黒森峰、プラウダ、サンダース、聖グロリアーナ。その他各校とも、すでに倒れた。
大洗にとって最悪にして最良の全国大会は終わり、存続を勝ち取った大洗女子学園が残った。
文部科学省は、崩壊した学園艦統廃合計画の回復に追われ、廃校をする余裕など、ないように見えた。
大洗は、すでに十分な未来を得ていた。
彼女は少しの休息を求め、私はそれを了承した。
……甘かった、と言えばそれまでだ。
都合のよい弱小校は、世界の常であるというのに。
◇◆◇
「杏ちゃん、もうすぐ試合だよね? 変なこと言いながらこんなところで油売ってる暇あるの?」
「あと一枚! 干しいもあと一枚だけ食べたら行くから!」
全国大会優勝を祝してのエキシビジョンマッチ開始直前。
優勝校チームとして迎え撃つ立場にある大洗女子学園、カメさんチームの車長である杏ちゃん。
生徒会長であり、昼行燈と見せかけて優秀な砲手でもあり、そして干しいもを呼吸器替わりにしているのではないかという噂がまことしやかに囁かれるうちの常連さん。
そんな彼女が試合前、慌てて俺のところに来て口走ったのがこんな事でした。
「なに、その不穏な語りは」
「特に意味はないけど、なんとなく?」
実際は頼れるのに、やる気があるんだかないんだか、こんな態度でもしかしたらと持ってきておいた干しいもをふんだくっていく杏ちゃん。
ここ一応観客席だし、大洗の子たちも結構人気になってきてるんだけど大丈夫なんだろうか。サイン攻めになったりツインテール触られたりしても知らないぞ、俺は。
これまで無名も無名だった大洗女子学園とはいえ、実質の設立1年目にして全国大会優勝を成し遂げた奇跡の高校で、その戦車道チームと言えばまさにリビングレジェンド。
このエキシビジョンマッチの注目度もこれまでの比ではなく、大洗女子学園の生徒にOG、陸の方の大洗の関係者や珍しい男の戦車道マニアらしき人達などなど、結構な数の人たちがアウトレットモール前の広場に陣取り、巨大スクリーンに試合が映し出されるのを待っている。
だというのに杏ちゃんと来たら……。
「もぐもぐ……! よし、エネルギー充填完了! それじゃ行ってくるね!」
「はいはい、がんばってね」
こんな様子で大丈夫なんだろうか。
◇◆◇
「なんて心配は全く杞憂だったぜ! いい試合じゃね!?」
と、あっという間に掌ひっくり返すような激戦がエキシビジョンマッチで繰り広げられていた。
試合序盤は、大洗側の有利。
聖グロリアーナとプラウダの戦力を見事に分断し、相手フラッグ車と少数の護衛のみをバンカーの中に押し込んで包囲。時間をかけて押しつぶすことができそうな、大洗女子学園の戦車道始まって以来の順当に勝てそうな状況だった。
が、破綻。
なにせ大洗女子学園のパートナーを務めるのは、突撃で有名な、むしろそれしかない知波単学園。彼女らはいかなる状況であろうとも突撃を敢行することに迷いがなく、それが魅力でもあるのだがいかんせん勝敗を度外視している部分がある。
結果、絶体絶命の窮地でも冷静に機を窺っていたダージリンさん率いるフラッグ車部隊の反撃で知波単学園第一中隊がほぼ壊滅。さらには分断されていたプラウダ高校と聖グロリアーナの別働隊であるクルセイダーまでもが合流して、今度は逆に大洗側が包囲の憂き目に会い、ゴルフ場を撤退。市街地でのゲリラ戦へと切り替えたというわけだ。
「こうしちゃいられない、直接見られるところに行かないと……!」
てなわけで、今日も今日とて走る俺。
なんだか大洗で戦車道の試合が行われる時は毎度のように走ってる気がするけど、楽し過ぎるから何も問題はない。
観客席の巨大モニターもいいものだけど、ライブビューイングは突然機材の故障に見舞われることもあるし、何より市街地をフィールドとしているならば戦車に近づいて見ることもできる。さすがに人が立ち入ることができる場所は発砲禁止区域に設定されているけど、それならそれで直接市街地を見渡せる高台へ向かうまで……!
「キャプテン! 頑張ってね! 聖グロリアーナに雪辱を果たすチャンスだよ!」
「はい、任せてください! 今度こそ、真のBクイックを決めて見せます!」
というわけで、なんかアウトレットモールに侵入してきたキャプテンに激励の言葉を投げて、大洗の市街地を一望できる高台へと向かうのだった。
「よし、ここならよさそうだな」
そしてたどり着いたのは、まさしく想定していた通り大洗の市街地を見下ろす丘の上。さすがに少々距離は離れているが、戦車道の観戦で鍛えた視力を持ってすれば肉眼でも十分に試合の状況が分かるいい位置だ。
「おおー、市街戦がすごいね。大洗のフラッグ車、あれだけの戦車に追い回されてるのに逃げきってるよ。それに、まだ余裕があるっぽいね?」
「逃げているだけでは何も変わらないけどね。逃げた先に何かがあるなら話は別さ」
だからこそ、先客がいたらしい。
ポロロン、というなんか妙にキレイな音とともに頭上から降ってきたのは、戦車道関係者らしき女の子たちの声。ここまで来るのに必死で気付かなかったけど、隣になんかありました。
「知波単の生き残りは1輌だけになっちゃったけど、結構頑張ってるみたい。さっき無駄に突撃して戦線崩壊させたときはどうしようかと思ったけど」
「あやまちを気に病むことはない。ただ認めて、次の糧にすればいい。それが戦車道の特権さ」
見たところ車両の基本的なシルエットはトラックに近いのだが、荷台部分がかなり高くせりあがっている。これはあれか、電線のメンテナンスか何かに使う車両なのか。
さらによくよく見れば、トラックの横には「継」の文字が組み込まれたエンブレム。なるほど、継続高校か。
大洗の優勝宴会にも祝電を送ってくれていた学校で、このエキシビジョンマッチのパートナーとしても一応の打診はしたものの今回は遠慮されたとかなんとか。それでもこうして試合の様子を見にきているあたり、気になってはいたのかもしれない。
……そういえば、継続高校と言えば気になることが一つ。
保有戦車の質が十分とは言えないが、整備などのバックアップと乗員たちの練度が高く、強豪校の肝を冷やす渋い強さを誇る戦車道チームを要する高校だから俺もこれまで結構注目していたんだけど、継続高校関連の記事を見るたびに、妙な既視感に襲われていた。
そう、知っているはずなのに忘れているような、頭の中に確かに残っている記憶とつながりそうで繋がらないような、そんな違和感が。
実際に継続高校の生徒さんが近くにいるからだろうか。さらに大きくなったその既視感に苛まれながら、荷台の上を見上げると。
「おお、役場前のキルゾーンにおびき寄せたんだ! すごい、かっこいい!」
「かっこいい。それは、戦車道にとって必要なことなのかな?」
フラッシュバックする記憶。
幼いころに見た、憧れの第一歩。
火薬のにおいと腹を揺する衝撃と削れぶつかる鋼の轟音。
子供の目線からは高く大きく見えた戦車の、その砲塔から体を出した、あの子の横顔。
「もちろん必要だ。なぜならそれは……カッコいいからだ!」
「……え?」
思わず口をついたのは、そのころあいつにも言った言葉。
記憶の中のその景色が、びっくりするほどぴったり今と重なった。
見上げる視線のその先にある横顔。
特徴的なチューリップハットは、戦車道雑誌の選手紹介でもよく見たトレードマーク。
切れ長の瞳と落ち着いた雰囲気と、どこか人を煙に巻く不思議な物言い。
継続高校戦車道隊長、ミカさん。
そう、「ミカ」。
「……ミカ?」
「…………伊織?」
繋がった。
こっちを見て呆然と目を見開き、ここしばらく呼ばれた覚えのない俺の本名を思わずといった表情でこぼすさまを見て、記憶と現実がつながった。
子供のころによく遊んだ、戦車道には人生の大切な全てのことが詰まっていると教えてくれた女の子。
そんなミカとの、再会だ。
「……アキ、すまないがこれを」
「これ、ってカンテレ渡して何を……って飛んだー!?」
「落ちてきたー!?」
そして再会は数mの高さから落ちてくるミカを受け止めるという、物理的な衝撃を伴うものだった。
親方、空から戦車道やってる女の子が!
◇◆◇
その間も、試合はもりもり進んでいる。
「バカめ、聖闘士……じゃなかった聖グロリアーナが二度も騙されるか!」
「……それはどうかな?」
「へ? ……後ろにも!? しまったー!?」
バレー部の作戦によって今度こそ撃破される聖グロリアーナのマチルダⅡが居たりなんてのも、よくある試合の一コマである。
◇◆◇
「へー、継続高校のみんなで観戦に来たんだ」
「はい。とはいっても、私たち3人だけですけど」
で。
何やかんやあって、俺も継続高校の3人と一緒にエキシビジョンを観戦させてもらえることになった。トラック(?)の荷台に上るとまあ見晴らしのいいこと。市街地のどこで戦闘が行われているか、各車がどう動いているかが一望できる。
まあ、まともに見てるのは俺と今話してるアキちゃんだけなんだけど。戦車道では操縦手をやってるというミッコちゃんは運転席でゆったりしてるし、ミカはカンテレをてんてれてんてれ弾いている。試合をまともに見る気があるとは思えないが、まあ昔からミカはこんなだったからなあ。
「それにしても久しぶりだなあ、ミカ。まさかこんなところで会うとは思わなかったよ」
「戦車道は惹かれ合う。私が戦車道を続けて、伊織が戦車道を好きでいるならこうして再会するのは必然さ」
「……一応言っておくけどさ、ミカの耳、ものっすごい赤くなってるからね?」
「っ!?」
そして、せっかくだから旧交を温めたくもあるんだが、ミカの様子がなんかおかしい。
いや、俺の知る限り小さいころからすでにおかしなヤツだったけど、アキちゃんになんか言われて固まった様子はあのころ見たことがなかった類のものだ。
カンテレを弾く指がなんか震えて、めっちゃ速弾きになってるし。
「惹かれ合う、か。そうなったらいいと思ってたよ。……何度か雑誌で見た継続の隊長さんがミカだったとは、まさか思わなかったけど。小さいころから美人になりそうだとは思ってたけど、まさかこんなに綺麗になってるなんてさすがに思わなかったから気付けなかった」
「ごっふあ」
「ミカがうっかりサルミアッキ食べたときみたいにむせたー!?」
そして突然むせるミカ。炎の匂いでも染みついたんだろうか。変さに磨きがかかってるなあ。
「どうしたどうした、大丈夫か? よーしよしよし」
「さ、さすってくれなくて大丈夫だから……!」
じたばたするミカを無理矢理なだめてみると、しばらくして落ち着いたようだ。やれやれ、変なところで手がかかるのは変わらない。
写真で顔を見ただけではわからないくらい大人っぽくなったのに、確かにあのころのミカに通じる部分もあって安心する。ああ、本当に懐かしい。
「あはは、こんなミカ初めて見た。えーと、お兄さんは……」
「そういえば、ちゃんと名乗ってなかったね。はじめまして。ミカの幼馴染で、いまは大洗女子学園で土産物屋兼喫茶店をやってる、柳瀬伊織っていいます」
「伊織……かわいい名前ですね」
「だろう? 今は気にしてないけど、子供のころはからかわれてねえ。女みたいな名前、とか言ってくるヤツは全員『伊織が男の名前で、何が悪い!』って殴っておいたけど」
「ダメだこの人結構バイオレンスだ」
そして話の流れで若気の至りの数々も思い出されてしまう。いやー、あのころは俺も若かった。
「……む、試合が動いたな」
「え? ……あ、本当だ! 聖グロリアーナのフラッグ車が大洗に追いかけられてる!」
会話が弾んで楽しい観戦。しかしそんな時間が永遠に続くことはなく、試合も終わりが近づいてきた。
さんざん追いかけまわされながらもこれまで撃破を免れてきたあんこうチームの頑張りが実を結んだ。じりじりと数を減らされた聖グロリアーナ・プラウダ連合のフラッグ車、ダージリンさんが乗るチャーチルがついに大洗の戦車に捕捉され、こちらでも追いかけっこが繰り広げられることになった。
海岸沿いの道を通って砂浜に降りて、ちょうど磯前神社に上っていた西住ちゃんたちも合流。いよいよ最後の時が近いようだ。
「……戦車って、神社の石段を下れるものだったっけ」
「操縦手の冷泉ちゃんは腕がいいからね。数日前の奉納タンカスロンで壊れた階段の手すりが一時的に撤去されてるから、あのくらいはできるさ」
磯前神社下、大洗ホテル脇から砂浜に入り、水中に潜んでいたKV-2の砲撃も避けて水族館方面へと走る各校戦車たち。数の上では大洗側の方が有利だが、相手の残り車両はダージリンさん、同志ノンナ、カチューシャ、そしてなんか後方から猛追するローズヒップと精鋭揃い。たとえ西住ちゃんでも一筋縄ではいかないだろう。
「……ミカ、どう見る?」
KV-2は海岸沿いのホテル2軒を吹き飛ばしたのち、旋回しようとして転倒。自滅に至ったが、聖グロリアーナフラッグ車はいまだ健在。追いかける大洗の方が数は多いが、並走するノンナとカチューシャのIS-2とT-34に側面を狙われている。
正直、俺としては勝負がどちらに転ぶかわからない。勝利をつかむのは運命に愛された方。そんな風にさえ見える。
だが、ミカならば。
「戦車の性能の違いが、戦力の決定的差ではないさ」
「ふむ」
歴戦の戦車道女子にして、アキちゃんから聞いたところによると現継続高校の隊長を務めるミカならば、この混迷極める戦況すら読み解けるのではないだろうかと考えて。
「だけど」
その言葉に合わせるように、至近距離でもつれ合うように走るⅣ号とチャーチルが水族館の階段を上り。
「戦車道は数だよ、伊織」
「大洗って基本的に数の差をひっくりかえしてたよね、ミカ?」
アキちゃんのツッコミを受けながらも、てれれんとカンテレを弾きながら語るミカ。
そして先に水族館前階段を上って相手側面を取ったあんこうチームの砲撃がチャーチルを貫く……と見せかけて、撃破されたのはフラッグ車の楯になったカチューシャのT-34。それに気付いた西住ちゃんがすぐに次弾発射を指示するも狙いが間に合わず、撃破されたのは、Ⅳ号の側だった。
『大洗・知波単連合フラッグ車、行動不能。よって、聖グロリアーナ・プラウダ連合の勝利!』
西住ちゃん、雪辱ならず。
勝敗は、最終局面に投入できた戦力が実質Ⅳ号だけだった大洗側と、ダージリンさん、カチューシャ、ノンナと幹部クラス複数が残存していた聖グロリアーナ・プラウダ側との差が分けた。
「……予想通り、ってところかな。やっぱすげぇよ、ミカは」
「ふふふ、ありがとう」
最後のぎりぎりの攻防にかすかに見えた勝敗への分岐。それを見抜いたミカの慧眼もまた、子供のころとは比べ物にならないくらいに成長しているのだろう。いやあ、やっぱり戦車道は女の子を成長させるんだね! 昔は変人オブ変人だったミカが、アキちゃんとミッコちゃんなんてかわいい女の子とデートしながら戦車道見に来てるくらいだし!
「ミカ? ……あ。あーあーあー、なるほどね?」
「アキちゃん?」
とか思っていたら、アキちゃんが何かに納得した様子を見せた。
ミカを見て、俺を見て、交互に見ながらふんふんと頷いている。そして、その顔になんとなくニヤニヤした笑みが張り付いているような。
「いやー、疑問が解けたんです。ミカって、学校で『すごい』って言われると複雑な顔するんですよ。でも今、店長さんに『すごい』って言われたら満足そうな顔してたんで、つまり、そういうことかなって」
「……アキ?」
「なーに、ミカ?」
その理由がこの通り。
言ってることはわからないでもないけど、それのどこに笑いどころがあるんだろう。ミカはなんとなく不機嫌そうにアキちゃんの名前を読んだけど、当のアキちゃんは鉄壁の笑顔だし。
これはアレか、女の子同士で通じ合う的な!? くっ、鼻の奥が熱くなってきやがった! 押さえろ俺、こんなところで鼻血吹いてる場合じゃない!
「まあいいか。それじゃ、俺はそろそろ行くよ。試合終わった西住ちゃんたちが店に来てくれるかもしれないし。ミカたちも来るかい? おごるよ」
「いや、今日は遠慮しておくよ。私たちも帰らないといけないからね」
「そうか……。それじゃあ、名刺だけでも。いつでも遊びに来てくれ。あの日もらったぬいぐるみ、今も元気にうちで看板ぬいぐるみしてくれてるぞ。今度ゆっくり話もしたいし、継続高校の試合も見に行きたいからさ」
「気が向いたら連絡させてもらうよ、伊織。……また会えて、良かった」
「ああ、俺もだ」
その辺、根掘り葉掘り詮索したいけどその時間がないのが残念だ。
でも、こうして10年ぶりくらいに再び会えただけでも俺は嬉しい。積もる話はまた今度、ゆっくりしよう。そう約束して別れるのは、かつて二度と会えないかもしれないと思って別れたあの日と違って楽しみな気持ちだけを抱いていられた。
大洗が負けてしまったとはいえ、いい試合を見ることができた。
ミカとも久々に会えた。
ああ、今日はなんていい日なんだ。
そう思っていたんだ。
この時までは。
◇◆◇
本当に、楽しい一日だった。
西住ちゃんたちの試合は思った通りに素晴らしいものになり、思いがけずミカとの再会も果たせた。
試合後に会ったローズヒップはあの桃ちゃんに空中で撃破されるという曲芸をかましたものの楽しそうで、試合中にダージリンに任された自由裁量がいろいろ今後を考えるきっかけになったと、少しだけ大人びた顔で言っていた。
「先日ダージリン様に、わたくしには情熱思想理念気品優雅さ勤勉さ、そして何よりもぉーーーーーーー! 速さが足りない!! と言われてしまったのでがんばりましたわ!」
「うん、それ多分実際には優雅さが足りないとか言われただけだよね」
カチューシャを肩車していた同志ノンナとも少しだけ話をすることができた。
我が身を挺してフラッグ車を守って勝利をつかんだカチューシャのことを、普段と同じくほとんど表情は変わらないまま、しかし誇らしげに自慢して肩の上のカチューシャを恥ずかしがらせていた。とりあえずカチューシャに干しいもを与えてなだめながらの会話は弾み、ガチロシア人の留学生、クラーラさんのことも紹介してもらったりと、本当に本当に楽しかった。
「大洗は海の幸が豊富でいいですね。カチューシャもこのあたりのエビが気に入ったようです」
「悪くないでゲソ! ……じゃなかった悪くないわ!」
「……おかしいな、カチューシャの髪が青く見える」
なのに。
そんな楽しい気分が、一瞬で冷え切った。
「……廃、校?」
思えば、違和感はあった。
学園艦が寄港している大洗の港に大量に止まっていた大型トラック。
妙に静まり返った学園艦内の町。
そして、帰り着いた店の扉にいつの間にかつけられていた、貼り紙。
自分の顔からごっそりと表情が抜け落ちていることを自覚する。
しかし、俺自身がいまどんな感情を抱いているのかは、わからない。理解なんて、及ぶはずがなかった。
むしり取った貼り紙に書かれていたことを要約すると、こうだ。
「大洗女子学園は8/31付けで廃校になる」
「生徒・住民は明日朝に身の回りのもの以外の荷物を残して総員退艦」
「学園艦はその後解体され、生徒は別の学校に割り振られる」
そんな内容が、いかにもお役所らしく堅苦しい文言で書かれていて、ご丁寧に文部科学省の印まで押してある。扱いこそぞんざいだが、まぎれもない公式な書類だ。
学園艦は地震など一部の災害に強いこともあって教育現場の主流となっているが、海の上を行くものだけに当然万が一の場合の備えと住民の訓練はされているから、覚悟を決めれば一晩で総員退艦くらいのことはたやすい。
「……それを、やれっていうのか。俺たちに、西住ちゃんたちが未来を繋いだはずの、大洗女子学園に」
住民たちの、精神面を無視すればの話だが。
声を出して、少しだけ落ち着いてきたおかげでようやく理解できた。
俺は、怒っているんだ。
紙切れ1枚でこの学園艦を捨てると宣言したヤツに。
西住ちゃんたちの身を削るような覚悟と頑張りを、それだけで無にしたヤツに。
――プルルルル
「……」
携帯に電話があったのは、その時だった。
状況が状況で、普通ならとてもじゃないけど電話に出られる状態じゃない。それこそちょうどいい八つ当たり先になるだろうかわいそうな相手は誰かと思いながら画面を見て、しかし予想に反して少しだけ頭が冷える。
そこに表示されていた名前は、この状況において光明になるかもしれないものだった。
「……もしもし」
『――もしもし、伊織くん。お姉ちゃんです』
◇◆◇
「じゃあ、姉さんにとっても大洗女子学園の廃校決定は寝耳に水だったってこと?」
『はい、やられました。根回しから実行の下準備まで全て極秘裏なんて、やってくれます。これ、本当に文部科学省のちゃんとした仕事なのかって疑うくらいに。おかげで察知できたのは本当についさっきです。……そのせいで、伊織くんにも連絡できなくて……ごめんなさい』
電話の相手は、姉さんだった。
ちなみに、いつも電話をかけてくるときはとろけるように甘いか弾けるようにハイテンションなのが常のブラコン甚だしい人であるのだが、今日のところは普段のそんな様子もうかがえない、硬い声と雰囲気が電話越しに伝わってくる。
もっとも、俺も似たようなものだが。
冷静に冷静に、と自分に言い聞かせるまでもなく、今の俺は怒りが一周回ってクールになっていた。
驚きだよ。怒りで頭がシーンと冷えることもあるんだなんて、ね。噂に聞いてはいたけど、実感なんてしたくはなかった。
「姉さんが謝ることなんて、なにもないよ。……今回の下手人、わかる?」
『文部科学省学園艦教育局長、辻廉太。学園艦再編成計画の最先鋒です。そもそも最初に大洗の廃校を決めた中心人物で……今まさに、廃校通達のために大洗女子学園に行っている、らしいです』
「……へえ」
一瞬、トラックでその辺ドライブしてメガネかけた七三分けの人を別の人生にリクルートする職業に転職したくなるけど、ギリギリで押さえる。
待て、待つんだ俺。今やるべきことはそれじゃない。たとえ携帯をミシミシ言わせるくらい握りしめてでも我慢するんだ。
俺には、俺たちにはまだできることがあるはずだ。
だからこそ、姉さんは俺にこうして連絡を取ってきてくれたはずだ。
『業腹ですけど、今回の一件は見事というほかありません。ギリギリまでうちにすら情報を流さずに進めるなんて。……まあ、だからこそ廃校になった後の学園艦の解体業者の入札はついさっき行われたんですけどね』
「解体……」
姉さんの言葉が重くのしかかる。
西住ちゃんたちが決死の想いで守った学園艦も、解体され、跡形もなくなってしまえばもはや取り戻しようはない。
何とかしなければならないが、時間はない。
おそらく、西住ちゃんたち大洗の生徒はこのままでは終わらない。
たとえどんなに小さな可能性でも、大洗女子学園存続のために全力を尽くすだろう。だからせめて、せめてなんとか時間を稼がなければ……。
『はい、解体業者はすでに決まりました。……うちに、ね?』
「姉さん大好き。今度実家帰ったらデートしよう」
『伊織くんからデートに誘われました!? やったーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!』
ということを言うまでもなく理解してくれている姉さんのことを、俺は割と大好きだったりするんです。
『まあ、ありえない話なんですよ。大洗女子学園を解体するのに、建造元であるうちに一言の話もないなんていうのは。だから解体業者選定の入札に殴り込んで、なーんか訳知り顔してた業者さんがいたんで、そちらさんが提示したら確実につぶれるくらいのお値打ち価格で引き受けさせてもらいました。……まあ、急な決断だったんで解体用のドックを空けたり機材と人員を用意したりで時間がかかるでしょうけど。かーっ! こりゃ納期遅れまくって違約金たっぷり払うことになりそうですね! かーっ!』
改めて、自己紹介させていただこう。
俺の名前は柳瀬伊織。大洗女子学園の片隅で土産物屋兼喫茶店を営むしがない道楽野郎であり。
俺の実家は、複合企業ヤナセインダストリの創業者一族であったりする。
詳しい社史の説明はどうでもいいが、この大洗女子学園の学園艦を建造したのは俺の実家の会社だった。
建造時の社長はじいちゃん。じいちゃんはその後もいろいろ精力的に活動するも、隠居してからはこの学園艦の片隅に小さな土産物屋を構え、この学園に通う生徒たちを優しく見守っていた。
さらに今はその店すら引退して俺に譲ってくれているが、そんなこんなもあって我が家と大洗女子学園の縁は深い。そりゃもう、解体されるとあっちゃ黙っていられないくらいに。
『とはいえ、これはあくまで時間稼ぎです。大洗女子学園が廃校になるという文部科学省の決定が覆らない限り、うちで遅延工作をしてもいずれは取り上げられて別の業者で解体されることになります』
「……うん、わかってる。でもそれは、俺たち外野じゃどうしようもないことだ。そこはきっと杏ちゃん……大洗女子学園の生徒会長が動く。だから俺たちは、大人の仕事をしよう」
『はい、もちろん。……伊織くん』
「なに、姉さん?」
『伊織くんは生まれたときから現在進行未来永劫かわいいかわいい私の弟ですけど……とってもいい男になりました。デート、楽しみにしてますね』
「……ありがとう、姉さん。そっちもよろしく」
感謝の言葉を最後に通話を終える。
状況が詳しくわかったのはいいが、事態は極めて逼迫している。廃校の問題は今更住民運動でどうこうなる段階はとうに過ぎて、もはや一度学園艦から全ての生徒と住民が引きはがされるのは避けられない。
幸いその後スクラップ直行コースこそ免れる目処が経ったものの、それも所詮は時間稼ぎ。もし学園艦の命運がつながるとすれば、それは奇跡のような逆転満塁ホームランに賭けるしかないだろう。
成功の確率はとんでもなく低い。あちこち駆けずり回って、全てが徒労に終わってさようなら、となるのが普通だ。
だが、ここは大洗女子学園。
不可能を可能にした学園艦だ。
「……まずは、とにかく学園艦を降りた後の西住ちゃんたち生徒の生活の安定、か。しばらく不便な生活になるのは避けられないし、出来る限りのサポートをしておかないと。……あ! 学園艦が持ってかれるってことは、戦車も持ってかれるかも!? えーとえーと、今すぐ戦車を引き取りにこれて、しばらく預かってくれそうなところ……サンダース! ああでもどんなでかい輸送機使っても戦車8台となると絶対空中給油必要になるし……姉さん、姉さーん!」
なら俺だって、やってやろうじゃないの。
大企業の一族で、戦車道ファンで、土産物屋兼喫茶店の店長で、そして百合好き。そんな俺が本気出したらどうなるか、文部科学省に見せたるわい!
人の力は絆の力ってことを教えてやる!
かくして、俺にとって最も忙しく、大洗女子学園にとって最も崖っぷちで、そして西住ちゃんたちにとっても過去最大級に厳しい闘いの日々が始まった。
辛く、忍耐を強いられる時間を彼女たちは過ごすことになる。
しかし一人として諦める者はなく、誰もが幸せな未来を信じて戦い抜く日々が、始まったのだった。