フィールド上にオリジナル設定が展開される!
本作も次の回で終わるんですかね。
「さて、どうするか」
フランクリン・トルーマンは葉巻を灰皿にあてた。ゆらぐ紫煙の向こうには、空中に浮かぶ中高年の男女たち。彼らは一様に渋い表情をしている。深刻な眼差しでこの世の行く末を思案しているのだ。
トルーマンの目の前にはいくつもの半透明なウィンドウが宙に展開されていた。そこに映る中高年たちは、各国の首脳陣だ。トルーマンもまた、アメリカ合衆国という大国にて、大統領という任に就く傑物だった。
『こんな突拍子もないメッセージ、どうせタバネに違いない』
そう言ったのは英国大統領だ。
秘匿回線で行われるこの会議に参加している誰しもが、決して悪戯やジョークの類であるとは考えていなかった。
どこから送られてきたのか全く分からないメッセージ。
さらにこのメッセージが送られたという情報が、既に各国メディアに流れている。この情報流出の内容も問題だった。
『同様の文章が各メディアにも届いた』のではなく、『各国首脳陣にテロ宣言まがいのメッセージが届いたという事実』が流れ出たのだ。無論、今会議に参加している誰一人として情報を漏らしていない。
証拠を一切残さない一連の犯行が、相手の格を物語っている。
そしてこのメッセージの内容が正真正銘真実を語っているのだとすれば、そんなことが出来るのはこの世でただ一人。
『篠ノ之束、ですか。しかし一体何を仕掛けてくるのやら』
束を生んだ国、日本の内閣総理大臣は汗をハンカチで拭きながら口にした。現在各国があらゆるテロ行為に対して警戒を強めている。10年前のようにミサイル基地がハッキングされているといった様子もない。
しかし篠ノ之束は世界を滅ぼすと言った。どのような手段を用いるのか。誰しもが困惑していた。束はISの創造者なのだから、大量のISで攻めてくると考える者がいれば、逆にISをも凌駕する新兵器を投入してくる可能性があると指摘する者もいる。
そんな中、ある国の首相がこんなことを呟いた。
『それにしても静かな夜ね。それになんて美しい月。これから世界規模のテロが起こるなんて信じられない』
その首相の背後には窓があった。その窓の向こうに広がっているのは満点の星空。そしてその星空の中央には、大きな月が浮かんでいる。不思議と魅入ってしまう美麗で狂気的な月だ。心なしか普段よりも鮮明に、大きく見える。
会議中に何を呆けたことを。そう思い、軽く皮肉るつもりで声をかけた。
「ほう、今日がスーパームーンだとは知らな…………いや待て」
トルーマンは自分で口にしながら、何か悪寒の様な物が背筋に走るのを感じた。
『スーパームーン?』
『聞いてないな』
『うちはもう朝だ』
『ああ、本当だ。月がいつもより大きく見える』
「大変です! 大統領!」
ドアを開けて飛び込んできたのは、一人の黒いスーツの男。男は彼の部下だった。自身の部下の慌てように、アメリカ大統領は嫌な予感を自覚しつつも訊ねた。
「どうした?」
男は息を整えながら、叫ぶようにして言った。
「たった今報告がありました。月が……月が地球に迫っています!」
月が地球に落ちてくる。前代未聞の大事件。
まるでSF映画や神話の世界のような話だ。
しかしこの日、文字通り事実として、人類は間違いなく滅亡の危機に瀕していた。
この事件は人類史上最大最悪のテロリズムとして語り継がれることとなる。
そしてこの事件について語られる時、人々は必ずある少女の名前も口にする。
後に【月落とし】、【
§
さて、ところ変わってIS学園。
あの後専用機持ちの第2陣が到着。回収された俺達は皆IS学園へ帰還していた。
「あれ? 何よこのタイマー」
現在俺達は、何とかほぼ無傷だった学生寮のラウンジに集合している。ちなみに弾もいる。そして何か面白いことでも起こるのかと、どこからともなく野次馬生徒達がわらわらと湧いてきた。
とはいえ事態は一刻を争う。野次馬を無視して今後の動きについて相談しようとした矢先、鈴がスマホ片手に首をひねっていた。
軽く覗き込んでみると、どうやら先程同様ニュースサイトなどを通して情報を集めようとしていたようだ。するとそのニュースサイトの右上に、突然謎のカウントダウンタイマーが表示されていた。
【46:12:43】と表示されており、右端の43が42、41と減っている。察するに、残り時間は46時間と少しということか。
ラウンジにある巨大なテレビの電源を入れてみる。ワイドショーでは、各国政府に世界を滅ぼすといった旨のメッセージが、差出人不明の状態で送られていたと報じている。そしてその右上では、例のカウントが進んでいた。
「恐らくそれが、束による世界滅亡までの時間だ」
織斑先生曰く、およそ二日で世界は滅びるとのこと。先生がそう言った少し後、鈴が見ていたニュースサイトが、急に更新された。そこには、『月が落下! 急接近による異常気象も』と題された新しい記事が表示されている。やはりそう来たか。
「月が、落ちてくる……?」
一夏が呆然と呟く。ややあって、ようやく今起きている事実を咀嚼し始めたのか、周囲に混乱と困惑が広がっていく。
「どういうこと?」
「本当に世界が滅んじゃうってことじゃない?」
「うそ。じゃあ私達みんな死んじゃうの?」
「やだやだやだ! 死にたくない! なんで!? 何も悪いことしてないのに!」
月が完全にしののの博士の手中にあるというのであれば、これは十分予想された事態だ。ある程度予想がついていた俺とは違い、ほかの連中はこれでもかと言うほどに狼狽えている。
平静を保っているのは織斑先生と五反田弾くらいだ。やつは何故冷静なんだ。
「多分これが、しののの博士が世界を滅ぼすために用意した手段なんだと思います。これで『ラボ=月』説はかなり濃厚になりましたね」
そして俺への処分は有耶無耶になりましたね。暴走事故なんて構ってる場合じゃないですもんね。
内心ほくほく顔の俺を余所に、織斑先生は何やら考え込んでいる。
「八神、お前は何を考えている?」
おーっとこれは織斑選手、ストレートに打ち込んできましたね。やめていただきたい。
織斑先生は日本刀のように鋭く凛とした視線をこちらへ向けてくる。まるで俺の考えを読み取ったかのようだ。
先生の言葉に周囲のざわめきがしんと収まる。
「え、えと、その、えへ、何のことです?」
俺のパーフェクトお愛想スマイルは、野次馬たちの視線を集めることには成功していた。こっちみんな。しかし織斑先生には効果が無いのか、剣呑な視線は変わらない。
「とぼけるな。お前は束のいる月へ向かおうと考えているのだろう」
あ、そっちか。俺は安堵するとともに、暴走の件について気付かれていないのであればそのままにしておこうと決意した。
しかしまあ、あれだ。月へ向かうとかね。そりゃあもう、
「ええ。勿論」
当然の如く行きますけど。
その時だった。
『現在、このテロ声明への対応を講じるため、国連加盟国首脳陣──に、よる──……ザザッ──』
ワイドショーの映像が突如乱れ、ノイズが入り、画面が青一色となる。やがて今度はその画面に小さな兎が一匹現れ、増殖し、画面を埋め尽くす。そして端から徐々に兎が消えていくと、映像は切り替わり、そこには事の発端、しののの博士の姿があった。
『やっはろー! IS学園の諸君! 私がぁぁ……キターーー!!』
うざい。
画面の中の博士は、点に拳を突き上げ、紫がかった長髪を振り乱している。と思いきや、急にテンションをがくんと落とし、フラットな声音で口にした。
『まあ、用があるのは4人だけなんですけど』
しののの博士はそう言って、織斑先生を見た……気がした。
『ちーちゃん。気は変わった?』
織斑先生はその言葉を、鼻で笑い飛ばした。
「愚問だ。答えるまでもない」
『そっかぁ! 考え直してくれてんだねちーちゃん! ちーちゃんは私の見方をしてくれると思ってたよぉ! ありがとー!』
「違うわ! 察しろ!」
そして今度はその弟、織斑一夏へ。
『ちーちゃんったらあんなこと言ってる……。いっくんは私の味方だよね?』
一夏は静かに首を振った。
「いや、俺は俺の守りたいものを守る。だから束さんとは敵対すると思う」
次に博士自身の妹、箒へ。
『ほうきちゃ』
「姉さん。馬鹿なことはやめてくれ」
もう碌に最後まで喋らせてくれなかった。しののの博士はこの世の終わりのような顔をしている。
ひとしきり絶望した後、そして最後に俺の方を向いた……気がした。
『みんなお前の味方だってさ。このドロボウ』
逆恨みもいいところだと言いたいが、俺も博士の立場だと同じように思ってしまうのだろうか。
「ドンマイです」
『黙れ』
俺の慰めは届かなかった。悲しい。
しののの博士は大きくため息を吐きだすと、俺を睨み付けるようにして言った。
『とにかく、この世界はもう要らない。あと二日も経たないうちに月が衝突する。そうすれば全部おしまい』
野次馬の生徒達から小さく悲鳴が上がる。
しののの博士はそれを意に介そうともしない。
だが──
「待てよ」
そう、ここで口を挟むのが五反田弾という男だ。
『……誰?』
でしょうね。
きょとんとするしののの博士に、弾はやれやれとかぶりを振った。
「フゥゥ~。俺を知らないとは。所詮篠ノ之束の諜報力もこの程度か」
バカやめろ。あまり刺激するな。
向こうは超巨大な爆弾を持っているようなもんだぞ。
『……結局何が言いたいわけ? 邪魔だからどっか行っててよ』
いいぞ。しののの博士。あなたの対応は比較的正解だ。
そう、普通のキチガイ相手ならば。
「おい、お前」
そう、やつは普通のキチガイではない。
弾はビシッとポージングを決め、謎の体幹の良さを見せつけつつ、ズバリ言い放った。
「お前、それでいいのか?」
『……何のこと?』
「それはお前自身が知っているはずだ」
弾の真剣な眼差しに、しののの博士は一瞬たじろぐも、何とか気を持ち直した。パンパンと自身の頬を叩き、改めて弾と対峙する。
『……何言ってるか全然わかんない。知った風な口きかないでくれる?』
多分そいつ何も知らないです。
「フッ、お前がいいなら、それでいいんじゃないか?」
『う、うるさいうるさいうるさーーい!! 君に何が分かるっていうんだよ!』
思ったより効いてるな。適当ぶっこいてるだけのくせに。
いちいちこんな通話をしてくる辺り、どうも博士自身も今回のことは思うところがあるのだろうか。
しののの博士は強引に会話を打ち切り、改めて俺へ視線を向けた。
『ふんっ。次は容赦しない、だっけ? やってみなよ。できるものなら』
そう言い残して、ブツンと画面がブラックアウトする。数秒後には、再びテレビの電源が入り、騒がしいワイドショーを映し出した。
「先生」
「何だ?」
「地球からしののの博士を止める方法はありますか?」
「……無いだろうな」
「となると、博士を止めるには、直接月に乗り込まないといけませんよね」
淡々と、白々しいやりとりを繰り広げる。
互いに分かっているのだ。俺も、先生も、他のみんなも。
今、俺は喧嘩を売られた。成層圏の彼方へ招待された。
地球を救うには、月へ行って博士を殴ってでも止めなければならない。
だがそれに待ったをかける者がいる。
「お待ちください。たしかにISを使用すれば、7.75時間程度で月の軌道上まで到達可能です。しかし月面にて篠ノ之博士、乃至は博士の有する無人機と戦闘になった場合、エネルギーがもちませんわ。それに我々は宇宙空間での実地訓練を積んでいません。不測の事態が起こる可能性があります」
セシリアだった。金髪お嬢様はいつものようにですわですわと口にする。おいおいセシリアさんよ。俺がその程度、気付いていないとでも思ったのか? そんな考えなしに見えるのか?
「訓練不足については……うん、ごめん。考えてなかった」
考えなしなんだよな。
なるようになるでしょ、くらいに思ってたわ。
でもISが動き続ける限り、搭乗者の生命維持という点に関しては基本的に大丈夫だと思う。というか肝心の宇宙で思うように動けなかったら詐欺だろ。
「まあでも、多分それも解決できると思う。物理的なエラーについてはここで整備していくとして、仮にエネルギー不足によって宇宙空間での活動に支障をきたす可能性があるなら、エネルギーを補充できる環境を丸ごと持っていけばいい」
そしてこの方法なら、月までの移動にもエネルギーを使わずに済む。
「というわけで織斑先生、ちょっといいですか?」
§
ISの定義とは?
マルチフォームパワードスーツだの、元々は便利な宇宙服として開発されただの、とにかく人間サイズの近未来甲冑というイメージが強すぎる。が、別にISは必ずしも人間サイズである必要はない。
要するに、コアがあって、量子領域に本体を保存することができて、宇宙で活動するための人体のバイタルサポートと慣性制御ができればそれはISなのだ。
「……ははは。これはちょっと予想外かも」
自分で提案しておきながら、俺は思わず呟いていた。
それは正しく巨大な船だった。大きな帆こそ張られていないが、鋼鉄で覆われたダークグレーのそれは、少年たちのロマンの結晶。海原だけではない。雲海を掻き分け、遥か成層圏の彼方まで翔けるそれは、まさしく船だった。
その船は現在、IS学園近くに浮遊し、極太のコードを何本もその巨体に差し込まれている。エネルギーを充填しているのだろう。
「これがドイツの輸送用ISか。実物を見たのは初めてだな」
織斑先生はその巨体を見上げて言った。さすがに見たことはなかったようだ。先生に提案した時、結構普通に対処されたから、何なら乗ったこともあるのかと思ってた。
というわけで、これが俺の考えた月までの移動手段。山田先生がさらっと漏らした『ドイツにある輸送用のIS』という言葉を思い出し、織斑先生のコネクションで呼び寄せた。
そう、たとえ装甲が人間サイズを遥かに凌駕し、パッと見は宇宙船にしか見えなくても、これはISなのだ。巨大ロボだって言ってしまえば鎧の延長線なのだ。巨大な宇宙船だって、人間が中心にいて、これを装着するという
ちなみにカラーリング的には完全にヤマトだが、俺はハーロックが好きなので内心で勝手にアルカディア号と呼ぶことにする。正式名称は知らん。
「そういえばよくこんなに早く来てくれましたね」
現在時刻は午前9時。先生が電話してくれてから小一時間で日本のIS学園まで到着している。
「この船は、厳密にはまだどこにも所属していないからな。所有権も曖昧だ。そもそも存在そのものが秘匿されている。軍上層の連中にお伺いを立てる必要は、理屈の上では存在しない。私の信者に命令すればすぐ持ってきてくれたよ。それにIS学園の敷地は治外法権に近い状態だ。口出しはさせん」
まあまあブラックな事情が、そこにはあった。
「……八神」
今度は先生からの質問があるようだ。先生から質問されるたびに胃がチクチクするから正直やめてほしい。
そんな俺の心情を知ってか知らずか、織斑先生はアルカディア号を見つめたまま、静かに訊ねた。
「なぜ、お前自らが行こうとする? 政府や軍に任せようとは思わないのか?」
今更?
……うーん。説明しなきゃならないのは分かるんだけど、面倒くさい。
「先生も似たようなこと言ってたじゃないですか」
「……というと?」
「どこにも所属してないからすぐに動かせたって」
現在、恐らく世界各国の政府は大荒れだろう。トップがてんてこ舞いでは、その下にいる者達も自由に動けない。
「政府や軍に所属する人間が勝手に作戦行動に出るわけにはいきませんが、事態は今なお進行しています」
故に誰かが早急に解決しなければならない。
「そして、今一番早く行動できるのは私達です。だから行きます」
こんな時に規律だなんだと言ってる場合か、とも思うが、大勢の人間が好き勝手に動くと統制が取れず、そんな状態でしののの博士に敵うはずもない。逆にこういう時だからこそ、規律が重要となる……のだろう。多分。
「…………」
しかし俺の説明が悪かったのか、ちょっと納得がいってない感じの先生。むっとした表情で何やら黙り込んでいる。というかIS学園の教員用ラファールは亡国企業のせいで全滅してるんだから、ささっと行って解決できるのは俺達だけじゃん。今はまだ40時間以上残ってるけど、そんなのしののの博士の気分次第だ。もしかしたら30分後に急にタイマーが加速するかもしれない。早期解決に越したことはないんだ。
それに先生だって、結局俺達が動くのが一番早いって分かっているはずだ。じゃないとアルカディア号だって呼んでくれなかっただろうし。
しかし言わなければならないのだろう。
大人として、教師として、生徒が手を挙げたから「じゃあどうぞ」とはいかない。
しかし現実として、俺達が動くのが一番手っ取り早いし、何気に成功確率だってそこそこ高いと思う。
確かに俺達は学生だが、ここIS学園には各国の技術の粋が詰まった最新鋭の機体が揃っている。カタログスペックで言えば、戦力的には相当優秀な上に無所属の集団だ。だからセシリアも、俺達が行くということを前提に話を進めていた。「そもそも行くな」ではなく、「行った場合どうするのか」という論調だった。
「安心してくださいよ。ここはIS学園、全世界でもトップクラスに優秀な生徒達が集まってる場所ですよ? 国家代表候補生だってたくさんいるんですから。私達の学年だけでも代表候補を含めた専用機所持者が8人も──」
「一夏、もうすぐ世界が終わるのね……」
「そうならないために俺達がいるんだろ?」
「……そうね。でも万が一って可能性もあるし、後悔しないためにもどうしても聞いて欲しいことが」
「ああ。後悔しないために、全力で解決しような!」
「聞いて、一夏。私、言わずに終わってしまったら、死んでも死に切れな」
「大丈夫さ! 俺達ならきっとやれる!」
「世界が終わる前にどうしても聞いて欲しいの。私、一夏のことが」
「すまん、鈴。俺他に好きな人がいるんだ」
「……あいやー?」
「──7人もいるんですよ! きっと大丈夫ですよ!」
青空の下、愛する男に振られた中華少女は、一足先に世界の終わりを体験したような顔をしている。
鈴と一夏から見ると、俺たちの姿は船の陰に隠れているから、向こうが気付いていたかは分からない。しかしすごい光景を目撃してしまった。
というか一夏のスルーからのお断りコンボがストロングすぎたせいか、早速戦力が一人減ってしまった。あいやーになった鈴。もう使い物にならないだろう。何してくれてんだ。
「八神、脱落者が出たわけだが…」
「先生」
もうやめだ。やめ。この話は終わりだ。面倒くさい。
織斑先生の言葉を遮り、冗談交じりに言った。
「そんなに心配なら、先生が引率します?」
§
現在時刻、午後14時。
世界の終わりまで残り40時間。
そろそろアルカディア号のエネルギー補給も終わるだろう。
月へ行くメンバーも決まった。立候補制にしたところ、3年生の代表候補が2人と、生徒会長、鈴以外の1年生専用機所持者が参加することになった。
手持ち無沙汰になり、壊れたIS学園をしばし散策する。
校舎には大穴が開き、博士のニンジン型ロケットによって瓦礫と化した建物もある。
しかし思ったより緊張しないな。不安もない。
まあ、仮に俺達が行って失敗したところで、どうせ俺達が行かなければ、多分誰もしののの博士を止められないし、結果は同じだ。俺達が成功する以外に、結末は変わらない。なぜか確信できる。
「あ……」
懐かしいものを発見した。所々がへこみ、横に倒れているが間違いない。
入学初日、俺が金額を間違えた自動販売機だ。クソッ、嫌なことを思い出した。
八つ当たりに蹴り飛ばしてみる。
ぼこんと鈍い音を響かせ、俺の足が痛くなった。
「痛ててて……。くっそ、なんて頑丈な野郎だ……お?」
俺がじんじんと痛む足をさすりながら片足立ちしていると、自販機がピロピロ言いだし、何やらボタンが光り始めた。と、認識するや否や、ガコンガコンと怪しい音を立て、何かが自販機から転がり落ちた。
それはペットボトルだった。赤いラベルで、毒々しい色合いのジュースが入っている。
「……ドクペか。分かってんじゃん」
俺は自販機を許した。ズッ友だ。
しかもよく見れば、ドクペは2本出てきているようだ。あざーす。
もう世界が滅びる瀬戸際だし、それを差し引いてもこの状況で金なんて払っても仕方ないとは思うが、何となく良心が咎めるので小銭を自販機の上に置いた。こういうのを心の贅肉というんだろうか。
「ユウ、何してんだ?」
振り向けばワンサマー。
ぽけっとした顔でこちらを見ている。
ちょっと恥ずかしいところを見られた気分になった。
「別に。一夏くんも飲む?」
そう言ってドクペを一本差し出す。
「いや俺、ドクターペッパーって苦手なんだ」
「あ、そ、そう……」
「それと俺の前ではキャラ作んなくていいぞ」
「あ、うん……それもそうだな……はぁ……」
「ユウ、どうした?」
「……別に。一人で2本飲むから何も問題ねえし」
好きなものを否定された時、人は最も深く傷つくのだ。
そして否定されると、好きであることを表現することが怖くなるのだ。
……ドクぺ、結構俺は好きなんだけどな。
たしかに美味しくはないけど癖になるっていうか。
少し気落ちしながらペットボトルの蓋を開ける。
プシュッと空気の抜ける音と、泡のせり上がる感覚が何とも夏を感じさせる。
表層の茶色い泡を軽く啜り、液体が見えたら、一気に口に向けて傾ける。
ぱちぱち、チクチクと炭酸の刺激が口と喉を暴れまわり、言いたくても言えないことや、燻っていた何かが、一気に押し流されていく。そしてねばっこい甘さが、口内を塗りつぶす。
「──ぷはっ。炭酸飲むとさ、気分がリセットする気がするんだよな」
俺の何気ない言葉に、一夏は「そういうもんか」と呟く。
こいつ何も分かってねぇな?
「なぁ、やっぱり俺も貰っていいか?」
「はぁ? さっき要らないっつったじゃん」
「いや、なんかユウが飲んでるの見たら俺も何か飲みたくなって」
なるほどね。隣の芝生は青く見えるもんな。分かる分かる。
「えー、どーしよっかなー。ドクペ嫌いなんだろー?」
「嫌いじゃないって。ちょっと苦手なだけだ」
「調子いいこと言いやがってこのヤロー。今回だけだぞ? ほら、施してやる。ありがたく受け取れ」
「おう、サンキュー」
一夏にドクペを渡し、二人で適当な瓦礫に腰掛ける。
空は晴れ渡り、鳥が二羽、優雅に羽ばたいている。
時は静かに流れ、遠くからは、風に乗って潮騒が聞こえる。
夏がもう、そこまで来ている。
この光景を見て、これから世界が終わろうとしているなどと、誰が信じるのか。
蒼い空を見ながら、一夏がぽつりと言った。
「……たまにはいいもんだな」
「何が?」
「ドクターペッパー」
「なるほど。お前もドクペの良さに気付いたか」
「ああ。それもあるけど、ユウから貰ったから美味しく感じるのかも」
「何だそれ。キモいな」
他愛のない会話。
お互い何も考えずに、ただ時の流れに身を任せる。
「ユウは……良かったのか?」
「何が?」
「ご両親、心配するんじゃないのか?」
「いやー、あれはあれで放任主義臭いところあるし、仮にここで行かずに世界が終わったらどっちにしろ駄目だろ?」
「そういうもんか」
「そういうもんだ」
ドクペをもう一口煽る。甘さがべたつく。
しかしそれも、やがて喉の奥に消えていく。
一夏も倣うようにしてドクペを口に含む。
やはり味自体は苦手なようで、若干眉根をしかめつつ、ごくりと嚥下している。
妙に子供っぽいと感じるが、そもそも一夏は、精神年齢で言えば俺よりも子供だ。
なのに一夏の子供っぽさが不思議に思える。
それが何だかおかしくて、思わず口元がにやけてしまった。
「……俺はさ」
「ん?」
「……誰かを守ることが、目標で、生きる目的だった」
「ん」
「だから俺はいいんだ。けどユウは違うだろ?」
「ん?」
「力があるから誰かを守らなきゃ、なんて考えてないか? そうやって責任を背負おうとしてないか? もしそうなら──」
「あー、うるさいうるさい」
姉弟揃ってめんどくさい連中だ。
俺はドクペをぐいっと飲み干し、立ち上がった。
「私は幸せになりたいし、できれば他の人もそうであってほしい。そうなるための選択をした。それだけだ」
誰かを助ける理由とか、何かを成し遂げる動機とか、他の手段でもいいんじゃないかとか、あほらしい。それが可能な人間がその場にいて、かつ利害が相反していないなら使えばいい。そしてその場に自分がいて、望んだ結末があるなら自分で動けばいい。自分で動かない者に望み通りのものが手に入るわけがないのだから。
「自己満にならないように気を付けないといけないけど、根本はお前に近いかもな。守りたい人達だから守る。お前も含めてな」
そう言って、一夏の頭をくしゃっと撫でる。
一夏は日向の猫のような顔を一瞬見せるも、即座に引き締め、何とか誤魔化そうとしていた。
こういうところが子供っぽいんだよな。
「そういえば一夏、お前こんなとこに何しに来たんだ?」
「ユウを探してた。今朝の返事を聞こうと思って」
「……あいやー」
§
「──点呼完了。総員、準備はいいか」
織斑先生と山田先生が、整備課の生と共に、実動部隊の生徒達の備品やISをチェックし、ようやく全てが整った。
いつの間にか復帰していた鈴も含め、立候補した全員がアルカディア号に乗り込んでいる。
「改めて作戦概要について説明する」
織斑先生の声が響く。
一本の刀のように、よく通る声だ。
「目的地は地球唯一の衛星、『月』。及び月に存在すると思われる『篠ノ之束の研究施設』」
全員が静かに聞き入っている。硬い表情の者もいれば、飄々としている者もいる。テンションが低い者も……あれは鈴か。
「最終目的は『月と地球の衝突回避』。そして必要であれば『篠ノ之束の排除』。これより8.5時間後、本艦は月面に到着する。激しい戦闘が予想される。各自、準備と覚悟を怠らぬように」
一夏を見る。一夏もこちらを見た。緊張している様子はない。
やはりここぞという時、こいつの胆力は見事だと思う。
「只今を以って、作戦名『
人類を救うための戦いが、始まった。
オペレーション・オーバーロードとは
ノルマンディー上陸作戦とも呼ばれる。
多分第二次世界大戦では最大規模の上陸作戦。
ちなみに私はヤマト派でもなければハーロック派でもないし、そもそもそんな派閥多分ないです。
ドクペは好きでも嫌いでもありません。