「……ひどい試合だわ」
西住流師範、西住しほ。
全国大会準決勝、大洗女子学園VSプラウダ高校の試合を見ての感想である。
店長が聞いたらまたフォローの一つも入れそうな言ではあったが、絶望的な逆境を見事ひっくり返した試合に感動しすぎて居てもたってもいられず、試合終了と同時に大洗メンバーを迎えに走っていったのでもうここにはいない。変態はフットワークが軽いのだ。
「いいえ、違います」
しかしそれでも、なお反論する者がいた。
黒森峰女学園戦車道隊長にして、西住流宗家の長女、西住まほ。店長からもらった干しいもを美味しく食べて、試合も余すところなく見届けた彼女がいる。
「みほは、高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に対応する才能があります」
「それ、目的なしの行き当たりばったりでダメなヤツじゃなかったかしら」
「……」
「…………」
「そんなみほと、みほの指揮に応えた大洗の勝利です」
「スルーしても発言がなかったことにはならないわよ?」
ひゅるりと吹く風が冷たいのは、会場一帯に積もる雪のせいだ。言外に責任転嫁をする娘にツッコミを入れつつ、しほもまたわかっていた。戦車道を、試合をその目で見てみほの想いと決意を感じ取れないほど耄碌はしていない。
粗削りで不完全。しかし何かを掴みかけている。そんな期待を強く感じられる戦車道だった。あれがみほの試合でなければ、素直にそう認められていただろう。
「……まあいいわ。次の決勝では、王者の戦いを見せてあげなさい」
「西住流の名に懸けて、必ず叩き潰します」
だからこそ、しほが命じることは変わらない。
いつもと同じに、どんな強敵であっても変わることなく、西住流の全力を。
大洗女子学園の前に、ついに最強の敵が立ちはだかるときが来た。
「……ところで、おみやげを買っていこうと思うのだけどあの店長さん戻ってこないわね」
「気に入ったんですか」
「まほこそ、財布を握りしめてるでしょう」
ちなみに西住流の二人は、その後店長とっ捕まえて例のサツマイモジュースと干しいもの注文をして行ったとか行かなかったとか。
◇◆◇
「……予想される黒森峰の編成は、こんなところです」
「改めて見ると壮観だねえ。まさにドイツ機甲師団」
大洗女子学園、生徒会室。
この場所で、黒森峰女学園との決勝戦の戦略会議が行われていた。
去年まで黒森峰に在籍していたみほの情報をもとに、相手が決勝戦で出してくるだろう部隊の編成を予想中だ。
黒森峰は最強格の仮想敵ということで、これまでの試合データも逐次集めてある。そのため、みほが把握している保有戦車の情報と準決勝までの各試合での損傷度合い、黒森峰の戦車修復能力を合わせて考えれば、おのずと決勝戦の対戦相手が見えてくる。
その陣容は、まさに圧倒的。
大洗側が保有する戦車とは質も量も天地の差だ。
しかも指揮するのは西住流。みほの実力を肌で知っているだけに、その姉にして西住流正統後継者候補筆頭たる姉、西住まほの強さは想像するだに恐ろしい。
「まして、我が校はそもそも戦車が足りません」
「廃校の情報を解禁したら各部が義援金を出してくれましたけど、戦車を新しく買うにはとても……」
「ま、戦車だけあっても乗員がいないしね。義援金は今ある戦車の修復と強化に回して、戦車自体は自動車部が直してるのと、あとは奇跡的に見つかることに賭けようよ」
しかし、結局のところできることをできる範囲でやりつくすしかない。
戦車の頭数を増やせる目処がないのなら、せめて今ある戦車を強くする。幸い自動車部が整備中のポルシェティーガーも決勝戦までにはレストアが完了する見込みで、上手く運べば頼れる戦力となってくれるだろう。
……上手く運べば。
下手をすると試合開始前に爆発四散する可能性すらあるのがポルシェティーガーの恐ろしい所である。一部ではすでに「大洗のヅダ」の称号を拝命している。
「とにかく、戦力拡充と練習しかないね。相変わらず店長のフォローで消耗品はいくらでも使えるから、ジャンジャン使っていこう」
「はい!」
そんなこんなで、対黒森峰戦の準備が始まった。
日々の練習に加え、既存戦車の強化と新規戦車の探索が随時行われる、ある意味いつも通りのことではあるが。
戦車の強化自体は順調だ。
義援金を使って購入したヘッツァー改修キットにより38(t)を改造。回転砲塔こそなくなったが、防御力と撃破力が強化された。
さらにⅣ号にはシュルツェンを増設。これで多少は防御力もアップすることで、現状屈指の戦力であるあんこうチームの立ち回りの幅がより広がった。
一方、なんと新戦車までもが発見される。
みほたちの活躍を見て戦車道に加わりたいと願い出てくれたねこにゃーと、彼女が気付かせてくれた三式中戦車。当たり前のように駐車場に置かれていたため誰もがスルーしていたが、よく考えてみればこれも立派な戦車であった。
決勝戦直前になって、状況は好転しつつある。
ポルシェティーガーを運用する自動車部改めレオポンチームが参加してくれた意味は、単純な参戦可能な戦車が1輌増えたこと以上に大きい。彼女らの整備能力が試合中にも発揮できるということは、大きな大きなプラスとなる。
三式中戦車の参戦も奇跡と呼んでいいほどの幸運が支えてくれた。この期に及んで新戦車を発見できたこともさることながら、ある意味それ以上に希少な乗員まで見つかるなど天の采配としか思えない。ねこにゃーに曰く戦車を動かすのは得意とのことだったが、それはあくまでネトゲでのことという。実際の戦車を動かすこととなると勝手が違うようだが、それでもみほの目からするとセンスや着眼点は良いように思われた。
一日一日があっという間に過ぎていく。
授業を受けて、戦車道の練習をして、友達と遊びにも行く。
ごく当たり前の学園生活を続けながら、戦車道チームの彼女たちはしっかりとかみしめる。今の尊さと、それを守れる立場にある自分たちの幸運を。
この大洗女子学園で、毎日を過ごす。
それこそが決勝戦に向けて最良のメンタルを培う糧となることを、誰もが言葉にするまでもなく理解していた。
◇◆◇
「わあ、お花がたくさん!」
「きれいであります」
「リラックスできて、よく眠れそうだ」
「うーん、ここで呼吸してるだけで女子力上がりそうな気がする!」
そんなある日のこと。
みほたちあんこうチームは華道の展示会を訪れていた。
ホール内のあちこちに飾られた、幾多の花々。馴染みのある花もあれば、見たこともない珍しい異形の花々もあったりで見ていて飽きない。
色も形も香りもそれぞれ。そしてなにより、生けた人の個性が感じられる力作揃いだった。
「皆さん、ようこそ」
「あ、華さん!」
そして、みほたちがここへ来た理由はもちろん、華の作品を見るためだった。
戦車道に打ち込みながらも、そしてそれがきっかけで母との間に確執が生まれてもなお、華は華道を続けた。
その成果が形になったと聞いては、友として一目見ずにはいられない。みほ達はその思いで、今日ここへ来た。
「華さん、着物似合ってる!」
「そうでしょうか。ありがとうございます」
みほの素直な賛辞に照れくさそうに笑うのは、緊張と無縁ではないだろう。
今日の展示会に出した作品は、華にとっての集大成でもある。華道の家に生まれ、花とともに生きてきた。そして戦車道をはじめ、それでも離れず進んだ道の果て。華にとって、友からどんなふうに見られるかは決しておろそかにできない。
「五十鈴殿の作品はどこでありますか? 早速見てみたいです!」
「私も私もー!」
「興味あるな」
「あ、改めてみなさんに見ていただくとなると恥ずかしいですね……。こちらです」
少し赤くなりながらも、華は仲間たちを案内する。
恥ずかしいのは本当だろう。どう見られるか、不安もあるに違いない。
それでもなお、自分の来た道に間違いはなかったと、今は迷わず信じているのだろう。華の境遇に重なるところを感じるみほはそのことを理解し、頼れる戦友の背を少しだけ眩しく感じた。
いつか、自分もあんな風に胸を張れる日が来るのだろうか、と。
「その、これが……わたくしの生けた花です」
そして、目にする。
「わあ……きれい」
「この花器……戦車でありますか!? 素敵であります!」
「わー、大胆。なんかすごいね!」
「華道のことはわからないけど、見事だな。さすがに気分が高揚する」
その作品を、その道の言葉で飾る術をみほたちは持たない。
しかしだからこそ、思い思いの言葉で讃えた。
明るい色の花、落ち着いた色の花、全てが生き生きとしている。
葉の色も、照明さえもが讃えるように彩っていた。燃えるように激しく、戦車の装甲のように揺るぎない力強さが、確かな存在感を伴ってそこにある。
この展示会にある他の作品と比べて、この作品がどのように評価されるかは見当もつかないが、一目見ただけで他のどの花よりも心惹かれたことだけは、間違いない。
「本当に、変わったものだわ」
「お母さま……!」
そんな花の香りに誘われたか、訪問者があった。
華と同じく着物に身を包む、たおやかな淑女、五十鈴百合。華の母親である。
「……華さん。あなたの生ける花は、五十鈴流そのものよ」
「……はい」
百合は、花を見た。
じっと、真剣に。
そして開いた口からこぼれたのは、いつか語られた言葉と同じ。戦車道をやめるよう説得したときと同じもの。
「……でも、今ならわかるわ。あのころのあなたの花は、五十鈴流でしかなかったのね」
そして、ため息をこぼす。感服だと、自分の不甲斐なさを嘆くように。
「あなたの中に、こんなにも花の命を溢れさせるような華道が眠っていたなんて。私は気付きもしなかったわ。……戦車道が、あなたをここまで連れてきてくれたのね」
「……はい。ですが、戦車道だけではありません。五十鈴流と、戦車道。両方があったからこそ、わたくしはこの世界が見えました。それが、わたくしの答えです」
娘の成長への喜びと、自分が毛嫌いしていたものがその成長を促したことへの悔しさがにじむ。だがそれでも、すっきりとつきものが落ちたような表情をしているのは、やはり華の母だからだろうか。
美しい花を見れば、自然と心が安らいでしまうのだろう。
娘が至ったその境地への優しくも強い、尊敬の念がそこにはあった。
「ふう、こんなものを見せられてしまったら、戦車道を認めないわけにはいかないわね。次は全国大会の決勝なのでしょう? がんばりなさい」
「お母さま……! はい、がんばります!」
「それにしても、本当にすごいわ。……いっそ、私も戦車道をやってみようかしら」
「お母様ー!?」
そして、いいと思ったものは情け容赦なく取り入れるという貪欲さも、しっかり備えているらしい。それでこそ、流派を受け継ぎ、背負い、発展させるということなのだろうか。
「あら、戦車道も淑女のたしなみなのでしょう? なら私にだってきっとできるわ」
「いや、いやいやその、確かにそうなんですが、お母さまの場合は毎回後ろから撃たれてしまいそうな気がするというか……」
ふふん、と楽しそうな笑顔は本気か冗談か。外野のみほたちに判断はつきかねるが、それでも確かなことが一つ。
華の母親は、認めてくれたのだ。娘を、娘の道を、そして、戦車道を。
そのことが少しだけ羨ましい。そんな感情が、みほの胸を締め付けた。
そんな感じで雰囲気がほぐれ、和気あいあいとした空気になった。
めいめいに華の作品や他の作品について聞いたり感想を話したりと、女の子同士らしいきゃぴきゃぴした空間が形成される。
そうなってくると、最初はスルーしていた疑問が再び湧いても来るわけで。
「それにしても五十鈴殿、この花器どうしたんですか? 戦車の形してるのなんて、そうそうないと思うんでありますが」
「それは、俺が用意させてもらったんだよ」
「店長さん!?」
最初から気になっていたことを聞いた優花里に答えたのは、ふらっと現れたいつものあいつ。店長であった。
「聖グロリアーナとの練習試合のあとくらいだったかな。五十鈴ちゃんに頼まれてね。伝手があるから作ってもらったのさ。……あ、どうも華さんのお母さん。大洗で土産物屋兼喫茶店をやってる者です」
「これはどうも、ご丁寧に。娘が無理を言ったようで」
ぺこぺこと大人同士の挨拶を交わしている店長であるが、いよいよもって底知れない。これまでも店で頼めば大体何でも作ってくれるような人で、練習中のおやつとしてのサツマイモスイーツやらおにぎりやらトン汁やら諸々世話になってはいたが、こんなものにまで精通していたとは。
「うちの姉さんの友達がこういうの作ってるところの人でね。お願いしたら嬉々として作ってくれたよ」
「へー、鉄工所か何かでありますか?」
かと思えば、どうやら店長が直接作ったわけではないらしい。
とはいえ、頼めばこんなものまで作ってもらえるという店長の人脈は一体何なのか。
「ん? ……ああ、違う違う。作ってるのは花器じゃなくて、戦車」
「……え?」
しかも、なんか予想をはるかに超えているっぽい。
「戦車作ってる会社の人なんだよ。その人も戦車道をやっててね。重戦車が大好きで、榴弾が大好きで、試合の度に地形が変わるくらいぶっ飛ばすから最近は実業団の試合から出禁食らってるって聞いたけど。その憂さ晴らしもあって作るのを手配してくれたんだ。……だから実は、あの花器の素材って最近の戦車の装甲と同じらしいよ」
「あの、それわたくしも初耳なんですが」
「とんでもない技術でありますな!?」
「本人は割とかわいい人なんだけどね。姉さんの同級生で、なのに身長はプラウダ高校のカチューシャくらいしかないんだけど」
そしてその花器を作ってくれた人物がまた大分エキセントリックらしかった。
戦車道をやっている女の子の中に背が小さい子は割といるのだが、実業団選手でありながらカチューシャ並みとは、一体。
「真宏、ワカちゃんが作った花器があるのって、ここ……?」
「らしいぞ。どさくさ紛れに自分が生けた花も展示してもらってるらしいから、それも見ていこうぜ簪」
ともあれ、こんな会話をするカップルも足を止めて見に来るくらいに、華の作品と花器は人目を引く美しさがある。
実物の戦車の装甲と同じ素材で作られた花器に生けられた、戦車道を経験することで見えた景色が魅せる花。
人と人の絆が紡いだこの花の美しさだけは、誰もが認める真実だった。
◇◆◇
「みんな、今日までよく頑張ってくれた。明日はいよいよ決勝戦だ。今日はゆっくり体を休めて、明日に備えてくれ。以上、解散!」
「ありがとうございましたー!!」
決勝戦前、最後の練習が終わった。
出来ることは、すべてやった。
予想される敵編成、試合会場の地形、通るべきルート、いつどこでどの作戦が発動するかは余すところなく誰もが頭に叩き込み、実行できるように練習を積んできた。
その全ての意味が、ついに明日問われることとなる。
練習を終えた大洗女子学園戦車道のメンバーは、それぞれのチームごとに思い思いの時間を過ごす。
夜の月を眺めるチーム、少しでも戦車に触れていようとするチーム、守るべきものの意味をかみしめるチーム。
士気は高い。たとえ相手が王者黒森峰であろうとも、怯まず戦う決意は固い。
だが、それでもひとかけらの不安は残る。
どうしても足りない戦車の数。負けてしまったときに失われるものの大切さ。それらはあまりにも、重い。
一人ではきっと足が竦んでいた。
チームの仲間たちがいる今ですら、震えが止まらない。
しかし、そんなとき。
彼女らがいつも立ち寄る場所がある。
いつでも優しく受け入れて、励ましてくれる、そんな場所が。
◇◆◇
「店長、やってるー?」
「もちろん。今日は遅くまで店を開けておくつもりだよ、杏ちゃん。それに、いらっしゃい。柚ちゃんに桃ちゃん」
「こんばんわ、店長」
「桃ちゃん言うな!」
カランカランとベルが鳴る。
慣れたものとばかりに入ってくる三人がいる。
軽口が飛ぶのもあいさつ代わり。案内するまでもなくいつもの席に三人並んで腰かける、当店の常連さん。
大洗女子学園生徒会三役、38(t)改めヘッツァーを駆るカメさんチームの三人だ。
「はい、杏ちゃんはコーヒーと干しいも」
「さんきゅ」
「柚ちゃんは紅茶」
「ありがとうございます」
「で、桃ちゃんは麦茶ね」
「なぜそうなる!? なぜ私だけそうなる!? 嫌いじゃないが!」
「大丈夫、泡の出るヤツだから」
「なお悪い!」
ぷんぷんと元気よく怒る桃ちゃんだが、実際お出ししたのはいつものココア。たまにあるやり取りは軽快に、決勝前の緊張なんて俺も彼女らも忘れたかのようにいつも通りだ。
「何か食べるかい?」
「ううん、さっき食べてきたから大丈夫。がっつりカツを食べてきたよ!」
頼もしく笑う杏ちゃん。それを優しく見守る柚ちゃんと、まだプンスカしている桃ちゃん。夕飯の後に、うちに寄ってくれたのだろう。ゆったりとそれぞれの飲み物を楽しんでくれている。
俺が、一番大好きな時間だ。
この店を始めようと思ったのは、こういう時間のため。その有難さを、俺はいつでも杏ちゃんたちからもらってきた。
「……明日、決勝だね」
「うん。ようやくここまで来た」
「みんなが頑張ってくれたおかげです。まさかこんな結果を出せるなんて、思ってませんでした」
「感動するのは早いぞ。私たちは優勝するんだ。そして……そして、大洗女子学園を守る!」
すでに涙ぐんでいる柚ちゃんに、エンディングまで泣くんじゃないとばかりに檄を飛ばす桃ちゃん。いかにも彼女らしい。
強く握りしめた拳が、そうしていなければ耐えられないとばかりに震えていることも含めて。
「まあ、泣いても笑っても明日が決着だ。精一杯やるよ、小山、かーしま」
「はい」
「はいっ!」
それでも杏ちゃんたちは、カメさんチームはひるまない。
西住ちゃんを含めて多くの生徒を巻き込んだという責任と、何より大洗女子学園を守りたいという願いに支えられて。
「店長」
「なんだい?」
だから、俺は。
「……見ててね」
「ああ。必ず、最後まで見届ける」
最後の一瞬まで、見守ろう。
◇◆◇
「明日の相手は黒森峰女学園……」
「戦車道の、強豪校」
「どんなスパイク打ってくるんだろう」
杏ちゃんたちが帰ったあと、入れ替わりに店を訪れたのはアヒルさんチーム。バレー部のみんなだった。
割と見慣れたバレー部のユニフォームを着ているあたり、おそらく戦車道の練習の後にバレーの練習もしていたのだろう。いいことだ。アヒルさんチームのみんなはいつも心にバレーボールがモットー。平常心を保ち、明日に備える術をこの子たちは理屈ではなく筋肉で知っている。
「大丈夫だ、みんな! 今日まで積んできた練習は、私たちを絶対に裏切らない! そうですよね、店長!」
「ああ、もちろん」
そんなわけで、この子たちは大分腹ペコだったらしい。とりあえずで出したサンドイッチもオムレツもふかしいもまですごい勢いで平らげていく。健康でいいことだ。たくさん練習して、たくさん食べて、たくさん寝る。そのたびにアヒルさんチームは強くなっていく。
「サンダース戦でも、アンツィオ戦でも、プラウダ戦でも、みんなの八九式が一番動き回ってた。戦車のスペックだけが強さじゃない。みんなが乗る八九式だからこその機動力なら、きっと黒森峰にだって通用するよ」
「……そう、ですよね」
「どんなスパイクも受け止める……のは八九式じゃ無理だけど、必ずくらいついて見せます!」
「チームのために、私たちにできることをする。バレーと同じです!」
「そうだ、それが……根性だ!」
バレーボールは動き回ってなんぼで、そして何よりチームワークのスポーツ。だからこそ、その実力は戦車道でも余すところなく発揮される。
廃部の憂き目にあったことは残念だったけど、その結果としてみんなが戦車道をすることになったのは結果として良いことだったと思う。
だから、俺はその先を願う。
「期待してるよ。明日の試合も、その先も。戦車道でも、そしてバレーボールでも、みんなが強豪校に打ち勝つそのときを」
「……はい、がんばります!」
◇◆◇
「店長、甘藷を」
「干しいもね、ちょっと待ってて」
なんか示し合わせたように各チームそれぞれ来るな、とそろそろ思うようになってきた。次なるお客さんはカバさんチーム。Ⅲ突の火力はこれまでの試合でも頼りになり、準決勝に至ってはⅢ突らしい雪に埋もれた状態での待ち伏せを決めてフラッグ車を撃破した実力者たちだ。
「明日の相手はドイツ機甲師団……相手にとって不足はない!」
「ゲルマン系……やっかいだな」
「なんかとんでもないものが出てくる予感がするぜよ」
平常心、という意味では一番かもしれない。
いつも通りの歴史談義に花を咲かせ、楽しそうにしている。明日のおやつに、と干しいもを買っていってくれたし、試合中に食べてくれるなら冥利に尽きる。
「今日は戦車道の子たちが結構来てるけど、みんなはいつもと変わらないねえ」
「それは……な」
「ここまで来てしまったんだ。賽は投げられた。あとはやるだけやるしかない」
「追い詰められてからの私たちは、強いからな」
「やらなきゃいけないときは、とことんまでやるぜよ」
「……なるほど」
カバさんチームのみんなは、ソウルネームを名乗るほど歴史上の人物に精通し、心酔している。
ナポレオン以来の戦術家と評されようと、ローマの初代皇帝となろうと、征夷大将軍を追い詰めようと、新たな時代を開こうと、彼女らがその名を借りる人物たちは決して順風満帆な人生を歩んできたわけではない。
天才的な発想があった。天に愛されているとしか思えないような幸運があった。
だが彼らが歴史に名を残したのは、それに値する意志の強さ、不屈の精神があったればこそ。
ソウルネームを名乗るということは、それを受け継ぐ決意の証。カエサルは、エルヴィンは、左衛門佐は、おりょうは、その覚悟とともに名乗っている。
「なら、安心だ。魂は永遠に不滅だからね」
「待て、店長。それが適用されるのはおりょうだけだ」
「夏のあとならワンチャンあるぜよ?」
◇◆◇
「あー、疲れたー! 店長、何か甘いもの頂戴!」
「戦車の整備お疲れさま。今日は特別に何でもおごっちゃうよー」
「マジで!? じゃあ私はスイートポテト!」
「サツマイモのパイがいい!」
「芋餡のクレープ!」
「はいはい」
レオポンさんチームこと自動車部のみんなが来たのは、そこそこ夜も遅くなってから。とはいえ、いつも通りといえばいつも通り。
彼女たちが俺の店を訪れる時間は、戦車道の練習が終わったほかのチームのみんなが訪れたそのあと。遅くまで戦車の整備をしてくれたそのあとだった。
「決勝前ってことを考えると、むしろうちに来るのは思ったより早かったくらいかな。今日はさすがにみんな慎重に戦車を動かしたってことかい?」
「ううん、むしろいつも以上に激しかったよ。さすが決勝前」
「私らが使うポルシェティーガーもあるしね。あの子がまたワガママでさー」
「ま、だからこそいいんだけどね。うちのP虎が一番かわいい」
「だけど明日都先生にもう帰れって言われちゃって。まだ途中だったんだけど、たぶん明日の朝には全車完璧な状態になってるよ」
大洗女子学園がここまで来れた理由は、ひとつきりではないだろう。
西住ちゃんがいたこと。杏ちゃんたちが強引な手段を使ってでも西住ちゃんを戦車道に引き込んだこと。経験こそ皆無だったものの、頼れる仲間たちが集まったこと。
そしてその中でも欠かすことができないのが、自動車部の存在だ。
スイーツに舌鼓を打つ、普通の女子高生。たまに食べさせっことかして俺の鼻血を熱くするこの子たちがいてくれたからこそ、大洗の戦車は動くことができたし、強豪校にもくらいついて行けた。
勲章にはまだ早い、かもしれない。
それでも、彼女たちの戦場はいつも試合の前と後。
だから今日、俺はいつになくレオポンさんチームのみんなを労いたくなった。これまでの感謝と、これからの期待。その二つをクリームと芋餡の二層に託し、4つのトロフィーに似た形のグラスに満たしてみれば。
「はい、スペシャルメニューのスイートポテトパフェ。明日の活躍も楽しみにしてるよ」
「なんかすごいの出てきたー!?」
「ちょ、なにこれ! クリームもフルーツも昇天MAX盛りなんだけど!?」
「これを食べたら……確実にお肉になる!」
「悔しいっ、でも食べちゃう!」
それは、女子を魅了する魔法に変わるわけでして。
この甘味の加護の元、レオポンさんチームの活躍を祈った。
……カロリー? 知らない子ですね。
◇◆◇
「あ、ああああの、は、入ってもいい……ですか?」
「もちろん。いらっしゃい、ねこにゃーさん」
レオポンさんチームすら帰ったあとにやってきたのは、決勝戦から新規に参戦する三式中戦車操るアリクイさんチームの3人だった。
元々ネトゲの知り合い同士だっただけに、夜更かしはお手の物ということだろうか。
とりあえず、普段からの睡眠不足が心配だからハーブティー出しておこう。カモミールが効くかな。
「ぼ、僕たち、戦車道の人たちはみんなこのお店に来たことがあるって聞いて……」
「確かに。みんなにはご好評いただいてるね」
その好評さたるや、特に今日なんて予想してたとはいえこのままじゃ全チームコンプリートしそうな勢いだ。俺にとっては、ただただ喜ばしいことだけど。
そして今、カウンターで緊張した様子のねこにゃー、ももがー、ぴよたんの三人は今日はじめてこの店に来てくれた。戦車道を始めたのも決勝直前だったから、店のことを知ったのもつい最近、戦車道のチームメイトに聞いてのことなんだろう。それだってのに、決勝前の大事な日に来てくれるなんて嬉しいなあ。
「……店長も、戦車道に詳しいモモ?」
「詳しいってほどでは。好きなだけさ」
「でも、今の大洗の戦車道はずっと見てきたって聞いたぴよ」
「それは、事実だね」
だけど、三人の顔には不安の色が。
仕方ないことではあるだろう。なにせ多少の練習をしたとはいえ、ネトゲで慣れ親しんでいるとはいえぶっつけ本番で全国大会の決勝で、相手は黒森峰。
はじめたばかりのネトゲでとりあえず対戦部屋に入ってみたら、上位ランカーひしめくガチ部屋だった、みたいなものだろう。
「……ボクたち、西住さんたちの役に立てるのかな」
「めっちゃ不安モモ……」
「ネットに引きこもってるような私たちに戦車道なんて乙女の嗜みは、やっぱり……」
そして加速する引っ込み思案。
西住ちゃんも戦車道をやってるとき以外は割と控えめだけど、アリクイさんチームはそれに輪をかけてその傾向が強い。
そんな心配、いらないと思うんだけどなあ。
「大丈夫だと思うよ? ねこにゃーさんたちは、ネトゲでの腕なら一級なんだろう?」
「ええ、まあ。その気になればピコンピコンで会話できるし」
「ピコン!」
「ピコンピコン!」
「ここではリントの言葉で話せ」
……いかん、少し心配になってきた。
「ま、まあそれはさておき。君たちには西住ちゃんにも勝るかもしれないものがある。……対人戦の経験だ」
「いや、そりゃ確かに数百時間やってますけど、それはあくまでネトゲの話で……」
「その通り。でも、ネトゲの先には人がいる。戦車もゲームも、動かすのはいつだって人だ」
それでも、とりあえず信じよう。俺は、とにかく大洗のことを信じると決めたんだから。
「戦車のことも、動かし方もよくわからなくても、装甲の内側で戦車を操る人のことなら、君たちはよくわかっているはずだ。その経験を生かせば、きっと西住ちゃんたちの力になれるはずだよ」
「西住さんたちの……」
「力に、モモ……」
「私たちが……」
ねこにゃーさんたちの目に、光が宿る。
……妙に平坦で、PCのモニタの光がべたっと映り込んでるだけみたいな死体じみた目だったけど、たぶんこれがネトゲに熟練した彼女たちの集中した目なのだろう。
これならきっと、心配はいらない。
正道とは言えないかもしれないそれぞれの道が、集って進むのが大洗の戦車道。これまでいなかったタイプのチームであるアリクイさんチームも、きっと心強い味方になってくれるはずだ。
「みんなにはなんとなくこれが合いそうな気がする。はい、サツマイモチップス。コーラもいる?」
「ぜひに! ボクたちの主食ですから、馴染みます」
「アーイイ。はるかにイイ」
「たまんないですぅ……!」
……なってくれるよね?
◇◆◇
「風紀委員の御用改めよ!」
「おや、そど子ちゃんたち。いらっしゃい」
バンッ! ガラン! 夜にふさわしからぬ元気な音を立て、店の扉が開いた。
どこの新選組かという勢いで突入し、鋭い目つきで店内を睥睨する威圧感たっぷりのおかっぱ頭三連星。皆様に愛される風紀委員(自称)こと、カモさんチームのそど子ちゃんたちだった。
珍しいなあ。いつも、買い食いは風紀が乱れると言ってあまり来てくれないんだけど。
「店長、夜になってから戦車道の隊員がこの店に来なかったかしら? 隠すとためにならないわよ」
「……見ての通り、かな?」
と、思っていたらパトロールだったようだ。
たまにそど子ちゃんたちはこうやって見回りをしている。主に戦車道の隊員が練習後に長々と出歩いたりしていないかを監視するためだといい、実際冷泉ちゃんなんかはちょくちょく注意されているとかいないとか。なので俺は正直に、「今は」閑古鳥ですよ、と答えておく。
まあ、でも。
「とりあえずお疲れさま。せっかくだから、コーヒー飲んでいくでしょ? いつもみたいに」
「ありがとうございます、店長さん」
「いただきます」
「ちょ、ゴモ代、パゾ美!?」
それを半ば口実にしてうちの店へお茶しに来てくれるんだから、そど子ちゃんたちも大切なお得意様だ。
なんだかんだ言いつつも、しれっと定位置につくゴモ代ちゃんパゾ美ちゃんに続いて、そど子ちゃんもカウンターに腰かけ、そのころ用意が済んだ、三人それぞれお気に入りのコーヒーを置く。いつものパターンだ。
「……ねえ、店長。私たちのやってきたことって、意味、あったのかな」
「唐突だね」
コーヒーをふーふーと冷ましてから一口。そど子ちゃんが口を開いた。
零れ落ちたのは、弱音。学園の風紀を預かる身として、友達には言えないこともあるのだろう。
「学園のためを思って、風紀委員をやって。でも、もし明日負けたら、廃校になるかもしれなくて……」
珍しい。そど子ちゃんがこんなに弱気になるなんて。
……いや、普段は表に出さずにいるだけか。今こうして生活しているこの土台がなくなってしまうなんて、普通は誰も思わない。そど子ちゃんが厳しい風紀委員として知られているのは、この学園が好きで、守りたいと願っているからに他ならない。
もしも失われたらと想像するだけで、こんなふうに震えるくらいに。
「大丈夫、とは言ってあげられないね。この学園の運命は明日の決勝戦にかかっているし、戦車道で俺が力になってあげられることは、ほとんどない」
「……」
うつむくそど子ちゃんたちの顔の下、コーヒーカップの水面が揺れる。
それを止める手段は、俺にはない。
「だから、託すよ」
「……託す?」
「この学園艦の運命を。来年から先の未来を、みんなに。……頑張ってくれ、そど子ちゃん。君たちのルノーB1bisの装甲なら、きっとみんなを守れるはずだ」
そど子ちゃんたちは風紀委員。
誰より強く気高くあることを美徳とするならば。
「……まったく、無茶ばっかり言ってくれちゃって。仕方ないわね! 大洗の未来は私たち風紀委員と、戦車道の隊員に任せておきなさい!」
「よっ、風紀委員の鑑!」
こういうおだてが一番効く。
するすると調子に乗ったそど子ちゃん。風紀委員になるため生まれてきたようなほど仕事熱心なこの子たちは、その存在を全うしようとするときこそ、最も強くなれるはずだから。
◇◆◇
「あーっ、やっぱりお店開いてる! よかったー!」
「ちょっと桂莉奈、しーっ! もう夜遅いから静かにね!?」
「おや、ウサギさんチーム。いらっしゃい」
そど子ちゃんたちの滞在時間が短かったのが幸いした。
もし少しでも長居されていたら、にぎやかに現れたウサギさんチームと出くわして風紀取り締まりが実行されてしまっていただろうから。
「夜分遅くにすみません、店長さん。まだお店、やってますか?」
「もちろん。食べていく? それともお持ち帰りかな」
「お持ち帰りで!」
「明日の試合の勉強に映画借りてきて、これからみんなで見るんです」
「そのときに食べるおやつを買おうと思って~」
それ太りそうだね、などとこの場で口にするような人間は、学園艦の上で生きていけない。
年頃の女の子にカロリーを売る稼業の罪深さを感じながら、それでも女の子の笑顔が見られるならやめられない止まらない。業の深い仕事だ。
「それなら、定番の干しいもにタルト、大学芋あたりがいいかな」
「わーい! 店長の大学芋大好きー!」
ウサギさんチームは割といつも通りだ。桂莉奈ちゃんを筆頭にみんな元気で、澤ちゃんがその手綱を必死に引いているこの感じ。なんだかんだでいいチームだ。
「借りてきた映画って、やっぱり戦車関係かい?」
「はい。……少しでも、西住隊長たちの力になりたくて」
「……」
そして俺が気になったことを聞くと、わずかにウサギさんチームの表情がこわばった。
無理もないことだろう。澤ちゃんたちが戦車道に真剣に打ち込むようになったきっかけは、敗北から始まっている。
聖グロリアーナとの練習試合における、戦車を放棄しての逃亡。
当時の経験のなさと、強豪校からの苛烈な砲撃にさらされたショックからの行動としては仕方のないことだと思うけど、当人たちがどう考えるかはまた別の話。
それでも澤ちゃんたちは、その反動を正しく成長に導くことができた。
アンツィオ戦での冷静な撃破と、プラウダ戦でアヒルさんチームを守ることに徹した判断。間違いなく、彼女たちは強くなっている。
一度練習するたびに。一日が経つたびに。
「なら、楽しんで見るといい。その方がいろんな発見があるから。……大丈夫、君たちは強いし、強くなってる。寝て起きて、試合をして、その試合の最中にも強くなってる。伸び代でいえば、きっと大洗の中でも一番だからね」
「そう、でしょうか……」
「そうだとも」
まだ少しだけ不安そうな澤ちゃんたち。
無理もない。成長しているのは間違いないけど、自身のことになるとなかなか実感しづらいものだ。まして、周りにいるのが西住ちゃんを筆頭にバランスよく強いあんこうチームや、Ⅲ突を使いこなすカバさんチーム、八九式で信じられないくらいに動いて当てるアヒルさんチームなどなど強いチームがたくさんいるんだから。
やれやれ。
「ま、深く考える必要はないさ。そのとき出来ることを出来る限りやればいい。明日は年に一度の大舞台なんだ。楽しんできな」
「……店長、ちょっといいこと言ったと思ったのに」
結局のところ、楽しんだもの勝ちなんだ。
うちの店に来たからには、たとえ不安でいてもたってもいられず戦車の出てくる映画にまで頼ろうとした女の子達でも、帰るときは笑顔になってもらう。
その為なら道化にだって難にだってなろう。俺が大洗のためにしてあげられるのは、ただそれだけなんだから。
◇◆◇
今日は、なんだかんだで千客万来だった。
ほとんどの戦車道チームのみんなが来てくれて、少しくらいは元気になってもらえたと思う。
だから、夜もう遅い。これまでこんな時間まで店を開けていたことなんてほとんどない。それこそ、もう店を閉めても不都合はないだろう。
普通ならば。
今日が、いつも通りの日であるならば。
だけど、俺はそうしなかった。
予感があった。
俺は今日、まだもう少しだけ店を開けていなければならない。
それはきっと俺がこの店を継いだ意味、大洗女子学園にいる意味、戦車道を好きになった意味になるから。そういう確信といっていいほどの確かなものが渦を巻く。
そう、待つのはあとほんのちょっと。
――カランカラン
「……こんばんは」
「やあ、いらっしゃい――西住ちゃん」
ドアが鳴らす鐘の音も控えめに、西住ちゃんがこっそりとのぞき込んでくる、その時までだ。