「みんな、聞け!」
蒼天に響く声がする。それを聞く少女たちがいる。
聴衆の数は20以上。彼女らこそ、アンツィオ高校戦車道の隊員。人数的には多数を占める1年生だ。
制服はおしゃれに、隊列は整然と。戦車道をする少女たちとしてはよく見られる光景だ。
そんな彼女たちに届けられたのが、階段上からの声。
よく通る声質だ。持って生まれた喉と腹、人前で物怖じしない度胸、導く者としての自負と責任。それらを兼ね備えたものだけが発することのできる、指揮官の声。
「やつらはきっと言っている。『アンツィオは、ノリと勢いだけはある。勢いに乗られるとやっかいだ』」
「そうっスよね!」
「その勢いで一回戦勝ったんですから!」
やんややんやの大喝采。
ここ、アンツィオ高校の戦車道は盛んだった過去、消滅寸前の衰退を経て、いま再び日の目を見ようとしている。その勢いを示すような活気だ。
その立役者こそが、階段に立ってマントを翻すドゥーチェこと、アンチョビ。死に体だったアンツィオ高校戦車道を、全国大会一回戦にてマジノ女学院撃破にまで至らしめた逸材である。
「その通り! だがやつらは、裏を返してこう思ってもいるだろう。『ノリと勢いだけ。それさえなくせば楽勝だ』」
「あぁん!? ザッケンナコラー!」
「スッゾオラー!」
「カチコミかけましょうよ姐さん!」
ノリと勢いとパスタのアンツィオ。その名は伊達ではなく、生徒たちは熱しやすく冷めやすい。そして火が付くと止まらない。ディスられてるんじゃね? と軽く話題に出しただけでこの沸騰ぶり、放っておけば今すぐにでも戦車に乗り込みそうな勢いだ。
「まあ待て。これはあくまでも想像だ。実際にやつらが言ったわけじゃない」
「なーんだ」
「ちっ、せっかくの殴る理由が……」
「しかし! だからこそ私たちにとっては好機だ。自分たちの方が有利と思っている相手を、逆に恐怖のズンドコに叩き落して蹂躙する。……心地よい体験だっただろう?」
ドゥーチェの言葉で、落胆しかかったアンツィオ生の目に光が戻る。ギラギラと粘つくような、獣の目だ。ほんと、勢いある時だけはかっこいいんだよなこの子ら、とは表に出さないアンチョビの本音。このノリを上手く御して試合の時に最高潮へ持っていく。それができるからこそのドゥーチェの称号である。
「次もお前たちに勝利を約束しよう。そのための秘策、我らアンツィオ高校、歴代戦車道チームの悲願たる秘密兵器も用意した!」
おおおおお。どよめきながらドゥーチェの指し示す先を振り向く隊員たち。
そこには集合したときからなんかあったけど、たぶんあとで使われるネタだろうからとがんばって無視しておいた、布で隠された戦車っぽいなにかがある。
秘密兵器の両脇には、アンツィオ高校戦車道副隊長を務める二人が控えていることからも間違いない。CV33とセモヴェンテという、決して強力とはいえない戦車で全国大会一回戦を突破してのけた自分達に秘密兵器まで加わってしまえば鬼に金棒。
どんどこ試合を勝ち進み、日本中から注目を浴びてファンやスポンサーがガンガンつき、毎日パスタ食べ放題。アンツィオ生らしい食欲と直結した皮算用が彼女たちの脳裏を支配する。
「見るがいい! これが……!」
ぐっと力をこめて布をつかむ副隊長たち。もったいぶってためを作るドゥーチェ。
次の瞬間に湧くのは、きっと隊員たちのうれしそうな喝采だ。
と、思っていたのだが。
――ゴーーン
――ゴーーン
「……あ」
鳴り響いたのは鐘の音。アンツィオのらしさがさく裂した、なんとなくイタリアっぽい荘厳な時計塔によるお昼のお知らせだった。
「……うおおー!」
「お昼だー!」
「ランチに遅れるなー!」
「思考回路はショート寸前だよ! 今すぐ食べたいの!」
「あっ、ちょ! お前たち!?」
そして、いかなカリスマあふれるドゥーチェとて食欲には勝てない。それがアンツィオにおける絶対の真理なのだった。
「……行っちゃいましたね、ドゥーチェ」
「まあ、お昼だからな。自分に素直なのがうちの子たちのいいところだよ、うん」
でもその熱意がもう少し戦車道に向いてくれたら。そうすれば、準決勝進出だってより現実味が出てくるのに。これまた、思っても言わない。
口に出すべきことと、出さずに抑えるべきこと。指揮官は日常の中でさえ常に選択を迫られるのだ。
「それはそうとドゥーチェ、私らもメシ食いに行きましょうよ。腹減っちゃいました」
「そうしましょう。みんなもお昼が終わるまでは戻ってきませんから」
「だな。今日はなに食べようかなあ」
「迷うっスねー。あー、こんなときアニキがいればなあ」
「アニキって、ぺパロ二のお気に入りだった屋台の?」
「そう! なんかやたらさつまいも使ったお菓子と干しいも推してたけど、パスタもお菓子も美味くてさー。1年くらい前までは何度かこの辺で屋台やってたけど、最近じゃ全然見ないんだよなー」
1年生隊員たちからは遅れつつ、三人で食事の算段をしながら歩くアンチョビたち。
アンツィオの戦車は決して強力とは言えないが、アンツィオの戦車道は弱くない。いや、強い。それを証明するための、アンチョビの3年間の集大成たる全国大会二回戦。
試合の日までは、あとほんの数日だ。
◇◆◇
「というわけで、次はアンツィオ戦なんだけど」
「敵の主力はCV33、カルロ・ヴェローチェ。そして自走砲のセモヴェンテだ」
大洗女子学園、生徒会室。
学園側で戦車道を進める中心となっているのが生徒会であるため、隊長ミーティングなどで使われることもある、この部屋。
学園艦の艦橋部分にあるため窓からの眺めはとてもよく、麻子は決して近寄ろうとしないが、それはさておき。今日はこの部屋にみほを筆頭にあんこうチームの面々が集っていた。
「わたくし、CV33大好きです。かわいくて、花器にしたいくらい」
「いやいや、華。いくらなんでも戦車は大きすぎるでしょ。なに活けるのよ。ひまわりかなんか?」
「いえ、バラを。最近とても大きな品種が出てきたんです。なんでも、芦ノ湖で育てるのがコツだそうで」
「ちょっと待って華さん。それ絶対手を出しちゃダメなやつだと思う」
その結果、なんか話題に緊張感がなくなってもいるが、それも仕方のないことだ。今はまだ、会議の本題が到着していない。
「アンツィオ高校はこれまで弱小だったからねー。マジノが勝つと思ってたからそっちの資料は多少集めておいたんだけど、実際はアンツィオだもん。ぶっちゃけほとんど向こうの情報わからないんだわ」
「はい。私の方でも少し調べてみましたけど、さすがにイタリア戦車となるとすぐには詳しい情報が手に入らなくて……」
敵を知り、己を知れば百戦危うからず。
戦車道においてもこの言葉は真理としての地位を確保している。実際、強豪校と呼ばれる各校は他校の情報収集にも余念がない。プラウダや黒森峰はかなりガチで、特に防諜面に優れているという話は界隈で囁かれているし、聖グロリアーナの情報処理学部第六課、通称GI6の存在と諜報能力は語り草になっている。
大洗女子学園はその点、敵に戦力を知られる懸念というのは比較的少ない。なにせ、次の試合に投入できる戦車が現時点でまだ決まっていないほどなのだから。
ルノーB1bisは先日発見こそできたものの沼に沈んでいたため、現在自動車部に復旧を依頼中。
ウサギさんチームが遭難しつつも見つけてくれたもう1輌は学園艦内奥地にあるため、いまだ引き上げすらできていない有様だ。
そのうえ日々の練習前後もメンテナンスが必要で、せめて1回戦に出場した戦車くらいは2回戦にも全車出撃させるとなると、さすがの自動車部の力をもってしても現状稼働している戦車を優先しつつ、少しずつ新戦車の整備をするのがやっととなっているわけで。
「その辺は大丈夫。今新鮮な情報待ってるとこだから」
「新鮮……?」
「……そういえば、秋山さんがいないな」
「……あ」
ならせめて、相手の情報くらいは少しでも正確で、新しく、正しいものを。
そう望むとき、大洗女子学園には適任の生徒が一人いる。
「不肖、秋山優花里! ただいま戻りました!」
元気よく生徒会室の扉を開けて入ってきたのは優花里。
背にリュックを背負った、コンビニ店員の制服姿。
そう、サンダース大付属に潜入して情報を入手してきた信頼と実績の、秋山優花里がここにいる。
◇◆◇
優花里がアンツィオへの潜入によって入手してきた映像は、例によってサンダース戦と同じくドキュメンタリー調の編集がされていた。
冒頭に翻るタイトルロゴ。どじゃああ~ん、というSE。なにがここまで優花里を駆り立てるのか、謎である。
だが内容自体は一回戦前の時と同じく極めて有益だ。
年がら年中お祭り騒ぎらしいアンツィオの中でも戦車を掲げた屋台の店員に声をかけたら、どうやら戦車道の隊員だったらしくさっそくアンツィオの秘密兵器がP40であると知れた。
その後も学園内をカルロ・ヴェローチェに箱乗りしてどこかへ向かう車列が映る。あれは間違いなく戦車道の隊員だろう。
「さあ、カルロ・ヴェローチェ! アンツィオ式の走りを見せてやろうぜ!」
乗員、総じてノリノリである。さすがアンツィオ。
「ああ、あれか? 姐さん……ああ、うちの隊長のドゥーチェなんだけど、新兵器手に入れてご満悦でさ。毎日コロッセオで乗り回してお披露目してるのさ。あいつらはそこへ向かうんだな。暇なら行ってみたらどうだ? 写真撮り放題だぞ。ちょっとエロいポーズお願いすると恥ずかしそうにしながらポーズしてくれるから最高だぜ?」
「アッハイ。ポーズはさておき、行ってみます。ありがとうございました!」
しかもなんと、P40の稼働状況まで見られるという話。
情報収集の使命はもとより、優花里の個人的な趣味においても行かねばならぬと足取りが弾む。向かう先にそびえたつのはコロッセオ。アンツィオ伝統の、なんかイタリアっぽい建造物の一つである。
「見るがいい! これが我らの新兵器だ! うりゃ!」
「おお! 本当にP40です! 動いてます! まさかこの目で見られるとは!」
コロッセオのゲートをくぐった先。
古代においては剣闘士たちが、あるいは剣闘士と獣が戦い、古代ローマカラテが編み出されたとかなんとかいう噂の建造物を再現されたこの地の中で、元気に走り回るP40の姿があった。
そして、そんなイタリア戦車にタンクデサントしている巨大なツインテールの少女。彼女こそ、アンツィオ高校の戦車道をここまで引っ張り上げた立役者、ドゥーチェ・アンチョビなのだろう。
周囲を囲むアンツィオ生をあおりにあおり、テンションはいつでもクライマックス。なるほど、あのカリスマがあればノリと勢いのアンツィオを全国大会での勝利に導くことも可能かもしれない、とみほは警戒を強くする。
「わー、本当にすごいです。稼働状態もいいみたいですし、きっと二回戦ではフルスペックで……わあ!?」
そのとき、画面が乱れた。
おそらく優花里が胸ポケットあたりに入れていただろうカメラが大きく動いたのだろう。悲鳴も聞こえたことからして、ごった返す周囲の誰かとぶつかってしまったのかもしれない。
「あらあら、大丈夫ですか?」
「へ? あ、ど、どうもすみません。助かりました」
しかし、それもすぐに収まった。
カメラの脇からひょっこりと現れた人物が、優花里を支えてくれたようだ。
優しそうな人だった。
ショートカットの髪に、シンプルな丸メガネ。優花里をのぞき込む表情はふんわりとした笑顔で、この人は生まれてこの方笑顔しか浮かべたことがないのでは、とすら思える雰囲気をほわほわ振りまいている。
「あっ、ごめんね!」
「気を付けないとダメですよ。……すみません、うちの子たちはいつも元気いっぱいで、つい、乱れちゃうんです」
「ツイ、ミダレチャウ……」
テンションの高いアンツィオ生と比較するとそのおっとりしとやかさはより一層際立ち、まるで教会のシスターのよう。ギャップに混乱した優花里が言われたことをそのまま片言でオウム返しにしてしまうほどだ。
しかしこの女性、明らかに生徒ではない。年齢はだいぶ若そうだが、ここが学園艦の中でも実際の校内区画、それも戦車道で使っている最中のコロッセオ内ということを考えると、戦車道の顧問か何かだろうか。ビデオ映像を見るみほたちはそう推測する。
「いつも、言い聞かせているんですけどね。……撃っていい相手は、対戦相手と聖グロリアーナ共だけです、と」
「アッハイ」
そして、その判断を一瞬で改めるくらいに超怖い雰囲気が急激に醸し出されてきた。
なんだあの顔。異教徒スレイヤーとでもいうべき殺意ビンビンの表情だ。
しかも、最悪なことに映像はこれで終わり。
例によってスタッフロールが流れ、協力として今度も勝手に足として利用したコンビニ艦の総元締めや大洗女子学園の生徒会、そしてなぜか店長の店まで名前が入っている始末。
以前もそうだったが、諜報の成果を見ているのかドキュメンタリーを見ているのか、何とも言えない後味であった。
「……あの、最後の女の人なんだったの?」
「あの方ですか? 映像にはないですが、あとでアンツィオの生徒の方に聞いたらやっぱり戦車道の顧問をしておられる安照先生という方だと教えていただきました」
「顧問なんて……いるんだ」
「そりゃいるよ西住ちゃん。うちは目立たないけど、部活にせよ授業の一環にせよ、学業としてやってるところならね」
「であります。安照先生はご覧のとおり教育実習終わりたてくらいにお若い……と思っていたのですが、なんか噂を聞いた限りだとアンツィオ高校の校長先生の恩師でもあるらしく」
「えっ」
「何代前の先輩の写真にさかのぼって調べてみても映っていて、しかもお若いまま全く姿が変わっていないことから、<
「なにそれこわい」
そして、最終的に全てをさらっていく謎の存在、安照先生。
これから対戦するアンツィオ高校の校風や雰囲気は実によくわかったのだが、戦車の情報が今も頭に残っているか、一抹の不安を覚えるみほなのであった。
◇◆◇
対アンツィオの対策と練習は、順調に進んでいた。
カルロ・ヴェローチェとセモヴェンテ、そして今回明らかになった(元)秘密兵器のP40。幸いこれらの資料はエルヴィンがいくつか所有していたので、カバさんチームがルームシェアで暮らしている家までみほが出向いて見せてもらうことができた。
イタリア語で書かれている資料も多かったのだが、さも当然のようにイタリア語とラテン語を読み書き会話までできるカエサルが訳してくれたので何も問題はない。
ちなみに、珍しい資料が見られることを口実にしたみほが勇気を出して店長も誘ってみたのだが、辞退されてしまった。曰く、「濃厚な百合の香りに包まれて死にそうだから」とのこと。
いわれてみれば確かに、あの変態にとって女の子同士でルームシェアしている家などまさに極楽浄土。一歩足を踏み入れれば、それはそのまま彼岸と此岸の境を超えることになるのだろう。変なところで冷静なヤツである。
そうした資料集めと検討の結果、洗い出されたアンツィオ高校の所有する戦車、主力の中でも数が多いCV33と新兵器のP40への対策のため、八九式をCV33、Ⅳ号をP40に見立てての訓練をすることとなった。
「ええい、逃げるな八九式!」
「いやです! 敵の弾を避け……るまでもなくどうせ当たらないけど、周り続けろ!」
「このまま敵をバターにしちゃうんですね!」
「そりゃ、相手がティーガーの場合だったらできるかもしれないけど……」
「忍、落ち着いて。ティーガーでもバターになったりしないから」
八九式を狙うのは、カメさんチームの38(t)。当初はウサギさんチームも一緒にいたのだが、いつの間にかはぐれたようだ。
ぐるぐると相手の後ろを取るべくまわりまわって行進間射撃の撃ち合い。38(t)が桃による安定のクソエイムで当たらないのはいつものことながら、八九式は徐々に狙いを補正して着弾地点を近づけていっている。
至近距離での撃ち合いだからこそという面もあるだろうが、なんだかんだと練度の目覚ましい向上を感じさせるチームだ。
一方、Ⅳ号。
こちらの相手をしているのは火力面での主力、Ⅲ突。回転砲塔を持たないために自由度こそ低いが、主砲の威力は大洗随一。強豪校の主力戦車を相手にしても十分に撃破を狙えるカバさんチームをどう生かしていくか。極めて重要な課題だ。
「そのキレイな砲塔をフッ飛ばしてやる!」
「待て左衛門佐! 回転砲塔がうらやましいからってそれはいかん!」
特に意味もなく照準器を肩に担ぐという新しい射撃法を試そうとしている左衛門佐が試合までに正気に戻ってくれれば、の話だが。
◇◆◇
「店長ー。来たよー」
「おや、あんこうチームのみんな。いらっしゃい」
俺の店は、基本お客さんを第一に考えつつも、いつ店を開けるかは俺の気分と都合次第の面がある。
そんな不真面目道楽商売でも、必ず店を開けておく日。それは、大洗女子学園で戦車道の授業が行われている日だ。こういう日は練習後のお茶とお話しとお菓子を求めてうちに来てくれることが多い。これまでのパターンでいうと、大体どっかしらのチームは確実だ。だから、そういう日だけは必ず店を開けておく。コーヒー紅茶に日本茶、ハーブティ。杏ちゃんが来た場合は必ず干しいもをテイクアウトしていくし、切らしておくと本能覚醒して襲い掛かってくるので在庫には常に注意を。
練習が終わってみんなが来てくれる頃には焼きいもがちょうどいい香りを立てるように焼き上げて、スイートポテトも出来たてに。俺なんかができる精一杯の応援がこれだと、そう信じている。
「今日の練習もがんばったねー」
「はい。日々成長を感じられる、いい練習でした! 私ももっと体を鍛えて、スムーズに装填できるようになってみせるであります!」
お冷を持っていくと、そこではすでに楽し気な会話が。
最近はもっぱらアンツィオ戦に向けての練習をしているという話だったけど、どうやらみんなは楽しみながら練習できているらしい。
何よりだ。女の子が仲良く戦車道をやっている。その事実がこの世界のどこかにあるというだけで、俺の心は幸せで満たされる。
「……店長、わたくしたちまだ注文していないのですが、なんですこのパイは」
「サービスの新メニュー。さつまいもをしっとり甘いペースト状にして、パイ生地で包んでサクサクに焼いてみました。あとで感想聞かせてね」
「それだけなら馴染みの店で気が利いたサービスしてもらったと思えるんだが、鼻血垂れてるぞ店長」
「おっといけねえ」
幸せのあまりついサービスしてしまうのもいつものこと。
なんだかんだ言いつつも、みんなも慣れたものらしくさっそくパイに手を付けてくれている。
世に職業の貴賤はないが、学園艦で女の子たちにおいしいお菓子をふるまって、自分の店を楽しいおしゃべりの場にしてもらう。俺にとって、これ以上の幸福はない。
これまで何度か、人生の選択を迫られたことはあった。
実家のあれこれ的に、この道以外にも選ぶことのできた職業はあった。でも今ここにいて本当によかったと、そう思える尊い時間を俺は確かに感じていた。
願わくば、そう簡単に終わってほしくないものだ。
「今日は夕ご飯どうしようか。イタリアンってことにはなったけど……どこかいいお店知ってる? 誰かの部屋でごはん会も楽しそうだけど」
あんこうチームは5人だが、五十鈴ちゃんと冷泉ちゃんが当然のように2人前注文したので合計7人前になるケーキセットを用意していると、おしゃべりしている声が聞こえてくる。
基本的にこういうときは聞き流すのがマナーなので話に入っていくつもりはないが、なるほどイタリアン。アンツィオがイタリア系の学校だから、験担ぎの類だろう。いいよね、イタリアン。俺も修業時代にとある人の下で勉強させてもらったけど、日本人の口にも実によく合うおいしい料理だ。
「ねえ店長ー。このあたりでおいしいイタリアンを食べられる店知らなーい?」
「イタリアン? そうだねえ、陸の方の大洗なら、アンツィオばりのおいしい鉄板ナポリタンを食べられる喫茶店もあるんだけど、学園艦の上となると……」
「……あの、店長さん。この店のメニューにもスパゲティとか割とちゃんとしたイタリア料理っぽいものもあるみたいですけど」
「……ハッ!?」
……だから、うちの店のメニューにも入れてたのすっかり忘れてました。
いかんいかん、女の子たちの素敵フィールドが形成されるとついつい語彙力が低下してしまう。戦車道の試合を見たときに、感動のあまり「ガルパンはいいぞ」しか言えなくなるのと同じ現象だ。
「いけないいけない、忘れてた。確かにうちでもスパゲティとか、カプレーゼとか出せるんだった」
「いつもお茶しに来てるだけだから全然気づかなかったであります……。店長、普通のお料理もできたんですね」
「そりゃあね。まあ、師匠の味にはまだまだ及ばないけど、それなりかな」
「師匠の味?」
「うん。すごかったよー、師匠のは。食べると肩から垢がもりもり取れて、丸めるとソフトボールくらいの大きさになるし」
「えっ」
「で、肩こりが治る」
「待ちましょう、店長。それ絶対に何か食材以外のものが混じっています」
懐かしいなあ。小さいお店だったけど、偶然入って食べた料理がとんでもなくおいしくて、頼み込んで料理修行をさせてもらったあのころ。今度またM県S市郊外のあの店に行こうかなー。
「でも、とりあえず今日は誰かのところでごはん会したらどうかな。うちではもうケーキ食べちゃってるわけだし」
「まあ、確かに。でも店長、商売っ気なさすぎ。お店大丈夫なの? あと邪悪な下心を感じるんだけど」
「下心なんてないよ。ほんとにないよ。……それに、店のことも大丈夫大丈夫。人間、大体何とかなるものさ。ちょっとのお金と、明日のパンツァーがあれば」
「店長は戦車持ってませんよね」
そんな感じでぐだぐだな当店。経営面ではまあいろいろあって特に問題ないんだけど、それでもお客さんへのサービス精神では他の店にも劣らないと自負するところ。
だから、更なるサービスの一環としてイケメンなバイトくんとか雇うのもありなんじゃないかと思うことはたまにある。
うちのお客さんが気になるイケメンくんを見るために足繁く通ってくれたり、でも一人だとついじろじろ見ちゃうから友達といっしょに来てくれたり、そうやってうっとりした目でイケメンくんを見つめる子をちょっと嫉妬交じりの複雑な表情で見る友達の女の子……なんて想像しただけでくらっと来て、すぐにも求人広告を出しそうになる。時給は10000円くらいでいいかな? このシチュエーションには、それだけの価値がある。
「いや、その……バイトの人を雇わなくても、店長さんだって……」
「ハッ! いかん、つい妄想を口走りながらその世界に浸って我を忘れてた。……ごめん、もう一回いいかな西住ちゃん。追加注文?」
「………………………………………………………………………………なんでもないです」
「みぽりん、ふぁいとっ。店長はあんなだから、前途はめっちゃくちゃ多難だろうけど!」
「女の敵ですね」
「弁護の余地がない」
「でも真っ赤になってる西住殿がかわいいから、そこだけは店長グッジョブであります」
今日も今日とてにぎやかに、俺の店には女の子たちの笑い声が弾けている。そうするとつられて俺のテンションもハジケ気味になるのだが、まあそれはそれ。
西住ちゃんたちの次なる試合相手はアンツィオ高校。実力はまさにこれからが楽しみなチームだけど、戦車道を楽しむということにかけては間違いなく全国屈指。
彼女たちの戦車道が、西住ちゃんに、そして大洗のみんなにとっても楽しいものになってくれれば。
俺は、そう願ってやまない。
俺の望みは、女の子の笑顔。戦車道の繁栄。そう、一言で表すならば。
「そして世に戦車道のあらんことを」
「店長がまた何か言い出した」
「お会計ここに置いとくねー」
「……沙織さん、慣れたものですね」
「私たちに限らず、他のチームもこのお店来るとこんな感じらしいですよ」
「あ、あはは……また来ますね、店長さん」
みんなで楽しい戦車道ができますように。それが俺の、変わらぬ願いだ。