好きなものは百合&パンツァーです!   作:葉川柚介

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さすがの店長でも事案は怖いです!

「……新参の学園艦が、あのサンダースを?」

「ええ、そうよカチューシャ。……というかそれは1回戦の話で、すでに2回戦も終わっているのだけど」

 

 しんしんと積もる雪は窓の外。

 落ち着いた照明が照らし、暖房が効いた室内には冷気のかけらも混じらない。

 それこそが支配者の証。いかなる寒気の中にあろうとそれを寄せ付けぬことこそ上に立つ者に許された特権。そう信じてやまない傲岸不遜。この部屋の主は、確かにそんな風格を漂わせていた。

 

「ふうん。まあ、仮にも戦車道。本来そういうものでしょ」

「その通りね」

 

 部屋の中で言葉を交わすのは二人の少女。

 一人は、聖グロリアーナの戦車道隊長、ダージリン。

 彼女はすでに今年の、そして高校生としての公式試合を終えている。黒森峰女学院との準決勝。優勝候補同士の激突は互いの実力にふさわしい激闘を繰り広げ、結果として黒森峰に軍配が上がった。

 ダージリンとしてはその試合に思うところや反省点も多々あったが、それは今後の後進育成で生かすべきところ。今この場において、いずれ聖グロリアーナにとっても強敵として立ちはだかるだろうプラウダに愚痴るようなことではない。

 

 そもそも、本題は別にある。

 今回プラウダ高校を訪れ、この小さな暴君とのお茶会にと持ち寄ったお茶請け話はまた別にある。

 

「なら何も問題はないわ。まぐれ勝ちした弱小校ごとき、我が栄えあるプラウダ高校の敵じゃないもの」

「そう」

 

 髪はさらりと絹糸のセミロング。天真爛漫な少女の笑顔に、血を求める独裁者の傲慢を秘めた、西洋人形の容姿に覇者の威厳を詰め込んだ乙女。

 小さな暴君。地吹雪のカチューシャ。

 彼女こそ、プラウダ高校の戦車道に君臨する隊長である。

 

「もー! ノンナはまだかしら。お茶飲みたいのに!」

「おいしいお茶を入れるのには時間がかかるものよ」

 

 ただし、頭の中の大部分は見た目そのままの幼女である。これでダージリンと同学年というのだから、高校戦車道はわからない。だがそういえば大洗の生徒会長も割と小さかったような、とか思いだす。

 うん、戦車道ではよくあることだ。

 

 だから、気を取り直して本来の目的を果たすことにした。

 

「それより、練習しなくてもいいのかしら。……大洗の隊長は、あの西住流よ」

「……はぁ!?」

 

 ガタタタン。椅子ごと倒れそうな勢いで、暴君の体に衝撃が走る。

 西住流。カチューシャはもちろんその名を知っている。

 日本が誇る戦車道の一大流派であり、高校戦車道においてはその薫陶厚い黒森峰女学園が全国大会で9連覇を成し遂げたことから特に知られている。

 ダージリンが微笑ましく見守る絶賛すっころび中のカチューシャは、プラウダが前年度にその牙城を崩した際の作戦を立案した立役者でもある。

 

 カチューシャは嘯く。あの勝利は当然のことであったと。

 しかしそれはプラウダの隊長として求められる姿だからに過ぎない。……いや、より正確を期すならば、調子に乗るとすぐに気位がコーカサス山脈よりも高くなるカチューシャのビッグマウスによる部分もなくはないのだが。

 

 ともあれ、カチューシャは理解している。あの勝利に二度目はない。

 勝算はあった。黒森峰が相手でも、西住流宗家の娘が二人いても勝つ気でいた。そして事実勝ちはしたが、あれは偶然による部分が大きく、フラッグ車の車長が戦車を離れるというイレギュラーが原因だ。結果、カチューシャの予想とは違う形での勝利となった。

 

 勝利は勝利。誇るべきものであることに変わりはない。

 だが、なんかそのせいで西住流からは恨みを買ったような気がしなくもないし、今回も順当に行くと黒森峰とは決勝でぶつかるわけでどうなることやら。そんな不安が今のカチューシャのリアクションへとつながっている。

 

「まあ、西住流の妹のほうだけど」

「な、なーんだ妹って! 去年の試合で戦車を離れた妹って! なら楽勝よ!」

 

 よじよじといすに上り直しながら、ふんぞり返って胸を張るカチューシャ。予想通りの反応だ。だから、考えていることもダージリンは手に取るようにわかる。

 

 これでカチューシャは、大洗を意識せざるを得ない。

 カチューシャにとっての大洗女子学園が、得体の知れない、しかし警戒の必要はないポッと出の弱小校から、西住流を擁する油断ならない相手となった。

 今度のフィールドは寒冷地。せっかく寒い中、オレンジペコを伴って観戦しに行くのだ。プラウダにも大洗にも、より良い試合というものを期待させてもらいたい。

 ダージリンはカチューシャを微笑ましく見守りながら、内心少しだけ暗い笑顔でほくそ笑む。

 これからノンナが淹れてくれるロシアンティーと、次の試合が楽しみだ、と。

 

 

◇◆◇

 

 

「――みほに、勘当を言い渡します」

 

 はじめ、まほは何を言われたのか理解できなかった。

 

 実家から呼び出され、黒森峰を離れて一時帰省した熊本の実家。

 西住流戦車道の師範であり、近々次代の家元となるだろう、母。西住しほのその言葉の意味を理解するために、まほは一拍の間を要した。

 

「……!? ま、待ってください! なぜいきなり!」

「これです。知っているはずですね?」

 

 母の言葉は少ない。

 語るまでもないとばかりに差し出されたのは、開かれた新聞。それを見て、まほは母の言わんとすることを理解する。

 

 記事に書かれているのは、ごく一般的な内容だ。おそらく地元紙のスポーツ面で、今開催中の高校戦車道全国大会の記事。決して大きく取り扱われているわけではないその内容は、今年久々に全国大会へと参戦し、2回戦突破を果たしたダークホースについてのもの。

 

 すなわち、大洗女子学園。

 みほが隊長を務める学校の記事だった。

 

「まほ。あなたはこのことを知っていたのでしょう」

「……はい」

 

 恐れていた、そしていずれこうなるとわかっていた事態が起きたということだ。

 どんな形であれ、みほが戦車道を続ける限りはいずれ必ず母の耳に入る。そのとき、なにがしかの反応があることは間違いないと思っていた。

 だがまさか、それが勘当にまで行くとはさすがのまほをしてすら予想を超えている。

 

「ですが、なにも勘当は……! みほは今の学校でも戦車道をがんばっています!」

「だからこそです」

 

 しほの態度に取り付く島はない。

 難攻不落の重戦車を前にしたときでさえ感じないような無力感。自分では何をしてもこの人の心を動かすことができないのでは、という諦観がまほの内から冷や汗とともににじみ出た。

 

「西住流が合わないというのなら、それもいいでしょう。西住流だけが戦車道ではありません」

 

 そして飛び出す、意外な言葉。

 しほは、決して西住流だけが唯一至高の戦車道と見なしてほかの流派を見下す人間ではなく、全ての戦車道を尊重している。しかしだからこそ、西住流の人間が西住流らしくあることに厳しい人でもある。それなのに、みほが西住流以外の道を探すことをよしとするとは。

 

「戦車道そのものが向かないというのなら、それもいいでしょう。戦車道だけが人生ではありません」

 

 パンツァーは人生で、人生はパンツァー。割とそんな生き方をしている西住一族ではあったが、それ以外の道もある。そう認めてくれているのだろうか。母がわざわざ自分を呼び出してまでみほの勘当を宣言した理由。それを正しく知るため、まほは居住まいを正して言葉に耳を傾ける。

 

「だからこそ、あの子の転校を許可しました。戦車道から離れることも良しとしました。……ですが、これはなんです?」

 

 新聞に触れるしほ。

 記事に書かれているのは、大洗の躍進とその原動力となっている西住流というスタンスで、地元が誇る西住流が黒森峰以外でも活躍していることを伝え、このまま決勝まで勝ち進めば西住流VS西住流の戦いが見られるのでは、と期待を煽っている。

 

 そう。

 みほもまた、西住流の一員であるとして。

 

「試合の様子は確認しました。あの子の戦車道はまだ未熟で、未完成で、そして迷いがあります」

「……はい」

 

 その迷いが、みほだけの責任ではないと言うことはできた。

 なにせ20年来戦車道が途絶えていた学校での復活1年目。同じような有様であったアンツィオ高校がアンチョビの手腕をもってしても今の状態にまで持ち直すために3年を要したことを考えれば、1回戦を観戦したときにまほが、そしてともに観戦したエリカが感じた印象そのままに、大洗の戦車道が粗削りで至らない点も数多いことは仕方ない。

 

 特に、みほにはまだ迷いがあった。

 戦車に乗り、試合に出場し、仲間たちを率いてなお、みほが本来持つ指揮官としての統率力と決断力を発揮しきれていない。まほにはそう感じられた。

 それはきっと、しほからすれば一目瞭然のことのはずで。

 

「私はあの子に教えたはずです。何かを成し遂げたいと思っているのなら、怯むな! と」

 

 確かに、しほはよくそう言っていた。

 なんかやたらと王者っぽい雰囲気で、迷うのではなく覚悟を決めろと。

 だからこそ許せない。許すわけにはいかないと、その目が語る。その背から立ち上る。今のみほが西住流と見なされるわけにはいかないと。

 震える激情そのままに、その手で机を強く打ち。

 

 

「いまのみほからは、鉄の意志も鋼の強さも感じられない!」

カン☆コーン!

 

 

 しほは、叫んだ。

 

(……あんな音がする鹿威し、うちにあったか?)

 

 そしてまほは、生まれてこの方学園艦に住んでいるとき以外は大体寝起きしているこの家の謎に思いを馳せたくなるのだが、ぐっと我慢した。そこは鉄の掟と鋼の冒険心ではなかったか、というツッコミもしない。今はシリアスなときだ。

 

 

 結果として、しほを説得することはできなかった。

 まほはもともと万言を尽くせるほど弁舌が巧みでもなく、言葉程度で決心を翻すほどしほの頭も柔軟ではない。

 次の大洗の試合、プラウダ高校との準決勝の後にみほへと直接勘当を言い渡す。それだけが、この場で知らしめられた事実だった。

 

 

◇◆◇

 

 

――カランカラン

「いらっしゃい。……おや、西住ちゃん。こんな時間に一人とは珍しいね」

「はい、こんばんは」

 

 その日、そろそろ店じまいしようかと考えていたころ、来客があった。

 

 外の気温は大分低く、学園艦上の商店では鍋の食材が売れるようになりだしたと聞いた。

 通学する生徒たちが長袖のコートを引っ張り出し、今も西住ちゃんが温かい店内に入ってほっとした様子を見せている、そんな天気と時間。

 

 ……いや、時期的にはまだ夏にすらなってないはずなんだけどね? でも仕方ないよね。戦車道全国大会準決勝、次なるプラウダ高校との対戦フィールドは北の方にある。日本は南北に長いし、そりゃこの時期にだって雪原の一つや二つはあるよ。あるったらあるよ。

 

「今日は、練習の後に会長たちに呼ばれたんです。話があったらしいんですけど、なんだかあんこう鍋を食べただけで終わっちゃって……」

「そうだったんだ。杏ちゃんの手作り、美味しかったでしょ」

「はい。とっても」

 

 コートを脱いで、カウンターの椅子に腰かける西住ちゃん。

 それにタイミングを合わせてコーヒーを西住ちゃんの前に。ミルクと砂糖はいつもの量。西住ちゃんの好みはわかっている。

 ありがとうございます、とつぶやいてカップを両手で持ち、一口コーヒーをすする西住ちゃん。あーもう小動物っぽくてかわいいなあとか思っていると、ほっと息を吐いてふにゃりとほほ笑む。いかん、さらにかわいくなった。

 

「外、寒いみたいだね」

「ずいぶん、北の方に来ましたから。……天気予報を見る限り、試合会場は雪が積もっていそうです。対策、しっかりしないと」

 

 しかし、それも一時のこと。寒くなるのに合わせて迫りくる次の試合、プラウダ高校との準決勝に向けての策を練る隊長の表情になった。これはこれでキリっとしていてかっこいいね。

 

「あの、店長さん。今日も……いいですか?」

「もちろん。好きに使っていいよー」

 

 そんな西住ちゃんのお願いを、俺が断る理由はない。

 俺の快諾にありがとうございますと嬉しそうに礼を言い、西住ちゃんはカバンの中からファイルを取り出した。その中におさめられているのは、大量の資料。

 T-34シリーズ、IS-2、KV-2をはじめとした、プラウダ高校の資料だ。そして次の試合会場の地形図、過去の戦歴などなども続々出てくる。

 西住ちゃんは、また一口コーヒーを飲んで、資料に見入る。次の試合の作戦の検討だ。

 

 うちの店を気に入ってくれたのか、西住ちゃんは試合前の作戦を立てるときにうちを使ってくれることがある。チームメイトと一緒に検討するときはテーブルだけど、一人で来たときはこうしてカウンターの決まった席で。

 普段からさほど混まないから心置きなく資料を広げて、俺の淹れたコーヒーを飲みながら、真剣な目で。

 

 戦車道好きとしては、こうして舞台裏の努力を垣間見ることができるだけでも大洗で店をやってよかったと無限に思える。ありがとうじいちゃん……!

 

「フィールドは雪の可能性が高くて、相手は寒冷地に慣れたプラウダ高校……。カモさんチームも試合に出てくれるけど、戦力差は6対20。フラッグ車だけを狙わないと、絶対に物量で押しつぶされる……」

 

 おっといけねえ、なんか川の向こうで頭に光る輪っかを乗せたじいちゃんが手を振ってたんで、ついつい握手しに行こうとしちゃったよ。じいちゃんまだ生きてるけど。

 で、そんな極楽往生の妄想に浸っていた俺を現実に引き戻してくれたのは、西住ちゃんの深刻そうな声だった。

 主に見ているのはプラウダが誇る傑作戦車の数々についての資料。

 オーパーツじみた性能でドイツを震え上がらせたT-34シリーズに、虎狩り用のIS-2、なんかもう怪獣っぽさすらにじみ出るKV-2。これらをまとめて試合に投入してしっかり連携させて勝てるってんだから、プラウダの隊長の実力は本物で、西住ちゃんは去年誰よりもそれを思い知った。

 だからこそ、より一層不安なのだろう。大洗の戦車道で勝てるのか。いやそれどころか、無事に終わることすら、できるのかどうか。

 

 あ、ちなみに秋山殿は今回もスパイしようとしてくれたんだけど止めておきました。プラウダへのスパイは洒落にならないからね、うん。

 

 で、それはそれとして西住ちゃん。

 いよいよもって資料をにらんだまま固まってしまっている。きっと、頭の中では目まぐるしくいくつもの作戦が浮かんでは検討され、検討されては却下されを繰り返しているのだろう。いつの間にかコーヒーを飲み干して、それに気付かず空のカップに口をつけて、それなのに普通にソーサーに戻すあたり大分やばい。

 ……やれやれ。西住ちゃんはこういうところがよくないな。

 

「てい」

「ひゃあ!? つ、冷たい!?」

 

 なので、お冷をおでこに押し付けてみた。突然のことにびっくりして、ようやく現実に返ってくる西住ちゃん。当店は妄想の世界への耽溺禁止となっております。なにせ俺がしょっちゅう向こう側に行ってるからね! お客さんまでイっちゃったら誰が現実に引き戻してくれるというんだ。

 

「カイロ」

「へ? ……え? カ、カイロですか?」

「うん。試合の時は持って行った方がいいと思うよ。だいぶ寒くなりそうだから。凍えたら戦車道どころじゃなくなっちゃうしね」

「あ……。そ、そうですね。試合ももちろんだけど、人の寒さ対策もしっかりしなくちゃ……!」

「当日は試合中でも飲めるように、温かいココアでも差し入れようか」

「はい、ありがとうございます!」

 

 どうやら、西住ちゃんは割と本気で寒さ対策を失念しかけていたらしい。作戦ノートにカイロやら温かい飲み物などなど、戦車だけではなく人の防寒具の類を書き連ねていく。なんか寒い日の買い物メモみたいだけど、これもまた重要なことだ。

 戦車道は、あくまで人がすること。仲間を思いやる気持ちが大切だから。

 

「……よし、と。ありがとうございます、店長さん。もう少しで、大事なことを忘れるところでした」

「なあに、いいってことよ。口出ししちゃってごめんね?」

「いえいえそんな! ……うれしかったです。見守っていてくれる人がいるんだ、って思えて」

 

 はにかむ西住ちゃんの顔に、笑顔が戻った。

 うん、これでいい。俺の店に来た女の子は、たとえ何があろうとも帰るときには笑顔になってもらう。俺が店を始める時に決めた唯一の誓いだ。破るわけにはいくまいて。

 満足させてもらったそのタイミングで、時計を見る。ふむ、さすがにもういい時間か。

 

「……さて、それじゃあ今日はこの辺で店じまいとしようか」

「あ……もうこんな時間。そうですね、そろそろ帰らないと」

「じゃあ、送っていくよ。もう外暗いし」

「はい。……。…………? ……ええええええええええええええええええええええええええ!?」

「うわっ、なになに?」

 

 学校の授業を受け、戦車道の練習をして、その後生徒会に呼び出され、うちで次の試合の作戦立案。そこまでやるとさすがに外も暗くなってくるし、これから先店に客が来る見込みもない。だから西住ちゃんを送っていこうと思ったんだけど、なんかえらい悲鳴をあげられてしまった。

 

「お、おおおおお送っていくって、店長さんが、私をですか!?」

「う、うん。さすがにこの時間に女の子一人で帰すのはどうかと思ったんだけど……ダメだった? 犯罪だった? 事案だった? コーヒーをバケツ一杯飲んで死ぬべきだった?」

「いえ、そんなことないです。お願いします」

 

 西住ちゃん、日常生活では基本的にほえほえした雰囲気の子なんだけど、たまに戦車道の試合中みたいに真剣な顔になるのはなぜだろう。いまも、さっきまでの取り乱しようが嘘のように冷静な表情で素早く会計済ませてコートに袖を通してるし。なんだろう、妙に冷静な計算が行われたような気がする。

 いやまあ、俺としては西住ちゃんを安全に家まで帰せるならそれでいいんだけどね?

 

 

「……今日、会長たちからこの学校の思い出を聞きました」

 

 帰り道。

 雪こそ降っていないものの、吐く息が白くかすむ寒さの中を二人で歩いていると、西住ちゃんがポツリとつぶやいた。

 

「ああ、杏ちゃんたちはこの学校のことが大好きで、1年生のころからいろいろやってたからね。楽しい話を聞けたかな」

「はい。この学校のことをとっても大切に思ってるんだって、伝わってきました」

 

 西住ちゃんの目は、まぶしいものを見るように細められている。

 母校の思い出。それは、西住ちゃんにはまだないものなのかもしれない。黒森峰時代はもちろん、小学校や中学校の頃が西住ちゃんにとって苦痛でしかなかったとは思わない。友達だっていたろうし、誰かと笑いあった思い出だってきっとある。

 でも今の西住ちゃんにとって、大洗に来る前はいずれ辛い現実へとつながっていくレールの上のことになってしまっている。

 

「ここはいい学校だからね。西住ちゃんも大洗女子学園で、楽しい思い出をいっぱい作ってくれると嬉しいな」

「いまもすっごく楽しんでますよ。みんなと一緒にごはんを食べたり、戦車道をやったり……店長のお店で、お茶をしたり」

 

 だけど今は。

 大洗女子学園に転校してからの決して長いとは言えない時間を思い出しながら頬を染める西住ちゃんの表情には、柔らかく解きほぐされた喜びの感情がある。いまは学校生活を、戦車道を楽しんでくれていることがそれだけでよくわかる。

 妙に濡れた瞳で俺の方を見てくる意味はよくわからないけど、それでも今の西住ちゃんが幸せそうなら、それだけで俺も幸せだ。

 

 

 ……だからどうか、どうかと切に願う。

 これからもこうして、西住ちゃんたちが笑って学園生活を送れますように。

 いつかまた、西住ちゃんをこうして部屋へ送る日が来ますように、と。

 

 言葉にすることは決してなく、それでも俺は、天に祈った。

 

 戦車道全国大会準決勝、プラウダ高校戦。

 運命の日は、近い。

 

 

 

 

 ちなみに。

 

「あ、あのそれでですね、店長さん。もし明日からもお店を使わせてもらって、それで遅くなっちゃったりしたら、その……」

「うん? もちろん、送っていくよ。西住ちゃんがイヤじゃなかったら、だけど」

「いやじゃないです! お願いします! 毎日でも!」

「毎日とは気合入ってるね」

 

 その後、西住ちゃんが今住んでいるアパートのすぐ近くまで送り届けての別れ際、こんなことを言われた。

 そして翌日から言葉通り遅くまで俺の店で作戦を立てていくようになり、プラウダ戦まで毎日西住ちゃんを部屋まで送るようになったのはさすがに予想外だった。願いが届くの早すぎないですかね戦車道の神様。

 

 それにしても作戦立案にこんなに熱心だなんて、西住ちゃんは頑張り屋だなあ。

 

 

◇◆◇

 

 

「…………………………………………」

 

 俺は、葛藤していた。

 ここは戦車道全国大会準決勝の試合会場、その観客席外縁部。

 

 戦車道も全国大会ともなれば、例によって巨大モニターによる試合映像の中継、一般観客用のひな壇、それを取り囲む出店の数々が取り囲む規模もどんどん大きくなる、一大イベント。一般からの注目度も上がり、観客動員数もかなりのものになってくる。

 それは夏を控えたこの時期でなお雪が降り積もるフィールドでも同様で、むしろカイロやマフラー、帽子といった普段は見ない防寒具を売る店、おでんの屋台なんかがひしめき合って大人気を博している。俺自身、ついさっきまでやってた店では焼き芋が面白いように売れた。

 結果、試合開始まではまだそれなりに時間があるが、それでも観戦スペース周辺は人通りも多いわけで。

 

 そうなると、必然的に懸念されるものがある。

 

「ぐすっ、ひっく。……うぅ~~」

 

 そう、迷子だ。

 一応、戦車道連盟の運営本部に行けば親御さんの呼び出し放送くらいかけてもらえるので、万が一迷子になってるっぽい子を見つけたら連れていくのが人の道。そうするべきだ。本来は。

 

 だが、まあほらその、いろいろと世のしがらみがあってね?

 俺は一応成人男性なわけで、相手が幼い女の子だったりすると「事案」の二文字が脳裏をよぎる。

 

 俺が見つけた迷子らしき子は、この寒空の下、周囲に大人の影もなく一人で涙ぐんでいた。

 泣かないよう必死にこらえてはいるが、不安と怖さとその他もろもろに震えているらしい。さらりとなびく金髪に浮かぶ天使の輪。幼くも精緻を極めたドールのように美しい顔の作りと、独りぼっちの寂しさに負けるものかと歯を食いしばる血の通った表情。そして、美しさと幼さの内側にちらりと垣間見える、覇気。

 自分は支配者の側であると信じて疑わない、絶対の自信。王にも似たそんな気質が確かに感じられる、気高い少女。

 

「……あれ、プラウダのカチューシャじゃないかなあ」

 

 どうも、プラウダ高校戦車道隊長、カチューシャっぽい。

 

 

 「地吹雪のカチューシャ」「小さな暴君」。

 全国大会10連覇を目指す黒森峰の快挙を阻み、王座を手にしたプラウダ高校。ソ連製戦車で編成された強力な戦車部隊と、それを生かす完全なピラミッド型のチーム編成を誇るチーム。

 前年度の決勝において黒森峰を追い詰める作戦を立案した功績をもって今年チームの頂点に立ったプラウダのリーダー。

 小柄でちょろく、見た目相応の女の子という説もあるが、いろいろと恐ろしい噂が漏れ聞こえてくるプラウダの中において高い地位にあり続けているという事実は、彼女の実力を証明している。

 

 だからこそ、冷静に考えてみよう。

 準決勝の試合前、プラウダの隊長がこんなところを一人でうろついているものだろうか。

 いやいやそんなまさか。SPの一山二山引き連れているのが当然じゃなかろうか。カチューシャのことは副隊長のノンナさんが溺愛してるともいうし、なのに彼女の姿は周囲に見当たらない。つまり、あの子はカチューシャによく似た別人と考えるべきだろう。

 うん、それなら心置きなく……。

 

「ノンナぁ……」

「あ、やべえあの子確実にカチューシャだ」

 

 ……心置きなく、死を覚悟することができそうだった。

 

 

「お嬢さん、おひとりかな」

「え?」

 

 「事案」「通報」「変態呼ばわり」「西住ちゃんたちからの蔑みの目」。

 ヤバい方向に転がった場合に訪れるだろう恐ろしい未来予想の数々が脳裏をよぎるが、それでも俺は意を決して声をかけた。

 いろいろと考えてはいたのだが、それでも元から俺に泣きそうになってる女の子を見捨てるなんて選択肢はない。涙がこぼれそうになったなら、必ずその涙をぬぐう。それが俺の生き方だ。

 そう、たとえ人生と引き換えにしようとも……! 世知辛い世の中だぜ!

 

 てなわけで、しゃがみこんで目線の高さを合わせて声をかける。

 俺に気付いたカチューシャ(っぽい子)は突然のことにぽかんと俺を見て、視線を下げる。で、また顔をあげて俺の目をまっすぐに見た。

 

 その時彼女の顔に浮かんでいた表情は、それまでと一変している。

 吊り上がった眉と、涙に濡れながらも烈火の光を宿す瞳。

 この感情を読み違えるようなら、俺は女の子同士の仲の良さが好きだなんて自称できるはずもない。

 

「……なによ! カチューシャの背が小さいって言いたいの!? ノン……ああもう!」

 

 怒り、だ。

 

 急速に斜めっていく彼女のご機嫌。

 どうやら、しゃがみこんだことで自分の方が身長が低いと思われたことにお冠らしい。

 

 しかしこれで、彼女がカチューシャであることは確定だ。名乗ってるし。

 それに、真偽不明のプラウダ情報によると、カチューシャは自分より背が高い戦車道の隊員を気の向くままに粛清してるって話だし。

 おそらくこういうとき、副隊長のノンナに肩車させて相手を見下すのだろうが、この状況ではそうもいかない。そのことがますます彼女のいらだちを加速させている。

 

 だけど、少しだけ助かった。

 女の子の目から涙がこぼれずに済んだなら、それでいい。

 あとは笑顔がこぼれてくれるなら何より。

 

「いえいえ、滅相もない」

 

 というわけで、カチューシャにせめて落ち着いてもらおうと、俺はその場で片膝をつく。

 うわ雪冷てえとか思うも、表情だけは変えないままに手を逆の肩に当てて、うやうやしく首を垂れる。

 その姿は、まさに。

 

 

「騎士は、姫の前では傅くものにございますれば」

 

 

 どっちかってーと俺は道化だけど。

 そして傅く相手は支配者の類だけど。

 

「……ふ、ふーん! いい心がけじゃない! 名前を名乗りなさい。カチューシャが特別に覚えておいてあげるわ!」

 

 さらに加えて、カチューシャは噂にたがわず人の上に立つと途端にちょろくなる子だったようだ。

 ちらと目線を上げれば、そこにはさっきまでのうつむいた様子が嘘のように胸をそらしたドヤ顔幼女。……いや、こう見えてカチューシャは西住ちゃんたちなんかより年上のはずなんだけどね?

 

 でも、よかった。元気になってくれたみたいだ。なので、とりあえず名乗っておいた。これで自己紹介も完璧。……だから、正体不明の不審者扱いはされないよね? 大丈夫だよね?

 男の人生には常にいくつもの敵や脅威が付きまとうが、「事案」の二文字はさすがにちょっと相手するには強すぎてね?

 

「それでは姫、プラウダの陣までご案内いたします」

「くるしゅーないわ!」

 

 言葉通り、カチューシャは結構ご満悦だ。この調子なら、プラウダ高校の待機場所まで連れて行ってミッションコンプリートとなるだろう。俺まで一緒に近づきすぎると拘束される可能性はあるけど、今のカチューシャを放っておけないし仕方ない。覚悟を決めよう。

 割と本気でこの後の試合をまともに見れない可能性も考慮に入れて、それも含めて決意した。ちょうど、そのとき。

 

 

「――カチューシャ!」

「あっ、ノンナ!」

 

 周囲に響く必死の叫び。

 カチューシャが一発で見つけたその声の主は、背の高い女性だった。

 着ているのはカチューシャと同じような違うような、でもまぎれもなくプラウダのパンツァージャケット。そして「ノンナ」と呼ばれたこと。

 一説によるとカチューシャ以上に苛烈で冷徹。そしてカチューシャを愛することにかけては他の追随を許さないヤバさを誇るという噂の、通称、吹雪……じゃなかった「ブリザードのノンナ」さんだった。

 

 ノンナさんは全力で駆けてくる。

 すれ違う人にぶつかりそう、と思ったのもつかの間、ニンジャかなにかかという勢いですり抜けながら、全くスピードを落とすことなく。

 そのさまを見て、俺はゾクゾクと背中に震えが走る。

 

 ああもうなにあれなにあれ愛だよ愛。カチューシャへの底抜けの愛を感じるよむしろあれは母が娘に向ける愛じゃねうひょおおおおお。

 この間、約0.1秒。俺は付近に女の子同士の愛を感知すると思考が高速化するのだ。

 

 まあそんなわけで、俺の役目は終わった。

 カチューシャの涙がこぼれる前に保護者へ引き渡すことができたならそれで充分。一応大洗側の人間でもあるわけだし、これ以上かかわるのは良くないだろう。

 そう思って、こっそりとこの場を立ち去ることを選ぶ。カチューシャがノンナさんしか見ていない今ならバレることなく立ち去れる。

 店長はクールに去るぜ。

 

 と、思っていたのだが。

 

「……あなたは?」

「大洗で変な店をやってるっていう店長よ! さっきそこで会ったの。カチューシャの偉大さを理解してるようだったから、相手しててあげたのよ!」

 

 なんか、ロックオンされてしまいました。

 カチューシャは得意げに、自分が迷子になってたという記憶が頭からすっぽ抜けたように堂々と言ってのけているが、その……ノンナさん? なんか俺を見る目がやたら昏くありません?

 

「そうですか。カチューシャがお世話になりました。私からもお礼を言わせてください」

「い、いえいえ……」

 

 立ち上がり、丁寧に頭を下げるノンナさん。

 ……あの、普通そういうときに相対する位置よりもなんか一歩分近くないですか。伸ばした手が届くというか、「その気になったら俺の首へし折れる位置」のような気がしてならない。

 

「カチューシャは我がプラウダ高校の宝。無事でいてくれたことがあなたのおかげなら、どれだけ感謝してもしたりません」

「そーよそーよ! だから胸を張りなさい、店長!」

 

 カチューシャが楽しそうでなによりです。

 なによりですが、なんかノンナさんの目が。目があああああ。

 「まかり間違ってもプラウダの宝のカチューシャに変なことしてませんよね?」と聞いてくるんですがああああ! コワイ!

 

 本能的な恐怖に背骨がぐらぐらしそうなほどの恐怖が湧き上がって……きそうで、来なかった。

 

「気持ちは、わかります。カチューシャがノンナさんに会えた時の顔を見れば、二人がどれほど信頼し合っているか、わかりますから」

 

 代わりに俺の心からごぼごぼあふれてきたのは、満足。

 だって見てくださいなこの二人! カチューシャがノンナさんの足にしがみついて、ノンナさんは自然な感じでカチューシャの肩に手を置いてるし! なんだこの二人で一人感最高だ!

 

 プラウダ高校にまつわるおそロシアな噂の数々は正直おっかないと思っていたのだが、今の俺にその恐怖はない。

 北のかの地にこんなにも美しい愛の形があるのなら、もし足を踏み入れることがあったとしても、そしてそこで朽ちることがあったとしても俺は最後の瞬間まで笑っていられるだろう。そう確信できるだけの絆が、カチューシャとノンナさんの間にはあった。

 

「……ふふっ。そうですか、『あなたも』わかりますか」

「ええ、もちろん」

「ん? 何の話をしてるのよ、二人とも」

「カチューシャが偉大である、という話です」

「去年の決勝戦すごかったですねって話を少々」

「なによなによ! 二人ともわかってるじゃないの!」

 

 そして、そんな俺の思いはノンナさんにも通じたらしい。

 おだてられて気分よく調子に乗るカチューシャの視界の外で、しっかりと握手を交わす俺とノンナさん。

 ノンナさんはカチューシャを愛し、俺はそんな二人の関係を愛している。方向性は少々違うが、互いに認め合えるものがある。そのことだけは間違いなく、通じ合った。

 

 

「そろそろ時間です。試合の準備に行きましょう、カチューシャ」

「あら、もう? 仕方ないわね。おみやげももらっといて悪いけど、大洗には勝たせてもらうわよ、店長」

「ふっふっふ、大洗の戦車道も強いからね。そう簡単には行かないよ」

 

 で。

 せっかくなのでお近づきのしるしにうちの出店から取ってきた干しいもやら何やらを布教がてらプレゼントしてたら試合の時間が迫ってきた。

 試合、と聞いてカチューシャの目つきが変わった。

 少し鋭く、獲物を狙う獣の剣呑さと、配下の隊員たちに過酷な命令だろうと迷わず下す指揮官の冷徹さが同時に宿る。

 小柄なはずのカチューシャが、とても大きく、大きく見えるようだった。

 大洗女子学園は、これからこんな人に挑まなければならない。戦車道をやっていない俺ですら畏れを抱くほどの存在感。西住ちゃんたちが立ち向かう相手の強大さを、俺は今更ながらに思い知った。

 

 だけど、きっと大丈夫。西住ちゃんたちなら、それでも必ず勝てる。

 外野に過ぎない俺にできる唯一のことは、勝利を信じて応援することだけだから。

 

「そうだといいわね。楽しみにしてるわ。じゃあね、ピロシキ~」

「失礼します、店長。 До свидания(さようなら)

 

 そして、二人は去っていく。なぜかノンナさんがカチューシャを肩車して。あれがプラウダ高校の基本フォームであると聞いていたが、まさかこの目で見られるとは。

 そんな感慨に耽りながら二人を見送り、姿が見えなくなるのを待って、俺も踵を返す。

 

 

 なんかすごい偶然からノンナさんとは妙にわかりあえたけど、試合が始まれば大洗とは敵同士。それも、極めて強大な敵だ。

 

 それでも、大洗には勝って欲しい。

 来年も、再来年も、その先も。

 あの学園艦で、みんなの笑顔に出会うために。

 その為に、今日まで陰に日向に大洗の戦車道を応援してきたのだから。

 

 そんな応援の意味が西住ちゃんたちに伝わるその時が、もうすぐそこまで迫っているなんて、さすがにこの時点では俺も予想できていなかったのだけれど。

 

 

 全国大会、運命の準決勝。

 西住ちゃんにとって避けられない、過去を乗り越えるための戦い。

 そして大洗女子学園にとって、未来をつかみ取るための戦いが、始まる。


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