もいる。

世の中綺麗事だけじゃないのは、そんなことはとうの昔から知っていた。

どんな人にもそれぞれの事情があって、そして生きている。

でも、後悔しても、悔やんでも、過去は変えられない。

それを抱えて生きていく。

だから、シャルルも思い出すべきだ。

そこに何があろうとも。

もしそこで倒れそうなら、今度は私が支えよう。

そうして、二人で支え合って生きていく。

 

私達は、たった二人だけの家族なのだから。


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