二度目の中学校は”暗殺教室”   作:暁英琉

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離れたとしても、それは変わることがない

「『頑張ったじゃないか』。その一言をもらうためにどれだけ血を吐く思いで勉強したか!!」

 

 放課後、本校舎の校門で待ち伏せていた俺たちが聞いたのは、竹林の喉を引き裂くような心の叫びだった。

 がんばったなというその一言を父親から聞くためだけに、家族から認められるためだけにただひたすら、ひたすら努力してきたと。ようやく認められる機会がやってきたと。そう絞り出す竹林に、俺はただ、耳を傾けることしかできなかった。

 

「僕にとって地球の終わりより、百億よりも――家族に認められること方が大事なんだ」

 

 たとえ裏切り者だとののしられようと、その上がった成績が誰によるものか、恩知らずと蔑まれようとも、それでもただ肉親に認められることだけを選ぶ。

 それは……ああ、それは……。

 

「君たちの暗殺がうまくいくことを願っているよ」

 

 踵を返して立ち去る竹林に何とか開いた口は――意味もなく空気を溢れ出させるだけだった。

 

「待ってよ、竹ば……っ」

 

 追いかけようとした渚の腕を誰かが掴む。その少女、神崎は申し訳なさそうに首を横に振り、やめてあげてと静かに頼む。

 

「親の鎖って、すごく痛い場所に巻き付いてきて離れないの」

 

 ――だから……無理に引っ張るのはやめてあげて。

 遠ざかっていく竹林を見つめる神崎は、どこか自分と重ねているように見えた。

 

 

 

 さすがに今日は放課後の訓練をする気分にはなれず、そのまま帰ることにした。いくつかに分かれた帰宅グループも、交差点などで一人、また一人と別れていって、最後には俺と神崎だけになってしまった。話しかける気にもなれず、道の奥の空に見える細かく散った雲なんぞを意味もなく眺めて歩くだけ。

 

「……比企谷君は」

 

 ぽそりと名前を呼ばれて、無言で立ち止まる。俺の隣で同じく立ち止まった神崎は、俯いたまま顔は上げてこない。

 

「さっき……なにも言いませんでしたね」

 

 さっき。それはあの校門でのときだろう。結局俺はあの時、一度だって、ただの一音も声を発することはできなかった。たぶん、話したいことは色々あった。言いたいこと、聞きたいことも色々。ただ、できなかった。

 

「俺が何か言えるわけないだろ。……俺には、たぶんその権利がない」

 

 家族の呪縛。親の脛をかじっている俺たち学生が、親に反発することはひどく難しい。比較的放任主義な両親を持つ俺だってそうなのだ。厳格な父親を持つ神崎や、できて当たり前の家で育った竹林に取り付けられた呪いのような鎖はきっと俺が想像できないほど固く、複雑に巻き付いている。

 彼らからしたらいっそ羨ましいとすら思われるかもしれない家庭で育った俺が、そこに何か口を挟めるはずもないのだ。

 

「それに……竹林だって悩んだだろうしな」

 

 そうでなきゃあんな、自分を傷つけるような叫びを上げるはずがない。それを聞いてしまったら、仕方ないと思ってしまった。

 

「それでも、戻ってきてほしいって思っちゃうんですよね」

 

 相手の事情を理解しつつも、戻ってきてほしい。きっとE組全員が身勝手にもそう思っている。竹林にどこか共感している神崎も。

 

「……そうだな」

 

 そして俺も。

 家族の呪縛というものは俺にはわからない。しかし、すべての理屈を抜きにしてなにかを優先するというその思いには、方向性は違えど俺が小町やE組に向ける感情と同じものを感じていた。

 

「大事な仲間だもんな」

 

 ぼそっと呟くと、なぜか神崎が小さく笑いだす。なんだよ、といぶかしむ視線を送ると、ゲーマー少女は申し訳なさそうにしつつも抑えきれない笑い声を漏らしつつ、にこりと微笑んでくる。

 

「比企谷君にとっては“弟分”、じゃないんですか?」

 

「…………うっせ」

 

 少し強めに神崎の頭を撫でると、「髪が乱れちゃいますよ」と文句を言いながらするりと逃げられた。そもそもお前が柄にもなくからかってきたのが原因なのだが、多少サディスティックな気を見せるのはゲームやってる時だけにしていただきたい。

 

「ふふ、……あっ、私はこっちなので、これで」

 

「おう、じゃあな」

 

 手を挙げて短く返す俺に、綺麗な会釈をすると神崎は帰っていった。さすがE組の大和撫子、所作の一つ一つが様になっている。

 ただそれも、彼女たちの言う親の鎖が作り出した姿なのだろう。そう思うと、ついつい考えてしまうのだ。

 

「……何かできることってないんだろうか」

 

 頭をかすめたのは、あの日の情景。

 

 

     ***

 

 

「「「「…………」」」」

 

 次の日のE組は嫌に静かだった。あの時聞いた竹林の心の叫びは、皆を動揺させるには十分だったのだろう。

 E組生徒が自らの意志でA組に戻った。たった一人を引き抜いただけで、理事長は一学期でつけてきた自信をぽっきりとへし折ったのだ。

 俺も、言葉を発することはない。読みかけの本の文字列を追いかけて、いや追いかけるふりをしながら考えている。俺になにができるのか、と。

 そしてそんな重苦しい教室の空気を――

 

「おはようございます」

 

 ぶち壊しにするタコが一匹……いや、ん? あれ?

 

「なんで真っ黒なんだよ、殺せんせー……」

 

 前原が言うように、担任教師は夏休みの離島のときのように真っ黒に日焼けしていた。もうどっかのしげるさんより真っ黒。歯も同じ物質なのか同様に真っ黒になって、境界線がよくわからない。

 というか、黒すぎて表情がマジ全然わかんねえ。

 

「急遽アフリカに行って日焼けしてきました。ついでにマサイ族とドライブしてメアド交換も」

 

 日焼けサロン感覚でアフリカに行くのやめてもらえませんかね? あと、地球の敵が一般人と連絡先交換すんなよ!

 

「そもそも何のためのそんなことしたの?」

 

「もちろん、竹林君のアフターケアのためですよ」

 

 真っ黒巨体の言葉に、それまで呆然としていたクラス中の表情が一段階引き締まる。まあ、そうだよな。俺たちがどうしようか考えているのに、この先生が何か考えないわけがないのだ。

 

「自分の意志で出て行った彼を止める権利は先生にはありません。ですが、新しい環境に彼が馴染めているか、しばし見守る義務があります」

 

 普通の教師は行った先に丸投げするけどな。周りに聞こえないように低く喉を鳴らして、律の奥の空を眺める。

 竹林は、呪いのような家族の鎖によって連れていかれた。学生なんて親がいなければ生きていくこともできないのだから、それも仕方ないだろう。

 

『僕にとって地球の終わりより、百億よりも――家族に認められること方が大事なんだ』

 

 しかし、そう苦しそうに語った竹林が、俺には……殺されに行く捕虜のように見えてしまった。

 そして俺がそうして心配しているということは、俺の何倍もお人好しなこいつらが心配でないわけがなく――

 

「俺らもちょっと様子見に行ってやっか――暗殺も含めて危なっかしいんだよ、あのオタクは」

 

「ま、なんだかんだ同じ相手を殺しに行ってた仲間だしな」

 頬杖をついた前原が嘆息混じりに切り出すと、頭の後ろで腕を組んだ杉野も苦笑しながら賛同する。他の奴らも言葉にこそしないが、同じ気持ちなのだろう。苦笑したり、ため息をついたり、しきりに頷いたり、寺坂でさえ鼻を弄りながら「ケッ、しょうがねーな」と踏ん反り返っている。

 

 そうして教室の反対側を眺めていると不意に神崎がチラッとこちらを見て、小さく笑いかけてきた。少しいたずらっ気のある笑みを。

 ……だからそんな「お兄ちゃんも、ね?」みたいにこっち見んじゃねえよ。

 ふいっと首を捻って再び空を眺める。小さな雲が集まって大きくなっていく様を眺めながら、知らず口元を緩ませていた。

 

「殺意が結ぶ絆ですねぇ」

 

 普通なら誰も賛同することがないであろう殺せんせーのその言葉は、俺達にはあまりにも自然に納得できるものだった。

 

 

     ***

 

 

 そういうわけで、E組は本日最後の授業を返上して本校舎に潜入したわけなのだが……。

 

「ヌルフフフ、これで完璧ですねぇ」

 

 ……そろそろツッコんでもいいかな?

 なんか日焼けの理由が「全身真っ黒になれば忍者になって隠れられる」とかいうよくわからん理由だった殺せんせーだが、うん……そんなことで忍者になれたらきっと戦国時代は日焼け人間でいっぱいだったと思う。そもそも規格外のサイズのせいで普通に怪しい。

 

「よし、これでカモフラージュも十分かな?」

 

 そして真っ黒生物も含めてE組が頭につけている葉。烏間さんが教えたカモフラージュ技術なのだが、なぜか本校舎とは種類が全く違うE組校舎周辺の植物を使用しているから、傍から見たら逆に目立ちそうだ。おい菅谷、自分のだけハイクオリティにする暇があったら全員にその事実を教えてやれよ。

 なんというか、端的に言って「うわっ、近寄らんとこ」みたいな状況だったので、俺は一人気配を消して別のところから様子をうかがうことにした。

 パッと見た感じ、A組の生徒とは仲良くやれているようだ。普通に会話もしているし、元E組という点では差別はされていないのだろう。

 

「眼鏡の色つやも良さそうだ」

 

「うん」

 

 ……いやちょっと待て、磯貝に倉橋。お前ら眼鏡の色つやで竹林の状態チェックしてんの? 竹林を人としてチェックしてやれよ。いや、磯貝もアホ毛で状態チェックされることあるけどさ。

 というか、竹林絶対気付いてる。そうだよね、目立つもんね。特にあの真っ黒なツヤツヤ。周りに気づかれないようにリアクションを取らないのがあいつなりの温情なのだろう。

 ただなんだろう。一見問題なさそうに見える竹林の表情に、少し影が落ちているように見えるのは。

 

「あ、浅野が……」

 

 磯貝の声に思考を停止して意識を再びA組の教室に向けると、窓際でE組の様子を伺っていた竹林に、浅野が声をかけていた。浅野が何か口にすると竹林の表情がわずかに緊張して、そのまま二人は教室を出て行ってしまった。後を追いかけてみると、なぜか二人は理事長室に。

 

「なんで今更理事長室に竹林が呼ばれるんだ?」

 

 A組編入の手続き諸々、すでに終わっているはずだろうから、千葉の疑問も尤もだろう。理事長室の窓はカーテンが閉め切られているし、隠れるための草むらからでは中の声も聞こえない。気配から察するに、おそらく今あそこには竹林と浅野、そして理事長の三人だけのようだが……。

 

「にゅぅ……」

 

 何かを考え込む担任の声が、かすかに俺の鼓膜を震わせた。

 

 

 

「警察を呼びますよ、殺せんせー」

 

「にゅやっ!?」

 

 とっぷりと暗くなった住宅街に、竹林の声が聞こえる。指さした塀の陰には真っ黒な触手生物。そりゃあ、こんな時間にそんなのがじっと自分を監視していたら、警察に通報したくもなるよね。というか、殺せんせーその忍装束はどこから調達したのん? 自作?

 

「な、なぜ闇に紛れた先生を!?」

 

「いや、どう見ても目立つから、それ」

 

「うわっ!?」

 

 塀の上に座ってステルスしていた俺が思わずツッコミを入れると、竹林にひどく驚かれた。あ、ごめんね? 驚いたよね。だからってスマホ取り出すのやめてくれない? 八幡泣きそう。

 

「なんの用ですか? 昼間もこそこそ様子を見に来ていましたけど」

 

「にゅやっ!? そっちもばれていたんですか!?」

 

 そらバレるわ。眼鏡のブリッジを人差し指でクイッと上げた竹林は少し緊張しているようで、ついため息をついてしまう。

 

「そりゃあ、“仲間”のことは皆心配になるもんだろ」

 

「僕はもう仲間じゃ……いたっ!?」

 

 小突いた。下を向こうとする竹林の額を、二度、三度と小突いて俺の方を向かせる。強制的に俺と視線を交わさせられた竹林の表情が硬くなるのは仕方がないだろう。多分俺の顔は多少不機嫌の色を出しているから。

 

「暗殺が終わるまで、いや終わってからも、卒業してからもずっと仲間だ。そう俺に言ったのはお前らだぞ?」

 

「あ……」

 

 あの保健室での出来事は絶対に忘れない。俺がもう一度、本当にあるのか分からない関係を信じようと思えたあの出来事を。

 だから、たとえこいつが裏切ったなんて思っていても、俺たちは胸を張って仲間だと言うのだ。

 

「それに……」

 

 もう一度手を伸ばすと、また額を小突かれると思ったのか目の前の少年はぎゅっと目をつぶる。それがおかしくって、声に漏らさず笑うと、伸ばした手を軽く頭に乗せた。

 

「……ありがとな」

 

「え……?」

 

 言いたいことはいっぱいあった。聞きたいこともいっぱいあった。けど、それよりなにより、言っていなかったことがあったのだ。

 

「ほら、皆がウイルスにやられたとき、お前が的確に対処してくれてただろ。あれがなかったら、そもそも潜入する余裕もなかったかもしれん」

 

 今思うと、親や兄の影響で医学知識を聞きかじっていた故の判断力だったんだろうな。その知識もあって不破はスモッグを見破ることができたわけだし。

 たぶんこいつのことだ。戦闘能力のない自分はE組じゃなんの役にも立てない、なんて思っているのだろう。そんなことはあり得ないのだ。あの教室で、何の役にも立てていない人間なんていない。

 

「……まあ、戻ってきた比企谷氏が一番危なかったですけどね」

 

「本当にお世話になりました」

 

 いや、そうだよね。気を失ってた分、俺が一番迷惑かけたよね。

 

「その感謝の気持ちはありがたく受け取っておきます。ただ、やはり殺せんせーはあまり僕と接触するべきではないと思いますよ。もう僕は殺しとは関係ないんですから」

 

 そうして再び眼鏡に伸びた指は――ブリッジに触れることはなかった。というか、目の前の少年が知らない人になっていた。

 

「ビジュアル系メイクです。君の個性であるオタクキャラを『殺し』てみました」

 

 どこから取り出したのかメイクセットを見せびらかして、竹林に鏡を見せてくる。「こんなの僕じゃないよ……」と竹林が眉間に皺を寄せているが……うん、似合ってない。というか誰おま状態だ。高校デビューでだいぶ失敗しましたみたいな残念感である。

 即席メイク師はヌルフフフと笑うと櫛とメイク落としを取り出してサササッと彼に施したメイクを落としていく。

 

「先生を殺さないのは君の自由です。でもね『殺す』というのは日常に溢れる行為なんですよ。現に家族に認められるためだけに……君は自由な自分を殺そうとしています」

 

 きっと家族の呪縛は恐ろしく固く、複雑だ。近くに数人しかいない血の繫がった人間との関係を優先するのは、別に悪いことではない。けれどそれは、自分の気持ちを押し殺していい理由にはならないのだ。

 

「でも君ならいつか、その呪縛を殺せる日が必ず来ます。君にはそれだけの力があるのですから」

 

 「殺す」。普通の教育では絶対に使わないこの教師が使う言葉は、あの教室で学んできた俺たちにとってはどこか納得できてしまう。それは、自分の命を使って教えてくれてるせいだろうか。

 

「焦らずじっくり殺すチャンスを狙ってください。相談があれば闇に紛れていつでも来ます」

 

「ま、こっちも相談くらいはいつでも乗れるぞ。たぶんあいつらもな」

 

 あのお人よしたちが、仲間からの相談を断ろうはずがない。

 呆然と立ち尽くす竹林を残して、俺と殺せんせーは踵を返す。あとはあいつ自身がどうしたいか次第だが……。

 

「そういえば比企谷君、明日は創立記念日でまた全校集会があるようですよ」

 

「へー……」

 

 全校集会。そしてそのタイミングで理事長に呼ばれた竹林……これは偶然だろうか?

 

「明日は先生も体育館に行くつもりです。君も行きますか?」

 

 すぐに勉強にも取り掛かれますからねぇとヌルヌル笑う担任に、俺は少し考えて断りを入れた。別に追加勉強を逃れるためではない。

 

「やめておきます。……俺はあいつのことを信じてるんで」

 

 俺の答えに、殺せんせーは真っ黒な笑みを深めた。

 

 

     ***

 

 

 翌日、皆が文句を言いながらも全校集会に向かった静かな教室で、俺は読書をしていた。読書と言っても今日はパンフレットや雑誌なのだが。

 殺せんせーは昨日の宣言通り体育館に向かい、イリーナ先生は職員室に戻っていった。殺せんせーがいない間に授業でも始めるかと思ったが、俺を相手にしてると烏間さんを相手にしているみたいでやだ、ということらしい。なにそれ、褒めてるの? 貶してるの? 俺あの人と似てるとか微塵も思わないんだけど。

 

「比企谷さん、殺せんせーから映像が届きました」

 

 ペラペラと雑誌のページを捲っていると、大方予想はしていたが隣の筐体から声とともに映像が流れてくる。あの先生もお節介焼きというかなんというか……というか、これどっから撮ってんの? ものっそい俯瞰視点なんですが。天井にでも張り付いてるの? 引っかかったバスケットボールなの?

 壇上に立っているのはやはり竹林だ。再び集会の場でスピーチを始めようとする竹林に、E組のみならず他のクラスも騒めく。

 

『僕の……やりたいことを聞いてください』

 

 一昨日のように淡々と語られる言葉は、やはりE組のことだ。学力という強さを持たない故に、本校舎から差別待遇を受けていること。自分もその場所に弱者としていたこと。その後に続くのは、E組の悪行や現状改善なんて言葉だろう。

 ――本来の流れならば。

 

『でも僕は、そんなE組が……メイド喫茶の次くらいに居心地がいいです』

 

 おどけた、さっきまでの淡々としものとはまるで違う声色の、本校舎の人間からしたらあり得ない言葉に、画面越しの会場には緊張とざわめきが入り混じる。

 そんな光景を見て、続く竹林の言葉を聞いて――

 

「ククッ……あははっ……!」

 

 俺は安堵とともに声に出して笑い声をあげたのだった。

 

 

     ***

 

 

「あれはあなたの入れ知恵ですか? それとも烏間先生? ……赤羽という線もありますね」

 

 図書館に行ったら浅野に詰め寄られました。あれとは全校集会での竹林の暴挙だろうか。

 

「んなわけないだろ。多少話はしたけど、あの選択をしたのはあいつ自身だよ」

 

 あの後、公衆の面前で理事長室にあった表彰盾を破壊した竹林は即日E組に戻ってくることになった。弱いことに耐え、弱いことを楽しみながら、強い者の首を狙う生活に。

 まったく。前例があったからよかったものを、普通なら退学にされてもおかしくない行動だ。前原が言っていたように、あいつはあいつで危なっかしい。

 

「それにしても……『E組管理委員会』とはね」

 

 竹林が持っていた“本来読むはずだった原稿”には、E組の腐敗ぶりなんていう誇張と虚偽マシマシの内容から始まり、そのE組の生活すべてを監視・再教育する管理委員会の設立を希望するものだった。その文面はE組ならば誰が見ても竹林が書いたものではないと理解できる。竹林孝太郎という人間がこんなことを書くわけがない。

 

「まさか竹林がお前に逆らうなんて思わなかっただろ? 結局お前はあいつのことを自分からして弱者だと思っていたんだから」

 

 強者を、家族を振りかざせばなんでも従うとたかを括っていたのだ。追いつめて、なのに油断して、自分から弱者に首を狙われる隙を作ったのだ。窮鼠猫を噛むってことわざを知らないのかよ。

 まあ、それはそれとして。

 

「別にお前らの学校だし、俺はあくまで部外者だ。学校の規則なんかに口出しする気はない」

 

 ただ――

 

「あんまりあいつらを玩具扱いするっていうなら……相応の覚悟はしてもらうぞ?」

 

「っ……!?」

 

 わずかに溢れ出させた殺気に浅野の表情が凍り付く。確かにE組はこの学校で明確な弱者だ。だが、だからと言って不当な蔑みを受けていい理由にはならない。竹林が裏切り者の烙印を押される理由にはならないのだ。

 浅野の隣を通り過ぎて出口へ向かう。今日はもう読書の気分ではない。

 図書館を出ると、まだぬるい風が頬を撫ぜてきて、暴れ出そうになっていた殺意が少し和らぐ。今日は放課後の訓練もなかったし、帰ったらジョギングをして残っている殺意を紛らわそうか。

 そういえば、竹林が浅野に関してこう言っていたな。

 

「怖がっているだけの人……か」

 

 浅野学秀。恵まれた才能と環境を持つあいつが怖がっているだけなんてと思うが、実際に中から見た竹林がそう言うということは、中でその側面を見たということなのだろう。

 そういえば、夏休みに割と話したが、あいつの口から“親としての理事長”を聞いた記憶はとんとない。同じ学校に親子でいるのに、仲良く話しているところも見たことがないと竹林は言っていた。

 

「家族の呪縛……ってやつか」

 

 恵まれた環境が、必ずしもいいものではない、ということなのかもしれない。

 それに理事長、浅野學峯。始業式のものも含めて原稿は浅野が書いたものだろうが、指示をしたのは理事長だろう。なぜ情報を捻じ曲げてまで今のE組に干渉するのか、殺せんせーと対立するのかが分からない。五%が怠けて九十五%が努力する学校。そのためにE組を最底辺に維持したいのならば、成績が向上した原因である殺せんせーを辞めさせればいい。職員の任命権が自分にあると言ったのは、他ならぬ理事長なのだから。烏間さんからは当然説得が入るだろうが、そもそも防衛省は場所を提供してもらっている側だ。相手が不都合だと言えば引き下がるしかなくなる。

 理事長は……何を考えているのだろうか。

 口の中で転がした言葉に、当然答えなど返ってくるはずもなく。

 ただ、アスファルトに靴が跳ねる音だけが返ってくるだけだった。




竹林回、というか新学期回でした。

個人的にはここら辺から、理事長が強硬策に出てきた印象を受けていました。確かに一学期中間のあれも割と強硬策でしたが、管理委員会はもう行き過ぎじゃないかな、と。

個人的にはもうちょっと浅野君との会話を増やしていきたいところ……なんですが、言い方はあれですけど敵対勢力ですからね。なかなか難しいところです。

それでは今日はこの辺で。
ではでは。

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