パソコンに表示されたデータに目を落とす。シロの正体が分かったことで、殺せんせーが受けた実験に関するデータは思いの外あっさりサルベージできた。原文では少々理解するのが難しかったが、律の助けのおかげで一応全体の理論の理解にまで至ることができた。改めて見れば信じられない超理論だ。生物の細胞を全く新しい細胞に置き換えるなんて、思いついても実行に移す科学者は少ないだろう。
「八幡さん、そろそろ眠られた方が……」
律の声にデスクトップのデジタル時計に目を向けると、午前三時を過ぎたあたりだった。すでに六時間はぶっ続けでパソコンの前に張り付いているというのに、めぼしい情報はほとんど入ってきていない。
柳沢誇太郎の研究に参加していた研究員は、そのほとんどが政府の監視下にあり、対超生物の研究に携わっている人間は柳沢自身を除いてまずいない。地球破壊生物を生み出してしまった責任を問われて残った研究データを先進各国に譲り渡したそうだ。
今は多数の研究チームが行っているという研究リストに目を通しているが、さすがに最重要機密の詳細をオンラインで行きつくところには残していないようだ。というか、今のところ研究内容は全て“殺す”ためのものなんだよな。研究チームの番号が飛び飛びになっているところを見ると、断念したチームもあるってことか。ひょっとしたらそこでは「殺す以外の別の可能性」を模索したチームもあったのかもしれない。
「もう少し……」
「どこのゲームの時間を伸ばそうとする小学生ですか……」
お前も最近、そういう妙なツッコミ多くなってきたよね。誰のせいかな? 俺かな?
どちらにせよ、冬休みの今なら多少の夜更かしも許されるだろう。今は集中力がノッてきているし、一気にやってしまった方がいい。
データから目を離さない俺に諦めたのか、律は深くため息を吐いた。ぶっちゃけて言えばこのやりとりも初めてではない。昨日もしたし、今日も既に三回目だ。実際睡眠時間的に無理はしていないし、明後日には三学期が始まるからさすがに明日は夜更かしをする予定はない。
「律、例えばさ……」
英文のリストを眺めながらAI娘に話しかける。
「例えば今、殺せんせーの過去も未来も想いも皆知った今、先生を生かすか殺すかを選べって言われたら――どうする?」
「それは……」
暗殺のため、もっと正確に言えば戦いのために作られたAIはデスクトップの端で口をきつく閉じて瞑目する。そして目を開くとフルフルと首を横に振った。
「……分かりません。殺せんせーからあの話を聞いて、何度も一人で考えてきました。そもそも私は殺せんせーを殺すために作られました。ですが、暗殺対象の死がE組や周囲にとって、直接的間接的に大きな損失になることも認識しています」
それに、と。つい半年前まで感情というものを知らなかった少女は泣きそうな顔をしながら唇を噛みしめる。
「このまま皆で暗殺を続けたい。殺せんせーを殺したくない。両方思っちゃうんです。どっちかを切り捨てるなんて……私には判断できません」
「……そうだよな」
きっとこの冬休み、皆が皆そうして考えている。自分一人で、あるいは話し合って、正解のない問いに自分なりの答えを導き出そうとしている。律のように答えが出ない奴や、ひょっとしたら第三の意見を用意する奴が出てくるかもしれない。
でもきっとこの冬休みが明けた三学期、E組は確実に対立を起こす。相反する主義主張を通そうとするだろう。
「それは……大丈夫なんですか?」
「……ま、うちの担任が担任だからな」
俺が考えていることなんて、当然殺せんせーも考えていることだろう。そしてこの教室のために、皆がバラバラにならないために何かしら考えているはずだ。
だからそれは当の暗殺対象に任せる。きっと俺では荷が重すぎるから、代わりに今俺ができることをやるのだ。
「だから、安心して悩めよ」
アメリカ第十三研究チームの研究内容に目を通しながら、未だに真剣に悩んでいる律にそう語りかけた。
***
予想通り、三学期が始まったE組の意見は割れていた。
きっかけは渚の「殺せんせーを助ける方法を探したい」という言葉。誰よりも優しい渚だし、片岡のように他にもその提案をしようとしていた人間はいた。そして、そこに待ったをかける奴がいるのも当然の話だ。
この教室で俺たちが「生徒」と「教師」として信頼関係を築けてきたのは、大前提として「アサシン」と「ターゲット」の絆が俺たちと先生の間にあったからだ。渚の提案に反対した中村の絆を大切に思うからこそ最後まで暗殺をするべきという言い分も分かるし、寺坂たちのあるのかも分からない助ける方法を探して中途半端な形で終わらせたくはないという気持ちも分かる。きっと皆苦しんで、悩んで、それぞれが導き出した答えだから。
「僕だって……半端な気持ちで言ってない!」
しかし、今のこの光景は全く予想していなかった。暗殺の才能はこの中の誰よりもあるとは言え、渚のことをよく理解しているはずの赤羽が過度に煽ったこともそうだし、それに対してあの温厚な草食動物が飛びつき三角締めなんてするなんて。
偽死神の一件以来、希望者は烏間さんから護身術も教わっていた。特にパワーのない渚は技でカバーできるようにと積極的に訓練に参加していたのも知っている。全体重をかけて赤羽の首を挟んだ両足をギリギリと締め上げるそれは、かなりしっかりと決まっていた。
「力ずくで言うことを聞かせって言うのなら……っ!?」
けれど、相手はE組きっての戦闘のプロだ。バイタルも高く、教わるでもなく見ただけで烏間さんの防御技術を盗む才能を持つ赤羽は腕一本で渚を引き上げて、三角締めの圧迫を和らげる。
「こいつ……」
「やめろって!」
まずいっ! 気づいた時には飛び出していた。それは俺だけでなく、二人の間に割って入った俺の両脇では渚を杉野が、赤羽を磯貝と前原が抑えている。赤羽に至っては、二人がかりでも抑えるのがやっとなようで、その目は普段のそれとはまるで違う。臨戦態勢の肉食哺乳類のような眼力で俺の後ろの渚を射貫いていた。
赤羽と渚、まるで正反対な性質のこの二人はかなり仲がいい。よく一緒に遊ぶようだし、赤羽の家に行ったことがあるのはこの学園の生徒の中でも渚だけという。このクラスに来てから、大小様々なトラブルがあったが、この二人が喧嘩をしているのは初めてだった。それに、普段飄々としている赤羽からは想像ができない感情を前面に押し出した目。鷹岡やシロにだってしなかった目をする赤羽に、俺は驚きを隠せなかった。
「中学生同士の喧嘩大いに結構!」
二人を抑えながら、この状況をどうしたものかと思案していた俺たちを制したのは、事の張本人であるターゲットだった。なぜか最高司令官のコスプレをしてパイプをふかしている殺せんせーは、暗殺で始まったこの教室だから、この方法で勝敗を決めましょうとそれぞれ「赤」と「青」と書かれた箱を用意してきた。中にはそれぞれナイフやエアガン、そしてそれぞれ赤と青に染色されたBB弾が入っている。BB弾はよく見ると染色されたものではなく、訓練のときに使用する物と同じペイント弾のようだ。
「エアガンと二色に色分けしたペイント弾、インクを仕込んだ対先生ナイフ、チーム分けの旗と腕章を用意しました」
赤は殺すべき派、青は殺すべきではない派。それぞれ自分の意見をはっきりと述べて分かれる。この山を戦場に戦い、相手のインクが付いた生徒は退場。相手チームを全滅または降伏させるか、敵陣の旗を奪ったチームの意見をクラスの総意とする。いわゆるサバイバルゲームによる決着方法だ。
「勝っても負けても恨みっこなし! このルールでどうですか?」
楽しそうに自分の運命を決めるゲームについて話す殺せんせーに生徒からはポツリ、ポツリと不満が出てくる。けれど殺せんせーは、小さな瞳を優しげに細めて大切な生徒たちが全力で決めた意見ならば尊重します、と先生の顔になった。
「最も嫌なのは、クラスが分裂したまま終わってしまうことなんです」
そう微笑むターゲットに、皆は戸惑いながらもこの学級戦争に同意した。
「……必殺を目指して必死に頑張ってきたから、俺らは成長できたと思う」
最初に前に出てきたのは、千葉と速水だった。E組最強のスナイパーコンビは多くの場面で俺たちの要だった。それゆえに、多くのことを暗殺の中から学んできた。この教室でなければ学べないことも多かった。
「誰が、何が、俺たちを育ててくれたのか。そこから目を逸らしたくない」
「だから……暗殺は続けたい」
暗殺によって成長できた。殺し屋と暗殺対象だったから全力で学べた。だから、最後までやめたくない。そう言って、二人は赤の武器を手にした。
「私は、殺せんせーを殺そうとしたときに後悔したよ」
そう口にしたのは茅野だった。一年という短いようで長い間過ごしてきた恩師を後悔に苛まれながら殺そうとした。全てを知った今は、「もっと長く生きてほしい」と思った。最愛の姉がそう思っていたように。
「だから私は、殺せんせーを守りたい」
可能性があるのなら、殺さない道があるのなら。今までとは少し違う目で、茅野は青の武器を掴んだ。
そして同じく青の武器を選んだ生徒が二人、奥田と竹林の科学組だ。
「科学の力は無限です! 壊すことができるなら逆に助けることだって……!」
「それに、当てがゼロってわけじゃない。皆が一丸になればそれも試せる」
その後も一人、また一人とどちら側につくか、自分の気持ちを伝えて選んでいく。律は結局答えを出すことができなかったようで、中立を選択していた。
正直言えば、この勝負でどちらが勝つかはさして重要なことではない。重要なのは全員が自分の言い分をはっきりと口にして、全力で暗殺という舞台でぶつかり合うことなのだ。普通ならばさっきのように喧嘩になってしまう荒っぽいことでも、この教室なら暗殺としてぶつかり合うことができる。
さて俺は――
自分の意見を言おうと思った時、ある光景が目に入った。それぞれ青と赤の武器を手にした渚と赤羽が、互いの視線を切るように踵を返したのを。
「……前から気になってたんだけどさ。渚とカルマ君って中一のときから友達だって言ってるのに、その割には……どこか他人行儀だよね」
そして、杉野と話している茅野の言葉。確かに言われてみれば、あの二人は仲がいいと言っても、例えばそれぞれが杉野と交流するときとは互いの接し方が違う気がする。カルマに至っては、俺以外の男子で君付けをして呼んでいるのは渚だけだし、お互いどことなく一歩引いているような……。
ひょっとして――
「あとは比企谷君だけですよ」
「あ、ああ……」
殺せんせーに声をかけられて、意識を浮上させる。もう一度渚と赤羽に視線を向けて少し考え、ゆっくりと口を開いた。
「俺は――」
***
組み合わせは殺す派、赤チームが赤羽、岡島、岡野、木村、菅谷、千葉、寺坂、中村、狭間、速水、三村、村松、吉田、堀部。殺さない派の青チームが磯貝、奥田、片岡、茅野、神崎、倉橋、渚、杉野、竹林、原、不破、前原、矢田、そして俺になった。
「……思いの外不利になったな」
小さく嘆息を漏らす前原に、磯貝も頷く。人数自体は五分五分だが、狙撃の速水千葉に機動力の岡野木村、ガタイの良さと体力で防衛要員として厄介な寺坂たち三人組。それに戦闘能力では頭一つ抜きんでている赤羽と各ジャンルのスペシャリストがほぼ全員赤に所属している。全体で見ても、単純な近接、遠距離暗殺スキルならば赤チームの方が圧倒的に有利だ。
「よし、まずは作戦会議をしよう」
百メートル離れた位置に互いのフラッグを設置したことを確認して、青チームを磯貝が招集する。作戦を練っている間、赤チームにいる菅谷に代わって倉橋が裏山の迷彩を一人ずつに施している。
「まず、渚は自由に動かす。きっとその方があいつもうまく動けるはずだ」
確かに、サバイバルゲームと呼ばれるこれは暗殺というより戦争だ。兵士としては並み以下の渚を活かすのであれば、一人だけ“暗殺”に役割を持たせた方がいいだろう。その渚は今、倉橋に迷彩を施してもらって……ん? あれは裏山迷彩ではなく、自衛隊の迷彩服と同じ奴か?
「状況に応じて当然変化するけど、他は基本的にバディを組んで二人一組で動く。特に純粋な戦闘要因じゃないメンバーは他の能力を活かせるように主力メンバーが最初は警護に回ろう」
この場合は特に竹林か。どうやら爆弾を使ってペイント弾を相手側に降らせようと考えているらしい。それを回避するのは、殺せんせーでもなければほぼ不可能だろう。厳しいのは奥田の能力がほとんど活かすことができないことか。カプセル煙幕程度ならともかく、本格的な化学薬品なんかは裏山の環境や相手チームの人体に悪影響を与えかねないからな。
「原、それって……」
杉野が見ていたのは原が運んできたワイヤーネットだ。そういえば、ワイヤートラップ系の訓練では手芸が得意な原はかなりの手際の良さを見せていたっけか。というかこれ、どっかで見たことがある気が……。
「ふふふっ、この間の猪鍋の再来よ」
思い出した。冬休み前に行われたワイヤートラップの訓練中、原が猪を捕まえたことがあったのだ。これはそのときのトラップか。だいぶ丈夫に作られているようで、あの時イノシシがかなり暴れたはずなのにどこも壊れている様子がない。これなら仮に赤羽のような馬鹿力が相手でもネットに拘束できるだろう。その猪の行方? 殺せんせーがおいしいお鍋にしました。
「神崎は比企谷君とペアを組んでくれ。FPSでよくペアを組んでるみたいだし、大丈夫だよな」
「はい。よろしくお願いします、比企谷君」
「おう」
となると、俺たちの行動は一つか。
「最初は千葉かな」
「そうですね、千葉君か速水さんなら千葉くんの方が狙いやすいと思います」
スタート可能位置のギリギリ端に身を潜めて、神崎と相談する。この戦争において青チームが最も不利なのは狙撃手を相手に取られていることだ。遠距離射撃において速水と千葉はこのクラスの中でも飛び抜けて高いし、スナイパーはいるだけで敵の行動を制限できる。ならば、先にそこを潰すべきだ。
スタートと同時に大回りで移動を開始して、おそらく千葉が潜んでいる高台に急襲をかけようと相談していると、神崎が「そういえば」と話を切ってきた。
「なんだ?」
「比企谷君がどっちかを選ぶとはちょっと思っていませんでした。てっきり律さんと同じように中立になるのかなって」
「……あー……」
なーんか、だいぶ理解されているようで気恥ずかしい。思わずそっぽを向いてしまうと、怒ったと勘違いしたらしい神崎が少し動揺してしまった。こちらも多少慌ててしまって、怒っていないと迷彩のかかったフードにポンと手を乗せてなだめるというグダグダなことをしてしまった。
「まあ、最初はそのつもりだったんだけどな」
俺自身、どちらの意見も十二分に理解できる。どっちも選びたくてどっちも選びたくない。けど、こいつらが全力でぶつかって決めた道なら、俺も納得できると思っていたから。
けれどあの二人を見て、少し事情が変わった。
この戦争、どっちが勝つかはさして重要ではない。確かに今後の教室のありかたを決める勝負だが、その前にバラバラになりそうな全員の意識をどんな形であれまた一つに戻すための戦いなのだから。
それに、その前の大前提として。
「“皆”が納得しなきゃいけないだろ?」
そもそもこの勝負はどこから発端になったか。そこを無視してはいけない。
「クラス内暗殺サバイバル……開始!」
ちょうど聞こえてきた烏間さんの開始の声と共に、俺と神崎は動き出した。
サバゲ戦の開始でした。
最初は律も青に入れようかと思ったんですが、そもそも律があのサバゲに入ると相手の無線攪乱とかやりたい放題になるなと思ってちょっと台詞を変えて中立のままに留めました。
今日は昼間の日刊ランキングで、久々に二位になっていました。たくさんの評価ありがとうございます!
そういえば、pixivの方でこのシリーズの一話が「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。 暗殺教室」の人気順検索(ブックマーク数検索)で一位になりました! これで大手を振って暗殺クロスSS書きって名乗れます(あまり名乗るつもりはない)
それでは今日はこの辺で。
ではでは。