────辻成晃
中学での遭遇。それは王道である。
主人公が原作を知らないっていう設定にしたら動かしにくいことこの上ない。
とある中学校の教室。HR終了直後。
解放感と喧騒に包まれる教室の中、担任と思しき若い女性が、一人の女子生徒を呼び寄せた。
「委員長だからって、雑用を押し付けるようで悪いけど……」
そう言って若い女性は、自身の受け持つ生徒へと薄い紙の束を手渡した。紙の大きさはバラバラ。どうやら掲示用のプリントのようだ。
委員長と呼ばれた女子生徒は、完成された美術品の様に整った、それでいて嫌味の無い笑顔を浮かべた。
「いえいえ、ぜんぜん大丈夫です」
軽く首を振ると、癖の無い、女子生徒の腰まである艶やかな黒髪がさらさらと揺れる。教室に残った数人の男子生徒は、無意識のうちに彼女に見惚れ、女子生徒からは憧憬と羨望の視線が集う。
「なぁ、やっぱ八神さんって可愛いよな」
「可愛くて尚且つ綺麗だよな」
「委員長って彼氏とかいるのかな?」
「実は彼女がいたりして」
「確かに女でも惚れそうだわ……」
「俺も掘られたいぜ」
ひそひそと恣意的に囁き合う生徒達。話題の中心は件の女子生徒。だが誰一人として彼女を悪く言う者はいなかった。それだけ、彼女はひたすら美しかった。
黒い長髪、ルビーの様な双眸、雪の様な肌。全てが計算し尽くされた、さながら神が作り上げた一つの作品のように完成された美しさがそこにあった。
「それじゃあ八神さん、お願いね」
何か重要な用事でもあるのだろうか。告げるや否や、担任教師は弾かれるように教室を飛び出した。廊下からパタパタという間の抜けた音が喧騒にまみれて響く。それを皮切りに、部活動がある生徒などが教室を後にしていく。
「いいんちょー。よかったら手伝おうか?」
数人の女子生徒が彼女へ近づく。委員長という肩書はもはやニックネームの様な物らしい。
──余談だが、普段、あまり彼女の仕事を手伝おうという人間はいない。抜け駆け禁止という、ある種の紳士協定によるものが主だが、理由は他にも存在する。
「ううん、これくらいなら一人でも大丈夫」
委員長と呼ばれた生徒は、先程と同じように笑顔で応対する。
このように、申し出たところであっさりと断られてしまうからだ。別に彼女の手際が特別良く、下手に手を出しても足手まといにしかならない──というわけではない。しかし、彼女に笑顔で言われると、余程の確固たる意志が無ければ一切の反論ができなくなるのだ。最早呪いの域である。
しかし例外というものはどこにでも存在する。
「たしか吹奏楽部だったよね。定期演奏会も近いし、早く行かないとまずいんじゃない?」
軽く小首を傾げる委員長。対する女子生徒達は、少しばつが悪そうに笑みを引きつらせた。
「あー、まぁそうなんだけど……」
「むしろ『だからこそ』っていうか……」
── 以前、ちょっとした偶然から一人の生徒が彼女の仕事を手伝った事があった。するとそれ以降、その生徒は妙に幸運に恵まれ、様々なことが上手くいくようになった。そしてその生徒は「これは委員長のご利益ではないか」と冗談交じりに吹聴した。それが全校へと広がり、元々その美貌から有名だった彼女は陰で『幸運の女神』として祭り上げられることとなった。今では部活動などでは大会やイベントの直前に、彼女と同じクラスの人間が彼女と接触し、ご利益を賜ることが 1つの慣習と化していた。
これこそが、前述した一部の例外である。つまり女子生徒達は、所属する部活動から与えられた使命を遂行しようとしているのだ。
しかし実際のところ、先程の女子生徒達にとってそれは紳士協定から逃れる名目程度でしかなく、命令されたのでやるというより、神聖視しているアイドルとの握手会に参加するような感覚に近い。この学級の人間にとって彼女の力になれるということは、それそのものがご褒美の様な物なのだ。
無論、委員長はこのことを知らない。
「あっ……」
不意に、手元のプリントを見ていた委員長の口から小さく声が漏れた。
「どうしたの?」
「いや、実は他のクラスの分が紛れちゃってて……」
その時、女子生徒達に電流が走る。ここぞとばかりに一人の女子生徒が声を上げた。
「じゃ、じゃあさ、それうちらが持ってくよ!」
「そ、そうそう! どうせ部活行くついでだし!」
鬼気迫る勢いで委員長の手から慎重かつソフトにそっとプリントをぶんどる。なんとも器用な芸当である。
「えと……それじゃあお願いしようかな」
女子生徒達の様子に何かを感じ取ったのか、若干引き気味になる委員長。
「うん! それじゃあまた明日ね!」
委員長に見えないように狂喜乱舞しながら、女子生徒達は教室を後にした。
§
「やっと静かになったか」
数分後、誰も居ない教室で一人つぶやく女子生徒。先程まで委員長と呼ばれていた生徒である。
「はぁ。クソ、面倒くさいな」
片手に持った紙束に視線を落とし、もう一方の手で頭をがしがしと無造作に掻く。傾き始めた陽光を揺れる髪が反射し、どこか神秘的とも言える様相を醸し出していた。
見た目こそ同じだが、目つきは心なしかキツくなり、言動から漂う雰囲気はとても同一人物とは思えない。
(まぁいつまでも不平不満を言っていたところでどうにもならないか……。さくっとやってさっさと帰るとしよう)
素早く切り替え、作業に集中し始める。不満に思うくらいなら初めから断るか、誰かに手伝いを頼めばいいのだが、彼女は先程の様に人前では徹底して優等生を演じており、周囲のイメージを崩さないようにしている。他人に仕事を押し付けるというのは、彼女の作ったキャラクター性に反するのだろう。
数枚のプリントを画鋲で留めたところで、委員長は作業を中断し、紙面の文字を追っていた。
それは後期のクラス内での役員を決めたプリントだった。美化委員や図書委員のさらに上。そこに書かれている名前を眺める。
【1年1組 後期学級委員長:
それを見て委員長――優は、さらに溜め息を一つこぼす。
(委員長……か。なぜ
無論原因は優のキャラ作りにある。自業自得である。余談だが、彼女が演技をするのには理由がある。それには彼女の男性の様な内面が関わっているのだが、大した事情ではないので割愛する。
(しかしまさか生まれ変わったら女になるとは予想外だった。まあたしかに神様には幸運値と顔面偏差値を上げてくれとしか言ってない。本来ならそういうことも特典の一つとして決められたのだろう。いや、だが逆に下手にあれこれと具体的に指定しなくて正解だったかもしれない。『ケンシロウみたいに渋くて屈強なマッスルにしてくれ』とか言って女に生まれようもんなら人生ハードモードとかそんなレベルじゃねぇ。それはそうと、両親や周囲に違和感を持たれないようにするためとはいえ、俺の人格が存在しない状態──つまり、『今の環境で育った八神優本来の人格』をシミュレートした性格を演じたらこんなことになるとは……)
────割愛する。
§
数分が経ち、作業も終わりを迎えようとしていた。
「ん、これが最後か」
残ったのは少し大きめの厚紙。壁に目を向け、空いているスペースを探す。すると、上の方がぽっかりと虫食いの様になっていた。
優はそれほど長身ではない。簡単に手が届く範囲にばかり掲示物を張り付けていたためそうなったのだろう。
(背伸びをすればギリギリいけそうだな)
根拠ゼロの目算を立て、つま先に力を込める。腕をピンと伸ばし、紙を壁に押さえつけるが、彼女の身長では紙の上部を抑えられず、上手く固定できないでいた。
(ちくしょー! 昔の身長があればこんな紙ごときに後れをとることは……ッ!)
ちょっと泣きそうな形相で紙を睨みつける優。滑稽である。
妙な執念を燃やし、鬼神のごとき集中力を発揮していた優は気付かなかった。椅子を使えば簡単に解決したことに。
いや、もしかしたら気付いたところで彼女の──プロの委員長としてのプライドがそれを許さなかったのかもしれない。そう、どんな仕事にも妥協や手抜きは一切しない。それがプロフェッショナルなのだ。
限界まで手足を張りつめているせいか、彼女の手足はぷるぷると震えていた。マジウケる。
しかし彼女は運が良い。比喩皮肉一切抜きにして、文字通り八神優という少女はLuck値が高いのである。どのくらい高いのかというと、道を歩いているとブラックカードの入った財布を拾った事がある程だ。普通そのレベルの金持ちならばわざわざ歩いて移動したりはしない。普通は起こり得ないことなのだ。それだけでも豪運と呼んで差し支えないが、さらにそれを交番に届けると、ちょうど財布を落としたことに気付いて交番にやって来ていた持ち主と遭遇し、なんやかんやで財布の持ち主である大手企業の社長とコネクションが出来てしまったのである。
つまり運がとてつもなく良い。
そして集中していたが故に気付かなかった事がもう一つだけあった。それは、たった一人の来訪者の存在。
すっ──と、優が届かなかった場所へと、彼女の背後から、これまた文字通り救いの手が伸びる。
そう、困っている所に何処からともなく助けが現れる程、彼女は運が良い。
「八神、大丈夫か?」
「えっ」
不意に背後に現れた気配に、優は驚いて振り返る。そこまでは良かった。
今の彼女は、限界まで背伸びをしているという非常にバランスを崩しやすい状態だ。
「あ゛……」
そんなところで動揺すれば、ただでさえおぼつかない足元が8ビートでステップを刻み、どんがらがっしゃーんするのは当然の結果だった。
「上の方は俺がやっておくから──ってうおっ!?」
要するに背後に居る男子生徒へと抱きつくようにして倒れ込んだのである。少し見方を変えれば、彼女が男子生徒を押し倒しているようにも見える。ソレナンテ・エ・ロゲ氏(1664年没)もびっくりである。
「いった……って、えっ!? あっ、ご、ごめんなさい! 大丈夫!?」
自分以外に生徒がいる。それが分かるや否や、瞬時に『八神優』に切り替え、立ち上がろうと膝に力を込める。対して、彼女の下敷きになった生徒は呻きながら、その端整な相貌を苦悶に歪めていた。
「ど、どこか打ったの?」
「ちが……そ……じゃなくて……」
男子生徒は声を絞り出し、女子生徒の膝を指さした。
いや、正確には──
「踏ん……でる……」
──彼女の膝に潰されている彼の【TNP】を指さした。
§
「えっと、その、ホントにごめんね? 織斑くん」
「いや、気にしないでくれ。むしろ忘れてくれ」
「う、うん……」
気まずい沈黙が横たわる。話題を変えたかったのか、半ば強引に、織斑と呼ばれた男子生徒は絡みつく沈黙を振り払った。
「そういえば、まだこれを張り付けてなかったな。俺がやっとくよ」
「えっ、あ、いや、さすがにそれは悪いよ。もともと私の仕事だったし……」
「でもさっき届いてなかっただろ?」
「うっ……まぁ、そうだけど……」
結局、最終的には彼が黙々と、先程中断してしまった作業の手を進めていた。
再び教室を沈黙が支配する。
彼は優と同じクラスに在籍する生徒の一人だ。特に彼女と親しいわけではなく、せいぜい稀に二言三言交わす程度だ。しかも色恋だの何だのに疎いため、優を崇拝しているわけでもない。ある意味稀有な人材だった。
そんな彼が、ちょっと忘れ物を取りに教室に戻ったばかりに、ちょっと困っていそうな彼女を助けようとしたばかりにとんでもない不運に見舞われたのである。もう痛みやら羞恥心やらでとんでもないことになっているのである。ご愁傷さまである。
(それにしても、素の俺に気付かれていないのは良かったが、まさか【ごしそく!】を踏ん付けてしまうとは……いや、マジごめん)
一方で、優の方には対して精神的ダメージは無かった。普通の女子ならばまた違ったのだろうが、そこはそれ、彼女は元男であるからして。むしろ痛みが理解できてしまう分、彼に対して本当に申し訳ないと思っていた。
「──なぁ、八神」
最後の角を画鋲で留めた彼は振り返り、落ち着いた声色で沈黙を破った。
「お前っていつもこんな感じなのか?」
「えっ……こんな感じって……?」
彼の言った言葉の意味を飲み込めず、クエスチョンマークを浮かべる。少しして、ハッと何かに気付き、やや不服そうに眉をひそめた。
「別にいつも男子にのしかかったりしてるわけじゃないよ?」
「そっちじゃない!」
ちなみに優は素で勘違いしている。それが見て取れたのか、織斑と呼ばれた男子生徒は溜め息を一つ付き、言葉を続けた。
「なんていうか、さっきみたいにすぐに遠慮したり、一人で無理しようとしたりさ……。帰り際に話してるのが聞こえたけど、別に手伝ってくれるやつが居ないってわけじゃないんだろ?」
(む、なんなんだコイツ。どうしようと俺の勝手だろう。お前にどうこう言われる筋合いは無いぞ)
一瞬、優の表情がピクリと歪む。しかしその一瞬後には再び『いつもの八神優』がいた。
「確かに基本的に委員長の仕事は一人でやってるかな。だってやっぱり申し訳ないし。私の仕事なのに、他の人にさせるのはちょっと……」
優の言葉を聞くや否や、男子生徒の整った顔には露骨なまでに不満が押し出されていた。
「でも一人だとやっぱり限界はあるだろ。もっと誰かを頼っても罰は当たらないと思うぜ?」
「(なんだコイツ面倒くさい……)いや、本当に大丈夫だから。私なんかのために誰かの手を煩わせるのも気が引けるし」
内心で辟易する優。一体どうすればこの面倒な男から解放されるのか、何か上手い言葉は無いのか、と、この場を切り抜ける最善の選択肢を模索し始める。彼は優のためを思って言っているのだが、当の本人がこれではあまりにあんまりである。
と、ここで優よりも先に、男子生徒が何かを思いついたかのように手を打った。
「じゃあさ、俺が勝手に八神を手伝う分には構わないだろ?」
(……は? なんで? こいつがそこまでする理由が分からんのですが)
優は彼の事をごく普通の生徒だと思っていた。だからこそ思い至らなかったのだ。彼の言葉が単純な親切心からでたものである可能性に。
(しかしここで了承してしまうと何だか面倒なことになりそうだ。というかコイツめんどくさすぎだろ。思わず素に戻るところだったわ)
「いや、でもそれだと織斑くんに迷惑がかかっちゃうし……」
何とかしてやりすごそうと必死に言葉を探す優。しかし彼女の選んだ言葉はまさしく逆効果だった。
「なぁ、やっぱり八神って他人に対してすごく遠慮してるよな。なんかこう、壁があるっていうか、他人行儀だよな。そういうのって疲れないか?」
「えっ……(えっ、なにコイツ。なんで説教モードなの?)」
「別に遠慮なんてしなくていいんだよ。クラスメイトだろ?」
優の首筋に、一筋の冷や汗が伝う。
(まずい……このままだと相手のペースに乗せられる……!)
そう、彼女は所詮運と顔が良いだけ。こうした話術やコミュニケーション能力に関しては、上記二つの良さに胡坐をかいて一切磨いてこなかったのだ。前世ではどうだったかは分からないが、如何なる物でも十年以上も放置すれば劣化しないわけが無い。
「別に遠慮してるわけじゃないよ? ただ織斑くんに仕事を押し付けちゃってるみたいで気が引けるってだけで、その……(まずい。どんな言葉を使えばいい? どうすれば話をはぐらかせる!?)」
しかし、
「だから俺が勝手にやるだけだから気にすんなって。うーん、それにしてもその『織斑くん』ってのが既に他人行儀だなぁ」
仮にそれを差し引いたとしても、
「よし、ここらで改めて自己紹介しておくか。俺は八神の名前を知ってるけど、そっちは俺の名前知らないだろ?」
やはり────
「織斑一夏だ。気軽に一夏って呼んでくれ」
────主人公のコミュ力は別格である。
こうして少女と少年は出会った。この時はまだ、
(それでも幸運さんなら……幸運さんならきっと何とかしてくれる……!)
この出会いが後に、少年の運命に少女を巻き込むことになるとは、知る由も無かったのである。
Suaraの星座を久しぶりに聞いた。やっぱええ曲や。
ところで非公開にしてたのにUAが加算されてたんですけどこれ如何に。