『貴女は、私の夢だからよ』
“どうして、いつも私を助けてくれるの?”。
改造中、二人っきりの
何気ない質問をよそおって―――でも、心の奥にずっと引っかかっていたその問い掛けに、その人はいつになく真剣な表情で、そう応えてくれた。
その人は、本当に強かった。まるで戦車乗りになるために生まれてきたようだった。その人のおかげで勝てた試合は数えきれない。あのお姉ちゃんでさえ、ここぞという時に頼りにするくらい強かった。
でも、どうしてか、勝利の花道は必ずお姉ちゃんや私に譲ってしまっていた。まるで、“
もちろん、そのことに不満なんて無い。その人のおかげで、お姉ちゃんは2年生に進級してすぐに黒森峰の隊長へ推薦され、実績を積み上げて周囲から有能な指揮官と認めてもらえた。私も副隊長に昇格して、二人してお母さんにも褒めてもらうことができた。ほんの少し前までは、戦車道でお母さんに褒めてもらえるなんて想像もできなかったのに。そしてつい先月、お姉ちゃんは黒森峰史上最年少で、戦車道連盟が選ぶ国際強化選手にも指定された。誰もが憧れる花道を、満を持して堂々と進んで行った。私は、そんなお姉ちゃんの後を継ぐ形で、隊長の役職に就くことになった。
正直、不安でいっぱいだった。お姉ちゃんのように出来る自信なんてなかったけど、「貴女ならできるわ」と誇らしげに微笑んでくれるお母さんを前にして、思わず涙が流れるくらいにとっても嬉しかった。頑張らなくちゃと自分を奮い立たせることが出来た。本当に、お母さんがこんなに私を認めてくれるなんて、あり得ないと思っていたのに。
だけど、同時に私は、モヤモヤとした複雑な悩みも抱いてしまった。手足が痺れるような罪悪感が私の表情を暗くする。だって、まるでその人を踏み台にしてしまっている気がしたから。自分の戦車道を見つけるキッカケを与えてくれた大切な友だちを、都合よく利用してしまっているような気がしたから。そんなこと、絶対にしちゃいけないのに。むしろ、私に前に進む勇気を与えてくれた恩を何としてでも返したいのに。だというのに、その人はかたくなに首を横に振って、逆に私の背を凱旋門に向かって押してくれる。自分が受けるべき賛辞を私に譲って、その人はそっと陰から私を見守ってくれていた。保護者のように、観客のように、姉妹のように、読者のように、恋人のように、ファンのように。
『―――西住みほ、貴女は私の夢そのものなのよ』
そんな私の感情をまたも容易に見抜いて、その人は日頃の斜に構えた態度を脱ぎ捨てて、真っ直ぐに私の目を見つめてきた。何時になく生々しい感情を露わにしたライトブルーの瞳は、まるで好きな女の子に気持ちを伝えようとする男の子のように純粋に煌めいて、当然のように私の胸は高鳴った。一対の瑠璃の宝石は夏夜のように熱気を帯びていて、私の視線はそこに吸い寄せられる。
『貴女をこうして見守ることが出来るのは、私にとってこれ以上ない喜びなの。貴女が、誰も見たことのない
狭く薄暗い戦車の中が、厳かな聖堂のようにその人の声を何重にも反響させ、私の心に染み込ませる。こみ上げてくる膨大な感情を、噛み砕きながらなんとか言葉にしたようなたどたどしさで、一語一語を慎重に紡いでいく。語尾が微かに震える声音は熱っぽく湿って、今までにない感情の発露を滲ませていた。今、この人は、もしかしたら誰にも見せたことのない
『私のことを振り返る必要なんて無い。なぜなら、こうして、逸見エリカとして貴女と一緒に戦車道を歩めることは、私にとって何物にも代えがたい夢のようなことなのだから。進み続ける貴女の背中を傍で見られることは、私にとって至上の夢なのだから。
呼吸もおかずに一気呵成に告げられたその台詞は、まるで、聞く者の浅はかな迷いを吹き散らす巫女の祝詞のようで―――客観的に聞けば、想い人への熱い
そのことに思い至ったのは私が最初で、次にその人だった。年上の貫禄じみたものを匂わせていた引き締まった表情が、こちらのポカンとした様子に訝しげに眉をひそめ、そして一瞬で同年代の女の子に戻った。銀髪に縁取られた頬がボンッと音を立てるようにピンクに染まり、切れ長の瞳がくるくる回転する円盤みたいに大きくなる。
『かっ、かっ、かっ、勘違いしないでよね! ぶべべべ、別に、気負ってほしくて言ったわけじゃない。アンタが聞いてきたから答えてあげただけ。だ、だからっ!』
不意に、いつものぶっきら棒な物言いに戻ったその人が、マニキュアいらずの爪先でペチッと私の額を軽く弾く。
『私がアンタら姉妹に気を使って成果を譲ってるんじゃないか、とかくっだらないことを穿って考えなくてもいいってことよ。私は、私自身の夢のために今こうしてるの。私の望む全てが今こうしてこの手の中に存在し、現実として叶ってる。気に掛けられるようなことなんて何一つとしてないわ。私はそれを望んじゃいない。後ろのことなんて気にしてる暇があったら、アンタはただ前を向いて、ズンズン進んでればいいのよっ! ばかみほっ!』
言って、その人は私の視線から逃げるようにぷいっと身体を逸らせて、そのまま目の前の照準器に力いっぱい顔を押し付けた。それでも照れ隠しを隠しきれていない横顔は見るも無残なピンク色に染まっていて、私は心の底から微笑みを浮かべた。
私は、この人の親友になれて―――逸見エリカの夢になれて、幸せ者だと思った。
「……だったら、最高の夢にしてあげないと、親友失格だよね」
「西住隊長? 何か仰いましたか?」
こちらを振り返った、耳の良い黒長髪の砲手―――砲手が黒長髪だとなぜか落ち着く―――に、「何でもない」と首の動きだけで応える。この想い出は、誰かにひけらかすようなものじゃない。私たち二人だけが秘めているべき宝物だと思うから。
「一度停車してください。外に出ます」
今はここにいない、でも確かにそこにいてくれる親友に背を押され、私は衝迫に身を任せて立ち上がる。突然、頭上の指揮官用ハッチに手をかけた私を驚きとともに見上げた通信手に視線を返し、出来る限りゆっくりした口調で指示を下す。
「みほさ―――いえ、西住隊長。でも、外はすごい雨ですよ。せめて
「構いません。それより、全車にも前進停止を命じて下さい。この距離なら雷の影響を受けません。停車を命じたあと、全車に向けた無線を私に繋いでください」
「や、
強い雨風の中でも、この無線通信は正確に私の言葉を届けるだろう。天を裂くような雷の直下では、車両の間隔を何キロも離してしまうと無線通信はまったく役に立たなくなる。雷は幅の広い周波数帯に電磁波のギロチンを振り下ろし、無線電波をカマボコのように寸断して致命的な支障をきたす。距離が長くなればなるほどその悪影響は顕著になる。だけど、最初から密集していればその影響は最小限に抑えられる。そう、
打てば響くような動作で操縦手がクラッチに足を滑らせ、通信手が
身体ごと振り向いた後方、雨飛沫の向こう側で、
くすっと笑みを零したあと、力を抜いてそっと瞳を閉じる。そうして、ほんのひと時の間、雨が顔を濡らす心地よい冷たさに意識を預ける。きっと、あの人も今、同じことをしているという奇妙な確信があった。雨に身を委ねて、あの人も私のことを思っている気がした。遠雷をすり抜けて、あの人の美しいローレライの歌声までも耳に掴める気がした。
―――行くわよ。火を入れなさい。みほが待ってるわ。
「……うん、待ってるよ」
「西住隊長、17輌全車と通信繋がりました。
私の意識を引き戻したのは、あの人の声をした幻聴か、それとも通信手の言葉だったのか。どちらでも構わないと思い切り、私は空に向かって目を見開く。速く流れる風雲、激しく降り注ぐ雨、時折世界を一閃する稲妻。
『決勝戦は雷雨になる』と予測したあの人の言葉は正しかった。やれ犬だ何だとひどいアダ名をつける人もいるけど、その生得の直感は、ヒトを超えて尋常じゃない。もっとも、それを信じて
何も言わずただ雨に打たれるままの隊長を不審に思ったのか、各車のハッチから次々と車長が顔を出してくる。様子を伺う17対の視線が自身に集中したのを見計らい、私は首のマイクを触れる手に力を込める。大気中に電荷が満ちた状態でも、
『みんな、状況はわかっていると思います。30分前に、仲間の1輌が川に落ちました。さらにそこへ、ダージリンさん率いるグロリアーナ本隊の猛攻を受け、現在、私たちは陣形総崩れの体を成し、三方から迫るグロリアーナ本隊及び別働隊チームに追い詰められ、眼前の狭いクレーターに逃げ込もうとしています。相手は強襲浸透戦術を習得し尽くしていて、こちらを研究し、常に先手を打ってきます。本当に本当に強いです。間違いなく、強敵です。ですから、みんなにはもう一度、私たちの状況を説明したいと思います』
そこで一度切り、全員に言葉が行き渡るのを待つ。彼女たちの表情は一ミリも変わらない。従容として直立する様は、まるで戦車の化身のようにほんの少しも揺らがなかった。その悠然とした力強い姿に、私は炎を浴びたように熱く勇気づけられる。この一年間、一緒に成長してきたのはあの人と私だけじゃない。みんなで成長してきたんだ。
仲間たちの信頼に応える覇気を声に漲らせ、私はカッと目に力を込めて、全身全霊で告げる。
『
誰が予想するだろう。誰が思い至るだろう。あの伝統ある黒森峰が、あの由緒ある西住流が、
仲間たちの目を一人ひとり見詰める。勝利への決意に静かに燃える表情が、私を信頼して浮かべる笑みが、私の心を限界以上に奮い立たせてくれる。限界など無いと錯覚するほどの途方もない力が、今、この胸の中に確かに実存している。隊長という重責を
―――さあ、作戦開始よ。
またもあの人の幻聴が間近に聞こえる。きっと、幻聴じゃないのだろう。あの人も、まさにこの瞬間、作戦通りに事を進めようと濁流を掻き分けて踏み出し始めている。もっとも重要な役回りを飄々として請け負ってくれたあの人が、危険な作戦を難なくこなし、喜々として大好きな
『それでは、“ゴボゴボ作戦”から第二段階の“ガブガブ作戦”に移します。各車、行動を再開して下さい』
後方17輌の各車長が旋風のような動きでハッチに滑り込み、各々の闘牛を鞭打つ。凶暴な鉄の獣が漲る戦意に吠え、放射された排気炎が大気を揺らしてエンジンの咆哮を上げる。事前の作戦に従い、私のすぐ後方に位置していた1輌が私の乗機をスムーズに追い抜いて先頭に進み出る。これで、あの人と一緒に改造したこの
私は今、何の疑いもなく、明確な自信をたずさえて私の戦車道を歩むことが出来ている。だったら、あとはただ
―――
視界の隅に、銀色の髪が靡いた気がした。ティーガーⅡの凄みある形容が激流を物ともせず驀進する。勢いを殺すこと無く川辺に上陸したかと思いきや、そのまま躊躇うこと無く鬱蒼とした林にバキバキと音を立てて突っ込んでいく。目指すは
『
一見すると不必要な装甲にも、車両の配置にも、全て意味がある。
その意味が結実するまで、あと少しだ。
そう、あの人が獲物に喰らい付くまで、あと少しだ。
あ、ハンバーグ食べてるの? 珍しいね、お店のじゃなくてレトルトハンバーグを食べるなんて。しかも自室でこっそりなんて───えっ、な、なんで隠しちゃうの? もう、別に盗ったりなんてしないよ。失礼だなあ。でもほんとにハンバーグが好きなんだね。そんなに急いでガツガツ食べちゃって、まるでワンちゃんみたい。ふふ。
……あれ、このパッケージ、本当に『ワンちゃん用』って書いてあるんだけど───わあああっ!? ぱ、パッケージごと食べちゃダメ───!!!