「みぽりんこそ、彼氏の一人でも作ってみなさいよ! ……知ってるんだからね? 時々、店長に家まで送ってもらってることを……!」
戦車道全国大会、決勝戦前日。
あんこうチームの5人は、みほの部屋に集まってごはん会を開いていた。
本日のメニューはトンカツ。明日の勝利を祈っての験担ぎだ。沙織の指導の甲斐もあり、料理は美味しくできて友達とのおしゃべり交じりの食事はとても楽しかった。
そんな中、話の流れで沙織から飛び出た発言がこれである。
コイバナは戦車道女子にとっても定番中の定番。まして結婚情報誌の熟読を趣味とする沙織がいるならば必然だろう。
優花里が「やっばい、これ軽くフラグでありますよ……」と戦慄している。この手の話題だと大抵沙織が自爆ダメージを食らうのがオチだった。
しかし、今回は少々様相が異なる。
あるいはのろけや、そうはいかなくとも甘酸っぱい青春の一ページが垣間見えるかと思われたこの問い。
「……ふう」
それがなぜ、みほの目が死ぬことになるのだろうか。
「み、みほさん!? どうしたんです、会長に戦車道を受講するように言われたとき並みに目が死んでいますよ!?」
「なにか悩みでもあるのか!? 私たちでよかったら聞くぞ!?」
そりゃもう、あの日に匹敵する死にっぷり。大事な試合の前日にこんな有様はさすがにやべえ、と麻子まで慌てるほどの一大事だった。
「……戦車道の作戦を考えるとき、店長さんのお店を使わせてもらうことがあって」
「う、うん」
そして、みほが語り始めるのは店長との話。
みほがそこはかとなく思いを寄せていること、そしてあの変態がその辺全く気付いていないことはあんこうチームにとっても周知の事実。だがそんな片思いのどこに、みほの目が死ぬ要素があるのか。仲間たちは固唾を飲んで聞き入った。
「いつも快くお店を使わせてくれてるんだけど……沙織さんたちみんなと一緒に行くと、店長さんは一人で行くときの4倍くらい笑顔になって」
「あー……」
「でも……この前優花里さんと二人で行ったときは……それよりさらに10倍くらいの笑顔になって……!」
「みぽりん! もういい、もういいよ! 辛かったね、大丈夫! みぽりんかわいいから、きっとそのうち店長も振り向いれくれるよ!」
一方、みほはついに
結局、その後みほが復活するまでには残りのあんこうチーム4人からの必死の励ましが必要だった。チームワークの無駄遣い、この上ない。
◇◆◇
「はい、ココア。夜も遅いからね。コーヒーで眠れなくなったらいけないから」
「ありがとうございます」
そんなこんながあったとは知らず、店長はいつも通りにみほをもてなす。
決戦前夜の今日という日の最後の客だろうという確信と、何か言いたげなみほの全てを受け止める覚悟をもって。
「優花里さんたちが、言ってくれました。私の戦車道は間違ってないって。私に助けられたチームメイトは、きっと嬉しかったって」
みほは微笑む。
仲間の信頼と、認めてもらえた自分の道。その二つが、みほを支えている。
元より、みほに対する信頼はあっただろう。戦車道を認めて、認められてもいたはずだ。それでもしっくりこなかった。それが今、ぴたりとみほの魂の形に合わさった。そういうことだろう。
しかし。
「……それでも、まだちょっとだけ不安かな?」
「……店長さんは、なんでもわかっちゃうんですね」
「なんでもはわからないさ。わかることだけだよ」
それでも何かあと一つだけ足りていないことを、店長は見抜いた。
ちなみに見抜いたのは百合好きな変態特有の観察眼の賜物である。みほにとっては知らない方が幸せだ。
「……私はきっと、去年と同じようなことがあれば、また同じことをしちゃいます。……今度は、この学校の未来がかかっているのに、それでも勝つために必要なことを忘れるかもしれません」
「うん」
訥々と語る。
それはみほ自身の魂をさらけ出すに等しい弱音だ。信頼するチームメイトには、いや信頼するチームメイトだからこそ言えないこともある。そしてそれを吐き出せる場所がある。大洗女子学園が恵まれた数々の幸運のうちの一つが、きっとこの店の存在なのだろう。
「あんな思いは、もう二度としたくないって思ってます。でも、それでも……!」
優花里は、沙織は、華は、麻子は、仲間を救ったみほの行いは決して間違っていなかったと認めてくれた。そのことが本当に嬉しかったのは紛れもない事実。
しかし、だからこそ生まれた不安がある。
去年と同じように仲間がピンチになったとき、みほは助けに行くだろう。
仲間たちはきっとそれを認めてくれるだろう。
たとえ、その結果敗北し、大洗女子学園が廃校になったとしても。
勝ちたい。
それでも、もしも仲間が傷つこうとするならば、守りたい。
だがそれは、決して両立できない。できなかった過去が、みほの魂を縛っている。
どこまでも届く、誰をも救える手を望みながら、多くを望めば望むだけ零れ落ちてしまう短く小さな手。変えようのない現実が、みほの前に立ちはだかる。
「西住ちゃん」
みほ一人では変えようのない現実。
だからそれを打ち破るためには、その手を取ってくれる別の誰かが必要だ。
かけられた優しい声。
震える手を包む大きく温かい掌。
顔を上げればそこには、カウンター越しに手を伸ばし、みほの手を取る店長の笑顔。
「辛いことはきっとある。悲しいことだって多いだろう。それなら、泣いても良い。また笑えれば、ね」
「……さっき、麻子さんにも同じことを言われました。倒れたとしても恥ずかしくないって。もう一度、立ち上がれるなら、って」
それにつられてみほも笑う。
誰かが笑えば、自分も笑う。そんな風にいられる人たちが、ここにいる。大洗に来て、みほが学んだことの一つだ。
「俺は戦車道を好きなだけで、何かを語れるほど知ってるわけじゃない。それでも、一つだけ言えることがある」
「一つ、だけ……?」
「ああ。これだけは、相手が誰であっても断言できる。戦車道をやってる女の子でも、強豪校の選手でも、戦車道の流派の師範や家元相手でも、ね」
店長はみほに語り聞かせる。
男に生まれ、戦車道からすれば外野以外の何物でもなく、それでも確かなものとして、絶対の自信をもって。それをみほに分け与える。
その優しい笑顔から、みほは目が離せない。
掌から伝わるぬくもりが、心臓まで熱くする。
ドキドキと弾む鼓動を感じながら、店長の言葉に聞き入って。
店長は優しく手を握りながら。
◇◆◇
少しだけ、未来のことを語ろう。
西住みほは、戦車道において大成する。
自身の戦車道を見出し、その道を進む姿はまさに戦車道が理想とする女性の在り方であると讃えられ、多くの少女たちが憧れ、戦車道を志す道しるべとなった。
健やかに、凛々しく、美しく、それでいてかわいらしさも兼ね備えた女性へと成長したみほは、雑誌やテレビのインタビューを受けることが何度もあった。
そしてそのインタビューの中で、度々聞かれた質問がある。
――あなたにとって、戦車道とは?
ある意味当然の問い。
黒森峰で1年生ながら副隊長を務めながらも、決勝戦の窮地でフラッグ車を放り出して仲間を助けに行った結果、10連覇の偉業を逃した。
しかしその後大洗女子学園に転校し、本意ではなかったとはいえ再び戦車道に舞い戻り、仲間たちとともに奇跡と言っていい偉業を成し遂げた。
一度逃げ出した道へと再び戻る決意はいかにしてなされたのか。
その果てに見出した、彼女にとっての戦車道とは、なんだったのか。
余人にとって、興味の尽きない点である。
だから、みほは繰り返し問われた。
だから、みほはそのたびにこう答えた。
自分にとっての戦車道は、大切な友達がくれたもの。そしてその先で、大切な人の言葉が思い出させてくれたものです、と前置いて。
なんかメダルを3枚ほど弄りながら。
◇◆◇
「戦車道は助け合いでしょ」
「!」
目の前が、光に照らされるようだった。
暗雲が晴れ、太陽が姿を見せたようだった。
たった一つの言葉が世界を変える、そんなことがあるのだと、みほはこの時初めて知った。
そしてみほは思い出す。
かつて学んだ戦車道。大洗で見つけかけた自分の戦車道。
そしてもう一つ。
大好きなボコられグマ、ボコのこと。
ボコは、弱い。
何度喧嘩を売っても必ず負けて、根拠なく自信満々に買った喧嘩で必ず負ける。
それがボコだから、みほはそんなボコが好きだった。
ボコの魅力はみほをしてすら余人の理解を得難いものだと思うが、それでもみほはボコを好きであることをやめられない。
だが、ボコを好きになった理由は何だったのか。ついさっきまで忘れていた。あまりにも長く、自然に好きであったから、どうして好きなのかなど気にするまでもなかったから。
だが、思い出した。
ボコは負ける。
誰と戦っても負ける。
だがそれは、「何度負けても、必ず立ち上がる」ということを意味するのではなかったか。
ボコは誰と戦っても必ず負けて、だが誰にでも戦いを挑む強さを持つ。
そんな姿に憧れた。
そんな風になりたいと願った。
弱かったり、運が悪かったり、何も知らなくても、それは何もしないことの理由にはならない。決して心折れないボコの姿から、かつてみほはその不屈を受け継いだはずだ。
みほは道を外れたわけではない。見失ったわけでもない。
気付かなかっただけで、ずっとその道を進んできていた。
俯いていたから気付かなかっただけで、みほの傍らにはいつもボコが、ボコにつられて憧れたヒーローたちが、きっといる。
店長の言葉が、その道の先を教えてくれた。
みほ一人が不屈であるだけでは足りなくても、みんなと一緒なら。みんなとの、助け合いなら。
そうすればみほの戦車道は、きっと未来へと続いていく。
「西住ちゃんは、西住ちゃんの道を行くといい。大丈夫、俺には見えてる。西住ちゃんの虹色の戦車道が、みんなと一緒にどこまでも続いていく姿が」
「はい。ありがとうございます、店長さん」
みほの手を優しく包んでくれている店長の手を、みほの手が包み返す。
こうすればいい。望む未来がどんなに遠かったとしても、こうして手を繋いでいけばきっと届く。昔、そんな答えを見出したヒーローもいたはずだし。
「それじゃ、これをあげよう。お守りだ」
「……なんです、この四角いの。なんかキューブパズルみたいですけど」
「『戦車の資格』。西住ちゃんも本能覚醒したわけだしね」
そして、なんかもらった。
立方体の1面が9つに区切られたキューブパズル、のようでいて違う。立方体を上中下の3段に区切って一部が回転するようになっている、パズルとしては少々歯ごたえがなさそうな代物だった。
お守りと言うが、どう見ても店長の趣味の品である。
もっとも、それすなわちみほにとっては何より心強いお守りなのであるが。
「じゃあ、今日はもう遅いからそろそろ帰った方がいい。送っていくよ」
「あっ……」
そう言って、店長はなんだかんだでみほとつないだままだった手を放す。
仕方のないことだ。みほは明日大事な試合がある。店長はそんな日にこれ以上夜更かしさせてくれるような人ではない。
だから、この残念な気持ちは少しだけ我慢しよう。
ただでさえ大切なものをもらった今日この日。みほは何より、この気持ちと思い出を大事にしたかった。
みほはそのまま店長に送られ、その夜はぐっすり眠ることができた。
次の日がこの学園の運命を決める日とは思えないほど安らかに。
◇◆◇
「ついに来ました! 高校戦車道の聖地、東富士演習場!」
「総合火力演習を見に来たことはあったけど、まさか大洗の応援で来られるとは思わなかったよ……」
開けて翌日。
みんなどこかスッキリした顔で戦車とともに集合し、大洗から鉄道でここまでやってきた。
富士総合火力演習の会場でもあり、俺もそれを見に何度か訪れたことはある。だが今こうして西住ちゃんたちと一緒に立つと、またいつもとは違った感慨が押し寄せてくる。
みんなは、本当のゼロからここまでやってきたんだなあ……。
「さてと、それじゃあ西住ちゃんたちはもう試合の準備だよね。いってらっしゃい」
「はい。……店長さんは、今日も会場でお店ですか?」
「うん、試合開始までは。……さっき観戦に来てたケイさんたちに会って、早く干しいもチップス売ってくれって急かされちゃったし」
「あはは……」
だからこそ、俺は俺の仕事をしないと。
ことここに至って出来ることと言えばいつも通り商売に邁進することだけだ。幸い、これまでの試合でうちの商品を気に入ってくれたお客さんも決勝ということで大洗の試合を見るためにたくさん来てくれているわけだし、売り上げ的にも大洗の知名度向上的にも期待が持てる。
「……それじゃ、俺は行くよ。試合は、必ず最初から最後まで見届けるから」
「はい。見ていてください、私たちの戦車道を」
そして何より、西住ちゃんたちの見つけた答えにも。
俺はそれを見るために、今日までみんなを見守って来たんだから。
◇◆◇
「……と、いうのは他の子らも割と同じように考えてるもんだと思ってたんだけどさ?」
西住ちゃんたちと別れてしばらく。
試合開始前の時間というのはこの手の場所での商売で一番忙しい時間なわけで、たくさんの人たちがうちの商品を買いに来てくれた。
「問おう、あなたがこの店のマスターか」
「問うまでもなく知ってるはずだよねケイさん」
「こんな格言を知ってる? 『これ食ってもいいかな』」
「お買い上げの後でお願いしますよダージリンさん」
「来てやったわ同志店長! このカチューシャにおいもを献上することを許すわ!」
「いらっしゃい、カチューシャ。ノンナさんも久しぶり」
「下の人などいません、と言っておくべきでしょうか。お久しぶりですね、店長」
そりゃもう強豪校の皆様方で、有名人揃い。あのサンダースが、聖グロリアーナが、プラウダが親しげに店長へ語り掛けるあの店は一体、とばかりに他のお客さんが興味を持ってくれたのは間違いなく、まさに飛ぶような勢いで商品がもりもり売れていった。
そんなわけで店頭に用意した商品が早速切れて、念のため用意しておいた補充を取りに行くその道中。
ふと気が向いて、なんとはなしに道を逸れてみた。
なにせ決勝戦。いろんな人がいるだろうし、いろんなところで観戦しようとしているだろう。応援半分偵察半分で来ている他校の生徒なんかはむしろ観客席から離れた場所に自前の車両を止めてその周辺に固まっていることもよくあるし、この辺りにもなんかそういうのがいるかもしれないと俺の勘が囁いたので、足を向けた。
そこは、開けた草原の一角。
ピクニックに来て、レジャーシートを広げて弁当を食べるにはこの上ない好立地。
それでいて演習場も結構な範囲にわたって見渡せる、観戦にはもってこいの場所。それこそ、この場所を確保するなら前日の夜から陣取る覚悟が必要で、もしもここを見つけたのがノリと勢いを信条とするパスタの国の住人達であったりなんかしちゃったならば。
「うぅ~ん、もう食べられないッス……」
「死ぬほどベタな寝言だな」
アンツィオ生の死屍累々が出来上がるのも道理だろう。
夜中に会場までたどり着き、腹ごしらえがてらアンツィオ得意のパスタを茹でてピッツァを焼いて、明かりと暖房替わりに火を焚けばキャンプファイヤーにまで巨大化し、興が乗ってくれば「腐ったぶどうジュース」まで持ち出して、飲めや歌えのどんちゃん騒ぎ。
そして日の出のころには力尽き、ぽてぱてころりと順番に眠りの世界へ旅立って、決勝開始直前で誰一人起きていないという今の有様が誕生したわけだ。この目で見てきたかのように予想がつく。
今足元でベタすぎる寝言を言っているペパロニはもちろん、ドゥーチェことアンチョビもマントにくるまって寝ているし、先日大洗との試合をしたあとにカルパッチョと名乗るようになったらしい、カエサルにひなちゃんと呼ばれていたあの子もすやすやと寝息を立てている。
いやはや、まいったなこりゃ。
「ペパロニ、朝だぞ。試合も始まるから起きろー」
「んー? ドゥーチェ、ウィッグ邪魔だから外してくださいよ……え、ウィッグの下スキンヘッドなんスか!?」
「どんな夢を見とるんだお前は」
そして、起こしても起きない。
まあ予想できてはいたけどね?
欲求には忠実なのがアンツィオの習性。前にあの学園艦でも屋台を出したことがあるから、その辺は俺も知っている。
かといって、放置もできない。女の子ばかりこんなところで寝こけていては危ないし、何よりせっかく決勝を見に来たんだろうから、なんとか起こしてあげないとかわいそうだ。
というわけで、俺はアンツィオ自慢の調理設備の方へと向かう。
クーラーボックスに鍋釜フライパン、野外であっても普通の料理なら作れそうな一式がきっちり揃っているあたり、さすがアンツィオだ。
「……生地はある。発酵もちょうどいいってことは朝食用か。具も……よし、これなら『アレ』が作れるな」
それじゃあ、始めるとしようか。
アンツィオ生なら、必ず目覚める方法を。
「ん……? この腹が減る匂いは……ピッツァ!」
「本当にすぐ起きたな」
ペパロニが、そしてその他のアンツィオ生たちががばがばと起きだしたのは、ちょうどピッツァが焼きあがって石窯の扉を開けた時だった。
アンツィオ、ついに可搬式の石窯まで導入するに至っていたらしい。これで出先での食生活がより充実することになるのだろう。
なのでせっかくだから石窯も勝手に借してもらった。まあでも、文句は言われないだろう。アンツィオ生であれば、美味しいものの一つも口に突っ込めば勝手に言いくるめられてしまうのが常なのだからして。
「おはよう、諸君。眠気覚ましにピッツァはいかがかな」
「ぜひ! ……って、アニキ!? なんでここに!? ……わあああ! ちょ、み、見ないで! 髪ぼさぼさッスから!」
「寝癖だらけの髪どころか寝顔まで目撃してるから、気にするなペパロニ」
「うああああああ!?」
それでもかすかに残った恥じらいか、ペパロニは一足遅れて起きてきたアンチョビのツインテール一房で頭を隠してしまった。すげーなあの髪の量。ペパロニの頭にターバンみたいに巻き付いてるんだけど。
「う~ん……? ハッ!? しまった、寝てた! 今何時だ!」
「試合開始にはまだ少し余裕があるよ。だから朝ごはん食べてしゃきっとしていきな」
「ん? 店長じゃないか! なんだ、朝ごはんを用意してくれたのか……って、これは!?」
そして、俺が用意した朝食に気付いて詰め寄るドゥーチェ。
ぞくぞく起きてきた他の生徒も、まだ眠いのかゾンビのように寄ってきては、よだれを垂らしながら驚愕の表情を浮かべて一発で目が覚めている。
理由は、俺が焼いたピッツァにある。
これでもしばらくアンツィオで店を出していた身。あの学園艦で飲食関係の仕事をするにあたり、イタリア料理を心得ていないというのはスラム街に銃を持たずに入り込むようなものだからね、うん。
だが、そんな程度の俺でも一発で生粋のアンツィオ生の度肝を抜けるとっておきの料理がある。それこそが、これ。
「なぜかアンツィオ高校では失伝して、どこかの映画館でなきゃ食べられないという伝説のピッツァ……『アンツィオ』!」
「おおー!」
トマトソースにチーズを散らし、並ぶはアスパラガスのきれいな緑。ところどころにオリーブの影を忍ばせれば、そこに現れるのはこの場の誰もが見慣れた紋様。
そう、アンツィオ高校の校章の姿そのまんまのピッツァである。
「店長、どうしてこのレシピを!?」
「昔、あちこち回ってるときにちょっとね。……それより、早く食べないとなくなるよ」
「うおわああああ!? お前らドゥーチェの分も残しておけよおおおおお!?」
そんな感慨に浸るのはごく一部。
いつの間にか試合の時に使っているヘルメットをかぶってきたペパロニを含む大多数が数枚焼いては出し焼いては出しを繰り返した校章型ピザを貪っていく。うん、どうやらばっちり目が覚めたようだ。ちょろいなこの子たち。
「さて、それじゃあ俺はもう行くから。あとは自分たちで朝ごはん用意して食べて、試合もしっかり見るんだよ」
『はーい!』
アンツィオ高校の生徒たちは、餌付け主に対してはとっても素直だ。
元気良く手を上げて、腹ごしらえを済ませた調理担当の生徒が鍋や窯に火を入れていく。うん、これなら大丈夫。アンツィオも大洗と黒森峰の試合を観戦できるだろう。
……このまま宴会に突入しなければ、の話だけど。
ちなみに、その後店に戻ったら。
「遅いですよ。芋を一本ください。……一応言っておきますが、試合を見ながら飲むわけではないですからね?」
「アッハイ」
さすがにちょっと遅くなってしまったことをお客さんに責められてしまいました。
でもなんでそのお客さんが西住流の師範様なのでありましょうか。気に入られたのか……!? ありがとうございます……!
◇◆◇
決勝戦が始まる。
会場に搬入した戦車の整備を済ませ、審判団の前で相手チームとの挨拶を済ませた。
黒森峰の隊長は、みほの姉、西住まほ。
そして副隊長は逸見エリカ。
どちらも顔見知りで、みほにとっては相対するだけで複雑な相手だ。
だが、それでもみほはもう迷わない。
迷わずにいられる。自分の戦車道を、信じることができるのだから。
黒森峰に背を向け、大洗の陣営に帰る背中は決意とともに。語る言葉を持たない代わりに、みほは自分の戦車道を示すと誓ったのだ。
しかしそれだけでは足りない。
みほにはもう一つ、向き合うべき過去がある。
「みほさん!」
その過去は、一人の少女の姿をしていた。
名を呼ばれ、振り向き、そこに見つけたこれまた見知った顔。
彼女の名前は赤星小梅。
黒森峰女学園戦車道隊員の一人であり、今年度の決勝戦では車長を務める。
そして、去年の全国大会決勝で戦車ごと濁流に落ち、みほに救われた少女である。
「あの……」
「……うん」
言葉はすれ違い、会話の形を成さない。
当然だろう。あの時何かが少しでも違っていれば、と思わずにはいられない立場の二人だ。何を言うべきか。何を言ってはならないのか。相手を思う言葉が相手のためになるとは限らないのが世の常なら、この場はどれほど慎重になっても十分でなどありはしない。
しかし、それでも小梅はみほに声をかけた。
彼女は必要な時に勇気を振り絞ることができる。そうできるように、強くなってきたのだから。
「……みほさんが、戦車道を続けててよかった」
「……うん。今は、大洗で戦車道をしてるんだ」
ぎこちなく、たどたどしく。
しかし、笑顔を交わしての言葉だった。
みほが黒森峰を離れた理由が戦車道なら、今こうして再びまみえる機会をくれたのも戦車道だった。
それぞれが形と場所こそ違えど、戦車道を続けていたからこそ今がある。
「私も、ずっと続けたよ。あの時、濁流の中でみほさんが『諦めるな!』って叫んで、私の手を掴んでくれたから」
「えっ」
「えっ?」
「え、えーと、どうだったかな。あの時は夢中だったから、なんて叫んだかまでは……」
まあ、妙なすれ違いがあるようなないような感じもするのだが、それはご愛敬だろう。
「そ、そうなんだ……ごめんね、変なこと言って。……でも、負けないから」
「うん。こっちこそ」
そして、そうあるからこそ気持ちもほぐれた。
二人は最後に笑顔を交わし、対戦相手として背を向け、仲間の元へと帰っていく。
あの日から1年。
小梅は戦車道に打ち込み、みほは新たな友を得て、続けてきた戦車道。
だが、二人とも今日ほど晴れ晴れとした気分で戦車に向かうのは、本当に久しぶりだった。
◇◆◇
試合が、始まった。
決勝戦のフィールドは広大。平野があり、森があり、丘があり、川があり、市街地まである。接敵がいつどこになるか、それを選ぶのが戦略であり、意表を突く奇襲をかければ有利になる。
みほはそのことを熟知し、自身が知りうる黒森峰の情報、姉の実力と傾向をもとに対策を練ってきた。
黒森峰の戦車は大洗と比べるまでもなくどれも優秀で強力だが、だからこその欠点も存在する。
すなわち、重戦車たちの足の遅さ。
ティーガーⅠ、Ⅱを筆頭に、エレファントやヤークトティーガーの類も決勝戦では導入されるに違いなく、そうなれば進軍速度は必然的に遅くなる。
黒森峰が誇る機甲師団を西住まほが率いるならば戦力の漸次投入などという愚策を取るはずもなく、鉄の掟が支配する一糸乱れぬ隊列を組んで大洗の前に現れるだろう。
「……というわけで、各車警戒していきましょう!」
「武部殿、いつも以上にハキハキしてますね。まさに通信手の鑑であります」
「え、ほんと!? やだもー、ますますモテちゃうかも!」
「沙織さん、ゼロにはなにを掛けてもゼロなんですよ?」
「当たり前のようにひどいことを言うんだな」
「あはは……」
まあ、そんな緊張感とは無縁なあんこうチームだったのだが。
油断しているわけではない。そんな余裕などひとかけらだってありはしない。
だがそれでも、信頼する隊長たるみほが予測した接敵位置までは大分距離がある。この時点で黒森峰の襲撃があるとは考え難く、ゆえに過度の緊張をしていない現状は最適と言える。
だが。
「――甘いわよ」
全国大会、決勝戦。
そこは魔物が潜む異界。
常識が通用する場ではない。
爆炎と衝撃が戦車の中にまで大きく響き渡り、大洗に驚愕をもたらす。
決勝戦最初の発砲は、黒森峰からだった。
「敵襲ー!」
「どこから撃ってきた!?」
「左側面! 森の中からです!」
「森を突っ切ってきたのか!? 黒森峰の重戦車で!?」
黒い森の木立の合間に光る砲火と、その光で浮かび上がる巨大な戦車のシルエット。黒森峰の戦車隊が森の中を進撃し、大洗女子の側面を突く奇襲に出たことは明らかだった。
直接の対戦車戦闘においては無類の強さを誇るのと引き換えに、故障の多い足回り、巨体、莫大な重量を誇るドイツ戦車で森を突破してくるという大胆な作戦。まさか、という思いが最悪の未来予想とともにみほの脳裏をよぎった。
「この速攻……まさか、エリカさん!?」
逸見エリカ。黒森峰女学園にて戦車道の副隊長を務める2年生。
1年時より全国大会の決勝戦にも出場した優秀な選手である。
深謀遠慮に長けたタイプではなく、火力重視の短期決戦を好む短気な面があると評される。
だがそれは、必ずしも彼女の欠点を意味するものではない。
黒森峰が誇る強力な戦車を指揮下に与え、相手の態勢が整う前に喉元へ食らいつくような奇襲をさせれば彼女の右に出る者は黒森峰の中を探しても見つけることはできないだろう。
そして今、彼女の得意とする必勝の形が完成した。
当然、みほもエリカの奇襲を警戒していた。
副隊長として一部隊を任されるとして、予想される編成と接敵時間、位置。複数のパターンを想定し、それを織り込んだうえで作戦を立ててきた。
だがこの状況、森を突っ切るという可能性は予想外のものだった。いや、予想自体はしていた。だがそれは、いかにエリカであろうとも重戦車部隊を率いてこれほど早く接近することはできないだろうと切り捨てた可能性だったのだ。
去年まで、共に戦ってきたからみほはエリカのことはよく知っていた。
そして、大洗に転校してから今日までのエリカの成長を知らなかった。
それがこの状況に陥った原因である。
「去年までの私だと思ったら大間違いよ。各車、敵をかく乱。フラッグ車はこちらで仕留めるわ」
烈火の猛攻が大洗を襲う。
壊乱寸前に乱れた隊列の中、フラッグ車であるⅣ号はまだ冷静さを保っているが、だからこそ狙いやすい。その程度の的を外すような砲手は黒森峰にはいない。エリカが座すティーガーⅡの砲手も当然、この距離と状況ならば必中は確実で、そうできるだけの状況をエリカは作り出した。
長かった、と思う。
1年前から気に食わなかった。
みほのおどおどとした態度も、自信なさげなたたずまいも。そして、西住まほの妹でありながら、副隊長に任じられながら、その責を果たさず逃げ出したことも。
その結果として自分が副隊長になったことを分不相応だというつもりは、エリカにはない。他の誰にだってそんなことを言わせないため、血のにじむような努力を己に課した。その結果が今の彼女の強さだ。
みほが戦車道を離れ、二度と立ち会うことはないだろうと思っていた。
だがこうして立ちはだかったのならば容赦はしないし、出来るほど器用でもないし、むしろこうなることを望んでいた気さえしてくる。
「照準完了。いつでも仕留められます」
「よし」
そして、時は来た。
砲手の声は冷静。戦車乗りとしての勘も必中を予言している。エリカが命じればみほの乗るフラッグ車は沈み、あっけなくも必然の勝利を黒森峰にもたらすだろう。
思い悩むことは何度もあった。副隊長としての重責に苛まれ、それに耐えていたみほのことを認めそうになり、しかしそれでも認められないと闘志を燃やし、がむしゃらに突き進んできた。
だが今日を越えれば、エリカは初めて胸を張って黒森峰の副隊長を名乗ることができるだろうと、そんな確信がある。
さあ、これで終わりだ。
「撃て」
エリカは無慈悲に命を下す。
◇◆◇
奇襲からここまで、ほんのわずかの間。
大洗側は混乱の極みにあり、自分たちの状況も、敵の狙いも、正しく把握できている者はほとんどいない。すぐにでも対処しなければいけない状況だが、ほとんどのチームは自分たちのことで精一杯だ。
例外はみほ。戦車道の経験とエリカの能力と人となり。それを知るからこそ、背後にちりちりと焼けつくような脅威を感じている。
しかし、動けない。
フラッグ車の危機とはいえ、ここを切り抜けるだけで多大な被害を出してはそれこそその先が続かない。自車とチーム全体への指示を出しながら逃れる術はもはやなかった。
もう1チーム、状況を把握している彼女たち以外には。
◇◆◇
「ねえ、これヤバいモモ!」
「西住さん、絶対狙われてるぴよ!」
「う、うん。間違いない……!」
三式中戦車、アリクイさんチーム。
実際の戦車を動かした経験は皆無に近いため、決勝戦の今日に至ってもまだ満足に三式を運用するには至っていない、戦車道においては貧弱一般人と言って差し支えない新造チーム。
だが、彼女らの経験は一級品だ。
ネトゲで培ったバーチャルなものといえど、彼女らが心血を注いで向き合ってきたモニタの向こう側にいたのは、まぎれもなく人。店長からもらったその言葉を信じ、自分たちの経験を信じるならば、ここは間違いなく死地だ。
奇襲して、混乱させ、敵の首を背後から一撃で仕留める。
そんな状況はネトゲでも何度となくあった。
似たような状況で無数に敗北を喫したし、逆に相手をこのように追い詰めて勝利をつかんだこともまた数えきれない。
そんな過去の全てがねこにゃー達に訴える。
今この瞬間に、誰かがあんこうチームを守らなければならないと。
「でも、ギアが入ってくれなくて……ふんぎぎぎ!」
「反撃も、当てられる自信ないぴよ……」
「……」
しかし、取れる手段はほとんどない。
移動も攻撃も、今のアリクイさんチームの練度での実現は不可能に近い。
あとついでに他の仲間に頼るという方法も。ネトゲ廃人は伊達ではなく、このチームのメンバーは軒並みコミュ力が壊滅している。全体の通信を司っているのがあんこうチームの沙織でもなければ、まともな意思疎通すらできていたか怪しいレベルだ。
つまり、アリクイさんチームがあんこうチームを救う方法は、ただ一つ。
「……ももがーさん、ぴよたんさん」
「……うん、わかってるモモ」
「これまでも、よくやったぴよ」
何をするかは言わなくとも伝わる。
数々のネトゲで共に戦ってきた仲間たちなら、ただそれだけで分かり合える。
ねこにゃーはそのことに感謝する。
決して長くはなかったが、全国大会決勝の舞台でももがーとぴよたんと同じ戦車に乗って一緒に戦えたことは、きっと生涯忘れられないの思い出になる。
時に味方として、時に敵として、何度となく戦ってきた彼女たちとこうして直接笑顔を交わし合えるこの時間。みほがくれた今を未来につなぐためならば、悔いはない。
「ももがーさん!」
「はいな! モモ……んがっ!」
ギアを力の限りに引くももがー。そんな風にしてはただでさえ操作に難のあるギアがますます悪くなってしまうだろうが、それでいい。後先なんて考えない。今この瞬間を乗り越えなければ未来はない。
だから。
「……ごめんにゃ、三式!」
謝罪と願いに、三式が応えてくれたのか。
それまで頑として動かなかったギアがバックに入り、三式が急速後退。
フラッグ車たるⅣ号の背後に割り込み、その直後にエリカのティーガーⅡが主砲を発射。88mm砲の直撃はⅣ号ではなく三式に突き刺さり、一撃で致命傷を与えた。
相手の戦車を1輌も撃破することなく、それどころか一発も発砲することなく三式は白旗をあげて、撃破されたことを示す。
引き換えに、チームそのものを敗北の危機から救って。
「うにゃあああああ!?」
「ももももももももんがー!?」
「ぴよー!?」
「アリクイさん!?」
『大丈夫、西住さん! 撃破されたけど、ボクたちは無事だから、急いで逃げて! ……ボクたちの屍を越えていけ!』
「っ! ……全車、全速前進! この場を離脱します!」
後部に直撃を受け、転倒こそしないものの激しく跳ね回る三式。しかしねこにゃーはそれでもなお、みほたち仲間のことを思い、叫ぶ。
仲間が倒れるのは辛いが、その決意と覚悟を無駄にしてしまうことはもっと辛い。倒れた仲間の分の意志も受け継いで、みほはすぐにチームをまとめてその場からの逃げ切りを選択した。
ねこにゃー達が身を挺してかばってくれなければ、その時点で負けていた。
だからこそ、みほにできることはただ一つ。この戦いに勝利し、ねこにゃー達の働きが偶然でも無駄でもなく、窮地を救って優勝に導いたファインプレーだったのだと証明することのみ。
開始早々に数で劣る大洗の戦車がさらに1輌離脱するという状況の悪化に見舞われながらも敗北は免れた。
この状況から巻き返すことができるのか。
それは、みほが見出した戦車道の行く先次第。
決勝戦はまだ、始まったばかりだ。