二度目の中学校は”暗殺教室”   作:暁英琉

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蛇の決意は、兄の決意は、触手の決意は

「死んで! 死んで! 死んで!」

 

 喉が枯れんばかりに叫びながら何度も何度も極熱の触手でターゲットを殺そうとする茅野は――彼女本人の方が今にも死にそうな顔をしていた。触手の根はどんどんその侵食範囲を増やしていき、眼球にまで伸びているのが見えた。

 

「なんとかなんねえのかよ。このまま、茅野が触手に侵食されていくのを見てることしか……」

 

悔しそうに顔を歪める前原に、皆も表情を険しくしながらも、誰も答えない。戦いの次元が違う上に、俺たちは茅野を傷つけるなんていう馬鹿な選択肢はすべからく却下してしまう。狭まった選択肢では、あいつを何とかする方法を見つけることはできない……。

 消える直前に一瞬だけ燃え上がる炎のような茅野を見つめる俺たちの前に――

 

「「うおっ!?」」

 

 透けた殺せんせーの顔が現れた。どうやら茅野の攻撃をいなしている合間に、なんとか顔だけを伸ばして分身を飛ばしているようだ。それはそれで普通に分身を作るよりも難易度が高いのではないだろうかと一瞬思ってしまったが、今はそんなことはどうでもいい。

 

「手伝ってください! 茅野さんの触手を一刻も早く抜かなくては!」

 

 茅野の触手の異常な火力は、自分の生存を考えていない故の捨て身の精神力から実現されているものだ。堀部も言っていたように、代謝異常も引き起こしている状態でそんな戦いをしていればあっという間に生命力を触手に吸い尽くされてしまう。

 このままではあと一分もしないうちに――茅野の生命力は奪いつくされてしまう。

 

「ですが、彼女の殺意と触手の殺意が一致している間は、触手の根は神経に癒着して離れません!」

 

 堀部の時と同じだ。触手は宿主の最も強い想いに呼応する。宿主の強い想い、堀部なら強さへの執着、茅野なら殺せんせーへの殺意を緩ませないことには、触手の癒着が強く引き抜くことができない。無理に引き抜こうとすれば癒着した神経が傷つき、どの道茅野を助けられないからだ。

 しかし、堀部のときに寺坂たちが行ったように、時間をかけて説得なんてできない。何より茅野自身がそんな時間を与えてくれない。

 

「じゃあ、どうすれば……」

 

 速水の質問に殺せんせーは戦いながら引き抜くしかないと返答する。まずは茅野の、正確には触手の殺意を叶えることで、一瞬殺意を弱まらせる。

 そのために――

 

「先生はあえて最大の急所、心臓を晒します」

 

「「「「っ!?」」」」

 

 ネクタイの下にある殺せんせーの最大の弱点、心臓。そこを完全に破壊されれば殺せんせーが即死することは、この場の全員が知っていた。「殺った」という手ごたえを与えれば、どんなに集中している暗殺者も気が緩む。感情に敏感な触手ならなおさらだ。その瞬間に、俺たちの誰かが「茅野の殺意」を忘れさせるようなことをする。それが殺せんせーの作戦だった。

 

「方法は何でもいい。思わず暗殺から意識を逸らしてしまうなにかです」

 

 その役目はターゲットである殺せんせーにはできない。殺意の対象では何をやったところで悪戯に殺意を増幅させるだけだ。だから、すでに茅野の意識の外にある俺たちがその役目を負う必要がある。触手の殺意が緩み、茅野の殺意も弱めることができれば、一瞬だとしても触手と彼女の結合が解ける可能性がある。そうすれば、最小限のダメージで触手を抜くことができるかもしれないのだ。

 しかし――

 

「その間、先生の心臓にはずっと茅野の触手が?」

 

 たらっと汗を滴らせながら呟いたのは木村だ。確かにその作戦だと、殺せんせーはずっと茅野の触手に急所を貫かれたままになる。さらに殺意が弱まっても、触手がそのまま止まってくれる保障はない。殺せんせーは上手く致死点をずらすと言っていたが、同時に生死は五分五分とも言った。五十パーセント、野球の打率なら化け物みたいな数値は、生き死にのかかった場ではあまりにも心許なかった。

 

「五分って、そんな……!」

 

「でもね」

 

 他の作戦はないのかと提案しようとした片岡を殺せんせーは声で制する。透けた残像に浮かぶ二つの小さな目は、まっすぐに俺たちを見つめていた。

 

「クラス全員が無事に卒業できないことは……先生にとって死ぬよりも嫌なんです」

 

 その目は、嘘をついているように見えない。地球を破壊する超生物が、本心から俺たち全員の無事と自身の命を秤にかけ、間違いなく俺たちを選んだ。俺たちの誰か一人が欠けるくらいなら自分の命を捧げる。三月になったら全てを破壊する超生物のあまりに似つかわしくない決意に、しかし俺は、俺たちは信じずにはいられなかった。

 相手はこの一年弱、ずっと俺たちに教え続けてきてくれた、担任の先生なのだから。

 

「うっ!」

 

 残像の奥で炎の触手が殺せんせーを捉える。さすがに分身を飛ばしながらいなすのは限界らしい。

 

「三十秒ほど経ったら決行します! 皆さん、とびっきりの奴をお願いしますよ!」

 

 飛ばしていた顔だけの残像を消し、殺せんせーは触手の対応に専念するマッハを超える炎の触手による全力攻撃を受け止め、避け、受け流し、時に触手の一部を犠牲にして致命傷を防ぐ。そうしている間にも、刻一刻と決行の時間は近づいてきていた。

 

「ど、どうすんのよ。カエデの気を紛らわせって? ガキ共に一発芸でもしろって言うの?」

 

 ビッチ先生の言う通りだ。茅野が殺せんせーの心臓を貫けば、おそらく殺せんせーは茅野を拘束するだろう。たぶんそれはうまくいく。

 しかし、その後どうやって茅野の意識を殺意から離せと言うのだろうか。後ろで吉田が三村にエアギターを提案していたりするが、自信のありそうな手段は出てこない。竹林の爆弾や奥田の薬品による化学現象は……逆に警戒心を揺さぶって周りに被害を出してしまう可能性があるし、そもそも戦いに来たわけではない俺たちは、ほぼ手ぶらでここに来ている。

 烏間さんなら? 茅野を最小ダメージで気絶させることはできるだろうが、それでは触手の癒着は離れない。俺のステルスもこんな時は当てにならない。

 誰もが今までこの教室で学んできたこと、自分の能力でなんとかできないかと思考を巡らせているが、表情は芳しくない。生徒だけでなく、烏間さんもビッチ先生もだ。

 

「――――っ」

 

 そんな中で、一人だけ表情を変えた奴がいた。それを見て、少し笑みを作ってしまう自分がいる。

 ――やっぱりお前だよな、と。

 しかし、どうやら当の本人はまだ最後の一歩を踏み出す勇気が出ないらしく、再び表情を険しくして俯きそうになっている。どの道時間はないし、今まで過ごしてきて俺は直感していた。茅野を助けることができるのはこいつだって。

 だから俺の今の役割は――

 

「っ、……ひき、がや君?」

 

「大丈夫だ、渚。お前なら、いやお前だからこそやれる」

 

 あと一歩を後押しすることだ。

 渚の頭に軽く手を乗せてわしゃっと撫でる。男にしては小さな体は、自信のなさの表れかかすかに震えていた。しかし、この場において最も茅野カエデを救うことができるのは誰だろうか。磯貝か? 片岡か? 杉野か? 倉橋か? 赤羽か? 奥田か? 神崎か? その誰だって違う。間違いなく、今自信なさそうにしている。一番近くで、一番長く彼女を見てきた潮田渚なのだ。

 ゆっくりと頭を撫でていると、少しずつ渚の身体の震えが収まっていく。それでもまだ足りない。きっともう一押しだ。それにそもそも、こんな大事なことを渚一人に押し付ける気はない。

 

「絶対うまくいく。もし危なくなったら、俺が助けるから」

 

「……分かったよ」

 

 俺の顔を見た渚は、一度瞑目すると決心がついたように笑いを浮かべた。その目に、もう迷いも自信のなさも感じられない。

 

「ほらな、カルマ。あの二人が無茶しないわけがないんだよ」

 

「だねぇ。ま、分かってたけどさ」

 

 昼間一緒に過ごした二人が少しおかしそうに、少し心配そうに笑う。周りの奴らも心配そうな目を向けてくるが、止める人間はいなかった。

 

「でも、あんまりやりすぎるんじゃないわよ。二人とも危なくなったら、今度は私が助けるから」

 

 額を軽く押さえながら呟いた速水に、皆がその次は俺が私がと続いてくる。誰もがその言葉に嘘がなかった。

 全く本当に、こいつらはお人好しが過ぎる。俺も含めて。

 全員が決心をつけた時――

 ――ズドンッ!

 重々しい音と共に、殺せんせーの心臓に炎の触手が突き刺さった。

 

 

     ***

 

 

 炎をまとった黒い触手が、下手をすれば私のものより速い速度で襲い掛かってくる。何とか致命傷は免れているが、ダメージは確実に蓄積されていっていた。

 茅野さん、雪村あかりさんの攻撃は非常に戦術的だ。ただ直接心臓を狙うのではなく、からめ手、フェイク様々な攻撃方法を駆使して急所を貫く一瞬を狙っている。どれだけ私を殺すために勉強してきたのだろうか。心を触手にほぼ侵されながらも、なおも続けられる“彼女の殺し”たらしめる動きから、あの人がどれだけ大切なお姉さんだったかがよく伝わってくる。

 ――でもね。

 

「っ……!」

 

 人間の頃に培った、わざとだと気づかれないレベルの自然さで心臓を守っていた左の触手をどけた。彼女は――さすがこの教室で学んできた生徒。その触手の侵食を受け続けてなお、暗殺者として育った本能がその一瞬を見逃さず、見事にかかった。

 ――ズドンッ!

 

「ゲフッ……!」

 

 的確に突き立てられた二本の触手は私の中にある。存在だけは理解していた心臓部、反物質臓に易々と到達した。予定通りうまく致死点だけは外したが、やはり急所にダメージを受けたことには変わりなく、自分自身今まで出したことのない音が喉から漏れて、口から生温い何かが溢れ出した。飛び散ったそれは紅く、口の中には鉄のような味が広がる。

 この身体でも、一応血は存在したんですねぇ。

 

「殺ッ……タ……?」

 

 おっといけない、自分の身体の新事実なんて今はどうでもいい。身体は……まだ動く。元々は紛れもなく腕だった二本の触手を彼女に伸ばし、胴体を拘束する。力はいつもよりも明らかに弱い。しかしそれでも、決して離すわけにはいかないとできる限り、少しでも強く触手に力を込める。

 君たちからこの触手を離すわけにはいかないのだ。なぜなら――

 

「君のお姉さんに絶対に離さないと誓ったのだから……!」

 

 ザッ、と目の前で音がした。ダメージで多少かすむ目の先にいる少年を見て、私は心の中で感嘆せずにはいられなかった。

 やはり、出てくるのは君ですよねぇ、渚君。

 君がこの一年磨いてきた殺気は、昔の私によく似ている。研ぎ澄まされた純粋なそれは、獲物を狙う蛇のように洗練されていて、相対すると一瞬見惚れてしまうほどだ。だからこそ、君がこの場に立つのが一番ふさわしい。

 渚君は荒い息で睨みつけてくる茅野さんをじっと見つめている。立っているのは手が届くよりも少し遠く。クラップスタナーを扱う渚君の間合いだ。使うのは猫だましか? いや、茅野さんの波長は触手による激痛で常人ではありえないレベルの乱れ方をしている。きっと昔の私でも完璧に決めることはできない。聡明な彼ならそれを十分に理解しているはずだ。

 それでは……。生徒からの問題を考えている間に答えが開示される。警戒していても警戒されない自然な動きで渚君は一歩踏み出す。そして茅野さんが何かに気づくよりも早く――

 

「――――っ」

 

 蛇の唇が、獲物を捕らえた。

 

「ぁむっ、れろっ、んくっ……」

 

 イリーナ先生が常日頃から行っていた無差別ディープキス爆撃。これにはさすがに驚いた。先生自身、いくらハニートラップの達人の授業と言ってもあの行為はやる必要が皆無なのではと思っていたからだ。

 音を聞く限り、渚君の舌の動きはやけに遅い。おそらく下手というわけではなく、クラップスタナーと同様無意識ながら波長の隙間を狙おうとしているのだろう。

 そしてそれは――

 

「んちゅ、ぬろっ、……じゅりゅっ……!」

 

「っ!?」

 

 六ヒット目で見事に波長を貫いた。虚ろだった茅野さんの目が驚愕に染まり、状況を理解したのか逃れようと渚君のコートを掴む。しかし、後頭部に添えられた彼の腕が、距離を取ることすら許さない。

 ――ジュウゥッ。

 

「ぅ……」

 

 熱い……。危険な状況と触手が理解したのか、一気にまた熱量を上げてきた。少しずつだが、ズブッと高温の触手がその深度を増し、早く私を殺そうとしてくる。身体の奥からギシ、ギシ、ときしむような音が聞こえてくるのを感じて、直感がマズイと何度も叫んでくる。

 予想以上の反撃だ。これは五分五分どころか三分七分くらいと見積もっておくべきだったかもしれない。

 けれど、それでも、この手を決して放すわけにはいかない。渚君が任務を完遂するまで、たとえこの命を使い切っても――

 

「……ったく、人には無茶すんなって言っておきながら、自分は無茶するんだから世話が焼ける先生だよ」

 

 その声は、突然すぐ近くから響いた。同時に、私の胸を貫いた触手を二本まとめて誰かが掴む。多少弱まったとはいえ高温の触手に低い唸り声を上げながらもより強く握ったのは――比企谷君だった。

 

「これで、少なくともこれ以上、触手が入り込むことは……ねえだろ?」

 

「確かにそうですが……っ」

 

 触手というものはスピードでカバーしているが力自体はそこまで強くない。訓練で鍛えた比企谷君が本気で掴めば、確かにこれ以上私の身体を貫くことはないだろう。

 

「しかし、そんなことをすれば君だって大怪我では済まない!」

 

 本来触れていい温度ではない。現に今の比企谷君は、普段あまり変えない表情を苦悶の色に染め、抑えようとしているのか唸るような声を時折漏らしている。下手をすれば命にだって関わる。

 けれどこの教室で唯一一学年上の生徒は、首を横に振ると顔を歪めながらも確かに笑った。

 

「先生が死んだら、誰が茅野を助けるんですか」

 

 触手を抜くことができる余裕はわずかしかない。そのわずかな時間で複雑に伸びた触手の根の先まで除去できるのは、この場に、いや地球上に私一人しかいない。そもそも、私にはここで死ぬという選択肢は用意されていなかったのだ。

 それに、と彼は熱に浮かされて荒くなる息を大きく吸い込んだ。

 

「妹死にそうなときに、自分の心配なんてするような覚悟で、兄貴なんて名乗った覚えはないんだよ!」

 

 今にも泣きそうな彼の叫びは侵食の弱まってきた茅野さんにも聞こえたのか、彼女の身体がビクンと震えた。

 その隙を、クラス一の暗殺者は決して見逃さない。

 

「れるっ、ちゅ、ちゅるっ、んむっ……」

 

「んんっ、ひぅ、んん~~~~っ! ~~――ッ」

 

 より深く舌を侵入させ、不意打ちで唇をなぞる。変幻自在の口撃に、茅野さんの力は徐々に弱まっていき、段々と渚君が彼女に覆いかぶさるように身体を傾ける。さらに追撃を行うために、彼はより深く刃を突き立てようとしていた。

 

「まったく、君は何度言っても無茶をやめませんねぇ……」

 

「……生憎、まだ素直になんて慣れそうにないんで」

 

 未だに高温の触手を掴むことをやめない比企谷君も、ここに来た頃に比べるとだいぶ変わったのだと思う。確かに無茶は何度もしてきた。今だってしているし、きっとこれからもするのだろう。けれど、彼はもう周りに関係なく無茶をする生徒ではない。周りのことを考えて、周りで悲しむ人間がいることを知っている。同じ無茶でも、その理解の有無は大きい。

 理解したからこそ、皆彼を慕っている。きっとこれからもこのお兄さんの周りには彼らがいて、もっと多くの人たちが集まってくる。

 本当に皆、良い生徒たちに育ってくれた。

 

「じゅ、じゅるっ、……れる、ぬろぉっ……」

 

「んくっ、んぁ、ひゃっ…………ァ……」

 

 彼らのおかげで痛みに気を失わずに堪えられた間に、渚君が再び意識の波の隙間を引き当てたのか茅野さんがくたぁっと気を失った。さっきまで完全に暗殺者の目をしていた渚君は慌てたように彼女の身体をそっとすすきのクッションの上に横たえた。そのギャップに、思わず笑ってしまいそうになる。

 

「殺せんせー、これでどうかな」

 

 私を貫いたことで触手の殺意は和らげた。比企谷君がトドメ刺そうとする触手の動きを止めて私の延命を行い、渚君が完全に茅野さんの意識を暗殺から遠ざけてくれた。ここまで御膳立てされて、自分の役目をこなせないようでは教師失格だ。

 

「満点です、渚君! 今なら抜ける!」

 

 今の彼らなら、私の過去を知ってもきっと前に進める。

 そんなことを考えながら、触手を除去するためにピンセットを取り出した。




いわゆる132話ショックのお話でした。この回読んで私が渚カエ至上主義になったのは言うまでもない。なんやあの茅野かわいすぎだろ。個人的に渚のコートを必死につかんでいるコマがほんと好きで一日一回は132話を読んでニヤニヤしています。

個人的に八幡の動きは何パターンかあったのですが、脇役として支えるお兄ちゃんって感じを出したかったのと、その中で無茶をさせたかったのでこんな感じに。さすがに渚の場所を奪うパターンは選択肢にすらありませんでした。渚カエは正義だから、そこは譲れないから。
……八渚カエならありなのでは? 新しい扉が開けそうな予感がします。

それでは今日はこの辺で。
ではでは。



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