「先生のことはご心配なく。どーせ心も体もいやらしい生物ですから」
登校したら超生物が可能な限り口を尖らせて拗ねていた。尖らせすぎて顔の形が変形してしまっている。スネ夫にでもなるつもりなのん? 殺せんせー貧乏だからその時点でスネ夫にはなれないよ?
ちなみに、シロの計画に加担した鶴田さんは烏間さんからゲンコツを食らって漫画みたいなたんこぶを作っていた。髪の毛が消し飛ぶゲンコツってなんだよ。烏間さんがハゲを量産している可能性が微粒子レベルで存在している?
「心配なのは姿を隠したイトナ君です。この細胞は人間に植え付けて使うには危険すぎる」
堀部の触手は殺せんせーのものと違って部分移植されたものだ。身体に異物を取り入れるのだから当然拒絶反応を起こす。それを定期的にメンテナンスをして調整していたのがシロだ。調整役から見放されてしまった今、どう暴走するか分かったものではない、というのが全身触手生物の見解だった。
そして、その暴走は間違いなく現在進行形で起こっている。
「皆さん、これを見てください!」
律が映し出したのはこの時間帯にやっているニュース番組。焦燥感漂うリポーターの背後には、ズタボロに破壊された携帯電話ショップが映っていた。どうやら昨日一晩で、市内複数件のショップが同様の被害を受けたらしい。
損傷の激しさから、ニュースでは複数犯の可能性を提示しているが……。
「これって……イトナの仕業、だよな」
「ええ、使い慣れた先生だからわかりますが、この破壊は触手でないとまずできない」
同じ触手を扱っている先人からの申告に、皆頷く。
それにしても、どうして携帯電話ショップばかりを攻撃しているんだ? 堀部が触手を手に入れた経緯は、あれほどまでに強さを求める理由は、そこにあるような気がする。
「担任として、彼を止めなくてはいけません。責任をもって彼を保護しなくては」
いつものように担任として行動しようとする殺せんせーに、しかし生徒たちは難色を示した。「昨日まで商売敵だった奴を助ける義理があるのか」「担任なんて今まで形だけだったではないか」と。
それも事実だ。結局堀部が校舎に入ってきたのなんて転校初日だけだし、なんなら校門をくぐったのだってその時だけだろう。クラスメイトと、担任と生徒と呼ぶにはあまりに希薄な関係だ。
ただそれでも、この先生にとってはたいした問題じゃないんだろうな。
「それでも担任です。『どんな時でも自分の生徒から手を離さない』。先生は先生になるときに誓ったんです」
ま、狙われる側がこう言ってる以上、止めたって無駄というものだ。ならば、そのクラスメイトとやらのために生徒がサポートしても問題ない。
「律、堀部が次に狙うショップを解析してくれ。たぶん次は正確に割り出せるはずだ」
「分りました!」
ブレインを離れた手足の行動は、ブラフもなにもない単純なものだろう。ならうちのAI娘に予測できない道理はない。
「……放っておいた方が賢明だと思うけどね」
ぼそりと呟いた赤羽はパックジュースのストローをズズッと吸う。こいつが言っているのはおそらくシロのことだろう。あいつは自分以外の人間を駒としか思っていないタイプだ。現実で捨て駒戦術なんて使う軍師はそうそうおらず、故に戦術が読みにくい。堀部に関して、“見捨てた”のではなく“泳がせている”可能性も十分にあった。非情だからこそ、戦術の幅が広がる。
「ま、どの道動くしかないだろ。……あれだ、触手持ってるあいつのことが世間にばれたら、結局先生が教室にいられなくなっちまうからな」
こちらが動かなければ、多分シロも動かない。動かないで、きっと堀部のことが世間にばれても気にも留めずまた殺しに来る。なら俺達には、動く以外の選択肢は存在しないのだ。
「……比企谷君は優しいなぁ」
「なにがだよ?」
ストローを咥えながらニヤニヤ笑う赤羽に、俺は首をかしげるだけだった。
「やっと人間らしい表情が見られましたね、イトナ君」
律の予測通りの場所に現れた堀部は、ひどく消耗しているように見えた。黒々と変色した三本の触手はしなやかとは言いづらい形状にささくれ立っていたし、破壊のときに自身に降り注ぐガラス片なんかも気にしていないのか、あちこちに切り傷が増えていた。
「……兄さん」
「殺せんせー、と呼んでください。私は君の担任ですから」
痛みに耐えているのであろう、時々顔をしかめながらも堀部は勝負を挑もうとする。立っているのもやっとだろうに、ひたすら勝利だけを求めて……。
そんな中、かすかにエンジンをふかす音が聞こえてくる。ゆっくり、ゆっくりと、規定速度を大きく下回る速度で。目の前の堀部を視界に捉えたまま、自然と俺と赤羽の身体が警戒態勢に入った。
そしてエンジン音がほぼゼロになった瞬間――店内に何かが投げ込まれた。
「っ!! 皆伏せろ!」
いち早くそれがグレネードだと察知した赤羽の言葉に、ワンテンポ遅れて全員が体勢を低くする。床で一度カランと跳ねたそれは、ボフッと鈍い音を立てて周囲を白く染め上げた。
これは……煙幕か?
確かに煙幕には違いないが、それだけのためのものではない。現に広がった粉を浴びた殺せんせーと堀部の触手の表面が溶けてしまっている。対先生物質のパウダーだ。
ガラスが粉々に破壊された入口に目を向けると、横付けされたトラックの荷台に乗っていた全身真っ白な衣に身を包んだ男たちが銃を構えていた。そして、その助手席にはシロの姿。やっぱり、堀部を放っておいたのは泳がせて殺せんせーをおびき寄せるためだったのか。
それにしても、あの荷台に乗っている砲台はなんだ?
考えている間にシロの操作によってその砲台がウィィンと方向を調整する。その射出口は殺せんせー……ではなく堀部に向いていた。今までの疲弊とパウダーの影響か、堀部は気づいていない。
「チッ……!」
「比企谷君!?」
考えるよりも先に身体が動いていた。堀部の前に飛び出すと同時にシロがボタンを押すのが見えて――堀部ごと何かに絡めとられる。
「うがっ!?」
それがワイヤーネットだと理解したときにはトラックは走り出し、身体を何度も叩きつけられ、引きずられてしまう。やばいやばいやばい痛い痛い痛い。
「フン、余計なものが混ざったようだが……まあいい。追ってくるだろ――担任の先生?」
容赦ないスピードで俺たちを引きずっていく。縦に伸びているせいでネットの中はたいした余裕もなく、少しでもダメージを抑えようと受け身を試したりしてみるが、痛いものは痛い。
これ……マジで死ぬんじゃね?
生きてました。ありがとう烏間さんのスパルタ体育。奇跡的に擦り傷だけで骨とかは大丈夫っぽいぞ。
そこまで長い距離は走らなかったようで、車が止まった場所は見覚えがある。ワイヤーを引きちぎれないか試してみたが、すぐに無意味と悟った。
「無駄だよ、対先生繊維をチタンワイヤーにくるんだ特別製だ。素手ではビクともしないさ」
後ろのトラックからシロの声が聞こえて――待て、対先生繊維……?
「う……うぅ……」
小さくうめき声をあげた堀部に視線を移すと、その頭頂部に植え付けられた黒い触手のネットに触れている部分が、シュウゥと細い音を立てながら溶けていっていた。血が滲む腕で触手を掬い上げ、できる限りネットに触れないようにしようとするが、いかんせん俺の身長並みの長さの触手が三本だ。どうしてもカバーが難しい。
それに、この周りから感じる殺気の数は……。
「比企谷君、イトナ君!」
「来るな!」
「来るな、なんて無理だよね。担任の先生が見捨てるはずがない。そして――ここがそいつの墓場になる」
構わず近寄ってきた殺せんせーに手を上げると、複数方向から目のくらむ光が照射されて、殺せんせーが一瞬固まる。ダイラタンシー圧力光線だ。そして、トラックの上だけでなく周囲の木の上に潜んでいた全身白ずくめの集団からも集中砲火が始まった。狙いは俺と一緒に拘束されている堀部だ。
「今までの暗殺で確認できたが、お前は自分への攻撃は敏感に避けるが、自分以外への攻撃の反応は格段に鈍いね」
触手生物は風圧や服である程度の弾を捌いているが、硬直を繰り返す身体ではその中でさらにこのワイヤーを切るのは難しい。やることが多すぎて集中力が欠けてしまい、どんどん被弾が増えていく。
「つっ……!」
「大丈夫ですか、比企谷君!」
「いいから、今は避けることに集中しとけよ。堀部は俺が極力カバーするし、BB弾だから俺にはほとんど被害はねえから」
傷口とかに当たると十分痛いけどな。人にBB弾向けちゃいけませんって学校で習わなかったのかよ。
「なん……で、俺を……助けようと、する……」
「あ? 知らねえよ、勝手に体が動いちまったんだからしかたねえだろ。……強いて言えば、お前があのクラスの一員には違いねえからじゃねえの。知らんけど」
実際のところはなんで動いたのか自分でもわからん。いや、こいつの境遇とか、そういうものを知ってしまったから、という理由も否定はできないだろう。けれどそれはきっと同情とかではないのだ。こいつも俺たちと同じように、失敗をして、敗北を経験して、それでも勝利を貪欲に求めて強さを手に入れようとしたのだと考えると、放ってはおけなくなっただけなのだから。
少しでも触手を守る面積を増やすために堀部を抱え込む。
「生徒をまともに守ることもできないね。所詮お前は自分のことしか大事にできない身勝手な生物ということだ」
シロの煽りに殺せんせーは無理やり俺たちの救出を図ろうとする。当然それを手で制した俺の顔を見て、担任教師は一度あたりを見渡し、少しだけいつもの表情を取り戻した。状況変化にテンパっていて、さすがの超生物も“近づいてくる複数の殺気”にようやく気付いたようだ。
この世に身勝手じゃない人間がどれだけいるだろうか。自分のことよりも他人のことを優先する人間がどれだけいるだろうか。そう、例えばあんなことを言っているシロなんて――
自分の手駒が倒されてからようやく状況に気づく程度なんだから。
「そぉれっ、と!」
「なっ!?」
木の上から弾幕を展開していた奴らの一人が、突如現れた赤羽に蹴り落される。それを下に布を広げて現れた杉野、倉橋、矢田がキャッチ。そのままグルグルと簀巻きにしてしまう。それを確認すると赤羽はフリーランニングの枝移動で別の標的に飛びついて蹴落としにかかる。
赤羽だけじゃない。前原や岡野、寺坂と言った前衛組が次々と銃手たちを落とし、下に待機した三人一組のグループが素早く拘束していく。っていうか岡野の動きすげえな。お前のその運動神経、世界狙えるぞ。
「お前ら……なんで……」
ものの数分でトラック上の奴ら以外を拘束した皆に、堀部がとぎれとぎれに呟いた。堀部からしたら当然だろう。反射的に動いた俺はまだしも、こいつらは明らかに自分を守る目的で敵を制圧したのだから。
まあただ、やっぱりこいつらもそこまで大きな理由はないんだろう。だってこいつら全員揃いも揃ってお人よ――
「勘違いしないでよね。シロにむかついただけだし、はち……そいつが一緒に連れてかれたから仕方なくなんだから」
…………うん、速水よ。こんなところでツンデレ発動する必要はないんだぞ? 後ろの方で岡島と竹林がニヤニヤしてるし。というか竹林がまた二次元捨てようとしてるし。
なんか微妙になごんでしまった空気の中、赤羽が微かに顎を浮かせて煽りの態勢に入る。気が付くと視界に超生物の姿はすでになくて。
「こっち見てていいのー? 撃ち続けるのやめちゃったら……ネットなんて根元から外されちゃうよ?」
言い切る前にトラックの方からガゴッという音が聞こえてきて、ネットの中の自由度が少し上がった。殺せんせーがネットの発射砲を取り外してくれたらしい。この状況で撤退を選ばないほど、シロも馬鹿ではないだろう。
とりあえずは、一段落……かな?
***
「いつつ……」
消毒液を吸い込んだガーゼが傷口に触れるたびに、どうしても顔が歪んでしまう。
「まったく、骨や内臓に異常はなかったからよかったものを……」
「しょうがないじゃないですか。体が勝手に動いちまったんですから……いてっ」
ため息を吐いて首を垂れると、後ろから頭を叩かれてしまった。振り返ると倉橋が腰に手を当てて仁王立ちしている。どうでもいいけどそのポーズ小町もよくやるが、流行ってんの?
「しょうがないとかそういう問題じゃないの! 私たちが心配になっちゃうんだから無茶しちゃダメ!」
「……あい」
思わず正座しそうになった。E組の母は原だけで十分なんだけど……。
「でも、……お疲れさま」
今度はポフポフと頭を撫でられて、気恥ずかしさから意味すら持たない短い返事を返してそっぽを向いた。その先には拘束を解かれてもぐったりとしている堀部。
堀部イトナ。律と不破と一緒に堀部が携帯ショップを襲っていた理由を探るためにあいつの情報を調べたら、東京の閉鎖されている町工場が引っかかった。堀部電子製作所という小さな町工場で、世界的にスマホの必須部品の製造を行っていたらしい。
しかし、一昨年に負債を抱えて倒産。堀部の親である社長夫妻は息子を残して雲隠れしてしまったのだそうだ。
その部品は世界的にもこの町工場でしか作られていなかった。傍から見れば倒産する方が難しい。それがなぜ……そこを調べてみると、当時主力社員が五人も同じ海外企業に転職していたことが分かった。町工場とは比べ物にならない規模の生産ラインで、はるかに安く部品の生産を行っていた。
コツコツと積み上げてきたものを、技術を、金で、力で奪い取られたのだ。
たぶん、それが堀部が執拗に力を求める理由。努力を無意味と言わんばかりに直接勝利を掴もうとする理由だ。
「「「「…………」」」」
不破からその話を聞いて、皆どうしても押し黙ってしまう。壮絶な人生の先に他人を手駒としか思わない科学者に拾われて、激痛の中やっと手に入れた力の先で――今はそれを失わなければ二、三日の命だ。
もはや誰も、堀部に怒りを向けることはできなかった。
堀部を延命させるには、消耗の元凶たる触手を取り除かなくてはいけない。しかし、堀部の病的なまでの勝利や力への執着をなくさせない限り、触手細胞が強く癒着して離れないと殺せんせーは言う。
そんな重い過去を持っている人間から、そこに起因する想いをなくさせることのできる人間なんて――
「ケッ、つまんねー。それでグレたってだけの話か」
「寺坂!」
ああ、いるじゃん。ここに適任の馬鹿がさ。
「俺らんとこでこいつの面倒見させろや。それで死んだらそこまでだろ」
寺坂は堀部の首根っこを掴むと、村松達を引き連れて帰っていった。
「大丈夫かな、寺坂君たち……」
「ま、大丈夫だろ」
不安そうにする渚の頭に手を乗せる。どうせ作戦とか考えてないんだろうけど、たぶん、逆にそっちの方がいい。
***
「一度や二度の失敗でグレてんじゃねえ。“いつか”勝てりゃあいいじゃねえかよ!」
再び触手を暴走させかけた堀部の触手を受け止め、その頭を殴りながら寺坂は叫んだ。今すぐじゃなくてもいい。百回失敗したって、三月までにいつか一回殺せれば俺たちの勝ちなのだと。
「……耐えられない。次の勝利のビジョンが見えるまで、俺はどうすればいい……」
今にもまた触手を暴れさせようと震わせながら絞り出された堀部の言葉に、しかし寺坂は触手を受けた腹を押さえながら大きくため息をついた。
「んなもん、今日みてえにバカやって過ごすんだよ。そのために俺らがいるんだろうが」
松来軒でまずいラーメンを食ったり、吉田のバイクの荷台で気ままに風を切ったり、狭間から復讐劇の本を提供されたり、そうして毎日バカやって、最後の一回を目指して過ごす。
それを聞いて、ケタケタと笑ったのは赤羽だった。
「あのバカさぁ、ああいう適当なこと平気で言うんだよね」
でもさ、と堀部に視線を向けて悪戯小僧は今だけは少し優し気な笑みを浮かべていた。
「バカの一言はさ、こういう時に力抜いてくれんのよ」
赤羽がそう言うように。
「俺は……焦っていたのか」
顔を上げた堀部の目から執着の色が消え、暴れだそう、暴れだそうと震えていた触手は力なくだらりと垂れさがった。
赤羽の言うように、馬鹿の一言ってやつはいい意味で力を抜いてくれる。ただ、それだけじゃない。程度の大小は違えどあの頃、孤立していた頃の寺坂と堀部はどこか似ているのだ。一刻も状況を打破したいと手段を選んでいないところなんか特にな。
「目から執着の色が消えましたね。今なら君を苦しめる触手細胞を取り除けます。大きな力を一つ失う代わりに、多くの仲間を君は得ます」
いくつものピンセットを携えた殺せんせーがいつものようにヌルヌル笑いながら堀部に尋ねる。明日から殺しに来てくれますね? と。
堀部はどこか力なく笑って――
「……勝手にしろ。この力も兄弟設定ももう飽きた」
こうして堀部イトナは転入から二ヶ月、ようやくE組の一員となったのだった。
イトナE組参入回でした。当初は1話でまとめようかと思ったんですけど、ちょっと不破とカルマを前に出そうかなと思って長めに取らせてもらいました。
そういえば、時々誤脱字報告機能を利用してもらっています。いちいちどこを間違っていたか確認する必要がなくてとても楽です(自分ではいまいち使い方わかってない)
後、さっき確認したらお気に入り数が1900件を超えていました。UAも15万を超えていてホクホク顔です。毎日多くの人に読んでもらえているようで、本当にありがとうございます!
それでは今日はこの辺で。
ではでは。